第一段階の辛さ
みなさん、こんにちは。ちょっと変わった造形教室、あそびやさんをやっています。ばばさくらです。
前回の配信では、この9月からあそびやさんの活動日が変わったので、それに関してお話をさせていただきました。
今の活動は、平日放課後のワークショップと、平日昼間のワークショップ、それから平日昼間にあそぶ会、これは親子参加でやっているんですけども、それが主な活動になっていて、
平日昼間の活動に関しては、普段学校に行かずにお家で過ごされているお子さんが参加してくれています。
そういうこともあって、今後は不登校に関する面白いお話なんかも、もっともっとできたらなーって思っています。
不登校になったときって、どうしようとか、悩みというか、そういうふうになりがちなんですけれども、
いやいやいや、私の経験としては、不登校だったからこそ出会えた面白いものっていうのがたくさんあって、
それこそ何にも子どもが問題なく普通に学校に行っていたら、知らなかったこと、見えなかったこと、出会えなかったことが面白いことがいっぱいあったので、
ようこそというか、知れてよかった、出会えてよかったということがたくさんあるので、そういうことをお話ししていけたらなって思うんですけれども、
それとは別に、今、不登校に関するプレゼン用の資料を作ることをお手伝いしていたときに、不登校に関する段階みたいなところの説明を作ったんですよね。
そのときに、久しぶりにそういうことを思い出したなと思って、いろんな方が不登校に関して講義をされたり、いろんなお話をされたりするのを聞いてきたんですけれども、
そういう中によく出てくる話題、不登校における段階っていうのはよく出てくる話で、スライドを使ったりとかして、その不登校に関する段階が説明されたりするんですけれども、
今まで見てきたどれも、なるほど面白いなあ、そうそうそうって思う部分もあれば、私はちょっとそこは違うなあって思ったり、
人それぞれ歩んでいく道が違うし、どんな経験をしながら進んでいくかっていうのは全然違うので、みんな違うと思うんですけれども、
なので、私の思う段階っていうのを今日はちょっとお話ししてみようかなって思います。
この不登校における段階、これを3段階にするのであれば、私の思う第1段階目は、子どもが学校に対して辛さを感じているけれども、なかなか言語化できていない状態。
行きたくないっていう気持ちをまず最初に伝えるのはおうちの人だったりすると思うんですけれども、行きたくないっていうことは伝えられたとしても、
なかなか、じゃあ何が大変なのとか、おうちの人が聞いたときに、それが言語化できていない。
例えばそれが、いやいや、教室に行くとなんとかさんが棒で叩くんだよとかいうことであれば、すごくわかりやすくて、その子どもも伝えやすいし、
親御さんもそうなのかってわかりやすいんだけども、そうじゃなくて、なんとなくの違和感だったりとか、なんとなくの重さ、気の重さみたいなものだったりすると、
なんで行きたくないのって言われたときに説明ができないっていう段階。
なので、親の方も子どもの話を深く聞くというよりは、大丈夫よって励ましたりとか、なんとかなだめて学校に行けるように試行錯誤している状態。
子どもの話を聞くというよりは励ましていく、こっち側の思いで励ましていくような状態。
それで、例えば行くのが、行きたくないっていう日が続いたりとかして、そうすると先生に相談したりということにもなると思うんですけども、
それでも先生もよくわからないから、行きたくないっていうことはわかったとしても、それがどういう理由だったりとか、どういうことなのかっていうのは先生にもわからないから、
だから親と先生の間では、こういう対策をしてみましょうとか、見守りますねとか、学校でよく見ときますねとか言って、親と先生はなんとなく話ができているような感じがするんだけども、
でも子どもの状況は置き去りというか、子どもの気持ちは割と手つかずというか、そういう状態。
だからそうすると、お家でもなかなか理解してもらえないなみたいなふうに子どもは思うし、学校行っても先生もやっぱり理解してくれないなって思う。
ひそかに子どもが孤立していくような状態。
それ実際どういうことかっていうと、お家ではすごい励まされて、学校まで送ってもらったりとかしながら、一生懸命一生懸命やってもらって、学校まで到着する。
学校にバトンタッチで引き継がれて、先生が見ていてくれるから大丈夫だよって言って学校行くんだけど、学校は学校で良かると思って、子どもがやっぱり帰りたいって言ったときに、
いやでもほら、今日給食おいしいよ。給食だけは食べていこうよ。ねえねえとか言って。
そうじゃなかったとしても、あと1時間だけやってみたらできるよ。ほらできたとか、そういう励まし。
一見すごく励まして、良かると思って励ましたりしてるんだけども、子どもの気持ちは解決してないっていうような状態。
これが第一段階かなって思います。
第二段階の理解
何とか励ましたりしながら、教室だったり学校に戻れるように試行錯誤をしてる状態。
子どもの話を深く聞くというよりは、大丈夫よ大丈夫よって押していくような状態が第一段階なのかなって思います。
第二段階としては、そんな風に行きたくないって言ってるうちに、もうなかなか本当に行くのが難しくなってきたときに、
いや、待てよって親の方が、待てよ、このままじゃうまくいかないなって。
子どもの状態も良くならないし、学校に戻るというか普通の登校は無理だなって気づき始めて、
そこで子どもが言っていることに深く耳を傾けることを始める。
でも深く耳を傾けるようになったからといって、すぐに理解できるわけじゃなくて、
そこにはいろんな原因っていうか理由っていうのがあるんですよね。
一つだけじゃないときもあるし、それについて親が勉強し始める段階、調べたりとか、
それは単純に行く場所、フリースクールみたいなことから調べる方もいるし、
何が辛さになっているのかなっていう意味で発達のことを学び始める方もいるし、
コミュニケーションのことを学ぶ方もいるし、メンタルの部分を学ぶ方もいたり、
いろんな入り口があると思うんですけども、それはお子さんの状況によっても入り口が違うと思うんですけども、
いろんなことを親も学び始める、そういう段階が第2段階かなって思います。
私はこの第2段階だけで1年ぐらいかかったなって思います。
耳を傾けたからといってすぐに理解できるわけではなくて、
それを言ったら第1段階も1年ぐらいかかったなって思います。
最初に息子が学校行きたくないって言ったのがゴールデンウィークぐらいだったと思うんですけども、
その時はゴールデンウィーク休めばまた気分も変わって学校行くかなーなんて思って行ってみるけど、
やっぱり行きたくない。
じゃああと1週間ぐらい休むか、結局10日ぐらい休んだのかな。
ゆっくり休んでそしたら行けるかなーなんて言ったけど、やっぱり行けない。
そうこうしているうちに夏休みになって、夏休み開けたら気分も変わっていけるかなーなんて思うけど、行けない。
そんなうちにあっという間に秋になって、時間をちょっと短くしてみようかなんて言って、
午前中だけとか午後だけとか、ちょっと別室に行かせてもらうとかしたけど、
根本解決にはならない。行きたくない。
ということをやっているうちに、その年は12月ぐらいからコロナの問題が始まったりとかしたので、
あっという間に年度末になって、1年ひゅーっと終わってしまって、
2年生になった時に、いや待てよ、やっぱりこのやり方やってても子どもの状態も良くならないし、
ちょっと違うぞって、やり方変えないとダメだって思い始めて、第2段階に突入みたいな感じだったんですけども、
この年はコロナの問題があったので、2年生に上がった時に長い休校があって、
第三段階の探求
なかなか学校がスタートしないという状況もありつつ、あっという間に時間は過ぎていきました。
この第2段階も1年ぐらいやってたかなーって思います。
そして次に第3段階目ですけれども、これはもうよし、学校にこだわらずに自分たちの一番良い道を探していこうって決めて、
それはもう人それぞれだと思うんですけども、学校に行かない中でフリースクールに行くだったりとか、
それぞれの過ごし方を決めて、これでいい、子どもの選択を信じる、そして自分も自分の選択を信じるって決めて歩き出すんだけども、
でもちょっとしたことがあるごとに不安がちらつくというか、
例えばママ友の励ましの言葉だったりとか、テレビから聞こえてくる声だったりとか、
いろんなきっかけで、あれちょっと待ってよ、こんなことしてて本当に大丈夫なのかな、やばくない?みたいな不安が押し寄せる瞬間があって、
この第三段階っていうのは、私としては自分を信じることへの自分との戦い、
私は実はここが一番しんどかったなって思っています。
自分の選択を信じるって決めたのに、決めてるのに、なんか突然魔がさしたように不安に襲われて、
勉強は息子のペースでやればいいって思っているのに、急にもうちょっと勉強しなさいとか言って、
自分の感情をぶつけて、あ、いかんいかんって反省。
あーなんかもう余計なこと言っちゃったな、みたいな。息子からしたらなんだよ急に、みたいな。
そういうことを繰り返しては、あーなんかやっちゃったな、みたいな自己嫌悪というか、
信じるって決めたのに、あー不安になってぶつけちゃったなとか、そういう自分との戦い。
息子は息子で自分を信じることへの戦いをやっていたと思うんですけども、
もうあの時はもうそれどころじゃないというか、自分との戦い、私自身が自分との戦いで精一杯だったなーって思います。
そんな風にしてあっという間に、そうですね、この自分との戦いも1年くらいやってて、あっという間に3年間私は過ぎていったんですけども、
でもちゃんと出口がありました。その時に子供を信じてきてよかったって本当に思いました。
子供を信じること以上に大事なことって振り返ってみたらなかったし、やっぱり一番大事なのは出席日数でもなければ、成績のいい学校に行くことでもなくて、
この子供とのつながりを取り戻したというか、むしろこういうことが起きる前の関係よりももっともっと深くいろんなことが話せるようになったりした、
この今の子供との関係が何よりもギフト、こういう道なき道を歩いてきたからこそもらったギフトだなーって思ったし、
例えば中学から高校に進学するときも、息子は地域未来留学っていう制度を使って山形の高校に進みましたけども、
決して成績のいい学校に行くことが幸せじゃなくて、やっぱり自分をよく知って自分に合った自分がときめく学校に進学するっていうことが本当に大切なことだなって思うし、
こうやっていろんなことを考えてきたからこそそこに行き着いた、出会えたしって思うと、もう本当にすべてがギフトでしかないなーって思いました。
この3段階に関してちょっと補足するのであれば、私はもう何も分からずに無我夢中で3年間走り抜けてきましたけれども、これを冷静に振り返ってみるならば、
例えば最初の第一段階のときに、子供が学校に行きたくないって言ったときに、それを当時の私はなんかわがまま言ってるなーみたいに受け止めたんですけども、今思うと子供のわがままっていうのってないっていうか、そういう捉え方って存在しないなって思っていて、
専門家との出会い
何らかの苦手だったり、子供のニーズ、リクエストだったりがそこにあって、それを自分のフィルターを通して曲げてみないで、ちゃんと真正面から見てあげるっていうか、それがすごく大事で、それをしてくださる専門家がいるっていうことも当時は分からなくて、
例えば学校の中で何か苦手があるとか、うちの子もそうですけども、とっても得意な分野ととっても苦手な分野があって、そうすると集団の中でやっていきにくいっていう場面があったりとか、あとすごく過敏だったりとか、いろんなそれぞれ理由があると思うんですけども、
そういうところを冷静に分析してくれる専門家が伴奏してくれたりとかすると、励ますとかそういう解決法ではなくて、もっと例えば目が悪いならメガネをかけてみようかとか、そういう対応、プロの対応っていうのがあるんだなっていうのを知ったので、
そういう方に出会うことはすごく重要だなって思いました。
第2段階で言えば、自分が勉強しようって思った時に、いろんな人に出会うことがものすごく大事だなって思ったし、第3段階で言うならば、自分が不安になった時にそこに一緒に伴奏してくれる、
人、仲間がいるっていうのがすごく励みというか勇気というか、やっぱり大事なことだなって思いました。
そんな感じかな。
ということで今日は不登校の3段階について私なりの解釈でお話をしてみました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
バイバイ。