2025-12-04 09:38

病名は自己認知の道具

コミュニケーションのセンシティブ領域なので当事者であっても客観的に聞いてください。あと覚えたての編集機能を使ったらちょっと変な感じになりました。気付かないでください。


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サマリー

今回のエピソードでは、「病名は自己認知の道具」というテーマのもと、精神的な病名が自己理解の手助けであることについて語られています。病名は自己を閉じ込めるためではなく、状況を把握するための道具として捉えることの重要性が強調されています。

00:03
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
病名の意味と役割
ということで今回は、病名は自己認知の道具、という話をしていきます。
はい、病名は自己認知の道具、ですね。
病名なんていうと、何の話ですかと、コミュニケーションと何の関係があるんですかと、なりますよね。
ここでいう病名、病気の名前に関しては、本当の病気ではないという語弊があるんですけど、
手術が必要なものというか、何か薬によって治るものというか、そういうことではなくて、ある種の病名が付けられているようなもの、
対人恐怖症とか、自閉症スペクトラムとか、僧侶癖障害とか、鬱病とかもそうですね。
いわば精神的な病、精神疾患といいますか、そういうものですよね。
これがあることによって、対外的なアクションを起こしにくいというか、起こせない、コミュニケーションが取れないというようなこと。
専門家でない、私が言うような話ではないとは思うんですけれども、
こうした病名というものを、自分自身を閉じ込めるために使うのではなくて、
あくまで自分自身が今どういう状態にあるのかということを知るためのツールなんですよ。
もし仮にそうであるというようなことがある。
もしくは過去そうした診断というものを下されてきたというようなことがある。
それによって自分はそうだから、そういう病気だからダメなんだと。
そういうふうに使うのではなくて、ある種の自分自身を俯瞰でみるための道具。
ああなるほどと、自分は今そういう状態なんだと。
この病気というような名称で言われていることそのもの自体は、
先人たちが発見してきてくれた状態ですね。
人間のある状態を指してそのような名称をつけて、
もしくはつけざるを得なくて、つける必要があったから、
何かしらの理由によって新しい発見をしましたというようなね、そういうことも必要でしょうし。
自分たちの動機がそれだけではなくて、
善なる心からそうした人がいるということを知ってもらうために発見したことを発表して、
それが世間に広く認知されていて、
結果的にその対象の人に、ある意味でのあなたはこういう病気ですというふうに言ってあげる。
ですからその病気だから良いとか悪いじゃなくて、これはあくまで道具であると。
歯に絹を着せず言うと、
病気を盾にして自分の殻に閉じこもるのは賢明な判断ではないですということなんですね。
それは誰のためにもなっていない。
自己認知のための道具
その病気を発見した人もそれは望んではいない。
あなたは自分の殻に閉じこもってほしいからこういう病気なんですって言いますよと、
そういうふうに宣告する先生もおそらくいないでしょう。
受け止め方一つなんですね。
それをくだされた人の受け止め方一つ。
こうしたことを対外的にアピールすれば、
かわいそうだとか、大変ですねとか、大丈夫ですかとか、
そういうねぎらいの言葉、いたわる言葉をかけてくれる人はたくさんいるでしょうね。
そうした言葉をかけられて嬉しいですか、
その中には一定の哀れみも含まれていることに気づいてください。
優しい言葉をかけてくれる人はいくらでもいます。
それは私が言わずとも。
いくらあなた自身の状態を誰かに話したとしても、
その誰かからすればあなたのその状態は一言なんですよ。
本当の意味でわかってくれる人は自分しかいないんですよ。
そしてそれをわかる材料はもうすでに手にしているわけです。
病名という名の道具はもう手にあるんですよ。
それを自分で認知することができれば、
自分がどういう状態に置かれているのか、
どういう状況なのかということが、
自分の視点から自分のことを理解できるようになる。
別に周囲に主張することが悪いということではなくて、
当然知ってもらった方が、
あなたに対する対応も病名に際した接し方になるでしょうし、
それによって幾分かの恩恵は受けられる。
とはいえその状態では何も変わらないんですね。
現実は変わらないわ。
これこれこういう病気なんですというようなことがずっと続いていくだけ。
厳しいことですけれども。
そんなことを言われてもしょうがないというのはわかりますよ。
それはそうですよね。
これは自分から対外的に言える分にはまだ行ききっていないというようなことの裏返しでもありますので、
それはそれでいいというのもいいんですけれども、
言える分にはまだいいんですけれども。
さらにその先に行ききってしまうと、
誰かに話すこともしない。
自分の状態にも諦めて、
そのままフェードアウト、
なんていうことにもなりかねないわけです。
当然私とあなたでは環境が違いますから、
私があなたの気持ちを100%理解するということはできません。
ですからこんなことを言っても何の足しにもなりませんが、
私自身もかつてうつ病でしたから、
私の場合のうつ病は人為的なうつ病というようなことではあるんですけれども、
それはそれでも、
全く同じ病気でないにしろ、
人とコミュニケーションを取れなくなるというようなこと、
そういう状態に陥ったことがある身としては、
こんなことを言われても何の策にもなっていないと、
だから何ですかと言いたいことだけ好き放題言って、
何の責任もないのに、
言い込み分ですねと、
あしらわれてもそれは仕方のないことかなとは思いますが、
誰も言ってくれないのであれば、
それは誰かが言うしかないでしょうと。
この病気というものを、
病名というものを縦にして塞ぎ込んでいても、
コミュニケーションというものは何も上達しない。
あしらわれていても何も変わりませんから、
仮に何かしら思い当たる節があれば、
そういう意見もあるんだなぐらいに聞いておいていただけるといいかなと。
つまり何が言いたいのかというと、
病名は自己認知の道具。
コミュニケーションの重要性
これは肉体的な、身体的な手術が必要な病気とかそういうことではなくて、
何かしらコミュニケーション、人間関係、
そういうことにまつわるような、
そうした精神的な病名という、
病気の名前というように先人の人がつけてくれたもの、
発見してくれた人間の状態、
これを何かしらで心当たりがある、
言われたことがある、
そういう場合において、
あくまで自分を知るための道具であって、
自分を塞ぎ込ませるためのものではないということですね。
捉えようによっては自分の状態をすでに説明してくれている単語があるんだと。
この単語一つ、病名、病気の名前一つからいろいろな情報がある。
つまりそれは今の自分の状態なんだということを理解できる手助けになっているわけですから、
ある意味でよかったですよね、知れて。
そして見つけておいてくれてありがたいですよね。
であればそれを存分に活用しましょうということですよ。
自身が今どういう状況にあるのかということを知れる絶好の機会ですから、
これを使わない手はないですね。
それでいてこれに関して優しい言葉をかけてくれる人はいくらでもいるでしょうから、
いわば還元と言ってもいいんじゃないかなと思います。
そうしたものにすがりついていても何もないですから、
現状変わらないですからね。
他人に主張できるうちはまだいいですけれども、
主張できなくなってからでは這い上がることが困難ですね。
余計時間がかかりますね。
これによって何かを変えましょうとか、
現状をアクティブにいきましょうとか、
別にそういうことを推奨しているわけでもないです。
ただね、とつとつと話し始めてしまいましたが、
これも一つコミュニケーションの一環ということで、
あとは何ですかね、あなたがそうでなかったとしても、
仮にそういう人がいたとするならば、
こういう考え方があるみたいですよというよりね、
私のこの話自体を材料に使ってもらっても、
使っていただけるようだったらいいんじゃないかなと思います。
最後に念のためですが、決して非難しているわけではないですからね。
その状態になるまでにいろいろあったでしょうから、
そこを私がとやかく言う筋でもないですから。
ありがとうございました。
09:38

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