2024-06-24 11:15

比較すると萎縮する

比較も習慣です。変えられるものです。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、
比較すると萎縮する、というテーマで話をしていきます。
はい、比較ですね。
どこかの誰かと何かを比較する。
そうしたことをすると、自分と比べて、という意味での萎縮をする。
あなたが誰かと比較をしたら、その誰かの方があなたよりも優れていると感じたり、
自分の方がダメだと思ったり、
そうした経験ですね。
誰でもあると思います。
当然私もありました。
この比較をするということですね。
コミュニケーションにおいて言うと、今話をしている対象の人と比べて、
自分の方が何だか劣っている気がするなと、
そういうようなところで萎縮をしてしまう。
こういうケースがあります。
萎縮をすることによって、発言ができなくなったり、
言いたいことが素直に言えなかったり、
恐れにも似たような感覚、そうした状態になる。
そうした誰かと何かを比較するということは、
ことコミュニケーションにおいてもしない方がいいんじゃないでしょうか。
そんなようなところなんですけれども。
誰かと自分を比べる。
こうしたことは、怒りと競争心ですね。
そうした競争心があるというのは、
それが合う人からすれば悪いことではないわけですよ。
誰かと比べることによって自分のやる気というか、
そうしたものが湧いてきて、超えてやろうというような努力をする原動力になる。
当然そういう人もいますから、悪いことではないんですけれども、
そもそもなぜ人は人と比較をするのか、
なんで誰かと自分を比較するんだろうと、
こうしたことを考えたことはあるでしょうか。
これはですね、教育というところにポイントがあって、
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誰かと比べるように教育をされてきたからなんです。
それは、今の現代の日本で生まれて、そこで育った人であれば、
義務教育は通常ありますよね。小学校、中学校と。
人によっては高校、大学、学生という時代を過ごすということがあると思います。
自分自身という軸を形成する段階において、
そうして誰かと比べるようなシステムは、
こうした教育機関に搭載をされているわけです。
少なくとも、今の現代の日本だと、それが仕組み化されていますよね。
ある一定の年齢に至れば、小学校に入ることになるし、
よっぽどのことがなければ、そのまま小学校、中学校と、
義務教育という決まりで進んでいくことになると思います。
また、この状態の時は、自分の意思でどうこうというよりかは、
誰かの被害を受けていることが多いですから、
それが親なのか、親戚なのか、人によって様々だと思いますけれども、
その被害をしてくれている大人たちも、どこかで教育を受けてきたという、
そうしたことでありますから、
通常であれば、そうした義務教育というものも減っていると思います。
その間に、誰かと比べるような仕組みの中に入っているわけですよ。
あなたもね。私もそうでしたけれども。
部活であれ、勉強であれ、
何かで他人と比べるような状況が、状態化されてますよね。
成績が難易だとか、部活の順位が難易だとか、
その組織の組織というか、クラスという形、もしくはチームメイトという形、
同じ部内の人たちというか、そういう一つの枠の中でもさらに競争がありますよね。
優秀であればあるほど、賞賛も受けるし、上位であるという優越感もあるし、
自信と誇りと、そうしたものにも繋がっていくと思います。
それ自体は悪いことではないですから、
会う人であればどんどん活用していける仕組みになっているので、
それは悪いことではないんですけれども、
誰かと比べるという習慣を身につけてきているわけです。
ただこのコミュニケーションの取るという部分において、
誰かと競う必要がありますか?
ないですよね。
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全国コミュニケーション能力ランキングみたいなのがあればね、
狙っていくとかそういう人もいるかもしれませんけれども、
そんなものはないわけですよ。
一般的な生活を送る上で、身近な人とコミュニケーションを取る、
人間関係を作っていく、会話をする、
そうした中で誰かと比較する必要は全くないわけです。
比較をするとですね、冒頭にも言いましたように、
誰かと比べると、それに劣っていると感じると、
萎縮をしてしまうようなこともありますから、
そうすると発言ができない、言いたいことも伝えられない、
そしてどんどん口数が少なくなっていって、
人とコミュニケーションを取るということが少なくなってきて、
いつの間にやら誰とも話さなくなっている。
人間関係も随分と希薄になっている。
そうなっていくようなね、
一つの原因にもなるわけです。
この比較をするというのはね。
私も散々言ってますけれども、
この比較というもの、コミュニケーションを取るにおいては、
不要なものなんですという。
比較はですね、他人とするものではなくて、
自分自身とするものですから。
なのでね、もし仮にあなた自身が、
誰かと何かを比較するような傾向が多いなと、
もしそういうことがあるのだとすれば、
根本の原因を考えてみるのもいいと思いますよ。
なんで私は他人と比較をするんだろう。
どうして比べたがるんだろう。
そのですね、答えというもの、
これが一つ答えというものを、
仮にこれがあるんだとすると、
それを見つけられるのは、
あなた自身なんで。
参考になるかはわかりませんけれども、
私はですね、この他人と比較をすると
萎縮をするなということに気づいたときに、
なぜ自分は他人と比較をするんだろうと、
いうようなことをですね、思ったとき、
それは、私の中に軸がなかったからなんですよ。
自分という、自分が何をしたいのか、
どういう考えを持っていきたいのか、
そうした自分自身の軸というものがなくて、
常に相手に合わせるというかね、
表ではいい顔をするけれども、
裏では人の悪口ばかり言って、
そうして現実と外と内側の自分がですね、
乖離していたんですね。
そうした醜い内側の自分が露呈しないように、
誰かと比較をして、
その比較をした相手にこう合わせていくというようなことを
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しているんだなと気づいたわけです。
そうするとね、本来の自分というもの、
相手から見たらそれは本来の自分なんですけれども、
自分自身の思う自分というものと、
外で表現をしている自分に乖離がありすぎるなと、
そうしたことで、中場一縮をしているんだなと。
であれば、自分の軸を持とうと思ってね、
外も中も一緒にしていこうというようなことを
やってきたわけですけれども、
これはもうね、人それぞれですね。
あなたもあなたがもし仮に誰かと比較をするようなことがあって、
それに付随してコミュニケーションが
奥になっているなということがもしあるんだとしたら、
なぜ比較をするんだろうという、
そうしたことをですね、考えてみるのもいいと思います。
そもそもはね、誰かと比べるように教育を施されていますので、
比べるというその根本の部分、そこはそういうことなんですと。
あとはね、競争心があるというのは悪いことではないんで、
それが合う人であれば悪くはないですから、
活用できる人は存分に活用したらいいと思います。
これを従う人もたくさんいますから、
目的になっている組織もありますよね。
ビジョンとはまた違うもので、フードというか、
みんなやってるよとかね、
あの人はこうだよとかね、
第三者から比較をすることを半ば求められるというか、
私自身はね、そういうことを聞くと、
だからって思うんですよ。
だから何でしょうかという。
はい、ということでね、
この比較をすると意識をしますよと、
これは経験があると思いますから、
そうしたね、比較をする、
これは誰かとではなく、自分と自分を比較してください。
他人と比較をするということが合う人は、
そのまま活用していけばいいと思います。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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