辞表を出した理由
Taeと Kumikoのえいようカフェ。
このラジオは、私たちが日常生活で、これって興味深いなぁと感じたテーマについて、10分ほどでお届けします。
では、Taeさん、今日のテーマは?
はい、今日のテーマは、辞表を出しました、っていう。
ついにですか。
報告をしたいと思いました。
はい、ちょっと、声が止まってましたけれども、気持ちがのったる感じですかね。
とうとう、最初、辞めたいねんけどって、言い出したのは、何年前ぐらいかな。
ふみちゃんに言い出したのは、大学院行く前やから、7年ぐらい前かな。
月日は、たちましたね。7年前か、あれから。
たちましたよ。
どんな経緯があったんですか。
辞めたいねんけどって言った時は、辞めたかったけど、辞めなかったわけですよね。
辞めたかったけど、辞めなかった。
今回の件に至る経緯は、どんなあれがあったんですか。
大学院を卒業した、できたっていうのと、
病院に移動してきて、育ててくれた人とか、同期あった人とかと一緒に働けたし、それで満足というか、やりきった感じですかね。
25年金属の表彰を去年もらったから、26年目になるんですけど、
もうこれで来年50歳になるし、違うところに行きたいって思います。
いろいろ大さんの中で区切りができたっていう感じなんですかね。7年前と比べると。
そうですね。
大学院に行こうと思うと、やっぱり病院とか施設とかにいなければならないというか、みたいなこともあったのかな。
大学院の研究が施設の仕事の内容だったので、それを研究を完成させるためには、施設で働いてないといけなかったので、それも終わったし。
病院に戻って、お世話になった人とか、昔の同期と一緒に働けて、もうやりきったと。
来年50歳だし、また違うところで何かやりたいなっていう気持ちの方が大きくなって決断したみたいな。
そうですね。あとは家族のことですね。
家族、具体的にはどんなことが見通しが立ったんですか。
6人家族なんですけど、自分の親と一緒に住んでて、ずっと家事とか子育てとか、全面的に母に頼んでて、何もやってないです。
それでやっぱり80代やし、母もずっとお世話、家族の世話をし続けて、寿命が来たら嫌やなと思って、楽しいこと、やりたいことをやってもらおうと思って。
母も大学に行きたいって言うので、
すごいね、80代で。
それを、通信制大学なんだけど、行きたいって言うし、そうやったら行ってもらおうと思って。
来年4月から、入学試験があって、入学できなかったとしても、科目履修生で入るっていうのも可能やし。
そうか、たいさんが仕事してたら、家事、子育てをお母さんに頼んでるから、お母さんのその生きたかった、昔からの有名、学びたいってことが叶わないってことなんだ。
そうなんです。
関係があるわけです。
でも、やり方はね、いろいろあるとは思うんだけど、例えば、掃除にプロに入ってもらうとか、
あー、なるほどね。
食事もわざわざ手作りしなくてもとか、あるとは思うんだけど、いろいろ提案したけど、やっぱり母のこだわりがあって、できなくって、
やってあげたいんでしょうね、お母さんはね。
自分の思うようにしたいっていうのがあって、家事代行とか、何回か来てもらったこともあったけど、
人に説明して、やってもらうのは嫌やって言われて、
ほな、私やるわって感じ。
そうかそうか。だから、お母さんはそういう、自分の思うようにしたいっていう、そういうところがあるから、家事代行を頼んでまで私が学ぶことを優先するみたいな、そういうお母さんではなかった。
そうそうそう。
家族との関係
じゃあ、この辞めたいって言って受票を出したことを言ったら、お母さんどういう反応されたんですか?
めっちゃ喜んでたんですよ。
えー、そうな。じゃあ、私、大学頑張るわとか言って。
そうかそうか。それはよかったですね。
大丈夫な。生活していけるのとか、一切なくて。
一切なくて、すごいな。
そうだ。嬉しそうでした。
それはよかった。だから、やっぱりお母さんも、いろいろ私がやってあげなっていうのもあったんでしょうね。
でも、解放された感がその一言であったんちゃいますか。
じゃあ、私もやりたいことやるわって。
私、散々察してもうたし、もう時間を返そうと思って。
たいさん自身は受票出したときってどんな感じだったんですか?
出したときはね、帰りの電車で大事なものを置いてきてしまったみたいな感じに、喪失感みたいな感じになってしまって。
大事なものを置いてきた。
どうしよう。病院で働く管理栄養士っていう肩書か、
あ、肩書か。
ブランドか、なんかわからへんけど、なんかそういう大事なものを、なんか証明書みたいな。
私証明書ね。
私証明書みたいなのを置いてきてしまったみたいな。
心にぽっかり穴がって感じですね、喪失感ね。
ぽっかり空いてしまった感じで。
クミちゃんも辞めて、全然そんな亡くなってへんしみたいな。
亡くなってへんし、大丈夫やんって思って。
クミちゃんを思い出して、機嫌よく帰りました途中から。
ねえ、でも25年さすがに一つの組織にいたら、やり切ったとはいえ、
代償なりとも喪失感はね、ゼロにはなんないと思いますよ。
だって25年ですもん。
25年ですよ。だから生きてきた時間の半分、そこで使ってるっていう。
そこでの自分というか人格というか、
それ当たり前の自分だから、それがなくなるって考えると気持ち悪い感じしますよね。
気持ち悪いというか、そわそわするというか、大丈夫かなみたいな。
それが帰りの電車で襲ってきたわけですね。
大丈夫ですよ。
大丈夫ですか?
自分が思ってる肩書き、周りに与えてる影響っていうのかな。
あの人は私をこう見てるっていうことって、
自分にとってはすごく大事なもののように思うけど、
じゃあ逆に周りの人がね、たえさんの周りの人が、
私ずっと病院栄養士をやってきたけど、これから違う道を選ぶんだって言われたときに、
その人のことをどう見るかって逆の立場で考えたら、どう感じそうな気がします?
何やら、なんかチャレンジするんかなとか思うんちゃうかな、やっぱり。
この人大丈夫って多分思わへんですよね。
むしろすごいな、今の年でまた次のことチャレンジしはるって、
どんだけやりたいことあんねんやろ、すごいなとかって、
逆の立場だと思いそうやと思うんですよ。
でも自分だと、栄養士っていう肩書きで25年やってきたから、
それがなくなったら私がなくなってしまいそうな気が。
そうそう、なくなってしまいそうな気が。
何々病院の私っていう肩書きがなくなるだけで、
25年やって蓄積された栄養士のことは、1ミリたりとも抜けないんで大丈夫ですよ。
抜けないですかね。
いやでも残ってますから。
経験とか知識とか、知識よりも経験かな、
この人とこういうところでこういうことをやったっていうことって、
辞表を出す決断
紙の上で学んだこととは違うじゃないですか、思うようにいかへんなとか、
これで大丈夫かなと思った患者さんがめちゃ元気になったとか、
思いがけないいいことも悪いことも、
それって自分の中に蓄積されていくものだから、
周りの一枚ペラっていう白衣着た私がいなくなるだけで中身は変わらへんから。
そうか、それは白衣をね、脱いだだけ。
そう、日々着てる、着慣れた、25年毎日着てた白衣を着なくなって、
普段着に変わるだけで、私は変わらへんからね。
その私がさらに輪をかけて好きなこと、今まではもうやりきったんやから、
これからはまた違うとこでやりたいことやりたいって思えることがあることって、
すごい幸せやと思いますよ。
それはそうかも。
同世代で、もうこんな仕事いややわと思う人ってたくさんいると思う、同世代だけじゃなくてもね。
じゃあ何したいんって言ったときにないんですよ、大体の場合。
私何できるやろう、これしかやってこなかったから、
これ以外やることないから、やめるにやめれん。
よく聞きますね、そういう。
それが、まだやれることがあるから、違うとこ行きたいって思えるこの素敵さ、素晴らしさ。
これは拍手ですよ。
そっか。
さらにそれをしたら、お母さんが、えー、そうな、私もやるわって、めっちゃ嬉しそうっていうね。
それは本当に良かったなと思うんだけど。
肩書きなんかね、またいくらでもつくというか、肩書きがない自分のほうが、もっと自然にいろんなことに挑戦できると思いますよ。
なんかやっぱ、制約かかるとやりたくてもやれないことってなかったですか?
ずっとその世界に行ってたから、これが当たり前で。
なるほどね。
分からへんっていうのも、知らない食べ物の味を説明できないというか。
おめでとうございます。
ありがとうございます。頑張りました。
何を頑張ったかな?
ずっとグジグジグジグジグジ。
7年過ごした。
くみちゃんには本当に励ましてもらいながら。
精神的にはストレスが7年抱えてたってことですもんね。
そうですね。
楽しみですね。
楽しめたらいいなと思って、これから。
別の栄養士もできるけど、違うこともできる50代じゃないですか。
どの世界に行っても、そうやって栄養士って、年底のキャリアの25年はプラスにしかならないから。
そうそう、私、前こういうことがあったんです。エピソードトークが25年分できるんですよ。
そうなんや。
それを、今までは病院の世界とか施設の栄養士近辺の人の世界だから、みんな聞いてもあるあるじゃないですか。
どこで働いたってこういうことあるよね。だけど、一歩全く違う世界でその話をしたら、めちゃくちゃ新鮮なわけですよ。みんな知らへんから。
例えば、私がびっくりしたみたいに施設でちゃんと食事をしてリハビリしたら、髪の毛黒く生えてくるとかね、こんなの。
病院をしとかだったら、栄養料、ビタミン、ミネラルしっかりとって、そしたらそうなることあるよね。だけど、そんなの普通に介護してる人が聞いたら、
何食べたらそんなことなるんですか。私にも教えてくださいって、たぶん聞きたくなるじゃないですか。
自分のそういう経験を還元できる場所が全く違うと、人の役に立てる量も何倍にも増えると思いますよ。
そうか。そういうふうにね、できたらいいなと思ってるんですけど。
もう少しですよね。辞めるって言っても、明日辞めるわけじゃないから、やらなあかんことはね、たくさんまだあると思うので。
新しい挑戦への思い
まだあるんで。
心晴れやかに。
機嫌よく。
これを聞いてくださってる方にも、いいなって思われたり、私はどうかなって考えたり、いろんな方はいらっしゃると思うんですけど、
でも、今決断できなくても、こうやって7年かかって、新編のせりがついて、変えることが決断できた大差のようなこともありますので、
私は20代の時に決断しましたけど、早い遅いはないのでね、自分の一回きりの人生、後悔はしないようにすることは誰だって、いつの時代だってできるんじゃないかなってお話聞いて思いました。
ではまた。