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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者で、
うつ病診断も受けている僕が、
営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、苦手なことを先送りするでいきます。
苦手なことを先送りする。
ここだけ聞いたら、あんまりいい意味に聞こえないかなと思いますし、
短期的な意味では、例えば1週間とか1ヶ月とか、
今自分が抱えている仕事、案件、これらの中から苦手なものとか、
好きじゃないものを先送りするというのは、
あまりよろしくないことなんですけど、
今回僕が伝えたいのは、もっと長い期間、
10年とか20年とか、自分の人生というところに
フォーカスしたときに、苦手なことを先送りするとか、
苦手なことに手を出さないということには、
一定の意味があるんじゃないかなというのを、
あるとき思ったので、これについて深掘りしていこうと思います。
具体的には、例えば、
僕、小さい頃、算数は好きだったんですけど、
5、6年生くらいからちょっとずつ嫌いになって、
中学生になったとき、数学になったときには、
もう完全に嫌いだというふうになったんですね。
で、なんで嫌いかというと、
これちょっと今回の、今日の本題からはそれるんですけど、
計算ミスをするんですよ。足算引き算。
難しい方程式は覚えてて、
定義とか解き方とか、理論とか覚えてて、
解き方わかるのに、最後足算引き算間違うから、
答えが絶対合わないんですよね。
これADHDあるあるかなって僕は思ってるんですけど、
難しいことを理論的にこうやったら解けるとか、
わかるのに最後計算間違うから、
いやそれぐらいの計算ミス許してくれよ。
だって難しい解き方わかってんだから。
っていうのが僕の言い分なんですけど、
いや足算引き算間違うにしてもね、
答え違ったら、それは数学としては間違いなんで、
いやしょうがないかなっていうのは今なら思うんですけど、
それぐらいのちょっとのミス許してくれよ、
でも許してくれないっていうのがね、
もう嫌で嫌で数学嫌いになったんですよね。
で、高校生になっても全然できなくて、
結局難しい話はわかるのに、
センター試験とかそういうのは全然できなかったんで、
もう手を出すのはやめました。
もう捨てましたっていう感じで、
算数とか数学とか嫌いでした。
で、話を元に戻すと、
そういうテストを解いていくと、
大問の1から大問の4とか5まであると思うんですが、
例えば1問の最初の大問1の2とか3とかで、
難しい自分がどうもわかんない問題にぶつかったとき、
それを解こうと必死こいて一生懸命やってたら、
多分最後の方に時間切れを起こして、
全部解けなかった、
全部問題を解くに至らなかったっていう状況になると思うんですよ。
そうなったらね、他の問題は解くことができたのに、
そのたった1つの問題に一生懸命になっていたせいで、
解ける問題も解けなかった。
要は得点を稼ぐことができたのに、
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全然実力を発揮する前に解けない問題で終わってしまったっていう風にね、
そういう結末になると思うんですよ。
だから解けない問題があったときに、
それを一旦置いといて、
次の問題に取り掛かるっていうのは、
テストで言ったら当たり前のことだと思うんですよね。
だけど小さい頃とか、小学校1年生、2年生とか、
多分問題を飛ばすっていう概念が、
考え方がまずないだろうし、
これまた大人になっても、
僕特にそうなんですけど、
いやこれできないな、これ苦手だなと思ったら、
一生懸命そればっかりどうやったら解けるかなっていうのを考えてしまって、
本当はもっとサクサクできる仕事を先送りしちゃったりして、
そっちからやった方が効率よく仕事ができたにもかかわらず、
うまくいかないものにすごい時間をかけてしまって、
結果的に今日1日終わってみたら、
あんまり生産性が高くなかったっていうことが普通にありえるんですよね。
これって小さい頃に解けなかった問題に一生懸命になって、
他の問題を解くことができたのに、
時間制限があって、
それが時間がタイムオーバーになって何もできなかったっていうことに、
かなり近い現象なんじゃないかなって思ったんですよ。
考えたら、それは小学校の時とかは、
それは1つのテストの中、試験の中での出来事なんですけど、
もっと長い人生、
自分の人生も制限時間がありますよね、死ぬまでにね。
その制限時間が一体何分なのか、
何年なのかっていうのが分からないんで、
これまたすごい難しいんですけど、
結局自分の人生も制限時間があると思ったら、
どうでもいい問題、自分が苦手とする問題、
今解き方が分からない問題、案件、
これに直面してそこで手こずってるぐらいだったら、
それは誰かに解くのをお願いしたり、
誰かにアドバイスをもらったり、
はたまた一旦放置しておいて、
もっと出来ることにやった方が、時間を割いた方が、
自分の人生の質も上がるんじゃないかなっていう風にね、
思ったんですよ、この抽象的な話から。
だから自分の苦手とすることは一旦置いておいて、
得意なことから責めた方が、
かえってそっちから何か才能が花開くかもしれませんよね。
そういう考え方もありじゃないかなっていう風に思いました。
僕が一番やっちゃいけない仕事って、デスクワークで、
例えば事務職とか、経理とか、銀行員とか、
こういうのは僕は絶対やっちゃいけないっていうのが、
今はもう分かります。
分かりますが、もし間違って新卒で、
こういう金融系の仕事とかね、
間違って事務職とかになったら、
自分の出来なさに驚愕して、
ここをどうにかしようと必死に思うんですよ。
でももしそれだったら、
今僕は営業職としてそれなりに上手くいってるんですが、
こっちに行けば、もっと手っ取り早く自分の才能を発揮できたにも関わらず、
どうでもいいことでつまづいて、
そこでニッチもサッチもいかない状態で、
一生懸命目の前のことをクリアしようと、
頑張っていることだったろうというふうに容易に想像できますね。
でもそうじゃなくて、
もっと自分がパフォーマンスを高いパフォーマンスを発揮して、
できるところがあるんだったら、
その分野に身を置いて、
そっちに集中した方が自分もハッピーだし、
周りの役にも立つことができるだろうなっていうふうに考えるんですね。
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だから苦手なことは一定程度誰しもあると思うんですけど、
僕らはその一定レベルが半端じゃなく低いんですが、
それはそれでちょっと置いておいて、
まずできることからやっていった方が絶対にいいんじゃないかなっていうふうに考えてるんですね。
そうやって自分のもし得意なことが見つけられたり、
そっちに集中できるような状況を作り出すことができたなら、
その道をガンガン突き進んだ方が圧倒的に短い時間で結果を残せたり、
短い時間で周りの人に役に立てたりっていうのができると思うんですよ。
実際に僕はそのパターンだったんですよ。
その道を突き進んでいても、いずれ壁にぶち当たりますね。
僕でいうと影響としてそれなりに、
ここ自分は向いてるなって思ってガンガン突き進んでいたんですけど、
いずれ後輩ができたり部下を持ったりするっていうタイミングが来ると思うんですよ。
実際僕はそこに立ちかかりつつあるんですけど、
そうなったら自分のことだけを一生懸命やっていたらダメなんですよね。
そうなった時に初めて自分のことにはある程度時間で区切りをつけて、
周りのために何かをしないと後輩の面倒を見たり、
あと家族なんか思ってもそうかもしれませんね。
自分のことはそこそこにしておいて子供の面倒を見たり、
宿題を見てあげたり、あと習い事をやってたらそっちにアドバイスをしてあげたりとか、
自分のことはもう実際どうでもよくて、
子供のことにもっと時間を割きたいってなったら、
時間のやりくりをもっと上手にならなきゃいけない。
要はずっと僕が課題として抱えているタイムマネジメントを、
ちゃんと改善していかなきゃいけないってことになるんで、
そうなったら自分の苦手とするそっちにも一歩踏み出していかなきゃならないってことになるんで、
得意な方ばっかり進んでいても、
いずれ苦手なところにもメスを入れなきゃいけないってことになるんで、
どの道そっちになるんだったら、それなりに結果を残した後でも十分間に合うし、
そっちの方が効率いいかなって思ったりします。
そうは言っても自分の得意なものが何かわからない、
長所が何かわからないっていうケースも多々あるとは思うんですよね。
なのでそういう場合はまず数打ち当たる方式で、
いろいろ試してみるしかないのかなって思ったりしますね。
僕は金融系には行かずに済みましたけど、
たまたま行かないでそういう人生を歩むことができましたけど、
そっち行ったら多分挫折してたと思うし、
挫折したらさっさと別な分野とか別な職種、業種に行ってチャレンジしてみる。
そしたらいずれどこかで自分の才能が発揮できるところがあるんじゃないかなと思うし、
いい巡り合わせがあったらお前はこっちの方がいいよってアドバイスくれる年長者がいるかも、
出会うことができるかもしれませんね。
とにかく経験してみるしかない。
バットを振ってみたら意外といいスイングするんでしょうっていきなり言われるかもしれませんよね。
そしたら才能あるかもしれないって言って野球の道に行くかもしれないし、
たまたまサッカーボールが落ちていてリフティングしてみたら、
あれ意外とセンスあるかもって周りの人に言われるかもしれないし、
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自分自身でもサッカーはいいかもって思ったりするかもしれませんね。
なのでとりあえず試してみるしかないっていうのが結論ですねここで言うと。
僕はサッカーとかバレーボールとかバスケとかこの辺は得意なんですけど、
テニスとか野球とか苦手なんですよ。
そこで気づいたのは道具を使う球技が苦手。
手足で直接球に触れる球技は得意なんですけど、
バットとかラケットとかこういうのを使う球技は極端に下手くそっていうのがね、
僕の経験的に共通項として見出すことができました。
これはいろんなスポーツをやったから初めて分かった共通項であり、
やらなかったら分からないですね。
卓球とかもひどいですね。
バスケとかサッカーとかあんなに激しく走り回ったりすごい体力使うスポーツは大好きなのに、
卓球はね全然下手くそですね。
テニスも打ったら全部ホームラインになっちゃって全然できませんでした。
なので経験したからこそ分かるっていうのがありますね。
とにかくいろいろ試してみるしかないっていうのが僕の中での結論です。
ダメだったら苦手だと思ったらそれをやる必要はない。
まずは得意なところから攻めてみよう。
攻めてみたらそっちから活躍することができるだろうし、
サッカーが得意だったとしてサッカーの分野に注力したとしてもいずれどっかに壁にぶち当たると思うんで、
そしたら初めて苦手なことにも挑戦していかなきゃないっていうのが分かると思いますね。
サッカーばっかりやっていてもね、いずれサッカーは一人じゃできないからコミュニケーション取らなきゃない。
うわ、いよいよコミュニケーション磨かなきゃないかなっていう風に思う場面も出てくるかもしれないし、
もし海外に挑戦するようになったら、うわ苦手だった英語を磨かなきゃいけないっていう風になるかもしれません。
いよいよそのタイミングになったら結構できるもんなんですよね。
最初からコミュニケーション英語をやろうと思ったら腰上がんないんですけど、
何かを別なルートから挑戦したときにはそっちに腹割って、腹割ってじゃない、
もう何でしょう、背に腹はかえられないからそっちに腰を据えて注力できるっていう、
そういう風に考えることが結構できるんですよね。
その頃にはメンタルもそれなりに成長していたりすることが多いと思うんで、
いきなり英語とかコミュニケーションっていうよりかは別なルートを取っていったほうが
そっちにすんなり入れたりするっていうことも結構あります。
これもある意味先送りしたからこそのたまものっていうかね、
そういう戦略もありかなという風には思います。
長い目で見たときに、ロングゲームの感覚で長い目で見たときに
こういう戦略を取るのもありかなとは思います。
ということで、苦手なことを克服するのっていうのはかなりコスパが悪いと思うんで、
得意なことを伸ばしたほうが圧倒的に自分も嬉しいし周りにも喜ばれるんで、
こっちの方法でこっちのパターンから攻めていったほうが
圧倒的に幸せな人生を送れるんじゃないかなと思います。
そんな考え方もあるよということで受け止めてくれればありがたいです。
もし参考になった方がいましたら、いいねボタンやコメントいただけると嬉しいです。
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ではまた。