待たされることの影響
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、待たされるという話をしていきます。
はい、待たされる、ですね。
されると言っているぐらいですから、そうしたことが嫌な人ですね。
嫌いであったり、すぐイライラしてしまう。
誰かに待たされていると感じると、このように思うというようなことがあるのであれば、
そんなあなたへというような、例に漏れずニッチなテーマですけれども、
そんなような話をしていきます。
これも人間関係というところで、
待たされることが好きなのか嫌いなのか、
嬉しいのか嬉しくないのか、
これはですね、考え方一つでいかようにでもできるというような、
どちらとも取れるようなこと。
同じ事象が起こったとしても、今回の待たされるというような現象が起こったとしても、
それは待たされると思うのか、もしくは待たしてもらったと思うのか、
どちらを選択するかによって、
あなたの内面が変化をして、その結果、相手の対応が変わるというようなこともあれば、
いわゆる待っているわけですから、時間があるわけですよね、その待っている時間。
何分であれ、何時間であれ、何日であれ、何週間、何年であれ、
その待つという時間。
その時間が無駄になったと思うのか、
それとも有意義な時間を得られたと思うのか、
この思い方一つというようなことですよね。
ですから、この待つ、待たされるということをあまりよく思っていない、
嫌いだしすぐイライラするというような場合には、
それは思考の転換をして、待たしてもらったと思うと、
有効に時間を活用できますよというようなことになるわけですね。
お待たされたと思っていると、その対象の人に対して優しくはなれないと思うんですよ。
例えば、約束の時間があったとして、待ち合わせの時間があったとして、
あなたはその時間の通りに、もしくは何分か前にその場所に着いていて、
余裕を持ってきたのに、相手は遅れてくると。
そうなると、自分は早く来たのに、
なんであなたは約束通りに来てくれないのというふうに、
相手を責めるような思考が先行してしまいますよね。
また、誰でも経験があると思うんですけど、
外食しに行って、やたら待つと。
注文してから料理が運ばれてくるまで、やたら長い。
複数人で行けば、会話なり何なりで、
時間の経過というものは特に意識をすることもない場合もありますけれども、
一人で行った時に、混んでいるのか、何なのか、やたら長いと。
なんだかイライラするなというふうに思ってしまう。
であれば、店員さんなりお店に対して当たりが強くなってしまうというようなこともありますよね。
それらの全ての原因は、待つという行為を待たされるというふうに思っているからなんですね。
待たされていて、イライラしたい、嫌になりたいという人はいませんよね。
もし、この待つという行為をいいようにするのか悪いようにするのか選べるとしたら、
それはいいようにしたいじゃないですか。
であれば、これを待たしてもらったというふうに思えばいいということなんです。
時間の有効活用
そう思うことによって、待っている時間を、繰り返しになりますが、有効活用できることになるわけです。
有効活用といっても人それぞれいろいろあるかと思いますけれども、
一番は何もない時間を得られたというようなことなんですよ。
日々何か活動していて、常に考え事をしているとか、
何か隙間が空いたらすぐ携帯をいじるとか、そういうこともあると思うんですけれども、
何もない時間ということのほうが珍しいというか、
そういう時間は確保しようと思って確保しないと得られない時間なわけですよ。
何もない時間にこそ人は発想は生まれるというようなこともあって、
または思考を巡らせることができる、自分自身について考えたり、
今ある悩み問題に対して向き合ったりすることができるというようなこともありますので、
当然携帯パソコンなり何かしらのデバイスをいじったり、本を読んだりということも、
もちろん有効な活用の仕方だとは思うんですけれども、
私が推奨するのは何もない時間を得られたというのは、そういう時間にする、
なんていうんですかね、瞑想じゃないですけれども、無の時間といいますか、
雑多にとらわれない、特に内省に活用できるような、
そういう時間に活用したらいいんじゃないかなというふうに思います。
何もない時間というものは非常に大切な時間であって、
暇が嫌だとか、待たされるもそうですけれども、
そういう何もしていない時間があまり好きではないということも、
あなたがそれに該当するかわかりませんが、そういう人もいるじゃないですか。
この何もない時間というものが非常に重要、大切であって、
その時間を確保させてくれたというようなことですよね、
その待たしてもらったというようなことは。
このように待つという行為を待たされるのではなくて、
待たしてもらったというふうに受け止める、思う、とらえるだけで、
その対象の人物への思いというものが、いい思いになっていきますよね。
あなたのおかげで私は何もない時間を得ることができましたというふうに思うことができるわけです。
あなたのせいで無駄な時間を過ごしたというふうに思わなくていいようになるということです。
そうすると、その対象の人物との人間関係はもちろんそうですし、
あなた自身の心も待つことによってプラスのメリットがあるということを理解をしていれば、
イライラする、嫌だなというふうに自分自身でフラストレーションをためていくようなこともなくなっていきますよね。
ですからこの待つ、待たされるということは、
発想の展開によって待たしてもらったというふうに変換していきましょうというようなことですね。
つまり何が言いたいのかというと、待たされる。
されるというくらいですから、これに対して嫌いだったりイライラしてしまうあなたへということで、
それは待たされたと思うのか、それとも待たしてもらったと思うのか、
どう思うのかによって自分で選択できることです。
どちらを選べるのかといったら、待たされたと思ってイライラするのか、
待たしてもらったと思っていい気分になるのか、選べるなら後者のほうがいいですよね。
それによってもたらされる後余というものは、何もない時間を得られたというようなこと。
日常、何もない時間というもののほうが少ないですから、
何分何十分だったら何も考えずにぼーっとするのもいいですし、
待つという行為を有効活用しましょうと。
待つという行為は相手があってのことですから、突発的に発生するようなことがほとんどだと思います。
ですからもし仮に今後そのような時間、待つということが起こった場合には、
こうした考え方を思い出して、何もない時間を得られたからうれしいと思うと、
また生活の質が向上するんじゃないかなと思います。
はい。ありがとうございました。