飢えない時代の意義
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、飢えない時代という話をしていきます。
飢えない時代、ですね。
これは、また違った角度から考えてみましょうというようなことなんですけれども、
コミュニケーション、人間関係。日常、人と関わっていく中で、
辛いな、しんどいな、面倒だな、
こうしたね、どちらかといえば、ネガティブな思考が湧いた時に、
当然、その問題に正面から向き合って解決をしていこうと、
どうこうしようというようなことで、コミュニケーション技術があるんですけれども、
とはいえ、それでは、今現状、動きませんと。
ちょっとね、どうしたらいいかわからないというようなこともあります。
仮に、今、抱えている何か問題というか、そうしたものがね、
どうにもならないと思って、ずっと心の内に、おあたかまりが溜まっているというようなことが、
もしあるのであれば、それは視点を移して、
違った角度から心を沈めてみましょうというようなことなんですね。
ここでテーマの、飢えない時代というようなことなんですが、
今ほど、飢えることのない時代というものは、歴史的に見てもないじゃないですか。
どこの地域に住んでいるかというようなこともあると思いますが、
とりわけ日本では、大人が飢え死にするというようなことって、ほとんどないと思うんですよ。
数えるぐらいの件数ちらほら、そういうことがね、メディアに上がってくるようなこともありますが、
基本的には、飢えることがない。
人間、ご飯さえあれば、生きていけますよね。
食べるものがある。飲むものがある。
飯さえ食えれば、日々の悩みなんてどうってことはないということなんですよ。
人は集団の生き物でもありますから、人と人との関わりがないと、心の安定が保てないというような、
そういう傾向にありますけれども、とは言っても、
仮にずっと孤独で一人でいたとしても、ご飯食べていれば、死ぬことはないわけですね。
ですから、何かコミュニケーションで行き詰まっていることが仮にあったとして、
その問題に正面から向き合うのではなくて、あえて全く関係のなさそうなところから考えてみる。
例えばね、日常生活していく中で、あの人が嫌だ、あの上司が嫌だ、部下が嫌だ、同僚が嫌だ、
親が嫌だ、子供が嫌だ、
近所の人が嫌だというんですね。もう上げたらキリがない。
誰かと接触して、それを嫌だなぁと思うようなことがもしあって、
そしてその行動というか、原因の一端が相手にあるとするならば、
相手にあると思ってしまうのであれば、それは相手が、相手の行動をどうこうするということは、あなたにはできないことですから、
自分で解決できない問題に対して、正面からあえて向き合おうとせずに、
なんやかんやあったけれども、まあ今日も飯が食えるから、いいかな。
こういうね、発想を取り入れてみるというようなことなんですね。
ストレスの解消法
まあ誰にでもあるじゃないですか。
まあ嫌だと思うようなことはあると思うんですよ。
それはゆっくりかですね、その嫌というような、まあ普通で考えたら、
世間一般的に考えたらそれはおそらく嫌なことでしょうというようなことであっても、
むしろそうした出来事が起きてくれてよかったというように思考の転換をして、
もう最終的に自分が生活していく中で嫌なことは何一つないですというようなね、
まあそういう状態になっていけるとよりいいんですけれども、
そうなれる人は私も含めて多くはないわけですよ。
日常生活していれば嫌なことの一つや二つあると、
それをずっと抱えてしまうということ、かつ自分自身が動いたところでどうにもならないということ、
これにいくら向き合っていようとも、頭の中からその考え方を抜かない限りは、
もしくはなくならない限りは、ずっとそのまま溜まっていくというようなことですよね。
そして溜まっていったものが俗に言うストレスというようなものになっていくわけですよね。
このストレスを溜めたくて溜めてますというような人はいませんよね。
なければないほどいいじゃないですか。
今何か直面している問題、そのこと自体に向き合ったとしても、
自体は動かないとなった時に、あなた自身の心のありようというもの、考え方思考というもので、
どんなことがあろうとも、いろいろ大変なことがあって、
ちょっともんもんとしているけど、ご飯食べれるからと、
視点を完全に移すんです。そのことに向き合わない、あえて向き合わない。
ことによっては逃げるというような表現をするようなことはありますけれども、
別に逃げてもいいわけですよ。逃げるが勝ちなんていうことも言うじゃないですか。
ですから何か嫌なことがありましたというようなことがあったら、
それは次の食事のことを考えましょうということです。
飽飲飽食は、個人的には別に構わないと思っているんですけど、
食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、それで生きていったほうがいいと思っているので、
個人的には別に構わないと思うんですけれども、あまり良くないということも言いますので、
飽飲飽食というよりかは、何か嫌なことがあったときに、
いやまあいいやと、この後今日何食べようかなというふうに考えるのも一つ。
コミュニケーションの視点を移して、そのこと自体から一旦離れて考えてみるというような、
そういうことをしてみてもいいんじゃないでしょうか。
つまり何が言いたいのかというと、
飢えない時代、これはコミュニケーション、人間関係で、
辛い、しんどい、面倒だ、嫌だ、こういうふうに思ったときに、
そのこと自体に直接向き合うのではなくて、あえて逸らす、言ったら逃げる、
それは視点を移して、違った角度からあなた自身の心を静めてみましょうというようなことで、
人間、ご飯さえあれば生きていける。
今ほど飢えることがない時代というものはないわけですから。
どうにかこうにか食事にありつこうと思ったら、
食事はご飯というか食材というか食べ物はあるわけですよ。
別にそれがおいしいとかおいしくないとかも関係なしに。
ご飯さえ食べられれば、日々の悩みなんてどうってことはないと。
なんやかんやあったとしても、ご飯食べれるからいいやというふうにですね。
ある種楽観的ですけれども、一時的にはこういう発想をしてみてもいいですよね。
時には今の問題というか、起こった出来事を正面から見据えずに、
全く関係のない角度から見てみると、また新たな発想が生まれてくるんじゃないでしょうかというようなことですね。
ありがとうございました。