2025-10-21 10:58

理屈っぽい

あなたは理屈っぽい人ですか?それとも理屈っぽい人に辟易してますか?ということで理屈について話してます。


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サマリー

このエピソードでは、「理屈っぽい」というテーマを通じて、理屈を重視するコミュニケーションの影響や、「理屈っぽい」と発達障害が結びつくことについて考察しています。話者は、自身が理屈っぽいことを長所であると認識しており、他者とのコミュニケーションを円滑にする方法を提案しています。

理屈っぽさの理解
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、理屈っぽいという話をしていきます。
はい、理屈っぽいですね。
人とコミュニケーションをとる際に、理屈が先行するといいますか、
相手から何か言われた時に、反応として、ロジックで語るようなことがあったり、
あなたが自分から発言をする際にも、
これがこうだから、ああなって、それがそうだから、みたいな、
理屈っぽいと言うと、このようなイメージがありますよね。
人によっては、めんどくさいという印象を持ったり、
いちいち隅から隅まで指摘をしてきて、
なんだかこの人理屈っぽいなというような感想を持たれたり、
ですから、もし仮にあなた自身が、自分のことを理屈っぽいなというようなことを思う、
もしくは、理屈っぽいなと思う人に出会った場合に、
こういう考え方をすると、いいですよというようなことがあります。
まず、自分自身のことを理屈っぽいというふうに思う場合に、
これは理屈っぽいということを代表して言われると言っても過言ではないようなことがありますよね。
それは、理屈っぽいイコール発達障害という、そういう表現があります。
もしかしたら、あなたが自分のことを理屈っぽいと思っているのだとすれば、
発達障害だからしょうがないというふうに思ったり、
そういう診断を受けたことがあるから、自分は理屈っぽくてというようなことを思うかもしれないですけれども、
結論から言うと、それは違います。
何が違うかと言ったら、
仮に世間でいうところの発達障害であるというように言われたとしても、
決して障害などではないということです。
なぜなら、理屈を言えるという言葉ですよ。
頭の中で言葉を言語化できているわけですよ。
言いたいことを言える。
相手にどう受け取られようとも、受け取る側がどう思おうとも、
あなた自身は自分の伝えたいことを言葉にして伝えることができるわけです。
それを障害だ、なんだというような、一種の表明みたいなものですよね。
これをつけて、誰かが作った言葉なわけですよ。
その発達障害という言葉自体も。
この言葉自体はですね、80年くらい前、
1940年代にアメリカの精神科医の人が名付けた、というただそれだけのことなんです。
別にその人がどうこうということではなくて、
何かこう、医者であれば今まで見つかっていなかったことを発表する必要があったり、
もしくは誰もそのことに関してつけられなかった一種の表明をつけたり、
そうしたことは職業柄必然なわけですよ。
かつ、それで分類しやすくなるというか、
あなたはこれこれこうですから、こういう病気ですというふうに名前をつけるわけですね。
その理屈っぽいというのは発達障害というようなことが代表的に言われますけれども、
それはただ単にその人、もしくはその人の所属をしている業界、周辺が勝手に名付けただけなんですよ。
名前が先か、現象が先かということ、
鶏が先か卵が先かじゃないですけれども、
他のことにも言えることですが、
とりわけいわゆるマイナスの方向のイメージをつけるもの、
病気なんていうと大体そうですよね。
良くないことというようなイメージがあるじゃないですか。
病気、病名、そういうものをつけると。
ですからそうした理屈っぽいという言葉を聞く、
そう思われるということが良くないというふうに、
そういうイメージが先行しますけれども、
それは決してそんなことはなくて、
頭の回転が早いんですよ、理屈をこねられるということは。
発達障害との関連
自分の中で言語化できているわけですから、できない人もいるんですよ、中には。
別にそのできない人がダメとかそういうことではなくて、
ただ単にその理屈っぽいということは、
自分の伝えたい言葉を頭の中で言語化して、
それを理度整然と話すことができるということなんです。
これは別に発達障害でないですよね。
障害でもなんでもないです。
立派なコミュニケーションが取れる人じゃないですか。
全く自分自身を卑下することではないです。
むしろ長所であると言っても過言ではないですよ。
自分を責める材料に使わないでくださいということですね。
良いことなんですから。
ただ単に80年くらい前にアメリカの精神科医の人が、
この特徴がある人は発達障害ですねというふうに名付けただけです。
ただ単にそれだけのことです。
それを受け入れるか受け入れないかは、
あなた自身が決めることができるんですよ。
とある人がそういうことを言ってたんだな、
自分はそうは思わないけれども、
だって長所だからと言うんですね。
思うこともできるわけです。
これは決して開き直りでもなんでもなくて、
自分を鑑みてそれをどう捉えるか、
あなた自身がそれをどう捉えるかなんですよ。
他の誰が何を言ったかではなくて、
たとえ理屈っぽいということを言われたとしても、
自分は別にそうは思いませんけどねというふうに。
それを思うか思わないかは自由なわけです。
どちらがいいですかと言ったら、
理屈っぽいから自分も発達障害であって、
人とコミュニケーションを取ることが苦手ですというふうに、
相手に不快な思いをさせてしまいますというふうに思うのか、
いやそんなことはなくて、
自分の思っていることを言語化して相手に伝えることができるから、
むしろ自分自身では長所だと思っていますと思うのか、
後者の方を選んだ方がいいじゃないですか。
自分のためになりますよね。
まったく悪いことではないですということなんですね。
と、ここまで語ってきましたが、
とはいえ、理屈をこねたら、
相手に不快に思われているなということもある。
もしかしたらあるかもしれない。
であれば、その時にどうしたらいいのか。
これは相手に一旦待ってもらいましょうということですね。
今から発言するぞという言葉が頭の中にあるわけですよね。
それを相手に伝える前に、発言をする前に制御する。
一旦待ってもらうということをするわけです。
あなたが言ったことに対して、相手が反応してきました。
そのことに対してあなたも反論したい、反応したいと思います。
一旦待つんですねそこで。
ちょっと今頭の中で整理してますんで、
ちょっと待ってもらえますかというふうに伝えるわけですよ。
自分の頭の中で原稿化された言葉を、
思った通りに反射的に反応して話をするのではなくて、
一旦待つ。
それは自分も待つし、相手にも待ってもらう。
これを伝えるわけです。
これをすれば、理屈っぽい発言というものを制御することができるわけですよ。
コミュニケーションの工夫
本来はね、必要はないですけれども。
それはでも人間関係の中において、
受け取る相手からすると、この人はいつも何かしら、
隅々まで言葉にして伝えてくるなというふうに思われる。
そういうこともあるわけです。
であるから、思ったことをそのまま直接発言するのではなくて、
相手に一旦待ってもらうというような行為をする。
そうした提案、相手にお願いするわけですね。
一旦待ってくださいと。今考えますからと。
これから発言する内容を考えますからちょっと待ってくださいというふうに言うわけです。
これも伝えれば、相手は分かってくれます。
これは間を怖がらないというところにも通じますけれども、
思ったことをすぐ言葉にしなければいけないというようなことはないわけですよ、
コミュニケーションにおいて。
待ってほしければ待ってくださいというふうに伝えればいいんです。
大体の人はそれを分かってくれますから。
それは怖がらずに相手に言ってみるということですね。
というところで若干興奮気味に話をしてしまいましたが、
つまり何が言いたいのかというと、
理屈っぽい。
よくこれとイコールで結ばれがちなのが発達障害ということ。
これはもしかしたらあなたも聞いたことがあるかもしれません。
結論から言えば、そんなことはないということです。
頭の中で言語化できているからこそ、
理屈っぽいというようなことを思ったり思われたりするわけですね。
これが障害なわけがないじゃないですか。
何を言っているんだというふうに思うわけです。
この言葉を発明した人に対して何か言いたいということではなくて、
ただ単にこの言葉自体は昔に海外の精神科医の人が名付けただけであって、
ただそれだけの話なんですよ。
どこかの誰かが名付けた現象を、
自分自身のことを下げるために使わないでくださいということなんですね。
そんな必要は全くないわけです。
その名付けた人は名付けなければいけないような理由が何かしらあったとしても、
それはあなたには全く関係ないんですよ。
だから何ですかという話なんですね。
理屈をこねられるんだったら、
自分は頭の中で言語化できているから、
それはそれでいいじゃないかというふうに思って言うわけです。
開き直るのではなくて、
自分自身を肯定する材料として使ってくださいということですね。
ですから理屈っぽいというものは、
頭の中で話したい言葉を言語化できるように思っていいと思います。
とはいえ、理屈をこねたら相手にどう思われるかわからないというようなこともありますよね。
こうした特性がある人は、
自分の頭の中で話すぞという準備を言語化することによってしている、
それが済んだら一旦相手に待ってもらうということをしましょう。
ちょっと一回考えますので、
待ってくださいというふうに相手に伝えるということですね。
話せば相手もわかってくれます。
じゃあわかりました、待ちましょうというふうになってくれます。
その上で、この理屈を相手に直接伝えるのか、
もしくは伝えないのか、
どちらが適切なのかということを考えるということですね。
今回、受け取る側の話はしませんでしたね。
ちょっと熱が入りすぎて、
理屈っぽいイコール発達障害、
これに関しては非常に違和感を感じていますので、
そんなことはないというようなことを伝えたかったわけです。
もし仮にあなたがこのようなことを思ったことがあるのであれば、
決してそんなことはない。
もっと自信を持っていていいですというようなことを伝えたいです。
まとまっていない気がしますが、以上です。
ありがとうございました。
10:58

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