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みなさん、こんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています、ばばさくらです。
今日は11回目の配信になるんですけれども、一つお知らせがあります。
今回私、個人セッションみたいなものを始めようと思って、それについてのお話です。
まずあそびやさんについてなんですけれども、あそびやさんは基本的には小学生を対象にした造形教室です。
月曜日と水曜日は放課後の時間帯、そして火曜日は10時半からになるんですけれども、昼間の時間帯にやっています。
場所は神奈川県寿司市新宿にある自宅でやっているんですけれども、
平日昼間の時間帯もやっていることもあって、普段ですね、学校に行かない洗濯をしているお子さん、フリースクールに通われているお子さんなんかがとてもたくさん参加してくださっています。
そういうお子さんたちが必ずしも平日昼間に参加されるかというと全然そうじゃなくて、
火曜日の昼間に参加されたり、放課後の時間帯に参加されたり、いろんな形で参加してくださっていて、それがあそびやさんの面白いところかなと思っています。
そんなこともあって、そういう不登校のお子さんの親御さんたちとお話をすることがたくさんあります。
私は木曜日には毎週同じ寿司市にあるインクルーシブ宅地所、ママ園っていう本当に素敵なあったかい宅地所があるんですけれども、
そこの2階がフリースペースになっていて、そちらにおります。
この活動は今年度は木曜日でやってますけれども、4月からはちょっとまた曜日を変えようと思っているので、その辺はまたお知らせするんですけれども、
そのママ園で何をしているかっていうと、来てくださった親御さんたちと雑談をして過ごしていました。
そこに来てくださった親御さんたちの面白い出会いもあったり、いろんな共感があったり、それも私にとっても素敵な時間だったんですけれども、
そういうことをする中で、なかなか限られた時間の雑談では到達できない、本質の一番面白い部分までの掘り下げた話みたいなところまでなかなかいけないので、
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もっとじっくりたっぷり、深く個人的にお話ができたら、もっともっと面白い話ができるんじゃないかなっていう思いがあって、今回個人セッションというものを始めることにしました。
個人セッションというとすごく堅苦しくてなんですけども、他にどう表現していいかもわからなくて個人セッションって言ってるんですけども、題して不登校雑談セッション、そんなふうに名付けました。
ホームページの方にもご案内を出したので見ていただけたらと思うんですけども、ホームページに書いたことは今日ここでおしゃべりすることと全く一緒な内容なんですけれども、何でそういうものを始めようと思ったかっていうところを今日はお話ししてみたいと思います。
そもそも何でそんなことをみんなと話しているかというと、他の配信でもお話しましたけれども、私自身が息子の不登校を3年間経験していて、そこからのことになります。
息子が不登校だったとき、本当に私は道なき道だなって思って、1日1日が今日どういうふうに過ごそう、何を優先してどういうふうにしたらいいのかなっていうことの連続でした。
でも本当にその大変な時は、真っ暗闇を歩いてるみたいな感覚だったし、出口なんてどこにも見えないなって思ったし、この状態が永遠に終わりなく続くんじゃないかなって思ったし、
そんな中で私の本当の大変さをわかってくれる人なんていないだろうなーって思っていたので、誰かに助けを求める気にもならなかったんですよね。
たぶん一般的にはそういうときに、学校にいる教育相談コーディネーターだったり、カウンセラーの方だったり、いろんなところにつながって相談をするものみたいですけども、私はそういうことをする気にもならなくて、
例えばママ友と話していても、別に子供の不登校を隠したりとかそういう気は全然なかったので、今の状況としてママ友とかに話すことは全然あったんですけども、
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でもそれを誰かにママ友に相談しようっていう気持ちも特になくて、一人でいろいろ思ったり調べたり探ってるっていう感覚でいました。
なんですけども、そんな長い長いトンネルにも終わりがあったんですよね。
いろいろありましたけども、そのトンネルを抜け出した時に思ったのは、トンネル抜けたら絶景だったなっていう感覚がすごくあって、
そのトンネルに突入する前に見ていた景色よりもずっとずっとずっといい景色だったって思ったんですよね。
なので、この道を歩いてきたからこそ本当に大事なものが見えたし、この道を歩いてきたからこそ子供たちがどんな選択しても深い部分で信頼できるようになったなって本当に思いました。
この道を来てよかったって思ったし、困難の連続大変なことばかりって思っていたけども、振り返ってみたら全部ギフトだった。ギフトでしかなかったなーって思います。
だけどその絶景にたどり着いて、今3年ぐらい経ちますけども、今今度今ふと思うのは、実はその真っ暗闇なトンネルなんて最初からなかったのかもしれないっていうことに最近になって思うようになりました。
それはもちろんいろんないろんないろんな時間を過ごし、いろんな経験をした今だから言えることなんですけども、
物事の見方とか物事の優先順位によって、今日っていう1日が雨や嵐やあられの台風のような日にもなるし、逆に穏やかな気持ちの良い晴れの日にもなるんだなーって本当に思います。
今下の子が中学生なんですけども、学校に行き渋っている日も結構あって、実際行かない日なんかもあるんですけども、でも行かない日でも私の中に暗い気持ちは全然ないんですよね。
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なので、同じことが起きても、上の子の時と下の子の時と受け止め方が、私の受け止め方が全然違うし、見えている風景が全く違うので、もう自分でも面白いなーって思っています。
この不登校っていうことなんですけども、子どもたちはもちろん苦しい状況にあると思います。
だけど、親も本当に苦しいんですよね。
親だから我が子のために必死で頑張っているんですけど、だけど見守ることって本当に苦しい。
なんで苦しいんだろうなーって思ったら、それって自分の思い描いていた常識とか理想と違うからなんですよね。
違うから、それをどういう風に受け止めていいのかわからない。これでよしとしていいのかわからない。
もうちょっと自分がなんとかしなきゃいけないのかな、それともこのまま寄り添ってていいのかな、どうなんだろうっていうところで自分と向き合っているっていうことなんですけども、とにかく苦しいって思うんですよね。
親もみんな生まれた瞬間から母親だったり父親だったりするわけじゃないですよね。
みんな生まれたときは赤ちゃんで子供出身で、それこそおぎゃーって生まれたときはもう100%自分軸で生きていたと思うんです。
お腹が空いたら泣く、眠かったら泣くっていうところから成長とともに一つ一ついろんなものを学んでここまで来ると思うんですけども、
その学ぶというか、社会で必要なものを身につけていくと思うんですけども、その身につけるってなんだろうって思ったときに、
例えばですよ。小さいときだったら、いつもパンツは履いていようね。外に行くときは服を着よう。人前では服を着よう。
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外に行くときは靴を履こうっていうところから始まって幼稚園ぐらいになると、友達の持っているものを欲しかったらいきなりパッと取らないで貸してって言ってみようとか食べたら歯を磨こうとかそういう一つ一つのルールがあってそれを身につけていくんだけども、
それぐらいのことだったら本当に必要なことだからいいんだけど、それが学校に上がったりしてくると、
例えば自分のことを振り返ってみると、学校は毎日行くのが当たり前だよなとか、勉強できないと将来の道が開けない。勉強してない子は将来困るぞとか、我慢できる子はいい子とか思ってました。
自分のことより人を優先できる子って素晴らしいよねとか、あと時間を守れて何をやっててもパッと切り替えができる子って素晴らしいよねとか、何気ない日常の会話の中からそういう価値観、いいとか悪いとか、そういう常識みたいなものを自分の中に取り込んでいく。
子どもが不登校になった時には、私は40代後半で、その40何年、自分の中に積み上げてきた自分の中の常識、思い込み、これはこうである、あれはああであるべきっていうものっていうのは、ものすごい量になっていて、
もうその頃には自分の本当の気持ちだったり、本当の要求、リクエスト、希望、願望みたいなものは、もうどこにあるんだか全然わからないぐらいの状態になっていたと思うんですよね。
なんかそうなってくると、もう外からの評価みたいなものの方が自分の中心になってきちゃうので、自分のその幸福度みたいなものがどこにあるのか、幸福、自分の幸福がどこにあるのかみたいなことがぼんやりしてきてよくわからなくなってくる。
でもまあそれがそんなもんだよね、日常って感じで生きていたのが、この息子の不登校にぶち当たったことで、何がギフトだったかっていうと、自分にとって実は必要がなかった思い込みっていうものをどんどん手放すことができたんですよね。
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例えば、学校は毎日行くのが当たり前って思っていたけども、でも息子が、息子に学校は毎日行くのは当たり前だよって言ってたら、どんどんどんどん体調を壊しておかしくなっていっちゃった。
え、それって本当に最優先だったかな?優先順位違くない?じゃあ出席日数はとりあえず手放そうとか、そうやって一つ一つ、習い事、これも今は優先順位としては一番じゃないよね、手放そうとか、そうやって一個一個手放していくものすごいたくさんのものを手放したと思います。
それでそうやって行った時に、最後の最後に残るものって何だろうって思ったんですよね。
で、それで結局最後に残ったものっていうのは、もう本当にかけがえのないものだった。
で、あ、自分ってこんなに大事なものを持ってたのかっていうことに気づかせてもらえた。それはものすごく幸せなことだったんですよね。
なので、この雑談個人セッションの中では、どんな方もどんな真っ暗闇にいるって感じている方でも何も失ってないって私は思っていて、
その大事な、キラキラ光る大事な、一番大事なものっていうのは絶対失ってなくて、手の中にある、だけどその見えなくなっちゃってる状態で真っ暗闇って思うけど、
それを再発見するっていうか、確認するっていうことに繋がる時間になったらいいなーって思っています。
ちょっと話が長くなりましたけど、私はそんな思いでこのセッションをやってみたいなって思いました。
なので、セッションではもちろんお子さんのお話も聞かせていただきたいなって思ってるんですけども、大人のご自身のお話をできたらいいなって思っています。
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ということで、長くなりましたけれども、このセッションを始めるにあたってモニターを募集させていただきたいなって思っています。
そのモニターに関しては、オープンチャットの方からご案内をさせていただきたいと思っています。
オープンチャットはホームページから行けるようになっています。
ホームページはあそびやさんずしって検索していただけると出てくると思います。
そのトップページからオープンチャットに行けるようになっていますので、もしよかったら登録してみてください。
お問い合わせやお申込みをいただくときにはお手数なんですけれども、公式LINEの方を登録していただいて、そちらの方からLINEメッセージをいただけたらと思っています。
それも含めて、ホームページやオープンチャットの方に改めてご案内をしていきたいと思いますので、
ぜひぜひぜひお話ししにいらしてください。どうぞよろしくお願いいたします。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。バイバイ。