2025-06-14 09:08

勝ち負け

勝った負けたということは重要でしょうか?比べることは必要でしょうか?自然にしていれば湧いてくる勝ち負けということについて探求していきましょうという話です。


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サマリー

このエピソードでは、勝ち負けというテーマを通して、他者との比較が人間関係に与える影響や、その重要性について考察しています。特に、競争にこだわることの無意味さや、その結果、人生の結末において何が本当に重要なのかについて議論しています。

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どうも、丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
勝ち負けの定義と人間関係
ということで、今回は、勝ち負けという話をしていきます。
勝ち負けですね。勝敗ですね。
これもまた、人間関係というところで、
人と自分を比べるというようなことをすると、
あの人に比べて自分は勝っているとか、
あの人に比べて自分は負けている、
あの人とあの人は、どっちが勝っている負けているという風にですね、
こういう勝敗を元にして、人間の序列を決めるというか、
その人間関係間でヒエラルキーが構成されるというような、
そういうこともありますよね。
こうしたね、勝ち負けということで、
人との関係性を決めてしまうというのは、
非常にもったいないことであるというように思います。
かつ、私個人的にはですけれども、
こだわらない方がいい。もっと言うと、
くだらないなというんですね、思います。
もちろんあなたはね、そうは思っていないかもしれないですね。
現実世界を生き抜いていく上では、生き馬の目を抜くような、
勝ち負けというそういうね、勝負の世界に生きている、
ビジネスであれプライベートであれ、
ある種の人間関係を築いていく上では、
そうした闘争本能というものも時には役立つであろうと言うんですね。
そう思うこともあるかもしれないですね。
当然そうした意見も尊重はできると思います。
あくまで私個人としてはという意見なので、
そうした意見ばかりではないということは重々承知の上で
得ていますけれども、
こだわらないし、くだらないというふうに思うわけですね。
ですから、今現在、そうしたね、勝ち負けというようなことに
ある種のこだわりを持って、プライドを持って生きていると、
そうした行いの、考えのために、
ある種の人間関係、またはコミュニケーションの取り方が
錯綜していると、まとまらないというふうにですね、
競争の世界とその疲弊
思うことがあったり、
そういう世界に生きているけれども、ちょっと抜け出したいな、
もしくはそうした世界があるのであれは入っていきたい、
こういうね、いろいろな意見を人は持ちますから。
かつ一人の人の中に一つだけということもないですから、
この勝ち負けというものに関して、
人間関係を築いていく上でどう向き合っていきましょうという、
そういう話ですかね。
何事も理由があるというようなことで、
こうした勝ち負けにこだわる、こだわらないということにも、
やはり理由があるわけですね。
あくまで私の主観、スタンスとしては、
こだわらないほうがいいというふうに、くだらないというふうにね、
思う側からの意見がバイアスがかかっていますので、
私自身にもそういう意見が強めになるんですけれども、
競争の世界に生きていると、
疲弊が多いじゃないですか。
気苦労が絶えないというかね。
例えば、稼ぎたいとか、
モテたいとか、
偉くなりたいとか、
相手よりも優位に立ちたいだとか、
男性、女性、ジェンダレス限らずですね、
性別限らず、
このような意見を持って、
勝ち負けの世界にいるというような、身を投じているというようなこと。
こういう考えがある場合に、
一つのことを考えてみていただきたいんですね。
それは、人生の結末というようなところで、
この道中なわけですよ。
私もあなたも、生きている人はみな、
人生の結末、いわゆる死というゴールに向かって、
そこがゴールであるか、そうでないのかということは一旦置いておいて、
人が死ぬということは、ある種の結末なわけですよ。
その結末を迎えたときに、
今道中である、勝っただの負けただのというようなこと、
結末の際に、これを思い返して、
よかったな、だめだったな、
というようなことを振り返ると思いますか。
死にかけたことがあるとかね、
瀕死の状態に陥ったことがある、
その一歩手前まで行ったことがある、
そうした人を見とったことがあるというような人であれば、
より深く理解できるかと思うのですが、
そんなことは、
道中における、さまつな出来事でしかないわけですよ。
勝っただの負けただのということは。
人生の結末において、それが最も重要であるというようなことは、
ないんですよ。
いかにこだわりを持って生きようとも、プライドを持って生きようとも、
一時の感情しか生み出さない。
それに喜びを感じるということであれば、
やればいいですけれども、
結末においてそうしたことが、
いい方向に働くとはとても思えないわけです。
とはいえ、
一時であれば、こういう世界に身を投じて、
たとえ道中であれ、
得るものもありますよね。
それも一時的な名声であったり、
一時的な幸福感であったり、
人生浮き沈みありますから、
そうしたことを経験するというのも一つ。
いろいろな経験をして人生を終えられたなというような、
満足感につながることはあると思います。
人生の結末と自己比較
ですから決して、
それ自体が良くないということではなくて、
ずっとそのままだと、
おそらく人生の結末を迎えた時に、
死ぬ時に後悔するんじゃないですか、
というようなことがあります。
たとえずっと負け続けていたとしても、
勝ち続けていたとしても、
勝ち負けというこのこと自体が幻想なんですけれども、
ずっとそのような感覚を持っていたとしても、
それは一時的なものに過ぎないわけですよね。
どちらでも別に構わないじゃないですか。
この勝った負けたというものの先にあるものは、
何かと比べているから、
何かと競っているから、
そうした判断ができるわけで、
その先には人がいますよね。
あなたの推移となる人、
あなたが比べている人がいるわけです。
じゃあその人との人間関係というものはどうなんですかと。
勝ったからどう、負けたからどうというふうにですね。
それは思った通りに、
たとえなったとしても、
一時的な感情に過ぎず、
人生の結末を迎える際に、
このことを思い起こして、
良かった、良くなかった、
そういうふうに考える人はいないというようなことですよね。
繰り返しになりますが、
競争の世界に生きているとひりひりが多いですから。
一時的であれば良いと思いますけれども。
どこに主軸を置いて、
人生を送っていくのか。
散々言いましたけれども、
別に良いんですよ。
こうした勝ち負けにこだわって生きていくというのも、
それが自分の生き方であるというふうにね、
決めた上で、決断した上で、
行くというようなことがあれば良いと思います。
人はどこかで変化したりしなかったり、
人それぞれですけれどもありますので、
今勝ち負けにこだわって生きるんだということであれば、
それは良いですけれども、
ここから抜けたい、
何となく違和感を感じているというような場合には、
こうした考え方を人生に取り入れてみても、
良いんじゃないかなと思います。
つまり何が言いたいのかというと、
勝ち負け、勝敗ですね。
誰かと比べるからそういうことが生まれると。
これは私個人としては非常にこだわらないで良いと思うし、
くだらないと思う。
人生の結末においてこうしたものが思い起こされるとは
とても思えないからですね。
さらにはそうした判断をした時点で、
人と上下の優劣をつけたり比べたりしている。
比べるべきはたった一人、
あなた自身、自分自身ですから、
それ以外の人と比べた時点で、
もはやそれは競争の世界へと身を投じているというようなことになります。
とはいえ、一時的であれば、
一時的であればこういう世界に身を投じて得るものもあると思いますので、
物欲であったり精神欲であったり、
一時的に得るものはあると思います。
ですから勝ち負け、勝敗にこだわるということを否定しているようなことではなくて、
ずっとそのままだとあまりよろしくないんじゃないですかというような、
そういうことですよね。
そしてこうした考え方を仮に今持っていたとして、
何か違和感を感じているということであれば、
あなたの人生の結末にどうなるかと、
こういうことについて思いを巡らせてみるのも、
この勝ち負けということに関して、
さらにはそうしたことに起因した人間関係において、
何か役立つことがあるんじゃないかなと思います。
はい。ありがとうございました。
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