うつ病とADHDの診断
おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、営業職としてどのように働いているかを発信しています。
はい、今日のテーマはですね、ちょっと生々しい感じですね。
僕をうつ病、そしてADHDということに、それが診断されるということに落とし目立つわけじゃないですけどね、もともとADHDだったんで。
ただ、うつ病になったのは完全にこれの理由かなというふうに思っているんですけど、
ある上司の必要な指摘、ダメ出しのおかげで、僕は精神科送りになったわけですが、
その上司が僕よりも先に会社を去りましたという話ですね。
これがドラマだったら、なかなかに面白い展開じゃないかなというふうに思うんですけど。
まあ、表現方法によってはね、うつでADHDだと発覚した、どん底を味わった営業マンの逆襲物語かもしれませんね。
だけどね、本当にこの診断、ダブルでADHDとうつのダブル診断を受けたときは、僕にとって間違いなくどん底でしたね。
頭は回らないし、自分の存在価値がわからないし、むしろいなくていいんじゃないかというふうに感じていましたね。
この会社でやっていかないとかいうレベルではなくて、この程度の人間であればポンコツすぎて、無能すぎて、
どこの会社に行ったって同じじゃないかとかね、こんな奴生きてる価値がないんじゃないかというふうに自分自身でも思っていたんで、
退職するとか仕事辞めたいとかそういう話じゃなかったんですよね。
生きてる価値がないんじゃないかというふうに思っていたんで、本当にこれは末期症状ですよね。
命を断とうとまでは思いませんでしたけど、こうやって命を断っていくんだなというふうに自殺する人の気持ちが分かったような気がしました。
簡単に分かってくれるんじゃねえというふうに思われたら、そこはすいませんという感じなんですけど、分かったような気になったという感じですね。
ちょっと表現方法が難しいですけど。
どうしてそういうふうになったかというのを具体的に僕の経験談から話していこうというのが今回の配信の内容ですね。
はい。
ちょっと具体的すぎて抽象度が低いんで、あくまで一つの事例だと思って聞いてもらえたらいいかなと思うんですが、
僕自身は本当にケアレスミスがもともと多い人間で、一つのことに集中したらそれは結構な熱量でやっていけるんですけど、
あれとこれをうまくやってくれって言われたらうまく回んないっていうね、特にマルチタスクができないっていうやつですね。
こういう性質を持った人間なので、営業職として今の仕事を一生懸命やっている分にはそれなりにいい成績が出ていたんですが、
他の業務を駆け持ちしろと言われた瞬間にそれがうまく回らなくなり、自分の仕事を本来持っていた営業という一番注力しなければならない仕事にも支障が出て、
ケアレスミスが激増するっていうね、そういう負のスパイラルに突入したのが大体3年ぐらい前ですね。
で、なんでこんなにミスばっかりしてしまうんだと、普通こんなことにはならないよなという感じで自分自身でも疑問というか悩みに感じていたんですが、
まあそれでもチェックをするとかね、確認作業をするとか、あとはもう丁寧に丁寧に仕事をしていくしかないだろうなと思って、
もうミスをしないことに全力投球をしました。そこに全てを捧げました。ところが全く減りませんでした。
減らないどころか自分のゆっくり仕事を進めるんで業務のスピードが劇的に落ちました。
仕事のスピードが落ちるっていうことは駆け持ちしている業務にこれまた支障が及ぶんですね。
あれとこれをうまく進めていかなきゃない、さばいていかなきゃないっていうそういう状況なのにゆっくり進めるもんだから全然回らないんですね。
回らない上に結局ミスは減らないから自分でリカバリに走らなきゃいけない。
そうすると本来進められるはずだった、クリアできるはずだったタスクまで時間が減らないっていうふうになるんですね。
そうなるとですよ、全然仕事は進んでいない、全く正確性の乏しい、全く正確性のない仕事がアウトプットされるっていうことで、
その確認をする上司にとっては激よくオープンブンバルですね。ブチ切れ対象ですよね。
要所要所でダメ出しを受けるわけです。
上司からの厳しい指摘と環境変化
僕はそのために反省をしてチェックリストを作ったり、その時に間違ったことをミスをメモったりして反省をしていたんですが、
どうにもそれが解決されないんですね。解決されないどころがどんどんどんどんエスカレートしていく。
そういう状況の中で上司の怒りはさらに高まっていって、毎日毎日別室に呼び出され、どうなっているんだと、
どういうことをやったらこうなるんだと、それを一個一個説明しているんですが、
要するに相手の言いたいことは僕の意識の低さ、注意力の無さ、ここに原因があると思っているので、
僕は一生懸命やっているんですが、それが全く反映されない。
仕事の品質に反映されず、全く変わらないから、結局僕の意識が低いだけだろうというふうに平行線を辿るわけですね。
僕は一生懸命ミスの減る作業方法とか、得意の本から学んで実践していくんですが、
ケアレスミスの減らし方とか、そういうのをいろいろ学んで、メモを実践したりとか、タツク管理とか、
そういうのをいろいろ実践してやっていくんですが、どれをやっても全く減らないんですね、ミスが。
ミスが減らないどころか増え続ける一方で、だんだん本から学んでっていう本を読んでも全く頭に入ってこなくなったんですね。
何て言うんですかね、何度もこの例えをしてるんですけど、パソコンでいろんなアプリを開きまくった状態っていう、
音楽かけながら、YouTube動画見ながら、他のExcelとかブラウザとか動かしたら、もっさりしますよね。
そういう状況で自分の頭が全然回らなくなっちゃったんですよね。
これ頭フリーズしたと思って、やばい、何を聞いても何を見ても全然頭入ってこないし、全然何も進まない。
極論着替えをどうやっていいか分かんなくなって、靴下の履き方分かんないとか、靴の履き方分かんないとか、そういう感じになっちゃったんですよね。
これがいわゆる鬱病ってやつですね、本当に頭が回らないっていう、そういう状態になって、
メンタルクリニックならぬ診療内科、精神科に行ったわけです。
助けを求めての配置転換
そこで鬱病とADHDですという診断を受けたんですが、それをそのまんま自分の上司に伝えました。
そうすると何となく伝わった気はしたんです、僕自身はね。伝わった気はしたんですけど、どうやら伝わってなかったようですね。
そういうものがあるっていうのは分かったと思ってはいるんですが、結局僕の仕事の品質はもちろん上がるわけもなく、休めても言われるわけもなく、
僕が休みたくないって言ったのもあるんですけど、その流れでずっと仕事をしていたら、結局密を発見して僕に指摘するっていうそのルーティンというか、
その流れは変わらなかったんで、全然仕事が回っていなくて、ケアレスミスが多くて、でもこれがADHDで、
だから許してくださいってわけじゃないんですけど、そういうのが苦手なんで、そういうのが多くなります、多いですって言ったんですけど、
それからもひたすら怒られ続けたんですね。何なんだこれはと思いながら。
うつ病の抗うつ剤とかを飲んだりして、ちょっとずつ元気になったりしたんですけど、指摘されたりダメだりされたら、結局また鬱がドーンとくるわけですね。
だから薬を飲んでは欲打つ状態になり、薬を増やしてもらってはまた指摘されて欲打つ状態になり、どんどんどんどん薬付けになっていくような状態になってしまい、
それで僕はヘルプを、助けを求めたんですね。ちょっと配置転換してくれと。この人の元では僕は死んでしまうということで、
今ちょっと反笑いで言ってますけど、その当時はもう切実でしたね。もう涙目になってました。
配置転換を願い出て、その上司の元を離れるということで、そこでちょっとリフレッシュはできないですけどね、
ちょっとそういう厳しい指摘からは逃れることができて、徐々に活動のペースを落として、メンタル面が持ち直してからは、
ちょっとずつ今度また、V字回復まではいかないですけど、元気になってきて音声配信が今できるようになっているというようなストーリーがありました。
ちょっと長くなったんですけど、その過程でですね、僕はこういうふうに言われたらメンタルがやられるなとか、こういうされ方をしたら激しく落ち込むなとか、
っていうのをもうこれは嫌というほど空間したんで、多分最近の若い人はというと語弊があるかもしれませんが、
昔の昭和のやり方をされるともう耐えられないと思うんですよね。僕もそのうちの一人かもしれません。30代ですけど。
なので、自分が言われる、こうやってされて辛かったっていうのが身に染みて分かったんで、それを繰り返してはいけないなっていうのを、
僕が一番、この転んでは立ててはいけないじゃないですけど、繰り返してはいけないというふうに思って、
上司の有能さと自分たちの苦手なこと
それをこれからの後輩指導とか将来の部下育成で活かしていこうというふうに決意していました。
だから自分自身が後輩に対してアドバイスをするとか、うまく引っ張り上げたいなっていうふうに思った時には、それを活かして今はやっています。
ところが、その上司は、僕を精神科おくりにした上司は、それができないんです。
できないというか、やろうとしないというか、要は彼は比較的有能というかね、仕事をテキパキこなすタイプですね。
性格性がすごく高かったり、マニュアルの内容をマニュアル通りにこなせる人だったんです。ミスはすごく少ない人ですね。
なので、僕らADHDとかちょっと苦手が、極端な苦手がある。
普通の人はうまくできるけど、僕らはできないっていう、この感覚がどうしても分からなかったと思うんですね。
しかも、部下のできなかったことを指摘して治させるっていう、そのスタイルを今まで取ってきた人間なんで、
どうしても治らない人間がいると、もう切れるしかなかったんです。できることが。
なんで伝わらないんだってね。
怒る気持ちも分かりますけどね、何回言ってもこいつは治んで、そうなったらだんだん怒ってきますよね。
ストレスはありますよね。それも分からんではないですけど、結局そのスタイルしか彼にはなかったんです。
そうなると、僕もそうですけど、僕だけじゃなかったんです。その人の元を離れたかったのは。
ってなったら、だんだん自分の元から若い人が離れていくわけですね。
そして自分の部下が一人二人と減っていき、直属の部下じゃないにしても、
彼の周りからは基本的に若い人がどんどん添えになっていきました。
そうすると、さすがのその上司もね、なんかおかしいって感じますよね。
なんかおかしいっていうか、やりづらくなりますよね。
厳しく言ったら落ち込まれるっていうか、自分の元から離れられるし、
言わなかったら言わないで自分の上司としての存在価値が分かんなくなりますよね。
っていう感じで、おそらくその人は非常に非常に今の職場での仕事が
やりにくくなってきたんじゃないかなっていう風に僕は捉えてます。
これはあくまでも僕の主観で、本人が本当にそう思ってたかどうかは知りませんが、
そういう風に見て捉えていました、僕としては。
そして僕自身はもう本当にその人との会話を絶っていましたね。
やむを得ず話さなければならないことがあったらしょうがなく話しますが、
上司の指摘と部下の離れ行く
基本的にはもう無視していました。
もし万が一関わって、また僕のメンタルがやられたら、せっかくここまで回復したのに、
また1からの出直しになってしまう。ここまで回復したのに、
またあのどん底状態になってしまうっていう風になるのが恐怖でしかなかったので、
基本的にはもう完全シャットアウトですね。
僕はそこまで極端な対応を取りましたが、周りの人はちゃんとね、
周りの若い人たちは偉いですよ、ちゃんとやり取りしてたから。
僕よりも偉いですね。
だけど基本的には触れないようにしていたのではなかろうかと僕は感じてます。
自分から積極的に話しかけに行くとか、雑談しに行くっていうのはなかったように感じてます。
もちろんその上司と相性の良い若い人もいました。
そういう人は大体仕事のできる人です。
その上司の言った指示が的確に伝わって、的確に仕事をこなせる。
だからそれに対して何かこうね、万が一ダメ出しをしたとしてもすぐ改善できる。
要は優秀な社員は彼の元にいると思いますね。
居続けられると思います。
優秀と優秀は多分相性がいいんだろうなと僕は感じました。
だけど世の中そういう人ばっかりじゃないですから。
むしろそんな優秀な人ばっかりだったらもっと会社ってうまく回りますよね。
基本的には凸凹がみんなそれぞれあって、うまくいくところもあればうまくいけないところもある。
そういう人たちをうまくマネジメントしていかないと組織は成り立たないんですけど、
その上司にはその能力はおそらくなかったんだろうなと僕は感じてます。
だから僕自身はそういう能力を身につけたいと。
できない人でも今できないだけでうまくアドバイスしたり助言をしたりしたら
引っ張り上げることができるんじゃないかと。
残った自分と上司の退社
僕自身がそうだったからうまくどうやったらできるのかなとか一緒に考えてあげたら
別にメンタルズタボロにしなくてもその人のやる気を起こしてあげて
すごくできるようにならなくてもいいですよ。
それなりにできるっていう人たちが揃ってくれたらそれで会社って回るんで
あとは自分の得意なところを頑張ってくれればうまくいきますよね。
チームとか運営ってスポーツチームとかもそうだと思うんですけどね。
僕は自分自身が味わった苦痛からそういうことを学んで
こういう人間になってはいけない、こういう風にならないと若い人はついてこない。
自分がついていけなかったように多分自分より下の人もそうであろうという風に捉えて
指導方法とか、指導っていうのはあまり好きな言葉じゃないんですけどね。
どっちかというとコーチングの方が好きなんですよね。
うまくアドバイスする、助言するっていう方が好きなんで
そういうようなスタイルで工夫してきました。
そういう風に工夫してきた僕と全くダメ出ししかできないその上司とでは
絶対に差が生まれるはずだと思っていたところ
まさにその状態になったように僕は感じています。
その結果僕は今もこの会社にいます。
同じ会社にいます。
全然まだ鬱が治ってないし活動量も増えずに
パフォーマンスは本来のものとはかけ離れたまんまですが
それでもただ一営業としての成績はだいぶ復活してきました。
だから会社としてはおそらく僕がいることの意味はあるんだろうなという風に
自分自身をちょっと評価高すぎるかもしれませんけど
そういう風に僕は捉えているんですね。
ただその上司は僕よりも先に去りました会社を。
つまり自分とうまくやり取りできる若い人がいなくなったんですねほとんど。
8割がこの人とはやり取りできないっていう
そういう社員ばっかり。
その人より上の人はもちろんいいですよ。
さらに上の上司からしたらテキパキ仕事をこなせて
うまく営業力もあって
仕事を見通せる。
できる人ですからね。
普通に考えたら。
そういう人がいてくれた方が絶対に上の人は喜ぶと思うんですけど
下の人はそれでもやっていけないっていうね
そういう状態になってしまったんで
会社を去ったんじゃないかなという風に思います。
結果そういうことですよ。
僕は生き残った。
彼はいなくなった。
そういう話です。
僕の幸せだったところ、ラッキーだったところは
うつになってうまく仕事ができなくなった時
できなくなった時っていうのがおよそ10年ぐらい
社歴10年ぐらいの時だったんですよ。
なので僕が感謝しているのは
社歴の浅かった時に
僕のケアレスミスが本当にひどかったんですけど
それでも営業としては頑張ってたんで
ケアレスミスはひどいけど
頑張って売ってきてるなっていうのを評価してくれた当時の上司。
当時の上司は僕のケアレスミスを
違いますよひたすら訂正と差し戻しを
鬼のようにしてくれました。
ただそれ以上のことはしませんでした。
だから僕はすごいミスばっかりでしたが
一生懸命営業に天然することができて
営業成績はどんどん上がりました。
今となってはもうそこに感謝しかないですね。
その状態でうまくやってこれたからこそ
僕は営業成績がどんどん高くなっていって
社内でも上位だったんですね。
その状態でうつになりました。
ADHDだったらわかりました。
っていう状態で僕がもうひどい状態だった時に
別な上司に、さらに上の上司に相談した時
これだけ営業成績の上にいる
上から数えた方が早いやつがこんな状態になっていると
言ったらそいつの説得力はそこそこありますよねきっとね。
これがもし新人で1年目とか2年目とか
そんな人のペーペーの助けを求める発信だったら
あまり重要視してくれなかったんじゃないかな
っていう風に感じるんですね。
それこそ自分で言うのはちょっとおこがましいですけど
僕の年間の売上高って億単位だったんで
そんな営業マンがいなくなられたら
多分困るんですよ会社としては。
だからどうでもいいからもうちょっと
せめて代わりが来るまでは
いてもらえないとどうにも会社の経営が
うまくいかなくなってますよね。
会社での生き残り
なのでそんなやつのコメントは
おそらく魂の叫びは聞いてくれるはずであろうと
そういう状況でした。
だから僕は今の会社で生き残ってこれた。
そんなどん底になってでも
這いつくばってこれたっていうのは
僕自身が粘ったのもありますけど
会社も尊重してくれたんじゃないかなっていう風に
今は捉えてますね。
ということで僕が本当に自分の人生を振り返って
よかったなと思っているのは
ガムシャラに最初の入社当時
もう動きまくった。
加集中をここぞとばかりに
当時はそんな意識なかったですけど
もう必死にそこばっかりに
全集中、加集中して
営業力を上げまくった。
その結果営業成績はついてきた。
売上がすごくね
僕が抱えている売上が大きくなったんで
今さらお前を辞めさせられないっていう状態まで
持ってこれたっていうのが
僕の唯一の救いだったんじゃないかなっていう風に
今は思うわけです。
成功と失敗の経験
ビジネスショーとかによく出てくる話ですが
やっぱり成功の法則って
努力かける運なんですよね。
努力だけしていても
周りの人間関係とか環境に恵まれないと
日の目を浴びない。
その努力っていうのも
自分と適正のいい努力じゃないと
結果に結びつかない。
僕であればケアリスミスを隔すっていう努力は
基本的に身を結ばないんですよ。
絶対に起きてしまうんで
少し発生を減らすことはできるかもしれませんが
そこにどれだけ努力したって
僕のいいところは生まれてこなかったんですね。
だからそこにある程度目をつぶって
許してくれて
むしろ得意なことは伸ばしてくれる。
そういう上司がいたからこそ
僕は今の仕事がうまくいくようになったわけで
それのおかげで生き残ることができたと。
おはや運でしかないですね。
たまたま僕の努力の仕方と
努力する対象は良かった。
人間関係も僕を救ってくれた。
それに尽きます。
だから本当に前回の配信でも
コメント返しの時にもお話したかもしれませんが
いろんなところでうまくいったら
一発で自分の人生が成功にいくかもしれないし
もしうまくいかなかったら
場所とか環境を変えてチャレンジしないと
チャンスを逃してしまうかもしれませんね。
自分がうまくいく環境って
考えてもほとんどわかんないんですよね。
若い頃には。
今だからこそ僕もこういうのが得意で
こういうのは苦手で
ここは手を出しちゃいけないっていうのが
ちょっとわかるようになりましたが
10年前は全然わかりませんでした。
ヘアリスミスもなんか多いなと思ってましたが
それは自分の意識の低さなのか
それともADHDだったからなのか
この辺は当時はADHDっていうのも知りませんでしたしね。
だからわかんないことだらけの中で挑戦して
成功するのか失敗するのか
それもわかんないわけなんで
うまくいったらその場に居続けるというか
その業界とかそのやり方でやればいいし
うまくいかなかったら
もう別なところにチャレンジし直した方がいいと思います。
すごく苦しい経験
もう二度と味わいたくない
そういう辛い時を過ごしましたが
まだ人生長いんで
あの時があったから今があるって思えるような
人生を送れるようにやっていきたいなと思います。
絶対にこの経験を生かします。
皆さんはどうしていきますか?
ADHDっていうのはなかなか生きづらいかなって思いますが
それでも僕らにしかできないことは必ずあると思うので
その辺を探していきましょう。
僕もまだまだ手探りです。
ではまた。