そうですね、まさにほんとその通りで、
私臨床医として働いている時に、病理学の研究はしてたんですよ。
ただやっぱり病理学って結局その素晴らしいあれなんですけど、
その後、とにかくどうしてそう起きたかっていうふうなメカニズムのところまで、
やっぱりたどり着くことが自分の中ではできなくて、
そうなってきた時に、やっぱりそのメカニズムペースで学びたいっていうのがあって、
それができるところはどこだろうっていうふうなところで考えた時に、
アメリカの今の新宿小児病院でベーシックリサーチを一からやろうっていうところに決心したと。
そういったような形になりますね。
結構難しいんですが、お医者さんで医学のバックグラウンドあって、
基礎研究に行くっていうのはどうなんですか?難しいものなんですか?
私はやっぱり結構なので苦労したというか、結構やっぱり留学した時は結構しんどくて、
それが結構UJの活動を始めたっていうことに結構つながってくると思うんですけど、
やっぱり今まで一応日本でいた時には、
小児貧弱器官の専門医指導医も持ってて、小児貧弱器官の専門医も持っていてってことで、
一応自分がやりたいことを自分のやりたいように積み重ねてやってきたっていう、
自信でもないですけど、やっぱりそういうなんか自分が必要とされてるって思う部分はやっぱりあったんですよね。
でもそこから全く違うアメリカっていうような地域に来て、
多分留学された方とか結構感じる部分もあると思うんですけど、
やっぱり結構今までのキャリアが本当に全部一からスタートするっていう風に結構感じて、
英語もわからないし、でもベーシックリサーチも初心者なんで、
もう本当に全部一からみたいな形になって、
自分のその存在価値っていうのはちょっとわかんなくなっちゃった部分がすごい大きかったですよね。
そういった中で、結構UJAの活動っていうところに繋がってくるんですけど、
UJAの初代会長をされてた畑敦夫先生がなんとシンシナティに呼ばれて、
そのシンシナティでは、ユーシートモードという形でコミュニティ活動がすごい盛んなんですよね。
そこで本当はベーシックリサーチ全くやったことなくて、
海外でやっていけるなんて普通信じられないというか、
私ももっと考えればよかったなと思うくらいなんですけど、正直なところ。
でもやっぱりすごいコミュニティの人たちがすごい助けてくれて、
一からいろんな点でサポートをしてくださったっていうのがやっぱり大きくて、
それで一つずつ積み上げることができて、
なんとか今アメリカも5年目になったんですけど、
そういう形で研究を続けていれるっていうのは、
周りの方々に助けてもらったものはすごく大きかったというふうに思ってます。
その中で、今論文賞のチェアされている翔太さんとにも、
またいろんなことをたくさん教えていただいたりとかして、
そこで誘ってもらったんですよね。
まず論文賞の活動をしませんかということで誘ってもらって、
そこからUJの中に入っていったみたいな形で、
自分ができること、少しでも自分ができることを何かしたいというふうに思ったこと、
皆さん助けていただいたので思ったことと、
それをやることによって自分の自信にもなるじゃないですけど、
自分もこういうことをしていろんなことに役立てている部分があるっていうのが、
自分の存在価値っていう意味につながったので、
UJとして活動することでちょっと自信を持てたと、
そういうようなことが違うかなと思っています。
そうなんですね。
千山さんがUJにいることは知ってましたけど、その経緯は知らなかったんで。
そうなんですよ。
だから私もどういうふうになんでUJに今いるんだろうって、
私もちょっと思うくらいなんですけど、
もともととせばやっぱり結構、
新品のUJとものを助けていただき、
育てていただき、
いつの間にかUJの代表になっていたというような形が気がします。
結構UJに入られてすぐ代表になられた感じですか?
UJの経緯としては、
まず入学しに来て、
UJとものの活動を1年くらいしていて、
そこからUJ論文賞をやらないみたいな形で、
今論文賞をチェアされている石澤さんに誘っていただいて、
論文賞に入り、
その後1年入って、
私はディレクターで1年やって、
その後石澤さんがチェアになられて、
UJの論文賞を主催しましょうというふうになって、
そこから論文賞チームに入って、
その後2年目ですね。
いつの間にか1年目からUJに入って、
1年目で2年目の時にUJ大会がボッソンで開催されたんですよ。
そのボッソンで開催された時に、
私が発表させていただく機会をいただきまして、
そこでDIというか、
ワーキングライフバランスとか、
それぞれが輝く形での活動をできたらいいねということで、
その時ハーバードにおられた笹本さんと一緒に、
すごく意気投合したというか、
意気投合してワーキングを作ろうというふうになったんですよね。
それでワーキングをワーキングライフバランスということで作って、
そこのチェアということでさせていただいて、
それが1年くらいして、
そこでぜひUJの代表になりませんかみたいな話になって、
選挙とかいろいろあって代表になった。
そういうような経緯なのかなと私の中では思っています。
なので2年ちょっとですかね。
UJっていうのを多分視聴者の皆様は知らない人もいるかもしれないので、
改めて説明をしてもらってはいいですか。
UJのぜひホームページとか見ていただけるとすごい嬉しいなと思うんですけども、
UJのどういう活動をしているかということなんですけど、
UJは一応留学を検討する方の情報提供支援の場、
あとは海外の日本人研究者のキャリアにおける総合支援の場、
教育科学技術行政機関の情報交換及び連携の場ということで、
2012年の10月に発足してというような形になります。
なので今でも15年近く活動しているような活動になります。
その中でこういったUJの論文書の活動だったりだとか、
留学の勧めというような活動だったりだったり、
キャリアセミナーとスタートアップの支援だとか、
そういったような活動を幅広く行っている団体ということになります。
じゃあメンバーどれくらいかということなんですけど、
直接参加しているメンバーだけじゃなくて、
いろんなコミュニティという形で、
いろんな地域のコミュニティの方々がUJに所属してくださっていて、
そのコミュニティのメンバーを総勢すると
6,000人くらいをつないでいるというような形になります。
サッカーコミュニティも41コミュニティ、
2023年現在で41コミュニティ、今はもうちょっと多いと思います。
というような形なので結構実はでかい団体なんですよ。
なんか分析性別が深いとか、
それってUJで僕1回参加したことがあるんですよね。
そうですそうです。
そういうところで留学のお勧めということで、
留学ってこういう形だよみたいな形でつないだり
というような活動をしているような形になります。
確かなんかStruck Channelも入れるんですよね。
普通の留学したい人とか。
普通の留学されたい方とか、される前とか別にされてなくても
誰でもそのUJの会員になることはできます。
実際もう本当に是非なっていただけるとすごい嬉しいなと思いますし、