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やっほー!みなさんごきげんよう、アナンディです。本日もカナダ、モントリオールからお届けします。
もう9月になりましたね。びっくりですね。あっという間過ぎます。
しかし、いいですね。なんかあの、余裕がある感じです。
ほんとありがたいことに、時々お声をかけていただいて、
なんかこう、心がふわっと軽くなってくっていう感じが伝わってきて、とても嬉しいです。
なんかね、昨日ね、スレッドを見ていたら、面白いプロントがあって、それをやってみたわけよ。
まあ別にあの、なんだっていいんだけど、やっぱり自分を知るっていうのが面白いなっていう感じなのね。
なんかその人的には、あのアカシックレコードにアクセスした風にするみたいな。
まあ結局そんなのできないから、ね、
チャットGP上でそれらしいことをやるっていうだけの話なんだけれども、それをさ、やってたわけよね。まあ面白いかなと思って。
そのうちの一つの質問の中に、なんかこう、なんて言ったっけかな?
直感的に好きなものを3つ書きなさいみたいな、書いてくださいみたいなのがあったの。
でそのうちの一つが、私はなんかあの昔から地層が大好きで、でその地層が好きだっていうことをこう言ったんだよね。
面白いでしょ?別になんてことない。地層だからね。
だけどほら、私は理由もなく地層が好きなのよ。
なんでかって言われてもちょっと答えられませんって感じなんだけれども、
地層が好きで、その地層が好きですっていうのを書いてたら、なんで地層が好きなのかなっていう答えが見えてきました。
なんかやっぱり全部つながってるなと思って。
結局その占いみたいな、自己分析するっていうやつも、
結局自分を知ることの一つのヒントにしかならないというか、ヒントでしかないっていうか。
でその、私がなぜ地層が好きなのかって言ったらさ、なんかその人の生き様そのものだなっていうのを感じてたんだよね。
でたまたま断面が削り取られて、見えてきて、うわーすごいみたいな。
とかほらグランドキャニオンみたいなね、何万年の月表経て、
ああいう形になってきたっていうのもロマンだし、
とにかくなんかその、良いも悪いも悩みも、
ハッピーな感じも、全部そこに凝縮されてるわけよね。
で人はやっぱり成功した体験とか、
羨ましがられるようなことをしてた方が気持ちは良いに決まってるんだよ。
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なんかどうしようどうしようどうしようっていう状態よりも、
ハッピーハッピーってなってた方がいいじゃん。
だから、そういうのがいいんだとは思うんだけども、
それだけじゃなくて他のこと全部含めて、
なんかその人の地層になっていくんだよなぁと思ったら、
なんかそっちの方が愛おしいというか素晴らしいというか、
なんかすごくない?と思っちゃったわけよね。
なんてこれはわかってくれるでしょうか。
なんか悲しんだり悩んだり落ち込んだり怒ったりすることが全て、
経験としての自分の厚みに変わっていくというか、
深みというか魅力に変わっていくんじゃないかなと思ったわけ。
で別に怒りを怒りを悲しみをずっとホールドしているのだっていいと思うし、
ああそういうことだったんだって気づくことも一つだし、
気づいたらああそういうケースもあるけど、
違う見方もあるんだよなって思えるとかね。
なんかそういう全部経験に生きてくるんだよなと思ったら、
だから地層が素敵だし、
なんかそれが素晴らしいものとして、
全部が思えるようになってるんじゃないかなっていうのが、
自分の中で伝わってきました。
言ってることわかるかなこれ。
地層という一つのなぜか惹かれるものとして、
私は認識してたんだけれども、
そういう生き様とか経験とかが全部つながってるからこそ美しいんだっていう風にね、
思ってるんだなと思ったんだよ。
しかもねさっき言ったように成功体験だけが素晴らしいものとして扱ってなくて、
もう人に見つかろうが見つからないがその人自身に価値があって、
だからそのまんまで美しいんだよなっていうのを改めて実感させられた感じがあります。
そして昨日も友達と会ったんだけれども、
なんか面白いよね。
私はお話しするの本当に好きなんだなって自分で思います。
なんかレコーダーってやっぱり悩みってあるんだよねみんなね。
当たり前だよね。
でも私はよく知ってるんだ。
人間って感情がある生き物で、
なんか電気の配線みたいな感じでスイッチをポチってしたら電気がポチってついて、
消そうと思えば消せるっていう。
そんなオンオフがはっきりしたものだけじゃないんだよね。
感情があるから頭ではそうしないといけないって分かっててもうまくいかないみたいなことを
そこが人間の良さ、面白さなんじゃないかなと思ってるわけ。
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だから昨日友達が話してたちょっとした悩み。
自分だけじゃない悩みだよね。
家族の問題みたいな。
親戚一度関わってるみたいな感じの大事な感じ。
自分のことだったら自分でこれ要らないとか決められるけど、
やっぱり人が関わってくるとそれだけじゃ決められないし、
その物事にいろんな感情がくっついてるから、
結論的にはもう見えてるんだけど、
でもやっぱりそうなるってそうするって決めるまで時間がかかるかもねみたいな。
私も彼女の意見に賛成してたし分かるけれども、
説得するだけの人の気持ちだからさ、
自分が説得するかどうかって、
言うことは大事だけど私はこう思ってるって大事だけど、
それが成功するかどうかはまた違う話じゃん。
その人の話だからと思ってて。
だから私はね、
忍ぶ時間っていうのも必要だよなと思ったわけ。
物自体はいつから手放すとかそういう覚悟はできるんだと思うんだけど、
やっぱり物に思い出がくっついてるからさ。
人間でさっき言ったようにスイッチみたいに、
はいわかりました終わりですっていう感じにはならないんだよねどうしてもね。
その関係性が近けば近いほど、
簡単じゃないだろうなっていうのも想像つくし、
ねえほらこういうことで悩むのはおかしい。
悩んでるのは私だけだって思ってたけど、
他の人も悩んでるって分かったら、
ああなんで私だけじゃないんだと思って、
私は結構そういうのに救われてきたんだよね。
なんか自分だけそういう感情になってたとしたら、
なんてダメなやつだみたいな風に、
こういう感情を持つべきではないみたいな風に思ってたとしたら苦しいじゃない。
だけど他の人も、
ああ同じことで悩んでるんだっていうのが分かったらすごく楽になったし、
でなんかやっぱり人間ってそういう感情を持ち合わせている動物というか生き物だから、
なんかやっぱりそこはないごしろいにできないし、
でもじゃあ一生それを抱え続けるのかって言ったらまたそれもまた別な問題というか、
そんなことないよなみたいな。
なんか時が解決するっていう言葉があるように、
徐々にその感情が薄くなったりすることだった。
あるから結論は見えてるけれども、
忍ぶ時間があってもいいよねっていう話になったら、
なんか結構自分の中でもいい着地点だなと思えたんだよね。
やっぱり人の気持ちってそんなに簡単に割り切れないし、
割り切れる人もいるかもしれないけどね。
でも全員がそうだとも限らないから、
なんかそういう時間も大事にしていけたらいいんじゃないかなって思ったりとかして、
明日にも決めないといけないとかっていう事案だったら答えを出さないといけないんだけど、
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っていう話だったりして、
なんかそういうことが言える自分になったことにすごく感動を覚えました。
なんかだから全ての感情とか感覚とかっていうのは、
誰にでも起こりうることだし、
なんかそれを私は否定はしてないのね、いつもね。
だって嫌なものは嫌なんだもんさ。
嫌だっていう感情を持つべきではないという風には思ってなくって、
じゃあ何が嫌をさせたのかとか、
こういう風にされるのが嫌なんだろうなとかっていうのが分かったりとか、
あの人は何とも思わないみたいだけど私はそれ好きじゃないとかっていうのが分かるだけでも、
やっぱり次はこれを最初からね、
私はちょっとこれが嫌なのでやめてくださいって言えるみたいな、
言える準備が整うみたいなさ、
感じになるかなと思って次に繋がるなと思ったわけ。
だからなんか自分を知っていく上でもやっぱりそういうのって大事だったなって思って、
それがなんか違う形だけれども人に提案するというか、
そういうことでもいいんだよねみたいなさ、
余白を持たせるみたいなことができて、なんか良かったなと思います。
なんか多分私好きなんだろうね、こういう。
もうありないと思っていることが、そうでもないかもしれんっていう風に変わる瞬間。
ね、もう言ったくなら言ったくでいいんだけども、
さっきも言ったように自分のことならね、
言ったくでこれだっつって決めていいけれども、
人が絡んできたりとかすると、
いろんな人の感情がそこに取りまとっているのが普通だから、
一筋縄ではいかないよねみたいな。
でもそこに忍ぶ時間という時間を設けたとしたら、
なんかいつしかみんなだってさ、
現実的じゃないなっていうことがわかるみたいな風にね、
考え直すというか改めて整理がつくというか、
なんかそういう時間を持てるって素晴らしいことだなぁと思っています。
なんかそういうね、提案をね、できる自分になってきたっていうのにも
私はちょっと驚いてて、
えーみたいな、私がそんなんなんだみたいなさ、
なんか他人事のような感じでもあります。
だからちょっとなんかこう、自分で驚いちゃってる感は否めませんけれども、
でもなんか、嬉しく思っています。
とても嬉しいです、実は。
なんかそういう成長した自分を自分で感じられるっていうのはね、
人から見たらまだまだじゃんとかって思うかもしれないし、
思われてるのかもしれないんだけれども、
それはその人の感想だし、
もう多分もっと私に期待してくれてるのかもしれないし、
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言ってんのってね、無関心な人だって多いと思うから、
それはそれなんだけれども、
自分でね、そういうのが分かってきたなっていうのが嬉しく思うし、
さっきの一番最初の地層の話に戻るけれども、
なんか地層だってさ、見せたくてさ、素晴らしい地層見せたくて、
地層を作ってきたわけじゃ多分ないんだよね。
こういう気候変動が起きて、
こういう流気が勝手に起きちゃって、
斜めになって、みたいな。
で、例えば火山が、火山灰がちり積もる時があって、
雨がいっぱいで流されちゃったりとか、
かつてはそこが海だったとかっていう時代があったりとかって言って、
なんかやっぱりこうさ、
一筋縄ではいかなかった歴史がそこに刻まれてて、
それが荒らぬ形で、
ね、道路工事とか洪水とか、
ね、グランドケニョンだってそうじゃんね、
雨とか水がこう、
掘ってきてああなってるわけだから、
だから本当は知らないけれども、
まだ表には出てないけれども、
素晴らしい地層っていっぱいあると思うし、
でもそれが気づいても気づかれなくても、
なんかあるだけで素晴らしいというか、
本当はそのものって本当に素晴らしいんじゃないかなって思ってるわけよね。
結局は気づくか気づかないか問題にはなるんだけれども、
そこにあるっていう、そこに素晴らしさを見出せる自分っていうのも、
ウォーみたいなね。
全ては存在して、
それが認識され、
制限のない美しいものなんですよっていう話が、
自分の中でさ、
わかってきたというか、体感できるというか、
なんかそれに全部をくっつけることができるという、
のが嬉しく思っております。
なんか人生面白いよねって今思っております。
だからなんかその価値、
人の価値とかね、仕事をいくら稼いでるのがすごいのかみたいな。
いやもちろんすごいことはすごいと思うよ。
稼いでない方が悪いとかじゃなくて、
稼いでることはすごいことだと思うし、
そうなんだよ、すごいと思うよ。
だけどその価値、人の価値とかは、
値段ではない。
値段ではないというか、値段が全てではないじゃん。
ね、やっぱり100万円稼いで月にいる人と、
1000万稼いでる人と、ゼロ円の人だったら、
何がすごいのかって言ったら、
全部すごいと思うんだよね。
ね、100万円稼いでくるのすごいじゃん。
20万だってすごいじゃん。
16万だってすごいじゃん。
で、じゃあ1億円稼いでる人、もう本当にすごいと思うの。
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それもそれで。
んけど、じゃあ稼いでないゼロ円の人がすごくないのかって言ったら、
多分違うんだよね。
稼いでないのに生きてるんだったらすごくないと思う。
逆にすごくない?みたいな。
だし、母親業ってお金に誰も給料くれないじゃんね。
でもあんなにさ、愛情込めてさ、ご飯作ってくれてさ、
なんかこうまずいだろなんだの言われながらも作ったりとか、
嫌だなー使えてるな今日とかって言いながらも、
思いながらも作ってる時だってあるから、
それだってすごいことだと思うんだよね。
ね、母親業なんかゼロ円なわけよ。
もう完全にボランティアだと思うよ。
こんなに愛をかけられる仕事っていうか作業ってないと思ってるんだけど、
ね、そうやっていっぱい愛情をかけて育ててもらえたっていうこともすごいことだし、
ありがたいことなのよね。
だからなんかそういう価値っていう人の価値はお金だけでは測れないし、
そのものがもう美しいんじゃないかなっていう風に思えてる自分がいます。
だからこれを聞いてくださっているあなたにもすごく価値があって、
美しいんだよなって思っておりますよ。
なんかこう、ね、うまくいかないことだっていっぱいあると思うし、
思うようにいかないとか、
理想はこんな高くあったけど前述これだったみたいな、
あれみたいな、何このギャップみたいな、
信じられない、信じがたい事実がね、
目の前にあることだっていっぱいあると思うんだよね。
でもなんか、そういう壁に立ちふさがっている時ですら、
美しいんだよなみたいなすごく思います。
美しいって言う前に私は集約させてしまってるんだけどさ。
なんか雲が多くて暗いんですけれども、まだ1時半ですけれども、
何でしょうか。
ほんとこれから食器を洗って、
部屋を片付けていきたいと思っております。
こんなね、なんかこう日常を過ごしておりますけれども、
なんか今私ができること、したいことはちょっとした掃除をコツコツやっていくっていうね、
のも楽しくてしょうがないので、
またこの続きをやっていきたいなと思っております。
さあ聞いてくださってありがとうございます。
なんかアーナンディの第2章がなんか着々と幕が開けてる、
開けてきてるなという感想を自分の中で思っております。
これがどういう形でどうなっていくのか全くわかんないんだけれども、
でもなんかこう無理せず、
私が私の人生を生きることで、
なんか誰かがこんなに自由に生きててもいいんだみたいなヒントみたいなね。
でこれは前も言ったかもしれないけど、再現性、
大きな意味での再現性はあっても、
ケースバイケースというかシチュエーションがやっぱり違うし、
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時代が違ったりとかするから、
なんかこうすればああなるっていう、
ハウトゥーには小さい意味でね、
なんかステップ1なんとかの講座を解説するとか、
なんかインスタグラムのアカウントを新しく取るとか、
なんかそういうステップ1の小さい奴には全然再現性はないと思っています。
けど方向性としては自由な自分でいられるようになるっていうか、
小さいね、苦しみみたいなのから解き放たれるっていう大きなゴール?
なんかそういう意味での再現性はあっても、
こうしたらああなるっていう、
ハウトゥーボーにはならないなっていうのも感じてるし、
あとあれか、なんかさ、
私の職業ってやっぱり型にはまらないんだ、はめられないんだよね。
けど私と話した人はみんな心が軽くなっちゃうんだっていう、
なんかそういうゴール?目的?が一つあるよなって。
その形は様々でその人によるから、
なんか知らないけど心が軽くなって帰っていくっていうのが私です。
っていうね、意味わかんないかもしれないし、
薬剤師ですとかヨガの先生ですとか、
あとキルタン教えますとかキルタン歌いますとか、
そういうことは小さいことはするけれども、
で、みたいな。
全部心を軽くしてるんだよなと思って。
しかも私がしてるというよりはその人がきっかけをつかんで、
自分でなっていくっていうね。
だから私は私をもっと自由に生きていきたいなっていうふうに思っております。
さあ以上でございます。聞いてくださってありがとうございます。
アーナンディーがモントリオールからお届けしました。
それではごきげんよう。
バイバイ。