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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。 ということで今回は、
私はそうは思わない、というテーマで話をしていきます。
私はそうは思わない、ですね。
人それぞれ違う価値観が、私には私の、あなたにはあなたの、それぞれ別の価値観がある上で、
誰かに言われたことであっても、あなたがそうは思わないと思うのであれば、それはそうは思わないということでいいんですよ、と
いうようなね、ことですね。
誰かが言ったことに対してそうしなければいけないんだとか、
それが絶対に正しいんだとか、 そのようにね、
感じて、 自分を見失ってしまうというような、
あるかと思います。 特に現代だと、
情報が反感してますから、 ありとあらゆるところに情報があって、
街の至るところにおいても、 誰かの意図が反映されているような、
これは良いとか悪いとかではなく、 洗脳というね、
ものが、 至るところに溢れているわけです。
良いと思うものには洗脳されればいいし、そうではないと思うものであれば、洗脳を退ければいいんですけれども、
まあそう、うまいこといかないから洗脳というわけであって、 この私はそうは思わないというような考え方を持っておくと、
誰かに流されたり、 何かを盲目的に信じたり、
自分自身を見失うことが少なくなるかと思います。 つまりそれは自分の人生を生きるというようなことにも繋がっていくわけで、
とりわけ日本人は嫌なものを嫌と言えない。 当然私もね日本人なんですけれども、嫌だと思ったことを嫌だと言えない、言わない。
良い意味でも悪い意味でも協調性のある世界の中で育ってきた人がほとんどだと思います。
あなたがそれで良いと思うのであれば、それはそれで良いと思います。
ただそうは思わないと思うのであれば、そうは思わないと思えば良いと思います。
こうしたですね、人それぞれ違う価値観があるというようなことを認識をして、私は私であなたはあなた。
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誰かが合ってる、誰かが間違ってる、そうしたこともないわけです。 それを言う人からすると、それは正しいことだと、自分が良いことだと思ってるから言ったり
するわけですよね。 同様にダメだと思うこともその個人が
ダメだと思うから、悪いと思うから言う。 この背景には
その言葉だけを切り取る以前に、そうした発言、発信、情報、そうしたものが出てくる以前に
過ごしてきた時間があるわけです。 その中から
知ってか知らずか、意識をしているのかしていないのか、 その人独自の価値観というものが形成をされているわけです。
仮にあなたと全く真逆の意見を言う人がいたとして、 あなたはそれを間違ってると思うかもしれませんが、
相手からすると、それは合っているというようなことにもなりますよね。 それを合っているか合ってないのか、良いのか悪いのか
そのことを誰かが判断をするようなことではないということです。
あなたがそう思えば思えばいいし、そう思わないのであればそう思わなければいい。 ただそれだけのことなんです。
人と関わっていく中で、人間関係を営んでいく中で、 悩んだり葛藤をしたりすること
当然誰にでもあるかと思います。 ただこうしたことの原因の根本が他の人から何かを言われて、
他の人から同行されて、 そうしたところにあると思うのは
それは葛藤が違いますよというようなことでもあります。 それは相手が言ったことは相手の価値観であって、あなたの価値観とは違うわけですから、
当然自分が思っていることと違うことを言われれば、それに関して悩んだりすることはあるかと思います。
ただそれが必ずしもあなたが受け入れなければいけないことではないかもしれませんし、
それとは逆に受け入れた方が良いことなのかもしれません。
今あなたの人生を歩んでいるのはあなただけなので、
この最終的な判断を下すのは、あなた自身のことに関してはあなた自身が決めること。
というよりかは決めていいのはあなた自身だけなんですね。
つまり人それぞれ違う価値観があるので、
誰かにあなたの意見を押し付けない。
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同様に誰かが言ったことを受け入れるか入れないかはあなたが決める。
そのことで、より自分の人生を生きているというような時間を得ることが可能となっていきます。
その上で、仮に自分の価値観を相手に共有をしたいという場合、
押し付けたり強制をするということではなく、
あなたが良いと思っていることを相手にも共有をしたい場合ですね。
これは促すということをするといいと思います。
まさに今私が話をしているようなこと、今に限らず私の口から出る言葉、
私から出るものというものは、それは私の価値観があってそうした発言をしているわけです。
これを受け入れるのか受け入れないのかを決めるのは当然あなたにその権利がありますし、
あなたにしかその権利はないですし、それは私も理解はしています。
今回の話で話してきたようなことも含めて、
私自身はこれを良いことだと思っているから、こうしたことを知っているとより有意義な人生を過ごせるんじゃないでしょうかというようなことを思っているわけですから、
たった一度の人生でコミュニケーション、すべてを包括したものですね。
人間関係だとか、話すとか話さないとか、そういったすべてを包括した上でのコミュニケーションというもの、
こうしたもので人生をない場所にするのは非常にもったいない。
なぜならば他の技術と同じように、
コミュニケーションも技術であって、やれば必ず上達をするという、
そうしたことを自分の経験を通してわかっているので、
であればこうしたことをした方がいいんじゃないでしょうかというようなことを、私の価値観を良いと思って、
そしてそれをあなたにも共有をしていただくと良いと思っているからこそ、
こうした話をしているわけです。
それは押し付けたり、強制をしたりすることではなくて、
促すということをしているわけですね。
常に促すということができているかできていないかは、私の不足の至るところでもあるんですけれども、
時には強い感情を持って、こうした方が今のあなたには絶対いいというようなことをね、
言うこともあるかと思いますが、
基本のベースとしては、自分の価値観を相手に共有をしたいというようなことを持っているわけです。
それはその方がいいということを、私はそう思っているからですね。
それを受けたあなたは、私はそうは思わない、このように考えてもいいわけですよ。
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直接的にね、相対する人、身近にいる人、生活圏を共にしている人、
そうした人と面と向かって直接、私はそうは思わないということを言えないのであれば、
状況もね、様々あるかと思うので、
言いたくても言えないという状況もあるかと思います。
ただ、いずれはそうした人にも、迎合するということでもなく、
あなたの意見をしっかりと言った方がいいような時は、やってくると思うんですよ。
そのうちにね。
であれば、その時がやってきたらどうするのかという。
コミュニケーションは技術ですから、
今回の私はそうは思わない、こうした考え方も技術の一環であるわけです。
とするならば、私はそうは思わないという意見を持つということにも、
練習が必要になるわけですよね。
仮に今までそう思ってこなかったのだとすれば、
実際に手を動かしたりするようなことも技術と呼ぶとは思うんですけれども、
こうした頭の中で考えること、意識をすること、認識をすること、
こうしたこともトレーニングをしていく、練習をしていく上で成長をするという。
だからこそ技術と呼ぶのであって、
この私はそうは思わないということを今までやってこなかったのであれば、
そう思う練習としてね。
私が話したことに対して、私に対して練習台にしていただいても構いませんし、
聞いた上で声に出してね。
そうかと、この丸山という奴はそういうふうに言うんだ。
私はそうは思わないね。
このように使っていただいても全く構いません。
むしろそうしていってあなたの人生が良くなるのであれば、
それはそうしていただいた方がいいかと思います。
一つね、練習台としても使ってくださいというような、
直接お会う人と面と向かって言うというのが難しいのであれば、
そうした練習台にも私は喜んでなります。
そしてコミュニケーションごときで、やれば成長する技術で、
人生に悩むような人が少なくなればいいなと思っています。
私はね、こうしたことをしているときが楽しいです。
今もどこかでね、誰かが、誰か一人でも喜んでいてくれるというようなことを想像するだけで、
ワクワクしてきます。
私はそうは思わないと。
この文脈で言うと、わけがわからないですね。
ということで、今回は以上となります。
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最後まで聞いていただいて、ありがとうございました。