面白い。
そうそう。で、数年前にも、なんかあの、英語のライティングの練習と思って、
いろんな人と文通をしてて、
うんうん。
で、なんかずっとアプリは入れたまんま、もう3年ぐらいやってなかったんだけど、
なんかふと思い立って、久しぶりに開いて、
で、今も結構使ってる人いるのかなーと思って見てたら、結構いて、
あ、そうなんだ。
で、しかもなんか、そうそうそう。でなんか、まあいろんなキーワードとかで、
こう、人を探したりできるんだけど、
なんか私がこの3年前ぐらいに利用してた時よりも、
なんか結構詳しく自分のプロフィールを書いてる人とかも、
すごいずらずらずらずらずらーって文章長く書いて、
やっぱりなんかその、どんな人なのかっていうのがわかると、
なんか手紙送りやすいから、
いいねー。
そうそう。だし、なんかこの人と話してみたいなみたいな人も見つきやすくて、
だから私は結構そのプロフィールをいっぱい書いてる人に、なんか送ってるんだけど、
で、最近なんかスロベニアにいる人と手紙のやり取りをしてるんだけど、
そうそうそう。っていう、なんか久しぶりにこのアプリを開いて、
改めてその手紙を送ること、手紙を自分が書くこともそうだし、
誰かから送られてくることっていうのをテーマにしたら面白いんじゃないかと思って、
で、っていうのも、なんか私たちのジンにも書いたと思うんだけど、
うちらの出会って、SNSとかでも交流ありつつ、
でも結構長い期間、本当に20代、10代後半から20代半ば近くまで、
本当数年間に渡って、めちゃくちゃ長文の手紙のやり取りをしてたから、
なんかやっぱその手紙を書くこととか送られることっていうのは、
なんか割とうちらのこの2人の関係性の中においても、
すごい重要な位置を占めてるんじゃないかと思って、
手紙はすごい好きで、いろいろ今もアプリでやったりとか、
普通に友達とも数ヶ月に1回ぐらい、
手紙を、あえて手紙でメッセージ書くみたいなのをやったりして、
割と好きな方なんだけど、
でも何がその手紙を書きたいという原動力になっているのかが、
なんか自分で言語化しようと思っても意外と難しいなと思って、
なんかいろいろムーちゃんと話しながら、
なんでこんなに好きなんだろうっていうのを、
ちょっと探っていけたら面白いかもと思って、
一応手紙を書くこと送られることっていうのをテーマに選びました。
なんか最初テーマ聞いたときめっちゃ面白そうと思った。
さっきリョウちゃん言ったみたいに、
うちらもねずっと結構割と手紙でのやり取り長かったし、
私たちが手紙をやる前からも、
リョウちゃんは個人で割と手紙書く派の人だった?
例えば10代とか。
そうだね、なんか手紙を書いて返事をしてくれるタイプの相手には、
割と手紙を書くことが多かったかもしれない。
手紙を書くっていう書く行為自体も好きだったし、
この人に送りたいから、こういうデザインの便箋を探したいとか、
こういうので送りたいとか、
それを選ぶ過程も割と楽しんでるっていう。
書くことだけじゃないよね。
書くことに付随する周りの書く相手だったりとか、
あと使う文房具なり、切手を貼って出すみたいなところもあるし、
その全部の過程込みで楽しいみたいなのがあったりもするよね。
今はスマホだけで一瞬でLINEとかでメッセージとか書いちゃうからさ、
やっぱりそれに比べたら全然手間と暇がかかるけど、
それなりの過程とかを楽しめたり、もうちょっと味わえる感はあるというか、
私も割と年代的にメールとかデジタルで文通というか、
それこそメールでやりとりとか、
いつぐらいから?私は割と遅めだったんだよね。
自分の例えばメールとかで自分で相手とやりとりするみたいなの。
割と遅めだったから、だから手紙みたいなのが結構長かった感はある。
いつぐらいからだった?そのメアド持ってとかは。
たぶんね、10歳、11歳。
じゃあまあそこそこじゃない?
今に比べたらさ、今の人と比べたらあれだけど、
私もたぶん小学校、高学年とかだと思うよ。
同じぐらい?そうだね、11、12とかだと、小5、小6とかの。
その時さ、キッズ携帯っていうのがあって、パカパカの。
あったね。
たぶんいろいろセキュリティとか、親が管理できるようにっていうのを小学校の時使ってて、
めっちゃメールしてた記憶あるわ。チェーンメールとかも流行ってたし。
携帯のメール結構良かったね、日本はね。
携帯で、パソコン持ってるとかってあんまない。
メールは携帯でするもの感があったかも、10代の頃は。
そうだね、私も携帯も中学入るまで持ってなかったから、
日本に戻ってきて、海外の子と連絡手段的なので、
11ぐらいになるまで、自分のメアドみたいなのがなかったから、
手紙に頼るしかないみたいな感じ。
逆に、他の手段が自分的には、
もちろんその時代にパソコンとかもあったんだろうけど、
我が家には1台家族のものしかなくて、私個人のアカウントみたいのはなくて、
だから手紙みたいな感じだったかな。
私はずっと同じ場所に住んでるから、
言うてさ、メアド交換してやり取りする相手も、
普通に毎日顔合わせる人たちの学校行って。
学校とかね。
そうそうそう。
その時は手紙で、親戚でちょっと年上のお姉さんがいて、
その人がすごい丁寧に手紙を書いてくれたり、
その当時その人が自分の家で飼ってた猫の写真とか一緒に送ってくれたりっていう人がいて、
その人とは結構文通をしてたけど、
友達とは文通っていうよりかは、
クラスでノートを破って手紙みたいなのを書いて、
折って授業中に回すみたいな。
そういうのはやってたけど、
あえてその友達と文通っていうのはなくて、
せいぜいお正月にみんなで年賀状を送り合うぐらいな感じだったのかも。
流行ってたね。
折り方。
今もできる。
私もたぶんやろうと思ったら今もできる。
やばい懐かしい。
先生が見てない間に回すみたいな。
あとちっちゃく折って、すごいちっちゃい紙に折ってそれを回したりとか。
やったね。
すっごい懐かしいけど。
わりと身近にあったってことじゃない?
今の例えば10歳とか小学生と、私たちの小学校時代って、
デジタルデバイスとかの普及率みたいなのがたぶん全然違うから、
たぶん未成年の世代というか、
まだそこまで普及してない、全員が当たり前に持ってないみたいなのの、
たぶん最後の世代みたいな感じ。
だからたぶん変な間というか、
それで10代に入ったら入ったで、
結構わりと携帯とか、それこそスマホも10代の後半とかに出てくるし、
すごい両方を体験しているというか、
っていう名残もあるのかなって思ったりもした。
そうだね。
手紙に引かれるみたいな。
確かに。
でもメールすごかったわ、今よくよく考えたら。
いろんな動く絵文字みたいなのとかあって、
いったら手紙をいろんなシールとか絵描いたりとかで装飾するみたいなのと、
全く同じことをメールでやってた気がする。
ビジュアル的に可愛くしたいみたいな。
そうね。顔文字とかもすごいいろいろな、
シンゴ化しすぎて、こんなのもあるの?みたいなすごい組み合わせで、
すごい表現豊かな顔文字がこの記号から出てくるみたいなのとかもすごかったし。
だからたぶんギリ小学校とか中学生ぐらいまでは、
メールのやりとりもありつつ、
教室で回す手紙もありつつ、年賀状もありつつみたいな、
たぶんちょうどデジタルとアナログでのやりとりっていうのが半々ぐらいだったのかもと思って。
たぶん高校ぐらいになるともうちょっとみんなスマホを持って、
ある程度LINEとかでクラスのLINEができるとか、
っていうふうにだんだんたぶんなり始めのたぶん時期。
そうだね。
そうだったから、そうなるとやっぱり普段のやりとりとかもLINEとかが増えて、
完全に教室で回す手紙とかもなくなったわけじゃないけど、
比率としてたぶん少なくなってって、
そこから逆にアナログ回帰みたいな感覚はあったかもしれない。
あえて書きたいみたいな。
確かに、それはもうアクセスアクセスっていうか、
それがないから仕方なくではなく、
わざわざ書くという、手紙を書くっていうことを選択するみたいな感じだよね。
わざわざ書けるとか、手で書く手間をかけるじゃないけど、
っていうのをあえて選択するみたいなところはあったかもしれない。
そうね。
私たちいつから手紙書き始めたのかな、お互いに。
いつだろう。
でもそれこそさ、やっぱあれじゃない、ムーちゃんと初めてリアルで会って、
で、その直後にすぐ日本から出てっちゃったから、
ニュージーランドに行っちゃったから、
なんかそれでたぶん手紙とかやるようになったんじゃないかな。
国内でやってた記憶がないよね。
そう、記憶がないよね。
なんかやっぱ、国境の対だからこそ、やっぱりあえて手紙でみたいな風になったのかな。
そうかもね。
確かに。
そうね、私が引っ越してから割と、
そうだね、20代前半とかだもんね。
ちょうど一番手紙やり取りしてた時期とか。
確かに。
でなんかさ、ムーちゃんはさ、その当時もお互いにLINEとか知ってたじゃん。
私メアドも知ってるし。
もちろんね、インスタ。
でもなんかあえてうちら手紙でやってて、
でなんかムーちゃんはそもそも、
手紙とかだとさ、お互い自分の最近の近況とか、今考えてることとかをわーって書くじゃん。
だからなんか私はそれこそ、
なんか今話してきたみたいに、
LINEとかで、
自分の最近こんなことあったよとか、
こんなこと考えた、こんなもの読んだよみたいなのを、
そうそう送らないから、
だからなんか、
LINEが例えば本当に連絡手段として、
数字としてゼロをつけるなら、
会うっていうことがもうマックスコミュニケーションできる100で、
その間に手紙があるみたいな感じ。
位置づけとして。
LINEはそれをあんまりアルプラットフォームとして、
自分は好きじゃないし、ちょっと苦手だから、
それよりかは手紙で集中して書くみたいな感じの方がやりやすくって、
でも手紙で書いていることは、
例えば会えば同じように話すことだったりするから、
だからなんかゼロがLINE、50が手紙、100が直接会うみたいな感じで、
自分の中ではあって、
なんかやっぱ、
LINEとさ、
別に特定のLINEじゃなくてもいいんだけど、
SNSとかでもそうなんだけど、
なんかいろいろ他に情報があるじゃん。
すぐ横とか。
その周りにってことね。
そうそう。
例えばLINEとかやってても、
携帯でちょっと指でヒューヒューって操作したら、
すぐネットの情報見れるとかにもなるし、
SNSとかなんていったらもうタイムラインに他の人たちもいっぱいいるわけで、
なんか対その人、
一個人その相手にっていうふうには、
ちょっとなんか集中しづらい感じがあって、
手紙の場合は机があって、
紙とペンがあって、
この紙にひたすら書くみたいな。
で、なんかその人にだったら、
例えばこういう口調で喋るなとか思いながらなんかこう書く。
だからそっちの方が集中できるっていうのはあるかも。
確かにそうだね。
さっきもちょっと話したけど、
LINEとかでそういう長文書くのってめっちゃ大変だし、
読みにくいし、
もう一回もらったメッセージを読み直したりとかも、
例えばそれが会話の流れの一部とかだったら、
さらにそれを前後の文脈というかそれを読んで、
で、なんでそこにたどり着いたのかみたいな。
戻るのがすごく面倒だし、やりにくいし、
それが手紙だったら簡単に紙、便箋、
番号が2つあったとして1ページか5ページとかやったら、
2ページに戻って、
で、また3ページ読んでみたいな感じのことが簡単にできるっていうのはすごいあるよね。
でも私思ったのは、
私たちジン作った時に交換日記をしたじゃん。
で、あれって一種の手紙、日記手紙みたいなのを毎日お互いにやってて、
私たちが特にやり方っていうかどういう風にやったみたいなの公開してないからあれなんだけど、
説明すると普通にディスコードの中にジンの制作チャンネルみたいなのを作って、
で、その中に日付のそれぞれの日付のスレッドがあって、
例えば1週間の間の交換日記って決めたら、
そこのスレッドにお互いが日記を、お互いへの日記手紙的なものと返信を、
その次の日っていうので書いたみたいなのがあってね。
だからあれも一種の手紙で、
りょうちゃんどんな風に書いてたか分かんないんだけど、
私はそれこそ全部タブとか消して、
それこそワードのページだけが表示されるように集中して書くっていうのと、
あと何回かやったのは手書きで自分のモレスキーに、
それこそりょうちゃんの手紙を書くみたいな感じで、
途中まで手書きで書いて、それをちょっと書き起こしたところから、
続きはまた同じようなワード、
でも全部そういう、他のタブとかブラウザとかも全部消して、
集中して書けるようにして書いたっていうのはあって、
だから手紙は集中するのにすごくいいって言ったけど、
りょうちゃんがその人に相手をちゃんと考えて、
その相手だけを見て書くことができるっていうのはすごいあるなと思ったし、
でもそれも手紙じゃなくても、
それこそワードなり、
自分でそういう環境をデジタルの形の中でも作ってやることもできるなっていうのは、
今話してて、ジン作った時のことを思い出したから。
りょうちゃんはどんなふうにして書いてた、ジンの交換日記?
私も普通に自分の応答するほうじゃなくて、
普通に自分の書くほうはまっさらなワードに書くみたいな。
毎回毎回。
で、それをディスコードのチャンネルにコピペしてやってて、
でも返信書く時もまた違うページ、ワードの違うページを用意して、
一応返事だから、スライドしたらディスコードのむーちゃんが書いた文を読めるようにはして、
それで行ったり来たり行ったり来たりしながら書くっていう感じだったかな。
じゃあ割と似たような。
SNSはまたちょっと違うなって思った。
そうだね。
デジタルでも別に手紙的な形で書くことはできるし、
でもそれってあえて自分でそういう環境を作らないといけないっていうのも結構あるよね。
例えば他のブラウザとか開いてて、いろいろ他にあるとそっちに私のキー取られちゃうから、
やっぱり自分であえてそういう環境を作って書くみたいな感じにしてたのはすごい良かったし、
集中しやすかったから。
手書きレベル長めの文章を日常的に書いてたの。
試験として小論文があったから、
その勉強で、勉強っていうか対策で何回も小論文の練習みたいなのとかしてたから、
その時は多分まだ今よりももうちょっといい感じの、
なんか一文として変じゃない文章が割と早く書けたと思うんだし、
五字脱字ももうちょっと少なかったはずなんだけど、
なんかもう今全然手書きで文章、
ほんとなんだろう、ほんとにメモ程度なら全然書くんだけど、
なんか千字とか二千字三千字みたいなそんな文章書かないからさ、
そうね。
とにかくなんか読んでみたらあれ変だぞみたいなっていうことが起きやすいなと思ってる。
確かに。
なんかでも手で書いてると逆になんかもっと書きたいこととか浮かんでくるかも、私は。
なんか普段の日常の書くっていう、手書きの行為自体がやっぱ割とこう、
私にとってはなんかそういう刺激になって、
いろいろ話したいこと書きたいことみたいのが浮かびやすくなるっていうのもあって、
割とそうね手紙とか書いてる時とかそういうのが浮かんでくるっていうのはあるかな。
ただなんかその難しいのはなんかそのいろいろ浮かんでくるから、
その手紙を書くってやっぱ読む相手がいるわけじゃん。
で、その読む相手のなんか読みやすさを考えずになんかその浮かんだことを書いてると、
なんかそれこそねそのデジタルで書いてたらさ、
じゃあここなんかこの辺ちょっと変なの出てきたから、
切って貼ってちょっとあの順番変えてみたいなの簡単にできるけど、
手紙で書いちゃうとなんかちょっと流れが、
え、なんか急に何の話みたいな感じになったりとかも自分の中ではよくあって、
いやでもね、なんか今更ここからちょっと修正とかなんか矢印で、
はいじゃあちょっと戻ってとかできないから、
あのそう、このまま書くしかないなみたいなのは、
なんかちょっと自分でなんか手紙書いてて、
戸惑うというか、なんかそうやっぱデジタルとの違いで、
ちょっと書き直さなきゃっていう風に思ったりしちゃう時もあるかな。
うん、でもやっぱりなんか話したいこととか、
まあ考えてたことみたいのが割と浮かびやすいっていうので、
まあそういうのを書きたい時とか、
まあそういうことについて話したいという時には、
割と手書きの手紙っていいよねっていうのは今話してて、
りょうちゃんの話聞いてて思った。
でもなんか私はめっちゃあの話突然変わるけどみたいな感じで、
手出したりとかそうやってる。
思いついちゃったと思って。
りょうちゃんはなんかそれめっちゃ手紙に書いてあるよく、
なんか話突然変わるけどはよく見かける文章というか、
最初の冒頭の部分、りょうちゃんのよくあるある。
なんか突然変わったりとか、戻ったりとかしがち。
でもね、手書きならではのあるあるだね。
なんかそのきれいな手紙を書こうと思わなくていいんだよね。
なんかそんな感じでいいんだよって思う。
なんかその普段書かないと緊張するじゃないけど、
なんかちゃんとしたものを書かなきゃとか、
きれいに書かなきゃとか思ったりする時も一時期あったけど、
でもなんかやっぱり送る相手にもよるのかな。
でもやっぱりこう手紙を書くっていう、
時間と相手のことを考えながらいろいろ考えたりして、
手で書くみたいな、
それ全部がやっぱり相手とのつながりみたいなのを体現してるみたいなところがあるから、
別に話変わってもいいし、
そんなきれいな手紙書かなくてもいいし、
仕事でもなんでもないし、
ほんとただの親しい友人に書く何かみたいな感じで、
なんかそのプロセス自体をやっぱり大事にしていきたいよなっていうのは。