どちらかというと、人類の大半の人が散歩が好きかなと思うんですけど、例に漏れず、僕も散歩が好きです。
あてもなく夜の街を散策するような徘徊も好きですし、 すごく面白かったので、二往復もしてしまった
尾道の商店街が良かったなぁとか、 あとは年末もロンドンに行った際に市街をよく散歩してきました。
以前、散歩のエピソードをしたことがあったんですけど、その際には散歩が楽しめる 散歩心というアプリがあるんですけど、その話と散歩がもたらす偶発性ですね。
セレンデピティというところについて考えるエピソードをしたんですが、 今回は散歩という言葉の意味合いが変わってきたなぁと
最近感じることがあったので、そのお話をしたいなと思っています。 そもそもの話になりますが、皆さんは散歩という言葉の定義
ご存知でしょうか。 皆さんもよく見るかと思いますが、wikipedia によると散歩とは
健康とか気晴らしのためにプラプラと歩くことを指すそうです。 他の言い方だと散策とかそぞろ歩きとか
商用とも言ったりするようです。 このプラプラと歩くっていう表現、なんかいいですよね。
こうできんでないというか、力が抜けてる感じがして、このプラプラと歩くっていう表現を使ってみたいなと思ったんですけど、
wikipedia っていうのはあくまでその素人の人も編集ができるようなものではあるので、 手元にある三聖堂のですね
テオニハ辞典というのがあるんですけど、 こちらちょっと見ていたんですが
このテオニハ辞典で聞いたことない人多いかなと思うんで簡単に紹介すると、 日本語のコロケーション辞典で
250人の作家の作品から言葉と言葉の結びつきに関する60万例が紹介されている 辞書なんですけど、簡単に言うと歩くだったら
庭をっていうのが出てきたりとか、林をっていうのが出てきたりするっていうようなもので、 この帯にも書いてあるんですけど、散歩っていうものに対して言葉の野原を散歩してみませんか
という形で、散歩という言葉を使った際に周辺にどんな言葉が結びつくかというのがまとめられている辞書にあります。
その中でですね、散歩というところを見てみると、 例えば散歩に対してをがつくと散歩を終えるとか散歩をかかさないとか
散歩を切り上げるというようなものが書かれているんですけど、場所に関してですよね。 散歩するに対してつくのが
この2015年版によると、 例えば観光客が散歩するとか
海辺を散歩するとか お堀畑を散歩するとか公園を散歩する
砂浜を散歩するとか 他の用語に対してかなり散歩に対して散歩する場所をめちゃくちゃ丁寧に書いてあってですね
ああこの時もいっぱい散歩してたんだなとか、 って言っても10年前ですけど散歩というものに対して
まあ並々ならぬ場所が表示されているというような時点ですね そんな形で散歩というものについては
さまざまな僕らが行けるような場所について 健康とか気晴らしのためにプラプラ歩くというのが一般的だというふうにされているかなと思います。
散歩と言いますか、歩くことというものは結構イベントに結びつきやすいということで まあいろんなようなマラソン大会とか競歩とか
そういう一般的なものもあるんですけど、いくつかですね 結構変わったイベントがあってついでに紹介していこうかなと思うんですけど
ウルトラ遠足というのがありまして、これ岐阜県の高山市 国父中学校で続いている名物行事、伝統行事らしいんですけど
あのフルマラソンと同じ距離ですよ 42.195キロ、これを中学3年生が1日かけて歩き回るようです
これは受験に打ち勝つために心身を鍛える目的でやってるらしいんですけど 秋ぐらいにやってたりとか
もちろん歩くだけじゃなくて走ってもいいらしいので 数時間で普通に駆け抜けていく運動部の中学生がいたりとですね
本当に中学生でフルマラソンってやっぱすごいじゃないですか距離的に こんな行事もあるんだなぁと思ってたまたま見つけたんですけど
例えばあとギネス記録ですよね ギネス記録の中にも歩くっていうところで結構記録があったりとかするんですけど
まあ面白かったのいくつか紹介しておくと 最も長い期間歩いた距離って皆さん想像つきますかね
ギネス記録によるとアメリカ大陸の横断記録があるらしくて 南アメリカの最南端から
北アメリカの最北端まで 横断した記録があるらしいんですけど1977年から1983年まで約7年かけて
乗り物を使わずに歩き通したという記録があったりします あとはこれも意外と気になるとこですけど24時間で歩いた距離のギネス記録というのが
あるんですけど これイギリスの記録で228.93キロということで約230キロ
丸1日歩くと進めるということなんですけど どのくらいの距離かというと東京起点だと福島県の福島市であったり
新潟県の新潟市 あとは静岡県の浜松市あたりらしいですと 一方で大阪だと愛知県の豊橋市とか
石川県の金沢市とか 広島県の福山市ぐらいまで丸1日かければ歩けるというふうに書いてありました
あとは同時に散歩した犬の数 これちょっと変わってますけど散歩のギネス記録の中でも1個あったのが
犬を同時に散歩させた数なんですけど なんと1回で38匹の犬を同時に散歩したという記録があるらしいです
すごいですよね なんか両手にもうなんですかスパイダーマンの糸がいっぱい張り巡られてぐらい
あのワンちゃんの紐がついていて左右に19匹ずつぐらいなんですかね あの
すごいちょっとムキッとした男性がワンちゃんを散歩させている写真が写ってました
で話を戻して今回散歩の話をしたかったところの一つとして 散歩の意味が変わってきてるんじゃないかというところになるんですけど
時代とともに言葉の意味が変わってきてるなっていうのがちょっと感じているところ なんですよね
あのこれ意味ドリフトなんて言ったりするんですけど 他の単語の例でわかりやすいもので言うと
アイドルっていう単語あるじゃないですか アイドルも言葉の意味がですね時代が進むにつれて変わってきてるんじゃないかなと感じるものの
一つですね 例えば自分が生まれる以前の昭和時代のアイドルというものについては
手が届かない存在とか故郷の存在とか なんか神聖時されている感じないですかね
たまに昭和時代のアイドルの映像が流れますけど一人の女性アイドルが大勢の人を前にして なんかバックバンドみたいながいて
ライトに照らされて歌ってるみたいなのが結構あると思うんですけど 一方で平成というと皆さんもあの平成の方多かったりするかなと思うんですけど
会いに行ける存在とかなんかアイドルというものがグループを指しているとか 結構一般人との距離がかなり近くなっているような意味が結構含まれているのかなと思います
こういう形でなんか言葉の意味ってどんどんずれてきている 変化してきているというところで意味ドリフトと言ったりするんですけど
同じように散歩というものに対しても なんか意味合いがちょっと変わってきてるんじゃないかなと思ったりしています
例えば現代ですと 近所のコンビニまで散歩がてらいってくるわーみたいな使い方って結構普通にするような気がするんですけど
散歩ってもともとなんか目的地なくプラプラと歩くような感じだったんですけど これってコンビニという目的があるところに向けた歩行なのに散歩っていうふうに使っているわけなので
意味って変わってきてるなと思うんですよ
これ多分現代社会のいろんなものが反映された上で 散歩って別にプラプラ歩かなくても散歩だよねっていうふうになってきているのかなと思っていて
例えば移動の手段って結構変わってきていると思うんですよね 散歩って多分すごい前から使われている
例えば商用っていう単語の意味だって相当昔から使われているからそういう難しい用語があるわけですけど
僕ら今現代人は車とか電車とかが主流になっているので そもそも歩かないんですよね あんまり
特に地方の方なんて近くのコンビニまで行くのに車使うとかよくある話だと思うんですけど
そう考えたときに歩いて移動すること自体が特別な行為になっているので 目的があっても散歩というふうに言われるんじゃないかなっていうのが一個原因としてあるかなと思ったりします
もう一つはニュアンスを釈用しているということですね
散歩って結構プラプラ歩くとかっていう意味にあるように 結構のんびり歩くっていう意味合いとか散歩の子の持っているような
ふわっとしたニュアンス使いたいときが結構あると思うんですけど そういうものを表現したいときに
こののんびり歩くというニュアンスで散歩とかっていうのを使っているんじゃないかっていうのがある気がしますね
そういう意味では結構この意味合いの違いっていうのは結構人によって違うと思うんですけど
散歩のもともとの意味を大事にしている人っていうのが散歩を好きですとか 趣味は散歩ですって言ってる人もいるし
恋愛の場とかにおいても私散歩好きなんですよねとか 趣味で結構散歩してるんですよって言ってる人いると思うんですけど
本来の意味を持ってぷらぷら歩いて何も考えず歩き回る好きな人に対して散歩しながらどこか見に行くとか
散歩と言いながら目的地があるようなところに行くのが好きな人だと 本当に散歩じゃなくねみたいな人もいるし
もともとの意味で使っている人が散歩に誘ってそうじゃない人がついていくと
目的がなくてなんかつまんないなーみたいな そんな風に感じる人もいたりするんじゃないかなと思ったりするわけですよね
まあでもそんな散歩ですけども 今もその散歩の意味合いが変わっていく途中なわけで
あとは散歩っていう言葉に冒険のニュアンスが近い将来含まれるんじゃないかなと個人的に思ったりしてるんですよね
これっていうのは以前エピソードで話したんですけど近い将来未開の地が増えるっていうふうに思うんですよ
これは地方で住んでる人が減って給作地とかいわゆる人が耕してない場所が増えるってことは
人に管理されない土地が増えるということなのでやっぱり農地が荒れて自然に帰っていくっていうふうに思ってるので
それが故にやっぱり人が立ち入らない場所っていうのは何があるかわからないから
相対的にですよ
散歩をしているときに人が手放した土地を歩いていくことっていうのは
もう誰も知らない未知の場所を歩いているというような意味合いになって
一種の冒険みたいになるんじゃないかなというふうにも感じたりするわけですよね
そんな形で結局その散歩という行為に対して本来何も考えなくて
フラフラ歩いてていいんだけどっていう行為だったんですけど
なんか散歩っていう言葉には冒険というニュアンスが含まれて
いつしかちょっと裏山に散歩してくるっていう行為が
熊にも合うかもしれないけれど
ちょっと冒険してくるみたいなニュアンスに変容するっていうのはあるかもしれないなと思ったりとか
そもそも都会とか情報にあふれる社会に住んでいる人にとっては
散歩という言葉自体が消失するみたいなこともあり得るのかなとか思ったりしたりもしたという形です
ここまで言っておいてあれですけど
僕自身の中の散歩の定義というところと
辞書に書かれているような散歩の定義というところが
どう近くてどう違うのかなっていうのも
やっぱり考えておいていいかなと思っているんですよね
これも時間とともに変容していくと思うので
2026年の6月の僕自身の散歩の定義にはなっちゃうと思うんですけど
改めて散歩の意味って何でしょうっていうところをちょっと整理をしてきました
一つ目は辞書にも書いてある通りですけど
目的地なく歩きさまようこと
そして無思考で脊髄反射で歩き散らすことというふうに定義をしようかなと思っています
やっぱり散歩の面白さというのは
あるT字路に到着するわけじゃないですか
テクテク歩いていくと左右にしか行けなくて
前に鏡がついていて
左右にこの先に何がありそうかみたいな
ちょっと見えたり見えなかったりというヒントがあって
どっちに曲がったらいいかなっていうのを考えたりするときに
家の方向とか考えないわけですよね
なんかこれから帰るから絶対家の近い方に行こうっていうふうにあんまり思うことがなくて
ただ目の前に見えているもののヒントから
どっちの方が面白そうかなというふうに思って
よしじゃあこっち行こうみたいな
無思考に近い形で直感を使って歩いていくっていうのが
結構散歩っぽいかなと思ったりしています
そして2つ目の定義が
日常のべきことから解放されることというのを挙げています
これは歩行中に近い未来のやるべきこと
これは仕事とか家事とかいろんなやるべきことというのがあふれていると思うんですけど
こういうものに対して憂いを抱くというか
あれやらなきゃいけないんだよなーとか
あれどうしよっかなーとかっていう
思考を伴う歩行から
解放されるものかなというのを
僕は散歩に感じているので
散歩の定義の一つとして
散歩をすることによって
日常における自分のやるべきことから
解放されていることっていうのが
一つ定義としてあってもいいかなと思ったりしています
3つ目の定義ですけど
デジタル社会からの断裂ですね
要するにデジタルデトックスとか
情報遮断ということなんですけど
散歩している途中に
スマートフォンゾンビ
つまり歩きスマホをするっていうのは
じゃあ散歩じゃないのかなっていうのを
思ったりするんですよね
だいたい散歩をするときって
歩くことが暇だから
スマートフォンを触るわけではないと思っていますし
だいたい散歩しているときに
スマートフォンを触っている人は
歩いている時間が面白くないから
散歩じゃなくて
普通にどこか家に帰ったりするときに
スマートフォンを触っているわけなので
タスクを散歩しながら
やっているという状態というのは
少なくとも散歩ではないのでは
って個人的には思ったりしています
最後