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さあ始まりました、なんでも倫理ラジオです。このポッドキャストは、動物と倫理と哲学のメディア、ASがお送りしております。
はい、ということで、今回のテーマは、ヴィーガンズ・ハムという映画についてなんですけど、
進行を務めます、私は村田です。川原です。よろしくお願いします。種本と申します。はい、竹下です。
はい、ということで、今日のテーマは、ヴィーガンズ・ハムという映画をね、それぞれ見てきたので、感想を言い合いたいと思うんですけど、
まず、この映画の紹介からですね。この映画は2021年に公開されたコメディ・ホラー映画で、
ちょっとあらすじを読み上げますね。 ヴィンセントとソフィーという、主人公なんですけど、
ヴィンセントとソフィーは結婚30年。すっかり倦怠期に陥り、家業である肉屋の経営も厳しい。ある日、店がヴィーガンの活動家たちに荒らされ、
ヴィンセントが犯人の一人を殺してしまう。死体処理に困ったヴィンセントはハムに加工するが、
ソフィーの勘違いで店頭に出すと、はからずも人気商品。戦慄の人間狩りと夫婦愛を両立させた不謹慎な笑いが満載とのことです。
こんな映画をね、あの、我々4人、ヴィーガンというか、ヴィーガンとかベジタリアンとか、
そのヴィーガンに共感する側の人たちが見て、ここで感想をシェアしていきたいなという、そんな回になります。
ちょっと皆さんこれ見ていかがでした?タネモトさんとかどうでした?
そうですね。なんかあの最初、見るの結構抵抗があって正直、あのあまり口コミとかも良くなかったというか、なんかあのそうですね、なんかヴィーガンこらしめてやったぜみたいなコメントが多かったので、すごい抵抗感あったんですけど、
結構、分析してみるみたいな視点で見たら、あのなんていうんだろう肉食がどういうふうに捉えられているのかっていうのが、なんか逆にちょっと見える、垣間見えるような描写が多々あって、むしろそういう意味では、もう面白かったです。
そうですね、私もなんか噂には聞いていて、ヴィーガンズハムっていうのが公開されるらしいぞっていう、いやでもあの見てみたらというか、どういう映画か調べてみたら、なんかあの見るに耐えなさそうだなって。
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ちょっと気に目いりますよね。
そうですね、思ってたんですけど、まあ一応ね、チェックしておくかということで、見て、はい、そうですね、分析っていう意味ではなんか面白く見られたかもしれないです。
面白かったです。
河原さんの感想もお願いします。
そうですね、いやちょっと、多くの人はこれを見てスカッとするのかしら?ちょっと分かんないです、ファン的なその、このあれが分かんないんですが、個人的には、まあそうです、なんかね、まあヴィーガンってやっぱり嫌われていますよね、すごくその内容が正しいか正しくないかとか
っていうのよりもっとすごい表層的なところで、すごい嫌われてるから、なんかまあそれ故に、こういう映画が出るのは、まあ自然なことだろうなーって最初の印象だったんですけどね、なんか見てみたらでも意外と
こうヴィーガンの主張っていうか、その動物がどういうふうに扱われているのかっていう、本当に問題に今なっているようなところが、なんかすごい不自然な長ゼリフで、しっかり紹介されているみたいなパートも案外あったりして、なんかこの、これ撮った人は、なんか、なんかね、どっち、どっちの立場なんだっていう問いも、なんかおかしいのかもしれないですけど、なんかそのヴィーガンについてどういうふうに考えてるんだろうなってこと、
僕まだ未だに見た、2回見たんですけど、まだわかって、よくわかってないんですが、まあちょっとそういうことなんかね、考えさせられる、なんか嫌い嫌いとかムカつくとか、すごい賛成とか、なんでもないんですけど、なんか不思議なところにいる映画だなと思っています。
ありがとうございます。本当、私もその作った人がどういうつもりで作ったんだっていうのは、もう未だに気になっているところですが、じゃあ竹下さんもちょっと感想をシェアしていただけますか。
はい、あの、私ブラックコメディとか結構好きなんですよ。あの、なんか、本当はそれは道徳的には悪いはずなんですけど、でもなんかおかしくて笑ってしまうみたいなのが、結構私は好きなんですよ。それでビーガンズハムも絶対ブラックコメディだと思って、でも私はもうヴィーガンとして生活してるんで、一方でその自分がそのブラックユーモアの、
最近はブラックっていうのがその黒人差別的だっていうことで、ブラックじゃなくてダークっていうとかいうのを聞いたので、あの、以降も私ダークって言いません。ごめんなさい。で、そういうダークコメディとかが、あの、なんか私がそのまさにその対象にされた時に、私も同じ属性を共有してて、それが対象にされた時に、私どう感じるんだろうっていうふうに思って、最初見たんですよ。
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で、確かに面白いなって、ちょっとくすっとくるところも一方でありつつ、そのさっきお二人、他の方が感想で述べてたように、ちゃんとなんかその種差別的な、その動物に対する差別的なところも描きつつ、ビーガンの主張もちゃんと描きつつ、でも一方でダークユーモアの対象としてビーガンを殺しまくるっていうことを両立させるような映画になっていて、
そういうところは、あの、個人的には、なんか笑い、なんか苦笑いしながら見るような映画だったかなっていうふうな感じでした。
そうですね、その笑われる対象と同じ属性を共有してるっていう、そういう目線で、なかなかこういう、なんだ、ダークユーモア的な映画を見ることないので、
そういう話もちょっとこの後していけたらと思います。
はい、あ、そうだ、そこ、ここで一回言っとかないといけないのがあれですね、ネタバレをこの番組含みますので、
あの、なんというか制限なく、あの、普通に皆さん見ているものとして喋っちゃうので、
あの、はい、まだ見てなくてネタバレしないでほしいとか、そういった方は先に見てからこの続きを聞いていただければと思います。
ビーガンが笑われる対象として、まあ面白がる対象として描かれていたわけですけど、この辺、
なんとか、どういうふうに描かれていたとか、そういう描かれ方についてどう思ったとか、ちょっと聞かせいただけますでしょうか。
はい、あの、竹下です。まずやっぱ殺されていい対象として描かれているっていうのは、この映画のこう一番重要な描き方のその共通点としてあると思っていて、
最初から、あのもう最初の人は自分の店を襲撃したやつなんで、殺していいっていう復讐の対象として殺していたと思うんですよね。
まあこれが正当かどうかはともかく、一応妥当な理由がまあありそうな殺し方だと思うんですけど、一回そのそれでお店に売って美味しいってなって、じゃあ次も仕入れなきゃみたいになった途端にどんどんどんどん殺していく。
しかも、その二人目も一応ある程度妥当な理由が一応ある、その妻に対して性的な誘いをしたりとか、もうすごい嫌なやつとして描いているわけなんですけど、それもまあそのまあまあわかる、なんかまあ殺しちゃうよねっていうのもまだわかるんですけど、
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本当にそこから再現なく別に自分のお店を襲撃したわけでもない、おそらく活動家でもない、で相手がどういう性格なのかもわからない、何をした人かもよくわからないんだけど、ヴィーガンだっていうことだけでどんどんどんどん殺していくっていう風になっていって、
やっぱりそこからもうそのなんか音楽もすごいコメディタッチになっていくし、それによって本当にその殺していい、もう殺しても何の問題もないですよねっていうことで、それである種笑いを取りに行ってると思うんですけど、そこがそのすごく何て言うんですかね、私って殺されていい対象の属性として描かれてるんだっていう気持ちにもなって、苦笑いをせざるを得ないなっていう風に思ったところとしてはありましたね。
そうですね。
そうですよね。
複雑ですよね、すごく。
やはりそういう意味では、やっぱりいい気はしない、それは当たり前ですけど、なんかちょっと不安な気持ちにさせられる要素は多分あったなーって思って、でもなんかおそらく殺してないヴィーガンもいるんですよね、多分。
劇中で。
でも基本的にコミュニケーションがちゃんと描かれるヴィーガンって、おそらく1人くらいを除いて、みんなこう何て言うんですか、いわゆる過激とされるような、押し付けって言われるような、そのヴィーガンの主張をすごく一方的に語ってくるような人たちについて、すごい最初丁寧に思ったんですけど、
そういうふうに描かれているというか、なんかそうですね、だからそこからはもうこういう存在だっていう前提で進む、つまり過激的だし、人の話を聞かないような、そういう存在として、そういう前提を置いた上で進んでいくっていう感じがしましたね。
だからこそ殺していいみたいな、なんていうか、そういう認識のもと、どんどん殺していくって描写に進んでいくんだなぁと思いましたね。
なんか結構そうですね、コメディ映画だからっていう前提がありつつも、こういう描写が正当化されていることって割と意外なことではあるなと思ってて、例えばコメディ映画でも日本人だから殺して食べようみたいな話って絶対できないと思うんですよ、今時。
その人種、そういうカテゴリーであれば難しい。でもビーガンっていう集まりだったら、まあ殺してもコメディにある程度のあるっていう、これ笑えるっていうのは、なんかね、そのビーガンっていうカテゴリーというのか、その属性的なものが今置かれている社会的な立場って本当によく表してるなというふうに思いましたね。
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そうですね、確かに。他の属性だったら、笑いにできないようなものをビーガンだったらいけちゃうっていう、そうですね。
Amazonプライムでもしっかり配信されてますからね。
そうですね、ネットフリックスでもされてますね。
ネットフリックスでも、すごいことですよね。
確かに、これをみんな笑ってくれっていうことで公開されてるわけですよね。
いやー、ちょっと辛いね。
他のカテゴリーのテーマだとなかなかそうなんですよね。
そうですね、結構みんなビーガンって、ちょっとビーガンに嫌悪感抱いてて、いやそうだよね、やっぱりみたいな、その映画でこう過激なビーガンが描かれて、
主人公の肉屋の夫妻が、え?みたいな、ちょっと嫌な気持ちになってっていうのを、そっちがマジョリティというか、
ビーガンにこう出会って、なんか違和感とか嫌悪感とか抱くっていうのが、
交互みんなで共感しようとしてる感じというか、
そうですね。
ちょっとあるんですかね。
なんか一個気になったことがある。
殺されて笑えるカテゴリーって何あるかな、例えば共産主義者をめっちゃ殺す映画とか、結構昔のコメディであったりとかすると思うんですよね。
だからそういう一連のカテゴリーのうちの一つっていう感じなんでしょうね。
どうぞ。
はい、私が思ったのは、ちょっと自分がビーガン的な考え方に共感してるからなのか、なんかみんなが普通どこで笑うんだろうっていうのがわかんなくて、
そのブラックコメディっていうジャンルに言うと一応あるんですけど、
どこがなんか普通に、なんていうんすか、ファニーなシーンが教えてほしいなと思いました。
竹下さん。
なんか私は、やっぱ一番の盛り上がりはどんどんぶっ殺していくシーンだと思ってるんですよ。
あそこで、ようやく音が踏ん切りがついた。
で、それによって音楽もすごくポジティブな、アグレッシブな音楽になって、どんどんミュージカル的にバンバンバンバン人殺していくわけですよね。
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で、そこが一番の私は盛り上がりだと思うし、かつそれがちゃんとダークユーモアとして成り立って、なんでかって言ったら人を殺して笑っていいシーンになってるので、
やっぱそこが一番だと思うんですよね。あそこほとんどセリフないじゃないですか。
で、本当にそのなんかリズムに乗ってどんどん殺していく。で、銃声も多分その音楽のリズムとかと合わせて流れていくシーンになっていると思うし、
あそこが一番そのビーガンを殺しまくってるシーンの中心的な部分になってるので、やっぱ笑いどころはあそこなのかなって思ってます。
で、私自身もあそこでこんななんか楽しそうな音楽流しながら人ぶっ殺しまくってるみたいな気持ちになってたんで。
あーなるほど。なんかこう、なんかダークユーモアっていうのはファニーっていうかキャラキャラ笑うっていうよりはなんかこう気分が高ぶるとかそういう感じなんですね。
まあとりわけ今回はこんな感じだった。
ありがとうございます。楽しみ方がわかりました。
なんかあの2種類この笑いのポイントあるのかなって今聞いてて思って、
その今のあのめっちゃぶっ殺されていくこのシーンは、なんか多分これはビーガン、殺されているのがビーガンじゃなくても、このなんか暴着無人さというか、もう何やってんだこの人たちみたいな感じの笑いが起こると思うんですけど、
この明るいなんか明るい曲の中テンポ良くなんか変なこのなんていうかですかね、まあそういうシーンが、そういうシーンで笑えるのに対して普通にビーガンを笑うっていう、ビーガンとかその登場人物たちを笑うっていうのもあるのかなと思って、
まあまずビーガンで言うと、まあすごい過激なビーガンがいっぱい出てくるじゃないですか、そのなんですかね、例えばあのリュカ、その肉屋の夫妻の娘の恋人ですかね、がビーガンなんですよね、でその人がこう家に遊びに来て、
いや僕はビーガンで、これも食べない、あれも食べません、これも食べません、でなんかもうすごいそんな細かいところまであのこだわるのかみたいな、その、いや何だろう、何だっけ、肉を食べた恋人とキスをするのは肉を食べるのと一緒だとか、
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まあ、あのなんですかね、ビーガンワインが赤いのは虫が殺されてその血が赤く出てるからだみたいな、
ありましたね、あれ。
何言ってんだっていうか、ああでもビーガンってやっぱ変だよねみたいなことで笑ったりとかもあるのかなって思ってました、はい。
なんかあそこもちゃんとビーガンをお菓子のやつとして描くからこそそのお菓子のやつをぶっ殺していくシーンになっていくし、加えてそのあのシーンって唯一多分その夫の、基本的にこの映画通じて妻の方が基本的にサイコパス的で、
人を殺すことにあんまり躊躇が、人を殺させることにあんまり躊躇がない、夫にその人をどんどん殺させていくことをしまくっているし、妻の方は何度も何度もその殺人鬼を好んで、殺人鬼のニュース番組かな、なんかニュースじゃないドキュメンタリー的な番組を見てるシーンが挟まって明らかにサイコパスとして描かれてるんですけど、
夫が楽しく人を殺しているシーンってあそこだけなんと思っていて、他のシーンは躊躇したりとか、あるいはその、例えばその夫の方が後々結局ビーガン狩りをやめようというふうに言うんですけど、そのシーンも例えば子供を見て、これはいけないことなんじゃないかって思い直したりとか、あるいはその妻がその娘の彼氏のビーガンをなんか殺させようとしているシーンとかで、
夫が、いやもうここまで来たらそれはおかしいよみたいなふうに、そこで考え直すってシーンが入る。で、そのまさにその間、最初躊躇するのと考え直すのの、まさその間が唯一夫が楽しんで、楽しんでというか、ビーガンをどんどんどんどんやっていくシーンになっているんで、そこで夫はあるし、そこのシーンだけはすごく異常者として描かれるシーンになっていて、
あそこで描かれているのは全員異常者っていうふうになることになると思うんですよね。で、その、これってこう、あのシーン、途中その肉を売ってるシーンも入って、それを買うお客さんたちのシーン、なんか丁度の列になってみんな笑顔になって買ってるシーンもあると思うんですけど、
あの人たちもいわゆるカニバリズムをやってることになってしまってるっていう点で、全員があの場面ではタブーを犯してるとかいうか、なんか異常者として描かれているってところも、なんかちゃんとユーモアとして楽しめる部分になってると思うんですよ。つまりそれは我々とは違うよねっていう点で、
私は人肉食べてもない、ヴィーガン殺してもない、ましてはヴィーガンでもないっていう、そういう視聴者に対して自分とは違う存在だからこそ、こう笑えるようなシーンになっているのかなっていうのは感じてました。
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あー、なるほど。すごく理解できました。確かに。
笑えつつちょっと不気味さも感じましたけどね。その知らずに食べてるものが実は人肉であって、カニバリズムなんかしてないと思ってる人が実はものすごいタブーを犯しているって、なんかひやっと、なんか怖いですよね。知らないでそんなことやってるかもって言われたら、えーみたいな。
なんかまさにそのシーンって、あれはだからその種差別的なところ、甲状チェックさんの問題を描くシーンに、我々からすると多分見えるシーンだと思うんですよ。つまり肉の作られている背景にはこんなことが起こっているのに我々はそれ知らずに飼ってますよねっていうのが、現実世界だとあれは甲状チェックさんとのアナロジーになっていると思うんですよね。
そういうとこがこの映画監督のこう、なんか私にとっては結構いやらしいところだと思ってるんですけど、そうやってこうちょっと皮肉的に描きつつ、一応現実の問題もちゃんとわかってますよっていうのが、わかる人にはちゃんとわかるように描いているところが、なんかこの映画の私のなんか好きなところでもあり嫌いなところでもありますね。
めっちゃわかります。
なんか明らかにちゃんと調べてるじゃないですか、どんなビーガンが、どんな理由でビーガンやる人がいて、そういう人たちは何を食べなくて何を主張しててみたいな。
それはすごい調べてて、登場人物にもそういう人たちを登場させて、そういう主張を言わせてるんだけど、そこにはとどまらず、ちょっと誤った情報というか、バカにするための情報、それこそさっき娘の恋人リュカの話のところで、
何だったかな、まあそうですね、ビーガンワインは血だみたいな、違うじゃないですか、違うし、何だろう、こんなこと現実に言う人いないよねみたいな、でも笑わせるタイがために、そういうちょっとぶっ飛んだことまで言わせちゃうみたいな、
現実のビーガンの延長に、その変な異常なビーガンみたいなのをくっつけちゃってるから、なんというか、そうですね、現実、事実をちゃんと認めてはいるというか、調べてはいるけど、
でも、この視聴者には、違う、誤った情報とか、ちょっと偏見を生ませかねないような情報を植え付けちゃってる感じが、嫌らしいというかね、ちょっとね。
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絶妙な立場になっちゃう。
そうか、みたいな、ですね。
なんかこの、その両面、この両面あるっていうそのところが、嫌らしいと思うのは、その一番は、分かる人にしか分かんないところだと思っていて、で、実際Amazonレビューとか、なんか他の映画評価サイトとか見ても、誰もそんなことに気づいてなくて、単にビーガンをやっていくことをコメディタッチで描いていることを面白がるか、あるいはまあグロすぎてちょっと無理でしたみたいな評価か、
そのつまり低評価レビューであってさえ、なんかそれに気づいている人がほぼいないっていうふうに私は思っていて、で、それで、なんかこの映画を見たその他の、例えばなんか哲学者とか倫理学者とかとも、なんか同期とかと話したりとかもしたんですけど、やっぱその動物倫理のことについて少し知っていれば、そのそこが分かるんですよ。
つまりこの映画がそういう側面も描いているんだってことが分かるんですけど、まあ動物倫理ちょっとで勉強した人なんて日本にどんだけいるんだよみたいな、まず日本だけじゃなくて世界にも多分ほとんどいないはずで、その中でこの映画を出しちゃうと、当たり前ですけど、やっぱりその本当は動物倫理的なところにも示唆があるはずのところは全く認識されなくて、で、そのビーガンをやっていくっていうこのダークユーマーの部分だけが、
どんどんどんどん抽出されて扱われていくことになってて、で、そのためそのこの映画でそういうメッセージが伝わるのは初めから分かっている人だけになってしまってるっていうところが、私がこの映画の嫌いなところなんですよね。
それをなんかもっと本当は、例えばそのビーガン広めたい側からすれば、むしろそれがちゃんと知らない人にこそ分かってほしいわけじゃないですか。
でもこの映画はその作業をしてないと思っているんですよね。分かる人にだけ分かればいいって状態になっていて、だからこそ結局この映画はビーガン差別とかビーガンステレオタイプ、悪いタイプのステレオタイプを単に増長させてしまうだけなんじゃないかなっていうふうに思っていて、
その意味で映画監督の意図がどこにあるかというと、私は実はそんなに良い方向には向いてないんじゃないかなって思ってます。
一つ思ったのが、竹下さんの考察が監督の意図ではない。
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つまりそのアナロジー、カニマリズムをしてしまう消費者が生産現場を知らないっていう、そういう問題が竹下さん、工場竹下さんにおいてもあってはまるっていう問題意識をそもそも意図としていないっていう可能性は私は十分にあると思っていて。
正直私もそこの視点にあまり目線が行ってなかったっていうのはあるんですけど、単純にそうでなければこの映画、そもそもの話が成り立たないわけなので、
多分普通に私はそこのアナロジーを伝えようとも思ってない。何なら意識すらしていないっていう状態で単にスカッとするコンテンツを作ったっていうだけの可能性の方が全然、他の側面ですね、他の描写の側面から考えるとそういうものだと私は感じましたね。
なんかその、確かになんか一人だけで見ると、なんかその側面に気づくにはちょっと私も時間がかかった。気づくっていうか、私がそれを見出すまでちょっと時間がかかったんですよね。最初見た時だけはマジでなんか無駄くそ悪い映画だなとか思ってたぐらいなんですけど。
なんか後でもっかいそのちゃんと考えてみたりシーンを見直したりとか、なんか明らかにその例えば途中にビーガンの詩を長ったらしく入れたりとか、なんかその不自然になんかちょっとそのなんだろうな動物倫理的なテーマを入れているのがなんか不自然だなって思うし、で他の人とも話と結局やっぱそこで描いてるよねみたいな話になったりとか、
あるいはその性差別的なその性的ステレオタイプとその男らしさと肉みたいなつながりとか、それがそのセクシャルな行為にもつながっているみたいなところも、まああからさまにちゃんとその肉食主義的な問題を扱っているところでもあると思っていて、やっぱり私はわかってやってるんだと思って改めてこう見直したりすると、なんかそういうふうにこう見えてくるなっていうふうに思ったんですよ。
なるほど。網羅性があるってことですね。あの意図をすごく感じるっていうか。
なんかそれでその、なんかもう一個嫌いなのがなんかそれによって、
嫌そう。
あの批判を回避できるような仕組みにもなってるところが嫌なんですよ。この映画が。
あーそうかもしんないですね。
そうかも。
なんかまだ僕らしっかり批判で、クソ映画だって言えてないですもんね。
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そうそうそうそう。
確かに。
なんかいいとこもこうやって描いてるところもあるんだよとかいうふうに我々が言うことによって、もうクソ映画だよねみたいなことが言うことができなくなってるっていうのがこの映画のもう一個嫌いなとこです。
うわーめっちゃ防御されて。
そうですね。でもまあ、死で言うならその網羅した上で全てを殺人ないし、そのユーモア、ダークユーモアで吹き飛ばしていくって考えれば、なんか私は普通に批判しているかなと思うんですけど、洗いざらいすることにむしろそこに意味があったんじゃないかなって。
なんか全てをひっくるめて超越して肉食っていう結露に落ち着いたり、殺人みたいなところに落ち着くっていうことなので、むしろある種全てを論破したみたいな、今風に言うと。
他のような爽快感があるっていうところに、むしろ視聴者、肉、そうですね、別にビーガンじゃない人が見るスカッと指定することに繋がってんだろうなっていうふうに思いますね。
確かに。
いやー、なんか笑いどころが複雑というか、今結構ビーガンが過激なビーガンがいろいろやって、それに対抗してビーガン殺し出して、スカッとして、
で最後は、結局は肉食、肉好きみたいな、なんて言ったらいいんだろう、最後のシーンで結局捕まっちゃったんですけど、2人が。
でその妻の方が最後に、なんか取り戻したいものはみたいな言われた時に、その人が食べた人の名前をウィニーって言うんですけど、なんかあれをその肉食、やっぱり肉が好き、人肉好きみたいなところに落ち着いているとすれば、
肉、あ、待ってもうまとまらん。
もう一回、仕切り直す、全然大丈夫。
何言いたかったんだっけ。
言いたかったのはですね、ビーガンを倒してスカッとするとか、やっぱりみんな肉好きだよねみたいなところに一応は落ち着いてると思うんですけど、
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でもなんかかといって、なんかその見てる人たちが、その登場人物たち、その肉、人肉食べたり、人肉作ったり、まあ普通に肉食べたり、その登場人物の目線に必ずしも降りてきてるわけじゃなくて、
そこに出てる人、ビーガンじゃない人たちのことも笑ってるっていうのは、なんかポイントなのかなと思ってて、確かに主人公たちはビーガンのおかしさを笑ってるんですけど、
でもなんかそれに対して、ビーガンに対して言ってることで、なんかあれなんかおかしなこと言ってないみたいな部分もあって、
例えば、その夫妻がビーガン料理屋さんにビーガンの人を探しに行ったときに、メニュー見て、なんで植物製の野菜でハンバーグとか肉もどきみたいなの作るの、これってなんかおかしくね?みたいな、
だって羊の野菜とか牛の野菜とか作らねえじゃんみたいな、なんかそういうこと言ってるところがあって、もしかしたらこれは私がベジタリアンだから、
言ってることの筋の通ってなさみたいな、ちょっと分かってなさが気になったのかもしれないんですけど、でもなんというか、ビーガンを批判する側の人たちのこともちょっとおかしく思ってるっていうのはあるのかなと思いましたという話なんですけど、
確かにね、そうですよね、本当によくわからない立ち位置を取っていつつ、なんかこう、少しさっき話に出た、この人絶対リサーチしてるよなっていうところともちょっと関わってくるんですけど、この映画で明らかに意図的に描かれてなかった存在もいるだろうなと思ってて、
このコメディに仕立て上げる上でそうなっちゃったなと思うんですけど、例えばベジタリアンとかフレキシタリアンみたいな人ってほとんど描かれてない、肉食べながらもなんとなくその思想に対する共感があるからちょっとしてますみたいな人って全くいないし、
あるいは、本当にがっちり考えを持って論理的にヴィーガンが正しいと思ってるヴィーガン、これもあんまり描かれてなくて、なんか変な勘違いしてるヴィーガンみたいな人は出てくる、頭いいけど変な勘違いしてるヴィーガン、リベラルな若者ヴィーガンとかが出てきたんですけど、
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そこにすごく論理的な筋が取ってる人もやっぱり今回は登場できなかった、今回のこの映画にはできなかったし、などなどちょっとそうなんですよ、殺しにくいヴィーガンって結構いるんだろうなっていうのが、今回もこれ見た気づきでもあったと思うんですけど、
僕はヴィーガンというよりかはベジタリアン、徹底できてないですけど、やっぱりこいつ殺してえなって思われたくないし、嫌われたくないんで、みんなそれなりに己のスタイルを確立してると思うんですよね、いかに嫌われないような存在として、
とはいえ自分の職能あれも守りながらであるかって結構いろんな人たちがいる中でめっちゃファニーな奴らしか描かれてないっていうのは、今回この映画でその詩的な操作があったっていうのは変な話ですけど、描かれなかったところだなというふうに思って、
そのあたりは明確に何というか、監督のスタンスが出たんだろうなというふうにも思うんですけど、そういう点ではあんまり倫理的じゃないですよね。
そうですね、すごく日本において効果的だったなと、どういう効果かわからないですけど、今河原さんが言ったみたいに、私もビーガンに近い生活をしてますけど、やっぱりそういうビーガンの友達、その映画で描かれたようなビーガンの友達って会ったことないですし、
でも、会ったことないくらいにものすごくレアな存在だと私は結構思ってるんですね。でも、なんか普通の人って、自分の日常生活でビーガンって普通にしてたら会ったことないですし、それくらいの希少っていうかマイノリティだからこそ、この描き方ってすごく日本においてはある種そのビーガン、どういう効果?
そのネガティブな意味で言うとビーガンヘイトだったり、そういうのにつながると思いますし、逆にフランスがもしすごく社会にビーガンがいる?結構いる?だったら、そこまでスカッとするのかな?なんか捉え方も全然変わりますよね、おそらく視聴者側の。
で、今すごく変わらずその話を聞いてて思いました。
そうですよね、俺の友達にもビーガンいるし、まあ俺もそいつのこと尊重してるんだけどなみたいな人がちょっと見づらいかもしれないですよね。
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あー確かに。
でもなんかフランスでね、もし多いんだったらね、そんなにスカッとするのかよくわかんないですよね。
どうなんでしょうね。
でもその肉屋襲撃とかって逆に日本だとあんまりないかなって思ってて、
そうですね、例えば肉屋襲撃だけじゃなくて、そもそも施設に入り込んで抵抗するみたいな動画って時々そのXとか回ってくると思うんですけど、
あれは基本的に海外じゃないですか、あれはやっぱり基本的には多分欧米、ヨーロッパかアメリカかその辺だと思っていて、ほとんど日本で起こってないことだと思うんですよね。
で、そう考えるとフランスで起こってるかどうか、確かそういうの何件かあったはずですけど、
それが現に起こった地域での映画なのかなっていうふうに見ると、一方で確かにビーガンの友人もいるけど、なんかそうじゃない、この友人のビーガンとは違う馬撃派ビーガンがいるんだみたいな、
なんかそういうことによってその分離させることができて、それによってこうちゃんとなんか見るのもそこまで苦痛じゃない仕方で見ることもできるのかなっていうのは思いますね。
なるほど、すごい面白い。
見る環境というか、情勢というか、実際にあの馬撃な運動が起こってる場所なのかどうかっていうのは結構なんか違いそうですね。
じゃあ川原さんがおっしゃってた、映画からがすごく、むしろそこにある種、人にすごくアピールしたり、人の話を聞かなかったりみたいな極端な人じゃない人をむしろ登場させたらいけなかったっていうところがあるんですかね。
いやまあそのコメディ映画としては成立しなきゃなってくるんだと思うんですけど、
だからまあ出せよっていうのもおかしな話ではあるんですが、なんかねこうそういう奴らに、そういう奴らというかなんていうかね、
ああそのなんか過激なヴィーガンとかっていうものに対する向き合い方って結構みんな社会的に定まりつつあって、でそんな中でこういう殺しの映画っていうのが成立したと思うんですけど、
なんかそうではない殺しにくい嫌いにくい微妙な奴らに対してどう向き合えばいいのかってなかなか社会的に答えも定まってない中でこの映画でも描きにくかったのかなあっていうことはちょっと思ったりしましたね。
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普通の普通に社会に馴染んでるヴィーガンはちょっとまだ笑いの対象にできないなっていう。
そう単純に排除するっていうのが難しいですし、とはいえやっぱりなんかヴィーガンとかベジタリアンっていうスタイルであったりとか、まあその出されたおもてなしご飯に対してなんかそういう理由から断るみたいな人でもある、あったり時にするそういう人たちに対してどう向き合えばいいのかっていうのは、
なんか本当にやっぱり迷うんだろうなあっていうのはすごい思いました。この映画でうまく扱えなかったっていうところからしても。
なおのことそうすると、そういう風なヴィーガンしか描かないことによってステレオタイプを強化しているのが悪質ですね。
そういう効果は確かにあるかもしれないですね。
1個ユニークだなと僕がすごく思ったのが、この映画の中ですごい強烈な自由を感じるシーンがいくつかあると思うんですけど、1個はさっき話に出てたような殺しまくるシーン。
もう1種類が、なんかヴィーガンのフリするシーンあるじゃないですか。
ヴィーガンのフリを、それはヴィーガンを殺すため、まずはヴィーガンを殺すために活動に入るんですよ。
そいつは最悪だみたいな、言ったりするっていうのは本当は思ってないのに、まるで本当にそう思ってるかないように活動するシーンとか。
もう1つは娘とか娘の恋人を助けるために、もう肉屋なんかダメだみたいな、お前らはこういうとこにいるなみたいな。
ヴィーガン最高なんだから、お前たちは2人でヴィーガンしてなさいみたいなことを、なんか親だから言うみたいなシーンがあって、僕個人的にそこがいつも面白かったんですけど。
なんでそれ面白いんだろうなとか、なんかそのシーンちょっと主人公に共感したなっていうところもあったりして、
この話を通して見る人が一番共感する対象っていうのは、主人公の男の人だと思うんですけど、
なんかあの人の魅力的なところが出てたのがそのシーンだったなって思った時に、
なんかこう、ああいうスタイルを1つ理想として提示した映画でもあったんだろうなというふうに思ったんですよね。
つまり思想が全くないんだけれど、おいしいものを食べたいとか、家族を大事にしたいとかいうために、
なんかなぜかヴィーガン的なことを言ってみたりするっていう、虫そうなやつ、虫そうな上でちょっとヴィーガンのふりをしたりするっていうスタイルに、
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なんか結構の魅力を表現したのかなというふうになんか見たりしておりました。
で、やっぱりこういろんな種類のヴィーガンが出てくる映画でもある中で、
自分はどういうふうに振り回ろうかなって考えさせられるところもあったりして、
もちろんそのファニーに笑い飛ばしやすい奴らがかなり比較的多くているというところはありつつも、
じゃあ俺はそのリューカーとどう違うのか、どういうふうにスタイル違うのかなとか、
どういう態度を自分が取っていけばいいのかなということをかなり考えさせられる映画ではあった。
その嫌われないヴィーガンをいかにしてそれになるかというか、
それって社会運動としてのすごく重要な側面だろうと思っていて、
ずっと殺される映画ばっか捉えてたらいけないんですよね、おそらく。
そんなのでは広まらないわけで、
やっぱり共感されるヴィーガンのあり方っていうのをどこかで見つけていかなければいけないっていうときに、
虫そうな奴がヴィーガンをやってるっていうシーンが共感されたっていうのは一つすごくヒントなんだろうなというふうに思ったりはしてます。
だから本当にそれだけでは良くないと思うんですが、
あのおじさんがあのシーンで共感を受けたというのは面白いことだなと思ったりはしました。
なるほど、確かに彼は揺らいでる存在でしたね、作中割と。
そういう意味で面白かったですね。
そうなんですよね。
そうですね。
活動家になりきってるときも、やっぱ妻の方結構終始ノリノリなんですけど、
夫のね、その人はなんかそんな全然ついていけてないみたいな、一応やってみてはいるもののみたいな、
ちょっとなんか可愛らしさが出ちゃうというか、そんな存在でしたね。
なんかそのアンビバレンスな感じっていうか、心の揺らいでるってところがやっぱり彼は主人公をたらしめているというか、
見ている観客がその共感できる人間になっていると思うんですけど、
その共感できる人間のあり方ってやっぱりすごく今の社会のあり方を映していると思ってて、
ちょっとビーガン嫌いだけど、ちょっとそれになってみたくもなくもないし、
でもすごく思想が、いわゆる思想が強いっていうのはやっぱり自分としては合わないしとか、
だけれどもすごいアンチビーガンにもやっぱりなりたくないしっていう、
なんかこう微妙なところ、心のいろいろ揺れてるところをすごく今の社会的な揺れをうまく体現した主人公だったんだろうなというふうにはすごく思ったし、
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それだからこそ日本でもプラネットフリーで見られるくらいのヒットにはなっているわけで、
そういう社会を映す鏡であるなと思うと同時に、
こういうふうに切り取られた、そういう社会に対してどういうふうにやっていけばいいんだろう、
無非創性っていうものはどういうヒントになるんだろうとかっていうのはやっぱり考える余地があるというか、
考えさせられる作品だなというふうにも思ってます。
じゃあ、なんかいいまとめ。
これがまとめで。
すごい、そうですね。
主人公が虫相で、なんか良かったなって今思いました。
どっちにもちょっと触れられる手がかりになりうるというか。
最後に感想一言ずつもらっていいですかね。
岸田さんどうでした。
やっぱり最初の私が思ってたことをいろいろ話せてよかったなっていうのが一つあって、
それが結構共感してくれて、私の印象そんな間違ってなかったなっていうのが確認ができたっていうのが一個良かったなっていうのと、
あと最後川原さんが、今後どういうふうに我々ヴィーガンが振る舞っていくかっていうところにも少し示唆があるんじゃないか。
つまり、ユーモアの対象にされないようなヴィーガンとかあるいはベジタリアンとかが、
どういうふうに今後立ち振る舞っていかなきゃいけないかっていうのにも示唆がありそうっていう点は確かになって思って、
ちょっと考えたいなって思ってます。
ありがとうございます。
じゃあ川原さんどうでした。
皆さんの意見聞けてめっちゃよかったです。
この手のコメディ映画はヒットするとシリーズ化するっていうのがね、よくあることだと思いますので、
ぜひヴィーガンズハム2をお待ちしております。
はい、ちょっと待って。
はい、以上です。
はい、じゃあ私ですね、あの音が思ったのは、
そうですね、なんか思った時に自分の見方って狭いなと思っていて、
皆さんのお話聞けてよかったんですけど、
意外だったのが、意外に皆さんこの作品の良い点ちゃんと見つけてきてるなっていうのがあって、
すごいなって逆に思いました。
51:02
私的にはもうなんかなんだろうな、
分析の対象としては面白かったですけど、
やっぱりそこの、そうですね、主人公の魅力であったり、
やっぱスッと笑えるシーンみたいな、
やっぱ分析的に見ちゃうとダメですね。
そういうところも分かったのがよかったです。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございます。
本当、皆さんの感想を聞けて非常に面白かったですね。
あとは、結構話に出ましたけど、
例えばいろんなBがいるのに変なやつだけ連れてきて、
他のやつは描かなくてよかったのかとか、
映画っていう表現の仕方をするときに、
映画に限らずですけど、対象に向けて発表するものに対して、
どのくらいのこと求めていいんだろうとかも結構考えさせられたなと思って、
もっと誤った情報も含まれていたわけじゃないですか、
誤解を生んだり偏見を生んだりするような。
それについてもっと研究というか、
もっとちゃんとやってくれよって言っていいものなのか、
向こうはやっぱ商業映画だからみたいな感じになっちゃうのかなとかも思いましたね。
最近結構コンプラとかポリコレとか言われてますけど、
難しいなっていう、そういうポリコレとか言われる中での挑戦、
ある意味でそういう時代に挑戦してきた部分もあったりするんですかね、
そうなど思いつつ、非常に楽しく感想をシェアできてよかったです。
楽しかったです。
楽しかったですね、ほんと。
ありがとうございます。
これ見るのかとか、見直すかとか、ちょっと気重くなったりしてたんですけど、
なんだかんだ2回見て。
食べるからにはね。
そうですね。
偉いです。
でもまあ面白いところも見つけられてよかったですね。
すごく面白かったです。
じゃあそんなわけで、もし次回ビーガンズハム2があればまたやりましょうか。
その時はこのメンバーで、一緒に見たりしてもいいですね。
いいですね。
いいですね。
54:01
複雑な気持ちにね、公開されてもされなくてもされない方がいいかな。
はい、じゃあまあ、そういう感じで今回は終わりにしましょうか。
はい、じゃあまた次回も聞いていただけたらと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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