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街中の狭い T字路 を曲がると、哲学があった
2026-06-08 28:13

街中の狭い T字路 を曲がると、哲学があった

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散歩って、「散歩」なの?

散歩の記録や、「散歩」の意味の変化とこれから。「ぼくの散歩」が哲学だった話です。


この番組は、西暦3000年の、未来を生きる人類に向けて、

現代人が日々感じることや、ワクワクする未来への想いを発信し、

今を生きる皆さんと一緒に、未来に音声を残そうとする番組です。


BGM素材:DOVA-SYNDOROME、効果音ラボ


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サマリー

このエピソードでは、「散歩」という言葉の意味の変化と、現代における散歩の捉え方について深く掘り下げています。語り手は、辞書的な定義である「健康や気晴らしのためにプラプラと歩くこと」から、現代社会における「コンビニに行く」といった目的を持った移動まで、散歩の使われ方が広がっていることを指摘します。これは、移動手段の変化や、コスパ・タイパを重視する現代社会の価値観が影響していると分析しています。さらに、散歩は単なる移動ではなく、デジタルデトックスや感性の回復、そして予期せぬ発見(セレンディピティ)をもたらす行為であると定義づけられます。最終的に、これらの考え方が19世紀の詩人ボードレールや哲学者ベンヤミンが提唱した「フラヌール(遊歩者)」という概念に通じることを発見し、自身の散歩に対する哲学的な洞察を深めていきます。フラヌールは、目的からの解放、鋭敏な観察眼、都市への没入、そして批評精神といった特徴を持ち、現代人が散歩を通じて得られる豊かさを示唆しています。

散歩の定義と現代における変化
どちらかというと、人類の大半の人が散歩が好きかなと思うんですけど、例に漏れず、僕も散歩が好きです。
あてもなく夜の街を散策するような徘徊も好きですし、 すごく面白かったので、二往復もしてしまった
尾道の商店街が良かったなぁとか、 あとは年末もロンドンに行った際に市街をよく散歩してきました。
以前、散歩のエピソードをしたことがあったんですけど、その際には散歩が楽しめる 散歩心というアプリがあるんですけど、その話と散歩がもたらす偶発性ですね。
セレンデピティというところについて考えるエピソードをしたんですが、 今回は散歩という言葉の意味合いが変わってきたなぁと
最近感じることがあったので、そのお話をしたいなと思っています。 そもそもの話になりますが、皆さんは散歩という言葉の定義
ご存知でしょうか。 皆さんもよく見るかと思いますが、wikipedia によると散歩とは
健康とか気晴らしのためにプラプラと歩くことを指すそうです。 他の言い方だと散策とかそぞろ歩きとか
商用とも言ったりするようです。 このプラプラと歩くっていう表現、なんかいいですよね。
こうできんでないというか、力が抜けてる感じがして、このプラプラと歩くっていう表現を使ってみたいなと思ったんですけど、
wikipedia っていうのはあくまでその素人の人も編集ができるようなものではあるので、 手元にある三聖堂のですね
テオニハ辞典というのがあるんですけど、 こちらちょっと見ていたんですが
このテオニハ辞典で聞いたことない人多いかなと思うんで簡単に紹介すると、 日本語のコロケーション辞典で
250人の作家の作品から言葉と言葉の結びつきに関する60万例が紹介されている 辞書なんですけど、簡単に言うと歩くだったら
庭をっていうのが出てきたりとか、林をっていうのが出てきたりするっていうようなもので、 この帯にも書いてあるんですけど、散歩っていうものに対して言葉の野原を散歩してみませんか
という形で、散歩という言葉を使った際に周辺にどんな言葉が結びつくかというのがまとめられている辞書にあります。
その中でですね、散歩というところを見てみると、 例えば散歩に対してをがつくと散歩を終えるとか散歩をかかさないとか
散歩を切り上げるというようなものが書かれているんですけど、場所に関してですよね。 散歩するに対してつくのが
この2015年版によると、 例えば観光客が散歩するとか
海辺を散歩するとか お堀畑を散歩するとか公園を散歩する
砂浜を散歩するとか 他の用語に対してかなり散歩に対して散歩する場所をめちゃくちゃ丁寧に書いてあってですね
ああこの時もいっぱい散歩してたんだなとか、 って言っても10年前ですけど散歩というものに対して
まあ並々ならぬ場所が表示されているというような時点ですね そんな形で散歩というものについては
さまざまな僕らが行けるような場所について 健康とか気晴らしのためにプラプラ歩くというのが一般的だというふうにされているかなと思います。
散歩にまつわるユニークなイベントと記録
散歩と言いますか、歩くことというものは結構イベントに結びつきやすいということで まあいろんなようなマラソン大会とか競歩とか
そういう一般的なものもあるんですけど、いくつかですね 結構変わったイベントがあってついでに紹介していこうかなと思うんですけど
ウルトラ遠足というのがありまして、これ岐阜県の高山市 国父中学校で続いている名物行事、伝統行事らしいんですけど
あのフルマラソンと同じ距離ですよ 42.195キロ、これを中学3年生が1日かけて歩き回るようです
これは受験に打ち勝つために心身を鍛える目的でやってるらしいんですけど 秋ぐらいにやってたりとか
もちろん歩くだけじゃなくて走ってもいいらしいので 数時間で普通に駆け抜けていく運動部の中学生がいたりとですね
本当に中学生でフルマラソンってやっぱすごいじゃないですか距離的に こんな行事もあるんだなぁと思ってたまたま見つけたんですけど
例えばあとギネス記録ですよね ギネス記録の中にも歩くっていうところで結構記録があったりとかするんですけど
まあ面白かったのいくつか紹介しておくと 最も長い期間歩いた距離って皆さん想像つきますかね
ギネス記録によるとアメリカ大陸の横断記録があるらしくて 南アメリカの最南端から
北アメリカの最北端まで 横断した記録があるらしいんですけど1977年から1983年まで約7年かけて
乗り物を使わずに歩き通したという記録があったりします あとはこれも意外と気になるとこですけど24時間で歩いた距離のギネス記録というのが
あるんですけど これイギリスの記録で228.93キロということで約230キロ
丸1日歩くと進めるということなんですけど どのくらいの距離かというと東京起点だと福島県の福島市であったり
新潟県の新潟市 あとは静岡県の浜松市あたりらしいですと 一方で大阪だと愛知県の豊橋市とか
石川県の金沢市とか 広島県の福山市ぐらいまで丸1日かければ歩けるというふうに書いてありました
あとは同時に散歩した犬の数 これちょっと変わってますけど散歩のギネス記録の中でも1個あったのが
犬を同時に散歩させた数なんですけど なんと1回で38匹の犬を同時に散歩したという記録があるらしいです
すごいですよね なんか両手にもうなんですかスパイダーマンの糸がいっぱい張り巡られてぐらい
あのワンちゃんの紐がついていて左右に19匹ずつぐらいなんですかね あの
すごいちょっとムキッとした男性がワンちゃんを散歩させている写真が写ってました
で話を戻して今回散歩の話をしたかったところの一つとして 散歩の意味が変わってきてるんじゃないかというところになるんですけど
言葉の意味の変化(意味ドリフト)と散歩
時代とともに言葉の意味が変わってきてるなっていうのがちょっと感じているところ なんですよね
あのこれ意味ドリフトなんて言ったりするんですけど 他の単語の例でわかりやすいもので言うと
アイドルっていう単語あるじゃないですか アイドルも言葉の意味がですね時代が進むにつれて変わってきてるんじゃないかなと感じるものの
一つですね 例えば自分が生まれる以前の昭和時代のアイドルというものについては
手が届かない存在とか故郷の存在とか なんか神聖時されている感じないですかね
たまに昭和時代のアイドルの映像が流れますけど一人の女性アイドルが大勢の人を前にして なんかバックバンドみたいながいて
ライトに照らされて歌ってるみたいなのが結構あると思うんですけど 一方で平成というと皆さんもあの平成の方多かったりするかなと思うんですけど
会いに行ける存在とかなんかアイドルというものがグループを指しているとか 結構一般人との距離がかなり近くなっているような意味が結構含まれているのかなと思います
こういう形でなんか言葉の意味ってどんどんずれてきている 変化してきているというところで意味ドリフトと言ったりするんですけど
同じように散歩というものに対しても なんか意味合いがちょっと変わってきてるんじゃないかなと思ったりしています
例えば現代ですと 近所のコンビニまで散歩がてらいってくるわーみたいな使い方って結構普通にするような気がするんですけど
散歩ってもともとなんか目的地なくプラプラと歩くような感じだったんですけど これってコンビニという目的があるところに向けた歩行なのに散歩っていうふうに使っているわけなので
意味って変わってきてるなと思うんですよ
これ多分現代社会のいろんなものが反映された上で 散歩って別にプラプラ歩かなくても散歩だよねっていうふうになってきているのかなと思っていて
例えば移動の手段って結構変わってきていると思うんですよね 散歩って多分すごい前から使われている
例えば商用っていう単語の意味だって相当昔から使われているからそういう難しい用語があるわけですけど
僕ら今現代人は車とか電車とかが主流になっているので そもそも歩かないんですよね あんまり
特に地方の方なんて近くのコンビニまで行くのに車使うとかよくある話だと思うんですけど
そう考えたときに歩いて移動すること自体が特別な行為になっているので 目的があっても散歩というふうに言われるんじゃないかなっていうのが一個原因としてあるかなと思ったりします
もう一つはニュアンスを釈用しているということですね
散歩って結構プラプラ歩くとかっていう意味にあるように 結構のんびり歩くっていう意味合いとか散歩の子の持っているような
ふわっとしたニュアンス使いたいときが結構あると思うんですけど そういうものを表現したいときに
こののんびり歩くというニュアンスで散歩とかっていうのを使っているんじゃないかっていうのがある気がしますね
そういう意味では結構この意味合いの違いっていうのは結構人によって違うと思うんですけど
散歩のもともとの意味を大事にしている人っていうのが散歩を好きですとか 趣味は散歩ですって言ってる人もいるし
恋愛の場とかにおいても私散歩好きなんですよねとか 趣味で結構散歩してるんですよって言ってる人いると思うんですけど
本来の意味を持ってぷらぷら歩いて何も考えず歩き回る好きな人に対して散歩しながらどこか見に行くとか
散歩と言いながら目的地があるようなところに行くのが好きな人だと 本当に散歩じゃなくねみたいな人もいるし
もともとの意味で使っている人が散歩に誘ってそうじゃない人がついていくと
目的がなくてなんかつまんないなーみたいな そんな風に感じる人もいたりするんじゃないかなと思ったりするわけですよね
まあでもそんな散歩ですけども 今もその散歩の意味合いが変わっていく途中なわけで
現代社会における散歩の減少と未来
現に僕とか散歩は普通にしているわけですけど 近い将来もやっぱり散歩を続けるわけですから
それがどういう風に変わっていくのかなっていうのが気になっていて 今回の話をしている側面もあるんですけど
そもそもさっきも話した通り なんか目的なく歩くことってめっちゃ減ってると思うんですよね
そうなるとやっぱり散歩ってなくなっちゃうのかなとか思ったりするんですよ
やっぱり電車とか車とか将来的には場合によっては空飛ぶ車とかも使えたりするようになるわけですから
そもそも移動に対して足を使わなくなっちゃうみたいなことが増えるんじゃないかなと思うので
車とか何かしらそういった乗り物から降りるということは 降りた先に必ず目的地があるという方向になってしまうので
散歩しないんじゃねっていうふうに思ったりもするわけですね
あとはこれ結構現代の人も思うと思うんですけど
コスパとかタイパって言われている2020年代の時代ですから
人って暇じゃなくなってるし散歩しないんじゃねみたいな そういうのは結構ある気がしますね
基本散歩って目的のない行為だと思ってるんですけど
極端な話を言うと暇な人とか時間に余裕がある人じゃないと散歩ってできないのかなと思ったりするわけですよね
皆さんも手元のスマートフォンで様々なYouTubeとかInstagramとかTikTokとかXとか
情報と娯楽にあふれる社会を生きているわけですけど
それってある種散歩っていう行為について時間をかけることが無駄だなと思ったりとか
コスパタイパのいい食べ物が食べたいとかいつも遊んでたいっていう人にとっては
散歩っていう行為ってすごいコスパのタイパの悪い行為っていうふうに思われちゃうので
これからさらにAIも使う中で1人当たりの生産性であったりとか
時間当たりの楽しむ量っていうのが増えていく中で
何もしないという無駄な行為はできないんじゃないかなっていう場合もあるかもしれないなと思いました
散歩に冒険のニュアンスとデジタル社会からの断裂
あとは散歩っていう言葉に冒険のニュアンスが近い将来含まれるんじゃないかなと個人的に思ったりしてるんですよね
これっていうのは以前エピソードで話したんですけど近い将来未開の地が増えるっていうふうに思うんですよ
これは地方で住んでる人が減って給作地とかいわゆる人が耕してない場所が増えるってことは
人に管理されない土地が増えるということなのでやっぱり農地が荒れて自然に帰っていくっていうふうに思ってるので
それが故にやっぱり人が立ち入らない場所っていうのは何があるかわからないから
相対的にですよ
散歩をしているときに人が手放した土地を歩いていくことっていうのは
もう誰も知らない未知の場所を歩いているというような意味合いになって
一種の冒険みたいになるんじゃないかなというふうにも感じたりするわけですよね
そんな形で結局その散歩という行為に対して本来何も考えなくて
フラフラ歩いてていいんだけどっていう行為だったんですけど
なんか散歩っていう言葉には冒険というニュアンスが含まれて
いつしかちょっと裏山に散歩してくるっていう行為が
熊にも合うかもしれないけれど
ちょっと冒険してくるみたいなニュアンスに変容するっていうのはあるかもしれないなと思ったりとか
そもそも都会とか情報にあふれる社会に住んでいる人にとっては
散歩という言葉自体が消失するみたいなこともあり得るのかなとか思ったりしたりもしたという形です
ここまで言っておいてあれですけど
僕自身の中の散歩の定義というところと
辞書に書かれているような散歩の定義というところが
どう近くてどう違うのかなっていうのも
やっぱり考えておいていいかなと思っているんですよね
これも時間とともに変容していくと思うので
2026年の6月の僕自身の散歩の定義にはなっちゃうと思うんですけど
改めて散歩の意味って何でしょうっていうところをちょっと整理をしてきました
一つ目は辞書にも書いてある通りですけど
目的地なく歩きさまようこと
そして無思考で脊髄反射で歩き散らすことというふうに定義をしようかなと思っています
やっぱり散歩の面白さというのは
あるT字路に到着するわけじゃないですか
テクテク歩いていくと左右にしか行けなくて
前に鏡がついていて
左右にこの先に何がありそうかみたいな
ちょっと見えたり見えなかったりというヒントがあって
どっちに曲がったらいいかなっていうのを考えたりするときに
家の方向とか考えないわけですよね
なんかこれから帰るから絶対家の近い方に行こうっていうふうにあんまり思うことがなくて
ただ目の前に見えているもののヒントから
どっちの方が面白そうかなというふうに思って
よしじゃあこっち行こうみたいな
無思考に近い形で直感を使って歩いていくっていうのが
結構散歩っぽいかなと思ったりしています
そして2つ目の定義が
日常のべきことから解放されることというのを挙げています
これは歩行中に近い未来のやるべきこと
これは仕事とか家事とかいろんなやるべきことというのがあふれていると思うんですけど
こういうものに対して憂いを抱くというか
あれやらなきゃいけないんだよなーとか
あれどうしよっかなーとかっていう
思考を伴う歩行から
解放されるものかなというのを
僕は散歩に感じているので
散歩の定義の一つとして
散歩をすることによって
日常における自分のやるべきことから
解放されていることっていうのが
一つ定義としてあってもいいかなと思ったりしています
3つ目の定義ですけど
デジタル社会からの断裂ですね
要するにデジタルデトックスとか
情報遮断ということなんですけど
散歩している途中に
スマートフォンゾンビ
つまり歩きスマホをするっていうのは
じゃあ散歩じゃないのかなっていうのを
思ったりするんですよね
だいたい散歩をするときって
歩くことが暇だから
スマートフォンを触るわけではないと思っていますし
だいたい散歩しているときに
スマートフォンを触っている人は
歩いている時間が面白くないから
散歩じゃなくて
普通にどこか家に帰ったりするときに
スマートフォンを触っているわけなので
タスクを散歩しながら
やっているという状態というのは
少なくとも散歩ではないのでは
って個人的には思ったりしています
最後
語り手による散歩の4つの定義
4つ目ですね
セレンリピティとの出会い
感性の復活という風に
定義付けているんですけど
これはさっきも少し話しましたけど
たまたま刹那的な
選択をすることによって
路地を曲がった先に
例えばですよ
6月なんですっごい綺麗な
紫陽花が咲いていて
すごい嬉しいなという
気持ちになったりとか
いつも歩いている道だけど
一本それると
こんなところに学校があったんだなとか
こんなところに面白そうな
バーがあるんだなとか
普段の
何なり何ですかね
どこか目的地のある先に向かうときの
道ではないところを歩くことによって
普段気づけなかったような
街の良さ
美しさというところに気づいたりとか
出会えなかったものに
出会えるというのが
やっぱり散歩というものの
定義というか
散歩するというものは
自分の感性を蘇らせるものの一つなんだなというところは
ある気がしています
そんな形で
フラヌールという概念との出会い
自分にとって
2026年における
散歩というものの定義
意味合い
持つものというのはこんな感じなんですけど
これって
人類数十億人
いるわけですし
昔から人が生きてきているわけですから
同じような発想を
持っている人とか近いものってないのかなって
調べてみたんですよ
さすがにこれが僕最初の
閃きというかアイディアに至った
人だったらさすがに
そんなことないでしょってなっちゃうので
調べてみたら
なんとあったんですよね
これが
何かというと
フラヌールという言葉なんですよ
フラヌールというのは
遊ぶ
歩くものって書いて
遊歩者って読むのかな
フラヌールという読みをしているんですけど
意味として
目的を持たずに街を
ぶらぶらと歩き
群衆や都市の風景を
観察する人のことです
という風に出てきました
その
散歩というものに対して
単なる暇つぶしじゃなくて
都市の幻想の中で
独自の視点を持ち
歩くことを通じて
世界を深く洞察する
知的・美的な精神を指す
という風に出てきました
この概念は
19世紀の詩人
シャルル・ボードレールが書いて
20世紀の
哲学者
バルター・ベンヤミンが
パサージュ論なので
哲学的に紹介されたという風に出てきまして
ちょっと待ってくれよ
俺が考えていたことは哲学になってしまったのか
という風にびっくりしちゃったんですけど
そういったものがフラヌールとして
すでにあるという風に
出てきました
やっぱり人類はすごいですね
フラヌールの精神の特徴
このフラヌールの精神というものの特徴が
予約されて出てきてたんですけど
一つは
目的からの開放ということで
無意の価値という風に書いてありました
これは
生産性とか
効率が重視される社会において
当てもなく歩くこととか
何もしない時間というものの中に
価値を見出すこと
そして
時間を忘れて
街のディティールに目を向けることで
心の余裕を取り戻しますという風に
1個目書いてありました
さっき何か言ったようなことが書いてありますね
2つ目は
鋭敏な観察眼
探偵のような視点
ということで
群衆に紛れながら
街を行き交う人々や風景
商品などを客観的に観察します
見慣れた日常の中に潜む
小さなドラマや
時代の変化を見出す
都市の探偵のような役割を果たします
という風に2つ目書かれています
そんなここまでやるんだ
というところですけど
2つ目が
鋭敏な観察眼という風に書いてありましたね
3つ目は
糖水と没入ということで
ただ冷徹に観察するだけではなく
街の空気感や
情報に身を委ね
都市のエネルギーを
全身で味わい尽くします
外界と事故の境界をなくし
風景と一体になる
感覚を大切にするという風に
書いてありました
確かに散歩している時って
自分と世界の境界線が
曖昧というか
空気も一体として
楽しんでいるというところはあるので
言われているよりは
糖水と没入って
感覚あるなと思いましたね
最後4つ目が
奇跡な
批評精神ということで
消費社会や都市のシステムに対して
批判的な距離を
保ちます
群衆の消費行動や流行を
外側から冷静に見つめ
自分内の施策を深めます
ということで
これはすごい高尚なことをやっているな
と思いますけど
夜中こんな風に無駄に消費しているな
電車
車とか
なんで一人で乗っているのに動いているんだとか
そういうことですかね
そういうのを観察しながら
これっていいのかな
っていうのを
考えたりするってことなのかな
と思ったりします
そんな形で
散歩と哲学、そして未来への処方箋
フラヌールという言葉がすでにある
ということで
僕がやっていることは
散歩ではあるけれど
フラヌールでもあるんだなということを
今回知ることができまして
やっぱり世の中にあることを
誰かは哲学に消化させているんだな
というところが
今回面白かったなと思うポイントなんですけど
改めて
今日話した内容をまとめると
散歩って
言葉の意味合い変わっているよね
という疑問を最初の出発点にはしたんですけど
散歩という行為自体は
やっぱり意図的に
何もしないという行為というか
この
何でもやらなきゃいけない
何でもやりたいことがある時代において
あえて何もしない
そしてただ歩くだけ
そしてその時の感性としては
目的を持たず
ただ自分が今どっちに行きたいか
というのを得られ続けるだけの行為なんですけど
本当になんか
そういう意味では感性を養うというか
日常疲れている中で
こういったことをするのは結構
処方箋としていいものなのかな
と思った次第です
と同時にやっぱりその散歩という言葉に対する
違和感ですよね
もともとの意味合いと
変わってきている意味合いとか
あとは僕自身が散歩という風にみなしている定義
というところを見比べてみることで
結構思考の
クリアになったというか
確かにここは似てるけど
ここは違うなと
そういう風にも考えられるのね
というところが結構面白かったなと思っています
僕は結構散歩が
もともと好きなので旅先だろうが
家の近くだろうが
結構歩いたりするわけですけども
昼と夜の散歩の違いも
結構良かったりするし
あとは自分が普段
平日とか週末も含め
働いている時間にあえて散歩することで
世界が実はどういう風に
動いていたんだなというのを
見てみたりするの結構面白いなと思うんですけど
これがもしかしたら
フラヌーンの中の知的な
批評精神なのかもしれませんが
散歩をすることによって
なんか普段自分が
考えていなかったことを
思いついたりとかそういう場にもなったりするので
僕は結構散歩が
今の段階では好きですね
ということで
ちょっと長くなった気もしますが
今回は散歩を
話したいなと思って持ってきました
以上
2026年6月の
現代人でした
ということでエンディングです
今回は
散歩の意味合いが変わってきているんじゃないかな
というお話をしてきたんですけども
散歩のことを調べていけばいくほど
どうやら
哲学というところに
たどり着くということが
わかりました
あまり僕が自分自身のことを
哲学的とか哲学だと思ったことは
なかったんですけども
結構会うたびに
あなたのエピソードは哲学的だねと
言われるということで
ある種僕は哲学が好きなのかもしれないなという
ところも感じてきているところですけども
散歩自体は本当に
健康にもいいので
よかったらポッドキャスト聞きながらでもいいですよ
ぜひ
家の周りの知らなかった場所とか
歩いてみていいのかなと思います
番組では感想を募集しています
Xのハジョタグ
エコー3000までお寄せください
では今回はここまでです
現代人の皆さんも
未来人の皆さんも
また次回お会いしましょう
じゃあね
28:13

コメント

ただ出かけるときから散歩のために外出することはあまりないけど、目的地に行く途中でいつも通らない道を通った火、遠回りになるとわかっている道を選んだりすることはよくやりますね

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