1. あのさ、
  2. #27 誰かの物語を読むこと
2025-03-23 38:57

#27 誰かの物語を読むこと

最近観た舞台、読んだ本、書いていることなどについて話しました。


久しぶりに時間があいたね / メルボルンでのアジア芸術祭的なイベント / SF的な設定の舞台を観た / 自分の家族の言語を話せない苦しみ / 西洋の国でのアジア人としてのアイデンティティ / 照明による素晴らしい演出 / ロボットの犬がステージをくるくる回る / 30歳未満の割引があるのでいまのうちに / クラシック音楽って結構面白い / 最近はもっと開かれている / 映画のサントラなどのパフォーマンス / 音楽系の漫画っていいよね / チェリストの漫画 / ジャズの漫画 / 10月販売予定のzineの進行 / 家族と自分自身のことについて / 書くこと自体が精神的に負担でもある / ネガティブな面が強調されすぎ? / 被害者意識が強調されすぎていないか / 物事を深掘りしすぎてしまう / 自分の視点が偏っていないか不安 / 他の作家の作品を読んで視野を広げたり参考にしたり / 過去との向き合い方 / 30代には持ち越したくない / 自分が書いたものが誰かの何かになるかも / 思考の整理と書くことの関係 / 無理せず続ける


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感想や質問はこちらへ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日:2025年3月17日]

サマリー

このエピソードでは、メルボルンで開催されたアジア系アーティストをテーマにした舞台、特にロボット犬を題材にした近未来の物語について語られています。主人公の文化的アイデンティティや家族とのコミュニケーションの難しさが探求され、舞台の照明や演出に関する印象も紹介されています。エピソードでは、個々の体験を記録することの重要性や、その影響についても話されています。また、家族との関係や自己の内面と向き合う過程から得られる気づきや発見が強調されています。自己表現の掘り下げや意味の探求の難しさについても触れられており、文の整合性と自由な表現のバランスを考えること、そして読者との接点を見つける重要性が示されています。

舞台の体験
こんにちは、りょうこです。むぎほです。
ポッドキャスターのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこう、という番組です。
はい。
前回、また来週って言って終わったけど、1週間空いて、2週間ぶりの収録になりました。
はい。
そう、また来週って言って終わってたのを言えば。
そうそう、なんか私もなんか、あれかな、あのブルースカイとかで、なんか一応告知お休みしますってしようと思ってて、
でもなんか日曜日過ぎちゃった。なんかあれだと思って、結局今日収録するからいいかと思って。
ね。
あれしなかったけど。
久しぶり、まあ1ヶ月ぶりだよね、あの空いたのずっとこうコンスタントに毎週収録してたから。
そうそうそうそう。しかもなんか前回の最初の方に、なんかこうコンスタントに毎週収録するの慣れてきたねとかって言って話して、
タイミング思ったそれ。
話したの最後に1週間空いたっていうね。
最後に。
まあね、お互いこういろいろあって、まあその辺もうまく調節できるようになるのもあれだね。
これからまた試行錯誤しながらっていう感じだよね。
そうだね。いろいろトライアンドエラーでやっています。
はい。
そうね、今日はだから、まあそれこそ私たちが会うのも2週間ぶり。
だから緊急報告的な、そこまで大きい緊急報告ではないけど、2週間会ったことお互い話してみようみたいな回です。
じゃあ私から行く?
私のまあ緊急報告って言うほどでもないんだけど、
最近舞台を見てきて、
なんか今こっちのメルボルンの街全体で、なんかそのアジア系のなんか芸術祭みたいな、
アジアのアーティストとかに注目した芸術祭的なものをやっていて、
ロボット犬の物語
その一環で、メルボルンシアターカンパニーっていう、そこはいつもあるところなんだけどが、
なんかそのプログラムの一つとしてやってた舞台があって、
すごい面白かった、なんかサイファイ的なテーマ、舞台。
ロボットドッグっていう、ロボット犬っていう題名の舞台なんだけど、
なんかまあ大体こうあらすじ言うと、近未来のオーストラリアが舞台で、
中国系オーストラリア人の主人公と、そのパートナーがアボリジニのヘリテージを持ってる、
2人カップルなんだけど、
でその主人公のジャネルっていう中国系オーストラリア人の子が、
お母さんが亡くなって、
でそのお母さんの遺品を整理するために、
お母さんのアパートを訪ねに行くっていうのが設定で、
だからその舞台としては、お母さんのアパートがメイン、
そこに2人がいるみたいな感じで、
でなんかそのアパートに着いたら、
そこにロボットの犬が、本当にその舞台にそのロボット犬がいるので、
すごい、なんか普通にちゃんと動くし、
見た目はなんかちょっとロボット、本当にちゃんとロボットって感じで、
犬の形をしてしっぽがあって、
なんか目のところもなんかちょっと表情っていうか色が変わったりして、
結構凝ったそのロボットで、
であの、そのロボットはなんかそのお母さんの友達みたいな感じで、
なんかずっと多分その主人公のジャネルが家に住んでる時からいたんだけど、
そのロボット犬は、
まあでもその彼女が家を出た後もずっと一緒に暮らしていて、
でなんかその、
そう、そのロボットとあと人間2人がメインっていう舞台だったんだけど、
だからなんか設定がすごい面白くて、
なんか舞台とか今まで見たのって結構こう、
歴史ものっていうかなんかこう歴史的なものだ、
エピソードだったりとか、
あとはなんかちょっとそれこそ本当普通の日常みたいなのがしかないから、
なんかその近未来サイファイみたいなテーマは初めてで、
なんかどんな感じでこう、
セットとか設定するんだろうと思ったんだけど、
結構ちっちゃくてその舞台自体も、
本当にこう本当一部屋分ぐらいのスペースに、
なんか本当そのお母さんの遺品である、
そのまあこの袋詰めされた洋服とか、
このバッグがこうあちこちに散らかってて、
でなんかその真ん中のところに、
なんか多分その仏教だったんだと思うんだけど、
このこういう祭壇みたいなのがあって、
お香とかなんかそういういろんなものが置いてあって、
でそうそう、
まあその主人公は中国語をあの喋れなくて、
まあお母さんとコミュニケーションは取れるんだけど、
なんかその本当に言いたいことを言えて、
お互いに言えてた、
まあ彼女が自分に対して言えてたのかわからない、
みたいなそういう文化的なそういうもどかしさ。
でなんかその彼女のパートナーもアポリ人の出身なんだけど、
もうその自分のグループの人たちが喋ってる言語って、
もう本当になくなっている、
ほぼなくなっているっていう設定で、
そのまあその近未来に。
でなんかその自分の家族と話すことができない、
本当に誰もその言葉を自分に教えることもできないし、
自分自身もなんかそれを学ぶことができないから、
その家族とコミュニケーションが取れないみたいな、
そういう点ではお互い共通してて、
なんかそういうまあそういうなんていうのかな、
文化とか自分のそういうアイデンティティ的なものを、
このまあ彼女の母親の死を通してちょっと模索していく、
みたいな感じ。
でなんかその間にちょいちょいその犬が、
多分その犬はすごいお母さんとずっといたから、
その彼女が考えていたこととか思っていたことみたいなの結構知ってて、
なんかちょいちょいコメントしてくる感じ。
でなんかそれが結構最初はちょっとなんかうるさいな、
みたいな感じだったんだけど、
だんだんとそれがこうなんていうのかな、
自分が理解できなかった部分とか、
まあその彼女の母親のね、
でそういうものをこうなんか橋渡しみたいな感じの役割になってきて、
っていうそう舞台で、
舞台の演出
すごくよくできてたし、
なんかまあセットとかもすごい、
なんか思っていた以上に、
あのよくそう全部こう動いていて、
なんかいい体験だったなっていう。
初めてだったからああいう舞台。
そうそうそう。
なんか聞いてるだけでも結構面白そうだし。
そうそうりょうちゃんも好きだと思う。
なんかそういう舞台をさ、
なんか映像でやるならわかるんだけど、
そうそうそうそう。
いろいろさ、
使えるし技術が。
そうね。
だけど舞台ってもう目の前でリアルタイムで演じられるものだから。
そうそう。
ね、面白そう。
そう、なんか多分一番効果的だったのは、
なんかそのライティング?なんか照明がすごく凝ってて、
なんかたまにそのお母さんの、
まあなんていうのかな、
亡霊みたいなのが出てくるのね、
このステージの脇から。
で、実際にそのお母さん役の人が歩いてるんだけど、
なんかその光の当て方とか、
なんか本当照明がすごくうまくて、
なんかその空間を演出するのに、
なんかそれこそその家に入った時も、
なんかその家がそれこそスマートホームみたいな感じになってて、
その近未来だから。
だから入ったらそのAIの何かが喋りかけてくるんだけど、
なんかその時のこの光の、
部屋の照明の在り方とか、
本当にリアルで、
なんかその部屋っぽくなるのがすごかったんですよ。
ライティング感じゃん、舞台だから。
だけどなんかそこが一気にその、
なんか天井があって、
なんかその天井の上からその声がしてる、
そのAIの声がしてるみたいなのが伝わってきて、
なんか照明ってすごいんだなって、
なんかちょっと思った、びっくりした。
なんか今まであんまりこう、
考えたことなかったから、
なんかまあそれこそ舞台にいろんな要素がこう、
たくさんこう合わさってできるものだからあれなんだけど、
今回のは特にその照明の効果みたいなのが、
すごく感じられて、
こんなにこう臨場感とか、
その空間の演出に作用するんだみたいなのが。
へー。
すごい面白かった。
いいなあ。
そうそう。
なんかりょうちゃん好きそうと思いながら見てたから。
確かに。
設定上結構確かに好きそうかもしれない。
そうそう。
舞台はそれ1本?
そう、なんかそれはとりあえず、
そうそうそう、1本見て、
1時間20分くらいかな、
1時間ちょっとくらい。
そんなに長くはないんだけど、
そうそうそう、うまく始まりから終わりまで。
うんうんうん。
まだあと、
それが今月っていうか、
頭に見に行って、
で、
来週またもう1個見に行くんだけど、
あ、そうなんだ。
違う。
やってる人たちも違う?
そうそうそう、違うんだけど、
そのメルボルシアターカンパニーっていうのが、
舞台グループみたいなので、
そこが毎シーズンごとに、
3本とか4本くらい、
いろいろなゲームが出て、
それを2ヶ月単位で回していくのかな、基本。
へー。
だいたい毎2ヶ月。
そうそうそう、結構頻繁に内容とかも変わるし、
結構私もちょくちょく見て、
あ、なんかこれ面白そうみたいなのあったら見に行くようにしてる。
なんか30歳以下半額なんだよね。
だからすごい。
今のうちに見なきゃと思って。
そうだね。
そうそうそう、あとなんか最後の20代を、
舞台に費やすみたいになりそう。
そうそうそう。
でもなんか30歳って結構高くない?
なんか割と線引きされるのって、
学生かそうじゃないかとか、
あと25歳以下か以上かみたいなので、
割と線引きされやすい印象あったけど。
そうね、こっちは30か、
学校、高校とか出てすぐ働く人とかも多いし、
逆に働いて学校に戻ったりとかもあるから、
学生って言っても結構それも結構いろいろあるしね。
だから多分そんなにそういうのにしてないのかな。
期間によっては35ってところもあって、
だから来月はシンフォニーオーケストラが、
チェリストの人を招待して、
すごい演目があるんだけど、
サウスアフリカンのバックグラウンドを持ってて、
そこの自分の文化的な音楽を、
その人はチェリストなんだけど、
そこにそういう文化的な音楽を混ぜて、
それを一緒にシンフォニーオーケストラと演奏するみたいなのがあって、
それは35までのチケットがあって、半額以下。
それも行こうと思って。
いいな。
だから場所によっては35があるんだと思って。
私は初めて見たけどさ。
30は結構ある。
そうなんだ。いいな。
リョウちゃんもこっち来たら、舞台見に行こう。
リョウちゃんのリコーダー。
あれ放題。
楽しそう。
いいな。
音楽とか、
舞台音楽をやってるライブは見に行くけど、
いわゆる古典的な、なんだろう。
オーケストラみたいな。
そうそう、オーケストラとか、
楽器だけの演奏みたいなのって、
見に行ったことなくて、
行ってみたいと思って。
なんかちょうど、
ふっと思い出したけど、
チェリストをテーマにした漫画。
ずっと長いこと救済で止まっちゃってるんだけど、
漫画があって、それがすごい面白くて、
絵もすごい綺麗で、
読んでたのを思い出した。
チェリストの漫画。
何て読むの?
僕のジョバンニっていう作品なんだけど、
あー、見つけた見つけた。
なんか少年2人が主人公で、
いわゆる天才型の子と、
もっと地道に努力をして、
そうやって、
でも突然現れた天才的な少年に、
ちょっと打ちのめされちゃうみたいな。
それから始まる。
だけど単にライバルとかっていうわけじゃなくて、
一緒に暮らす時期があるんだけど、
その時期でやっぱりすごく親密な関係に、
その少年同士がなって、
こっちのことになると、
教えた側がいわゆるコツコツ型だったから、
自分が教えたのにあっという間に、
相手がぐんぐん上達して、
え?って驚いちゃうみたいな。
すごく相手のことも大事に思ってはいるんだけど、
音楽と漫画の話
でもやっぱりこう、妬みみたいなの。
雑なね。
そうあって、だんだん大人に成長していって、
途中で今ちょっと止まっちゃってるっていう。
めっちゃ面白そう。
面白いからなんか機会あったら読んでみてほしい。
読んでみる。ありがとう。
音楽系の漫画いいよね。
私あれ一個なんだっけ、ブルージャイアンツだっけ?
なんかジャズの、
田舎に住んでる男の子が、
サックスに目覚めて、
でなんかすごい、その子も多分才能があるのかな。
なんかそのジャズを極めるみたいな。
そう漫画なんだけど、ブルージャイアン。
なんか映画にもなってる?
本当だ、今ちょっと調べてたんだけど。
私漫画でしか読んでないから全然その。
あれなんだ、映画になってたの知らなかった。
そうそう、なんかそのジャズをテーマにしてて。
後で読んでみようかな。
私結構、多分なんか私も途中までしか読んでなくて、
多分まだ完結してるのか続いてるのかわかんないけど。
結構長かった。私はなんか友達から借りて読んで、
なんかその子がすごいハマってて、超いいよって。
それで借りて読んだんだけど。
おすすめ。
チェックします。
日本とかどうなんだろうな、
私多分日本であんまりそんな、
そういうクラシックはそこまで見に行ったことはないかも。
なんか敷居が高い感じなのかな。
なんかそういうイメージはある。
なんかなんだろう、身近にそういう、なんだろう、
クラシック音楽やってた人たちもいないし。
あーそっかそっか。
そう、だからそれを見に行く、
なんか発表会レベルでも見に行くっていうのがなかったっていうのがあるかもしれない。
そうね。
なんかこっちとかは多分クラシックとかっていうと固いイメージとかがあるから、
なんか割とこう、なんていうのかな、
例えばなんかディズニーとか、
映画の音楽、それこそスター・ウォーズとかの音楽をテーマにした、
クラシックのパフォーマンスみたいのはあって、
その後結構子供とかも来るし、
ディズニー系とかだったら、
で、あと映画、映画自体がすごい好きで、
映画のサウンドトラックが好きで、みたいな感じで、
でもその場で生演奏してるみたいな感じのも結構多くて、
割とその多くに開かれているみたいな感じ。
そうそう。だから私もたまに行けそうなのがあったら行ってみてるけど。
それはなんか時間もそんなに長くないの?
多分あれに、演目とかにもよると思うんだけど、
サウンドトラック系のだと結構長かったりもするし、
でもなんか途中休憩入るのとかもあるし、
でもクラシックとかになると結構長いのもあるかな。
そうそう。あの、演目によっては。
だからまあ、そう。
まあなんかちょっと面白そうみたいのがあったら、
今度チャレンジしてみた。
私も日本行ったらリョウちゃんとかちょっと行きたい。
私もたぶんあんまり日本でたくさん行ったことないから、
それこそ発表会レベルにしか行ったことないから、
自身の内面への向き合い
プロのあれを見に行くのはね。
ねえ、気になる。一回聞いてみたいな。
生演奏やっぱり違う。
ホールとかもすごいしさ、響きとかが。
空間とかも楽しめるし。
確かに確かに。
今度行こう。
行こう。
リョウちゃんは最近。
最近は特に自分がやったとかは何もなくて、
なんか最近は、
10月にオフイベントでジンを売るというか出すので、
それに向けて、
なんか今があんまり重めの締め切りがない時期だから、
この間にできる限り書きたいと思って書いてるんだけど、
なんか割とその、今書いてるのが、
自分の楽しい記録じゃなくて、
割とうつうつ記録を書いているっていうのもあって、
今回というか今年書いているジンは、
結構自分自身と自分の家族について書いていて、
っていうのもあって、
割と内容がうつうつしてるのね。
っていうのが影響してて、
自分で文章が書けないとかじゃないんだけど、
書いてるその文章がすごい、
例えば昨日書いて、
今日読み直すとするじゃん。
そうするとめちゃめちゃ自分の劣等感とか、
自分の癒しさみたいなものがめっちゃ出てると思って、
それが読んでて、
なんかダメじゃないこれはみたいな、
なんか自分で読んでて恥ずかしくなってくる感じがするのと、
なんかすごい、何だろう、課題に自分の、
なんかそのネガティブな部分を出している感じがするって思って、
なんかあんまり書き物としてよろしくないんじゃないかと思って、
一旦休憩して、
自分がいいなと思う書き手、
それはポジティブなことを書いてるからいいっていうよりかは、
割と内容的にはうつうつした内容であっても、
なんか人に読ませるなぁと思う文章を書く人だなって思ってる人が何人かいて、
そういう人の文章をちょっと読みながら、
手と頭を休めつつ、
ちょっと内省みたいなことも、
最近ここ数日はやってるっていう感じで、
なんか何だろう、自分の、
何て言うんだろう、
すごいグズグズしてる部分、ぐちゃぐちゃの部分みたいなものを、
それが変な被害者面みたいな感じで書くんではない方で、
どうしたら書けるんだろうみたいな風に考えて、
なんか書いてると、
例えば今の自分がすごいネガティブな要素がこういう部分にあってっていう、
その部分がじゃあどうしてそうなったのかっていうのを考えたときに、
なんか過去の特定のいろんな出来事とか、
そういう時期のこととかと紐付けすぎてる感じがするみたいな、
必ずしもそれは今だからそう思うのであって、
実際のところは必ずしもそれだけが影響してるわけじゃなかったり、
本当に自分の機質的な部分もあったりするんだけど、
なんかそれをなんか自分が書いた文章を読んでると、
なんかそこの紐付け方を強調しすぎてる感じがするって思って、
なんかそれがすごい嫌だって思っちゃって、
なんかなぁと思って、
なんかモヤモヤしているっていう感じ。
なんかまずお疲れ。
体力使わない?なんかそういう文章書くのって。
めっちゃ使うし。
アドバイスの中で考えてることと、
実際に自分が手書きじゃないってタイピングだから早いけど、
でもそれでもなんかこう書いてることとか、
なんか上手くあってない感じがするみたいな。
なんかその、答えたくなかったらいいんだけど、
そのテーマとして、
そういうところに行って、
そういう記憶とかそういうものを引っ張ってきて書くような内容を、
その今回選んだ理由とかってあったりするの?
あーっていうかなんかずっと、
なんか自分の一番の悩みみたいなのを惜しめすぎてて、
なんかその家族のこととか親のこととかが。
だからなんかそれがなんかでかすぎて、
なんか周りの別のもっと個人的な悩みとかが、
なんか相対的にすごいちっぽけなことにだんだん思えてくるみたいな。
なんか結局そっちにリソースを割かれすぎちゃってて、
でなんかあんまりそういう自分が、
もう例えば10代とかだったら、
結局自分の家族からなんか逃れるってすごい難しいじゃん。
でもなんかもう20代後半になって、
なんかやろうと思えば全然関係なく生きていくことも可能なんだけど、
なんか一方でなんか物理的距離を置いたところで、
解決しない問題として自分の中に残ってるなっていう風に、
まあいろいろ現在進行形のこともありつつ、
もう過去に起きちゃったことも、
なんかそれが終わってないものとして自分の中にあるっていうのを、
なんか特にここ数年ずっとそれがあって、
でなんかそれになんか本当に疲れちゃって、
疲れちゃってというかなんかもうそれが頭の中にありすぎて、
割と精神的不調とか、
体調不良も含めて、
なんか割と実害が出るようになってきちゃって、
なんかそれをどうしたらいいかなっていうので、
去年ぐらいからカウンセリングに行ったりとかはしてるんだけど、
別に年齢でいろいろ節目とかを作らなくてもいいと思うんだけど、
なんか自分の中では、
まあなんかうちら2人ともだいたいもう30目前って感じで、
なんかやっぱその20何歳と30になるってやっぱちょっと違うじゃんか、
感覚的に。
っていうのあって、なんかもうちょっとなんだろう、
自分がその10代20代って引きずってきたものを、
なんか30代まで持ち越したくないなみたいな感覚があって、
なんかそのために一旦整理しようみたいなのが一つあったのと、
あとはなんか必ずしも自分とか自分の家族とピッタリ同じ境遇ではないんだけど、
なんか割とその近しい境遇にいた人たちの記録みたいなものを読む機会が、
去年一昨年かぐらいで結構あって、
それによって読んだことで自分の状況が全然変わるわけではないんだけど、
なんかその自分とは違う苦しさとか痛みのあり方みたいなものを、
なんか知るっていうだけでも割と救われるような部分があるなっていうのを、
なんか読みながら感じていて、
だからなんか自分がその自分の整理のために書いたものであっても、
もしかしたらなんか本当にわずかかもしれないけど、
なんかそれを読む誰かの手に渡って、
それを読むことによって多少なりとも、
なんか同じではないけど、でもちょっと励まされるじゃないけど、
ちょっと救われるみたいな感覚を持つ人がいるかもしれないみたいな、
微かな期待を込めて、
他者との共感
それでなんか人みたいな形にしようかなって思ったっていう感じかな。
いやでもそれは絶対にあると思う。
なんかそれが何かを解決してくれるわけではないんだけど、
なんかその存在を知ることって多分すごく大きくて、
なんか私も多分、
ここでは話さないけど、
個人的にいろいろあって、
そういう家族とかの関係でもいろいろあったけど、
私もなんかそれこそ小説でもエッセイでも、
誰かがそういうものに対して、
形のある言葉とか本みたいな形で、
それについて話しているっていうのだけでも、
なんかその中にいる自分、
自分だけが一人でその渦の中で苦しんでいるみたいな感じで、
抜け道がないみたいに思うんだけど、
そこに全く同じではないけど、
似たような苦しみとか、
それぞれの苦しみはそれぞれ違うけど、
そういうような経験をした人して、
それについて話している人がいる、
私だけではないっていうのだけでも、
なんかその人にとってはすごい希望になるし、
本人自体は別にそれをやろうとして、
それを書いているわけではないじゃん。
それこそリョウちゃんも自分自身がそういうふうに、
整理するとかっていうのも、
目的の一つとしてあったりするわけだし、
なんかその全てが他者のために、
救うためにとかっていうわけではないんだけど、
なんかその存在を知れるっていうことは、
多分そういう苦しみの中にいる人たちにとっては、
私自身も多分そういうふうな体験をして、
すごく救われることではあるから、
すごく意味のあることだよっていうのを伝えたい。
だからなんか自分も読みながら、
これは私の経験ではないけど、
でもすごい触れ合ってるみたいな感じ、
感触みたいなのがあって、
なんかそれがあるっていうだけで、
なんかちょっと力をもらえるみたいな部分は、
あったなぁと思って、
だからなんかそれでじゃあ、
なんかこうオープンにする形で、
書いてみようかなって思ったんだけど、
なかなか難しいと思って、
なんかやっぱその自分の、
別に普段思い出さないようにしてるとかではなくって、
普段から考えてることではあるんだけど、
なんかそれを文字として詳細に見える形にしていくっていうのは、
なんかすごいやっぱ難しいし、
いろいろ自分でも掘り下げなければいけない部分、
なんで自分がこう思ってるのかみたいな部分が、
ただ考えてるだけだと、
なんかそれが自名詞されちゃうんだけど、
その感情だけが、
でもなんか書いてると、
自己表現の難しさ
なんで自分がこの時こういうふうに思ってたんだろう、
みたいなのをなんか書かないと、
なんか文章として多分知らない人が読んだ時に、
ちょっとなんかこう意味がわからない感じになりそうだな、
みたいな部分がやっぱいくつかあって書きながら、
なんかそれを掘り下げていくみたいなのが、
すごい難しいし、結構えぐられる感じあると思って。
これはやっぱ難しいよね。
なんか私はでもたまにそういうのは、
なんかそのまんまでもいいんじゃないかなっていうのもある。
なんか多分全てに理由というか、
なんかその意味みたいなものを掘り下げていくことって、
多分なんかその時感じた、
その時私がこれを思ったとか感じていたっていうことに、
嘘はないわけだし、
なんかそれが例えば、
それに対してのこういう背景があって、
とかこういう理由でっていうのが、
はっきりとしているものは別に、
それはそれで書けばいいかもしれないけど、
そうじゃないことに対して、
なんかその無理にそれこそ、
精神をえぐられるまでにも、
なんかその意味っていうか、
なんかそこの掘り下げる必要は、
なんかなくても、
なんかまあその多分個人的に、
なんかすっきりしないとかはあるかもしれないけど、
なんかその読んでる側としては、
なんか私、
自分自身もそういうふうに、
なんかそのうまく掘り下げられないとか、
なんかちょっともやもやしたまま、
まだ存在しているものみたいのがあって、
でもそれをそのまま書いてあるものを見つけた時に、
なんかそのまんまでもいいんだっていうふうに、
思わされるのも結構救いだったりする。
なんかその、
なるほど。
さあこう、
なんていうのか、
私もいくつか、
あのセッション、
カウンセラーのセッションに通ったことあるんだけど、
なんかそこで私が個人的に、
違和感、
違和感ではないけど、
だったのが、
海外だったからっていうのもあるから、
なんかその、
なんていうのかな、
なんか話し方とか言語とかの壁もあったのかもしれないけど、
なんかその掘り下げていく、
なんていうのか、
意味付け的なものに対して、
私は結構抵抗があって、
なんかもちろんその理由があるものも存在するし、
なんかこれこれこうだからこうなったとか、
なんかこの時こう思ったのはこういうことがあったからっていうことももちろんあるけれども、
そうじゃないことも多分たくさんあって、
で、それって多分その瞬間に体験した、
その自分にしかわからないことだったりするから、
なんかそれを、
なんかその無理に、
なんかまあそういう、
なんていうのかな、
まあ納得いく形というか、
まあなんかその、
まあみんながわかるようにみたいな形にする、
なんか無理にする必要はないと思う。
なんかその、
挑戦することは全然ありだし、
なんかそれでそのすごい、
またどんな形になるかも、
自分がね、
予期せぬ形になる可能性もあるから、
別にあの全然やってもいいと思うんだけど、
なんかその、
それをそこ、
そこまでこの無理に、
あのプッシュしなくても、
なんかそのまんまでも多分伝わるものって結構あるから、
綺麗な文章ではないけど、
なんかその、
綺麗に整えなくても、
いい部分も多分あると思って思った。
読者との接点
話聞いてて。
なんかもちろんその、
ちゃんと理由をこう、
なんていうのかな、
模索していったりとか、
掘り起こしていったりすることによって、
こう見えてくることも、
こうね、
あったりとか整理できたりするっていうことも、
もちろんその過程にあるから、
必要なことではあると思うんだけど、
なんか、
こう一回やってみて、
なんかちょっとここは、
みたいなところは、
なんか逆にそのままにしておくことで、
なんか伝わる何かがあるのかもしれないって思うし、
りょうちゃんの文章とかを今までこう、
すごい長い間読んできたじゃん。
それこそ高校生の頃から。
そうだね。
けど、
なんかそういう時に、
読んでいた文章とかからも、
なんか、
りょうちゃんは多分常にすごいちゃんと、
物事に対して、
ちゃんと考えようとするから、
なんかその、
例えば感情とかがあっても、
なんかそういうものもなんかすごい、
丁寧に書いてあるすごく。
イメージ的に。
多分外に出す文章だから、
こういうふうな意識とかはあるのかもしれないけど、
なんかその、
たまには丁寧じゃなくてもいいんじゃないかなって思うし、
そういう文章のままでも多分伝わるものはすごくあるから、
両方あっていいと思う。
って思った。
ありがとう。
頑張って書くわ。
無理せず、
休み休みに。
楽しみにしてる。
ありがとう。
でも最近はそんな感じかな。
なんかずっと書いたり、読んだりしてる。
書くの大変だよね。
大変。
本当。
どんな文章でも大変。
なんかあの、
りょうちゃん、
あれ読んだ。
すべての白い者たちのって。
割と、
割とっていうか、
かなり前に読んだ。
本当?
そのりょうちゃんの話を聞いてて、
なんかすごい今、
思い出した。
なんか最近私も読んで、
2日前くらいに読み終わった。
最近?
そうそうそう、ばっかりなんだけど、
なんかそのりょうちゃんが話しているようなこととちょっと重なった。
物があったから。
でもなんか日本語の方が綺麗だね。
なんかちょっと。
そうなんだ。
私英語で読んだからさ、
英語の方が手ではんなかったから。
出版社のサイトになんか最初の章が無料公開。
あ、そうなんだ。
そうと言ってもなんかさ、
すごいさ、
なんか短いじゃん。
1ページくらい。
そうだよね。
全部さ、
なんか英語、
これ英語版だっけ?
もうほんと1ページに収まる感じのあれだから。
そうだね。
そうそう、結構すぐ読めるんだけど、
でもなんか1ページなんだけど、
すごい詰まってるんだよね。
なんか私1ページ読むのにもなんかすごい時間かかって、
なんか何度もこう、
同じ行を何度か読んで、
なんかこう、
一文一文に詰まってる物の重みがすごい。
だから。
そうそう。
なんか本としてはそんな分量がある本じゃないんだけど、
なんか時間かかった、読むのに。
そうそう。
私もなんかその洋ちゃんの話聞いてて、
なんかこの本思い出した。
おー。
また読んでみたら。
手元にあんの?
手元っていうか持ってる?
自分の家にあるある。
家にある?
うん。
じゃあまた読めるね。
うん。
すごい良かった。
どうだろう?
今日はこんな感じ?
こんな感じかな。
ね。
ちょっと今日は短めで。
はい。
じゃあまた来週。
また来週。
ばいばーい。
ばいばーい。
38:57

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