アメリカからこんばんは。今回もアメ号の裏方がお届けします。
この番組では、通常アメリカ留学4年目を迎えたNAKAMURAが、ゲストをお話しながらアメリカ留学の魅力を再発見し、お聞きのあなたにおすそわけすることを目指す番組となっています。
今月10月のアメ号のテーマは、クレイジーキャリアジャーニー。あまり聞いたことのないキャリアの変遷を生き抜いてアメリカを軽減されているゲストを迎えし、その貴重な旅路を一緒にたどっていきます。
今回は古川あおいさん回の全3回中の2回目になります。
今回のお話の中心となるのは、古川あおいさんがアメリカに来てからの話にフォーカスを置いて話していこうと思うのですが、
その中でいろんな地名が出てくるので、少し今回はこの時間で紹介させていただこうと思います。
このアメリカンナイトGOLD、通常のパーソナリティのNAKAMURAだったり、私裏方はサンフランシスコという街に住んでいます。
古川あおいさんも帰国する直前、この後流れる音声を録ってた場所もサンフランシスコでしたね。
ただ古川あおいさんはサンフランシスコだけではなくて、バークレー、ハローアルト、デイリーシティみたいなね、いろんなところにいらっしゃった経験があったりするので、
その辺の地名をChatGPTさんにお願いして、日本で例えるとどうですかということで、
日本に例えた場合の都市の位置関係とか都市の特徴についてまとめてもらいましたので、ご紹介させていただこうと思います。
まず今回はこのサンフランシスコを東京と見立てて説明してもらいました。
政治、文化、観光、ITカルチャーの中心となっている街で、狭い範囲に観光地、オフィス街、住宅街が凝縮した街、
坂道が多く、昔ながらの建物とモダンな高層ビルが混在、
例えるなら渋谷プラス銀座プラス浅草が一体化したような街と表現されています。
そうなんですよね。アメリカ映画で見るようなデカい道があるような街ではなくて、
むしろなんか日本に近いような道路の幅で少し安心するというか、アメリカらしくないというか、そういう都市かもしれないです。
では古川さんが進学されたUCバークレーという街はどうでしょう。
バークレーは吉祥寺から三鷹プラス早稲田あたりだそうです。
大学UCバークレーを中心に発展した文教都市、アカデミックでリベラルな雰囲気、古本屋やカフェが多い、
サンフランシスコから電車で約30分、東京から中央線で三鷹に行くような距離感なんだそうです。
ちょっと私たちのアメ号のチームは東京に住んだことがないので、この建てがどれだけなどなのか判断しかねないのですが、
そういうアカデミックな街がバークレーだというふうに表現されています。
その後古川さんが働いたパルワルトという街はどうでしょう。
筑波プラス田園町府のハイブリッドだそうで、
スタンフォード大学の大学町でIT企業の聖地、いわゆるシリコンバレーと呼ばれるところの心臓部にあたるのがパルワルトという街。
美しい住宅街と研究機関が並ぶ高所得エリア、サンフランシスコから車で約1時間、電車でも行けるんですけどね。
東京から筑波の研究都市や田園町府、過去高級住宅地に行くイメージなんだそうです。
もう一つ、デイリーシティという街を紹介させてください。
こちらの川崎大田区西船橋あたりなんだそうで、サンフランシスコのすぐ南に位置する住宅都市。
通勤圏内で家賃が比較的安くアジア系住民が多い。
そうなんですね、アジア系スーパーとかあってたまに行くんですよね、デイリーシティ。
東京から川崎、蒲田あたりに出る感覚なんだそうです。
みなさんもこれらの都市のイメージついたでしょうか。
そういう形でサンフランシスコ、バークレ、パルワルト、デイリーシティといったたくさんの都市の名前が出てくると思いますが、
みなさんがイメージする市場になれば嬉しいです。
というわけで今回も政治正統院の古川葵さんをお迎えします。
というわけで今回もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD
というわけで、その前にまずどうしてデータサイエンス賞となったのがいいんですけど、バークレはどういう感じで選ばれたんですか。
さっき学部のところで説明しましたけど、自分はもともと文系なんですね。
大学院留学するってなった時に、実際はデータサイエンスでしょっていうか、
役所の霞ヶ関とか厚労省とかにデータとかITとかそういうこと分かってる人が必要だなって思ったと。
でもそういうことを勉強したいってなった時に、マスターボデータサイエンスとかそういうプログラム、マスターボインフォメーションみたいなプログラムがあるけど、
それってコンピューターサイエンス系とか、いわゆる理系系の学部というかスクールになるんですね。
ってなった時に、あなたは学部レベルのエンジニアリングのディプリを持ってますかとか、
あなたは大学学部レベルの数学を得てますかとかって言われると、ないですねみたいな。
自分が経済学部とかだったら、数学やってますとか言えたかもしれないけど、
法学部であんまり対して統計とか数学とかやってなかったんで、そこら辺が結構足りてないんですね。
なるほど。
だから出願ができないプログラムが多くて。
へえ、そっかそこで足切りじゃないですけど、かなり選択肢が狭まるんですね。
そうですね。ただ今思えば、アメリカに来ていろんなものを見ると、だいたい言えばなんとかなる。
自分は職場で実務でデータバリバリ見てましたけど、言えば全然いけたなっていう気がするけど、
その時は素直に募集要項にダメって書いてあるからダメなんだって思って、
そういうところは選択肢が除外して、そんな中でバークレーとかミシガン大学とかもそうなんですけど、
マスターボインフォメーション系のプログラムが文系も理系も融合というか、学際的なプログラムで、
情報、コンピュータサイエンス学部じゃなくて、インフォメーションってちょっと抽象的な感じなので、
ゴリゴリにプログラミングする人だけじゃなくて、情報と社会について考える人とか、
必要だよねみたいな感じで、ちょっとその分離の垣根を超えた幅広い人材歓迎です、みたいなプログラムだったんで、
これはいいなと思って。
そう思ったら確かにそこのプログラム超適合しますもんね。
そうなんです。あとは他の省庁の人で何年か前にそこに留学してた人っていうのがいて、
留学の体験談みたいなやつを記録として書かなきゃいけないんですよ。
なるほど。
それの冊子というか資料があるんですけど、その資料を見た時に役所からの留学で、その人の体験記のところにプログラミングでアプリ作りましたみたいなの書いてあって、
そんなことができるプログラムあるんだと思って、そういうところに憧れがあったんで、いいなやってみたいなと思ったっていうのもありますね。
やっぱそうやって考え始めたのは、なんか実務レベルでデータサイエンス的な知識欲しいなってやっぱりなったことがある。
データサイエンスっていうよりかは、なんかそのAIという言葉の魔法に踊らされたくなかったというか、
なるほど。ちゃんと実態をつかみたいみたいな。
そうですね。その政治の方の人たちはちょっと踊らされてる感じがあったというか、AIで何とかしてよみたいな要望が来るんですよ。
はいはいはい。
役所の担当者としてはあんまりそのAIの何たるか分かってないし、いきなりなんか去年までできなかったこと、今年何かできてることっていうのは、
自分がいた介護の部署とかだったんで、そういうのはなんかなくて、でもAIでこんなことやってますって言わなきゃいけない。
みたいなみんなでヒーヒー言ってて、なんだこれみたいな。
そう、アピールしなくちゃいけませんもんね。
そうそうそう。これってなんかなんだろうなみたいな。こういう時になんかできますとかできませんとか言えたらもっといいよなみたいな。
AIってこうで、みたいなこととか言えたらいいよなっていうのがあったし。
あとその資料とかを出していく中で、自分が厚労省にいた頃って結構統計とかが問題になったりした時期で、統計が正確じゃないみたいな話とかそういう問題もあった時で、
あれはいろんな要因があると思いますけど、その中で思ったのが、やっぱ役所ってデータを出す側ではあるんですけど、
あんまり手を動かして分析とかを自分たち自身はやらない。
なるほど。受け取って、でそれを請求されたら出すみたいな。
だからその紙のアンケート結果みたいなやつを集計して、これが日本のなんとか統計です、ボンって出すけど、
そのなんとか統計を見て、そこからトレンドとかを叩き出すみたいなことは他の人たちがやってるので、
こんな形のExcelで公開されても見づれえよみたいな、使いづれえよみたいなところっていう視点がちょっと欠けてるような気がしていて、
それもったいないなと思ってましたね。
なるほど。で、プラスでしかもアメリカにっていうところもあるんですか?
そうですね。それはやっぱりデータとかテックとかやるんだったらアメリカでしょみたいな。
なるほど。
出しシリコンバレーでしょみたいな感じですね。
そう思うとUCパークレーってなりますよね。そのシリコンバレーと出せるプログラムっていうところのオマージュを取っていくと。
そうなんです。MITとかっこいいなと思って、MIT行きたいってちょっとミーハーだと思って、
MITの全プログラム、マスタープログラムの一覧見ながら行けそうなとこないかなと思ったんですけど、あんまこれってピンとくるのがなかったですね。
でもそんな中でパークレーだとそれなりに名もあるし、かつシリコンバレーにもアクセスできるしってところで割と最適化に近かったんじゃないですか?
ああ、そっか。日本からあとマイナス16時間か。
アメリカ時間で朝9時、夕方5時みたいな感じでの授業っていうのが、日本時間だと午前1時からみたいな感じになるんで。
そうですね。超注意が来て。
もちろん先生たちも色々なオプションを用意してくれてて、録画でいいとかね。
やってましたけど、録画したビデオを見ててなんだろう?みたいな。これなんだろう?って気持ちもなるし。
やっぱ同級生とも仲良くなれないし、なんか留学とは?っていう感じになって。
確かにな。国内でオンライン講座受けてるのと一緒ですもんね。
しかも同期ですらなくて、非同期となるともはや何なんだっていう感じなんで。
まあ頑張っていこうと思って。ほんとその時なんか日本よりカリフォルニアの方が感染者数多いみたいな感じだったんですけど、これちょっと行かなきゃまずいというところで頑張って出しまして。
バークレーのキャンパス、今の時期行くとめっちゃ人いますけど、当時2021年1月は誰もいなかったです。
やっぱそうなんですか。
誰もいなかったです。
着いた着いた!って言ってキャンパス見ようとか思って行ったんですけど、学生外的なところだけど人全然いない。
そんな感じだったんですね。
だからいまだに、今でも時々学生の案内とかでバークレーのキャンパス、学期中に行ったりするんですけど、あふれんばかりの人を見ると嬉しい気もします。
これが本来の姿だって。
そうか、僕はその本来の姿しか知らないんで。
そうですね、その壮絶な機構を目の当たりにされたんですね。
そうなんですね。
そういう意味では、教育館の変貌があった時期で、それを見た上で今を見ると感動があるわけですね。
そうですね、そうですね。
あと自分もコロナ政策というか、コロナの時の社会の状況っていうのを、日本の状況とアメリカの状況を両方見れたのが良かったかなという気がします。
確かに、それこそちょっと話は脱線しますけど、僕はじめ2022年の8月、古川さんがもうこっち働き始めてるぐらいですかね、に来たんですけど、
初心生の衛生関連の違いにびっくりしました。日本だったらスーパー入ったら、あの時期必ずジェルがあって、ジェルで手を拭いてから必ず入ってくださいみたいな状況だったんですけど、サンフランシスコ全然ない。
今でもちょっとあるとこありますけどね。
残ってるとこあります。
ディスペンサーというか消毒液入れだけあって、こっからになってるんですよね。
そうそうそう。
こっからになってて入ってないっていう。
やっぱり今思うと、ホールフーズとかみたいなスーパーはまだある。
カラカラになってるときもありますけど、もうちょっとローカルな、雑多なとこだと全然なくて。
で、僕その後3日、来て3日か4日後にコロナになるんですけど。
ああまあなるかと思って、ちょっと泣こくしました。
でもこれぐらい国ごとの衛生感で違うんだなっていうのをすごい学びました。
確かにね。しかも今思い出したら全然ワクチンって全然2020年じゃできてないな。
できてないっすね。
今思ったら。だって受けたの2021年ですもん。
まああとそのやっぱりリスクの高い人しか受けて、その後若者にまで回ってきたのが。
そっか。
自分だってアメリカでワクチン受けましたもん。
そっかなるほど。当時はだから渡航するときにそれはいらなかったんですね。
なかったから。そういうのはなかったですね。
まあそれ無理ですもんね。
発熱してないこととかそんなレベルで。
でアメリカに来て、毎日あれだ。毎日スクリーニングみたいなのをしなきゃいけなくて。
へえ。
今日のなんか咳してませんか熱ありませんかみたいな。はいいいえはいいいえってやって。
あった。
でなんかOKクリアってなると、食堂に行くときにそのクリアを見せなきゃいけないとか、
体育館に入るときにクリアを見せなきゃいけないみたいなのがあったなあ。
懐かしいですね。確かにそこのシステム、スクリーニングのシステムって日本だったら紙ベースでやってるところもありましたけど、
こっちアメリカ来てからなんかデジタルベースでそこデジタルトランスフォーメーション進んでんのかなってちょっと思ったところもありました。
日本に帰国したときに空港に人居すぎ。分かります?空港の感染対策用スタッフというのがいるんですよ。
こちらですみたいな。この紙記入してください。レモンの絵見ながら唾液出して。
検査して。
こちらでお待ちください。はいどうぞみたいなのが手発次みたいな。
なるほど。
もうなんか一人に一人ついてんじゃないかって。
そんなになんですね。
人がいたなっていう気がしましたね。
そういう意味でもやっぱり衛生感というか、敏感さっていうんですかね。分かんないですけど。国民的にはそっちの方がボーダーセキュリティとして安心ですけど。アメリカは緩いのかなってちょっと思いましたね。
アメリカは緩そうではありましたね。ただデジタル技術の活用みたいなところは真似できるところがありそうだなっていう気がしますね。
なんかそういう意味でもそういう情報データサイエンスを実際学びに行った時の、なんか社会実装されているものの差っていうものを感じれる事例なのかなって思ったりもするんですけど。
確かにそうですね。アメリカで行政手続きって基本全部オンラインなので、自分そのサンフランシスコの市役所とか行ったことないですもん。
ああ確かに。ないですないです。
日本で市役所に一回も行かないのは無理じゃないですか。
一番初めに行きますもんねまず。
そうそうそう。
転出?転入届きを?
よく見るとあれ?みたいな。
確かに。
アメリカで区役所とか市役所行ったことないなって。
うんうんうん。確かにそこは差があって、実際実社会レベルで、どこまで運用が進んでる進んでないを現地で学べるっていう学びはあるかもしれないですよね。
自動車の運転免許の筆記試験。自分が来た頃はDMVっていう自動車局に行かないと受けられなかったんですけど、この数年で変わって今オンラインでも受けられるようになって。そこも気づいたらあっという間に変わってた。
DMVいっぱい行かれましたもんね。
筆記試験は普通に取ってるんで。
2回受けて、2回届きますもんね。
でも1回、メガネの度が弱くて危なかった。
そういうことはあるんですか。
あれ一応視力検査もあるんですよ。
なるほど。
更新か何かの時に。更新だからテストとかあるって思わなくて行って、そしたら視力検査するからって言われて。弱い方のメガネで行ってた。
やべえ。
一生懸命こう。
薄めしてね。
何度もパスするっていう。
それが一番危なかった。
確かに危ない、それ。
そうやって実際2021年に来て、日本とアメリカのシステムの差だったりとかを見ながら学び始めていくわけですよね。
21年の1月から、家庭が終了したら22年の5月になる。
そうです。
その間ってMBAとかインターンとか必須であると思うんですけど、やっぱりずっと座学になるんですか?
うちのプログラムは夏休み、普通に他のプログラムと一緒で3ヶ月くらい夏休みあるんですけど、インターンは必須ではなかったです。
なるほど。
自分はインターン、動き出しが遅かったんですよね。これもちょうどみんながインターンに申し込んでいるタイミングが引っ越ししてたっていうのもあるのと、
あとそれこそ本気で最初からアメリカに就職する気だったら、そこでめっちゃインターン探してます。
確かに。
でも、自分は別に就職するとかって思ってなかったから、いろいろな経験しようみたいなふうに思ってて、
ただ、ためになりそうなボランティアみたいなのをやってましたね。コロナ関係のプロジェクトというか、各国のコロナ対応を比較するために資料を作る。
具体的にどういうことかっていうと、日本語で出ている資料を翻訳する、英語に翻訳するっていう、日本のコロナ対策指針みたいなのあるじゃないですか。
日本語で書かれてるから、当時チャットGBTとか前からパッとわかんないじゃないですか。
だからそれを英語にして、なんかおかしな英語になってないかとかを見るみたいな。
へー、なるほど。
そういうのをやったりしてましたね。
そういうボランティアというか研究会、何なんですかね。
それも無給インターンみたいな感じでしたね。
その中、どっかの大学がやってるプロジェクトの一環のやつでした。
そういうのってどう見つけてくるんですか。
大学の求人サイトみたいなので検索する。
へー、で出てくるんですね。
そうそうそう。
面白い。
普通はインターンは1、2月ぐらいから動き出すんでしたっけ?
いや、前ですね。
もっと前か。
そうかそうか、秋口ぐらいから動かすのか。
アメリカの大学院というか、うちのプログラムは8月末から始まりますけど、
もうプログラムが始まったら、インターンの就活も用意したみたいな。
そうだそうだ、MBAの人も同じこと言った。
そうです。
もう何も学んでないうちから、もうインターン探さなきゃいけない。
まだ2本いますもんね、その時は。
そっか、じゃあ1月に来た時点では、もうインターン間に合わないから、そういう。
そういう感じですね。
夏を有意義に過ごそうと思って。
あと授業をちょっと取ろうとしたりとか。
でも高いんですよ。
追加料金かかるんですか。
そうなんです。サマーは普通は中休みだから、
サマーに授業を取りたかったら、普通に自費で取らなきゃいけなくて。
へえ、1コマ100ドルとかそういう感じで。
1コマ100ドルくらいですね。
だからその、一学期というか、単位取ろうと思ったら、普通に何か1000ドル。
まあそうなりますよね。
授業かかるんで、えーっていう。
その時厚労省からの給料でやってるんで、普通に赤字みたいな生活なんで。
そっか。
いや嘘です、赤字は嘘です。
家賃が安いアパートに住んでたので、全然赤字じゃなかったと思うんですけど。
またあと1ドル110円とかの時代ですよね、当時。
そうですそうです。
自分がラッキーだったのは、留学してる時円の価値がまだまだ高くてというか。
なんなら1ドル103円の時やりましたよ。
あ、本当ですか。
はい。
すごー。
あ、この時に留学しておけばよかったーって。
110円くらいの時にあーとか思ってましたけど、今思えば。
そうですね。今150円とかですからね。
そうそうそう。あるよあるよという間に。
変わっちゃいましたね。
えー。
で、そうやってボランティア活動というか、そういうのに参画したり授業、プログラムをこなしてるうちに、
なんかだんだん考えは変わっていって、アメリカにいようという風になってくるんですか?
そうですね、そうですね。
まあなんかいろんな要因があるんですけど、
うんうん。
まあ1年過ごした時点で、このままもう1年ここで、
まあなんかのんびりというか過ごして、日本に帰っても、
なんかあんま持ち帰れるものないんじゃないかなっていう。
ああ。
ご自身のスキルは上がってるけど、なんかそれを組織レベルで何か還元できる感じ、実感はなかったって感じですか?
そうですね、そうですね。
なんか自分はその時あんまり、プログラミングを勉強するみたいなことと、
なんかアプリを作るみたいなこととの関係性っていうか、があんま分かってなくて最初の頃は。
その授業を受ければ、なんかアプリが作れるようになるみたいな風に思ってたんですけど、
必ずしもそうではない。別に嘘でもないんだけど、授業でアプリ作ってるしなくはないんだけど、
あとその座学でやることと、実際の企業でやることってちょっと違うよねっていうのがあって、
だから他の人たちは民間企業でインターンしてるんだなーみたいなっていう学びもあったし、
そう思った時に自分公務員、なんかその全部、でも自分公務員だからできないわみたいな。
なんか周りからインターンしないなとか言われても、いや自分公務員だからみたいな感じで、
その兼業というか副業みたいにできないから。
っていうので、なんかそれでめっちゃ可能性狭められちゃってるなっていう。
そっか、なるほど。
僕たちは1年目で学んだことを夏に民間企業持ってって、実際会社で揉まれることによって、
アメリカでお金をもらってやる仕事と、お金もらわないでやる仕事だって、
お金もらってやる仕事の方が面白いって言ってるんですよね。
まあそうですよね。
大抵の場合においては。
だから、そこを経験してないと何も経験してないなぁみたいな気持ちになってしまって。
ずっとお客様って感じですよね。
そうそうそうそう。
で授業は授業だけど、自分が公務員時代を振り返ってみても、
法学部の授業で学んだことと厚労省で働いて学ぶことって全然違うから、
その日本の大学に入学して法学部の授業を取ったんで、
自分は日本の法律が分かりますは嘘じゃないけど、
それと厚労省で1年働きました、じゃあ全然違うよねって思ってて。
アメリカのアプリを作るみたいなものへの解像度にしても、
実際の企業で働いてみないとわからないことが多いんじゃないかなというか、
自分がそのIT的なものに憧れた背景の一つには、
手元で作って試せるみたいなものもすごく良くいいと思ったし、
それってカルチャーも含めてなんですよね。
なるほど。
技術的にちゃちゃっと作ることができるっていうことと、
ちゃちゃっと作ろうという気概みたいなのがあると思うんですけど、
それってやっぱ中に入ってみないとわかんないし、
基礎が固まらないなみたいな気がしていて、
授業で学んだだけの状態で、
日本に戻ってプログラミングをする機会のない厚労省に行ってしまうと、
学びかけてたものも消えちゃうなというか。
なるほど。生かすタイミングがないですよね。
もっと自分が確立した状態。
応用の仕方とかが分かっている状態で戻った場合は、
厚労省がこういう問題に対して、
私の技術でこういうことが実際に実現、
経験からも実現できますよっていう提案ができるけど、
今は座学の知識とかしかないから、
なんとなくこういうのできそうだなわかるけど、
じゃあいざ実行しようと思うと、
どのくらいの時間がかかるかも想像つかないしみたいな。
そうですね。
当たりだすかね。
もともとが学部で、情報系の学部とかにいて、
学生時代から企業でインターンとかしてて、
アプリとか作ってましたみたいな人が、
けど新卒で厚労省入りますだったら、
全然やれることはあるような気がするんですけど、
自分の場合はこの大学院の、
しかもコロナ中の中途半端な経験の2年間で戻っても、
むしろこの2年間で学びかけてたものが消えちゃって
もったいないのくらいの感じで。
実際に行動に移していくわけですよね。
そこの決断ができたところで、
ある程度将来設計だったり、こういうことを今後やっていきたいっていうイメージがついたところで、
じゃあ実際に退職して、
かつアメリカで就活を始めるのが2021年の後半ぐらいの話になるんですか?
そうですね。就活は秋冬からぼちぼち始めていて、
ただアメリカでの就活っていうのも全然、
どんなことから始めていいか分からなかったので、
確かに。
日本の就活はかなり違う。
日本だったら陸ナビ、マイナビみたいな就職サイトみたいなところに
エントリーシートを応募して感じだと思いますけど、
アメリカにもそういう就職サイトみたいなのもあるけど、
結局は各企業のサイトにガンガン応募していくっていうスタイル。
かつ新卒採用、一括採用みたいなのがあるわけじゃないから、
ジュニアレベルみたいなやつとかを自分で見つけて応募していくっていうスタイル。
ジョブ型だから、ジュニアエンジニア募集みたいなところに応募していくような感じ。
そうです。でもどんなところでも大体経験1年以上とか。
やっぱあるんですね。
そうそうそうそう。
なんか初心者歓迎って書いてある給仕なんかないですよ。
まあまあ即戦力はやっぱ。
そう。ってなってるんで、
そういうアメリカ就活の難しさ厳しさみたいなものもやってみて、
なるほどなーみたいなやってきながら学んでいくっていう感じ。
結果として得られた触手が、
ハーストリーバブリックバンクっていう今はなき銀行のデータエンジニアのポジションだったんですけど、
これは一応ニューグラッドのロール。だからその新卒。
一応あったんですね、そういうのが。
そうですそうです。なくはない。
ニューグラッドとしての新卒としての採用でしたね。
なるほど。結構倍率的に周りは理系出身でデータサイエンスの研究家を出てるような人が多分相手になってくると思うんですけど、
勝てるものだったんですか?
ね。でも数ですよ数。
なるほど。
数応募するしかないのと、今自分アパートの入居証募集してるわけですけど、
結局やっぱ最初に応募すること。
なるほど。
やっぱその後から来た人はもう普通にそれだけでチャンスないですね。
そっか。先行者有利の法則がそこまで立つんですね。
そうだし、アメリカはある意味ですごく学歴社会なので、
私はUCバークレーで情報学の修士を持っていますって言うと、それはやっぱ非常にプラス。
なるほど。追ってなるわけですね。
そう。だから実務経験はないけれども、その修士号2年間、2年間のマスターの経験がありますっていうのはプラスに働いたかなと。
あとたまたま、たまたまではないな、面接担当した上司にあたる人が、もともとコロラドの州政府で働いていた人で、州政府のエンジニアだったんですけど、
そういう結構ガバメント系の仕事に対して好意的な目線があった。
市政府で働いてたってことはなんかしっかりした人間だろうみたいな。
あと自分が受けてたのが銀行だったから、なんかちょっと相性良さそうみたいな感じかな。
それは銀行とかのある程度会社の方向性も、勤めたい会社の方向性も見定めながら就活していくものですか?
いやいや、もう数打ちや。
とりあえずデータサイエンティストとして働けるところ。
あと自分でも正直、自分がどんな形で会社の役に立つのかわからなかったというか、自分はどの路線で行くのが良いのか。
例えば厚労省だからヘルスケア系で行った方がいいのかとか、日経のところを目指した方がいいのかとか、いろんな観点があって、
どれもあり得るなと思ってたんで、相手に決めてもらおうと思って。
いっぱい応募して。
そんな通ったところが適正があるところなんだってことで。
なるほど。
その考え方はちょっと納得できます。
わかんないですもんね。いろいろそうやってフックがある古川さんだから。
通ってみたらなるほどね、今話したような。
お固めの職種だったとか、上司がそういう人だったみたいなのがプラスだったんだろうなと。
そこで相性があったんですね。
でも、ファーストリパブリックマンクってどのくらいスパンで潰れちゃったんですか?
1年後くらい。
1年後ですか?
1年後潰れるとなると、いわゆるレイオフになるんですか?
ファーストリパブリックマンクは2023年にまず潰れるわけですが、厳密に言うとまず潰れる、倒産して、
FDICっていうアメリカの、でも独立した銀行じゃなくなって、連邦政府管理下みたいなのに入るわけですよね。
なるほど。
なるほど、破産後の管理みたいな。
その後、このファーストリパブリックマンクの亡骸みたいなの誰か引き取ってくれませんか?っていうのが行われて、
結局、J.P.モルガン・チェイスっていう大きな銀行が買い取って、
ファーストリパブリックマンクは今チェイスの一部になりました。
なるほど。
チェイスの一部になるにあたって、人こんなにいらないよねっていうことで、バサッと人が減らされて、
自分もそこでレイオフされると。
お互いに良かったら、
秋も是非みたいな感じではあったんですけどね。
なるほど。
けどその間に別のところが決まったんで、
そっちに行ったっていう感じです。
なるほどなるほど。
そっか、それが2022年の10月。
2023ですね。
あ、23か。
2023、10月。
そっか、そこから働き始めて、パラワルドに通う生活が。
そうですそうです。
その時はもうこの家住んでたんでした?
いや、その時はまだデイリーシティに住んでました。
デイリーシティですね。
サンフランシスコのちょっと南のところで、
ルームシェア的な感じで。
あ、でそこがなんかむちゃくちゃ安くて、
なんか快適じゃないとこでしたっけ?
ちょっと言い方があれですね。
まあ安いは安い。
安いは安い。1000ドルぐらいで。
ベイエリア的にはめっちゃ安いです。
めっちゃ安いですね。
ベッドルーム、自分の寝室はあって、
バスとキッチン共有みたいな感じですけど、
ルームメイトはいない時もあったんで、
一人で使ってる時もありました。
いいですね。
でもその中で、
だんだんもうちょっと別の部屋に行ってみようっていう風になって。
そうですね。
やっぱちょっとそのOPTの終わりが見えてきたみたいなのがあって、
OPTで3年間アメリカで働けるんですけど、
2年目とかになってきたっていうのもあって、
このままずっとアメリカに残るのか、残れるのか、
残りたいのかもちょっとわかんないなってなった時に、
1回ぐらい贅沢な暮らしをしてみようかなと思って、
綺麗なアパート探そうと思って引っ越してきました。
なるほど。それが今のこの綺麗なアパート。
そうですね。
すごいですもんね、ここ。
家賃高いけど、コスパはいいっていうか、
1ベッドルームにしては高くないし、
このリッチとこの綺麗さといいジムとかあって、
ついてますもんね。
全然活用できてないけど。
そういう季節があってここにたどり着くわけですね。
そうなんです。
もともと近くに友達が住んでたっていうのがあって、
このエリアいいなと思ってて。
で、職も安定してるんですかね。
それもありますね。だから10月に新しい仕事始めて、
でもさすがに一番レイフでビビってるから、
一応アメリカも使用期間みたいなのが3ヶ月とか
あるんですね。
あったりするので、
なんかクビになったらどうしようと思いながら過ごしてて、
でも3ヶ月経ってクビにならなかったんで、
じゃあ今の仕事前提に部屋探すかなと思って。
それが24年の始めぐらいになるわけですね。
そうですね。
で、そこから僕と出会ったりとか、
この僕らの界隈に。
この辺に来たことによってUCSFの人たちと仲良くなった。
そうですね。一緒に鍋したりとかするようになって。
ご近所なんでね。
UCSFの寮というかが徒歩1分くらいのところなんで。
めちゃくちゃ近いですもんね。
そういうふうに仲良くしていただけるようになって、
そうやって順調に働きながら。
で、よく僕らと飲んでるときに、
その時にその時代話題になったのが、
じゃあOPTがもうすぐ切れるぞ。さあどうしようみたいなとこでしたよね。
そうなんです。そうなんです。
普通は労働ルートとしてはH-1Bっていう労働ビザに応募すると。
で、切り替えていくっていうのが普通なんですけど、
このH-1Bが抽選なんですよね。
会社がお前採用働いてくれって言われて、
会社がH-1Bの応募って会社からしかできないんですけど、
会社が応募してくれても、結局国全体で上限が決まってて、
それを超えちゃうと、
まってか、絶対超えるんですよ、金は。
抽選になるので、要はアメリカで労働できるかどうかは運次第。
しかも10%?20%くらいでしたっけ?確率って。
そんなに高くないですよね。
今年とかはそのくらい。15%、20%くらいでした。
だから昔はもうちょっと高かった。
30%とかあったかもしれないけど、今はそのくらいなんで。
だから3回連続、OPT3年あるので3回応募できたんですけど、
3回応募してもまあまあ外れる。
っていう中で、ビザの問題とかを考えながら、
選択肢として帰国っていうのも当時からあったと思うんですけど、
例えばアメリカいたいけどどうしようみたいな。
そうですね、仕事というか、
エンジニアとして働くことはかなり楽しいなと思ってて、
で、せっかくだったら、
まあやっぱりいろいろ最先端のものに振られる、
米エリアでエンジニアやるっていうのはいいよなとは思ってましたね。
当時、仕事はもう全然利点から始まった古川さんが、
バークレーでスキルをいろいろ身に付けていくわけじゃないですか。
で、実地で修行を重ねていって、
多分2年3年とか重ねていったと思うんですけど、
その段階ではもうエンジニアとして、
それにできるぐらいのスキルはもうあったんですか?
普通に。
結局、仕事で使うスキルは仕事で学ぶスキルという感じがしていて、
その会社でやる作業というか、仕事になれたっていう感じですかね。
で、バークレー時代に作れる側がかっこいいっていう風に見えてたっていう話でしたけど、
実際にそっち側に行けた実感もあるんですか?
でも正直、会社の中でも最初から最後まで一人でやることってないから、
そのアプリ的なものを作るっていう大きな工程の中の一部分をやってるだけなので、
なんかもっともっと他の部分も分かるようになりたいなって気持ちは出てきましたね。
そうか、あくまでチームの中でこの部分を担当して、
そこをコンプリートしたっていう実感になるんですね。
ちょっとそこの物足りなさはあるんですね。
物足りなさっていうか、まあまあそうですね。
だからそれもあってというか、
チャットGPTが出てきた後に、
自分でiPhone用のアプリを作ったりとかして、
それを結構最初から最後までっていうか、
実際にApple Storeで出してみたいなところまでやったのは結構面白かった。
そっか、コーディングから始めて最後にリリースまでを、
個人単位とはいえちゃんと経験できたってことですもんね。
そうそう、だからアプリそのものもそうだけど、
じゃあデータベースはどうしようとか、
サーバーどうしようみたいなのとかを考えて、
全部最初から最後までやる。
一人とチャットGPTとで、2人3客とでやるっていうのはかなり楽しかった。
今ヘラリのViveコーディングみたいなことですよね。
まあまあそうですね。
走りというか。
実験的に自分が全く使ったことないプログラミング言語で作ってみようと思って、
スイフトでやりました。
スイフトとか触ったことなかったけど、
てかそもそも自分Webアプリしか作ったことないから、
モバイルアプリって作ったことないけど、
いけるのか果たしてって思いながらやって、
できはするけど、真面目に勉強した方が早いなみたいな。
まあでもそういう違いとかを見出しつつ、
作れる側にステップアップをしていった。
まあでもぶっちゃけ今AIエージェントがすごいから、
やる気があれば誰でもできる気もするけど。
まあでも、気はするだけですもんね。
実際手を動かしてみると、
分かってないまま作るのは、
迷路をランダムに解いてる感じ。
なんかランダムに壁にぶつかりながら迷路を解いてる感じしますね。
僕も仕事でプログラミングよくするんですけど、
そんなに僕も分かってないので、
ChatGPT使いながらだいたいコーディングするんですけど、
まあChatGPTで書いた時に、