2025-11-07 36:30

#76 日本人コミュニティに救われた海外研究生活【UJA代表/シンシナティ小児病院 松山さん 前編】

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2025年11月のアメゴーは「UJA論文賞コラボ」の1ヶ月。海外日本人研究者ネットワーク(UJA) が企画する「UJA論文賞」に関連したゲストをお迎えします。


第1週目は、UJA代表理事兼会長で、シンシナティ小児病院研究員の「松山 聡子」さん(⁠@satokoFM7⁠) を迎え、日本人研究者が海外で活躍する上での、留学コミュニティの役割について掘り下げています。


UJA論文賞【2025/11/30〆切】

https://cheironinitiative.wixsite.com/uja-award


海外日本人研究者ネットワークUJA

https://www.uja-info.org/


UC tomorrow

https://uctomorrow.wixsite.com/uc-tomorrow/


CHEIRON INITIATIVE

https://www.cheiron.jp/post/cheiron-gifts-2025-2


🗽トピック🗽 

小児泌尿器科/臨床医からの米国留学と研究への転身/シンシナティ小児病院/存在価値がわからなくなった/UJAとの出会いと活動/子育てとポスドク研究の両立/家族を持つ研究者への支援/UJA論文賞


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

感想

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サマリー

NAKAMURAはLA旅行の楽しい経験を共有した後、UJA論文賞コラボのゲストとしてUJA代表理事兼会長の松山聡子さんを紹介します。松山さんは、日本で小児泌尿器科の臨床医として10年間勤務した後、研究への強い思いからアメリカのシンシナティ小児病院へ留学しました。しかし、基礎研究の経験がほとんどなく、英語や文化の違いに直面し、自身の存在価値を見失うほどの困難を経験しました。 この苦境を乗り越える上で、シンシナティの日本人コミュニティ「UC Tomorrow」や海外日本人研究者ネットワーク(UJA)のサポートが不可欠でした。松山さんはUJA論文賞の活動をきっかけにUJAに参加し、その後、ワーキングライフバランスのワーキンググループを立ち上げ、最終的にはUJAの代表理事兼会長に就任しました。UJAは、留学検討者への情報提供、海外日本人研究者のキャリア支援、教育科学技術行政機関との連携を目的とし、約6,000人のメンバーと41のコミュニティを擁する大規模な団体です。 松山さんは、ポスドク研究、UJA活動、そして生後6ヶ月の育児を両立させる中で、アメリカの高額なデイケア費用や復帰の早さといった課題に直面しています。しかし、「CHEIRON INITIATIVE」のような家族支援プログラムや、周囲のポジティブなサポートに助けられ、活動を続けています。特に、UJA論文賞は、分野や国籍を問わず若手研究者の優れた論文を表彰し、受賞者には表彰だけでなく、研究成果を広める機会やネットワーク構築の場を提供しており、松山さんはその重要性を強調しました。

オープニングとLA旅行記
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。
この番組では、アメリカ研究留学4年目を迎えた私、NAKAMURAが、
ゲストとお話ししながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、
お聞きのあなたにおすわけすることを目指しています。
この前の回で、あれ、雑婚の時に行ったんですけど、
LAに旅行行って、ついこの3日前ぐらいに帰ってきたんですけども、
なかなかLAが楽しくてですね、
まだツイッターの方に上げさせてもらったんですけど、
レストラン、いいレストランを予約したんですけど、
基本的に僕が今回選んだレストランは、
全て友人の友人とか、LAで結構遊びまくってる子たちに、
いろいろ聞いて予約したんですけど、
今回予約したそのレストランが、
LAで一番位置的に高いレストランらしくて、
そこが、71ABOVEっていう店らしいんですけど、
そこが面白くて、料理は決まってて、
前菜と主食とデザート、
3つセットが決まってて、
あとはドリンク好きに飲んでいいよみたいな感じで、
だからめちゃめちゃ料理の質も高くて、
あと結構飲み物、最初に普通にカクテル頼んだんですけど、
そしたら最初謎に頼んだないデザートワインが出てきて、
で、カクテル飲んで、
そのあと最後に食後に、
白ワインと何かを混ぜたようなやつが出てきて、
めちゃめちゃサービスがさすがに良くて、
料理も美味しくて、結構いいなーって感じで一晩過ごして、
そのあと色々、ベニスビーチとかグリフィスティン問題とか、
いわゆる主要観光地ですね、LAの都市を回ったんですけど、
個人的にびっくりしたのが、
サンフランシスコとLAと同じ間隔でいたら、
LAバカ広くて、
サンフランシスコだと一個一個たぶん10分ぐらいで着くんですよね、移動。
たぶん町の端から端まで行ってもたぶん30分ぐらいで、
LAはどこ行くにしても30、40分かかって、
毎回UBERで移動したんですけど、
やべえなーと思いながら、
天気も良く、平日だったので人も少なくて、
結構楽しめたっていう旅行の前半でした。
後半はこの後ですか?
後半はまた後半に話します。
ちなみに彼女さんはどういう感じで楽しまっていました?
彼女はアメリカ本土が初だったんですよ。
ただ地下ボケもあんまりなくて、
ドルから円の換算ができない、
うまくすぐパッとできないんで、
すごい値段気にせず楽しみました。
逆に?
逆に。×100してたんで。
いいですね。150じゃなくてね。
まあいいや。
松山聡子さんの自己紹介とシンシナティでの生活
11月のアメ号はUJA論文賞コラボ。
私も所属している海外日本人研究者ネットワークUJAが企画する
UJA論文賞とのコラボで、
この賞に関連したゲストをお迎えする1ヶ月です。
まず1週目は現在のUJA代表理事兼会長の松山聡子さんをお迎えして、
アメリカ留学とUJAとの出会いについて伺っていきます。
今週もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD。
改めましてNAKAMURAです。
それでは今回のゲスト松山さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回松山さん簡単に自己紹介の方お願いします。
よろしくお願いします。
私は元々は神奈川大学の医学部を出て、
その後、石川県出身なんですけど、
そのまま地元の医学部に行って、
その後、小児貧乳機械。
なかなか聞き慣れない感じだと思うんですけども、
貧乳機械の専門を取ってから、
小児貧乳機械を専門に子ども病院、
大阪母子利用センターで10年近く働いていて、
その後、やっぱり研究をしたいなというふうに、
なかなか子どもの診療とかで治らないこととか、
いろいろ思うことがあって、
研究したいなと思ったので、
今、シーシャティのチューゼルズホープスピタジェルの
リプロダクティブサイエンスセンターで研究をしていると。
そういったような経歴になります。
どうぞ今日はよろしくお願いします。
お願いします。
松山さんは今UJの代表をされているということで、
僕とも何回かオンラインでお話しさせてもらって、
今回依頼させてもらったんですけど、
小児貧乳機械なんですね。
そうなんですよ。貧乳機械なんです。
なかなかレアな経歴だと思うんです。
今までUCSFで出会ったことないですね。
小児貧乳機械が日本の人口的に500人いかないくらいなんですよね。
そこまで少ないんですか。
そうなんですよ。
そこから専門で小児貧乳機械。
やっている職業としては似たような形になると思うんですけど、
すごくレアな人材というか、
そういうことをやっていたかなと思います。
UCSFとかは小児貧乳機械は強いんですけど、
シンシナティも強いんですか。
シンシナティの宣伝させていただいてもいいですか。
シンシナティは実はですね、
シンシナティ小児病院は全米1位の小児病院ということで、
最強。
そうなんですよ。なってます。
なのですごくシンシナティ、
どこシンシナティって、
私は留学するときに親とかに言われたんですけど、
シンシナティってどこって。
実はシンシナティ小児領域ってすごい有名なんですよね。
私も自分が小児医学会として働いてたときから、
やっぱりすごい憧れの病院で、
いつか留学したいなって思ってた場所でした。
シンシナティってどこら辺にあるんですか。
シンシナティはそもそもですね、
鹿児島の近くと私よく言ってるんですけど、
正確に言うとオハイオ州の一番南側にあるのがシンシナティです。
ということは東側のちょっと上らへんってことですか。
そうです。東側のちょっと上らへんです。
今寒いですか。
あんまり寒くないです。
そうなんですね。
でも寒いのかな。
日本と比べると寒いのかもしれないですね。
夏があっという間に終わって、
もう秋冬みたいな感じになってきたみたいな形のイメージです。
じゃあ四季はあるんですね。
四季はギリあります。
そうなんですね。それいいですね。
西海岸って四季ないらしいですよね。
何にもないですね。
西海岸から来られた方とかに結構それをお聞きして、
そうなんだって思ってました。
サンフランシスコは夏が一週間くらいしか、
一週間、二週間くらいしか。
夏一週間しかないですね。
それは結構ちょっと違うかもしれないですね。
そこらへんは、私もともと石川県出身ですけど、
結構石川県と近い部分があって、
冬とか夏とかは雨が結構多いんですけど、
新品って。
留学はしてきたけど、
元々の地元とめっちゃ近いなって思ったりするっていう感じの生活をしてる。
そこ知らないですよ。
結構飯とかも美味いやすくて、
新品って日本人多いイメージがあるんですよね。
そうなんですよ。新品って言って実はすごい日本人多くて、
まずオハイオ州が日本人が多いんですよ。
実は日本人の割合が多いランキング、
第1位ってどこかっていうとオハイオ州なんですよ。
アメリカの中で。
そうなんですよ。実はめっちゃ多いんですよ。
そういう意味では結構住みやすいというか、
日本食の工場とかもあったりとか、
それこそ宅配で出してるそういうの。
UJ大会の時でも相談を宣伝させていただいたんですけど、
そういう結構日本食系のお店も多かったりするし、
シンシナティは特にシンシナティ小児病院って、
日本からの留学の方が多いのと、
あとは結構デュアルでされている、
例えばUJ大会にも来られた佐々木敏夫先生とか、
高部先生とかみたいな形で、
結構デュアルでされている方も多くて、
そういう意味でも結構日本人の研究者多いですよね。
補足なんですけどデュアルっていうのは、
佐々木先生だったら慶應大学の所属とシンシナティの
小児病院の所属があるみたいなことですよ。
そういう感じです。
なので結構実はシンシナティいいぞという感じで
宣伝をしたいなと思っている感じですね。
臨床医から研究者への転身と留学の苦悩
松山さん、小児貧乳期間っていうのをまず選んだ
っていうのは何か理由があるんですか?
私これも結構人生って色々面白いなって思うんですけど、
私医学部の6年生の時ですよね。
医学部って6年生の時とかに自分の大学だけじゃない
他の病院とかの実習とかに行ったりするんですよね。
その時に私貧乳期間のその時の教授だった先生に
是非子ども見に行ったらいいよってすごいお勧めしていただいて、
大阪星医療センターに見学に行ったんですよ。
そうしたらその時に年でもなかなかないような
手術をされてたっていうのもあるのかもしれないんですけど、
結構子ども病院での小児貧乳期間の診療に
かなり感動を覚えまして。
行く時にはそこまでそういう分野があることも知らなかったんですけど、
帰ってくる時にはもう小児貧乳期間になる私みたいな感じで
帰ってきて喋ってるみたいな。
それくらい結構心を動かされるような形でしたね。
そこで日本で小児貧乳期間の先生として
治療とかもされてたんですか?
そうですね。結局私はアメリカに逃避する前、
10年目とかで逃避してると思うんですけど、
社会人になってから。
それまでの間は小児貧乳機械として
臨床医として働いていたという形になりますね。
そうなんだ。
そうなんですよ。これ結構言うとびっくりされるんですけど、
私アメリカ来て研究者になって初めてペット使ったんですよ。
そうなんですね。
今回お話ししてないときに結構思ったんですけど、
この活動されてるのも結構アメリカとか
結構意外に気楽に行けるよとか、
そういう留学を推奨したいっていうようなことを
おっしゃられてたというふうにお聞きしたと思うんですけど、
結構そういう意味で、私みたいにその経験が
結構勢いでなんとか、勢いでというか、
そういう道もあるよっていうのも
ちょっとお伝えしたいなと思ってた形になります。
研究は全く経験なしにアメリカに留学するっていうのは?
そういう、それが近いですね。
正確に言うと、私もともと処理貧乳機械の領域とかって
すごくレアなディジーズとか、
そういう臨床的に難しい疾患とかは結構多くて、
そういったようなことを対象にして、
病理の研究だとか、臨床研究ということはさせていただいてました。
なのでそれで、EHDも持ってるんですけど、
だけどアメリカ来てからやってることは完全なベーシックリサーチなので、
今までのバックグラウンドと完全にマッチしてるかって言われると、
そういうわけではなくて、
私の中では新たな挑戦をしたっていうような形で思っています。
そうなんですね。
じゃあそこから研究者になってアメリカに留学するっていう、
日本でも、日本だと難しいかもしれないけど、
アメリカに留学しようと思ったきっかけって何かあったんですか?
それも結構出会いが大きかったと思うんですけど、
私が働いてた小児病院とかの上司の人とか含めて、
全員留学経験があって、
やっぱり留学はした方がいいっていうことは、
ずっと周りからそういうふうに擦り込まれてたっていうのも一つあると思いますし、
あとはそれだけじゃなくて、
やっぱり行きたい研究で、
ベーシックリサーチを小児病院でやろうと思った時に、
やっぱり一番自分がやりたいなと思ったのが、
今のリビジョンでやってることがすごく一番やりたかったので、
やりたいと思ったところに結構行っちゃうっていう性格が、
私は自分ではそういうふうに思ってるんですけど、
やりたいところが新宿の小児病院でやってたので、
その留学先としてその場所を選んだっていう形になるかなと思います。
改めてなんですけど、ベーシックサイエンスを志そうと思ったのも、
何か働いてる中でこの部分が不十分だみたいな問題点を見つけたからみたいなきっかけなんですか?
そうですね、まさに本当その通りで、
私臨床医として働いてる時に病理学の研究はしてたんですよ。
ただやっぱり病理学って結局その素晴らしいあれなんですけど、
その後とにかくどうしてそう起きたかっていうふうなメカニズムのところまで、
やっぱりたどり着くことが自分の中ではできなくて、
育ってきた時にやっぱりそのメカニズムベースで学びたいっていうのがあって、
それができるところはどこだろうっていうふうなところで考えた時に、
アメリカの今の新宿小児病院でベーシックリサーチを一からやろうっていうところに決心したと。
そういったような形になりますね。
結構難しいんですが、お医者さんで医学のバックグラウンドあって、
基礎研究に行くっていうのはどうなんですか?難しいものなんですか?
私はやっぱり結構なので苦労したというか、結構やっぱり留学した時は結構しんどくて、
それが結構UJの活動を始めたっていうことに結構つながってくると思うんですけど、
やっぱり今まで一応日本でいた時には、
小児貧弱器官の専門医指導医も持ってて、
小児貧弱器官の専門医も持っていてってことで、
一応自分がやりたいことを自分のやりたいように積み重ねてやってきたっていう、
自信でもないですけど、やっぱりそういう自分が必要とされてるって思う部分はやっぱりあったんですよね。
でもそこから全く違うアメリカっていうような地域に来て、
多分留学された方とか感じる部分もあると思うんですけど、
やっぱり結構今までのキャリアが本当に全部一からスタートするっていう風に結構感じて、
英語もわからないし、でもベーシックリサーチも初心者なんで、
もう本当に全部一からみたいな形になって、
自分のその存在価値っていうのはちょっとわからなくなっちゃった部分がすごい大きかったですよね。
日本人コミュニティUJAとの出会いと活動
そういった中で、結構UJAの活動っていうところに繋がってくるんですけど、
UJAの初代会長をされてた畑敦夫先生がなんとシンシナティに呼ばれて、
そのシンシナティではユーシートモードという形で、
そういうコミュニティ活動がすごい盛んなんですよね。
そこで本当はベーシックリサーチ全くやったことなくて、
海外でやっていけるなんて普通信じられないというか、
私ももっと考えればよかったなと思うくらいなんですけど、正直なところ。
でもやっぱりすごいコミュニティの人たちがすごい助けてくれて、
一からいろんな点でサポートをしてくださったっていうのがやっぱり大きくて、
それで一つずつ積み上げることができて、
なんとか今アメリカも5年目になったんですけど、
そういう形で研究を続けていれるっていうのは、
やっぱり周りの方々に助けてもらったものはすごく大きかったというふうに思ってます。
その中で今論文賞のチェアされている翔太さんとにも、
またいろんなことをたくさん教えていただいたりとかして、
そこで誘ってもらったんですよね。
まず論文賞の活動をしませんかっていうことで誘ってもらって、
そこからUJの中に入っていったみたいな形で、
やっぱり自分ができること、
少しでも自分ができることを何かしたいっていうふうに思ったこと、
皆さん助けていただいたので思ったことと、
あとはそれをやることによって、
自分がやることによって自分の自信にもなるじゃないですけど、
自分もこういうことをしていろんなことに役立てている部分があるっていうのが、
やっぱり自分の存在価値っていう意味につながったので、
UJとして活動することでちょっと自信を持てたと、
そういうようなことが違うかなと思ってます。
そうなんですね。
松山さんがUJにいることは知ってましたけど、
その経緯は知らなかったんで。
そうなんですよ。
だから私もどういうふうになんでUJに今いるんだろうって、
私もちょっと思うくらいなんですけど、
元々だとせばやっぱり結構、
シンシナティのユシエとモノを助けていただき、
育てていただき、
いつの間にかUJの代表になっていたというような形が気がします。
結構UJに入られてすぐ代表になられた感じですか?
UJの経緯としては、
まず入学シンシナティに来て、
ユシエとモノの活動を1年ぐらいしていて、
そこからUJ論文賞やらないみたいな形で、
今論文賞のチェアされている翔太さんに誘っていただいて、
論文賞に入り、
その後1年入って、
最初はディレクターで1年やって、
その後翔太さんがチェアになられて、
UJの論文賞を主催しましょうというふうになって、
そこから論文賞チームに入って、
その後2年目ですね。
いつの間にか1年目からUJに入って、
1年目で2年目の時に、
UJ大会がボッソンで開催されたんですよ。
そのボッソンで開催された時に、
私が発表させていただく機会をいただきまして、
そこでDIというか、
ワーキングライフバランスとか、
それぞれが輝く形での活動をできたらいいねということで、
その時ハーバードにおられた笹本さんと一緒に、
すごく意気投合したというか、
意気投合してワーキングを作ろうというふうになったんですよね。
それでワーキングをワーキングライフバランスということで作って、
そこのチェアということでさせていただいて、
それが1年くらいして、
そこでぜひUJの代表になりませんか、
みたいな話になって、
選挙とかいろいろあって代表になった。
そういうような経緯なのかなと、
私の中では思っています。
2年ちょっとですかね。
UJっていうのを、
多分視聴者の皆様は知らない人もいるかもしれないので、
改めて説明をしてもらってもいいですか。
UJのぜひホームページとか見ていただけると、
すごい嬉しいなと思うんですけども、
UJのどういう活動をしているかということなんですけど、
UJは一応、留学を検討する方の情報提供支援の場、
あとは海外の日本人研究者のキャリアにおける総合支援の場、
教育科学技術行政機関の情報交換及び連携の場ということで、
2012年の10月に発足してというような形になります。
なので今でも15年近く活動しているような活動になります。
その中でこういったUJの論文書の活動だったりだとか、
留学の勧めというような活動だったりだとか、
キャリアセミナーとスタートアップの支援だとか、
そういったような活動を幅広く行っている団体ということになります。
じゃあメンバーどれくらいかということなんですけど、
直接参加しているメンバーだけじゃなくて、
いろんなコミュニティという形で、
いろんな地域のコミュニティの方々がUJに所属してくださっていて、
そのコミュニティのメンバーを総勢すると、
6,000人くらいをつないでいるというような形になります。
作家コミュニティも41コミュニティ。
2023年現在で41コミュニティ。
今はもうちょっと多いと思います。
というような形なので、結構実はでかい団体なんですよ。
文字性別が深いとか、それってUJで僕1回参加したことがあるんですよね。
そうですそうです。
そういうところで留学の勧めということで、
留学ってこういう形だよみたいな形でつないだり、
というような活動をしているような形になります。
確かストラックチャンネルも入れるんですよね。
普通の留学したい人とか。
普通の留学されたい方とか、される前とか別にされてなくても、
誰でもUJの会員になることはできます。
実際もう本当に是非なっていただけるとすごい嬉しいなと思いますし、
結構その情報を今やっぱり留学するときに、
今のアメリカ事情とかでも、ビザの状況どうなのとか、
実際今どうなのとか、どういう今グラントがあるのとか、
そういうこととかも情報発信しているので、
是非皆さん気軽にというか、
会員になっていただけると嬉しいなと思います。
そうかすごいな。
スタンさん結構ストラックで毎日のようにやっぱり活動されてますけど、
研究しながら、ポストクなんですよね今。
ポストクですポストクです。
めっちゃ一生懸命やってます。
研究・UJA活動と子育ての両立
めっちゃ大変ですよね。
ポストク研究して、今お子さんも生きて。
そうですね。
そうなんですよ。
出産を3月末に今したので、今子供を生後6ヶ月ですね。
なんかそういう家族をサポートするみたいなやつはあるんですか?
ありません。そういう家族をサポートするっていうので、
今年は私も夫が応募をしてくれて、
経営のイニシアチブというものがあるんですけども、
そちらを受賞させていただいてという形になります。
経営のイニシアチブは、
UGAのいろんなイベントを共催してくださったりとかされてるんですけども、
それこそ2代目会長の足立さんが作られた団体でして、
一緒に帯同する家族とかもサポートするというような団体です。
毎年4月に応募することができて、
それは別に留学中であっても、
これから留学するというだけじゃなくても、
今から留学するという人でも誰でも応募できるという形にされてると思いますので、
そちらの方で、私も夫の方が応募してくれて、
今年受賞させてもらったというような形になります。
結構でかいですよね。
こうやって金額的にもやっぱりサポートしてもらえるのは。
そうなんですよ。本当にありがたくて。
私、もうちょっと自分の家族構成をお伝えしますと、
夫がもともと会社員をしてたんですけども、
私はアメリカで、
なぜアメリカでと思うんですけど、
アメリカで私が留学してから結婚することになって、
夫が留学というか、
今まで10年間会社で会社経営で勤めてたんですけど、
こちらに来るという風になって、
じゃあどうやって来るみたいな話になった時に、
本人もPHDにいつか行きたいと思ってたからっていうのもあって、
アメリカの私がいる大学のPHDスチューデントになったんですよ。
PHDスチューデントになったのはすごくいいんですけど、
その後、私が妊娠して出産するってなったんですけど、
結構アメリカのデイケアってものすごく高いんですよ。
アメリカのデイケアいくらくらいだと思います?
高いって言ってるからな。
5万とかそんくらいですか?
1ヶ月ですか?
1週間5万なんですよ。
1週間5万なんですか?
はい。
1週間450ドルなので、
1週間で7万ですよね。
450ドルだったら6、7万くらいだと思う。
えぐいな。
1週間って言ったらもう5日間ですよ。
そうなんですよ。
なので1ヶ月で30万がぶっ飛びます。
デイケアも日本って本当に素晴らしい国で、
結構そういうふうな保証ってすぐあるんですけど、
アメリカの場合はデイケアに入ろうと思ってすぐ入れるかって言われると、
全然そんなことはなくてめっちゃ包括しないといけないですよね。
いわゆる保育活動。
デイケアに10カ所くらい登録して、
私もやっと1カ所決まってみたいな形だったんですけど、
それまで決まる間の時に、
でも決まったのって、
政府のおかげ使いでやっと決まったので、
それまでどうやって、
でもかついて6週間とか2ヶ月で復帰しないといけないですよね、
アメリカの政府的には。
じゃあどうするかってなった時に、
じゃあベビーシッターさんお願いしようってなったんですけど、
その費用とかどうしようとか、
そうなった時に、
この経営のイニシアチブさんが出す費用を申請して、
サポートしていただいたっていう形になるので、
やっぱりすごくありがたかったですね。
いや、でかいですね。
ほんとでかいです。
両方が働いてるとなかなか難しいですね。
そうなんですよ、本当に。
結構そういう意味では、
結構早く復帰しなきゃいけなくて、
だいたい2ヶ月くらいで復帰しないと、
その保守局としての立場は、
私の働いてる場所とか、
他の場所でもだいたいそうだと思うんですけど、
半年間は居場所が保証されるんですよ。
居場所は保証されるんですけど、
給料が出るのはだいたい6週間か2ヶ月
っていうところが多いと思うんですよ。
じゃあお金がなくなってしまうと、
じゃあ生活どうするんだってことになっちゃうので、
そういう意味ではやっぱり、
すごくそういう経営の活動だとか、
そういったような活動って、
すごいありがたいなと思いましたし、
そういう情報もまだ入ってこないじゃないですか。
そういうUJだとか、
そういったようなネットワークを通して、
そういう活動があるよっていうこととかを
やっぱり知れるっていうことも大きいと思うので、
そういった意味でも、
やっぱりそういうコミュニティ活動に
皆さん入っていただけると、
すごい嬉しいなと思ったりしています。
UJA論文賞の詳細と今後の展望
いろんな人からサポートを受けたり、
そういう経営のイニシアチブか、
金額的にもサポートを受けたりして、
PostdocとUJの代表として、
バランスを保ちながらやってらっしゃると思うんですけど、
どうですか、
多分楽しいことがたくさんあると思うんですけど、
楽しいことプラスちょっと大変だったこと、
エピソードとか教えてもらってもいいですか。
これはですね、
やっぱりすごくありがたく、
楽しいこととかすごいいっぱいあって、
4月にUJのデザインということで、
シンシナティで開催させてもらったんですけども、
そこの時にやっぱり結構、
シンシナティの非日本人の研究者の方々にも
たくさん参加いただいたんですね。
そこでやっぱりすごく、
いつも働いている方々から、
こうやって日本とつないでくれてありがとう、
っていうふうにすごい言ってもらえたこととか、
すごい嬉しかったですし、
私の上司とか今のボスも、
すごくそういう活動を応援してくれる方で、
やっぱりすごくね、
まさかそういう活動をしている代表が
自分のラボのボス族だなんて、
すごい誇りに思うよみたいにすごく言ってくれて、
それはすごく嬉しかったことではあるかなと思いますね。
それいいですね。
そうなんですよ。
たまに批判的なPRもいますもんね。
そうなんですよ。
そこがすごい周りに恵まれてるなって、
すごい思うんですけど、
結構私の周りの方々とか、
ボランティアで活動する、
周りのコミュニティに貢献するっていうことに対して、
すごくポジティブな方々が多くて、
そういった方々に支えられてるっていうのは、
すごい嬉しいことだなと思います。
逆にちょっと何が辛かったっていうこととしては、
結構今までパソコンで仕事したりしてたんですけど、
結構これですね、
子供がパソコンを開かせてくれないんですよ。
携帯は開かせてくれたんですけど、
パソコンは開かせてくれないっていうので、
携帯でできる仕事はめっちゃできるんですけど、
だから結構受入しながら携帯触ってたりとか、
そういう形で、
隙間時間を利用して活動できるのは、
私の支えにもなってすごい良いんですけど、
結構そういうミーティングとか、
そういう開催時間とか、
そういうのとかもうちょっと工夫しなきゃいけないなとは、
結構自分が出産したりしてから結構思っているんですね。
なるほど、確かにそうするね。
なかなか人と人との繋がりなんで、
時差とかもあるし、
なかなかそういうのは大変そうですね。
そうですそうです。
だからそういう意味でも、
直接会うのもすごい大事なんですけど、
好きな時に聞けるとか、
好きな時に情報を得れるっていうのは、
すごい大事だと思うので、
多分こういうふうに今されているような、
ポドキャストとかもすごい良いなと思うんですけど、
そういう何か、
いつでも好きな時に情報を得れるとか、
そういうような活動を結構力入れてくると、
すごい良いんじゃないかなと最近、
子供生まれてから特に思いますね。
確かにそうですね。
けど今の段階でも、
多分留学したい人だったり留学してる人でも、
結構情報を得るのは簡単に得れますよね。
ウェブサイトもあるし、
困ったらスラックに質問したら、
誰か答えてくれるし。
そうなんですよ。
そうなんですよ。
だからそういう意味でも、
何かうまく活用してもらえると、
すごい嬉しいなっていうふうに思ってます。
確かに。
実際にこの、
松山さんが最初UJでやられた、
論文賞っていうのにちょっと興味があるんですけど、
僕らもそろそろ、
留学の4年目に入って、
終盤なので、
出していきたいなと思ったんですけど、
論文賞の概要というか内容、
それ何なのかっていうのを教えてもらってもらっていいですか?
もちろんです。
論文賞はですね、
海外で活躍する若手研究者を支援するために、
ノーベルズ科学賞の2010年の受賞者であられる、
寧吉先生が審査員を委員長を務める、
インディアナ州論文賞として2014年に始まりました。
その後その活動がどんどん大きくなっていって、
今現在は全世界で活動されている研究者の方々を対象に、
優秀な科学論文を表彰しているというような形になります。
こちらの方もホームページがありますので、
見ていただけるとすごい嬉しいなと思うんですけども、
もともとは毎回各コミュニティだとか、
限定して応募してたりというか、
部員が限定だったんですけども、
今年の論文賞からは、
どの分野の方であっても、
どのコミュニティに属していない方であっても、
応募できるというような形になっています。
その中で実際に応募する論文としましては、
応募資格としては、
日本国外で研究に従事している研究者のこと、
あとはもう一つUGAのサポーターメンバーになっていただきたいと、
それだけですね、逆に言うとそれだけで応募できます。
あとは応募者が第一著者であること、
コファー操作も可能というような形になります。
過去24ヶ月以内に公開された論文であると。
それだけで応募ができますので、
ぜひ皆さんに応募していただけると、
すごい嬉しいなと思っています。
結構いろんな分野からできるんですか?
そうなんですよ。今年はどの分野でもできます。
じゃあ人文学とか。
できます。
今年からが初めてなんですけど、
この2026の論文賞は、
全ての分野、全ての国、地域からの応募を歓迎します。
それすごいですね。
結構この論文賞の最近の特徴として、
毎回大会長の方針で開催方針に変わっていくというような形になっていまして、
今年は家田大学の方々が中心に運営してくださっているんですけども、
今年の論文賞の大きな特徴としては、
全ての分野、全ての国、地域からの応募を歓迎しますというような形なので、
ぜひ皆さんから応募いただけると嬉しいなと思います。
結構応募簡単そうですもんね。
めっちゃ簡単ですね。やることはそんなになくて、
ホームページとかで公開されるようになるじゃないですか、
そのページをリンクとして登録するだけぐらいですね。
それで分野を選択してぐらいでオンライン申し込みができますので。
応募はいつぐらいから始まるんですか?
応募はですね、10月10日から応募が開始で、
締め切りが11月30日になります。
じゃあめっちゃ時間ありますね。1ヶ月以上あるんですね。
まだまだ時間ありますので、ぜひ皆さん応募してもらえればと思います。
去年アクセプトされた論文でもいいそうね。
そうです。応募締め切りから過去24ヶ月以内に公開されたので、
2年間遡れるので、
例えば去年までは地域とか限定されてましたので、
応募できなかったというような方も、
2年前までの論文であれば出せるので、
ぜひ今年出していただけると嬉しいなと思います。
留学終わった人でも出せるっていうことなんですね。
そうです。留学終わってからでも出せます。
いろんな人が出せますね。
そうです。いろんな方が出せます。
結構この論文賞の特典になるんですけど、
論文賞受賞された場合は縦と小賞状がもらえます。
結構かっこいい縦なんですよ。
かっこいいな。縦いいな。
結構かっこいいんですよ。
あとはそれプラス少年賞という形で、
将来の若手研究者が発表した研究成果をというような形で、
両方の今年は受賞を設定しています。
受賞された方はそれで終わりというわけじゃなくて、
オンライン受賞式が例年5月にあるんですけども、
そこで受賞者の講師席をたたえ、
その研究成果を幅広い分野の方々に宣伝していただくというような場になりますし、
あとは今年4月で新調で開催されたUJグローバルキャラリー、
今年はもう2月にロサンゼルスで開催することが決定しています。
そちらの方に参加していただいたり、発表していただいたり、
あとはそのUJノートとかでインタビュー記事の掲載をしていただいたり、
あとはその再演奏面をというようなところで発表していただいたりとか、
そういったようないろんなオプションのイベントがありますので、
ぜひそういったところでも、
ご自身のご経歴とか発表された論文とかを発表していただけると嬉しいなと思います。
そうですね、ぜひ聞いている方々はぜひ申し込んでみてください。
というわけで、ここまで松山さんのアメリカ留学とUJとの出会いについて伺ってきました。
今回、松山さんのことは僕は知ってましたけど、
松山さんがどういうふうにUJの代表になられたかとか、
どういうサポートを受けてきたのかっていうのを知らなかったし、
UJ論文、結構出すの簡単な割には結構語ってもらえたり、
いろんな人とつながれたりするんで結構プラスが多いなという感じなので、
論文が出たら出してみようかなと思います。
お願いします。
さて、アメリカ内のGOLDは毎週日本時間の金曜日の0時に配信を見ます。
番組のご意見ご感想は、
ハッシュタグアメゴをつけてSNSで呟いていただくか、
メールホームにお寄せください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお会いとはNAKAMURAと松山でした。
また来週。
36:30

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