1. あのさ、
  2. #31 わたしの過去はあなたのな..
2025-04-27 55:39

#31 わたしの過去はあなたのなかに存在する

約10年前から手紙のやりとりをしていたわたしたち。遠くに離れながらも、いや離れていたからこそ、わたしたちは手紙を書いて送ることをとても大切に思っていたのかもしれない。直接会って話す以外の仕方で、互いを知ろうとしてきた過去を思い浮かべながら、手紙にまつわるあれこれを話したよ📨


index🐾

Slowlyを久しぶりに使っている/スロベニアにいる人と文通してる/わたしたちも長文の文通のやりとりをしていた/送る相手に合わせて便箋や封筒を選ぶたのしさ/10代の頃はパカパカ携帯でメールをしてた/連絡手段としての手紙/メールアドレスを持っていなかった時代/破ったノートで作る手紙カルチャー/Discordで交換日記/手紙→メール→LINE/LINEは長文が読みにくい/手紙は落ち着いて読める/連絡手段としてのみの利用/チャットで会話しないかも/速度を求められてる感/日本にいる友だちとの貴重な連絡手段としてのLINE/手紙の方が内省できる/物理的な保存/過去の自分は相手が保存してる/自分の一部が相手のなかに存在する/手紙はいいぞ!みんな書こう


紹介したアプリ💫

Slowly


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感想や質問は⁠こちら⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年4月14日]

サマリー

このエピソードでは、手紙を書くことの重要性とアプリを通じて得られる文通の楽しさが語られています。また、デジタルとアナログの交流の違いについての考察が行われ、手紙が持つ特別な感覚が掘り下げられています。さらに、LINEや手紙を通したコミュニケーションの仕方について考察し、デジタル時代における情報のやり取りの難しさや楽しさが話し合われています。特に、長文のやり取りに対する思いや、個人の性格がコミュニケーションスタイルに与える影響に焦点が当てられています。また、手紙を書くことの意味や、デジタルコミュニケーションとの違いについても触れられ、手書きの手紙が持つ集中力や思考の反芻について語られています。手書きの手紙を通じて、相手とのつながりや自分の過去を振り返る重要性についての考察も行われ、手紙を書くことがどのように相手に影響を与え、自分自身についての理解を深める手段となっているのかが探られています。最後に、手紙を書くことの楽しさと、お互いの過去の思い出を振り返ることについても語られています。

00:09
こんばんは、りょうこです。
むぎほです。
ポッドキャスターのさは、日常の些細のことから社会のこと、
自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
スローリーアプリの紹介
えっと、今日は、えっとね、最近私が、あの、スローリーっていうアプリがあって、
うんうん。
なんか多分知ってる人、まあまあいるような気はするんだけど、
うん、私初めて聞いたかも。
あ、ほんと?なんかあの、文通のアプリなんだけど、
なんか自分、あの国内だけじゃなくて、いろんな国のこの利用者の人と、
実際に文通ができるっていうアプリで、
へーすごい。
そうで、面白いのは、このアプリの名前通り、あの、実際に届くのに時間がかかるのね。
うんうん。
特にその、例えば日本と韓国だったら距離が近いから、ほんと数時間で届いちゃうけど、
あの、国と国の、お互いの居住地が離れれば離れるほど届くまでに時間がかかるっていうアプリ。
あーなるほど。
で、だからまあデジタルのやりとりなんだけど、ちょっとアナログに見せた、
こう、なんていうか、デジタルならではの独自性みたいなものをあえてなくしたアプリがあって、
手紙の魅力
面白い。
そうそう。で、数年前にも、なんかあの、英語のライティングの練習と思って、
いろんな人と文通をしてて、
うんうん。
で、なんかずっとアプリは入れたまんま、もう3年ぐらいやってなかったんだけど、
なんかふと思い立って、久しぶりに開いて、
で、今も結構使ってる人いるのかなーと思って見てたら、結構いて、
あ、そうなんだ。
で、しかもなんか、そうそうそう。でなんか、まあいろんなキーワードとかで、
こう、人を探したりできるんだけど、
なんか私がこの3年前ぐらいに利用してた時よりも、
なんか結構詳しく自分のプロフィールを書いてる人とかも、
すごいずらずらずらずらずらーって文章長く書いて、
やっぱりなんかその、どんな人なのかっていうのがわかると、
なんか手紙送りやすいから、
いいねー。
そうそう。だし、なんかこの人と話してみたいなみたいな人も見つきやすくて、
だから私は結構そのプロフィールをいっぱい書いてる人に、なんか送ってるんだけど、
で、最近なんかスロベニアにいる人と手紙のやり取りをしてるんだけど、
そうそうそう。っていう、なんか久しぶりにこのアプリを開いて、
改めてその手紙を送ること、手紙を自分が書くこともそうだし、
誰かから送られてくることっていうのをテーマにしたら面白いんじゃないかと思って、
で、っていうのも、なんか私たちのジンにも書いたと思うんだけど、
うちらの出会って、SNSとかでも交流ありつつ、
でも結構長い期間、本当に20代、10代後半から20代半ば近くまで、
本当数年間に渡って、めちゃくちゃ長文の手紙のやり取りをしてたから、
なんかやっぱその手紙を書くこととか送られることっていうのは、
なんか割とうちらのこの2人の関係性の中においても、
すごい重要な位置を占めてるんじゃないかと思って、
手紙はすごい好きで、いろいろ今もアプリでやったりとか、
普通に友達とも数ヶ月に1回ぐらい、
手紙を、あえて手紙でメッセージ書くみたいなのをやったりして、
割と好きな方なんだけど、
でも何がその手紙を書きたいという原動力になっているのかが、
なんか自分で言語化しようと思っても意外と難しいなと思って、
なんかいろいろムーちゃんと話しながら、
なんでこんなに好きなんだろうっていうのを、
ちょっと探っていけたら面白いかもと思って、
一応手紙を書くこと送られることっていうのをテーマに選びました。
デジタルとアナログの比較
なんか最初テーマ聞いたときめっちゃ面白そうと思った。
さっきリョウちゃん言ったみたいに、
うちらもねずっと結構割と手紙でのやり取り長かったし、
私たちが手紙をやる前からも、
リョウちゃんは個人で割と手紙書く派の人だった?
例えば10代とか。
そうだね、なんか手紙を書いて返事をしてくれるタイプの相手には、
割と手紙を書くことが多かったかもしれない。
手紙を書くっていう書く行為自体も好きだったし、
この人に送りたいから、こういうデザインの便箋を探したいとか、
こういうので送りたいとか、
それを選ぶ過程も割と楽しんでるっていう。
書くことだけじゃないよね。
書くことに付随する周りの書く相手だったりとか、
あと使う文房具なり、切手を貼って出すみたいなところもあるし、
その全部の過程込みで楽しいみたいなのがあったりもするよね。
今はスマホだけで一瞬でLINEとかでメッセージとか書いちゃうからさ、
やっぱりそれに比べたら全然手間と暇がかかるけど、
それなりの過程とかを楽しめたり、もうちょっと味わえる感はあるというか、
私も割と年代的にメールとかデジタルで文通というか、
それこそメールでやりとりとか、
いつぐらいから?私は割と遅めだったんだよね。
自分の例えばメールとかで自分で相手とやりとりするみたいなの。
割と遅めだったから、だから手紙みたいなのが結構長かった感はある。
いつぐらいからだった?そのメアド持ってとかは。
たぶんね、10歳、11歳。
じゃあまあそこそこじゃない?
今に比べたらさ、今の人と比べたらあれだけど、
私もたぶん小学校、高学年とかだと思うよ。
同じぐらい?そうだね、11、12とかだと、小5、小6とかの。
その時さ、キッズ携帯っていうのがあって、パカパカの。
あったね。
たぶんいろいろセキュリティとか、親が管理できるようにっていうのを小学校の時使ってて、
めっちゃメールしてた記憶あるわ。チェーンメールとかも流行ってたし。
携帯のメール結構良かったね、日本はね。
携帯で、パソコン持ってるとかってあんまない。
メールは携帯でするもの感があったかも、10代の頃は。
そうだね、私も携帯も中学入るまで持ってなかったから、
日本に戻ってきて、海外の子と連絡手段的なので、
11ぐらいになるまで、自分のメアドみたいなのがなかったから、
手紙に頼るしかないみたいな感じ。
逆に、他の手段が自分的には、
もちろんその時代にパソコンとかもあったんだろうけど、
我が家には1台家族のものしかなくて、私個人のアカウントみたいのはなくて、
だから手紙みたいな感じだったかな。
私はずっと同じ場所に住んでるから、
言うてさ、メアド交換してやり取りする相手も、
普通に毎日顔合わせる人たちの学校行って。
学校とかね。
そうそうそう。
その時は手紙で、親戚でちょっと年上のお姉さんがいて、
その人がすごい丁寧に手紙を書いてくれたり、
その当時その人が自分の家で飼ってた猫の写真とか一緒に送ってくれたりっていう人がいて、
その人とは結構文通をしてたけど、
友達とは文通っていうよりかは、
クラスでノートを破って手紙みたいなのを書いて、
折って授業中に回すみたいな。
そういうのはやってたけど、
あえてその友達と文通っていうのはなくて、
せいぜいお正月にみんなで年賀状を送り合うぐらいな感じだったのかも。
流行ってたね。
折り方。
今もできる。
私もたぶんやろうと思ったら今もできる。
やばい懐かしい。
先生が見てない間に回すみたいな。
あとちっちゃく折って、すごいちっちゃい紙に折ってそれを回したりとか。
やったね。
すっごい懐かしいけど。
わりと身近にあったってことじゃない?
今の例えば10歳とか小学生と、私たちの小学校時代って、
デジタルデバイスとかの普及率みたいなのがたぶん全然違うから、
たぶん未成年の世代というか、
まだそこまで普及してない、全員が当たり前に持ってないみたいなのの、
たぶん最後の世代みたいな感じ。
だからたぶん変な間というか、
それで10代に入ったら入ったで、
結構わりと携帯とか、それこそスマホも10代の後半とかに出てくるし、
すごい両方を体験しているというか、
っていう名残もあるのかなって思ったりもした。
そうだね。
手紙に引かれるみたいな。
確かに。
でもメールすごかったわ、今よくよく考えたら。
いろんな動く絵文字みたいなのとかあって、
いったら手紙をいろんなシールとか絵描いたりとかで装飾するみたいなのと、
全く同じことをメールでやってた気がする。
ビジュアル的に可愛くしたいみたいな。
そうね。顔文字とかもすごいいろいろな、
シンゴ化しすぎて、こんなのもあるの?みたいなすごい組み合わせで、
すごい表現豊かな顔文字がこの記号から出てくるみたいなのとかもすごかったし。
だからたぶんギリ小学校とか中学生ぐらいまでは、
メールのやりとりもありつつ、
教室で回す手紙もありつつ、年賀状もありつつみたいな、
たぶんちょうどデジタルとアナログでのやりとりっていうのが半々ぐらいだったのかもと思って。
たぶん高校ぐらいになるともうちょっとみんなスマホを持って、
ある程度LINEとかでクラスのLINEができるとか、
っていうふうにだんだんたぶんなり始めのたぶん時期。
そうだね。
そうだったから、そうなるとやっぱり普段のやりとりとかもLINEとかが増えて、
完全に教室で回す手紙とかもなくなったわけじゃないけど、
比率としてたぶん少なくなってって、
そこから逆にアナログ回帰みたいな感覚はあったかもしれない。
あえて書きたいみたいな。
確かに、それはもうアクセスアクセスっていうか、
それがないから仕方なくではなく、
わざわざ書くという、手紙を書くっていうことを選択するみたいな感じだよね。
わざわざ書けるとか、手で書く手間をかけるじゃないけど、
っていうのをあえて選択するみたいなところはあったかもしれない。
そうね。
私たちいつから手紙書き始めたのかな、お互いに。
いつだろう。
でもそれこそさ、やっぱあれじゃない、ムーちゃんと初めてリアルで会って、
で、その直後にすぐ日本から出てっちゃったから、
ニュージーランドに行っちゃったから、
なんかそれでたぶん手紙とかやるようになったんじゃないかな。
国内でやってた記憶がないよね。
そう、記憶がないよね。
なんかやっぱ、国境の対だからこそ、やっぱりあえて手紙でみたいな風になったのかな。
そうかもね。
確かに。
そうね、私が引っ越してから割と、
そうだね、20代前半とかだもんね。
ちょうど一番手紙やり取りしてた時期とか。
確かに。
でなんかさ、ムーちゃんはさ、その当時もお互いにLINEとか知ってたじゃん。
私メアドも知ってるし。
もちろんね、インスタ。
でもなんかあえてうちら手紙でやってて、
でなんかムーちゃんはそもそも、
手紙とかだとさ、お互い自分の最近の近況とか、今考えてることとかをわーって書くじゃん。
デジタルコミュニケーションの課題
でそれと同じようなことを、私に対してじゃなくても全然いいんだけど、
LINEとか、何らかのそのデジタルな手法で誰か友達とやり取りするとかって結構ある方?
えー、あんまないかも。なんかすごい書きづらいというか、私的にはなんか読みにくいというか、
なんか一時期PLでもやってた時はあった。
で幅が割と見た感じ、結構手紙っていうか、大きめの文章みたいな形で、
回用とかもやりやすいし、
だからそれで割とやり取りしてた友人は何人かいたけど、
LINEでやったこともあるけど、
その時いろいろ自分の中でも試行錯誤というか、
メールでそういう長文的なものを送ってみたりだか、
LINEで送ってみたりとか、
でも私的に、個人的には、LINEは読みにくい、読み直しにくい。
特に長く大きい文章を書いたりした時って、戻って読みたいじゃん。
あと読み直したりとか、それこそ返信するにしても読み直したりとか、
でもそれがあんまり上手くできないとか、
LINEって文章が長すぎると、次のページというか最後の方が省略されて、
そこを押したら、大きめのバーって読めるページに行くみたいな。
そんなのあったっけ?
あるよ。
りょうちゃんだったら、すごい長い文章送ってきた時とか、そういう感じになるよ。
下の方が省略されて、ノートみたいな感じのページに。
今はそうなのか分からないけど、最近私たち長文LINEとかしてないからあれだけど、
当時はそれでやりとりしてた友人とかとは、
本当それこそLINEの会話の流れには、ある程度までは表示されるんだけど、
もしそれだけ長いんだったら、次のページみたいに行く感じになってて、
それも読みにくかったし、私的には。
それをいちいちクリックして、そこに戻って、また返信を打つみたいな。
結局だから、そういう絵の返信を打つときって、
コピペじゃないけど、来た文章をメモとかにコピペして、それを見ながら返信書くみたいな感じ。
それに比べたら、手紙の方が楽というか、
紙で便箋が何枚かあって、行ったり来たりしながら、
それこそ紙の本読むのと一緒みたいな感じかな。
ページを前後したりするみたいなのがすごくやりやすいから、
例えばその大きく長い文章を書くときとか、それに対して返信を書くとき、
LINEはちょっときついなっていうのを個人的に。
どう? りょうちゃんとかは? 結構そういう長いやり取りする?
個人のコミュニケーションスタイル
なんかその、めっちゃ長い文章でのやり取りしたのは、むーちゃんぐらいで、
基本的に、多分私もそうだし、
友達が私に会わせてくれてるだけの可能性も全然あるけど、
あんまりLINEはコミュニケーションっていうか、
本当に連絡手段みたいな感じの認識で、
例えば実際に会う、会おうよって言ってて、
予定を決めるための連絡は取り合うし、
今もたまに動物の見てほしい動画とか、
そういうのを友達に送ったり送られたりで、
それに対するリアクションを何往復かしたりとかあるけど、
そこで会話本当に直に喋ってるときみたいな会話をするとか、
っていうのは基本的になくって、
私、自分があんまりそれが得意じゃないから、
LINEをそういうふうにあんまり使ってなくって、
一時期メールとかではそういう近況とか、
最近考えてることとか書いて、
そういう長い文章のやり取りみたいなのもあったけど、
あんまりメールちょっと本当に、
仕事とかそういうのでは全然今も使うけど、
友達とのやり取りで今メール使うって基本的にないし、
友達のメアドとかも知らないし、
だから、そもそもLINEは相手と何かを会話するためのツールとしてはあんまりなくって、
私なんか結構なんだろう、プレッシャーじゃない?
あんまり頻繁になんてことない会話来てもさ、
返さなきゃみたいな、返さなきゃって思うこと自体が、
結構自分の中ではプレッシャーに感じちゃって、
だからなんかあんまり自分も送らないし、
送られてきてもちょっとどうしようってなるかもみたいな、
よっぽどの関係じゃないとっていう。
そういうことね。
なんかその、もうちょっとカジュアルに返信しようとか、
なんかいろいろやっぱりちゃんと返信しなきゃみたいな感じで考えちゃうタイプ。
だし、例えばそれこそ、
なんかカジュアルな返事でいいやつなら、
会った時話さないって思っちゃうんだよね。
そっかそっかそっか。
まあね、会える相手だったら、
それこそ気軽に会える相手とかだったら確かにそういうのあるかもしれない。
そうそうそう。
なんか基本的には一番はやっぱり直接話すのがいいし、
会話のテンポ的にも、
くだらない話であればあるほど、
テンポよく話したいじゃん。
うんうん、そうね。
そう、なんか例えば送って、
相手が私に対してなんか送ったのに、
数時間返信がないってなって、
数時間後にポツンって一言言って、
でまたポツンっていうやり取りしてみたいなのが、
あんまり好きじゃないし、ちょっと苦手かなと思って。
でも逆になんか手紙とかは、
そもそも送るのにも時間がかかるし、
そもそも早く返信してっていうのを求めてるものじゃないから、
だからこそなんか自分もゆとり、
気持ちの面でもなんかゆとりを持って、
この人に対して目の前にいるみたいな気持ちで、
最近のこととかをずらずらずらずら書くみたいなのができる。
うんうんうんうん、そうか。
多分私はLINEも同じような、
手紙を書くような感じでは使ってるんだと思う。
割とだから。
あ、そうなんだ。
例えばLINEとかだったら、
基本的に連絡する相手って同じ国にいないから、
大体日本にいる。
例えばこっちで使ってるiメッセージとかで、
この辺でそれこそ気軽に会える相手とかだったら、
りょうちゃんの言ってる感じすごいわかるけど、
話せばいいじゃんとか。
でも私それでも割と結構、
長文で別に返信するのも全然、
打つのは面倒なんだけど、
全然いいし、
なんか別にリアクションすぐじゃなくても、
割と結構短いやりとりも全然する派。
あんまり気にしないのかな、多分。
なんかあんまり考えてないんだと思うけど、
私はただその、
そのやりとりがあるっていうこと自体がすごい、
私にとっては楽しいというか、
それが短くても長くても、
別にそんなにプレッシャーに感じたりも特にないし、
私が返信できる範囲で、
返信できる範囲のことを書くみたいな感じかな。
なんかやっぱそもそもLINEの位置づけじゃないけど、
感覚的にも違うのかも。
別にLINE交換してる人って、
友達じゃない人全然いるし、
いろいろお姿は大学関係の先輩なり後輩なりとか、
別の多大学の人とか、
なんかそんなカジュアルなやりとりというよりかは、
やっぱ連絡手段として必要だからみたいな感じで交換してる人のが圧倒的に多いから、
なんかそんな友達と密にやりとりするツールっていう風には思ってないのかもしれない。
私多分全然そんな風に使ってないと思うから。
そうだよね。
LINEみたいなプラットフォームが特にないから、
なんかその相手の番号を知ってないと、
それこそメッセージ、iメッセージ交換するなり、
あとなんだっけ、WhatsAppとか、
電話番号を知ってないと。
いろいろメッセージツールあるけど、
LINEみたいな、
LINEって結構特殊だよねって思う。
なんかそのスタンプとかも。
カジュアルさというか、
そこまで仲良くなくても、
それこそさっき言ったように連絡手段的な形で、
それこそグループチャットを作ったりとか、
そこにただいるみたいな感じ使えるけど、
なんか割と選択というか、
私が今こっちで使ってるメッセージツールは、
割とつながる相手、
選ぶっていうか、
相手を知ってないとそもそもつながってないよな、
みたいなツールが割と多いから、
多分そのやりとりの中身も違うというか、
別に番号を知ってて、
やりとりする相手だったら、
割と普通に話せるっていうか、話す関係だし、
で、私の中でのLINE打ち付けも、
日本にいる友達との連絡手段という感じだから、
割とちょうど良かったりとか、
あとは時差とかの関係もあるから、
それこそ時差気にしてられないから、
別にいつリアクション来てもリアクションしてもいいって、
自分の中では思ってて、
ちょっと認識の違いというか、
使い方の違いというか、
そうだね。
あとは単純に自分の性格的に、
あんまり連絡しない方なんだよね。
本当?
来たら返すけど、
自分であんまり、
例えば母とかとも、
あんまり連絡入れなくて、
連絡入れなさすぎて生きてるっていう風に、
連絡来るみたいな感じだから、
っていうのもあるかもしれない。
多分ね、性格的なものもあるのかも。
コミュニケーションの楽しさ
私は割と超全然関係ないけど、
たまに元気かなと思ったら、
元気みたいな感じで連絡する。
私がいつも連絡する側なんだけど、
それはしたらしたで、
会えても元気だよみたいな感じで、
そこから会話がちょっと始まって、
でもだからといって、
いつもやりとりしてるとかっていうのではなくて、
私も超適当だから、
思い立った時に適当にメッセージして、
元気かなみたいな感じで送って、
みたいなノリだから、
でも割と多分私から連絡する方ではあると思うかな。
でもりょうちゃんも割とさ、
それこそ手紙のやりとりとかもだし、
LINEとかでやりとりしてても、
割と連絡する方だと思うけど、お互い。
でもそれは海外にいるから。
それもあると思う。
もうちょっとあるのかもしれない。
意識的に。
あるある。
なんか普通に例えば、
自分の生活圏で会う人とか、
まず会うための連絡しかしないし、
なんか生活圏じゃなくても国内とかだったら、
なんかわざわざ元気みたいなのしないかもしれない。
それよりかは、
なんか自分が例えばその子の住んでる場所の近くに行くから、
このタイミングで会えないかなっていうために連絡をする。
そうかそうか。
そうそうそう。
なんか例えばその、
元気じゃなくても、
なんか他の話題とかでメッセージすることとかってある。
なんかその、
なんか最近これ読んだけど読んだみたいな。
例えばなんか私はすっごい映画が好きな友達がいて、
手紙の意義
私もすごい映画好き。
なんかそれで、
なんかほんと元気っていう代わりに、
これ見た?みたいな。
へー。
なんか挨拶というか、
なんかお互いのそれだったり、
あの会話の、
なんていうのかな、
まあ流れだったりするから。
で、お互い突然送っても、
なんか変に思われないみたいな感じで、
それが代わりになるっていうか、
なんかそれがまあもちろん本だったり、
まあね、
りょうちゃんとかだったら漫画だったりとかするんじゃないかなと思って。
あーなんか、
いやそもそもめっちゃ頻繁に会ってる友達で、
あの同じ漫画好きだった時に、
その漫画の新刊が出たタイミングとか、
あとはその漫画のなんかLINE用のスタンプが出て買って、
めっちゃ送りつけるとかっていうのはある。
なんか買ったぞーっていう。
うんうんうん。
そういう感じ。
この、そういうのはあるかもしれないね。
そうそう、そういうのも一種のなんか、
まあ元気まではいかないけどさ、
なんかその相手と共通の何かがあって、
でなんかそれについてのこう、
まあ話を振った時に、
はい、なんか何かが返ってくるみたいな、
なんかそういうやりとりというか。
うーん、そうねー。
でもなんか結構私の中では、
むーちゃんが結構例外的かもしれない。
なんか一番会えないじゃんか。
そうね。
直接は。
会えない。
そう、だからなんか私の友達の中では、
一番会えないからこそ、
なんかやっぱ何らかの手段で、
そうねー。
なんかコミュニケーションを取る必要があるけど、
なんかそれ以外の人たちは、
別に会おうと思えば会えるなみたいな感じの人たち。
なんかそれはめっちゃこの自分が普段住んでる場所じゃなくても、
うんうん。
国内ならさ、
そうだね。
国にお金と時間の余裕さえあれば、
うんうん。
全然会えるから、
うん。
そう、それならなんか、
もう会おうになっちゃうんだよね、なんか。
うんうんうんうん。
じゃあ例えば私が日本に引っ越したら、
そういう感じになるってことよね。
なるかもしれない。
全然なんかオンラインでコミュニケーション取んなくて、
取らないみたいな。
なんかもういついつ会おうみたいな感じで、
うんうんうん。
なるかもしれないね。
ね、なんかそれこそポッドキャスト買ったら直接収録できないそう。
あ、そうそうそうそう。
家でね、みたいな。
そうだね、やっぱ距離みたいのは大きい。
あるよね。
手紙の話に戻って、戻ると、
なんかその手紙を、
なんかあえて手紙をそれで書くっていうことの、
なんていうのかな、
意味っていうかある特定の理由みたいな。
デジタルとの違い
だからなんか私はそれこそ、
なんか今話してきたみたいに、
LINEとかで、
自分の最近こんなことあったよとか、
こんなこと考えた、こんなもの読んだよみたいなのを、
そうそう送らないから、
だからなんか、
LINEが例えば本当に連絡手段として、
数字としてゼロをつけるなら、
会うっていうことがもうマックスコミュニケーションできる100で、
その間に手紙があるみたいな感じ。
位置づけとして。
LINEはそれをあんまりアルプラットフォームとして、
自分は好きじゃないし、ちょっと苦手だから、
それよりかは手紙で集中して書くみたいな感じの方がやりやすくって、
でも手紙で書いていることは、
例えば会えば同じように話すことだったりするから、
だからなんかゼロがLINE、50が手紙、100が直接会うみたいな感じで、
自分の中ではあって、
なんかやっぱ、
LINEとさ、
別に特定のLINEじゃなくてもいいんだけど、
SNSとかでもそうなんだけど、
なんかいろいろ他に情報があるじゃん。
すぐ横とか。
その周りにってことね。
そうそう。
例えばLINEとかやってても、
携帯でちょっと指でヒューヒューって操作したら、
すぐネットの情報見れるとかにもなるし、
SNSとかなんていったらもうタイムラインに他の人たちもいっぱいいるわけで、
なんか対その人、
一個人その相手にっていうふうには、
ちょっとなんか集中しづらい感じがあって、
手紙の場合は机があって、
紙とペンがあって、
この紙にひたすら書くみたいな。
で、なんかその人にだったら、
例えばこういう口調で喋るなとか思いながらなんかこう書く。
だからそっちの方が集中できるっていうのはあるかも。
確かにそうだね。
さっきもちょっと話したけど、
LINEとかでそういう長文書くのってめっちゃ大変だし、
読みにくいし、
もう一回もらったメッセージを読み直したりとかも、
例えばそれが会話の流れの一部とかだったら、
さらにそれを前後の文脈というかそれを読んで、
で、なんでそこにたどり着いたのかみたいな。
戻るのがすごく面倒だし、やりにくいし、
それが手紙だったら簡単に紙、便箋、
番号が2つあったとして1ページか5ページとかやったら、
2ページに戻って、
で、また3ページ読んでみたいな感じのことが簡単にできるっていうのはすごいあるよね。
でも私思ったのは、
私たちジン作った時に交換日記をしたじゃん。
で、あれって一種の手紙、日記手紙みたいなのを毎日お互いにやってて、
私たちが特にやり方っていうかどういう風にやったみたいなの公開してないからあれなんだけど、
説明すると普通にディスコードの中にジンの制作チャンネルみたいなのを作って、
で、その中に日付のそれぞれの日付のスレッドがあって、
例えば1週間の間の交換日記って決めたら、
そこのスレッドにお互いが日記を、お互いへの日記手紙的なものと返信を、
その次の日っていうので書いたみたいなのがあってね。
だからあれも一種の手紙で、
りょうちゃんどんな風に書いてたか分かんないんだけど、
私はそれこそ全部タブとか消して、
それこそワードのページだけが表示されるように集中して書くっていうのと、
あと何回かやったのは手書きで自分のモレスキーに、
それこそりょうちゃんの手紙を書くみたいな感じで、
途中まで手書きで書いて、それをちょっと書き起こしたところから、
続きはまた同じようなワード、
でも全部そういう、他のタブとかブラウザとかも全部消して、
集中して書けるようにして書いたっていうのはあって、
だから手紙は集中するのにすごくいいって言ったけど、
りょうちゃんがその人に相手をちゃんと考えて、
その相手だけを見て書くことができるっていうのはすごいあるなと思ったし、
でもそれも手紙じゃなくても、
それこそワードなり、
自分でそういう環境をデジタルの形の中でも作ってやることもできるなっていうのは、
今話してて、ジン作った時のことを思い出したから。
りょうちゃんはどんなふうにして書いてた、ジンの交換日記?
私も普通に自分の応答するほうじゃなくて、
普通に自分の書くほうはまっさらなワードに書くみたいな。
毎回毎回。
で、それをディスコードのチャンネルにコピペしてやってて、
でも返信書く時もまた違うページ、ワードの違うページを用意して、
一応返事だから、スライドしたらディスコードのむーちゃんが書いた文を読めるようにはして、
それで行ったり来たり行ったり来たりしながら書くっていう感じだったかな。
じゃあ割と似たような。
SNSはまたちょっと違うなって思った。
そうだね。
デジタルでも別に手紙的な形で書くことはできるし、
でもそれってあえて自分でそういう環境を作らないといけないっていうのも結構あるよね。
例えば他のブラウザとか開いてて、いろいろ他にあるとそっちに私のキー取られちゃうから、
やっぱり自分であえてそういう環境を作って書くみたいな感じにしてたのはすごい良かったし、
集中しやすかったから。
手紙の美しさ
あとなんか思ったのは、さっき手紙は相手、一人を思い浮かべながら書くっていうのもそうなんだけど、
やっぱりタイピングするのと手書きで文字書くのって全然速度も違うじゃん。
だからなんかその結構手書きで書くときって、
頭の中とか実際に自分が小声でとか、
なんか割とその自分書こうと思ってることを口に出しながらとか、
頭の中で軽く音読しながら、
なんかその一文が終わるまではとりあえず頭の中にあって、
それをこう触ってこう読んで文章として通じるっていう風に、
別にこんな意識してやってるわけじゃないんだけど、
なんか割と無意識的にそういう風に一読して手で書いていくみたいなプロセスがある気がしてて、
だからなんか割とタイピングしてると、
I U A OだったらI U A Oって思いながら打てるけど、
手だとI U A OのAぐらいまでいかないとAが書き終わらないとか、
ってあって、なんかちょっとその速度の差があるから、
なんか相手に向き合いつつも、
なんか割と自分の思考を何回も反数しながら書いてるのが手紙って感じがしてて、
なんかやっぱデジタルだとどうしてもすごい利点なんだけど、
絶対早く打てるから、
で、しかも訂正もすぐすごい楽。
で、表面的に汚くならないっていう利点があるから、
何回でも書き直せるし、
だからもう最初は一気にガーって書いちゃうみたいなのがあるけど、
手紙はさ、結構私シャーペンとか鉛筆とかも全然何年も使ってなくて、
基本なんか何でもボールペンなの。
だから5字とか2字とか文章として変だったりすると、
もう二重線で消すしかないのね。
修正テープとかあるけどめんどくさいから、
いつもピッピって引いて四角に書き直すみたいなのばっかりやってるから、
だからどうしても手書きで手紙を書くってなると、
あんまりそのとにかく考えながら一気に書いちゃうみたいな、
まあ速度は合わないんだけど、
そういう感じでやっちゃうとどうしても修正箇所が多くなっちゃって、
なるべくはそうならないように結構考えながら書いてるっていうのがあるなと思って。
りょうちゃんの手紙いつも綺麗だよ。
私なんかいつも途中で、
え、やばここ超間違えたBみたいなのがあるけど、
なんかりょうちゃんのいつもすごい割と整ってるというか、
なんかあんまそんなBって消したとこもあんまないし。
いやでもちょいちょい間違えるっていうか、
なんかやっぱりもうギリ多分大学受験の時ぐらいだと思う。
手書きの重要性
手書きレベル長めの文章を日常的に書いてたの。
試験として小論文があったから、
その勉強で、勉強っていうか対策で何回も小論文の練習みたいなのとかしてたから、
その時は多分まだ今よりももうちょっといい感じの、
なんか一文として変じゃない文章が割と早く書けたと思うんだし、
五字脱字ももうちょっと少なかったはずなんだけど、
なんかもう今全然手書きで文章、
ほんとなんだろう、ほんとにメモ程度なら全然書くんだけど、
なんか千字とか二千字三千字みたいなそんな文章書かないからさ、
そうね。
とにかくなんか読んでみたらあれ変だぞみたいなっていうことが起きやすいなと思ってる。
確かに。
なんかでも手で書いてると逆になんかもっと書きたいこととか浮かんでくるかも、私は。
なんか普段の日常の書くっていう、手書きの行為自体がやっぱ割とこう、
私にとってはなんかそういう刺激になって、
いろいろ話したいこと書きたいことみたいのが浮かびやすくなるっていうのもあって、
割とそうね手紙とか書いてる時とかそういうのが浮かんでくるっていうのはあるかな。
ただなんかその難しいのはなんかそのいろいろ浮かんでくるから、
その手紙を書くってやっぱ読む相手がいるわけじゃん。
で、その読む相手のなんか読みやすさを考えずになんかその浮かんだことを書いてると、
なんかそれこそねそのデジタルで書いてたらさ、
じゃあここなんかこの辺ちょっと変なの出てきたから、
切って貼ってちょっとあの順番変えてみたいなの簡単にできるけど、
手紙で書いちゃうとなんかちょっと流れが、
え、なんか急に何の話みたいな感じになったりとかも自分の中ではよくあって、
いやでもね、なんか今更ここからちょっと修正とかなんか矢印で、
はいじゃあちょっと戻ってとかできないから、
あのそう、このまま書くしかないなみたいなのは、
なんかちょっと自分でなんか手紙書いてて、
戸惑うというか、なんかそうやっぱデジタルとの違いで、
ちょっと書き直さなきゃっていう風に思ったりしちゃう時もあるかな。
うん、でもやっぱりなんか話したいこととか、
まあ考えてたことみたいのが割と浮かびやすいっていうので、
まあそういうのを書きたい時とか、
まあそういうことについて話したいという時には、
割と手書きの手紙っていいよねっていうのは今話してて、
りょうちゃんの話聞いてて思った。
でもなんか私はめっちゃあの話突然変わるけどみたいな感じで、
手出したりとかそうやってる。
思いついちゃったと思って。
りょうちゃんはなんかそれめっちゃ手紙に書いてあるよく、
なんか話突然変わるけどはよく見かける文章というか、
最初の冒頭の部分、りょうちゃんのよくあるある。
なんか突然変わったりとか、戻ったりとかしがち。
でもね、手書きならではのあるあるだね。
なんかそのきれいな手紙を書こうと思わなくていいんだよね。
なんかそんな感じでいいんだよって思う。
なんかその普段書かないと緊張するじゃないけど、
なんかちゃんとしたものを書かなきゃとか、
きれいに書かなきゃとか思ったりする時も一時期あったけど、
でもなんかやっぱり送る相手にもよるのかな。
でもやっぱりこう手紙を書くっていう、
時間と相手のことを考えながらいろいろ考えたりして、
手で書くみたいな、
それ全部がやっぱり相手とのつながりみたいなのを体現してるみたいなところがあるから、
別に話変わってもいいし、
そんなきれいな手紙書かなくてもいいし、
仕事でもなんでもないし、
ほんとただの親しい友人に書く何かみたいな感じで、
なんかそのプロセス自体をやっぱり大事にしていきたいよなっていうのは。
物理的な記録
あとなんかやっぱめっちゃいいのはさ、
物理的に形に残ってるっていうのがめっちゃよくて、
いいよね。
それこそそう、
むーちゃんとずっと長い間やっててやつとかもそうだし、
他の友達とちょこちょこやったりした手紙も全部取ってあって、
すごい束みたいになってるんだけど、
だけどそれをLINEとかメールとかでもそうだと思うんだけど、
たどるのが結構大変じゃん。
だけど物理的に残ってるってなると、
それをたまたまいろんなものの整理で、
ここにそうやっぱあったよねって思って、
その時ふっと手に取ってまた読み返しとかもできるし、
それで書かれてることとかで、
自分がもう何を書いたかは全然忘れちゃったけど、
相手からの返事で、
この時多分自分はこういう風に悩んでたんだろうなとか、
こういういいことがあったんだろうなみたいなのを推測できて、
それに対して相手がすごい受け止めて、
また言葉をちゃんと送ってくれるみたいなのが、
いつでもそれを見れるっていうのが、
めちゃくちゃいいよねって思ってる。
いいよね。私も読み返し、
りょうちゃんの手紙めっちゃたばって、
手紙箱に入ってるけど、いいよね。
今言ったのがすごいあーって思ったのは、
自分が送ったのが手元にないって大きいよね。
やっぱりLINEとかだとさ、
自分が送った側ののも全部記録に残ってるし、
相手から来た返信も全部記録に残ってるけど、
自分がその時何言ったか分からないってすごくない?
相手しか分からないみたいな。
私も分からない。私があの時何を言ったのか。
りょうちゃんしか分からないみたいな。
そうなの。だからさ、
自分は完全にもう記憶の彼方というか忘れちゃってるんだけど、
それを自分じゃない全く別の人間が、
いつでも取り出せるものとして、
それを所有してるっていうのが、
なんかすごい面白いし、すごく意味があることだなって思う。
ねー。
その風にあんま考えたことなかったけど、
今改めて話してて、
自分があの時なんか、
例えばすごいバカなことを言ってたとしても、
もうその記録は私のところにはなくて、
りょうちゃんしか読むことができないみたいな。
そうそうそうそう。
いやーすごい。
それはすごいことだよね。
だからなんか、自分が忘れてても相手が覚えているみたいなのは、
めちゃくちゃやっぱこの物理的な手紙のやりとりでの一番なんか、
すごいところっていうか、
しかもそれ時差があるっていうのも、
それこそもう何年も前の相手の記憶を自分が持ってるみたいなのって、
すごいよね。
すごいよね。
確かに。
なんか私の一部をりょうちゃんが幅の中に持ってるっていう、
すごいことが。
そうだよ。
いやーなんかその風に考えたことなかったわ。
今まで。
改めて。
ねー。
逆よく考えるとすごいよね。
なんかすごい結構割と個人的で、
すごくパーソナルなことね。
あんまり。
そうか。
最初はただの手段としての感じで話し始めたけど、
最終的にはりょうちゃんが私の一部を持っているっていう。
そうなの。
すごいよね。
気づいた。
すごいね。
だからこれも結局さ、
時間を越えたつながり
手紙を捨てなかったら託しようのなかった自分の一部みたいなものを、
それを相手が手紙を捨てない限りは持っているっていうことだと思うし、
なんかやっぱり、
それこそその時から私たちお互いすごい変わって、
いろいろなこともあって、
でもやっぱりその時その瞬間に、
私たちが思っていた、感じていたことっていうのが、
直接的にそうやって書かれて、
相手に渡されているっていうのは、
すごい軸を越えてのつながりというか、
ただ友人関係で親密な関係性っていうつながりを越えての時間と、
それこそ物理的な、私たちは距離が大きいから、
空的な距離みたいな、
いろいろなものを越えていってる感がすごいあって、
政府的な、なんかすごい面白い、
なんていうのかな、世界だなみたいなのをすごい話してて思った。
私そう、なんか多分お互いに自分が、
その例えば10年ぐらい前と比べて、
自分自身が変わったっていうのを各々思ってると思うんだけど、
でもなんならその自分の変化を自分自身よりも、
そうやって過去の割となんかこう、
その当時の自分なりの深い悩みとか、
考えとかを多分送り合ってたから、
なんならもしかしたら私の変化は、
私よりももしかしたらムーちゃんの方が感じてるかもしれなくて、
逆になんかムーちゃんの変化も、
ムーちゃんが自分自身に対して思ってるものよりも、
私の方がその変化をなんかこう、
物理的に知っているみたいなのがあるかもしれなくて、
なんかそうなると、この間のなんかテーマで話したけど、
なんか自分が思う自分と他人が思う自分のギャップがあるよね、
みたいな話もしてたけど、
なんか自分が自分のことを、
ある程度自分だし知ってるみたいに思ってしまう部分が、
もちろん多分みんなあると思うんだけど、
でも実はもしかしたら、
自分よりも相手の方が自分のことを理解しているのかもしれない、
知っているのかもしれない、
なんか自分がどんな人間なのかみたいなのを、
なんか今ちょっと思った。
確かに。
なんか実際に知ってるみたいな、
なんかその、
そうそうそう。
物理的に証拠があるぞみたいな、それこそ。
そう、だってなんかムーちゃんのこの10年前の手紙にはこうやって書いてあるって。
手紙みたいな。
参考文献みたいな感じで。
そうそうそう。
いやー、そうだね、すごいね。
なんかでも歴史的に割とこう、
なんか作家とか作家同士ですごい、
なんか手紙を交換していた人たちのがこう、
一緒に本として、
それこそ文通の両方、両側の手紙が出版されるみたいなこともあって、
なんかでもそれが一つの、
例えば本とか一つの場所にこう集まった時に、
なんかどういう感じに見えるんだろうみたいのもすごく興味があるというか、
なんかそれこそ私がその時送った記録を、
私が自分がまた見返すこともできるし、
それを通して、
なんかお互いのその時の関係性、つながりみたいなものも直接的に見えるし、
お互いがその時、自分自身を見返すみたいなこともできるだろうから、
なんかそういう意味で、
なんか今度は、
それこそなんか同じ時期に送った手紙をお互いに、
なんかこう読んでみたいって、
なんか思ったら一個だけでもいいから、
なんか面白そう。
面白そうだね。
なんか割と結構昔、戻れるぐらい、
どれぐらい戻れるかわかんないけど、
5年とかもっとかな。
5年ぐらい戻れるかな。
手紙の楽しさ
5年は余裕で戻れると思う。
7年とか。
だってさ、5年前ってさ、コロナじゃん。
あ、コロナじゃん。もっと前じゃん、じゃあ。
もっと前だよ。
7年とか8年とか。
うん、そんぐらい前。10年弱ぐらい前。
一番古い手紙をじゃあ、私探してみる。
うん。
でも多分それもさ、お互いに恥ずかしいっていうレベルを越して、
なんかもう知らない人の手紙みたいに感じるかもしれないね。
ねえ。だって私全然覚えてないもん、
その時何か、どこに住んでたとかも。
面白いかもそれも。
ねえ、楽しそう。
手紙はいいよ。
みんな手紙書こう。
みんな手紙書こう。
私もまたなんか手紙書きたくなったから、
りょうちゃん手紙書くわ。
この間ね、
俺にまとめて切手を買ってきたので、
手紙を送れるように。
へえ。
だから4通。
え、何これ、カンバル?
え、なんかね、
これはあれだったんだっけ、
タツノオトシゴ?
あ、全然違かった。
めっちゃ変なやつ、なんかその、
なんか形変だよね。
角度が多分変。
なんか無理やり長方形、
縦長じゃん、普通。
縦長のものを無理やりこの長方形に
埋めようとしたがゆえに、
なんかちょっと角度がおかしくなる。
なんか一瞬チラッと見ると、
カンガルーが飛ぼうとしてるみたいな。
なんかオレンジだしね、色も。
そうそう。
まあじゃあこれで手紙が来るので待っててください。
わかった、待ってる。
タツノオトシゴを見たら、
あの時のドアって思って。
あの時のやつ。
今日はこんな感じ?
まあ答えは出なかったけど。
まあ答えも何もないからね。
ないけど。
まあいつも通り色々話して、
手紙を読もうってことになりました。
みんな手紙やろうって感じで。
いいぞ、手紙は。
なんか綺麗に書こうと思わず、
本当に超自分が浮かんだことを書いて送るみたいな。
送る、その行為だけでも楽しいから。
貼ってポストに入れて届くかなみたいな感じで。
だからまたもしお手紙送ったら、
送ったよーって教えてもらったら楽しそう。
楽しそう。
手紙送って。
手紙送ろう。
手紙布教委員会で。
そんな感じで終わりかな。
じゃあまた来週。
また来週。
55:39

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