1. あそびやさんの「不登校はギフトでしかない!」
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2025-01-27 22:33

#4 不登校·子どもたちが学校に行かない理由

子どもたちが学校に行かない理由について。私の思うことろをお話してみました。
#あそびやさん
#造形教室
#逗子市
#不登校

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サマリー

このエピソードでは、子どもたちが学校に行かない理由を放課後の造形教室「あそびやさん」でのエピソードを通じて探求しています。お子さんたちの心の内面や、体調不良、音の問題が不登校につながる背景について考察されています。また、個人と全体の価値観の違いや、子どもたちが抱える理解されない思いについても語られています。

あそびやさんのクラス
みなさん、こんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています、ばばさくらです。
今日は4回目の配信になるんですけれど、子どもたちが学校に行かない理由っていうテーマでお話ししてみたいと思います。よろしくお願いします。
私がやっている造形教室は、基本的には小学生が対象で、放課後のクラスと、平日・昼間のクラスがあったりします。
平日・昼間のクラスは、学校に行っていないお子さんたちのご参加がメインなんですけれども、
そういうお子さんたちが必ず昼間のクラスにいらっしゃるかというと、全然そうではなくて、放課後参加されたり、昼間参加されたり、ご都合に合わせて行き来されていて、
それがあそびやさんの面白いところかなと思っています。
なので、学校に行っている子も行っていない子も一緒になってクラスをやっているんですけれども、
みんな違う学校から来ているということもあったりして、
学校のことがあそびやさんの中で話題になるということ自体、あんまりないんですけれども、
それでも例えば今日の給食なんとかだったよね、みたいなそういうところから、私行ってないんだよね、みたいな流れになることはあって、
でもそれでもみんな全然気にしないというか、行っている方も行っていない方も全然気にしなくて、
子どもたちにとってそれって全然関係ないんだなって思って、すごいなって思います。
ある日のエピソードをお話しすると、その日、低学年のお子さんが、
高学年のお子さんが、私学校行ってないからねっていうことを言ったらですね、
高学年のお子さんが、え?って言って、実は自分もすごく学校苦手になっちゃっているんだけど、
どうやって大人に説明しているの?ってすごい聞いているんですよね。
いろいろ説明しようとするんだけど、どう説明していいかわからないし、なかなか大人たちに伝わらないって言って。
その時に他のお子さんたちがどういう反応になるのかなって思ったら、
いや、私もそうだ、私もそうだって言って、どうやったら伝わるんだろうねっていうことを話し合っているんですよね。
私はこれすごいなと思って、何がすごいと思ったかっていうと、
学校の誰が嫌だとかダメだとか、何がダメだとか嫌だとか、
そういう自分の外側の話をしているんじゃなくて、
みんな自分の内側の心の話をしているっていうのが、
本当に今の時代の人たち素晴らしいなって思いました。
自分自身が何を思っているかっていうことを自分自身が分かっているっていうこともすごいし大事だし、
そしてそれを相手にどうやったら上手に伝えることができるんだろうっていうこのテーマって、
お友達との間もそうだし、家族との間もそうだし、結婚とかすれば特に、
夫婦の間なんかでもずっとあるテーマだと思うんですけれども、
このテーマに向き合うのって大体大人になってからだと思うんですよね。
それをこの小学生たちがやっているっていうのはすごいなって思います。
一見ただの雑談をしているように見えて、ものすごく大事なことを話していて、
この話の中で、もし子どもたちが自分なりに何か答えをつかんだときには、
もう一生の宝になるぐらい大事なものになるんじゃないかななんて思って見てました。
エピソードの話してちょっと話がずれましたけれども、
そんなふうに遊び屋さんのクラスの中で聞こえてくる子どもたちの声っていうのも
ありますし、あとはおうちの方から、
学校には行っているけれどもちょっと大変になってきちゃってるっていう声だったりとか、
もうしばらく行ってないよっていう声だったりとか、
あとは私が学校でボランティアしたり、支援やったりしたときのことだったりとか、
あとは我が子のことはもちろん、我が子が高校まで来る中で出会ったものだったりとか、
そういうことをお話ししていきたいと思います。
不登校の体調不良
で、不登校の始まりって、最初に学校に行きたくないってなったときって、
体調不良から始まる方が多いんじゃないかなって思います。
なんかいつものようにすっきり起きてこない、なんかだるそうで、
どうしたの?って言うと頭が痛いとか、お腹が痛いとか、
心臓がキュンとするって言ってる子もいたし、腸が痛いって言ってる子もいたりとか、
そういう体調不良を訴えてくる子が結構多いと思います。
で、そのほかには、子どもたちにとっては、
教室の音がうるさくてつらいとか、そういうのも結構多いのかなって思います。
ある中学生のお子さんが、教室の音がうるさくてつらいってなって、
教室に行けなくなっちゃったんですけども、
そのお子さんはですね、放課後になると吹奏楽部なので、
音楽室で音楽を聴いているときに、
教室の音がうるさいなんて嘘なんじゃないかってなった時があるんですよね。
吹奏楽の音が大丈夫なのに、教室の音が耐えられないなんてことがあるんですよね。
教室の音がうるさいとお話してた時に、
教室の音がうるさいとお話していた時に、
教室の音がうるさいとお話してた時に、
大丈夫なのに教室の音が耐えられないなんてことがあるわけがない
嘘をついている嘘つきだみたいな感じになった時があって
これは体調不良の子も同じことが言えて病院に行ってみるけれども検査結果は正常
異常なしってなった時にあの嘘ついてるんじゃないかって
いつもいつまでも同じこと言ってんじゃないよみたいに言われてしまう
でまぁちょっと考えればわかるんじゃないかなと私は思ったんですけども
音の苦手に関して言えば単純に音量の問題ではないんですよね
うちの娘も教室の音が辛くなっちゃった時があって
イヤーマフみたいなものをつけてた時期があったんですけども
その時に後から面白いこと言ってて
で教室の音がうるさいっていう時って
教室の中で何か活動が始まる時
例えば好きな人同士でグループ作ってみようとか
班ごとにこれこれこういうことをやってみようとかそういう
活動が始まる時って教室の中もガヤガヤガヤっとしてくるんですけども
そういう時にこの活動にちゃんと自分も乗っていけるかなっていう
不安が押し寄せてきてそれが恐怖みたいなものになってプレッシャーになって
その周りのガヤガヤガヤっとした声と一緒に何かこう襲ってくるというか
そういう不快感が後から考えると教室がうるさくて辛いっていう言葉になったなーって言ってました
小学生でそこまで分析できるってすごいなって思ったんですけども
本当にその通りで
その音のボリュームの問題ではないんですよね
もう一つついでに息子のことをお話しすると
息子も小学校の時に教室の音がうるさくて辛いってなった時があって
その時は担任の先生に教室の中でもなるべく静かな場所に席をしてほしいとか
まあそんなようなリクエストをいろいろしてたんですね私は
なんですけどもそれからあの間もなくですね授業参観があって教室に行ってみたらですね
なんとなんとなんと我が子が一番うるさく騒いでたんです
で私はもう本当にびっくりしてもう恥ずかしかったし穴があったら入りたいし赤面というか
先生ごめんなさいっていうあの感じでした
でも先生はいやいやお宅の息子が一番うるさいんですけどなんてことはもう一言もおっしゃらなかったし
それが本当にすごいなぁって思ったりしたんですけども
なのでまあそれも細かいことはまあちょっと長くなるんで省きますけども
結局音量の問題ではなかったんですよね
なのであのその言葉の裏にあるものっていうのが大事だなって思います
それが本当だとか嘘だとかそういうあの観点ではなくて
そこにその言葉の裏に何があるかっていうのを見ていくといろんなヒントがあるなって思います
であの子供たちって言語化するのはすごく難しいんだなって本当に思います
なんでかっていうと経験が少なくてあのその自分の居場所の世界しか知らないし他の世界を知らないから比べるものもないんですよね
なのであの後になってまあ他の経験をしたり他の環境を知ったりとかあの違う世界を知った時に振り返って
あ、あの時はこういうことでこうだったんだみたいなことが初めて言葉として出てくるっていうことが多いなって思います
なので逆に言うとその不登校になった時に子供自身に理由を聞いても答えられないことが多いんじゃないかなって思います
例えば行くと誰かが叩くとかそういう目に見えるものはとってもわかりやすい周りの人たちにとってもわかりやすいことなんですけども
そのなんとなくの違和感だったりとかなんとなくの居心地の悪さみたいなものっていうのは本当に言葉にしにくい
だろうなぁって思います なのでなんかよくわからないなっていう時は一番手っ取り早いのは
お子さんがまあその教室にいてもいなくてもいいんですけどそのお子さんがいる環境に自分が1日座っててみるっていうのが私は一番手っ取り早いかなって思います
そうするとそこの空気感が伝わってくるというかこういうことかなみたいなとか体でわかるというかそういうことはあると思います
で次にまあこのなんとなくの違和感なんとなくの居心地の悪さっていうことについてお話ししてみたいと思うんですけども
えーとこの私が感じるのは
学校の変化と個性
これだけこの世の中が変化して進化しているけれども学校って全然変わってないなっていうところなんですよね
あの私は数年前からあの小学校中学校にボランティアで入るようになった時に
何十年かぶりに学校の中で過ごしたんですけれどもあまりにも昔のままで目に見えるあの教室だったり風景もそうですけども
その中の世界があまりにも昔のままですごいなぁこれなんか生きた博物館みたいだなって思いました
で初めは懐かしくてそうそうそう学校ってこうだったよね懐かしいって喜んでたんですけどもなんか途中で待てよ
これって喜んでる場合じゃないぞって思いました
あの見た目には一人一台 pc とかがタブレットとかが与えられて表面的には新しいこともたくさん始まっているんだけど
でも根本的なその世界は
なんかあんまり変わってないなって思うんですよね
でそれはどういうことかというと
今の時代は一人一人の個性がとっても大切で自分だからできることを表現していくっていう時代になってきていると思うんですけども
でも学校の中ってまだまだその個人の個性とかそういうものよりも全体その全体の動きっていうものが優先というか大切というか
そういう世界だと思うんですよね
でもともとそういうふうに作られたものだし
あの初めはそれで良かったと思うし
でもそこからあの変化してない
でそうすると子供たちの中にいろんな違和感が生まれてくるんだなぁって思います
でここであのちょっと息子のエピソードを話すと
えっと息子が中学1年生の時に初めに学校やだなって言い始めた時
そのチャイム着席っていうのがやだって言ったんですよね
チャイム着席っていうのは登校時間があって8時半とかそれぐらいだと思うんですけどその時間にチャイムが鳴るんですけども
その時間にはクラスの全員が席に座ってないといけない
でその座ってないとそれがまあペナルティにクラス全体のペナルティになるみたいなまあそういう感じでみんなで着席しましょうみたいなものなんですけども
で息子がそのチャイム着席が嫌だって言ったんですよね
私はあまりにも意味がわかんなくてですね
いやチャイムが鳴ったら席に座んなよって何の寝ぼけたことを言ってんだいって思ったんですけども
まあ後から言ってたのは例えば誰かを手伝ってって困った人がいて手伝っていて
手が離せなくて着席できなかったとしてもそんなことはあまり大事にはされなくて
とにかく全体が座ってないとペナルティになるからとにかくそれはほっといて座るみたいなことになるんだって言ってて
それは学校全体を表していてチャイム着席だけじゃなくて学校全体がまあその個人よりも全体の方が大事なんだよって
僕はそんな世界にはいたくないっていうことを言ってたんですよね
その時は息子がそうやって解説してくれたからわかったけれども
そうでなければ例えば小学生の小さなお子さんとかだったらそこまで分析できないし
親の方も何か言ってきた時にそこにどんな問題があるのかっていうのをなかなか見抜けないと思うんですよね
例えば学校の中の子供に対する言葉かけなんかでも
例えば小学校の運動会の練習でほらちゃんとやんないと見に来たお家の人が悲しむよとか
あとそうだなぁ先生のことあんまりがっかりさせないでとか
子供よりお家の人が大事子供よりも先生の先生の気持ちの方が大事っていうメッセージがそこになんとなく隠されている
そういうこと先生も大人数相手にもうどうしようもないっていうところはしょうがないっていうところはあるのかもしれないんだけれども
そういうところで細かく細かく子供たちをがっかりさせていくっていうのがあると思うんですよね
あと面白いこと言ってたのは学校でいろいろレポートを提出する機会ってあると思うんですけども
その教科や単元によってはすごく興味持てるものもあればなかなか興味持てないものもあると思うんですよね
それはすごく自然なことだと思うんですけども
でも興味が持てなかったものに対して実は興味が持てませんでしたって書いたら点が悪くなるから本音を書いて悪い点数をもらうのも後味が悪い嫌な気持ちになるし
その本当は興味がなかったのに興味がありました風に嘘のそのレポートを書いても後味が悪い気分が悪い
だからもう行きたくないのって言ってる人がいてなるほどって思いました
うちの娘なんかは美術美術が大好きなんですけどもすごい一生懸命作ってたものがあってでそれが提出が終わって成績がついた時に結構評価が悪かったんですよね
でそれを見た時の娘の驚きと落胆なんかそれを見て評価ってなんだろうなぁって私も考えさせられました
でこの一つ一つのことって本当に些細なことだし親からしたら自分たちも当たり前にやってきたことだし普通のことだし何が問題だかわからないし学校ってそういうところだしっていう風に思うんですけども
その一つ一つが細かく細かく子供たちを失望させていくんじゃないかなぁって思います
親と学校の理解不足
なんかある意味夫婦喧嘩みたいなものと似ていて一つ一つのそのすれ違いはとってもちっちゃくて些細なことなんだけどもある日それが積もり積もって臨界点に達した時に
あのよし別れようみたいになるっていうか最後の喧嘩はとってもあの些細なくだらないことでしたみたいなことってあると思うんですけども
子供たちもそれに似た状況もあったりするのかなって思いますその訴えてくるものの根底にあるものが何なのかわかってないと枝端のところだけいくら聞いても理解ができないっていうことがあると思います
で子供が学校に行かないって言い出した時ってあの私もそうだったんですけども親の方はびっくりして焦って舞い上がってなんか子供の一番大事な話を聞き逃してしまうっていうか聞き損なってしまうっていうことが結構あるんじゃないかなって思います
そのさっきの息子のチャイム着席が嫌だって言うのもそうなんですけどもそれだけ言われても全然意味がわからなかったし何言ってんのっていう
あの風にしか思わなかったんですよねでも後から考えればそこにものすごく大事なものが含まれていたんですけども
わからなかったんですよね
でそういう中で親も子供を理解できない学校側も子供を理解できないっていう中で子供があの孤立していっちゃうっていうことが結構あって
そこであの傷ついていってしまうっていうことが結構あるなと思いますもちろん私もそれをやってきました
大人はみんなそうなんじゃないかなって思うんですけどもどうしても自分が経験してきたことを通ってきた道っていうのが基準になって判断基準になって世の中を見ている
それは子供を見る時の目線もそうなっていて自分の基準で子供を評価したりしてしまう
なのであのやっぱり時代とともに学校も変化していかなきゃいけないし大人たちも私たちもその価値観をどんどんどんどん新しく古いものはぶっ壊して新しく新しく
あのしながら子供に寄り添っていくことっていうのは本当に大事なんじゃないかなって思います
長くなりました今日はここまでにします お聞きくださってありがとうございましたバイバイ
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