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こんにちは、めいです。
このポッドキャストは、日々、ふと思ったことや、頭の中でグルグルしていることを、整理がつかないまま、ポンポン置いていく、そんな番組です。
話が脱線したり、ちょっと迷子になったりするかもしれませんが、のんびり聞いてもらえたら嬉しいです。
そこにちょっと腰掛けて、一休みしていってください。
今日は、ノスタルジーと記憶について、
今年7月にですね、私、江ノ島に行ったんですけど、
その時に過去と現在が、まるでリンクしてしまったような、何とも言えない気持ちになったことについて、お話ししたいと思っています。
江ノ島っていうのは、神奈川県にありまして、目の前が海なんですよね、島なんですけど、
片瀬・江ノ島っていうところは、島の手前、陸地のところなんですけれども、
小田急線の駅があったりして、それなりの観光地になっています。
海水浴場がね、ほんと目の前にあって、とても楽しいところって感じです。
江ノ島は小さい頃からよく行くところでしてね、
小さい頃は親がね、夏休みになると海水浴に連れて行ってくれるんですけど、
泳ぐのは別のところで泳いでたんですけど、
その帰りにね、江ノ島に寄ってですね、
夕方ぐらいにですか、江ノ島に来て、
お土産屋さんを何軒か巡って、
それで何か気に入ったおもちゃとかね、貝殻でできたネックレスですとか、
あと、瓶に入った星綱とかね、ないんですよ。江ノ島には星綱が。
でもどこからか採集してきた星綱を瓶に入れて売ってるわけですね。
で、あれがいい、これがいい、地図を書いたハンカチとかね、ペナントとかね、
そういう昭和のお土産、もう本当に昭和だったんで、
昭和のお土産を物色していた楽しい思い出があります。
で、まあその後ご飯を食べて海の幸を堪能して、そっからもうトトトお家に帰るわけです。
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あんまり遅くなっちゃうとね、本当にお盆休みのシーズンしかうちお休みなかったんで、
お盆もお盆大渋滞の中、車で帰るんでもう早速さと帰るわけですよ。
で、その時にね、私たちは早速さとトトト帰らなきゃいけないのに、
海辺の街でね、オレンジ色の蝶神の光が射して、
テーブルとか椅子をね、屋外に出して、飲食しているお店なんかが結構あったりとかして、
明かりの中で知らない人たちが楽しそうにお酒を飲んで、
宴会してたりとか、なんとも言えない些細のつぼ焼きのいい匂いがしてきたりとかして、
それがもう本当に羨ましくて、私は帰らなきゃいけないのに、
あの人たちはまだ楽しそうにしているっていうのが本当に羨ましくてしょうがなかったんですね。
今年の7月にですね、久しぶりに江ノ島に行きまして、
ミュージシャンをやっている友人がいるんですけれども、
江ノ島のビュータワー7階にトラマル座っていうところがあって、
そこで夕日を見ながら演奏するっていうね、
なんかとても素敵な演奏会があったんで、そこにお邪魔してきました。
久しぶりに行った江ノ島っていうのは、
まあなんかやっぱり昭和の雰囲気をね、まだどことなく残している不思議な今と昔が入り混じった感じになってましたね。
なんていうか、街にいる人たちも昔ながらの風情を大事にしながら、
今の商売をしているっていうそんな雰囲気が感じられてとても良かったです。
シュラス丼食べようと思って入ったお店でですね、
シュラス丼とアジのたたきのハーフ&ハーフみたいなのを食べてすごく美味しかったです。
お店の前にはスマートボール屋さんですとか、
本当に小さい頃に私が行ったあのお店があったりとかね、
ジャンボマックスっていうんですかね、
お人形さんが首から上の、胸から上かな?
お人形さんが置いてあるお店が本当に昔からあるお店で、
小さい頃を思い出しながらそこを入って行ったりとかしました。
その後に演奏会に行きまして、
本当にね、すごい素敵な夕日を見ながら演奏を聴くっていう夕日と海の景色ですか、
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そのビュータワーって本当に名前に恥じないぐらいものすごく景色が良いところで、
まあそれで7階ですからね、
本当にキラキラ光る海とか、
雲をオレンジ色に染めながら降りていく夕日とかね、
綺麗な景色の中、
本当に音楽もとても良くって感動しながら、
その日は演奏を聴いておりました。
その後、1階に飲み屋さんがありまして、
ちょっと打ち上げに参加させてもらったりなんかしました。
屋外にね、風が気持ちいいからここでみんなで食べましょうなんてことになって、
飲み食いしていたわけなんですよ。
そしたらまあ、その時まで私すっかり忘れてた、
あの先ほど話した小さい頃のね、
思い出がガーンと思い出されて、
海水浴の後、ご飯食べた後に帰りがけに見かけた大人たちね、
あのー、
帳珍の明かりの中で屋外でお酒を飲み、
何かつまみをつまみ、
とっても楽しそうにしている大人たちがものすごく羨ましかったんですけど、
なんか、はっと気がついたら、
ビュータワーの1階で飲み食いしている自分っていうのが、
あの時、羨ましかった大人に自分がなっているじゃないかっていうことに、
いきなり気がついて、
それまで忘れていた、その時のね、羨ましかった記憶っていうのが、
ガーンと鮮明に思い出されまして、
昔の自分が見たものの記憶と、
今現在飲み食いしている自分っていうのが、
なんか強力に結びついちゃって、
とってもなんていうか、
自分的にはすごいびっくりするような体験を致しました。
まあ驚きと感動っていう感じですよね。
小さい頃に後ろ髪引かれながら見てた楽しげな大人に自分がなっていたっていうのが本当にびっくりで、
で、この感覚は一体何なんだろうなぁと思って、
急に思い出して、今まで完璧に忘れてたのに、
それなのに胸を締め付けるような、なんか愛しいような寂しいような嬉しいような、
とても刺激のある、
なんとも言えない感情が湧き出てきたんですよね、突然。
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で、その思い出っていうのはもうなんか、
ノスタルジーっていう、
教主、教主っていうのもまた違うな。
まあノスタルジーって感じなんですよね。
なんかいろんな余計なものがそぎ落とされて、
純度の高い綺麗な思い出だけが、
生成されたような、
まあ中がね、自分の都合のいいような、
人工的で、
さえもあるかもしれないような、
ものが、急に、
バーンと、
なんか自分の思考の中心にバーンと出てきたっていう、
唐突さっていうんですかね。
なんか、
塩水ってこう、
器に入れてそのままほっといたら、
水分が徐々に徐々に蒸発して、
塩分が結晶化していくじゃないですか。
なんか本当に、
その時のノスタルジーっていうのが、
この結晶になった塩分みたいなそんな、
イメージですね。
自分の中では。
でまあそんな風に、
ノスタルジーっていう風になってしまう、
思い出もある一方で、
脳っていうのはいろんな見聞きしたり体験したものを、
かなり収納している、
と思うんですが、
まあ聞いた話によるとね、
脳の中は本当にいろんなものを覚えているらしいんですが、
記録しているっていうか、
でも二度と思い出されないような、
そんな記憶が、
たくさんもう本当に、
99%ぐらいそんな記憶ばっかりなんじゃないかと思うんですけど、
一生、私が一生を終えるまでに、
二度と思い出されないような記憶も、
まあこの脳は丹念に収納していってくれているんじゃないかなと思うんですが、
思い出されたりとかする、
ようなものって氷山の一角以下ぐらいだと思うんですが、
なんでこう、思い出すものと思い出さないものの、
差っていうのはね、何なんだろうなっていう、
感情とか、
互感とか、
何かしらと結びついて、
印象深くなると、
記憶に残りやすいんですかね。
繰り返しがあるものとかね。
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単なる情報として蓄積されて、
思い出っていうものにならない、
ものとかね。
例えば小さい頃に、
さっき言った海水浴に行ったのは、
1970何年だったのかなとか、
その時食べたものって何だったんですかとか、
言われても何も思い出さないんですよね。
なんとなくの体験はぼんやりしてあるんですけど、
その時見たものとかね、
おもちゃの値段とかさ、
どんなものがあったとか、
あの時見たハンカチの地図はどこの地図だったんだろうなとかね、
全然思い出されないわけですよ。
細かいことは。
でもなんかそういうふうに、
記憶の箱の中にしまわれちゃったような、
淡々と記録されているものとかっていうのもね、
自分の無意識の中で、
その記憶ごと、私っていうか、
もう思い出されない物事、
今の私の感情とか、
説明のつかない好みとか行動に、
影響しているんじゃないかなっていうふうには感じます。
ノスタルジーっていうのは、
綺麗で都合のいい情報だけ選別されて、
順度を増して自分を気持ちよくするために生成された、
結晶みたいな気がしてきています。
それってなんかちょっと怖くもあって、
いい記憶がね、そういうふうになるんだったらまあいいんですけど、
悪い、
嫌な気持ちと結びついた嫌な記憶が、
そんなふうに自分の中で生成されて順度を増したら、
まあろくなことはなさそうで、
まあこういうのは用心したいなーって思います。
私なんとなく、
小学校の頃からこう思い出すことと、
忘れてしまうことと、
なんとなく興味があったみたいで、
小学校のある日ですけれども、
教室のね、
後ろのドアから、
教室の中を眺めて、
今私、
今日この日、
こうやって、
今の自分を絶対忘れたくないと思って、
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今見たこれを、
一生残しておけるような記憶にできるかなって思って、
今のこの時間のことを絶対忘れないようにしようと思って、
じーっと教室の中を眺めてたことがあるんですね。
で、やっぱりなんか、
その頃から、
もう二度と思い出せなくなっちゃうようなことばっかりあるっていうのが、
ちょっと不満に思っていたところもあって、
いろんな思い出とか、
まあ、
なんていうんだろう、
入学式とか卒業式とか運動会とかね、
そういう行事とかだったら、
割と覚えていられるんだけれども、
まあなんでもない、
毎日のルーティーンで、
学校来て勉強して、
休み時間があって、
なんていうのってもう、
全く覚えてはいないわけですよ。
まあ全体的なものとしてぼんやり覚えてたりとかはするんですけど、
そういうなんでもない日の一コマをね、
私今日この時、この時間のこの光景を絶対忘れたくないから、
もうずっと繰り返し思い出して、
忘れないようにしようなんて思ったっていうのがありますね。
でも、まあ悲しいことに、
何を見てたかっていうのはね、
まあ教室に誰がいたとか、
それが何年生の頃だっていうのがね、
もう忘れてますね。
昼休みのひと時だったっていうのは、
なんとなく覚えてるんですけど、
教室の後ろのドアからね、
中をじーっと凝視したいっていうのは覚えてるんですよ。
まあね、っていうことはちょっとこの実験も半ば失敗だったのかなーなんていうふうに思ってますね。
あと自宅でも1回ね、
今この瞬間のこと大人になって死ぬまで私は覚えていられるかなーなんていうことをやったんですけど、
そっちの方のことはね、もう本当に何も覚えてないですね。
まあそういうことを家でもやったっていうのは、
なんとなく覚えてるんですけど、
まあね、記憶なんてそんな悲しいものですね。
まあ、記憶があるか忘れちゃうかみたいなものはね、
そういうのが気になるっていうのは、
なんとなく子供の頃からの、
私のなんて言うんだろう、
気になるもののひとつだったんでしょうね。
まあでもなんかね、やっぱり忘れますよね。
勉強したこととかもまあ忘れちゃうし、
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大人になってからもなんかね、
いろいろ勉強したこととかもね、
割と忘れがちですよね。
でもなんかそんな中で江ノ島で、
バチーンと過去の自分と繋がった瞬間があったっていうのは、
なんか嬉しかったっていうのは、
忘却するのが悔しいっていう、
なんて言うんだろう、思考の癖みたいなのがあるから、
それからちょっと逃れたような気がして、
嬉しかったんじゃないかなーなんて思いました。
まあでもね、なんか忘れる忘れるなんて言ってますけど、
あんまり過去に囚われたような生き方はしたくないんで、
まあ今現在と未来を大事に生きていきたいんですけど、
まあその土台ってなってるのは今まで生きてきた自分なんで、
まあ全部ひっくるめて自分だなーなんていうふうには思いますけど、
まあでもそれにしても過去に囚われるような感じにはなりたくないんで、
まあノスタルジーはノスタルジーで愛しいですけどね、
あんまりそれに囚われたくはないですね。
まあ前向きにやっていきましょうっていう感じです。
まあ今日はこんな感じで、ちょっと尻目ずれずなんですが終わらせていただきます。
というわけで今回はこの辺で、
思考の迷子の中庭に少しだけ付き合ってくださってありがとうございました。
またお会いできたら嬉しいです。みーでした。