1. あのさ、
  2. #30 願わくば好きなことで生活..
2025-04-20 49:08

#30 願わくば好きなことで生活していけますように

今回のテーマは「好きなこと・向いていること・できること」の重なりや差異について✍️


index🐾

「好きなこと・向いていること・できること」の違いについて/好きなことは仕事に直結しない/「なんとかできている」けど好きでも得意でもない/アカデミアに合わないかもしれない/精神的なしんどさ/好きなことと向いていることの不一致/他者と比較してしまう/「好き=仕事」が自分には見つかっていないという焦り/好きなことへの熱量の向け方/得意なものがこれといってない/労働の構造に対する疑問/生活を営むためだけに費やす労働時間の多さ/5年後を想像すると……/向いていないことに膨大な時間を使うことに対する葛藤/知識のギャップとキャリアアップ/ポッドキャストはたのしいから続けられている/「できる」のハードルを下げていく


SNS🗣️


感想や質問は⁠⁠こちら⁠⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年4月11日]


サマリー

ポッドキャストエピソードでは、好きなこと、向いていること、できることの違いについて深く探求している。むぎとほとりょうこは、各々の人生における悩みや葛藤を共有し、理想の働き方や経済的な対価について考えを深める。エピソードでは、好きなことを仕事にすることの難しさや、自分の能力と情熱のギャップについて議論している。また、仕事を通じて自己実現を図るための試行錯誤のプロセスについても考察される。このエピソードは、好きなことを仕事にすることの難しさと、それに伴う悩みを中心に話が展開されている。彼らは自身の経験を通じて、文系・理系の違いや労働としての選択について掘り下げ、ポッドキャストを通じての楽しさと苦労の両面を語る。ポッドキャスト制作における定期性の重要性と、労働に対する悩みについての考察が展開される。また、できることのハードルを下げ、自分自身を肯定することの重要性についても触れられている。

テーマの提示と葛藤
こんばんは、むぎほです。
りょうこです。
ポッドキャスト、あのさ、は、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい。
今日も始まりました。
はい。じゃあ、今日のテーマをお願いします。
はい。今日のテーマは、好きなこと、向いてること、できることの違いは?っていうことについてちょっと話してみたいなっていう感じ、今日のテーマです。
はい。
あの、これも、あ、そうね、私が先週も提案したんだっけ、これも私が今回提案したんだけど、
特にきっかけがあるわけでもなくて、まあ、これは常に私の悩みというか、
そう、あの、そうね、なんか常にこう考えていること、これから人生どう生きたいかみたいなところにつながってくることでもあって、
そう、わりといつも考えている、なんかそれで答えがない、いつも考えてるんだけど、
特になんかその、あ、わかったとか、あ、これだみたいなものがなく、まだ悩んでいるので、ちょっと話してみたいなと思って、
りょうちゃんと話したら、もしかしたら何かが見えてくるかもと思って、
そう、テーマにしてみた。
これはさ、なんかむーちゃんにとって、好きなことと向いてること、自分に向いてること、あるいは自分ができることっていうのが、
うん、それぞれ違くて、それぞれが一致してないみたいな話?
そうね、なんかまずこの2つで言うと、まあ好きなことは、私結構、あの、いろいろなことに手を出していて、
たくさん、まあそのすご、なんか好きの度合いもまたそれぞれ違うんだけど、まあいろいろなことに興味があって、
まあいろいろなことに手を出していて、いろいろなことが好きっていうのが、まず一つあるのね。
で、でもそのなんか、うん、でそれと同時に、その向いてることってなった時に、
まあ向いてることってつまり、なんかうまくできること、自然にうまくできたりすること、
なんか向いてることのまず定義って何?なんかナチュラルに自然にうまくできること?
うーん、どうなんだろう。
でもさ、自分に向いてないって自分で思っててもさ、意外と周りからはそう思われてなかったり、
りょうこの研究生活
いやいやできてるじゃん、みたいな、思ったりするじゃん。
ある、めっちゃある。
そう、だからまずそもそもその定義もわからず、私が自分で得意って思うこともないから。
なんかこれはさ、好きなことはわかるというか、いろいろ趣味もあるし、
そうだね。
こう自分がすることもそうだし、なんかでも向いてることとか、できることってなった時にさ、
それはやっぱり、なんだろう、労働と結びついてる。
生きるために働く、その働き方と、なんだろう、働くことと趣味みたいな話とはまた違うのかな。
なんかその辺も結構こんがらがってるかもしれない。
なんか全部がこう複雑に絡まり合ってる感はあって、
私のすごく理想の人生みたいなのを思った時に、
それこそ好きなことが、その労働とイコールで、その労働によって経済的なお金のっていう対価を得るっていうのが、
全部その一つにつながってる感じなのね。
で、今はなんかその、私が仕事としてやっていることは、なんかすごく頑張ってていうか、
なんかそのたくさん、それこそ自分で勉強したりとか、いろいろ時間を費やして、いろいろやって、
ことによってなんとかできてるな、みたいな感じのことが、私の今の仕事で、
だからなんかその、それを長く続けるっていうふうに考えた時に、
なんかまぁ、そこまで好きっていうほどでもないこと、だけどなんとかできてること。
でも、なんかなんとかできてるから、その得意ではないじゃん。
得意でもないし、なんかその自然にこうできるとかじゃないか、向いてることでも特にないことが、
今その一つのその労働としてやっていることで、それをだから、なんていうのかな、
まず一つ、その好きと結び、まぁ強く結びついていないっていうのがあって、
で、プラスその、なんていうのかな、なんとかできてるっていうレベルのことを、
長く続けるっていうことが可能なのだろうか、みたいなところが2つあって、
その2つがちょっと自分の中では、なんか常に葛藤というか、考えていることとしてあるのね。
でも、りょうちゃんどう?なんかりょうちゃんは、自分のやってることが自分の好きなことで、
自分の得意とか、まぁできることであるっていうふうにつながってる感じ?
いや、なんか、これはなんかあんまりいろいろまだ決まっていないから、あんまり詳しくは話せないんだけど、
私は今、大学院にいて研究をしてるんだけど、もちろんそれも自分が好きで選んだテーマだし、
好きでここまでやってきた。けれども、やっぱ年数重ねてやってきたからこそ、
それこそ最近向いてないって思うようになったのね、なんか。
まぁ研究するっていうこともそうだし、このすごくなんか自分が知ってる範囲のこの主観的な判断で言うんだけど、
自分にとってアカデミアっていう場所が、自分にとっては居心地がいいものではないし、
結構自分のこのなんだろう、いろいろなんていうか、メンタルというかの面で合わないなって思うことが増えたり、
それもやっぱり大学院に入ってからいろいろ気づいた部分でもあったんだけど、
なんか、この場所が合わないとか、この作業が自分好きで選んでやってきたんだけれども、
ただそれが自分に必ずしも向いてるわけではなかったかもしれないみたいな感じに、
まさに最近なってる。最近っていうか本当この年単位でね、なってるから、
そう、だからなんか本当にこの好きなことと向いてることとできること、
別になんか向いてないなとは思うけど、できなくはない。
実際ここまではなんとかサバイブしてるからね。できないことではないけれども、
ただ本当にそれこそムーちゃんがさっき、自分がなんとかやっていけてることをこの先も続けていけるだろうかみたいな話をしたときに、
私も全くそうで、これを自分が自分のなんというか人生の中心にそれこそ据えて、
それによって自分も生活をしていくっていうのを考えたときに、
これをこの先も続けていけるかっていうのをやっぱりすごい今結構タイミング的にも考えるところがあって、
だからなんか好きなことと向いてることっていうのが、今私がやっているこの研究っていう営みに関しては、
好きと向いていることの相関
自分にとってはなんかちょっと違ったかもしれないっていう風になってる。
なんかそれって研究の、研究自体の手法というか、なんかその研究っていうこと自体に対してなのか、
なんかその研究の周りにあるその他諸々、それこそ組織だったりとか、アカデミアみたいなその世界自体だったりとか、
もちろんその研究自体もそれがなしには多分存在しないから、関係的にはお互い相互関係というか両方とも影響はあると思うんだけど、
なんかどっちかっていうと、研究の周りにあるものに対してそういうふうに思ってるっていう感じ?
それともやっぱりその研究自体も割と結構その感覚的に、できなくはないけど、それを長くやっぱりずっとやるのはうーって感じっていう風になってる?
それかもう相互として全体的にみたいな。
なんかそれがあんまり多分きっぱり分けられないというか、ほんと全部有機につながってるっていう感じ?
でもあって、そもそも研究職がないっていう話でもあるんだけど、安定したっていうそのでっかい問題もあるし、
このポッドキャストでもそうだし、私は基本的にインターネット上で自分の研究テーマについて書くとか話すみたいなことを一切やったことがなくて、
ここも本当にするつもりはないんだけど、っていうのはやっぱり結構研究テーマに選んでることが割とセンシティブなことなんだよね、内容的に。
っていうのもあって、だからあんまり詳しくは言えないんだけれども、やっぱりその研究テーマ、自分がやることももちろん基本的には一人でやってるっていうか、
共同研究とかももちろんあるんだけど、分野とかもうちょっと別の人と一緒に協力しながらやるっていうのはあるけれども、
基本的にはやっぱり人文社会科学の分野で大体は一人でやるっていうことが多いんだけど、とはいえやっぱその研究をするときで、
当たり前だけど先行研究があって、自分の研究が自分の研究として完全に独立するっていうのは本当にありえない話で、
やっぱりいろんな研究者の過去の蓄積と当然だけどつながっていて、同時に今現在のその分野の研究状況とか、いろんな人の議論っていうのは関連していて、
だからその研究をするっていうその行為と、研究をする環境とか周りの人たち、アカデミアの雰囲気っていうのが分けられないこととして、私は割とある自分の中では。
だからなんかそういうアカデミアの雰囲気を感じながら常にやっぱり研究してるし、論文を出すし、だからなんかそれもあってあんまりこうどっちがっていうのが言えなくて、
結構密接に結びついてる。 そうそうそう、いろいろ含めてひっくるめて、なんか自分がここでやっていく将来像みたいなものは、結構想像しにくいかもしれないと思ったし、
まあ基本的に教祖司会だから本当に割と厳しいし、 そうだね。
こういう状況を見たときに自分がここでやっていけるかっていうのを、なんかあんまりこうポジティブに思えないかもしれないっていうふうに最近思ってる。
まあテーマはセンシティブではありつつ、そのテーマ自分が好んで選んだことではあるから、それは自分にとってはすごい大事なテーマなんだけど、
でもなんかそれをこの研究を取り巻くいろんな物事環境の中で自分が続けていくっていうのは結構難しいなと思ってて、
だから一番最初に戻ると好きなことと向いてることっていうのは、それがねイコールだったらすごくいいことだと、
まあそれでもねずっとハッピーですっていうわけにはもちろんいかないと思うけど、
とはいえなんか状況としてはいいよねって思いつつ、まあでも好きなことイコール向いてることにならないことの方がまあ多いんじゃないかっていうふうに思ってるんだけど、どうだろう。
なんかインターネット上にいるとさ、好きなことと向いてることがイコールの人がたくさんいるじゃん。
たくさん見るじゃん。目の当たりにするじゃん。なんかそれこそ文章を書くのが好きで、それをメインに食べてる人とか、
あとは例えばなんかもうすごいファッションが好きで、でなんかそのそういうファッション関係の仕事をしてきてる人とか、
そういうのばっかり私は見てるから、なんかそういう人がほとんどなんだみたいな、なんかその変なフィルターがかかっていて、なんかすごい良くないんだけど、
自分でもわかる、なんかそれが現実ではないっていうのはすごいわかってるんだけど、なんか私の周りにいる人も割と結構なんか自分の好きと仕事、まあそれこそ仕事とか、まあその向いてること仕事がイコールな人が結構いて、
なんかそれもあって、なんかまあなんか自分にはそれが、だからそれと比べたら、なんかそれ自分はそれがないみたいなのが結構なんか顕著にわかるというか、なんかああなんか自分はそうなんかその好きなこと向いてることがまあイコールではなくて、
なんかそれがまずそもそも何かわからなくて、見つかるかもわかんなくて、なのになんかこの人たちはみんなそれがイコールで生きてるみたいな感じで、そう思っちゃう感があるのかな、なんか多分私が周りで見てる人とかも割とそういうのがイコールな人が多いから、
なんかそれをそうすごい見てて、ああなんか自分は今やってることもなんかそのずっと続けていける自信がないし、でもだからといって何をするのか何ができるのかって言われたら、いやなんか特に何もないですみたいな感じだから、
でもさ、なんか仕事とかってさ、まあそれこそ1日8時間なり、週、まあその普通普通って言ったらあれだけど、まあなんかその社会的な一般とされるスケジュールで言ったらさ、まあ結構な時間を仕事に費やすわけじゃん、まあそのそれなりのその生活するためのお金をもらうには、
好きなことと仕事の葛藤
だからそれを考えた時にそんなに自分の人生の時間を使ってるもの、その対象が自分があんまり得意じゃないことだったりとか、なんかそれこそ嫌いなこととか、なんか辛いことだっていうのは、いやなんかものすごく辛いじゃんって思って、
で、なんか今はだからなんとかできてるからいいんだけど、まあそれが例えば5年後辛いことに変わってたとしたら、なんか自分はどうすればいいんだろうみたいなのを最近結構真剣に考えてて、ね、なんかそのそもそもがさ、なんかそのこんだけ働かないとそもそも最低限にね暮らせるお金がもらえないっていう社会自体もおかしいんだけど、
まあそれがこうね数年でいきなりユートピアに変わるわけでもないので、働き続けないといけないんだけど、それを考えた時になんかせめてもうちょっとなんか自分の好きに近いことが例えば仕事にならないのかな、できないのかなみたいなのも最近考えたり思ったりしてて、
ね、なかなか難しいし、なんかみんなどうやってそこにたどり着くんだろうみたいなのもすごい思った。試行錯誤とかしてるさ時間とか、あのそれこそ余裕みたいなのもなかったりするじゃん、なんか例えばこれが好きで、まあちょっとやってみたけどあんまりできなくて、じゃあ次のまあこれに進みますみたいな、
でもそのなんかその変わってる境目みたいな時ってさ、なんか例えば収入がなかったりとか仕事がなかったりとか、でもそれでも暮らしていけるのかみたいなのもさ、なんかそれだけの貯金がまずあるのかとか、なんかそういう生活とか経済状況によってもそういう余裕みたいなのも変わってくるし、
なんかそういうのを考えた時に、今あることで何とか続けるしかないのかなみたいなのも考えたりして、そうね。
なんかどうなんだろう、副業とか、私の周り、周りというか本当に身近な人たちはそんなにやっぱりまあこの生活のための労働に限って言うと、その仕事は全然好きなことではないし、
必ずしもなんかそこ向いてることと好きなことがイコールな感じではないから、なんかそれと比べて自分がみたいなの、私はあんまりないんだけど、ただひたすらつらそうっていうのは、なんか端から見てても思う、なんか本人たちがすごいつらそうにしてて、まあそりゃそうだよねって思って。
でも生きていかなきゃいけないし。
そうそうそう、このなんか労働とでもなんか生活はしなきゃいけないっていうその問題もありつつ、でもなんかその自分が好きなことを仕事にするってすごいよねって言ったらなんかあれだけどさ、なんかこれでやってる人たちがどういうプロセスをたどってそこにたどり着いたのかみたいなのはめっちゃ知りたい。
なんかどうやってその自分が好きなことが自分に向いてるって思い、それをなんかそれを糧にちゃんと生きていけるのかみたいなのもめっちゃ知りたいし、でもなんか同時にやっぱりなんかそういうなんかそこが密接に結びついてる人たちの、なんか好きのなんかパワーが自分と比べ物にならない感がある。
あるというか、なんか私はそもそも性格的に好きなものはほんとに雑多にたくさんあるんだけど、全体的な熱量がたぶんそんなにない、何だろ、一定ラインで、しかもそれが割と上がり下がりしやすいタイプなの、熱しやすくでも冷めちゃったりとかもして、
で、しかもその対象のこの範囲が結構広いっていうのもあって、なんか一つがの物事にものすごく情熱を注いで、そこに自分の好きっていう感情をもう全投入して、で、それをなんか仕事にするみたいなのが、なんかたぶん仕事にする以前に、やっぱその好きの段階でやっぱ結構、なんかその良い悪いとかじゃなくて、
やっぱ熱量の向け方が自分とは違うなぁみたいに感じることがあって、
いや、めっちゃわかる。
なんかね、その人のプロセスを知ったところで、なんかその人のプロセスは私はたどれないかもしれないって思ったりする。
私も大抵それで終わる。
なんかもうこの人の熱量には私は勝てないみたいな感じになっちゃう。
なんか別に勝ち負けの問題ではないけど、私は本当に飽き性で、なんかもうしょっちゅう好きなものが変わる人間だから、なんか先週はこれやってたけど、今週は全然違うことやってますみたいな感じで、
いや、でもそんな感じで仕事変えられないじゃん。
しかも、できることっていうのもやっぱり、なんかやっぱりある程度時間とか、なんか何かを積み重ねていったりとかの先にあったりするものができることになったりすることもあるから、
まあね、もともとできる人もいるかもしれないけど、だからそういうのやっぱり考えても、私が好きを仕事にするってなった時に、好きの熱量とか、一つの好きに対しての時間の費やし方だったりとかが、
なんかその、それを実際に仕事にしてる人に比べたら、多分全然なんかもう天みたいなもので、だからなんかそういう面からもやっぱり、なんかそういう、そうじゃない人がそういうふうに、まあなんていうの、まあ仕事にして生きてますみたいな像をあんまり見ないから、
なんかそれもあってかな、なんかその想像しづらいというか、なんかイメージしづらいというか、そういう、なんていうのかな、好きを仕事にするみたいなのがね、私もしょっちゅういろいろ好きなことは変わるし、なんかいろいろ試してみたいと思っちゃうから、
自己探求の旅
だからなんかそれもあって、やっぱ好きは好きのまま別にしておくべきなのだろうか、とか、でも、
とはいえ人生の大半働いてるからね、
そうなんだよね、でなんかその得意なことも私特にないから、なんか子供の時とか、まあ小学校とか中学校とか、なんかなんも賞とかもらった、なんかいるじゃん賞をもらう人とか、なんか読書感想文の賞とかももらったことないし、
え、りょうちゃんもらったことある?りょうちゃんなんかめっちゃ読書感想文の賞とかもらったそう。
いや、ないんじゃないかな、そもそもなんか読書感想文の覚えがあんまりないんだけど、
あ、本当?私めっちゃ欠かされた。
うん、わかる。
もう本当に嫌だった、毎年。
あー。
いやでもなんか作文は好きだった記憶はあるわ。
え、なんか何?創作?
あらゆる。
あらゆる。
何の作文だったんだろう、感想文とかじゃなくて、夏休みの宿題みたいなのじゃなくて、普段の授業の宿題であった作文とか、
あとは受験の時とかも賞論文とか、対策するの割と好きだったりしたんだけど、
でもなんか賞とかはないけど、先生に褒められるみたいのはあったかもしれない。
やっぱ昔から書くの好きだったんだ。
好きだったんだろうね、今思えば。
今改めて、あーみたいな。
そうそうそう。
だって今もね、書くことが。
そうだね、だからそれで言ったらさ、やっぱり書くこと仕事にできたらいいよねと思うけど、
まあまあ難しいことだよねと、分かってる。
え、りょうちゃんとか絶対できそうだけどね。
いやいやいや、だからなんか賞とかでもあんまり記憶ないかもな。
でもなんかあの、習字とかあったじゃん。
夏休暇の宿題で。
あれはなんか親に書いてもらって、書いてもらってっていうか筆は自分持ってんだけど、
その上から親が一緒に手を動かして、
で、私はただ力を抜いて筆を握ってるだけみたいな感じで書いた習字が賞取っちゃって、すごい気まずかった覚えがある。
え、それ超ウケる。
ね、しかもさ、なんかあれ金、金銀、銅だっけ忘れちゃったけど、なんか金銀みたいな。
あるよね、なんか。
ペラペラの折り紙みたいの、なんかこう立ってるみたいなんだけど。
そうそうそう、それ金賞でさ、自分で書いてないのに金賞取っちゃったと思って、すごいその気まずかった記憶だけ覚えてるわ。
それは気まずいわ、ウケる。
え、なに喜んでた?ご両親。
いえい、金賞みたいな。
なんか親はなんかラッキーじゃんみたいな感じだったけどさ、
だって実際に自分が書いたらもっと下手くそな字なのに、そんな賞取っちゃってこの後どうするんだよみたいな。
次の年なんか全然去年と違うみたいな。
そう、なんかもう賞といえばその記憶があまりにちょっと気まずい記憶が残りすぎて、それしか残ってないわ。
気まずさレベルで唯一の賞みたいな。
え、そうか、私も賞はないからな。
ゆうてなんかそういう、ちょこっと文章を褒められるとかはあったけど、
ゆうて私もこれが得意ですみたいなのもないし、なんか長く続けてきたことがとにかくない。
なんか短期短期短期みたいな、常に。
本読むことぐらい。
そうだね、でもゆうてどうだろう、なんかそんなになんかもう読書しまくってたみたいなわけでもないしな、10代の頃。
そんなに読んだ記憶はないのかな。
全然なんか、私は得意なことマジで。
理系だったんだけど高校時、中学で高校受験した時もなんか理系のクラスみたいのを受験して、
結局なんか地震の関係で九州に引っ越して、だからなんかその受験をした学校に行けなかったのよ。
だからそこで受かってたんだけど、
あー行った行った寄ってたね。
そうそう、それで結局全然違う学校、九州に引っ越して普通の高校に入って、
でもなんか高2かなんかで理系文系で分けられる。
うんうんうん、あったね。
そうそうそう、それでなんか理系に入って、
でもなんか数学は割と得意だったんだけど、
得意っていうかまあできた、なんかさ数学は答えがあるじゃん。
なんかこれみたいな、なんか正しいか正しくないかみたいな、
それがすごい気持ちよくて、
なんかそれと、あと平時経済みたいな、
うん、あったね。
みたいなのがあって、なんかそれも結構面白くて、
それは割と好きだったというか、
でもなんか理系って、なんかその理科関係、科学とか、
あの物理とか、物理と生物が選べたんだけど、
で、科学は必須で、
で、物理はマジでできなくて、
もう本当に赤点レベルでできなくて、
で、なんか放課後補習とか残ってたレベルでマジで物理ができなくて、
でもなんか工学部に進みたいとか思ってたから、
なんか何考えてたかわかんないんだけど、
結局それでニュージーランドの高校行ったから、
まあ全然関係なくなったんだけど、
だからなんか理系入ったはいいものの、
科学、理科、理科関係の科目が全然できなくて、
で、なんかそれで、
ほんと数学でなんとか思ってたみたいな、
数学と英語だけでなんとか。
そうなんだ、なんか数学って、
てか物理ってほぼ数学じゃんって思ってたから、
なんか物理の概念を理解するのが、
なんかマジで、
なんかその現実、
現実にある物理的なそういうものと結びつけなくて、
全然そのイメージがわかないみたいなので、
数式も覚え、数式てか物理のその式とかも覚えられないし、
なんかその概念とかも全然頭に入ってこないし、
で、ほんと物理はダメで、
で、まあ数学がなんとかっていう感じ。
で、数学でもなんか、数A、数Bとか、
あったね。
が、わりとなんかその、なんだっけ、確率とか、
証明、あれがすごい好きで、
なんか文章を書くじゃん。
で、なんかその文章を書いて、
なんかその、それこそロジックで、
なんか証明するみたいな感じの過程がすごく、
なんか答えがあって、いいみたいな。
私は逆に国語とか現代文がすごく苦手で、
嫌いだった。
読むのは好きだったんだけど、
なんかその、なんかこの主人公がどこからこういうふうな感情を読み取って、
みたいな感じの、なんか読み取りとかがすごく苦手で、
なんか多分私の本の読み方はなんかもう超主観的なのかわかんないけど、
なんかもうほんと全然現代文の問題とかが不得意で、
なんか私の担任がその国語の先生、
現代文とか、なんかそれこそ、なんだっけ、
漢文とかもやるじゃん。
あれとかもずっとやる。
なんかもうそれこそ日本語全体的にダメだった。
文系と理系の葛藤
本、なんかそう、なんか本読むの好きなのにね、とか言われて、
うん、でも全然国語関係は昔から苦手。
小学校の頃から苦手だった、割と。
そうか。
全然作文とかもいい思い出ないし。
そうなんだ、なんかめっちゃ真逆だわ。
私はなんかもう完全なる文系だったから、
昔から?
昔から、なんかもう算数という名前が数学に変わった時点で、
ドロップアウトした人間だから、
算数まではよかったけど、数学になってから、
みたいな感じで、どんどんできなくなって、
数学は唯一赤点取ったかもしれない。
本当?
テストで。
本当にダメだった。
なんか数1Aまでは行けたけど、頑張って、
2Bから完全に無理になって、
だからなんか、文系理系ってクラスが分かれてから、
文系はあれなんだよね、正式な生物とか科学とかは取る必要なくて、
なんか当時、今はもうないと思うんだけど、
生物基礎、物理基礎、科学基礎みたいな、
基礎って名前がつく教科があって、
で、なんかそれの2つ、基礎だからすごい多分レベルとしては簡単だと思うんだけど、
それを2つ選べばいいっていうのに確かなったはず。
ちょっと記憶もあやふやなんだけど、
で、それで生物基礎と科学基礎取って、
もう物理はほぼ数学だからダメだってなって、
で、なんか私は逆に英語と現代文がよくできたから、
古文、漢文はダメだったんだけど、楽しくなくて、
でも、なんか現代文は好きだし、テストとかは、
感情を聞くやつとかはすごいめんどくさかったし、
いや、なんかこんなんわかるわけないだろって内心思ってるけど、
とはいえ、テストとしての質問文があって、
こういうフレーズがあるってことはここから来てるはずだから、
みたいな感じの推測ゲームみたいな感じで取れてしまうみたいな部分はあって、
なんかテストはそういうふうにしのいで、
で、授業中はひたすら、教科書にいっぱい文章は載ってるんだけど、
実際授業で扱う場所って一部だけだから、
読まない現代文のテクストとかがあって、
それを授業中一人でずっと読んでたみたいな感じだった。
ほんとにザ文系っていう感じで、
ダメだったね、数学も物理も。
私は物理できなかったから理系って言えないんだよなって、
すごいあって、
なんとか英語で点数を全体の点数の底上げみたいな感じ。
大学とか行くとき、大学受験のときとかも、
もうそもそも理系の科目を全部切ってたから、
もう無理だって思ってて、
私当然だけど、やっぱり理系の学部にはいけないし、
なかなかやっぱりそもそも理解ができないから興味も持てないっていう感じで、
でもさ、なんかやっぱり仕事ってなるとさ、
いわゆる、なんかすごい嫌な言い方だけど、
使える学問とか仕事に生きる学問みたいなものって、
やっぱり理系が多かったりする。
技術から。
そうそうそうそう。
だからなんか、その時点でやっぱり自分の好きなことと、
自分ができること、
特にやっぱ労働っていうその狭い意味で考えると、
結びつけるのは難しいなっていうのは、
やっぱりどこかでうっすら考えたような気はする。
そうね。
私も結局大学は文系に行ったけど、
なんかでも昔から、
なんかその、なんていうのかな、
テクノロジーみたいなものには興味はあって、
でもそれは別に学問としてでもなく、
本当に個人的に、
そういうものに興味があったけど、
別に何かしたっていうわけでもなかったし、
で、結局大学は文系行って、
でも今はソフトウェアエンジニアとして働いてるけど、
でも別に何かその、
例えばこの業界とかだと、
なんていうの、日本で何ていうのかな、
情報学部とかっていうのかな、
なんかコンピューターサイエンスとか、
なんかそういう大学でそれを勉強した人もたくさんいるし、
そういう人たちに比べたら、
私の知識なんてもう天と地の差で、
なんか全然わかんないことがたくさんあるから、
なんかやっぱりその差をすごい日々感じるし、
なんかこの業界でこのまま例えば、
キャリアアップなりなんかこう、
もうちょっと先に進みたいとかなったら、
なんかやっぱりそういう知識のギャップが大きいから、
なんかそこも埋めないといけないし、
そこを埋めようとするほど私は、
なんかそのそれが好きなのか、
みたいなのもすごいあって、
でもやっぱりそのリョウちゃんさっき言ったみたいに、
なんかその職、労働としては、
仕事が見つけやすい業界っていうか、
職種でもあるから、
なんかそれを考えたら、
なんかもうちょっとこの業界で頑張らないといけないのだろうか、
みたいなのはすごいあって、
なんかそのなんとかできるみたいなレベルが、
一番なんか微妙だよね。
なんか逆になんか全然できなくて、
あーなんかこれはもう本当日々辛い、
辞めるしかない、
みたいな感じだったらすっぱりいけるんだけど、
なんかちょっとやったら、
あーなんとかできるんだけど、
みたいなのが、
なんか一番切りづらいし、
でもなんかこうダラダラと続けてしまって、
でもなんか微妙に辛いのがずっと続くみたいなので、
そう一番、
なんか一番微妙なポジションだなって、
今話してて思った。
好きなことでの労働
まあね、
なんかその労働に絞って考えると、
なんかマジでどうすればいいんだろうね、
その向いてることではなく、
特別にという熱量があるわけでもなく、
しかし膨大な時間はかけなくちゃいけないっていう、
そしたらそれにさ膨大な時間かけたらさ、
なんかもうそれこそ好きなことする時間がさ、
なくなっちゃうじゃん、なくなっちゃうとか短くなっちゃうじゃん、
そしたらなんかまたそれもさストレスになるし、
なんかこう人生の充実度的にあんまりハッピーじゃないから、
なんかそれを考えたら、
例えばちょっとリスクが取れるなら、
そのちょっとしたリスクを取ってまでも、
頑張って好きを仕事にするっていうところに、
持っていくのが良いのだろうかとかね、
さっき言ったみたいな、ちょっと副業で何かするとか考えてもいいし、
例えば文章を書くってもさ、
すごいいろんなジャンルがあるじゃん、
ただ文章を書くじゃないじゃん、
なんかそれこそ本当ピンからキリまであって、
ライター的な文章を書くとか、
あと例えば書評を書くとか、
あとはノートとかいう個人的なエッセイ的な文章を書くとか、
全部それぞれこう、
雰囲気とか求められるものが違って、
それ自体もさ、
ジャンルによっては結構仕事になるものもあれば、
全然仕事にならないものもあったりとかで、
難しいよね、
なんかこれ一つでこれでいけばOKみたいなのはないじゃん、
答えはないんだけど、いつも通り。
そうね、だって何かなぜなら、
うちらも悩んでるからっていう。
そうそうそう、
悩み対決みたいな感じ、
悩み公開エピソードみたいなのが常にだよね、
いつもそんな感じだよね。
いつもそう、いつも自分たちの悩みを打ち明けてるっていう。
こんな悩みがあってね、みたいな。
別になんかりょうちゃんに言ったからといって、
りょうちゃんが答えをくれるわけでもなく、
私が答えを与えるわけでもなく、
お互いにね、って言って。
なんか難しいよね、どうしようもないよね、
みたいな感じに毎回なってるっていう。
でもなんか多分話すことによって、
自分の中でもある程度整理されたりとかもしてるから、
別にそれ何かが浮かぶわけでもないし、
なんか毎回何か答えがあるべきとも思ってないけど、
多分話すだけでも多分自分の中、
まあそれこそお互い、りょうちゃんの中、
私の中でもいろいろなものがこう、
相手の視点を聞いたりとか考えとか聞くことによって見えてくるものとか、
なんか違う視点とかも、
違う角度から見えたりすることもあると思うから、
まあね、いいんだけど、
なんか聞いてる側からしたら、
え、答えないじゃん、みたいな。
ただ悩み打ち明けただけじゃん、
っていう人になっちゃうと思うんだけど、
でも毎回このポッドキャストは、
ただ悩みを風呂敷だけバーって広げて、
中身にうわーって見せて、
終わりまーすって言って、
バイバイって、
え?ってなって、そうそうそう。
みんなえ?え?え?ってなって、
終了。
今回も答えありませんでした。
ポッドキャストの楽しさ
そうそうそう。
まあそれが常ですっていう感じなんだけど、
でもなんか、
労働を一旦脇に置いておく、
その生活の糧みたいなものを脇に置いておくなら、
私的には結構、
このポッドキャストをやるっていうこと自体が、
ひたすら楽しいの原動力だけでできてるのが、
結構あるというか、
ぶっちゃけなんか前も言ったかな、
私あんまり自分の声質が好きじゃないし、
いろいろそれこそコンプレックスあるし、
何か喋るっていうことも、
喋ることより書くほうのが好きっていうぐらいな人間だから、
あんまり喋るのも得意じゃないけど、
なんかポッドキャストは、
なんかむーちゃんと喋るの楽しいし、
それで何とか続けられてる。
だから自分が決して向いているとは思わないけど、
でもなんだかんだできてるし、
好きだしっていう感じで、
これによってお金は発生しないけど、
お金が発生しないからこその気楽さで続けられているっていう側面もあり、
自分の中ではすごい珍しいことに、
できることと好きなことが一応重なってるっていうものの一つが、
割とポッドキャストかなと思ってる。
そうね。
なんかなんだかんだ言って、
2人で続けられてるっていうのはすごい大きいかも。
2人ともさ、結構飽き性というか、
あんまりいろいろ続かないみたいなのが2読みだから、
その2人がこんだけ続けられてるっていうのは、
多分お互いの中で大きいことであって、
私も多分りょうちゃんと同じような感覚で、
これは話しててやっぱ楽しいし、
どんどん話も広がっていくし、
もっといろいろなことやりたいとかっていうふうに、
考えとかやりたいことみたいのが、
ここから広がっていく感じがいつもあって、
それも考えて、
いろいろ長く続けていける感じがするっていうのもあるかな。
いろいろやりたいことがまだあるから、
このポッドキャスト関連で。
そうね。だからね、今別にお金とか、
なんか全然そういう感じではないけど、
ただ楽しいからやってるみたいな感じだよね。
だからまあ、労働にはならないけど、
でも、すごくこの、なんというか、
自分の人生の中でのやることとして、
好きなことと向いてることと、
向いてるかわかんないけど、できることが重なるということも、
一応ある。
確かに2人ともできてるもんね。話してる時点で。
なんだかんだね。
確かに。
それがね、なんかこう今さ、すごいたくさんポッドキャストもあって、
ポッドキャスト制作の意義
もっと多分本格的にやってる人も絶対いると思うの。
ほんと台本作ってとか、
計画とか。
そうそうそうそう。定期的に。
まあ、うちらも最近頑張って定期的に出すようにしてるけど、
とはいえ、そもそもがやっぱり、
お互いの生活第一で、みたいな感じで始めたものだから、
結構まあ、この定期的に今頑張る前とかめちゃめちゃ不定期だったし、
数ヶ月に1個上がるみたいな感じだったから、
そうそうそう。
だから全然ちゃんとしてないポッドキャストではあるけど、
まあでも、それでも曲がりなりにもうやめずに続けてはいるっていう。
うんうん。
そうね。だからこれはこれですごい意味があることだと自分で思ってるし、
まあ労働も生活をしていくのも大事だけど、
まあそれが全てというわけでもない。
労働の悩みが消えるわけでもないけど、
うん。
でもまあできることも一応ある。
そうだね。
なんかそのできることのハードルをもうちょっと下げてもいいかもね。
なんかそのできるが、こうその並みにできるとかじゃなくても、
なんか私たちがそれぞれの形で作るポッドキャストだったりとか、
まあそれこそ自分が自分で作るなんか超下手な洋服だったりとか、
なんかそれも一種のできる。
なんかそのできるのハードルをもうちょっと下げて、
あ、自分もできるんだっていうふうに思えるようにすることも、
なんかちょっと大事だったりするのかなって今話してて思った。
なんか私常にいつもできないことにばっかりこう注目してて、
あ、これもできない、あれもできないっていうので、
すごいなんか自分に落ち込んだりとか、
あ、もっと頑張らなきゃみたいに思うけど、
多くの人が多分常にこうそう思って自分を追い込んでたりするかもしれないんだけど、
なんかそのできるのハードルをなんかもうちょっと下げて、
なんかもうちょっと自分もこれできるんだよっていうふうに思ってあげるのも大事かなと思った。
なんかそれこそ今リョウちゃんが言ったみたいに私たちがやってるポッドキャストだって、
なんかそのね、プロの人に比べたらね、全然かもしれないけど、
でもできてるじゃん。
なんだかんだ言ってできてるじゃんって聞いてる人もいるし、
ちゃんと公開もできてるし、なんだかんだできてるじゃんみたいな感じ。
だからまあそんな感じでね。
そうね、なんか今労働が辛いと思ってる人は多分その辛さは変えることはできないけど、
でもなんかさっきもうちら多分浅く広く好きなものたくさんあるみたいな話をしたけど、
浅く広く向いてるとか、浅く広くまあできるわみたいなものを、
自分の中でその判定をできるようにやっていくっていうのも、
なんか自分のなんか自分のために大事かもしれないって思った。
確かに浅く広くいいね。
限定しすぎるとやっぱりなんか固執し始めるからね、
なんかこれで成功しなきゃとか、これができなきゃみたいな感じで、
すごいその一つにこう集中しちゃうから、
またそれができなかった時の自分に対してのなんか落ち込みレベルがね、ちょっと大きくなっちゃう。
浅く広くが一番バランス的にも自分のメンタルを守る、守っていく上でも大事かなって思った。
自己肯定感の重要性
いいね、その言葉。浅く広くできる範囲で。
ね。
そんな感じかな。
ねで終わるかい。
ねって言って終わらせる。
そんな感じでいいんだよ。
はいじゃあ今週もまたこんな感じで終わり。
はい終わります。
終わります。じゃあまた来週。
また来週。
ばいばーい。
ばいばーい。
49:08

コメント

スクロール