京都での振り返りと富山への出発
おはようございます。 8月13日の火曜日の午前です。ただいま車の中にいます。
そして今これはどこにいるかというと、京都市内の中に、京都におります。
本当は今日は長野県、岐阜県あたりの、長野県か、の北アルプスを歩いている予定だったんですけれども、
なぜか灼熱の外気温40度と書いてある車の中、 京都の暑い灼熱の中に
います。 何があって今京都にいるのかということですけど、
最近の出来事を振り返ると、本当にいろんなことがありまして、 ちょっと
すごい、もう声日記で語りきれないぐらいのことがあったんですけれども、
まあちょっと今振り返ってこないと、さらにどこでも振り返れなくなると思いますので、
ちょっと振り返っておこうと思います。 まずあの前回のね、声日記撮ったのが
えっと、 アニバーサリッスンの帰りでしたよね。
東中野で、 アニバーサリッスンに参加させてもらって、
で、新宿からバスターミナルで家に 帰ろうとしたらチケットを間違えていて帰れなくなり、
えっと、快活クラブで夜を明かし新幹線で帰ったっていう、 その新幹線の車内で
前回撮ってたと思うんですけれども、 それで帰ったのがだから木曜日ですよね。
木曜日、はい、もうそうですね、8日。 で、9日も
京都にいたのか、ですね。 で土曜日の朝の4時前ぐらい、3時ぐらいに起きて、そこから
富山に向かって車を走らせ、 トランスジャパンアルプスレースという、まあ8日間にわたる
日本海から太平洋まで415キロ、 日本アルプス、北アルプス、中央アルプス、南アルプスと縦断しながら行くっていう大会が、
11日の深夜24時、土曜日の24時、 日曜日の0時にスタートするので、まあそれの仕事もありまして、
富山に行くと。 その大会はね、今もスタートして進行してるんですけれども、 そのために
富山に行くんですけれども、それだけだったら本当は昼ぐらいに 富山に着けば十分間に合う。本当はもう夕方ぐらいでもいいんじゃないかぐらい
だったんですが、 それにちょっと合わせてというか、それに先行して北アルプスを重装したいという
友達2人、 ウネちゃんと今子さん2人が乗せて行ってくれないかっていう話で、 できれば早い時間にね、山を登り始めたいっていうんで、
じゃあ早く行きましょうかということで、 4時に京都を出るっていう約束をしていたので、その2人を拾って4人で
車で富山に向かうということをやってました。 そしてその今子さんのね、インタビュー。
今子さんもトランスジャパンアルプスレースの先行会に出ていて、 先行は通ったんで資格は満たしていたんですけど、最後に抽選で落ちて
残念ながら今回大会には出られなかったっていう方で、 しかも最近今子さんでは女性なんですけど、
女性はね、近年全然出てなかったので、久々の女性の出場選手が現れるかということで注目されていたのに、
結果的には無惨にも単なる抽選というか確率の話で出場がかなわなかったっていうことで、
残念だろうなぁって思うし、僕も残念だったんですけど、 ちょっとね車の中でゆっくりとそこの心境なんかも聞いたり、
大会に向けてどんな準備をしてきて、一発合格で先行通ってるんで、 どうやってそんな一発で通ったのかみたいなことを結構詳しく聞いて、
それを聞いた後はそのまま車の中で音声編集をしまして、アップロードまでしまして、 息吹ステーションで公開したんですけど、
なんとかなり再生数が伸びていまして、 その後大会に出場している選手のインタビューも撮ってるんですけど、
それと一緒か、もしかしたらちょっと多いぐらいの再生数に今なっていて、 出られなかった人のインタビューって今までなかったと思うんですけれども、
そういう出られなかった人が心情というか、1時間以上にわたって語っているということで、 結構今注目をされていて、いいインタビューができたので、
早起きして車で一緒に行けたのも行けた甲斐があったなというふうに思っています。 それで富山に着き、
そこで今回ちょっと息吹ステーションの収録の手伝いをしてもらう田代さんという方が 富山駅で合流するということで、こちらは東京から来られていたんですけど、
ピックアップして、そして今子さんとうねちゃんを早着き屋根という、 北アルプスの入り口みたいな場所に山の奥まで送って行き、
そこで見送って写真を撮り、そして富山のトランスジャパンのスタート地点に行って、スタートのいろんなこと、端末の準備ですとか、
トランスジャパンアルプスの先行会とインタビュー
あと参加選手のインタビューを、これもまた息吹ステーションでできる範囲でやろうということを計画していましたので、
その受付会場、スタート会場の部屋の片隅にマイクを4本繋いで収録をできるようにしまして、
いろんな選手がそこに現れるのでちょっとお声掛けをして、6人、何人ぐらいですかね、インタビューを撮らせてもらったり、
あとは実行委員長の飯島さんのインタビューを撮らせてもらったりして、
ポッドキャストの収録もしながら息吹の仕事もしているみたいなことを富山でやってました。
このトランスジャパンっていうのはね、2年に1回しか開かれない大会なんですけど、2年前は息吹ステーションをやっていなかったんで、
初めてポッドキャストでその選手の生の声を配信するっていう、公式ではインスタライブをやってるんで、
そこである程度生の声みたいなのが出てるんですけど、やっぱりインスタライブってそんな長くないじゃないですか、動画で数分とかなんで、
あと映像がメインというかね、みたいにもなるんで、あんまり深い話をじっくり聞くみたいな雰囲気にならないと思うんですけど、
音声なのでマイクを持ちながら、心境はどんな心境ですかとか、ここまでどんな準備されてきましたかみたいなことを聞けて、
結構面白い話が色々聞けた気がします。そんなことをスタートでやっていて、夜の12時にスタートするんで、そこを見送って、
また改革クラブですよ、これ。新宿の改革クラブに木曜日、水曜日か、泊まって、数日後に富山の改革クラブでちょっと仮眠を取りまして、
早朝に起きて、これもだから2時間か3時間しか寝れてないのかな、1時ぐらいに一応横になって、4時ぐらいには起きて山に向かうということで、
立山の方に向かいまして、毎年毎回やってるんですけど、トランスジャパンの選手がやってくるところをちょっと先回りしてね、山に登ると迎えることができるんで、
立山のケーブルカー、アルペンルートっていうところでケーブルカーとバスを乗り継いで2500mぐらいまで上がれるんで、そこまで登った後に登山をしまして、
大北アルプスと剣岳へのアタック
選手がやってくるのを見届け、すれ違いながら、僕たちもそのまま登山を続けまして、選手と反対向きに迎えるような感じでどんどん歩いていって、
2300mの立山の山頂にも着いて、そのままどんどん北の方に歩いていって、
室堂というバスで行けるところに降りずに、さらに進んで、鶴木岳の手前の鶴木沢キャンプ場という標高すごい高い山の上のキャンプ場にテントで泊まるということで、
北アルプスの上でテント泊をしました。
なんで降りてこずに上で一泊今回していたかというと、
実はもう一個、いぶきで主催をしている大北アルプスという、北アルプスを200kmぐらい一気に、一気じゃなくてもいいんですけどこの夏に行ってみましょうというイベントをやってまして、
そこに参加する福井さんと谷川さんという結構強力な選手が、
翌日の深夜にスタートする、そのトランスジャパンと同じ早月をねというところから登ってくるということで、
もう一晩いれば向こうから選手が2人、大北アルプスの参加者が2人やってくるというタイミングだったので、
降りずにそのまま上で時間を過ごして、その2人にも会って、迎えてから降りようということで、剣岳の手前でキャンプをしたんですね。
せっかくそこまで行くのでってことで、僕は実は剣岳のピークに立ったことがなかったんで、
そのキャンプ場でテントを張って荷物を置いた上で、最低限の荷物を持って剣岳というね、学人の憧れと言われる岩と雪の伝道と言われるんですかね、
という本当に険しい山なんですけど、それにチャレンジしたいなと思っていて、
それは行く前からちょっとタイミングを見計らって、剣岳とのアタックできる範囲でやってみようというのを言っていて、
いぶきのチームの桑原くんとかも一緒に行って、桑原くんも行く気になっていて、
事前にちょっとボルダリングジムでね、ちょっと壁の練習したりとかもしていて、
できる範囲で、もちろん危ない山なので可能な範囲でって感じですけど、できるところまで行けるだけ行ってみようということを事前に話していて、
ヘルメットとかも被ったほうがいい山なので、ヘルメットを買ったりとか、
僕は自転車用のやつを持って行ったんですけど、初めて山にヘルメットを持って登ったりとかして、
とにかく剣岳にアタックしようと思っていました。
で、剣沢キャンプ場に着いたのが昼過ぎぐらいで、あと半日はあるんで、行けるかなというタイミングではあったんですけど、
もう桑原くんがそこでバテバテになっていて、もう頭が痛くてちょっともう無理ですと。
で、症状を見ているとかなり荷物が多くて、桑原くんは。
いろいろ不安で結構大きなザックにあったらいいかもっていうものを全部詰め込んで持ってきましたみたいな感じで、相当重そうだったんで、
それでバテたのかなというのと、ちょっとむちゃくちゃ暑かったんで途中から。
熱中症っぽいのもあっただろうかもしれないし、ちょっと鉱山病っぽい、かなり凹凸が高いので症状もあったのかもしれないし、
剱岳のアタック計画
その全部が混じっていたのかもしれないですけど、ちょっともうつるいだけに行ける気はしませんというか、もう立っているのもしんどいって感じだったので、
テントを建ててちょっと横になっておいた方がいいですねということで、桑原くんはもうそこで休んでおくということになって、
そこから、じゃあちょっと面倒見れなくて悪いけど一人でね、つるぎだけのアタック行ってきていいかって言ったらどうぞということで見送ってくれたので、
小さいザックに必要なものを詰め込んで、つるぎだけアタックに僕は向かいました。
つるぎだけっていうのはどれぐらい皆さんご存知かわからないですが、北アルプスの3000メートル方の中の一つで、100名産の一つでもあるんですけど、
まあ険しいんですね。本当に岩の塊みたいな、山全体がもう上の方は岩の塊みたいな山で、とにかく険しいんですよ。険しいんですね。
で、険しい山でいうと、例えば槍畑。槍畑も先っぽがとんがっていて険しく見えるんですけど、その一番穂先と言われる先っぽまでは別にある程度普通の登山道で行けて、
最後にほんとちょっとだけ先端に登るのだけはちょっと岩の上りっぽいところを登らなきゃいけないっていう感じで、そんなにそこは長くないんですけど、
剣だけはね、もっと山全体が岩の塊みたいな感じなので、もっと手前からずっと岩場が続いて、山頂の近くまでたどり着くのも結構大変っていうような山なので、
やっぱり学人の憧れとも言われますし、それだけ険しいのでみんなが憧れを抱いているけど、なかなか簡単には近寄らせてもらえないっていうような山です。
僕もちょっと怖さもあったし、今まで挑戦できたことはないんですけど、ほんとにそのすぐ近くでキャンプできるということで、待ったとないチャンスだったので行こうと思いました。
ただね、ちょっとね、桑原君とかがテントを張るのも初めて、山でテントを張るのも初めてみたいな感じだったので、まずはちゃんとしっかりテントを張る方法とかを一緒に教えながらやったりしていて、
出発が1時半くらいになりまして、剣だけのアタックするのは大体11時くらいまでがリミットですって言われてるんですよ。
剱岳のアタック開始
それはまあ夕方に帰ってくるにはっていう感じなんで、最近の夜もどんどん山を行っちゃうみたいな、トランスジャパンとか大気タルプスの参加しているような人たちの感覚から、
トレランやってるような人の感覚からすれば、別に天気さえ安定していればね、夕方の明るい時間に帰ってこれなくても多少ヘッドライトで夜になってもいいじゃないかみたいな人もちょっと出てきてますけど、
普通の山の感覚で言うと午前中には出発しておかないと間に合わないっていう山なんですけど、1時半になってしまいまして、
ただまあそこまで歩く間ではその3人の中では、うっしーさんも一緒に行ったんで3人で行ったんですけど、一番僕が歩けてたし、まだ全然体には余裕があると思ってたんで、
一人になってちょっとペース上げていけば、なんとか暗くなるまでに帰ってこれるかなっていうのと、あと天気予報もね悪くなくて、
雨が降ったりとか強風が出たりしなさそうだったんで、コンディションもかなり良かったんで、なんとか行けるかってことで行けるところまで行こうと思って、
その剣岳のアタックに一人で行きました。最初は結構調子良く、割といいペースで進んでいて、水もね1リットルぐらい持って、
トレーラーのザックに、あと柿ピーとグミとか補給食もいっぱいちょっと入れて、ちゃんとカッパとかヘッドライトとか持って出たんですけど、
最初は調子良かったんですけどね、だんだん傾斜が厳しくなって、最初に一幅剣っていうのがあるんですけど、その登りもかなり急で、
その時それはまだ割といいペースで登りきったんですが、その次に前つるぎっていうのが現れて、これがまあまあ急な崖登りみたいなところをしなきゃいけなくて、
だんだん疲れてきて、あれっていうね、やっぱりね、傾斜が急すぎて、全然そこまで歩いてる感じとは違う筋肉を使うんで、ものすごい足を上に上げて、
グッと体を引き起こさなきゃいけないみたいな感じで、とにかく傾斜が急すぎて、ただ登山で歩くのとは違う筋肉を使うっていうのもあって、
なかなか使わない筋肉なんで、そんなめちゃくちゃ急なもう壁みたいなところをよじ登っていくっていうのはね、あんまり普段やってなかったんで、
体が疲れてきて、でもなんとかその前次っていうのを登ったんですよ。で、まあ行動の時間、行動計画表の時間を合わせてみたら、最初は結構ね、計画に対して縮めていたのに、
だんだんあんまり縮まらなくなってきて、計画通りぐらいのペースになってきて、で、ああこれはそんなに余裕はないなっていうね、一応計画だとまあ暗くなる前ギリギリ帰ってくれるみたいな、
タイムスケジュールだったんですけど、まあそれに対してほぼそのものみたいになってきて、で、ああこれは結構ギリギリだなって思いながら進んでいきました。
剣岳へのアプローチ
で、その後もね、岩のピーク、ちっちゃい岩の山頂というか槍の穂先みたいなものが何個も現れて、その度にそれを登って降りて、その本体の剣だけの山頂のとんがっている部分に登る前に何個もとんがっている部分を越えていかなきゃいけなくて、
で、もうそれがだんだん激しくなっていって、なんていうんですかね、その岩の下はもうストーンと落ちてて、落ちたらもう絶対死ぬみたいな高さのところにあるんですけど、まあ岩の壁に対して手と足を全部使って張り付いて、こうまあ垂直に近いようなところを登っていったりとか、まあ垂直に近いようなところをこう横に移動したりとかしなくちゃいけなくて、で、あまりに危ないんで、その鎖がまあ岩に打ち付けてあって張ってあるんですけど、
まあその鎖と岩をうまく持ちながら行くんですが、まあ足を擦らしたりとか、その鎖の手を離したりすれば、まあ命はないなみたいなところがずっと続くっていうね、まあなかなか痺れる感じのところがずっと続いて、で、それをやってたらね、どんどん疲れてきてっていうのと、あとね、時間がやっぱり出発する時間が遅かったので、
まあすれ違う人すれ違う人に、今から行くんですか鶴木に、とか今から山頂に向かうんですかみたいなことを言われて、まあちょっとそのこの時間から行くのはちょっと無謀じゃないかみたいなニュアンスのことをいろんな人と挨拶する中でかやけられていて、で、まあ分かってます分かってますって言って、あの時間的に行けるとこまで行って帰ってくるだけですみたいなことで、あの別に必ずしも絶対山頂に行くってわけじゃないんですよみたいな、なんかちょっと言い訳みたいなね、挨拶を交わすみたいなことをやってて、
まあでもそういう声をかけられ続けていて、だんだんね、あの心細くなるっていうのと、
まああと暑さ、めっちゃくちゃ暑くて、どんどん水も減っていて、で、途中であの富山警察の方がまあパトロールされていて、水は何cc持ってますかとかすごい具体的に聞かれて、で、残り多分まあ1リットル持って出たんですけど残り700ぐらいですとかって言ったら、
あー結構気を付けてくださいねって言って、今日はあの暑すぎて熱中症で途中で動けなくなって救助した人が2人もいますって、まあすごい具体的に言ってくれて、で、あとまあ山頂行くならあと1時間ぐらいですとかってはっきり言ってくれて、そういうふうにあの数字で示してくれると、
まあ戻れとは言われないんですけど、あと1時間もかかるのかとか、他に2人ぐらい水切れで動けなくなった人がいるのかって具体的にデータで示されると、まあ結構あの判断材料になって、こっから1時間かかなりギリだなっていうのと、水やばいかもっていうのがだんだんその時分かってきて、それでもまあとにかく行けるとこまではまだ行こうと思って進んでたんですよね。
で、ところがまあ進めば進むほど、まあみんな降りていく時間でだったので、すれ違う人も減ってきて、で、まあだんだん誰もいなくなってくると。
で、誰もいない田舎でその岩の険しさはどんどん増していき、そしてねその名物のカニの建栄っていう、まあこれはほとんどもう垂直の壁で、まあとりあえずあの岩が全く手がかりがない、あの一枚岩みたいなところから登り始めるんですけど、あんまりの手がかりがないんで、岩にその鉄の棒が打ち付けてあって、その鉄の棒に足をかけながら、
えっと鎖を持ってどうにか上がっていくみたいな箇所から始まり、その後もねほぼ垂直の壁をよじ登っていくんですけど、まあ下なんか見たらほんと偉いことで、あの下はストーンと下まで、山の下の方まで落ちてるんで、本当に何か踏み外したりとか手を滑らしたらもう落っこちて死ぬっていうようなところで、
まあ一個一個のその動作を確実にこなしていかないと、命に関わるし、まあそれを別に誰もね助けてもくれないし保証もしてくれないし、もうただ自分の命を自分のその一挙手一投足で守るしかないみたいな状況で、まあどうにかこうにか登っていたらですね、もうなんと足がつり始めまして、
まあ要はその普段一応ね今回その結構剣だけとか行きたかったんで、トレランをしてあの結構トレーニングを熱い中でも頑張ってたんですけど毎週、ただそのトレランで使う筋肉とやっぱりその垂直に近い壁をぐっとグイグイっと体を押し上げていく筋肉ってやっぱ違うんでしょうね。
それでまあ足の太ももの前の部分とかがちょっともう疲労でつり始めて、でだんだんこう体保持しにくくなってきたんですよねしっかりと。
鶴木岳への挑戦
でこれはまずいなと思って、でさらにその周りにね人も誰もいなくなってきたんで、これもし何かあってもまあすぐには気づいてもらえないし、あのね何かあったって助けもなかなか呼べなくなるなっていうことで、まあやっぱり結構これはあの厳しいなと思いまして、で戻ろうってもうその時思い始めました、その建前を登りながらね。
でただその下人の建前っていうのはとてもじゃないけど戻るのは難しいんですよ。その下の足の部分がもうほとんど置き場所がないんですけど、登るときはまだ前を見ながら登っていくんでいいんですけど、降りるときにその足をどこに置けばいいかとか見えないんで、あの相当そのまま降りるのは難しいんで、一旦その建前は登りきるしかないんですよ。
でだからこれは帰った方がいいなって思い始めたんですけど、あのどうにか建前は上まで登りきって、そしたらねその下山ルートっていうのはその建前を戻るんじゃなくて下人の横ばいっていうちょっとまた別の建前横ばいシリーズみたいになって、ちょっと別のもうちょっと降りやすいところを下り道に指定されていて、まあそっちから降りれるんで、まあそこでもう一旦撤退を決めまして戻ろうと思って戻ることにしました。
まあ理由はだからちょっともう足がね少しつり始めていて、あの絶対安全と思えるようにこう体を保持できないくなってきたのと、時間的にもかなりギリギリで多分ここからまだ山頂まで行くと、かなり山頂に近いところまで行ってるんですけど、まあさらに30分とかはかかる可能性があって往復で1時間近くかかると暗くなる可能性があるとか。
あとはそのやっぱ体のとこですね。で決めまして撤退を。で戻り始めて。で戻りもまあ登りでねやっぱりその足がちょっとそんな感じだったんで苦労しましたけど、まあ行きよりはやっぱ楽なんですよね。下りの方が道が歩きやすくて。
で行きほどは怖くなくて、まあ帰ってこれて何とか5時半ぐらい明るい時間にちゃんとキャンプ場に戻りましたっていうのがその僕のツルギーだけの初めてのチャレンジの結果で、結果的にはだから山頂の直下ですよね。本当にすぐ手前ぐらいのギリギリ近いところまで行ったんですけど、トーチは鳴らずということで帰ってきました。
まあ今考えてもいい判断だったんじゃないかなって思いますけど、昔だったらもうちょっと無理してたかもなとか思いますけど、ここはちょっとやめといた方がいいなって思って帰れて、何しかとにかく最後の方はちょっと怖かったんで、ちょっと正直想像以上に怖かったですね。
本当に落ちたら死ぬみたいな状況がずっと続くのと、周りに人がいないっていうのと、時間が大丈夫かとか水が大丈夫かとか体力大丈夫かとかっていう不安要素がいくつかあったもんで、思った以上にやっぱり怖くて、ちょっと帰ってきてね、こんな感じだったみたいな話をテントのところで、うっしーさんとかに、桑原くんとかに喋ってる時にちょっと涙、帰ってこれてよかったって若干涙出てくるぐらい怖くて。
ただ、すごい山だったっていう感想です。
その時はね、本当にちょっとあそこもう一回行けって言われてもって思ってたけど、やっぱ帰りにね、振り返って、やっぱあまりにもかっこいいんで、その山が。
かなり憧れに近いというか、いつか行きたいなみたいな気持ちになって帰ってきましたけど、それが鶴木岳でした。
ただ、それは鶴木岳には登れませんでしたって話なんですけど、なぜ今ここで僕は京都に戻ってきたのかっていう話はまた別でありまして、ちょっと今外に出なきゃいけないんで、後ほどその話は続きでしたいと思います。
それでは一旦、ここで終わります。