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こんにちは、いわみです。
5月2日の金曜日、いかがお過ごしでしょうか。
通常のカレンダー通りだと、今年のゴールデンウィークは、たぶん短いですよね。4連休ぐらいだと思いますけど。
うちの子供なんかは、結構不満そうにしてましたけど、大人になるとね、あんまり関係ないし、そのぐらいでいいんじゃないのって思いますけどね。
だからむしろあれですね、連休が短い、気が軽くなる部分もあるなって、今喋りながら思いましたが。
我が家はね、明日からちょっと家族で旅行に出かけるんですが、2泊かな。
県内なんですけど、結構高知県って広いんで、まだ行けてないところがたくさんあるんで、そのうちの一つにね、宿をとって行ってくるんですが。
あんまり何があるのかね、全然調べてないので、このまま調べずにね、行き当たりばったりで行くと思いますが。
やってみるとそういう旅って結構楽しいもので、いろいろね、スケジュールを組んで行く場所をいくつも用意してから出かけるっていうのも、そういう旅もありですけど。
僕は最近というか、子供ができてからね、家族旅行っていうのは、大体その宿とね、行く場所だけ、行く場所っていうか方面だけ決めて、そんなに移動せずに一つの場所に長くとどまるっていうね。
それでその土地の景色とか、人と触れ合うみたいな、そういう時間を大切にする旅行が最近はいいなと思っています。
停滞期とその影響
今日話してみたいことはですね、停滞期こそ他人に優しくしようみたいなね、そんな話をしてみたいんですよ。
停滞期っていうね、とどまる時間っていうことですけど、誰しもね、停滞期ってあると思うんですよ。
努力したりとか頑張ったりしているけど、なかなか結果が出なかったりとか、今は待つしかないみたいな時期っていうのは誰にでもあると思うんですけど、
その時にね、どんなスタンスでいるかっていうのは結構長い目で見て重要だなと思っているんで、そんな話をしてみたいんですね。
停滞期ってね、いろいろあると思いますけど、何がね、つらいのかって話を考えてみると、
自分のこれまでのやり方が何か間違っていたんじゃないかとか、このまま進み続けていいものなのかとか、足元とか方向性を疑うみたいなね、
そういうことが起きると結構ね、大変ですよね。
僕にも経験がありますけど、自分がやっている時に確信が持てない時っていうのは、いろんなことを悪く捉えてしまったりとか、
本来関係ないはずのものを結びつけて考えちゃったりすることがあると思うんですよ。
例えば、普通に風邪をひいてね、体調が悪かったりとか、けがをするか何かで、筋肉痛でもいいですけど、
体の変調とか不調がある時に、それに何か意味を付与してしまうことってある気がするんですよ。
なんか最近胃腸の調子が悪いけど、やっぱりこれって何か無理しているからかなとか、何か今やっていることが性に合ってないんじゃないかなとかね、
そういうことを考えちゃったりすることってあると思うんですけど、ほとんどの場合というか多くの場合は、
それって冷静に考えてみると別に繋がっていないというか、関係ないことって多いと思うんですよ。
体調が悪くなる時は誰にでもあるし、低気圧とか風邪ひいたりとか、運動不足とかね、
あと食べ物が合わなかったりとか、いろいろ季節の変わり目とか、いろんな原因で体調が思わしくない時ってあると思うんですけど、
それはそれとして、例えば今何か頑張っていることとか、今やっていることが間違っているかどうかっていうのは、
それは本来は全然別の問題なはずなんですけど、それでもそこで弱気になってしまったりすることってあるなと思っていて、
これ後々振り返って考えてみると、一つの理由というか、正当化する理由が見つかる時があるんですけど、
それは何かっていうと、待つのは基本的に大変だから、待つことは辛いから、それをやめるための目的を自分の中に探してしまうみたいなね、
そういうことって誰しもあるなと思ったんですよ。
体調が悪くなったりとか、それでちょっとメンタルが落ち込んだりすることがある時に、
今不調が出たからやっぱりこれは良くないんだって思って、じゃあ元のやり方に戻そうとか、
今までやってきたことをチャラにしてしまおうみたいなね、そういう魔がさしてしまう時ってあるんですよね。
客観的に考えてみると偶然性というか、あんまり相関関係はないはずのことでも全部結びつけてね、
この場合は悪い方に考えてしまうというか、でも結局はね、
それって楽な方に流れるための口実にしたいみたいなことってあるなと思って、
基本的に人間というのはとても弱いものですから、きついなと思ったらそれをやめたくなるのは自然なことだし、
直感に反していることとかね、やっている時ってありますけど、
例えばね、簡単な例で言うとダイエットとか、資格の勉強をするとか、楽器の練習とかもそうかもしれませんよね。
同じことを何回も繰り返すって、何回も言うと、
同じことを何回も繰り返すって、人にもよりますけど、基本的には楽しいものじゃないというか、あると思うんで、
それを続けるっていうのはきついなって思うことがあって、それをやめるためのね、
ああもういいやってね、やめてしまうための言い訳として体調が悪くなってきたとか、
ちょっとメンテナンスがおかしくなってきたからみたいなね、それをつけてしまうことがあるなと思ったわけですよ。
でもね、僕はそんな時にそこで一歩踏みとどまって考えてみたいと思うわけですよ。
それは本当に関係あるのかなと。今やっていることの結果がなかなか出ないっていうことと、
なんだか今体調が優れないなっていうことを関連性のあるものとして結びつけるべきなのかどうかっていうのは、
もう1回よく考えてみたほうがいいなって思ったわけですよ。
もしかしたらその2つは全然別々の原因によって起こっていて、
それを結びつけているのは自分の弱さと言ってもいいかもしれないし、
迷いみたいなものから生まれているかもしれませんけど、とはいえね、やっぱりね、
結果が出ない停滞期っていうのは結構きついものだっていうのは、
それは認めたほうがいいと思うんですね。
待っていることは多分誰にでもきついことだと思う。
それで提案なんですけど、そんな時に何をしたらいいのかっていうことですけど、
最近僕は思うことがあるんですよ。
他人に優しくする意義
それが何かっていうと、他人に優しくしようっていうことなんです。
多くの人は人生の目標みたいなのを基本的には自分のための目標として、
自分のために頑張っていることだと思うんですけど、
それがうまくいかないと揺らいでしまうことがあるときに、
その時に目線を動かしてみるというか、
今まで自分のことばっかり考えていたのを自分じゃないところに、
他の人に向けてみるっていうのは、
意識を変えるとか気分転換っていうよりも、
いろいろいいことがあるなと、
一挙両得といったらダサン的な感じがしてしまいますけど、
パッと思いつくだけでも2つぐらいいいことがあるなと思ったわけですよ。
一つは、他人に優しくすると他人は嬉しいですよね。
優しくされないよりは、きつく当たられるよりは優しくされた方がいいと思うんですけど、
嬉しいと思うんですけど、それが一つあるし、
人に優しくするっていうことは、
自分の心持ちというかメンタルみたいなものをリラックスさせるためにも大事だなと最近よく思うんですよ。
これは別に人に優しくしておくと後で何かが返ってくるからとか、
そういう結果的にはそうなることもあるけど、
別にそれを狙って求めてやっているわけじゃなくて、
誰か言ってたか忘れましたけど、
こんな言葉を聞いたことがあって、
利他的であるってことは究極の利己的な行動だみたいなね、
ちょっと細かい言い回しは忘れてしまいましたけど、
そんな言葉を今思い出したんですね。
この言葉どういう意味かっていうと、
利己と利他ってね、
自分を利するか他人を利するかっていうことですけど、
最も利己的である、自分を利する、自分にプラスである行動ってのは何かっていうと、
他人にプラスになる行動、つまりその利他的な行動だっていうね、
そういう意味だと思うんですよ。
それは何でなのかって理屈を並べることはできるけど、
でも何となくそうだよなってね、今までの経験を通しても思うし、
周りの人を見ていてもね、うまくいってるなっていう人は大体やっぱり他人に好かれているし、
反対に言うと他人のことをみんな訳隔てなく接しているなっていう人はね、
やっぱり幸せそうに生きているし、ビジネスとかもうまくいってるなって思うんですよ。
理屈とかね、理由を理屈でつけようと思ったらいろいろ言えますけど、
利他的行動が生むもの
例えば、変法制の法則ってありますけど、
人はね、他人にされたことを返さざるを得ないみたいな、そういう習性があるよっていうことですけど、
いろんな人にね、優しく接しておくと、よく接しておくと、それがやがて自分にも返ってくるっていうね。
それが常に、種をまくみたいにいろんなところで優しくしておくと、
優しくっていうか、他人の利益に資することを積極的にやっておくことをしておくと、
時間を空けて自分にも返ってくるかもしれません。
っていうことですよね。
何度も言いますけど、別に自分に返ってくることを目的として期待して、
他人に接しているわけではなくて、それ以前の問題に、
優しい心持ちであるってことは、それだけでバランスがいいなって最近思うんですよ。
浮き沈みとか安定感があるというか、ぶれづらくなるっていう。
これは何の話をしていたのかというと、
なぜいろんな人に優しくしたりとか、他人の利益になることを積極的にやっていると、
それが自分に返ってくるのかっていうのは、それはね、自分に返ってくることもあるし返ってこないこともあるんだけど、
それがあろうがなかろうが、基本的なスタンスとして利他的であるっていうね。
そのスタンスっていうのは、利口の面から見てもそうだし、
僕が言いたいのは、自分に返金って言っちゃおうとしましたけど、
別にお金とかだけじゃなくて、自分にいいことが返ってこなかったとしても、
そのスタンスでいること自体が割とね、人を幸せにしてくれるんじゃないかっていうね。
そう思うんですよ。
自分のやっていることをうまく活かせるためというか、
もっと言うと自分の人生を幸せにするために他人に優しくするんじゃなくて、
結果としてそれがついてきたらね、ビジネスの成功とか数字とか、
結果がついてきたらいいなとは思いつつも、
そのためにやるっていうのはね、結構逆にきついなって思うことがあって、
続かないことが多いと思うんですよ。
例えて言うなら、自分の商品みたいのを売るために他人に笑顔を振りまいたりとか、
いいことを言うっていうのは短期的にはできるかもしれないけど、
それって多分短い期間で見たら、自分が払っている労力と言ってしまいますけど、
自分が払っている労力ほどには多分ね、戻ってこないと思うんですよ。
それでその時に、なんであんまり戻ってこないじゃないかって、
やめちゃうことになると思うんですけど、
そうじゃなくてその時に、別に戻ってくる来ないはどうでもいいけど、
こうしているのが気持ちいいからやっているんだよねっていうぐらいのスタンスでね、
ゆるーく続けていくと、長い目で見て、何年かかるかわかりませんけど、
それぐらいした時にボツボツと目が出てきたりとか、
出てきた目から花が咲くみたいなことが起こるよなと、そんなことを思ったわけです。
割と抽象的な話をしてしまいましたが、
いろんな人が体験する話だと思ったので、
あえて具体的な話をせずに、なんとなくふわっと抽象的な話として喋ってみました。
全然ピンとこない人もいっぱいいるだろうなとは思うんですよ。
何をこの人は言っているんだろうって思った人もいるかもしれませんし、
それはそれで構わないと思うんですよ。
そういう生き方をしていないっていうこともあるし、
そういうのを必要としないね、他人に優しくしないと自分がきついみたいな、
そういう状況に置かれていないっていうこと自体はね、
僕は結構幸せなことだなと思うんで、
別に嫌味とかじゃなくて、人生うまくいっている証だと思うので、
そのままでいいと思うんですね。
でも人によっては、特にフリーランスとかね、
一人で個人とかで動いている場合は、いろいろ波があるし、
結果を全部自分で受け止めなきゃいけないっていう時があるから、
そういう場合は僕みたいにね、思うこともあるし、
結論みたいなことを最後にもう一回言いますけど、
停滞しているときは、人に優しくしようっていうことですね。
良い人でいることの意義
停滞を打破するためとか、自分に利益をもたらすために
良くするんじゃなくて、
単純にね、いい人でいたほうが気持ち的に楽になると思うんですよ。
いい人でいたほうが気持ち的に楽になると思うんですよ。
良い人でいるっていうのはね、
抵抗がある人もいるかもしれませんけど、
でも結果的にはそういうことなんですよね。
悪いことをしないというか、利他的であるっていうのは、
良い人って隠れる特徴だと思うんですけど、
あえて良い人でいる必要はないけど、
普通に客観的に見て、まともであることっていうのは、
まともっていうとちょっと戻りすぎだけど、
人に優しくして良い人でいるっていうことはですね、
その返ってくる結果を生むんじゃなくて、
今ここのね、自分を楽にしてくれる効果もあるよねっていう、
そんな話でした。
これを聞いてくださっている誰かにおどいたらいいなと思って
こんな話をしてみました。
今日の話はこれで終わりにします。
ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。