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2023-03-02 35:09

#461 認知症は良妻賢母の成れの果て!自分に貼ったラベルを剥がせ!

夫と姑との関係性を劇的回復されたKさんへのインタビュー第二弾。

今回は他者や自分に無意識に貼っているラベリングについてです。

「嫁」「夫」「母親」「父親」など、相手や自分を記号に落とし込み、個人を見ようとしないことが夫婦関係や親子関係をこじらせている。

いかにしてKさんはそのラベリングを剥がしたのか?

そして、良妻賢母の成れの果てが認知症とはどういうことか?

詳しくお伺いします。

【Kさんの記事】https://note.com/atsuatsu/n/nae8382309316
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00:05
厚の夫婦関係学ラジオ、このラジオでは、夫婦関係をより良くしたい、そんな方向けに関係改善のヒントをお送りしています。
今回も前回引き続き、ケイさんに来ていただいています。
前回までは、シュートメスさんが嫁に対して嫁というラベリングを張っていたり、夫が嫁に対して嫁というラベリングを張っている、これによって起こる弊害などについてお話を伺いました。
今回は、そのラベリングというのが、家庭の中においてどういった悪い影響を与えているのかとか、どうやってそれを剥がせるのかというラベリングについてのお話と、
30代、40代の時の夫婦関係が50代になって、今ケイさんはまさに50代かと思うんですけど、50代になってどういった影響を与えるのかというところをお話ししていきたいなと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回お話しいただいたラベリングの話も、もう一回詳しくお話をお伺いしてもいいですか。
コミュニケーションしていて、ちょっと頭の固い方と話して、あなた女だからとか、例えば組織の中だとあなたは年少者だからとか、
そういう感じで決めつけた感じで、相手に対する態度を変えてくる人とかいるじゃないですか。
そういうのって、多分その人自身をちゃんと見たり評価しないで、見た姿形でも女だから女とラベル、年少者だからってラベル、だから自分はこう振る舞っていいんだとか、
相手の気持ちとか思いとか意思とか、もっと言えば人権とか尊厳とか無視して雑に扱うっていうのかな。
自分の思い通りにポンポンポンポン使い捨てるような感じの接し方をする人がいると、そういうのって多分ラベリングですね。
いろんなラベルを貼って、それでも終わらせてるっていうのかな、コミュニケーションの大事なところをね。
一方通行ですよね、でもそれってね。
大抵貼られた方としては、いやそんなことないよって思うけど、貼った方に対して言いづらいですよね。
いやそんなことないよって言いづらいし。
勝手な一方通行のコミュニケーション。
そうですそうです。
なんかそれも前の前回の話でも出したんですけど、やっぱりね擦り込み。
童話世代は擦り込みでね、子供がこうあるもの、男がこうあるもの、女がこうあるものってすごくいろんな擦り込みのラベルがいっぱい持たされてるんですよね。
そのラベルを会う人に貼ってたりとか、自分自身にも貼ってたりとかね。
私女だからこうしなきゃいけないとか、私はこの中で一番年少者だからこうしなきゃいけないとか。
逆にね、自分がこの中で一番年配者だから威張ってもいいってラベルもあると思うんですよ。
03:04
自分が尊大な態度で人を見下してもいいんだ、OKだみたいな変なラベルもあると思うんですよね。
なんかね、いろんななんかちょっとそういう古い時代の価値観にのっとったラベルをね、みんな持った状態で生きてるんで。
それをね、なんか使ってる人たちがいるとやっぱりそのコミュニケーションまずうまくいかないですよね。
それってその昭和一桁世代の、例えば今70代、80代、90代とかの方たちにとっては、彼らが当時20代、30代の時はそのやり方が良かったんですかね。
社会に合ってたってことなんですかね。戦中とか戦前戦中戦後とかですよね。混乱した時期。
あの頃はね、多分それで良かったと思うし、例えば今よりもね、平均寿命が短い時代じゃないですか。
若い子供の時って70代って言ったらもういつ死んでもおかしくなくて、20代って言ったらすごい生意気じゃんっていう時代だったんですよね。昭和40年代とかね。
その頃と比べたら今100歳が普通みたいな感じで。
だからやっぱりその生きて現役で働ける時代のことを考えたら、そういうラベリングがあった方が便利だなと。
社会の仕組みもね、システムも全部そんな感じで回ってたんで良かったと思うんですけど、今はやっぱり多様化ですよね。
サイバーシティの時代になってきたんで、もうそれは捨てた方がいいんですけど、また大事にとっててね。
なんで大事にとっちゃうんでしょうね。
その抜けられない、一度自分がそういった身につけたラベリングってなかなか自分だと気がつきにくいんですかね。気がつきにくいし、自分で剥がすことが難しいんですかね。
やっぱりね、よほどね、なんかもう辛くてしんどくて、この状態を自分で脱したいと思わない時ってやっぱりなかなかね、脱せないでしょうね。
追い詰められないとそういう風に思えないってことですかね。
自分を自覚するってことかな。今の状態がね、しんどいって風に自覚ができればいいんですけど、自覚してないままこれがでいいんだって感じがきてると思いますよね。
それは自分が辛いことに気がつかないってことですかね。
気がついてない人が。
例えば、うちの近所、地方の住宅地で、全部だいたい住んでるような住宅地なんですよ。
新興住宅地じゃなくて。それでもやっぱり少子高齢化で、お年寄り先輩が増えてきてるんですよね。
見てるとやっぱり90代ご夫婦とかね、70代ご夫婦とかいて。
見てると、例えば女性、奥様の方ですね。
両妻建房でね、すごくしっかりしてて、素敵な奥様でね。
旦那さんも建てて、お子さんも住人も建てて、素敵な奥様だなって人がね、皆さんね、認知症になっちゃってるんですよ。
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両妻建房どころじゃないですね。
そうなんですよ。でね、よく蓋開けてみると、例えば旦那さんがね、結構すごく小腹とかもど腹っぽい人でね。
そいつにずっと耐え忍びながら、いい家庭を作るために頑張ってきた奥様が、認知症になったおかげで、やっと鷹が外れて旦那さんに噛みついてね、ギャーって送ってね、大喧嘩になって、やっと旦那さんにね、反抗できたとか。
旦那さんが認知症になっちゃった?
旦那さんが認知症じゃないです。奥様が。
奥様が認知症になっちゃった。
旦那さんしっかりしてるから、なんでできないんだとかって言うんじゃないですか。
でも認知症だからできないですもんね。
そうした奥様が認知症になって、初めて自分の鷹を外して、ほんと旦那さんに噛みついて喧嘩したかったのを、やっと認知症という病で初めてね、大喧嘩ができたとかね。
旦那さんびっくりですよね。
そうですよね。
突然表現したと思いますもんね。
だけど奥さんにしてみれば、たぶん帰る時からずっと我慢してて、我慢してて、でも賢くて、すごく優秀な方で、すごく性格も穏やかでいい方だから、一生懸命家族のために抑えてきたんでしょうね。
それがやっぱり、自分の脳がね、自分の思いとやらなきゃいけないっていう、理性がね、食いつまってるから、脳と骨葛藤で認知症になりますよね。
それで認知症になっちゃって、旦那さんが一言言うたびに切れてね、噛みついて、ほんとに実際噛みつかれたって旦那さんが。
すごいですね。
大喧嘩になって、もう一緒言うのは怖いみたいな旦那さんの方がね。
本能でそうなっちゃうってことですね。
でもあっきにそれが本当の奥さん姿なんですよ。
なのに旦那さんは見て見るふりをして、自分にとってすごく良い奥さんもあるって言ってくれたから、それで満足してたけども、腹の中は今の奥様の状態なんですよ。
気づいてないと、そうやって年取って90代になってそういう問題が出てきて、その形はどうしようかって話になってくるんですよね、旦那さんの方もね。
なんか切ないですね、それ。
もっと早くお互いに気持ちをちゃんと伝えられて、けいさんみたいに気持ちをぶつけられて、お互いにぶつけ合って、お互い一人の人間として、お互いの意見を大切にし合える中に早くなったら良かったけど、
90代になって認知症になったおかげで、自分の感情を解放できたっていうのが、すごい皮肉というかなんていうか、切ないなーって感じますね。
あと他にも80代のご夫婦で、奥様はやっぱり両妻結婚でね。
多いですね、そういう人。
平均から尊敬の眼差しで見られてた奥様がね、やっぱり認知症になっちゃって、この方は徘徊してたんですよ。
旦那さんが怖くて心配でついていくんだけども、多分ね、自分の家はここじゃないって感じでね、自分の家を探してるんでしょうね、きっとね。
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なるほど、完全に徘徊。
徘徊ですよ、もうすごい姿もね、いかにも認知症って感じでね、おしゃれな方だったのが全然構わなくなっちゃって、
私も散歩中に時々奥様とばったり遭遇するんですけど、
徘徊してる奥様と。
目をキラキラ輝かせてね、一生懸命どこかに向かって歩いてらっしゃるんですよ。
だからね、多分これは私の妄想なんですけどね、本当は家を出て自由に行きたかったのに、なかなかそれができなくて、
認知症になって初めてやっとね、旦那さんに気を遣わず自由に外を歩き回ってるんだなって、私も見たんですけど。
あと隣の奥様もね、まだ70代なんですけどもね、旦那さんがね、ずっとね、お前はバカか、お前はバカだって、お前は何も知らんなってずっとね、バカにしてたんですよね。
すごく綺麗な奥様でね、素敵な方だったのは、人へのせいですっかり認知症になっちゃって、仕方が全然構わなくなっちゃって。
そのお話に出てきた3人の方たちって、夫さんが結構ひどいことを言う、諸原的なことを言ってるってパターンですけど、
それが原因で認知症になりやすくなるってことがあるんですか?
実際ね、自分の80代のお母さんが、年収になって今ちょっと大変なのって方とこの前話してて、
でね、私がその方に、私ね、認知症の人って、自分の近所の人見てると、なんか同性嫌悪な人がなってますよねって言ったら、
その方も、そうそう、うちの母もそうなんですよ。
本当にその前回の話で言った、自相のね、自分の自相の妻、母親像を一生懸命やってきた人の末路がそこなんですよ。
それすごい怖い話ですね。
そうですよ。
怖いですね。
逆に、うちの修斗姉の話したのに、夫から見ると悪才と呼ばれるような。
修斗姉さんが?
うちの修斗姉、旦那さんから修斗官に言えば悪才と呼ばれるような、言いたい放題言うより空気をまずに何でも言っちゃうような、人の方が案外認知にならずに元気なんですよ。
修斗姉は頭はすごくしっかりしてて、真相にはなってないんですけど。
言いたいこと言ってるから。
ご近所の高齢の男性たちも見てても、仲間しいおじいさんとかね、昔から自分を指導して家族に迷惑かけてるおじいさんが、みんな認知症にならずに元気でピンピンしてるんですよ。
そういう人ほどならないんですね。我慢してきた人ほどなりやすい。
彼に自分をグーッと抑え込んで、それこそ擦り込みの通りに自分らしく生きるってことをやめて、家族のためにとかね、
自分の夫と彼女の関係をうまく生かすために自分を議定にして抑え込んでる人が年取ってからそういう状態に陥ってるんですよね、みんな。
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辛いですね、それ。
それを考えると、30代とか40代とか早いうちから意見をぶつけ合ったほうがいいんですかね。
そうですね。ちなみにうちの首都もね、認知症だったんですよ。やっぱりうちの首都が首都名がガガガガガ言ってくるんですよ。
喧嘩になると世間体が悪いからずっと我慢して抑えてたんですよね、首都の方が。聞き流したりしてて。
ある時もうとうとう我慢できなくなっちゃって、認知症も進んでたし、
もう首都名がまた細かいことをね、ネチネチネチネチ言ってくるのにぶち切れちゃってね、喧嘩になっちゃって、
その時初めて首都名に首都が起こったって形ですよね、そういうこと。さっき言ったのと同じで。
お父さんがお母さんが起こったってことですね。
それまではね、結構ね、粘着しててね、細かいことに気が付いて、いろいろネチネチネチネチを指摘してね、
指摘してるのを、あ、音じゃない、首都はね、じっと我慢してずっと黙って聞き流してきてたんですよね。
それがやっぱり認知症が始まってからも、例えばデイサービスで行って帰ってくると連絡票にね、
今日はこういうことをしましたよみたいなことが書いてあるのを見て、
首都名が、お父さんちょっとあなた今日はデイサービスでこんなことをしたって書いてあるけど覚えてる?とか聞くんですよ、またまた。
覚えてないですよね。
で、首都名からすると認知症を振り止めるために何回一生懸命聞いて覚えてるかどうかチェックしてるんだらしいんですけど。
なるほど、よかれと思ってやってたんですね。
それがね、やっぱり首都にしてみれば覚えてないことだからねちねち聞かれて、覚えてないって言うと劣化のごとくなんで覚えてないのって叱られてたんで、
もうそれで大喧嘩になっちゃって、以降ね、もう一切、あの、首都名には返事しない、口聞かないみたいな感じでね。
なるほど。
もう本当に懸念だったんですよ。
なんか怖いなぁ。
その認知症になりやすいのって我慢しすぎる人とか自分を出さない人とかがなりやすいっていうのってすごい、めっちゃ怖い話だったんですけど、
それを考えると今の30代40代ってどうしたらいいんですかね?今のうちにこうやっといた方がいいこととかって夫婦関係において。
そうですね、やっぱり100組の夫婦がいれば100通りの夫婦の形があると思うんですよね。
だけど社会とか常識的なところで夫婦がこうあるべきとかね、さっきの10組じゃないけど、これが理想の夫婦だとか、
夫婦の形っていうのがなんかもうテンプレートみたいに決まってたりして、なんかそれに一生懸命自分を当てはめようとしたりパートナーを当てはめようとしたりしちゃうじゃないですか。
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そうじゃなくて、夫婦って2人で自分たちで自分たちのスタイルをね、一生かけて作っていくもんだと思うんですよ。
一生かけて。
それをね、その責任が2人にあるんだけども、やっぱり私たちの親世代ね、70代以上の人たちっていうのは、社会で決められたテンプレート通りの夫婦の形っていうのを堅持していれば、それで幸せでOKみたいな感じだったと思うんですよ。
だから別に努力しなくても、女性の場合だと家で子供を育てて家事やってて、ちゃんと家の中のことをしっかりやってればそれで良しだったし、旦那さんの方は外で働いてきてお金稼いで、一家の町みたいなことをちゃんとしてればそれで良しで、
相手のことを気遣うっていうよりも、お互いにウィーミーになるようにね、自分の役割を果たしてるだけで、相手が何を思ってて、どんな気持ちで家事をしてるのかとか、どんな気持ちで仕事に手を振るのかってとこまで全然気遣わず、形通りにしてればそれで良しっていう風にしてたと思うんですよ。
その付けがね、本当に年取ってから近隣の人たちを見てて切々と感じて、これをすることだなってちょっと思いますね。
その、こうあるべきとか、こういう風にしなきゃダメなんだっていう風に自分で自分を縛りつけてしまって、その結果お互い本当はこう思ってるんだけどとかっていうのはあると思うんだけど、それが言えないまま我慢し続けた結果、認知症になるっていう。
人間っていい感じでバランスを取るようにしてるんですよね。バランスが悪いから、こういう形でバランスを取ろうとしてると思うんですよ。だからね、片方の我慢の上に成り立ってるような安定とか安心っていうのは本物じゃないってことですよね。
相手の我慢の上に成り立ってる状態で自分たちは理想の家庭なんだとか、自分たちは理想のカピューなんだって思ったらもうとんでもない話で。
結局その付けがやっぱり年取ってからバランスを取るためにそういう形で気づかされたりとか向き合わされたりとか出てくると思うんですよ。
相手が我慢してるかどうかってどうしたら分かるんですかね。この我慢されてる方としては分かんないから我慢されちゃってるんですよね。きっとね。
これもね、やっぱりね、我慢してる側が言わなきゃダメですね。
言わなきゃダメ。
一番ダメなのは察してちゃん。
それよく言いますよね。察してほしいというのは。
両妻建房のおばさんたちに見るとみんな察してちゃんなんですよ。察してほしい。
自分が言うってことは汚いっていうような筋込みがあるから向こうから気づいてくれないとダメ。
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気づかせないぐらい上手にうまいことをいろんなことをこなしちゃうから分かんないですよね。
うまくできちゃうんですね。
そうです。だからね、やっぱり我慢を感じてる人がそれを素直にパートナーに言ったら、私もうこれ無理とかね。
私ちょっとこれ大変だから助けてほしいとか、ちょっとなんとかいい方法をお互い探そうよっていう風に提案したりとか
そういうことがすごく大事だと思って。
言っていった方がいい。でも相手に届くためにはどうやって言ったらいいんですかね。
うるせーとか喧嘩になったりする夫婦もいると思うんですよ。
逆に男性か女性に何か言った時に、何でちょっとやめてみたいになったりとか。
どうやったら自分の我慢してることとか受け止められるんでしょうね。気持ちを言った時に。
それはね、そこがすごく大きな課題だと思っているんですけど。
本音で語ることはすごく大事なんだけども、やっぱり相手に伝える時に躊躇したってことあると思うんですよね。
私も20年前のシュート目にはとても口が裂けても今みたいに元気でこう思うようなこと言えなかったんですよ。
それが何でだろうなって振り返った時に、やっぱり相手に対してこの人は理解してもくれないだろうとか、
言うとかえって混乱させるんじゃないかとか、
言ったことで余計に事態が悪くなってめんどくさくなってるんじゃないかとか、
自分がますます不利な立場になるんじゃないかとかっていうような感じで、
相手に自分の話を受け入れるだけの器がない、要するに相手が石頭の状態の時に擦り込みでガチガチになっててね。
そういう時ってね、やっぱり言う側も躊躇しちゃって、言わない方がいいかなってなっちゃうんですね。
そうですよね。
でもね、やっぱりここはね、例えば小入土なんかでね、
独自になる小入土。
一滴ずつチョコーン、チョコーン、チョコーンと一滴ずつ雫が絶えたのが、何億円かけて小入土で穴が開くわけじゃないですか。
あんな感じでね、相手のところに箱っていうのかな、石をポンと投げて、
箱を作るっていうことをね、根気に根気にやっていくしかないと思うんですよ。
それなんか嫌になったりしませんでした?根気よく続けていく。
そうですね、でもね、私たちの場合はね、高校の時にね、最初にね、
音の方からお互い我慢しないように、思ったことは正直に言い合おうなってことを言ってくれてたんですよ。
そうだったんですね。
最初のスタートの時点でね、ただ、これが美味しいねとか、これがしたいねってことは言えても、
本当の核になる、この家の問題点ですよね、核になる。
一番大事なところ。
そこについてはタブーで触れてはいけないみたいな、ありますよね。
21:04
そういうのがあったんですよ。
でもそこもね、やっぱり私自身がもう我慢できないっていう、
言うしかなかったから言い続けたって感じですよね。
言う時にね、やっぱり自分も傷つくし相手も傷つくんだけども、
この傷を乗り越えていってもやらないと、私がここで安心して暮らせないっていう、
自分の幸せのためですよね。
そのために勇気を振り絞るってことはすごく大事じゃないかなと思いますね。
相手に夫がそれを受け止めてもらえたっていうのは、
時間をかけて根気強くやることで、本気なんだっていうのが分かったってことなんですかね。
そうですね。
何て言うのかな、自分の人生なんですね。
よく考えたらコテってね。
自分の人生なんですね。
自分の人生なんですね。
自分の人生なんですね。
よく考えたらコテってね。
パートナーとの関係とかも、どこで暮らすのか、家族のことについて、
自分の人生なんですよね。
自分の人生をどうするかって考えた時に、
問題点があれば早く解決しておかないといけないじゃないですか。
そうするとね、さっきの認知症の出来上がりみたいに我慢の末に認知症になっちゃって、
やっとタガが外れて自分が出来ることをするよりは、
今のうちに何とかしなきゃいけない。
最悪は、離婚ですよ。
よく考えた離婚っていうことは、別に命を取られるわけじゃなくて、
違う道でリセットするだけのことだから、
離婚の覚悟で、ある意味違う生き方をするんだという覚悟で、
相手と向き合っていくっていう、
これも人生ですよね。
自分の人生をどうするかってことに繋がってると思うんですよね。
自分の人生を一番に大切に考えた時に、
今の現状を変えたいと。
いくら頑張っても変わらないんだったら、
もう離婚っていう方法もあると。
自分の幸せのためにしてってことですね。
私もそれを思ってたんで、それも正直に言ったんですよ。
紙切れ一枚繋がってる関係だから、
別にいつでも離婚できるんですよ、考え込みでは。
さっきも言った、擦り込みで世間体が悪いと思えば無理だけども、
でも、それをその擦り込みを乗り越えて、
新しい生き方を目指していくなら、
それも一つのチャレンジとしてやるべきだと思うし、
だから、擦り込みがとにかくいろんなものが、
自分の人生を邪魔するわけですよ。
罪悪感を持たせたりとかね、
言っちゃいけない、やっちゃいけないとかって自分を抑える。
だから、そういうのを外すためにも、
やっぱり小さなチャレンジっていうか、挑戦ですよね。
パートナーとの関係っていうのもやっぱり、
人生っていうふうに大きく見て、
24:02
それに対して自分がどう対処していくのかっていうことを、
この人生で経験していくんだと思えば、
自ずと自然と自分でピンとくる解決策とか、
対応策とか、話の仕方とか、
どれくんじゃないかなって思いますね。
ケイさんは何で根気強く続けられたんですか?
途中で、もうダメだよこの人は、
離婚屋ってならずに、
根気強く続けられたのは何でなんでしょうね。
あー、何ででしょうね。
やっぱり、ここで自分自身の問題でもあるんですよね。
よく考えてみると、私自身もね、
怖いと思った相手に対して、
自分の思いをきちんと伝えることができなかったりとか、
自分の中にもいろいろと問題点とか課題点があって、
それが弟の摩擦ですよね。
自分の中にもいろいろと問題点とか課題点があって、
それが弟の摩擦ですよね。
その中で気づいたりしてきたので、
それを解決しないことにはね、
またね、死んでまでかって、
また来世でもお肉も食べてきたら嫌だし、
今のうちに全員クリしちゃおうかなって感じで、
来たって感じですね。
自分自身も変えたかったってことですか?
そうですね。
弟と向き合う中で、自分も変えたかった?
ですね。自分を変えたいというのは、
あとね、新しいものを発見したいというのがあったんですよ。
新しい形を。
例えば20年くらい前だと、
本当はこのうちにいるのは苦痛だったんだけど、
ひょっとしたらね、この状況が変わって、
居心地のいい家庭になるかもしれないという仮説を立てて、
じゃあちょっと実験で試してみようかみたいな感じでね。
そういうスタンスだったんですね。
怖いと思うものに対して早くチャレンジしていくというのかな。
夫に対して仕事面のことを話すというのは、
やっぱり自分の中でもすごくストレスだし、
辛いことだし、怖いことなんですよ。
それをあえて言う?あえてやる?
でもそれが結果的には、夫にとってみれば、
新しい見方とかね、新しい価値観に触れることだし、
もし私がいなければね、多分何も気づかせず、
ずっと歪んだままここにいたと思うんですよ。
だから自分が言うことは決して、
相手に対して悪いことじゃなくて、
相手に残っても新しい発見につながるんだという、
そういう思いはありましたね。
けいさんが夫と向き合い続けて、
しゅうためとは向き合い続けて、
その結果、得られたものって何ですか?
自分にとって、自分の中で変わったものとか、
自分が得られたもの?
あのね、心がね、
心の安心というか、すごく楽になりましたね。
27:00
気持ちが楽になった?
心がね、安心とか安定というか、
悟りの世界みたいになっちゃった感じですね。
仏様みたいな感じ?
お浄土ってこんな感じかな?
だいぶ天国に近い場所に。
そうですね。
それは夫との関係性とか、
家族と一緒に過ごす時間というものに
安心感とかを感じたっていうこと?
そうですね。前ほどスペースがなくなったってことと、
あと、面白い発見があるのが、
私、やっぱりね、しゅうためが怖くて嫌だったんだけども、
ある時ね、ちょっと怖いと思う自分を
ちょっと変えたいっていうのもあって、
怖くない関係性とか、
怖くない関係に何とかなれないもんだろうかと。
まあ、離婚するというふうに仮定したときに、
離婚前にね、もしそういうことができるんなら、
ちょっと頑張ってみようかなみたいな感じで、
怖がらずに自分らしく堂々と生き続けるっていうのが、
それまでやっぱりしゅうためがやややってくるんで、
しゅうための気に入るような期待通りのことを
しなきゃいけないって自分は押されてたんですけど、
もうしゅうための前でも、
今、ため口で喋ってますし、
前は敬語だったんですよ。
やりたい放題、思ったことは正直に言うし、
おかしい時はおかしいよって言ってるし、
それをね、ちょっとずつやり始めていったら、
しゅうためもなんか変わってきたんですよね。
もし自分が怖いと思っている間は、
しゅうためはずっと怖い存在で、
怖いことをずっとしてきたんですよ、私に対して。
自分の中でね、
自分の中から怖いって気持ちが消えていったら、
なんかね、だんだんしゅうためも
ほとけさまみたいになってきちゃって、
ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、
なんて言ってくれるようになっちゃって、
もうほとんどそのうち行っちゃうんじゃないかなって、
穏やかになってたんですね。
それで、しゅうため、こちらからしゅうために対する
接し方が変わっていったからなんですか?
思ったことをちゃんと伝えたりとかしていったから、
変わっていったんです。
向こうはだいぶリスペクトを持ってますよね、けいさんに対して。
ありがとう、ありがとう、毎日ありがとうっていうのって、
だいぶ感謝の気持ちを持っていると思うんですけど、
それまでって、あれあれこれあれっていう感じだったのが、
リスペクトを持って、そういう風に接してくれて、
すごい変化なんですけど、
それってけいさんのことを一人の人間として、
尊敬するようになったからなのかなって思うんですけど、
なんでなんでしょうね、
今になったと思えば、
私の中で決意をしたんでしょうね、きっとね。
もうしゅうための奴隷にはならない。
精神的な奴隷にはならない。
私は自分で精神的に自立して、
30:01
一対一の人間として対等に接していくぞっていう風に、
もう奴隷は、奴隷解放宣言ですよね。
自分の中で。
これをしたんですよ。
そうしたら不思議と言葉で言わなくても、
言葉が伝わってたのかな。
対等とか、自然な言動の中で伝わってた。
結局、DVの問題も同じだと思うんですけど、
DVをするパートナーと、
それを受けるもう一人のパートナーというかね、
上司さんの間の関係もね、
やっぱり、暴力的な人とそれに従う、
奴隷的な人との主従関係みたいなのがあるじゃないですか。
でも、奴隷の下にいる人が立ち上がって、
その対等な関係を築こうとした時に、
この主従関係は崩れますよね。
そうすると、相手も変わらず外れないっていうのかな。
なんかそれに近いものがあったのかもしれないけど、
結局、自分も擦り込みでね、
しゅうためさんを使わなきゃいけないっていうような、
主従関係の奴隷にならなきゃいけないみたいなのが、
やっぱり擦り込まれてたのを、
そこを外して、もう対等になるっていう風に、
見てから、ちょっとずつ自分の中でも怖いものを、
手放しながら努力していく中で、
なんか、それはちょっとあれ?最近婆ちゃん変わったよねって。
夫にもありがとうって言うようになったんで。
もうそのうち、何かお迎えが来るようになったみたいな。
そうか。自分自身の意識の持ち方だったんですね。
自分自身が、もうしゅうための奴隷にならないぞって思うことで、
多分自然と行動がきっと変わっていったんでしょうね。
言葉もそうだけど、多分普段の振る舞いとかも変わっていって、
しゅうためからしたら、今まで奴隷でございますって感じでやってた人が、
急に堂々とした人が、急に堂々として、
対等な立場として接してくるから、
おおーっていう感じでなって、
じゃあちゃんと接しなきゃって変わっていったのかもしれないですね。
そうです。こういう点では、やっぱり、
しゅうためも感覚的な人だったんだと思うんだけども、
脳で、いろいろ思考で考えてコースを合わせるというよりも、
直感的に伝わるものがあると、
そいつに合わせていくみたいなところがあったと思って、
だから今は私がそうやって接して、
夫もね、前はちょっと奴隷っぽく二人で奴隷だったんですけど、
本当の対等人間としてね、
服の袖おかしいよとかって言ってはっきりになって、
対等になってきたら、今の状態は、
しゅうためはすごく楽そうなんですよ。
表情もね、すごく穏やかになったし、
ジャーニングな顔が好きになって、
おしゃれも楽しむようになって、
やっぱりね、すごく人生、
今が一番好きになっているのって感じなんですよね。
本人も嫌だったんですかね。
しっかりするしゅうため、しっかりしてるしゅうためみたいな。
辛かったのかな。
33:01
辛かったのかな。
だから、なんか一人が家族の中で目覚めて、
起動修正で正しい本来の在り方になるぞって、
立ち上がった者が出てきて、
その人がもうね、大変だけど、
都合良しに頑張り続けると、
結果的にこういうミラクルも起きるってことですよね。
きっとね。
お互いの気持ちをちゃんと伝え合ったことが一番良かったんですかね。
この傷を伝え合ったことは。
そうですね。
あとはね、本人ができることはね、
もう本人にならせるってことですよね。
あまり私自身もやっぱり干渉しない。
相手を尊重するってこと。
やっぱりお互いに相手の知らないいろんな経験ってあると思うんですよ。
例えば夫婦のパートナー同士でもそうだし、
親子関係でもそうだけど、
親もね、子供がいろんなことを社会で経験してくることを
全部把握してね、
全部監視してチェックしていいかどうかって
品定めするなんてことは必要なくて、
家にいる一部分だけ知っていれば良くて、
あとは信頼して任せて、
社会で頑張ってこいよって言っていいんだし、
夫婦っても同じだと思うんですよ。
結局それをやっぱりできずに、
お互いに相手を縛り合ったりとかね、
支配しなきゃとか、
コントロールしなきゃとか、
管理しなきゃってなっちゃうところから
何か当たんない、何でおかしくなったっけ。
そこにもラベリングをしてるから、
そういうことも起きるんでしょうけどね。
そうですね。
僕がよく聞く話で、
もう好きじゃないから、
もう好きじゃないから夫婦は終わるよっていう話を聞くんですよ。
もう恋愛感情ないから、
女性から言われてしまって、
夫がすごいショックを受けるとか、
どうしようみたいな話を聞きたいとかするんですけど、
けいさん、記事の中で、
結婚生活は愛じゃなくて、
信頼とリズムがメインだっておっしゃってましたよね。
あの話、ちょっと次回詳しくお伺いしてもいいですか。
はい。
50代から振り返った時に、
30代、40代における夫婦関係では、
さっきおっしゃったみたいに、
自分の気持ちを本気強く伝え合っていくことで、
本来のその人らしさが出てきて、
ぶつかってあったりもするけど、
結局それがみんなにとって幸せなあり方に
つながっていくって話だったと思うんですけど、
ちょっと次回は、
具体的に信頼とリズムってどうやって積んでいくのか、
結婚生活は何によって成り立つのかっていう話、
ぜひお聞きしたいなと思っていて。
はい、わかりました。
ぜひよろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
35:09

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