同じことがしたいとは
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、同じことがしたいという話をしていきます。
同じことがしたい、ですね。
どういうことかというと、あなたが誰かと同じようなことがしたいと思ったときに、
それを果たして、同じことをしたいと思って、同じことができるのでしょうか、というような、
ある種のあなた自身の行動におけるポイントというようなところですね。
あなたが、仮に誰かのようになりたいとか、
あの人に憧れているから同じようになりたいとか、
あの人はいい思いをしているから同じような境遇になりたいとか、
うらやむようなことも含まれますかね。
ですから、同じようなことがしたいときは、こうしたらいいですよというようなことではなくて、
その考え方はひょっとすると、あなた自身に見つかわしくないんじゃないですか、というような、そういう話ですね。
とはいえ、同じようにしたいというふうに思うような相手がいるというのは、いいことですよね。
周りの誰とも同じになりたくないとか、誰も尊敬できない、
誰も同じようにしたいと思う人がいない、
そういう環境よりかは、まだ幾分マシであると思います。
これの反対で、あの人とは同じようになりたくないなという、
そういうことはあるじゃないですか。
誰という特定の人ではないですけれども、
同じようにはなりたくないなと思う人、
いわゆる反面教師になるような人、
これはね、巷にあふれていると思います。
あの人と同じようになりたくないと思えば、
それは同じことがしたいとは思わないと思いますので、
それはそれで、同じようになりたくないのであれば、
同じことはしませんよねという、それだけの話なんですけれども、
同じようになりたいと思うこともある。
そういう時に、例えばその人の人柄、性格、行動、そうしたものに憧れて、
もしくは羨んで、真似をするということ。
こうしたことがあると、決して真似をするというのはね、
別に悪くない、むしろ良いことでありますね。
主張りの主ですから、もちろんいいんですけれども、
がしかし、あなたと相手は同じですかというようなことなんですね。
例えばあなたと相手が全く正反対の性格であったとして、
ただあなたは相手のようになりたいから真似をするということをすると、
それを獲得することに非常に時間がかかる。
組織内での真似
かつ、ひょっとしたら苦痛であるかもしれない。
全く自分と違うから。
そうした人に憧れというか、同じことをしたいと思ったとしても、
うまくいかないということがほとんどですね。
それは当然、あなたと相手は同じではないからです。
自分に合わないことを同じことがしたいと思って真似をしたとしても、
それは実らぬことなんですね。
どこにどれだけの時間を割くかというようなこともあって、
自分と全く違う人、例えば5年、10年かけて同じようになろうというふうに、
時間のコストを支払った上で、リスクを負った上で、
それをやるということであればいいと思うんですが、
ほとんどの人はそこまでのリスクというか覚悟を持って、
同じことがしたいというようには思わないと思います。
今、目の前のことを見て、一時的に同じようになりたい、
同じことがしたいと思うだけであって、
それはあなたと似たタイプの人であれば、
スムーズに同じようなことができるということはあるかもしれません。
ですからまず一つは、あの人と同じようになりたいと思ったとして、
あなたと相手は近いですか、そのタイプとして。
憧れて真似をすることは決して悪いことではない、むしろいいことです。
あなたと相手は似ていますかというような、共通点はありますかという。
これの具体的にというか、さらに視点を個人に移して、
多くの人は何かしらの組織に所属をしていると思います。
あなたも何かしらの組織に所属をしていると思いますが、
例えば会社組織というところで見て、個人のレベルに視点を移してみましょうと。
あなたが仮にこの人と同じようなことがしたいなと思ったそういうケース、
例えば定時で帰るとか、会社員の方であれば会社は定時で帰るとか、
会議を途中で出るとか、自分のペースで動いている人、
こうした人の真似をしたい、同じことがしたい、自分もそうなりたい。
これを見て自分もそうしようと思ったとするじゃないですか。
あの人がやっているから自分もやっていいだろうと、同じようにしようというふうに。
ここでの注意点というか、この個人レベルで同じことがしたいと思ったときの注意点としては、
特に会社組織であれば、あなたと相手は同じキャリア、同じ実績、同じ成果を出してきていますかというようなところ。
ただ行動だけを見て、人がやっているから自分もやろうと言うんですね。
安易に同じようなことをすると、まだ何も下地も土台も何もない人がそういうことをしてしまうと、
当然組織内での立ち位置というもの、人間関係というものも、
よくはならない、よくは思えないことになりますよね。
もっとわかりやすく言うと、何もできていないのに自由を求めるのは、それは難しいです。
画を通せると錯覚をしてしまうようなことがあります。
そうしたことをしている人がいると。
ただ、そうした相手と同じことがしたいと思う人には、大きな隔たりがあるかもしれない。
キャリアであったり、実績であったり。
だいたい何でもできる人と、素人というか何もできない人では、
同じ組織の同じルールの中で活動していても立ち回りは当然変わってきますよね。
こう勘違いして動いてしまうという人も、なかなかに多い。
大きな隠れで言うと、あなたが同じことをしたいと思った相手と、
あなたは似たタイプですかというのと、あまりに違うタイプと同じようなことをすると、
うまくいきませんよと。
実績を求める自由
さらにはそれを個人のレベルに移してみて、
あなたが同じことをしたいと思ったその相手は、あなたと同じですか?
おそらく違いますよね。
このあたりを見極めて活動するということ。
自由にはある程度の力と言いますか、
力と言うと何か権力だとか、そういう世俗的に社会から与えられたものと思いますけれども、
そういう組織の隔離の中で、ある種のヒエラリティの中で活動している場合には、
自由を得るためにはある程度の力と言いますか、評価と言いますか、これは必要であります。
これが嫌なのであれば、組織から出て生きる道を模索しましょうということなんですけれども、
必要だと。
その場合にはまず1年間本気で取り組んで成果を見せる、できるやつだというような、
そういう認知を得てからこそこそする、こそこそというか自由にするというような、
そういうステップを踏むといいと思いますよ。
だんだん広い幕打ちから非常に狭い話へと入っていきましたが、
つまり何が言いたいのかというと、
同じことがしたい。
これはあなたが、あの人と同じことがしたいな、同じようになりたいなと思ったときに、
それはあなたの人柄や性格、行動、
これですね、憧れて真似をするということがあったとしても、
あなたと相手は同じですかという、
全く同じ人はいませんから、違いますよね。
真似をするのは決して悪いことではないですけど。
さらにこれを個人の視点に移して、より狭い視点で。
例えば会社組織であれば、その中で活動してあなたがいいなと思うような人と、
あなたの背景は同じですかと、これもまた違います。
ある種の自由を求めるとなれば、組織の中においても、
強盗したいと思うのであれば、ある程度の実績は必要であると。
これは組織の中で仮に生きていくということであれば、
いかんせん避けては通れないところなんですね。
ただその能力というか、実績を得るためにコミュニケーションの技術を高めるというのは、
非常に有効ですので、今あなたがやっていることは間違いではないですね。
それはもう全然続けていって、1年間あなたが従事している職務に本気で取り組むということ。
周りからこの人はやればできる人だと、できた実績がある人だという認知を得てから、
自由にしたらいいんじゃないですかということですね。
同じことがしたいと思ったとしても、あなたと相手は違う人ですから、
あなたはあなたの道を行ったらどうでしょうかというようなことですね。
ありがとうございました。