1. あのさ、
  2. #32 罪悪感なく休むのって難し..
2025-05-11 53:07

#32 罪悪感なく休むのって難しい/zine出品のおしらせ

📣おしらせ

2025/5/22(木)〜5/25(日)に開催される「ふ〜ん学フリマ」にわたしたちのzine『あのさ、一号』を出品します🪐直接手に取っていただける機会はとてもレアなので、この機会にぜひぜひ足を運んでみてください!


【詳細情報】

日時:2025/5/22(木)〜5/25(日)14時から20時(最終日は19時まで、オンラインは26日8時まで)

場所:ISBbooks(〒166-0004 東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-25-23第一丸伊荘C号)、ISBbooksオンラインショップ(BASE)


index🐾

「ふ〜ん学フリマ」に出品します!/「何もしない時間」に対する罪悪感/やらなきゃいけないことリストに常に追われている/体は休めても心が休まらない/今やらなくていいことまでやらないといけないと感じてしまう/自分を責める思考がパターン化する/「何もしない」って?/子供の頃によくあった「ぼーっとする時間」がない/自転車移動は「何もしてない」かも/休むためには意図的な制限が必要/小さなことでいいから「できたこと」を可視化する/20代だからまだなんとかなってる?/サステナブルな生活のために休み方を身につけたい


紹介したポッドキャスト💫

アイスクリームが溶けても 4🥄休みに無頓着だった私たちが、30代になって考える「休むって?」


SNS🗣️


感想や質問は⁠こちら⁠へ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年4月14日]

サマリー

このエピソードでは、日常生活における「休むこと」の重要性や、何もしない時間に対する罪悪感について考えています。また、zineの出品情報や、特に東京での文学フリマへの参加についてもお知らせしています。罪悪感なく休むことの難しさや、その理由について深掘りされています。最近のzine出品についても言及されています。休むことへの罪悪感やリラックスする方法の難しさについても語られています。また、日常生活でのタスク管理や、休むことが健康に与える影響についても触れられています。罪悪感を感じずに休むことの難しさや、日々の小さな達成感を記録する重要性についても語られています。タスク管理ややったことリストの効果についても触れられています。

00:07
こんばんは、むぎほです。
りょうこです。
ポッドキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい、始まりました。
zine出品のお知らせ
えっと、今日は、今日のテーマに入る前に一つ告知というか宣伝というかがあって、
えっと、今これ収録してるのは4月なんだけど、5月の下旬、22日木曜日から5月25日日曜日まで、
東京にある、多分最寄りわからないんだけど住所は阿佐ヶ谷にある ISB Books っていうところにいて開催される
文学フリマっていう、えっとフリマに私たちが作ったzineを出品することになりました。
イエーイ!
今絶賛その出品のための準備とかをコツコツと進めているところで、
来月の下旬に開かれるこのフリマで出るんだけど、私たちは基本的にやっぱ国境をまたいでるっていうこともあって、
2人でオフイベントに出るっていうのが基本的には難しくて、
今までは私たちのオンラインショップというか、あのさのオンラインショップっていうのを作って、そこでzineを販売してたんだけど、
だからなんか基本的にはそのオンラインに載せてる木絵とか、中身の一部以外はどういう内容なのかっていうのを直接手に取って眺めて買うっていうことができなかったんだけど、
今回すごいいいイベントを見つけまして、ここに参加させていただこうと思っています。
ちょっと土地的に東京とか東京近郊にいる人だけに限られてしまうんだけど、
直接手に取れる機械っていうこと自体が多分私たちが作るものに関しては結構レアな機械となってるので、
本当にぜひぜひこの5月22から25の期間に直接行って眺めるだけでもいいし、zineを手に取ってみてほしいなと思ってます。
さっきリョウちゃんも言ってたけど、なかなか2人で参加したいんだけどね。
気持ちとしては参加したいの山々なんだけど、やっぱり国境とかの問題で、なかなか気軽にちょっと帰りますみたいな距離じゃないから、
タイミング合わせたりするのも難しいし、だからこういうレアな機械、すごい素敵なイベントだよね。
なんかやっぱりみんながみんなそうやってアクセスが、そういうイベントにアクセスしたりとか出展したりとかできないから、
そういう人たち向けのこういうリアルに原本を見て、ちょっとパラッと読むなり手に取るなりすることができるっていうのはすごくありがたい機械なので、
ぜひ5月22からだよね。
22から25まで、もし機会があれば見に行ってみてください。
ぜひぜひ。
楽しみ。初めてだよね、こういうの。
そうなの。なんか自分たちのオンラインでしか売ってなかったから、
私もやっぱりなんか自分が買う側であっても、やっぱり直接見たいじゃん、中身がどんななんだろうとか。
なんかその写真で出してる部分以外がどうなってるんだろうとか、
そういうのを見て判断してなんか買うことが多いから、
これを機に直接パラパラっと見て、なんか良さげだなと思ったら読んでみてほしいし。
そうだね。
ぜひぜひ。
こんな感じかな。
今日のテーマに入る。
休むことの価値
今日のテーマは私が提案したもので、
何もしていない時間の価値ということについてちょっと2人で話したいなと思ってて、
っていうのもきっかけが、Me&Youっていうオンラインメディアっていうのかながあって、
そこの主催者の2人が新しく始めたポッドキャストがあるんだけど、
ちょっと待って、名前を間違えたくない。
アイスクリームが溶けてもっていうポッドキャストになってて、
で、そこで一番最近なのかな、
割と最近目のエピソードで、
休むに到着だった私たちが30代になって考える休むってっていうエピソードを聞いたのがきっかけで、
私もちょっと、その休むっていうことについていろいろ考えたんだけど、
休むっていうことだけに、
それだけじゃなくて、
そもそも休むとか何もしない時間、
何もしない時間っていうのは仕事とかやらないといけないこと以外の時間で、
特にやることもなく、
何をしてもいいっていう時間があったときの、
私は割とそういう時間で何をしていいのかわからなくなって、
何もしてないことへの変な罪悪感とか、
うまく休めないみたいなのが結構あって、
その辺をどういうふうに、
もうちょっと何もしないこととか何もしていない時間っていうことについて、
もうちょっとうまくそういうものを受け入れていけるんだろうかみたいなのを、
ちょっとりょうちゃんと話したいなとか、
あとりょうちゃんどんな感じでそういう何もしていない時間を捉えているのかなみたいなの聞きたくて、
今日のテーマに設定してみたんだけど、
どうりょうちゃん?何もしていない時間への罪悪感みたいなのってある?
めちゃくちゃある。
めちゃくちゃある?
めちゃくちゃある。
今大学院行ってて、限られた期間の中で研究して、
それを論文として出さなきゃいけないんだけど、
やればやるほど、何で自分はこんなに分かってないんだろうとか、
これもやらなきゃ、あれもやらなきゃみたいな気持ちになって、
やらなきゃいけないことだらけになっちゃうの、割とすぐ。
当然だけど、全てを完璧にやるっていうのはできなくて、
どこまで行ってもその期間までにできたことを書くっていうのが論文だから、
やっぱりそういうできない、あれもできてない、これもできてないっていうできないことリストがたまってくると、
休みを取ることへの罪悪感とか、休もうって思っても、
実際実動していなくても気持ちの面で焦りばっかり出ちゃって、
だから何もやっていないといえば、いないから、例えば勉強してないとかね。
だからそれを思えば、作業としては休んでるんだけど、
多分頭があんまり休めてないっていう感じがあって、
だから休みは適度に取らなきゃなと思いつつ、取ってみたら取ってみたで、
あれもやらなきゃいけないのに、こんなことしてる場合じゃないよねみたいな気持ちはなりがち。
でも全く休んでない方と全然そういうわけでもなくって、
何もしてないっていうよりかは、本当に私は好きな娯楽が漫画読むとかあるから、
そういうのやったりしてて、
だから何もしてなくはないけど、それを自分の中で休みとして捉えているって感じかな。
それを何かやってる時は、別に罪悪感とか、
例えばやらなきゃみたいな気持ちが頭の隅にあって、
やりたいというか、好きなこととか、趣味に集中できないっていうことにはならない。
なんか読んでる間は物語に集中してるから、
多分そんなに罪悪感はないんだけど、
読み終わった瞬間の罪悪感がすごい。
終わった瞬間に、何かやらなきゃみたいな。
終わって、わーよかった、はーってなって、
こんなことしてる場合じゃないじゃん、私とかって思って、
ずっと気持ちだけ焦ってるみたいな感じかな。
気持ちが休まらないみたいな感じかな。
そうかもしれないね。
めっちゃ多分、罪悪感ありまくりって感じ。
でもそれも、ずっとだと疲れるよね。
なんか常に、それが多分スタンダードとか普通になっちゃうのかもしれないけど、
やってる時はいいけど、それが終わった瞬間とか後に、
何かそういうふうな気持ちがやってくるみたいなのが。
仕事とかでもみんなそうだと思うんだけど、
頑張るみたいなのが、頑張るの基準がなくなるというか、
ずっとスイッチオンみたいな感じだから、
頑張ってるつもりではいるんだけど、でも頑張れてない気がする。
もっと頑張らなきゃみたいな謎のメンタリティーになってしまって。
だからなんか常にゴーゴーゴーゴーゴーみたいな。
そういうタイプ?
そういうタイプ。
だから安い。
本当に何もしないとか、本当にやらなきゃいけないことを、
基本的にやらなきゃいけないことの、
締め切りをちゃんと締め切り通りに何か提出するとか、
そういう短期スパンではもちろん達成するとかあると思うんだけど、
基本的にはそれってエンドレスだし、
永遠にやらなきゃいけないことって積み重なっていくから、
やらなきゃいけないことをとにかくやらなきゃのマインドだと、
一生休めない気持ちの面で。
どんなに楽しいことしてても、
やらなきゃいけないことリストがわんさか頭の中にあるから、
それを休んでるんだろうかみたいな。
自問自答しちゃうよね。
確かに。めっちゃあるね。
終わらないやらなきゃリストありすぎて、
例えば仕事以外の時間で、
時間的な余白ができたときに、
すぐにそこに終わりのないやらなきゃリストを持ってきて、
上から次これだからっていうので、
その余白を埋めようとしてしまう。
そうすると、本当はその余白は余白のままでよかったのに、
やらなきゃリストがあるがために、
それをどんどん引っ張ってきて、
結局余白ゼロみたいな感じ。
常に、しかもそれってさ、
確かに外からの締め切りなりなんなりで、
やらないといけないこともあるんだけど、
自分が自分に課してる、
やらなくてもいいんだけど、
勝手に自分でやらないといけないと思っているようなことも、
なくはないんだよね。
それが結構自分的には、
自分が自分を追い詰めている感がすごいあって、
でもそこのループの立ち切り方みたいなのが、
なかなか難しいっていうのも、
やらなきゃリストにあるものって、
割と仕事で、仕事関係での学びとか、
もうちょっとそれが今やってることがスキルアップするとか、
上手くなるみたいなことにつながってたりとかもするから、
なんだかんだで、
仕事とか労働とかの、
何かをアウトプットするものへの結果みたいなものにつながってる?
常に?みたいなのがあって、
そこから上手くメリハリつけられるようになりたいな、みたいな思ってるんだけど、
なかなかね、私はそれが上手くいかなくて。
なんかその、やらなくてもいいんだけど、やらなきゃって思っちゃうのは、
そういうスキルアップみたいなことなの?
私はそう、割とそれが多いかな。
最近のとこだと、
なんかその、別に職場では、今やってる範囲では別に評価されてるし、
全然何もできないから、やばいからやらなきゃっていうのも特にそこまでない?
だから、なんか別に、そこまでステップ詰まってやる必要もない。
ゆくゆく、ちょっとずつコツコツとできたらいいよな、みたいな感じのことではあるんだけど、
自分ではなんかそれ以上の、なんかよくわからないプレッシャーを自分に与えて、
あ、なんか、隙間、それこそ隙間時間、余白があったらやらなきゃ、みたいなものの結構トップに、
割とそういう仕事関係のことが占めていて、
それがあんまり、なんかまあ、やらなきゃって思うから、そこまで楽しくもないし、
なんかその義務感的なものになってきちゃって、
やらなきゃ、みたいな感じになっちゃうのが嫌だ。
そういうのってどうしたらいいんだろうね。
なんか自分が自分でやってるからさ、自分で辞めればいいんだけど。
自己プレッシャーとリスト
なんかあれだよね、その、なんていうか、物理的に外から課されてる締め切りとか仕事とかではなくて、
なんか割と自分の気持ちの中で勝手にいろんなこう制約をして、
それに自分がアップアップになっちゃうみたいなのって、
私もめっちゃあるんだけど、なんかそれをどうすればいいんだろうっていうか。
なんか自分に辞めてさ、自分がやってるからなんか辞めてくれないっていうか、なんかね、なかなか。
しかもなんか、やらなきゃいけないことリストがさ、こうどんどん積み重なっていくと、
例えばその一つ一つ自体はすごい時間がかかるわけでもなく、
ある程度集中してそのための時間とか労力を割けばできることなんだけど、
なんかそれがいくつも何個もこう重なってくると、
なんかその実際にその締め切りの量よりも、
てか実際に自分がやる実度よりも、
なんかそれがあるっていうことのプレッシャーに自分がやられちゃう。
なんかこれもやらなきゃ、あれもやらなきゃみたいな感じで、
思ってること自体がめっちゃ負担っていう。
休むことの難しさ
確かにそのメンタル的なのがすごい大きいよね。
メンタル的なハードルの方が実際のことより大きくなりすぎて。
そうそうそう。
いや、ないよそこまであれなのに。
なんでそんなに?みたいな自分で。
なんか自分でそれをどんどんどんどん食らわせてしまうというか。
だからなんか私の場合は、将来的にやっといた方がいいよね。
でも今じゃなくてもっていうよりかは、
なんかもう全部今なんだよみたいな感じになっちゃって。
なんかね、今だってなんかこういうことを学べて、
こういう何かしらの背景知識とかがあったら、
なんかもっと自分の場合だったら自分の研究対象に対して、
こう深い理解とともに何か書けるんじゃないかみたいな感じで妄想してしまって。
だからなんか全部こう今じゃなくてもいいけどっていうよりかは、
全部今みたいに思っちゃって。
なんかそれ故に結構なんかもうこんなにいっぱいあるやらなきゃいけないこと、
今できていないことがこんなにたくさんあるみたいな。
でも目の前の一個一個の締め切りも守らなきゃいけないっていうことに、
なんか結構メンタル的にやられちゃって。
だからなんか休むための時間を確保しつつ、
でも実際なんかその時間の中で、
なんかどれだけ考えたってその時間内で解決することじゃないってわかってるのに、
なんかどうしようどうしようみたいな感じで、
気持ちが焦っちゃって、
全然休めた気がしないみたいな。
なんか今やらなきゃっていうのはきついよね。
なんか今やらなきゃみたいなその時間的なプレッシャーで、
今やらなかったら何かを逃してしまうとか、
その時やってたら掴めたものが今やらなかったことによって掴めなくなってしまったみたいな、
今やらなかったことによる結果みたいなのがやっぱり自分にとって結構重要なものだったりすると、
それに対してのハードルないプレッシャーみたいなのが倍増するというか、
なんか時間的なものって結構きついかも確かに。
今やらなきゃみたいなのは。
そうよね。
なんか休むというか何もしないってさ、できないじゃん。
何もしないことについて
多分。どんなに多分いろいろ余裕があっても、何もしない時間っていうよりかはやっぱ何かしちゃうのではないかというか、
なんかやっぱ時間に空きがあるから、じゃあ自分の好きなことしようって結局それってするってことだから。
そうだね。
でもそれも休んでると言えば、まあ休んでるのかもしれないけど。
そうだね。まあその人にとってその行為がなんていうのかな、
自分なんかそのやらなきゃと思ってることを考えなくていい時間になったりとか、
まあそれこそ仕事のこと考えなくていい時間になったりするんだったら、
それは多分その人にとって休むというか、何もしない。
でもそうはね、休んでる時間になるのかもしれないけど、
なんかその何もしてないっていうのは、
私は個人的にはもうちょっと、
なんかそのそれに踏み込んで、
なんかもう本当に何もしない時間、なんかそれこそだから、
本も読まないし、
なんかもうそういうこと、なんていうの、ぼーっとしてる時間みたいな時間を、
なんかすごい、なんていうのかな、
まあそれこそ子供の時とかはさ、
なんか夏休み長いなーみたいな感じで、
ぼーっとしてるみたいな時間ってあったけど、
なんかその、
まあこのテーマについて考えてた時に、
いやなんかその大人になって、
まあその大人っていうその節目が何なのかよくわかんないけど、
まあその最近、
なんかその本当に何もしない時間ってあったかなって考えた時に、
いやなんか本当に思い浮かばなくて、
まあそれこそなんかちょっとでもその時間があると、
なんかそのまあ例えばやらなきゃいけないことをやらなくていい、
そのまあ余白というか隙間時間だったとしたら、
なんかすぐに何かを、
じゃあなんかそれこそまあ本読もうとか、
まあその趣味のことをやろうみたいな風になっちゃったなーってすごい思って、
別にそれが悪いことではないんだけど、
本当に何もしない時間っていうのはないなっていうのを、
なんか改めて考えて、
いやなんか、
いつも何かをしてる、
なんかそれこそ寝てる時以外は、
なんか常に何かをしているんだって思って、
なんかそれもなんかそれですごい、
すごいなみたいなのを自分でなんか一人で考えてたっていうのはあって、
なんかある?最近でその、
もう本当に何もしないっていう、
なんかその携帯も触んないし、
なんかそれこそ本当なに、
犬と遊ぶとかさ、
何かをしようと思ってしてる時間じゃないから、
私はそれを割と何もしない時間に、
なんか本当ただ犬撫でるだけみたいな時間は、
私の中では何もしない時間、
でもそれぐらいかなって思った。
確かにね、なんかその、
めっちゃ小学生の時の、
なんか情景的に覚えてる、
あの時間のあり余ってる感じ?
なんかその、
なんか自分の家にいて、
みんな大人たちは忙しくしてて、
なんか友達も家の用事とかでなんか忙しくて、
でとにかく学校帰ってきてから暇で暇で、
もうなんでこんなに時間が過ぎるのが遅いんだろうって思って、
時計見て、
ああまだ3時じゃんってなって、
なんかまだ夕飯まで3時間以上ある、
何しようみたいに思ってた記憶がすごい鮮明に残ってて、
あの時の何もしてなさすごかったなと思って、
本当に多分娯楽も限られてたっていうのもあると思うんだけど、
あとは行動できる範囲も子供だし狭かったし、
っていういろんな制限があったから余計っていうのもあると思うんだけど、
本当に暇すぎて、
近所ただ歩きに行って野良猫観察したりとか、
公園で一生、あれなんていうんだっけ、
丸くて編み編みになってて、
横にぐるぐるぐるぐるって回るやつ?
そうそうそうそう。
え、なんていうの?名前あった?ジャングルジムみたいなやつでしょ?
そうそうそう、
それを走ってめっちゃ早く回転させて、
しがみついてその回ってる間自分も一緒になって回って、
それをやりながらぼーっと考え事してるみたいな。
そういう状況はすごい覚えてるんだけど、
それを何もしてない時間で考えると、
本当に今常に何かしらしてるし、
ただ今の生活で過労死で多分何もしてないのは、
移動時間かな?
自転車漕いで目的地まで向かってる時間?
大体10分、片道10分から20分ぐらいの距離を、
自転車漕いでわーって移動してる時が、
足は漕いでるんだけど、
自分の頭の中としては何か行動をしてるっていう風にはカウントしてないから、
とりあえずそのぐらいかな?何もしてない時間って言ったら。
私も今移動時間かなと思ってた。
移動時間って言っても、
自分がわりと集中してないといけない移動時間。
例えば、会ってるとか電車に乗るとかは、
わりとここで降りなきゃとかあるから、
わりといろいろ考えてるけど、
例えば車で助手席に乗ってるとか、
バスに乗ってるとか、長距離とか、
あとそれこそ飛行機とかは、
わりとぼーっとしてるかなって思った。
一時期は飛行機とかは、何かしなきゃみたいなのを結構思ってて、
本読まなきゃとかだと思ってたけど、
最近はわりと本当に超ぼーっとしてる。
か、たまにオーディオブックとか、
ポッドキャストとかをただ聞くみたいな。
そういう時間もわりと結構ぼーっとできるっていうか、
何かを読んだりとかもしないし、
わりと私聞いてるときは読んだりとか、
マルチタスクがうまくないから両方できなくて、
だから聞くときはわりと集中して聞きたいってときは、
もうそれに集中するしかないから、
そういうときとかはわりと聞くとかかな。
それも何かしてることになるのかわかんないけど、
そういう時間は。
私も結構バス移動は何かしてるかも。
本読むとか、ポッドキャスト聞くとか、
音楽聞くとかっていう感じで、
自分の中ではアクティブに何かをやってるっていう感覚があって、
バス移動は何かやってるけど、
自転車のときは足は動いてるけど、
足は動いてるけど、何もしてないっていう感覚になるかもしれない。
へー、面白い。
でもそんなもんだよね、日常生活。
何かしてないってカウントできる時間って。
意図的に何かしないようにするって結構難しいかもしれない。
そもそもがやらなきゃいけないことたくさんあるわけじゃん。
仕事とか私だったら大学のこととかあって、
それ以外でも生活する上で必要ないろんなことあるじゃん。
家のこととか、いろんな支払いとか手続きとか、
何かそういう雑多なこととかもたくさんあって、
何かそういうものに自分の時間がどうしても使わざるを得ないから、
残った時間で別の自分が好きなことをしたいって思って、
私だったらそこの時間で漫画読むとかっていう感じで何か自分のしたいことする。
でも何かそれってやっぱりやってるし、
何かそれをやることに私は結構罪悪感があるから、
何かそういう何かをやる休み方じゃなくて何もしないっていう休み方。
一発変な罪悪感を覚えずに何もしないをするみたいなのってすごい難しくない?
難しい。特に何か普段の日常生活の中とか難しいかも。
旅行行った時とかはどう?
あー、旅行ね。何か今純粋な旅行って言ってたけど。
何か結構研究関連でフィールドウェアとか何かそういう感じで、
研究絡みで移動することはすごい多いんだけど、
何かそうじゃなくて楽しむための旅行っていつ行ったっけ最近と思って今考えちゃった。
思い出せなくて。
でも何か旅行でパッと思い出すのは一人じゃなくて友達と一緒に行ってたから。
あー、そっかそっか。
だからそこで何かしないっていうよりかはずっと喋ってたなーって思って。
まあそれもね、休んだなっていう感じは自分ではするけど、
何もしないという休み方ではないかなっていう。
何もしない休み方って現代社会の中でなかなかできないというか、
やっぱり特に普段の日常生活では難しい。
それこそさっきリオちゃん言ったみたいに、
余った時間って自分のやりたいことをやりたいじゃん。
唯一それができる時間みたいな感じだから、
何かそれを逃したくないっていうのもあるし、
何もしないっていうことへのしなかった感に対しての罪悪感っていうよりかは、
何かその時間を有効に使えなかったみたいな感覚があって、
っていうのもやっぱりその時間に、
時間にまあそれこそ好きなことをやるための時間としての利用の仕方をしたいとか、
あとなんかもうちょっとやらなきゃいけないこと、
リストをもうちょっと減らすためのタスクをこなす時間にしたいとか、
まあなんかそういうもうちょっと何かを得たりとか、
もうちょっと何かのためになるみたいな感じで時間を使いたいみたいな気持ちも結構強いが故に、
旅行やタスク
本当に何もしないっていうのは、
それに反するというかっていうのもあっての、
なかなかそういう何もしない感じの時間は特に一人とかでは取りにくいみたいな。
なんかその犬の散歩に行くとか、犬を撫でるとかってなんかその対象があるし、
自分個人で完結することではないから、
またちょっと違うのかなと思ったりもしたし今話してて、
何もしてない時間っていうのはやっぱなかなか難しいし、
何かしているからといって別に休めてないわけでもないじゃん。
なんかその例えば好きなことしてたりとか、
まあ友達と話してたりとかっていうのもあるから、
なんかまあいろいろな人によっての休み方によってもその捉え方も違ってくるのかなって思ったけど、
休むの難しいよね。人それぞれによって休み方の定義があるよねみたいな。
休むことの難しさ
によってやっぱりなんか別に何もしてない時間がなくても、
まあ休めてたらいいよねっていうのはあるかな。
でもなんか思いついたっていうか思い出したのは、
最近は全然言ってないんだけど、
なんかそれこそ結構論文の締め切り間近とかで、
ずっと肩、首肩、肩甲骨あたりがなんか張っちゃって、
なんかすごい、なんか日常生活に支障が出る痛さの時があって、
なんかその時期結構整体に通ってたのね。
で、なんかその整体の手術中は何もしてなかったなって思い出して、
なんかやっぱりそれって自分の体が自由に動かせなくて、
言ってみればされるがままの状態だから、
もう物理的に何もできないっていう。
で、まあ横になってるし、
それってすごい何もしてなくて、めっちゃ休んでるっていう時間だったかもって。
確かに。そういうのいいね。マッサージとかもそういう感じだよね。
そうそうそう。だからなんか人に触られるのが嫌とか、
そういうのがなければ結構、誰かにマッサージとかで揉んでもらうとかもそうだし、
なんか揉まれつつも結構あれって体拘束されてるみたいなとこがあるから、
なんかそういう強制力を使って、もう強制的にシャットダウン、休ませるみたいな、
っていうのもありかもしれないね。
確かにね。なんかその頭とか気持ちを休ませるっていう面では、
そういう風な、なんかその物理的な制約があるっていうか、
なんかそれこそだから、りょうちゃんさっき言ってた自転車乗ってる時とかもさ、
体がやっぱり自転車を漕ぐことに、やっぱ体が集中してるから、
それ以外のことをやるのって割と難しいというか、
っていうのもあるのかなって思った。
走るとかもそうなのかな、だから。
そうかもね。
言うけど、人によってはなんかすごい無になれるみたいな。
そうそうそうそう、長距離走が結構好きな人は割と言うよね。
聞くわ、なんかマラソン趣味ですみたいな人から。
でもなんかやっぱあれなのかな、そのうちらは結構気持ちの面で焦っちゃうというか、
その休むことへの罪悪感あるみたいな感じだから、
なんかもう物理的にそれをやるしかないみたいな状況になった方が、
なんかかえっていろいろ割り切れたりするのかもって思って。
そうだね。
なんかそのいろんなやり、やらなきゃいけないことリストで、
私の場合はなんかそういうので、
なんかもうアップアップになってる時って、
なんかその複数のことが常にできる状況なの。
タスク管理とプレッシャー
だから例えばAっていうタスクがあって、
Bっていうタスクがあって、Cっていうタスクがあって、
自分でもちろん締め切りバラバラだったら、
一番近い日のものから一応やらなきゃいけないけど、
とはいえ例えばある程度期間があるものだったら、
なんかそのA、B、Cの中から自分がどれでも選べて、
どれもやらなきゃいけないんだけど、どれでもできてしまう状況。
で、だからもう全部今やらなきゃいけないみたいな感じで思っちゃうから、
だから余計に気持ちの面で、なんかその負担感、プレッシャーとか、
やらなきゃいけないっていう気持ちが、
多分実際にこう思う必要があるレベルを超えて、
過度に思ってしまうみたいなところがあって、
まあだからなんか一応頭の中で優先順位みたいのは決めてるけど、
なんかもっとこう強制力、何か働くような、
もうAしかできないっていうような状況を、
なんかこう自分の生活の中のシステムとして作るみたいな方が、
なんかいろいろ自分の中で割り切れたりするのかなって思ったりしたんだけど、
まあでもどうやってそういう、もうAしかできないみたいな状況になるのかっていうのはあるけど。
なんか私が聞いたことあるのは、
例えば、締め切りがあって書かなきゃみたいな人がいたとしたら、
それこそ作家の人がホテルに缶詰になって書くとかとも似てるけど、
ほんとそれができる資料とかそれしか持たずに、
それ以外のものは一切置いて、
例えば図書館に行くとか、
それがアクセスできない場所に行く。
だからなんかその手元にあるのはやっぱりその、
今書くべきそれこそ原稿とかがあったら、
それに関する資料しかなくて、
だからそれしか書かざるを得ないみたいな感じになるとかっていうのは聞いたことあるけど、
なんか割とその環境を整備するのも結構いろいろ考えなきゃいけないじゃん。
だからなんかそのナチュラルに自然にみたいな感じではないじゃん。
割と自分で計画っていうか、
なんかこれにはこれが必要だからっていうのをある程度段取りっていうか、
プランしてっていうのをしないとだから、
どれくらい日常生活に導入できるかわからないけど、
そういう制限の仕方もあるよね。
走りながらやるとか。
無理じゃない?
無理だね。
もう走るだけでハッハッハッハ言っちゃうわ。
どうやって制限するんだろうね。
やっぱりこの現代の社会って、
情報の伝達とかも早いし、
持続可能な生活の重要性
これやってみたいなのを頼んだりするのも直接じゃなくて、
普通にオンライン上で頼んだりとか、
いろいろ申し込んだりとかっていうのができちゃうから、
ゆえにタスクの現れ方も、
一瞬で自分の元にまた新しいタスク、
え、またこれやんなきゃいけないの?
これもうやんなきゃいけないの?みたいなのが届くし、
それをそのペースで返さないといけないっていう、
環境的なものも大きいというか、
例えばそれが物理的に、
前も手紙の話をしたけど、
届くのにそれこそ1週間とか2週間とかかかるってなったら、
その間どうしようもないじゃん。
どう書いても、りょうちゃんからの返信が来るのには、
2週間かかるっていうのがあって、
その間、書きたかったら自分に手紙書いてもいいけど追加で、
どうしよう、りょうちゃんからの返信ないからには、
やっぱりそこから先に進めないっていう制約があるじゃん。
時間的な、時空間的な。
やっぱそれがないっていうのがすごく大きいし、
それを作るっていうのも、
今の社会では難しいというか、
意図的にやらないといけないっていうか、
それをどうやって意図的にやるのかっていうのも、
なかなかね、場所変えるとか、
そうね。
こういうなんか普通のことしか思い浮かばない。
ね。
なかなかやっぱ思い浮かばないよね。
でも多分そういうことがあるから。
でもなんかなるべく、
自分が基本的にわーってなっちゃう性格だからっていうのもあるけど、
なるべくできてないけど、なるべく意識しようってしてるのは、
私は基本的にやっぱ自分ができなかったことリストを作るのが得意で、
もう悪しき習慣としてあって、
なんかこれができてない、あれができてない、
だからこれをやらなきゃいけないっていう思考回路で、
やっぱずっとやってきてしまっていて、
やっぱそれがあるから、
こう何かをするタイプの休み方も、
何もしないっていう休み方も、
やっぱいずれにせよ罪悪感を抱くっていうのがあって、
だからもうなるべくできたことを考えようみたいな風に意識はしてはいる。
実際そんなにはできてないけど、
なるべくやっぱりそのこれができた、あれができたって、
まあ思うほうが自分のメンタル的にも絶対いいはずだし、
そうだね。
そう思えたほうが、例えば漫画を読むにせよ、
生体育にせよ、
その時間は時間で休みとしてちゃんと感じてきるというか、
っていうのはあるよねって思う。
確かにそれはメンタル的な面ですごく助けになるというか、
自分を支えてくれるよね。
一つでも小さくてもいいから、
何か自分ができたことに対してできたって思うみたいな。
結構重要だったりするか。
でも問題はさ、そう意識してるけど、
もうこの長年のさ、
中間と毎日の積み重ねで身についたこういう思考回路を、
逆、言ってみればほんと正反対に変えるわけだから、
そうだね。
それってすっごい時間がかかるし、
どんなに意識してもなかなかやっぱり難しいなって思うところがあって、
だからたぶん私たち2人とも休むの下手だと思うの。
だからなんかもっとこう、休むのが上手い人に聞いてみたい。
そうだね。
周りにいる休み上手な人?
いないね、知ってる限りは。
いや、なんかみんなやっぱり、これはたぶん日本のこの労働の問題でもあると思うんだけど、
やっぱみんなこの、そうそうそう、
やっぱこの労働というものに時間を取られすぎてて、
すごいこう、労働に暴殺されてる感じ?
みんな友達そういう感じがするかな。
私まあね、友達以外の人たちも知ってる範囲だと、
みんなやっぱりそれぞれに忙しさっていうのがあって、
なかなかこう上手い休み方をしてるなって思える人がいないかもしれないね。
でもたぶんなんかうちらもまだ20代だし、
こういうこう休めなさがこうデフォルトな生活であっても、
まあそれなりに、別に楽じゃないけど、でもなんとかやれてるっていう感じはして、
そうだからこれがさ、やっぱ年代が変わってくると、
ちょっとまた感じ方とか、
なんか休めなさがもろ直結するような健康のこととか、
そうだね。
なんかこういろいろ問題の回想みたいなのが変わってくるのかもなって思ったりした。
そうね、確かに。
なんかこう休めないことによる影響みたいなのが、
インパクトの範囲が大きくなってくるというか、
今は若いっていうわけでもないけど、
まあそのもうちょっと先に比べたら、
体もまあそこまでなんとかなるみたいな感じで、
なんとかやってる感はあるかな。
だからこれが持続可能かと言えば、そうじゃないって思うし、
だからやっぱり今のうちから少しでもそういう、
まあもうちょっと今よりはうまく休めるようになりたいみたいなのはあるし、
そういうなんていうのかな、何もしない時間っていうものへの向き合い方っていうのも、
ちょっとずつでも、まあ日常の中でも考えていきたいなみたいなのはあって、
まあそれが何かっていう答えがあるわけではないんだけど、
なんかまあそれこそちょっとでもそれを意識するっていうだけでも、
まあ日常生活の中で何か気づきがあるかもしれないし、
いつも通り答えはないんだけども、
なんかこれをもうちょっと考えたいなっていうのはあるよね。
そうだね、なんかやっぱりうちらの健康のためにもさ、
そうそうそうそう。
この持続可能な生活のためにも、
いい休み方を自分自身身につけたいし、
いろいろ方法があったら知りたいね。
知りたいね。
そうだね、なんかみんなでそういうのシェアできたら楽しそう。
なんか他の人の、それこそ私たちより全然休み上手な人もいっぱいいると思うから、
知らないだけで、そういう人から教わりたい。
教えてくださいって。
休み方のレクチャーしてほしい。
でほしい。
えー、なんかそういうの良さそう。
なんかゲストを呼んで、休み方教えてくださいって。
なんか全然なんか愚痴みたいになったけど。
うちら全然休めないって。
休めないみたいな愚痴。
終わるかいみたいな。
たぶんうちら2人とも似てるからさ、
どっちかが持ってないことをシェアし合うみたいなのができなくて、
お互いに同じところでくるくるしてるから。
気づきっていうか結論っていうか、
っていうのはなんかもうちょっとそれを意識していきたいよねっていうのだよね。
未来の自分たちのために。
いつも以上にグダグダな感じになったけど。
グダグダな感じだった。
そうだね、でもさっきりょうちゃんが言ったその、
ちょっとでも少しでもいいからその1日にできたことを考えていくっていうのは、
たぶん一番今回今日話した中で、
罪悪感なく休む方法
いいアドバイスというか、
アクションの一つだと思う。
私もなんかね、最近、
同じではないけど似たようなことをやってて、
なんかそのスケジュール帳があって、
週のスケジュールあるとこういう感じで、
1週間のこれがこうバーって無印の帳なんだけど、
あってなんかその、
そこの左側は日付があって予定がバーってあるから、
右側に日付の横に本当に一言でもいいから、
なんかやったこと。
本当に全然タスクと関係なくても、
全然何とも関係なくてもいいの。
なんか本当に、
私が最近書いたのは、
なんかずっと白玉が食べたくて、
それを作るみたいな、
作るみたいな、
ずっとなんか自分の中での、
なんかやらなきゃってほどではないけど、
なんかずっと考えてたの。
で、やっと作ったの。
先週の金曜日。
で、それを書いた。
白玉作って食べたって書いた。
なんかツイッターかなんかにも書いた。
あ、ツイッターじゃなくて、
あの、ブルースカイにも書いてたと思う。
なんか、白玉作って食べるみたいな。
なんかひとりで作って。
そういうのでいいんだよねっていうのを、
ちょっと思ったし。
確かに。
そういうレベルでいいんだよって。
いう感じかな。
でもなんか、前回の手紙でも、
物理的に残ることの良さみたいな話をしてたけど、
やっぱり、
その、うーちゃんが今やってるみたいに、
ほんと些細なことでいいから、
なんかそれを自分の頭の中で、
今日あれもやったな、これもやったなって思うよりかは、
やっぱ文字にして、書き出して、
で、手帳とかだったら、ほんとこう、
ぺらぺらぺらぺらめくって、
全部、いろんな些細なことでもやったことリストが、
たぶん後で見返した時に完成してるから、
たぶんそれを見るだけでも、
もしかしたらちょっと気持ちの面で変わるところがあるかもしれないよね。
確かに、それはあるかも。
なんか、そうね、書くの大事ね、直接。
アナログ、アナログな形で、
結構メンタル支えられることって多いから、
なんかそういう、
物理的に書くみたいのは結構、
いいかも。
いいねー。
なんか私いつも、その日にやることリストは毎日こう、
こういうのを、こういうのを使ってて、
すごいサイズ感がいいんだけど、
縦長の手のひらぐらいのサイズのノートなんだけど、
こうやって、なんかやることをわーって書き出して、
やったら横で棒でピッピって引いていくみたいな、
やってるんだけど、
でもこれって、私いつも多く書きすぎるから、
そう。
絶対できなかったことが後に残ってくのね。
そう。
で、それを1日の終わりに見た時に、
今日は例えば10個書き出したら、
4つできてないみたいな感じで思うっていうのが、
毎日習慣になってて、
逆に、なんか、やることリストもやらないといけないから、
タスク管理の重要性
書くなら書くでいいんだけど、
それとはまた別のページに、
やったことリストみたいな感じで、
ほんと、むーちゃんの白玉作って食べたでもいいし、
例えば今日だったらポッドキャスト収録したとかでもいいし、
なんかそういう感じで、やったことを書き出して、
で、それが後で見返した時に蓄積としてある、
物理的に残ってるっていうのを見るっていうのは、
すごい良いかもしれないなって、今聞きながら思って、
今日収録終わったら早速書き出そうって思った。
そうそうそう、ぜひね。
で、またそれを見返した時に、
自分で、あ、こんなにやってるじゃんって思えるから、
私もりょうちゃんと全く一緒だったから、
私はだから、やることリストを完全にデジタルに移行して、
今までは全部書き出してたんだけど、
やっぱりそのやらなかったことが、
すごい自分の中では残っちゃって、
その日の終わりに、
で、メンタル的にあんまり良くなかったから、
それはそれでデジタルに移行して、
で、ほんと今の手帳は、
その書いた、やったことのみを記録してるから、
そこはやっぱり分けた方が良いかもって思った。
別のページにするなり、
ほんとにやったことはやったことしか書いてないようにする、
みたいなそこのセクションは、
っていう風にしたら、良いかもしれない。
そうだね。
じゃあ、またりょうちゃんもそれやってみて。
また、どういう感じの経過かお知らせするわ。
良さそう。楽しみにしてる。
じゃあ、今日はこんな感じで。
じゃあ、また来週。
53:07

コメント

スクロール