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2025-09-19 12:29

#7 コロッケ・渋谷・ハチ公

こんにちは めいです

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♪今日もコロッケ、明日もコロッケ♪

今回はレトロなコロッケのお話。


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こんにちは、めいです。
このポッドキャストは、日々ふと思ったことや、
頭の中でぐるぐるしていることを、
整理がつかないままポンポン終えていく、そんな番組です。
話が脱線したり、ちょっと迷子になったりするかもしれませんが、
のんびり聞いてもらえたら嬉しいです。
そこにちょっと腰かけて、一休みしていってください。
今日はコロッケの話をしようと思っています。
もともと、私は仕事でコロッケを作っているのですが、
もともとがですね、新潟出身の祖父がおりまして、
祖父が、今からだいたい100年前になるのかな、すごいな。
新潟から上京してきて、渋谷にあるお肉屋さんに修行に行ったんですね。
そこでお肉のことを学んだり、あとは、
お惣菜もそこで作っていたらしくって、
そこのお店の看板に、西洋料理指南みたいなことも書いてあったりするんですが、
祖父がそこでコロッケの作り方も教わったということらしいですね。
その後、祖父は独立しまして、都内でお肉屋さんを始めるわけですが、
そこでコロッケを作って売ったりとか、
それが今に引き継がれていてですね、
私も家業はそこで働いているわけで、
コロッケをそのままの作り方で今も作っております。
祖父、新潟から修行をして、こっちで独立するときにですね、
家族を新潟から呼び寄せているんですよね。
祖父の母、私のひよばあちゃんってことですね。
あと兄弟とかも呼び寄せて、東京に移住してきたっていうかね。
すごいですよね、家単位で。
今だと夫婦で子供連れて移住するなんてことはあると思うんですが、
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まずそこのうちの息子を東京に出して修行させて、
親兄弟呼び寄せてっていう。
今そういうことはあまりないですよね。
やっぱり物事の単位が家っていうかね。
たぶん祖父の独断でそういうふうな判断したわけじゃなくて、
家でそういう決定を下して、まず先方でお前行けみたいな感じで東京に修行に出てきて、
計画的に家族を呼び寄せてっていうことだったんじゃないかなと思うんですよね。
今もう祖父も亡くなってしまったんで、その頃の話は聞けないんでね、
どうだったのかなとは推測するばかりなんですが。
祖父っていうのがね、私やっぱりお家で商売してるところあるあるだと思うんですけど、
メインの働き手である私の両親はね、あんまりかまってもらえなくてですね、
ちょっと一線を退いた感のある祖父がよく孫の私の面倒を見てくれてですね、
休みのたんびとか公園とか連れてってくれてるのも祖父だったし、
しょっちゅう水族館とか遊園地とかすごい活動的に連れて行ってもらってました。
普段もね、お家の中でも祖父にべったりだったんで、
それでですね、あんまり冗談とかいう感じの人じゃなかったんですけど、
ある日、ハチ公に餌をやったことがあるんだって言ってですね、
はぁ?って何言ってんだろうと思って、
普段あんまり冗談言わない人だったんですけど、
たまになんか本当に1年に1回ぐらい冗談みたいなことを言うんで、
まあ今回もそれきたかなと思って、
すっごい何言ってんの?みたいな感じで、
もう完全に信じないで流しちゃったんですよね、その時。
それでその後ですね、私も祖父が亡くなってからしばらくしてからなんですが、
よくよく考えたら、祖父は渋谷で修行していて、
年齢から逆算すると、
ハチ公が渋谷で大学の先生、飼い主のことを待ってたとか言ってるあの時期に、
渋谷で修行してる時期って多分それぐらいの頃だなっていう感じでですね、
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その修行してたお店っていうのもね、
1960年くらいの東京オリンピック前に、やっぱり今も大開発してますけど、
その頃の渋谷の再開発みたいなやつがあってですね、
祖父が働いてたお店のあたりっていうのももう全然すっかり様子が変わってしまったらしいんですが、
ちょっと気になって、昔の渋谷の地図とか見てみたら、
まあなんて言うんだろう、本当に祖父が働いてた牛肉店っていうんですかね、
っていうお店だったんですが、
それがもう本当に今で言う大きいスクランブル交差点の近くにありまして、
まあそしたら、八甲がいてもおかしくない感じなんですよね。
よくよく考えると、祖父が言ってたのも本当だったんじゃないかななんていうふうに思いました。
それでなんかもう、それから八甲のことがすごい気になっちゃって、
私、テレビで八甲を特集したドキュメンタリー番組があったので見たんですけど、
大学の教授の買い主の方が亡くなってからは、
婚姻にしていた植木屋さんに八甲を預けられるんですよ。
その植木屋さんもね、八甲のことすごい大事にしていたなんていうエピソードがあって、
八甲にはね、お肉屋さんで買った肉を、八甲の餌は牛肉だったっていう話で、
その植木屋さんのお家の子供たちはコロッケを食べて、ものすごい格差があったんだよみたいなお話があったんですが、
もしかしたら、そこで八甲が食べていたお肉は、祖父が修行していたお店のお肉だったりとか、
その植木屋さんのお家の子供たちが食べていたコロッケっていうのは、
そこで作られてたコロッケだったりしたら夢があるなぁなんて思いました。
昔は個人商店は結構一つの街にいくつもあって、
渋谷も結構栄えてきている頃だったと思うんでね、
いっぱいお店もあったと思うんですが、
お店に八甲を来てたり、植木屋さんが来てたりとかしてたら、面白いなぁなんて思っております。
本当に妄想でしかないんですけど、祖父が本当に生きてたら、そこらへんの話、すごい聞きたかったなぁなんて思ってます。
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だから、うちで作っているコロッケっていうのは、教えられた通りのレシピを守って作っているので、
結構、大正の頃から昭和初期にかけてのレトロな味をそのまま再現しているという感じになっていると思います。
コロッケなんてね、そんなに大して変化のある食べ物でもないんで、
みんなおんなじっちゃおんなじなんですけどね。
普通にこう、うちの作り方としては、じゃがいもを茹でるんですけど、
それと同時進行にして、合挽き肉をですね、炒めて、
ちょっと濃いめの塩をしといて、
お肉がいったまった最後のあたりに、めじん切りの玉ねぎをザーッと入れて、軽く混ぜる感じで、
少しだけ火通す感じでね、置いといて、
じゃがいもが茹だったら、皮むいて、つぶして、
お肉とじゃがいもの、つぶしたやつを最後、混ぜて、
で、型抜いて、パン粉つけてあげるっていう、
本当にただそれだけのシンプルなものなんですが、
でもなんか、うちのコロッケは、うちの味がしますね。
なんかスーパーとかで買うと、全然別物の違う味がするんで、
本当になんて言うんだろう、
大量に流通するものと、家庭の味の違いって感じがしますね。
今ね、私が作ってるコロッケとかもね、
祖父とか八甲が生きてた時代の、なんか懐かしい味がしてるんじゃないかなと思います。
今日はこんな感じで、コロッケについて、
コロッケと八甲について、私が思うところをお話しさせていただきました。
それではこのへんで。
というわけで、今回はこのへんで。
至高の迷子の中庭に少しだけ付き合ってくださってありがとうございました。
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またお会いできたら嬉しいです。
めいでした。
12:29

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