松山さん、小児貧乳期間っていうのをまず選んだ
っていうのは何か理由があるんですか?
私これも結構人生って色々面白いなって思うんですけど、
私医学部の6年生の時ですよね。
医学部って6年生の時とかに自分の大学だけじゃない
他の病院とかの実習とかに行ったりするんですよね。
その時に私貧乳期間のその時の教授だった先生に
是非子ども見に行ったらいいよってすごいお勧めしていただいて、
大阪星医療センターに見学に行ったんですよ。
そうしたらその時に年でもなかなかないような
手術をされてたっていうのもあるのかもしれないんですけど、
結構子ども病院での小児貧乳期間の診療に
かなり感動を覚えまして。
行く時にはそこまでそういう分野があることも知らなかったんですけど、
帰ってくる時にはもう小児貧乳期間になる私みたいな感じで
帰ってきて喋ってるみたいな。
それくらい結構心を動かされるような形でしたね。
そこで日本で小児貧乳期間の先生として
治療とかもされてたんですか?
そうですね。結局私はアメリカに逃避する前、
10年目とかで逃避してると思うんですけど、
社会人になってから。
それまでの間は小児貧乳機械として
臨床医として働いていたという形になりますね。
そうなんだ。
そうなんですよ。これ結構言うとびっくりされるんですけど、
私アメリカ来て研究者になって初めてペット使ったんですよ。
そうなんですね。
今回お話ししてないときに結構思ったんですけど、
この活動されてるのも結構アメリカとか
結構意外に気楽に行けるよとか、
そういう留学を推奨したいっていうようなことを
おっしゃられてたというふうにお聞きしたと思うんですけど、
結構そういう意味で、私みたいにその経験が
結構勢いでなんとか、勢いでというか、
そういう道もあるよっていうのも
ちょっとお伝えしたいなと思ってた形になります。
研究は全く経験なしにアメリカに留学するっていうのは?
そういう、それが近いですね。
正確に言うと、私もともと処理貧乳機械の領域とかって
すごくレアなディジーズとか、
そういう臨床的に難しい疾患とかは結構多くて、
そういったようなことを対象にして、
病理の研究だとか、臨床研究ということはさせていただいてました。
なのでそれで、EHDも持ってるんですけど、
だけどアメリカ来てからやってることは完全なベーシックリサーチなので、
今までのバックグラウンドと完全にマッチしてるかって言われると、
そういうわけではなくて、
私の中では新たな挑戦をしたっていうような形で思っています。
そうなんですね。
じゃあそこから研究者になってアメリカに留学するっていう、
日本でも、日本だと難しいかもしれないけど、
アメリカに留学しようと思ったきっかけって何かあったんですか?
それも結構出会いが大きかったと思うんですけど、
私が働いてた小児病院とかの上司の人とか含めて、
全員留学経験があって、
やっぱり留学はした方がいいっていうことは、
ずっと周りからそういうふうに擦り込まれてたっていうのも一つあると思いますし、
あとはそれだけじゃなくて、
やっぱり行きたい研究で、
ベーシックリサーチを小児病院でやろうと思った時に、
やっぱり一番自分がやりたいなと思ったのが、
今のリビジョンでやってることがすごく一番やりたかったので、
やりたいと思ったところに結構行っちゃうっていう性格が、
私は自分ではそういうふうに思ってるんですけど、
やりたいところが新宿の小児病院でやってたので、
その留学先としてその場所を選んだっていう形になるかなと思います。
改めてなんですけど、ベーシックサイエンスを志そうと思ったのも、
何か働いてる中でこの部分が不十分だみたいな問題点を見つけたからみたいなきっかけなんですか?
そうですね、まさに本当その通りで、
私臨床医として働いてる時に病理学の研究はしてたんですよ。
ただやっぱり病理学って結局その素晴らしいあれなんですけど、
その後とにかくどうしてそう起きたかっていうふうなメカニズムのところまで、
やっぱりたどり着くことが自分の中ではできなくて、
育ってきた時にやっぱりそのメカニズムベースで学びたいっていうのがあって、
それができるところはどこだろうっていうふうなところで考えた時に、
アメリカの今の新宿小児病院でベーシックリサーチを一からやろうっていうところに決心したと。
そういったような形になりますね。
結構難しいんですが、お医者さんで医学のバックグラウンドあって、
基礎研究に行くっていうのはどうなんですか?難しいものなんですか?
私はやっぱり結構なので苦労したというか、結構やっぱり留学した時は結構しんどくて、
それが結構UJの活動を始めたっていうことに結構つながってくると思うんですけど、
やっぱり今まで一応日本でいた時には、
小児貧弱器官の専門医指導医も持ってて、
小児貧弱器官の専門医も持っていてってことで、
一応自分がやりたいことを自分のやりたいように積み重ねてやってきたっていう、
自信でもないですけど、やっぱりそういう自分が必要とされてるって思う部分はやっぱりあったんですよね。
でもそこから全く違うアメリカっていうような地域に来て、
多分留学された方とか感じる部分もあると思うんですけど、
やっぱり結構今までのキャリアが本当に全部一からスタートするっていう風に結構感じて、
英語もわからないし、でもベーシックリサーチも初心者なんで、
もう本当に全部一からみたいな形になって、
自分のその存在価値っていうのはちょっとわからなくなっちゃった部分がすごい大きかったですよね。
そういった中で、結構UJAの活動っていうところに繋がってくるんですけど、
UJAの初代会長をされてた畑敦夫先生がなんとシンシナティに呼ばれて、
そのシンシナティではユーシートモードという形で、
そういうコミュニティ活動がすごい盛んなんですよね。
そこで本当はベーシックリサーチ全くやったことなくて、
海外でやっていけるなんて普通信じられないというか、
私ももっと考えればよかったなと思うくらいなんですけど、正直なところ。
でもやっぱりすごいコミュニティの人たちがすごい助けてくれて、
一からいろんな点でサポートをしてくださったっていうのがやっぱり大きくて、
それで一つずつ積み上げることができて、
なんとか今アメリカも5年目になったんですけど、
そういう形で研究を続けていれるっていうのは、
やっぱり周りの方々に助けてもらったものはすごく大きかったというふうに思ってます。
その中で今論文賞のチェアされている翔太さんとにも、
またいろんなことをたくさん教えていただいたりとかして、
そこで誘ってもらったんですよね。
まず論文賞の活動をしませんかっていうことで誘ってもらって、
そこからUJの中に入っていったみたいな形で、
やっぱり自分ができること、
少しでも自分ができることを何かしたいっていうふうに思ったこと、
皆さん助けていただいたので思ったことと、
あとはそれをやることによって、
自分がやることによって自分の自信にもなるじゃないですけど、
自分もこういうことをしていろんなことに役立てている部分があるっていうのが、
やっぱり自分の存在価値っていう意味につながったので、
UJとして活動することでちょっと自信を持てたと、
そういうようなことが違うかなと思ってます。
そうなんですね。
松山さんがUJにいることは知ってましたけど、
その経緯は知らなかったんで。
そうなんですよ。
だから私もどういうふうになんでUJに今いるんだろうって、
私もちょっと思うくらいなんですけど、
元々だとせばやっぱり結構、
シンシナティのユシエとモノを助けていただき、
育てていただき、
いつの間にかUJの代表になっていたというような形が気がします。
結構UJに入られてすぐ代表になられた感じですか?
UJの経緯としては、
まず入学シンシナティに来て、
ユシエとモノの活動を1年ぐらいしていて、
そこからUJ論文賞やらないみたいな形で、
今論文賞のチェアされている翔太さんに誘っていただいて、
論文賞に入り、
その後1年入って、
最初はディレクターで1年やって、
その後翔太さんがチェアになられて、
UJの論文賞を主催しましょうというふうになって、
そこから論文賞チームに入って、
その後2年目ですね。
いつの間にか1年目からUJに入って、
1年目で2年目の時に、
UJ大会がボッソンで開催されたんですよ。
そのボッソンで開催された時に、
私が発表させていただく機会をいただきまして、
そこでDIというか、
ワーキングライフバランスとか、
それぞれが輝く形での活動をできたらいいねということで、
その時ハーバードにおられた笹本さんと一緒に、
すごく意気投合したというか、
意気投合してワーキングを作ろうというふうになったんですよね。
それでワーキングをワーキングライフバランスということで作って、
そこのチェアということでさせていただいて、
それが1年くらいして、
そこでぜひUJの代表になりませんか、
みたいな話になって、
選挙とかいろいろあって代表になった。
そういうような経緯なのかなと、
私の中では思っています。
2年ちょっとですかね。
UJっていうのを、
多分視聴者の皆様は知らない人もいるかもしれないので、
改めて説明をしてもらってもいいですか。
UJのぜひホームページとか見ていただけると、
すごい嬉しいなと思うんですけども、
UJのどういう活動をしているかということなんですけど、
UJは一応、留学を検討する方の情報提供支援の場、
あとは海外の日本人研究者のキャリアにおける総合支援の場、
教育科学技術行政機関の情報交換及び連携の場ということで、
2012年の10月に発足してというような形になります。
なので今でも15年近く活動しているような活動になります。
その中でこういったUJの論文書の活動だったりだとか、
留学の勧めというような活動だったりだとか、
キャリアセミナーとスタートアップの支援だとか、
そういったような活動を幅広く行っている団体ということになります。
じゃあメンバーどれくらいかということなんですけど、
直接参加しているメンバーだけじゃなくて、
いろんなコミュニティという形で、
いろんな地域のコミュニティの方々がUJに所属してくださっていて、
そのコミュニティのメンバーを総勢すると、
6,000人くらいをつないでいるというような形になります。
作家コミュニティも41コミュニティ。
2023年現在で41コミュニティ。
今はもうちょっと多いと思います。
というような形なので、結構実はでかい団体なんですよ。
文字性別が深いとか、それってUJで僕1回参加したことがあるんですよね。
そうですそうです。
そういうところで留学の勧めということで、
留学ってこういう形だよみたいな形でつないだり、
というような活動をしているような形になります。
確かストラックチャンネルも入れるんですよね。
普通の留学したい人とか。
普通の留学されたい方とか、される前とか別にされてなくても、
誰でもUJの会員になることはできます。
実際もう本当に是非なっていただけるとすごい嬉しいなと思いますし、
結構その情報を今やっぱり留学するときに、
今のアメリカ事情とかでも、ビザの状況どうなのとか、
実際今どうなのとか、どういう今グラントがあるのとか、
そういうこととかも情報発信しているので、
是非皆さん気軽にというか、
会員になっていただけると嬉しいなと思います。
そうかすごいな。
スタンさん結構ストラックで毎日のようにやっぱり活動されてますけど、
研究しながら、ポストクなんですよね今。
ポストクですポストクです。
めっちゃ一生懸命やってます。
いろんな人からサポートを受けたり、
そういう経営のイニシアチブか、
金額的にもサポートを受けたりして、
PostdocとUJの代表として、
バランスを保ちながらやってらっしゃると思うんですけど、
どうですか、
多分楽しいことがたくさんあると思うんですけど、
楽しいことプラスちょっと大変だったこと、
エピソードとか教えてもらってもいいですか。
これはですね、
やっぱりすごくありがたく、
楽しいこととかすごいいっぱいあって、
4月にUJのデザインということで、
シンシナティで開催させてもらったんですけども、
そこの時にやっぱり結構、
シンシナティの非日本人の研究者の方々にも
たくさん参加いただいたんですね。
そこでやっぱりすごく、
いつも働いている方々から、
こうやって日本とつないでくれてありがとう、
っていうふうにすごい言ってもらえたこととか、
すごい嬉しかったですし、
私の上司とか今のボスも、
すごくそういう活動を応援してくれる方で、
やっぱりすごくね、
まさかそういう活動をしている代表が
自分のラボのボス族だなんて、
すごい誇りに思うよみたいにすごく言ってくれて、
それはすごく嬉しかったことではあるかなと思いますね。
それいいですね。
そうなんですよ。
たまに批判的なPRもいますもんね。
そうなんですよ。
そこがすごい周りに恵まれてるなって、
すごい思うんですけど、
結構私の周りの方々とか、
ボランティアで活動する、
周りのコミュニティに貢献するっていうことに対して、
すごくポジティブな方々が多くて、
そういった方々に支えられてるっていうのは、
すごい嬉しいことだなと思います。
逆にちょっと何が辛かったっていうこととしては、
結構今までパソコンで仕事したりしてたんですけど、
結構これですね、
子供がパソコンを開かせてくれないんですよ。
携帯は開かせてくれたんですけど、
パソコンは開かせてくれないっていうので、
携帯でできる仕事はめっちゃできるんですけど、
だから結構受入しながら携帯触ってたりとか、
そういう形で、
隙間時間を利用して活動できるのは、
私の支えにもなってすごい良いんですけど、
結構そういうミーティングとか、
そういう開催時間とか、
そういうのとかもうちょっと工夫しなきゃいけないなとは、
結構自分が出産したりしてから結構思っているんですね。
なるほど、確かにそうするね。
なかなか人と人との繋がりなんで、
時差とかもあるし、
なかなかそういうのは大変そうですね。
そうですそうです。
だからそういう意味でも、
直接会うのもすごい大事なんですけど、
好きな時に聞けるとか、
好きな時に情報を得れるっていうのは、
すごい大事だと思うので、
多分こういうふうに今されているような、
ポドキャストとかもすごい良いなと思うんですけど、
そういう何か、
いつでも好きな時に情報を得れるとか、
そういうような活動を結構力入れてくると、
すごい良いんじゃないかなと最近、
子供生まれてから特に思いますね。
確かにそうですね。
けど今の段階でも、
多分留学したい人だったり留学してる人でも、
結構情報を得るのは簡単に得れますよね。
ウェブサイトもあるし、
困ったらスラックに質問したら、
誰か答えてくれるし。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
だからそういう意味でも、
何かうまく活用してもらえると、
すごい嬉しいなっていうふうに思ってます。
確かに。
実際にこの、
松山さんが最初UJでやられた、
論文賞っていうのにちょっと興味があるんですけど、
僕らもそろそろ、
留学の4年目に入って、
終盤なので、
出していきたいなと思ったんですけど、
論文賞の概要というか内容、
それ何なのかっていうのを教えてもらってもらっていいですか?
もちろんです。
論文賞はですね、
海外で活躍する若手研究者を支援するために、
ノーベルズ科学賞の2010年の受賞者であられる、
寧吉先生が審査員を委員長を務める、
インディアナ州論文賞として2014年に始まりました。
その後その活動がどんどん大きくなっていって、
今現在は全世界で活動されている研究者の方々を対象に、
優秀な科学論文を表彰しているというような形になります。
こちらの方もホームページがありますので、
見ていただけるとすごい嬉しいなと思うんですけども、
もともとは毎回各コミュニティだとか、
限定して応募してたりというか、
部員が限定だったんですけども、
今年の論文賞からは、
どの分野の方であっても、
どのコミュニティに属していない方であっても、
応募できるというような形になっています。
その中で実際に応募する論文としましては、
応募資格としては、
日本国外で研究に従事している研究者のこと、
あとはもう一つUGAのサポーターメンバーになっていただきたいと、
それだけですね、逆に言うとそれだけで応募できます。
あとは応募者が第一著者であること、
コファー操作も可能というような形になります。
過去24ヶ月以内に公開された論文であると。
それだけで応募ができますので、
ぜひ皆さんに応募していただけると、
すごい嬉しいなと思っています。
結構いろんな分野からできるんですか?
そうなんですよ。今年はどの分野でもできます。
じゃあ人文学とか。
できます。
今年からが初めてなんですけど、
この2026の論文賞は、
全ての分野、全ての国、地域からの応募を歓迎します。
それすごいですね。
結構この論文賞の最近の特徴として、
毎回大会長の方針で開催方針に変わっていくというような形になっていまして、
今年は家田大学の方々が中心に運営してくださっているんですけども、
今年の論文賞の大きな特徴としては、
全ての分野、全ての国、地域からの応募を歓迎しますというような形なので、
ぜひ皆さんから応募いただけると嬉しいなと思います。
結構応募簡単そうですもんね。
めっちゃ簡単ですね。やることはそんなになくて、
ホームページとかで公開されるようになるじゃないですか、
そのページをリンクとして登録するだけぐらいですね。
それで分野を選択してぐらいでオンライン申し込みができますので。
応募はいつぐらいから始まるんですか?
応募はですね、10月10日から応募が開始で、
締め切りが11月30日になります。
じゃあめっちゃ時間ありますね。1ヶ月以上あるんですね。
まだまだ時間ありますので、ぜひ皆さん応募してもらえればと思います。
去年アクセプトされた論文でもいいそうね。
そうです。応募締め切りから過去24ヶ月以内に公開されたので、
2年間遡れるので、
例えば去年までは地域とか限定されてましたので、
応募できなかったというような方も、
2年前までの論文であれば出せるので、
ぜひ今年出していただけると嬉しいなと思います。
留学終わった人でも出せるっていうことなんですね。
そうです。留学終わってからでも出せます。
いろんな人が出せますね。
そうです。いろんな方が出せます。
結構この論文賞の特典になるんですけど、
論文賞受賞された場合は縦と小賞状がもらえます。
結構かっこいい縦なんですよ。
かっこいいな。縦いいな。
結構かっこいいんですよ。
あとはそれプラス少年賞という形で、
将来の若手研究者が発表した研究成果をというような形で、
両方の今年は受賞を設定しています。
受賞された方はそれで終わりというわけじゃなくて、
オンライン受賞式が例年5月にあるんですけども、
そこで受賞者の講師席をたたえ、
その研究成果を幅広い分野の方々に宣伝していただくというような場になりますし、
あとは今年4月で新調で開催されたUJグローバルキャラリー、
今年はもう2月にロサンゼルスで開催することが決定しています。
そちらの方に参加していただいたり、発表していただいたり、
あとはそのUJノートとかでインタビュー記事の掲載をしていただいたり、
あとはその再演奏面をというようなところで発表していただいたりとか、
そういったようないろんなオプションのイベントがありますので、
ぜひそういったところでも、
ご自身のご経歴とか発表された論文とかを発表していただけると嬉しいなと思います。
そうですね、ぜひ聞いている方々はぜひ申し込んでみてください。
というわけで、ここまで松山さんのアメリカ留学とUJとの出会いについて伺ってきました。
今回、松山さんのことは僕は知ってましたけど、
松山さんがどういうふうにUJの代表になられたかとか、
どういうサポートを受けてきたのかっていうのを知らなかったし、
UJ論文、結構出すの簡単な割には結構語ってもらえたり、
いろんな人とつながれたりするんで結構プラスが多いなという感じなので、
論文が出たら出してみようかなと思います。
お願いします。
さて、アメリカ内のGOLDは毎週日本時間の金曜日の0時に配信を見ます。
番組のご意見ご感想は、
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皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお会いとはNAKAMURAと松山でした。
また来週。