いや違うんですよ。なんか本の話題が今出てきたから。
この前なんか博多駅のマルゼンをちょっとパトロールしてたときに。
パトロールした。
いっぽくのそのパトロール大好きなの。
パトロールしてたんですよ、いわゆる。
そしたら、やっぱ大型書店は大型書店なりのやっぱり良さというか、やっぱ結構ほら、大きな書店って今大変ってよく言うじゃないですか。
やっぱりそういう時代がね、変わってきたっていうのもあるし、ネットで買えるとかネットで読めるとかいうのもあって、
大型書店大変って言ってますけど、やっぱそれはそれなりの魅力はあるなとか思ったりして、歩けば歩くほどなんかいろんな本群が置いてあるから、そこの珍しさもそうだし、
ただ一方でいろんな、なんて言うんだろう、いろんな答えが全部あるというか、東京のアンダーグラウンドのおったみたいなドキュメンタリーの本みたいなのを読んでたら、
まあその麻薬だろうが、なんだろうな、犯罪行為だろうが、結構ポジティブに書いてあって、そんなんでも大丈夫だよみたいな。
なんかそれも含めて人間だからみたいな感じで、いやこれでも、物はいいよというか、でもこれもこれで一つの正解だよなと思って、なんか使い方ミスると危ういなと思って、
本の世界も、やっぱその自分が正しいと思ったものが、そのやっぱそれの人の数だけ答えがあるというか、だなあと思って、
なんかちょっとネットの世界に似てるというか、ツイッターとかに似てると思ったりして、ちょっと思いました。そういう意味ではね、脳みそビッグバンがね、そういう意味でも。
「ポッドキャスト界のなんでこれあるんだろう?」みたいな。
「これ大丈夫?」って。
「なんでこれが許されてるの?」みたいな。
「法には触れてないわ。」みたいなね。
「確かにそれはすごいあるかもしれないよね。なんか、けど、本能的に子供とかがキャッキャー言ってワクワクしたりするものって、そういうとこな気もなんとなくしてて、どうやって仕事してるのかよくわかんない人みたいなのにワクワクするみたいなね。
なんで成立してるのかわかんないよね。怪しいおじさんの方がワクワクする。」
「怪しいおじさんの方がワクワクする。」
「分かりたい気はするな。」
「そういうあれはありそうな気がするけどね。」
「いっぽくん割とあのラボに入ってきたぐらいの頃って、怪しいおじさんだなぁみたいな印象を持ってたわけではない?」
「あ、持ってましたよ。持ってましたね。やっぱりなんでこれが許されてるんだろう?」みたいな。
「やっぱりね、ちょっとかなり脳みそ打ち抜かれたというか、グワッ!なんだこれはっていう。なんかね。」
「けど割とね、最近はちょいちょいそういうね、自分もそこの自由さを享受する面もあるわけじゃないですか?」
「なんか楽しいみたいなのはあったりするんじゃないですか?」
「だんだんこう、人間も慣れてくるもんというか、やっぱりなんかヤバいやつになってないかなとか思いながら、メタ的に見たらヤバいやつになってるんじゃないかなとかちょっと思ったりもしつつ。」
「いいですね。ヤバいやつはガンガンなってほしい。」
「そうですね。」
「そういう部分の豊かさみたいなのが、これから先もなんか衣装的な部分とか建築的な部分で生まれてくるとほんといいんだろうなーっていう気はしてて。
「あのー、やっぱ万博はやっぱすごい良かったんだよなー。そういう面ではね、確かに。ほんとに謎な建築が多くて、どうやって回るんだみたいなのも分かんないみたいなのも結構あったりしたし。
そういうとこの、ああいうのがもっともっとね、溢れてくるといいなーって気はするんだけどね。機能的にシュッとこう、あれするんではなくてね。」
「そうですねー。でもこう、何なんだろう、どうしたらいいのかが分かんないのが、やっぱり一方で資源をこう、無駄遣いするのは悪だとか、やっぱりこう、何だろうな、莫大な資本を投下して、そういう無駄なものを作るっていうのはどうなんだっていうような感覚っていうのも一方で兼ね備えてるわけじゃないですか。
そことのこう、バランスってどうしたらいいんだろうっていうのがいつもこう、難しくて。どうなんすかね、どうしたらいいんすかね。どうしたらいいっていうのがあるのかっていう気もするけどね。
「一旦、無邪気になればいいんじゃないかなと僕は思ってるかな。なんかね、空間に音楽、爆音で流して楽しいみたいなのって、一旦楽しいのは楽しいんだと思うんすよ。
で、そこに違和感を持ったら、その違和感と向き合えばいいし、変に視点を広く持とうとしてこういう考え方もあるよなーって思うよりも、自分が今思ってることっていうのをそのまんま持っとくみたいな。迷いも含め。
「あと自治区とかそういう考えもあるかもしれないなっていう気はするけどね。なんかあの、クリスチャーにあって、デンマークのコペンハーゲンに自治区があるんだけど、そこの自治区の中の建物って自分たちで作っててめちゃめちゃな建築とかが結構あって面白いんだよね。
「けどその人たちがそこでやってるんだって言うように社会から見えたら、ある程度は許されるというか、自分たちに影響を与えてるって思われると、ちょっとそういう社会からの要請みたいなのがかなり強く出てくる気がするんだけど、
「例えばトックにするとか、自治区にするとか、なんとなくそこではこういうことを目指しましょうっていうものを決めてしまえば、ちょっとフリーになれる部分があるのかなって気はして。
「アートとしてそれをやるっていうのも一つの手だなっていう気がしてて、やっぱり多分瀬戸内とかもそうだし、すごい面白いものが多いし。
「あと石上淳也さんの建築で、山口県のところにすごい洞窟みたいなカフェがあるんだけど、すごい面白い形してるんだけど、そういうのも建築家のデザインとしてそれをやってますって言うと、おーみたいな感じになるというかね、ちょっと自由になるというかね。」
「万博はまさにそうなれてたっていうかね、この範囲内でこういうコンセプトでやりますっていうものが強くあったから、ある程度できてたっていう部分はあるのかなって気がするから。」
「なるほどですね。ということはさっき佐藤さんから出てきたキャナルシティの建築家のジョン・ジャーディっていうアメリカ人の建築家がいるんですが、なんかその80年代とか90年代とかは、彼に商業施設を作らせたら右に出るものはいないって言われるほど、もうものすごい商業施設のワクワク感だったりとかっていうものは世界的に認められた建築家だったみたいなんですね。
それであの頃の日本も、うちもやってやってみたいな感じでいろんなところに作ってもらったんだと思うんですが、やっぱり今、彼はもう亡くなってますけど、彼の評価が一点してやっぱりこう無駄が多い建築だったりとか、なんかこうあんまり今は評価されてないみたいなんですよね。
ネットで調べる限りですけど、なんかこう無駄が多い商業施設を作った建築家の一人みたいな感じで、あんまりポジティブに捉えられてなくて、なんかそれ見て僕すごい悲しくなって、えーそんなやっぱ時代は変わると言いつつも、なんかそんな評価に変わってしまうのかと思って、なんかどうしてこんな寂しい感じになったんだろうっていうのがすごい思いました。
まあなんか、やっぱりそれはあのーなんだろうな、多分流行りしたりのあれもあるんだろうから、また多分見直されるみたいなこともあるだろうし、全然変わってくるとは思う、この先変わってくるとは思うけどね。
そこそこ80年代の音楽がクソつまらんって思われてた時代があったのがリバイバルされて、今エモいみたいになるみたいなね。
多分そういう、そういうもんで。
それはあると思う、全然。
安心しました。
安心しました。
そうそうそう、そう思います。
そうね、だから多分そういう環境的な問題とかも含めて、なんか見てしまった部分であーって思うのは多分自由なんだけど、多分なんかそういうのって結構なんだろうな、現代の物差しで過去を測るのって結構ナンセンスな気もしてるから。
なるほど。
やっぱりその時代の価値観を持って、ちゃんとその時代のものを見ないと見失う部分はあるなっていう気はするからね。