すごい説明の仕方がすごいね、その本だったら。
なんか散歩の心理学ってあるから、そうなんだなと思って手に取ってみたら、
この方、カウンセラーの臨床心理師さん、公認心理師さんの方なんだけど、元永田九郎先生がね、
受験生、特に浪人生を相手にしたカウンセリングみたいなのを長年やってた方なんだよ。
そんな職業が存在するんだ。
なんかね、我々浪人をしていた身としては、すごくわかるなっていう内容がいっぱいあったんだけど、
そんなカウンセラーがいたなんて知らなかったなと思って。
いやでもさ、確かにちょっと、木曽さんはわかんないと思うけど、
大事。
それいるから。
大事って。
なんならこれが言いたくて言い始めてるとこあるんだけど。
浪人生の時って結構不安が強いというかさ、
うん、わかるわかる。
1年もう1回や、え?
わかるよ。
終わっちゃうからやめて、もうそういうこと言うの。
怒ってもないこと言うの。
余計なあれは入れないでしょ。
ちゃっちゃ入れないで。
不安が強いよねっていう話。
一般的に。
何者でもないじゃないですか。
そうね、社会的に何者でもないよね。
学生と言っていいのかわからないみたいな、
わかってない限りは何でもないみたいな存在。
高校生でも大学生でもない時間みたいな。
それはそう。
あと言って社会人でもないみたいな時間があるし、
しかも勉強はするけど受かるのも別に確定ではないじゃないですか、
当たり前ですけど。
この期間が終わったら絶対プラスだとも限らないみたいな時間で、
結構憂鬱度が高くなりやすいから、
確かにそれに向けたカウンセリングっていうのは一定の需要はありそうだし、
ちょっとビジネス的なことを考えると、
浪人させてもらえる家庭って予算あるだろうなって。
確かにね。
ビジネスライクやな確かに。
さすが経済にまで行き届く環境というのはさすがですね。
大なり小なり。
明日から働かないとみたいなご家庭ではなかなか難しいじゃないですか。
そうだね。
そうさせていただくって。
お金はかかりますからね。
そうですね、当然かかるんで。
なんでセミでは職業面白いなというのはありますね。
アキサさんにはちょっとわかんないかもしれないですけどね。
せっかくこれ大切なのに。
静かにしてたのに今。
俺が言いたくて言ったんだから。
そうだね、その何者でもない期間を2年以上続けてる男だからね。
高谷さんにカウンセリングは全然必要ないんだけど、
多くの浪人生は今河地が言ったみたいにいろんな葛藤だったりとかね、
不安とかを抱えながらやっていると。
子供まで自分と一緒だった学年の人たちが先に学生とかになっていく。
そういうギャップも多分あるんだろうね、そこに。
知識としては知ってる、今そういうの。
ひどいな。
感情は乗ってこないけどね。
そういうふうに考えたんだよ。
みんなは大学生やってるんだなみたいな。
それは置いといて。
置いといて。
その主に浪人生のカウンセリングをする1場面みたいなものをちょっと切り取りながら、
どうしても勉強に集中できないとか、なかなか気持ちが向いていかないみたいなのを、
どうやったらそれを解決していけるかみたいなところで、
散歩ってすごくいいよねみたいなところから話が始まり、
結局この運動っていうね、体を動かしていく運動っていうところと、
心とって繋がりももちろんそうだし、
本当この著者の方がそういったカウンセリングを通じて、
散歩のより深い世界を考えていった結果、
散歩ってマジすげえよなっていうところに帰結する、そんな話なんですけど。
めちゃめちゃざっくり言ってますこれ。
嘘だったらごめんなさいっていうぐらいざっくり言っちゃったんですけど。
ちなみにこのタイトルがさ、歩くと心が軽くなるのはなぜかじゃん。
なぜだっていう説明なの、その文章とか。
分かるよ、俺。
カワさん分かる?
僕が書いたわね。
気のせいだね。
なるほどね。
分かっちゃったからそれ。
絶対そう。
気持ちの問題だと思う。
はい。
なるほどね。
プラシーボ的な話ね。
絶対そうです。気のせいです。
いやー、歩くはできない。
頼む。
どうかな。
ちょっとあるかもしれないな。
ちょっとあるかもしれないな。
気のせいでいいんだと思うんだよな。
俺気のせいにされちゃうとカワジックあるぞ。
ごめんごめん。
気のせいでもいいと思うんだよ、僕は。
ごめんって、俺が悪かったよ。
いや、なんていうか、明確になぜならこうですっていう一文があるわけではないんだが、
一番最後、終わりにっていう章の一番最後の文章がどうぞゆっくりとした息遣いでって書いてあるの。
めっちゃ素敵じゃない?
すごいな、論理と感情の対局の話をずっとしてるから。
そうだね。
今、現代文だったら全然点数もらえない回答だったね。
そう、でも今日は俺これで戦おうと思って。
まあでも、プロも味方をするわけじゃないけど、この手の物って意外とタイトルは後付けだったりするから。
編集者がつけてる場合もあるし。
そうそうそうそう、明確な答えはないみたいなこともなくはないよね。
でもなんか本の内容を聞くに、何かしらの解に沿うものが示されてるんじゃないかなって気がするんだけどね。
そうだね、きっとちゃんと読んだら書いてあると思うんだけど、ごめんなさいね。
俺これを話してる時点でね、あと6分の1ぐらい残した状態で今話し始めてしまったので。
じゃあその6分の5読んだ状態でチロの中の回答を言ったらいいから、そうなるとどうなる。
いやでも、歩くと心が軽くなるのはなぜかって言われたら、それが歩くということの作用だからとしか言いようがないなってちょっと思うな。
なるほどね。
うん。だから本当に歩くことができると心は軽くなるものなんだぐらいな。自明じゃないっていうぐらいな。
へー。
僕の感覚としてはそうだったの。これを最初見た時って。え、歩くと心が軽くなるのはなぜか。え、だって歩くって心が軽くなるじゃんぐらいの。
わかんないけど、その呼吸をしたら楽になるよねみたいな、そういうレベルの苦しくないよねみたいな話。
そうそうそうそう、ほんとだな。
呼吸することで、呼吸することは息することだよねぐらいな、なんかそれぐらい当たり前な仕事言ってるみたいな。
そうそうそうそう。
言い換えてるぐらいに見えた。それは嘘でしょ、さすがに。
いや、でもそれぐらいな感覚なんだよ。歩くとも軽くなるだろうって思ってたんだよ。思って生きていたから。
なんかその答えをね、読み飛ばしてる、きっと僕が。
あえて嫌な言い方をするけど、心が軽くなるって何?って思ってる。
あ、いい問い、いい問いだね。
心が軽くなるは何?っていうのは。
何?重さとかないじゃん、心。心臓に何というか、重量が増えるとか増えないとかってことですか。
皆まで言うなって。
心が軽くなるは、この本の内容的な話で言うと、不安とかなんだろうな、もやもやが消えるみたいな。
なんか要は、主に老人性のこんな会話、0時だけどね、だいたいこんな会話からカンセラーとしてのやり取りを通じて、凝り固まったものがほどけていくような感じ。
で、それって散歩による効果でもあるよね。散歩することでそういうのって促されていくよね、っていうところが軽くなるっていうことだと思うんだけど。
そうだね。
考えをほぐしていく。で、だいたいそういう凝り固まってる時って、やっぱ体も凝り固まってることが多いから、自分に合うやり方でいいからちょっと体をほぐしてあげよう。
で、体ほぐすことで心もちょっとふっと軽くなるよ。で、そのためにはお散歩ってすごく効果的だよねっていうのがいろんな視点から書かれているに近いかな。
心が軽くなるって、逆に心が重い状態っていうのを考えた時にさ、多分なんか不安とかっていう感情面とかもそうだし、あれやらなきゃこれやらなきゃみたいなのがすごい散らばってる状態。
で、なんか手につかないというかさ、何かどれからやっていいかわかんないみたいな。
なんかそういう状態で、ある種心が麻痺してるような状態なのかなというふうに聞いてて思って。
心を軽くするって、さっきケータが最初の方に言ってたのが結構答えかなと思ったんだけど、田中圭さんとかさ、ランニングもあれだよねっていうところだと思うんだけど、
結局できる、物理的に作業ができない状態になると、その不安の大部分、今すぐ何かできないから消える。
かつ、走りながらマルチタスクって結構むずいと思うから、いかにそのシングルタスクにするかとか、考えられる内容を減らすかみたいな。
文脈なのかなっていうふうに思って聞いていて、歩いたりしてると、そんなにできることも限られてくるからさ。
自然と考えることも、もやもやも晴れるというかね。
じゃあ、僕が歩いても心が軽くならないのはめちゃくちゃ歩きスマホしてるからってこと?
あー、それだね。
よくない。
すいませんよ。
今の観点も面白くて、その本の中ではその散歩の仕方とかの説明とかルールとか、散歩とは何ぞやっていうさ。
さっきチェロが、トイレ行くのも散歩って定義してるって言ってたけど、具体的にそういう説明はあるんですか。
いや、こうだから散歩みたいなものがないと言っている。
だから、本当にその人が散歩だと思ったら、それは散歩でいいっていうぐらい、裾野の広いものとして言っていて。
なんか、なんて言うかな、その散歩っていうものが、もっともっと大昔から人間の有志の前から実は営まれてきた活動であり、散歩することが人間のこういった考えをいろんなものを発展させてきた一条にもなっていてとか、なんかそういう広がり方をしているのね。
だから、なんというか、何の話してたんだっけ今。
本当に今日ごめんなさいね、聞いてる方。
散歩してきたほうがいいんじゃない?
散歩してきていいですか?
多分俺、歩きながらのほうが喋れるんだよね、これ。
散歩したほうがいいかもしれない。
まあ、ちょっと話は変わるんだけど、散歩は別にしようと思ってするタイプではないみたいな話をさっきしたけど、
割と歩いて移動するは嫌いじゃないというか、電車乗ってる時間とかバス乗ってる時間とかよりは一駅だったら歩いちゃおうとか、特に都内とかだとさ、一駅ぐらいの距離だったらもう行けちゃうみたいなのが。
全然あるじゃないですか、とか。
今僕が住んでるのは全然都内じゃないんですけど、一駅で4キロぐらいあるから。
結構あるよな。
あるんだけど、あえてその一駅隣まで頑張ってちょっと30分とか1時間ぐらい歩いてみて、早めに寄せてみたいなことをするとかをやるときには、
なんかツッコミどころあるところを探すみたいなことはしたりするなとは思ったというか。
ツッコミどころがあるという。
なんか前何かの書いた話だった気がするけど、信号の横の標識のなんとか交差点みたいなものがあったときに、
どういう英訳をつけるのか。ローマ字をつけるときに。
わかんないけど、なんとか通りみたいなものがあったときに、なんとか通りなのか、なんとかストリートしてるのかみたいな。
どこまで固有名所とらえて、どこまで一般名所とらえてるのかみたいなのを見るみたいな。
ここは固有名所なんだ、みたいな。
謎の名前が、僕の家住んでるとおもいっしょに一本松っていうところがあるんだけど、
なんで一本松あったのかなとか。
そういうなんでこれがついたんだろうとかを考えながら歩くとか。
渋谷にベルウッドっていうお店があるんだけど、
絶対鈴木さんが作ったろとか。
そういうことを、なぜこれがこうなったのかを勝手に想像しながら歩くみたいなことをやると、
ちょっと思考が今にとらわれなくて済むみたいなのがあるかもなと聞きながら思いましたね。
それも書いてありました。
そういうふうになって、街を見るというか、目に入ってきたものについて考えを巡らすとか、
そういう柔軟に対応していくというか。
今言ったみたいに、それこそ何かストレスを抱えていた状態でも、
そういうふうにふっと違うことを考えられたり、違うことをいろいろ妄想したりとかっていう営みが、
それこそ心を軽くする一助になってるんだって。
心が回復するために必要な時間動作なんだっていうようなところが、
散歩のすごさ、散歩の力というか。
みたいなことがいろんな視点から書かれてますよね。