2025-10-27 56:39

#74 “こっち側”になった理転ITエンジニア【政治政党員 古川あおいさん 中編 (2/3)】

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今回は、日本の政治政党員 古川あおいさん(@AoiFurukawa)を迎え、UCバークレー大学院への留学からアメリカでのITエンジニアとしてのキャリア形成の道筋を辿っていきます。


【この配信は特定の政治政党や政治思想を支持するようなものではなく、キャリアの変遷を伺うことを目的としています。】

古川あおいさん

🗒️ 詳細な紹介

https://note.com/annotakahiro24/n/n4c8951395670


▶️ Youtube

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https://www.instagram.com/aoi.furukawa/


★Special thanks

35歳、右に行くか左に行くか

バイオステーションポッドキャスト


🗽トピック🗽 

AIという言葉の魔法に踊らされたくなかった/UCバークレー/ロックダウン下の留学アメリカに残る?/エンジニアキャリアへの転身と厚労省退職/アメリカでの就職活動/銀行破綻とレイオフ/エンジニアとしての成長



2025年10月のアメゴーのテーマは「クレイジーキャリアジャーニー」。あまり聴いたことないキャリアの変遷を生き抜いてアメリカを経験されているゲストをお迎えし、貴重なその旅路を一緒に辿っていきます。

テーマに合わせてLinkedInで公式ページを立ち上げました!こちらでも仲良くして頂けると嬉しいです☺️

https://www.linkedin.com/company/american-night-gold

サマリー

ポッドキャストの第74エピソードでは、政治政党員の古川あおいさんがアメリカ留学の経験について語ります。彼女はUCバークレーに進学し、都市の特性や経験を通じてデータサイエンスの重要性やアメリカの教育システムについての洞察を得ています。古川あおいさんの留学経験は、コロナ禍における日本とアメリカの状況の違いを強調しています。また、リモート授業やキャンパスの変貌を通じて彼女が感じた感慨深いエピソードが展開されます。古川あおいさんは、アメリカでの学びやボランティア経験を通じて、自身のキャリアについての考え方が変化していく様子を語ります。公務員としての限界を感じながらも、ITエンジニアとしての道を模索し、実践的な経験の重要性に気づく過程を描いています。古川あおいさんは、厚労省を辞め、アメリカでの就職を目指す中でエンジニアとしてのキャリアを築くことについて考えています。彼女は独自の経歴を活かし、データエンジニアとしての雇用機会を模索している様子が伺えます。エンジニアとしてのキャリアを歩む中で、古川あおいさんはアメリカにおける労働ビザの課題や就職活動の実態について語り、その経験を通じてテック業界におけるスキル習得や就職後の生活への適応を深く掘り下げています。古川あおいさんはアメリカ留学を経てキャリアを形成する過程について、経験に基づく洞察を共有しています。

アメリカ留学の経歴
アメリカからこんばんは。今回もアメ号の裏方がお届けします。
この番組では、通常アメリカ留学4年目を迎えたNAKAMURAが、ゲストをお話しながらアメリカ留学の魅力を再発見し、お聞きのあなたにおすそわけすることを目指す番組となっています。
今月10月のアメ号のテーマは、クレイジーキャリアジャーニー。あまり聞いたことのないキャリアの変遷を生き抜いてアメリカを軽減されているゲストを迎えし、その貴重な旅路を一緒にたどっていきます。
今回は古川あおいさん回の全3回中の2回目になります。
今回のお話の中心となるのは、古川あおいさんがアメリカに来てからの話にフォーカスを置いて話していこうと思うのですが、
その中でいろんな地名が出てくるので、少し今回はこの時間で紹介させていただこうと思います。
このアメリカンナイトGOLD、通常のパーソナリティのNAKAMURAだったり、私裏方はサンフランシスコという街に住んでいます。
古川あおいさんも帰国する直前、この後流れる音声を録ってた場所もサンフランシスコでしたね。
ただ古川あおいさんはサンフランシスコだけではなくて、バークレー、ハローアルト、デイリーシティみたいなね、いろんなところにいらっしゃった経験があったりするので、
その辺の地名をChatGPTさんにお願いして、日本で例えるとどうですかということで、
日本に例えた場合の都市の位置関係とか都市の特徴についてまとめてもらいましたので、ご紹介させていただこうと思います。
まず今回はこのサンフランシスコを東京と見立てて説明してもらいました。
政治、文化、観光、ITカルチャーの中心となっている街で、狭い範囲に観光地、オフィス街、住宅街が凝縮した街、
坂道が多く、昔ながらの建物とモダンな高層ビルが混在、
例えるなら渋谷プラス銀座プラス浅草が一体化したような街と表現されています。
そうなんですよね。アメリカ映画で見るようなデカい道があるような街ではなくて、
むしろなんか日本に近いような道路の幅で少し安心するというか、アメリカらしくないというか、そういう都市かもしれないです。
では古川さんが進学されたUCバークレーという街はどうでしょう。
バークレーは吉祥寺から三鷹プラス早稲田あたりだそうです。
大学UCバークレーを中心に発展した文教都市、アカデミックでリベラルな雰囲気、古本屋やカフェが多い、
サンフランシスコから電車で約30分、東京から中央線で三鷹に行くような距離感なんだそうです。
ちょっと私たちのアメ号のチームは東京に住んだことがないので、この建てがどれだけなどなのか判断しかねないのですが、
そういうアカデミックな街がバークレーだというふうに表現されています。
その後古川さんが働いたパルワルトという街はどうでしょう。
筑波プラス田園町府のハイブリッドだそうで、
スタンフォード大学の大学町でIT企業の聖地、いわゆるシリコンバレーと呼ばれるところの心臓部にあたるのがパルワルトという街。
美しい住宅街と研究機関が並ぶ高所得エリア、サンフランシスコから車で約1時間、電車でも行けるんですけどね。
東京から筑波の研究都市や田園町府、過去高級住宅地に行くイメージなんだそうです。
もう一つ、デイリーシティという街を紹介させてください。
こちらの川崎大田区西船橋あたりなんだそうで、サンフランシスコのすぐ南に位置する住宅都市。
通勤圏内で家賃が比較的安くアジア系住民が多い。
そうなんですね、アジア系スーパーとかあってたまに行くんですよね、デイリーシティ。
東京から川崎、蒲田あたりに出る感覚なんだそうです。
みなさんもこれらの都市のイメージついたでしょうか。
そういう形でサンフランシスコ、バークレ、パルワルト、デイリーシティといったたくさんの都市の名前が出てくると思いますが、
みなさんがイメージする市場になれば嬉しいです。
UCバークレーの特徴
というわけで今回も政治正統院の古川葵さんをお迎えします。
というわけで今回もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD
というわけで、その前にまずどうしてデータサイエンス賞となったのがいいんですけど、バークレはどういう感じで選ばれたんですか。
さっき学部のところで説明しましたけど、自分はもともと文系なんですね。
大学院留学するってなった時に、実際はデータサイエンスでしょっていうか、
役所の霞ヶ関とか厚労省とかにデータとかITとかそういうこと分かってる人が必要だなって思ったと。
でもそういうことを勉強したいってなった時に、マスターボデータサイエンスとかそういうプログラム、マスターボインフォメーションみたいなプログラムがあるけど、
それってコンピューターサイエンス系とか、いわゆる理系系の学部というかスクールになるんですね。
ってなった時に、あなたは学部レベルのエンジニアリングのディプリを持ってますかとか、
あなたは大学学部レベルの数学を得てますかとかって言われると、ないですねみたいな。
自分が経済学部とかだったら、数学やってますとか言えたかもしれないけど、
法学部であんまり対して統計とか数学とかやってなかったんで、そこら辺が結構足りてないんですね。
なるほど。
だから出願ができないプログラムが多くて。
へえ、そっかそこで足切りじゃないですけど、かなり選択肢が狭まるんですね。
そうですね。ただ今思えば、アメリカに来ていろんなものを見ると、だいたい言えばなんとかなる。
自分は職場で実務でデータバリバリ見てましたけど、言えば全然いけたなっていう気がするけど、
その時は素直に募集要項にダメって書いてあるからダメなんだって思って、
そういうところは選択肢が除外して、そんな中でバークレーとかミシガン大学とかもそうなんですけど、
マスターボインフォメーション系のプログラムが文系も理系も融合というか、学際的なプログラムで、
情報、コンピュータサイエンス学部じゃなくて、インフォメーションってちょっと抽象的な感じなので、
ゴリゴリにプログラミングする人だけじゃなくて、情報と社会について考える人とか、
必要だよねみたいな感じで、ちょっとその分離の垣根を超えた幅広い人材歓迎です、みたいなプログラムだったんで、
これはいいなと思って。
そう思ったら確かにそこのプログラム超適合しますもんね。
そうなんです。あとは他の省庁の人で何年か前にそこに留学してた人っていうのがいて、
留学の体験談みたいなやつを記録として書かなきゃいけないんですよ。
なるほど。
それの冊子というか資料があるんですけど、その資料を見た時に役所からの留学で、その人の体験記のところにプログラミングでアプリ作りましたみたいなの書いてあって、
そんなことができるプログラムあるんだと思って、そういうところに憧れがあったんで、いいなやってみたいなと思ったっていうのもありますね。
やっぱそうやって考え始めたのは、なんか実務レベルでデータサイエンス的な知識欲しいなってやっぱりなったことがある。
データサイエンスっていうよりかは、なんかそのAIという言葉の魔法に踊らされたくなかったというか、
なるほど。ちゃんと実態をつかみたいみたいな。
そうですね。その政治の方の人たちはちょっと踊らされてる感じがあったというか、AIで何とかしてよみたいな要望が来るんですよ。
はいはいはい。
役所の担当者としてはあんまりそのAIの何たるか分かってないし、いきなりなんか去年までできなかったこと、今年何かできてることっていうのは、
自分がいた介護の部署とかだったんで、そういうのはなんかなくて、でもAIでこんなことやってますって言わなきゃいけない。
みたいなみんなでヒーヒー言ってて、なんだこれみたいな。
そう、アピールしなくちゃいけませんもんね。
そうそうそう。これってなんかなんだろうなみたいな。こういう時になんかできますとかできませんとか言えたらもっといいよなみたいな。
AIってこうで、みたいなこととか言えたらいいよなっていうのがあったし。
あとその資料とかを出していく中で、自分が厚労省にいた頃って結構統計とかが問題になったりした時期で、統計が正確じゃないみたいな話とかそういう問題もあった時で、
あれはいろんな要因があると思いますけど、その中で思ったのが、やっぱ役所ってデータを出す側ではあるんですけど、
あんまり手を動かして分析とかを自分たち自身はやらない。
なるほど。受け取って、でそれを請求されたら出すみたいな。
だからその紙のアンケート結果みたいなやつを集計して、これが日本のなんとか統計です、ボンって出すけど、
そのなんとか統計を見て、そこからトレンドとかを叩き出すみたいなことは他の人たちがやってるので、
こんな形のExcelで公開されても見づれえよみたいな、使いづれえよみたいなところっていう視点がちょっと欠けてるような気がしていて、
それもったいないなと思ってましたね。
なるほど。で、プラスでしかもアメリカにっていうところもあるんですか?
そうですね。それはやっぱりデータとかテックとかやるんだったらアメリカでしょみたいな。
なるほど。
出しシリコンバレーでしょみたいな感じですね。
そう思うとUCパークレーってなりますよね。そのシリコンバレーと出せるプログラムっていうところのオマージュを取っていくと。
そうなんです。MITとかっこいいなと思って、MIT行きたいってちょっとミーハーだと思って、
MITの全プログラム、マスタープログラムの一覧見ながら行けそうなとこないかなと思ったんですけど、あんまこれってピンとくるのがなかったですね。
でもそんな中でパークレーだとそれなりに名もあるし、かつシリコンバレーにもアクセスできるしってところで割と最適化に近かったんじゃないですか?
教育システムの課題
そうですね。パークレー日本だとあんまり有名じゃないっていうのがちょっと寂しいところではあるんですけど、
そうなんですね。そっか。
UCでもUCLAの方が知られてません?
えっそうなんですか?
自分もUCLAは知ってました。
あっそうなんですね。
大学生ぐらいの時。UCバークレーは聞いたことなかった?
僕はバークレーという名前は知ってました。
それは音楽大学院じゃないですか?
ですかね。なんかUCがつくのは知らなかったですね。確かに。こっち来て、バークレーってここなんだと思って、UCバークレーなんだと思って。
系列で一緒なんだと思ってびっくりしました。
ああ、なるほどね。UCSFと。
そうそうそう。一緒の系列でバークレー知ってる知ってると思って。
そうなんですね。ちょっとねその知名度が残念。もしかしたら近くにあるのがスタンフォード大学とかだから。
そうですね。スタンフォードの方がやっぱり目立っちゃいますね。
そうそうそう。そもそもしょうがない部分もあると思いますけど。
でもそれでも全米というか世界で情報とかトップ7とかでしたっけ?なんかかなり上位に入ってますね。
そうですね。バークレー全体も公立大学。バークレーはパブリックユニバーシティなので、公立大学はアメリカでもトップ、いつもトップクラスの評価だし、世界的に見ても研究大学として上位に入ってきてる良い大学だと思います。
本当ですよね。
自分はバークレー好きです。行ってやっぱ好きな学校ではありますね。
で入試とかいろいろ得て、入試が終わったのは2020年の1月とかですか?コロナ対策が始まる前ぐらいに全部コンプリートするぐらいですか?タイムライン的には。
1月とかに電話かかってきた気がしますね。合格通知電話なんですよ。
電話なんですか?インターナショナルでコロナですか?
Zoom面接と留学準備
インターナショナルで電話かかってきました。覚えてますよ。自転車漕いでる時に、職場まで朝の時間。西海岸の午後2時とか3時とかが日本の朝になるんで、朝の時間職場までチャリ通してる時に電話が鳴って、
なんかなんだ?って顔を見ながら出たら、何言ってるかよくわかんないけど多分買ったっぽいみたいな。
その時はまだ曖昧なんですね。
その合格通知の前に書類出して、基本書類がメインなんですけど、面接に呼ばれるみたいなのがあって、それがZoom面接だったんですよ。
そうか、当時はもうZoomあったんですね。
今だったら別にZoom面接すると、はいはいはいって感じじゃないですか。
当時はこのZoomというサービスを使って、オンラインで通話をするから、これをダウンロードしなきゃいけなくて、会員登録してみた。
そっかそっかそっか。
それが自分の初Zoomでした。2020年の1月ぐらいに初Zoomをしましたね。
すごい時代の先端行ってたんですね、当時は。
そうですね。
へー、そんな感じで来るんですね。
そうですね。
で、そこからあれこれありながらも、留学のZoomも同時並行で。
そうですそうです。
ちょ、恐ろしい時期だったんですね。仕事をそうやってクレイジーになってて。
だから英語とかも本当はもっと勉強してから行きたかったし、プログラミングとかもデータサイエンス的なことも予習をもっとしてから行きたくて、
東京大学松尾県のやってる社会人向けデータサイエンス講座みたいな講座があって、それも受講してたんですよ。
あ、そうだったんですか。
受講をしてて、2019年の12月とかは課題をちゃんとやってたんですけど、1月2月になったら課題が出せなくなって、なんかもうフェードアウトしてしまいましたね。
いや、さすがに業務とそういう留学の準備と全ては無理ですよね。
そうそうそう。それはちょっと心残りですけど。
でもそんな中で、ある程度7、8月に向けて見切りをつけて行って、業務の方は整理して行って留学に進むわけですよね。
コロナ禍の留学生活
そうですね。
なんかここってどうなってたんですか、その時の。
日本もまあまあ感染状況が良くなくて、アメリカもまあまあ良くなくて、波があって、どっちが良くてどっちが悪いって感じ。
大難波みたいなやつが来たり、こういう形で。
2020年の8月ぐらいの段階では、どうだったかな。なんか行くの?みたいな。行くんですか?みたいな連絡が来たんですよ。
厚労省から。
全省庁宛てみたいな感じで、留学を肩取ってるところから連絡が来て、行く人はなんで行かなきゃいけないのかを掛けみたいな。
自分はもう諦めました。
諦めました?
だから、私都米したのは2021年の1月なんですよ。
あ、そうなんですか。
今学期都米できねえと思って、自分の新編整理終わらなかった。常に自分の新編整理終わらないんですよ。
荷造りをおとなしにしすぎて。
業務業務だったから。
そうなんですよね。
だから、もうこれでアメリカの家探ししながらとかいうのはちょっとしんどいなと思って、東京に残ろうと思って半年間はオンラインで受けてましたね。
あ、なるほどなるほど。だからコースには入ってるけど、インパーソンじゃなくてオンラインで。
そうなんです。
なるほど。
授業もどうせリモートだったんで、最初の1年間はリモートでしたね。
まあそうですよね。2020年のキャンパスロックダウンとかされてますもんね。
だから寮とかも閉鎖してました。
そうなんですか。じゃあどの道行っても入れなかったんですね。
そんな感じですね。
まあ、不幸中の幸いというか。
最初からコロナがなければ忙しくもないから新編整理もできた。
そうかそういう時期だったんですね。
そうですね。だから自分の留学のタイミングって2020年の8月から2022年の5月なんですけど、割とコロナでしたね。
確かに。
1年間は授業ほぼリモートだったし、2年目の2021年からも、言うてまだコロナの気配を常に感じながらの生活で、寮に入ってたんですけど、自分が入ってた頃と、卒業してからも寮のニュースレーターみたいなやつとかインスタとか見てるんですけど、イベントの数が違えよと思って。
やっぱり今は圧倒的にいっぱいありますね。
ピクニックとか映画ウォッチパーティーとかいろいろやってる人もいっぱいやってると思って。自分の時はなかったのに。同じ料金払ってっていう。
確かに。21年、22年くらい確かにそうですよね。そもそも寮に入る人数とかも多分減ってただろうし。
そうですね。本来なら二人部屋のところを一人部屋にしたりとか色々やってたみたいで。
そうですよね。そういう意味で世界的に異常でしたもんね。
そうですね。
1月に渡ろうってなったのはここでさすがにそろそろ行っとくかみたいな感じですか?
そうなんですよ。半年間日本から授業受けてましたけど、やっぱ時差がきつい。
日本とアメリカの違い
ああ、そっか。日本からあとマイナス16時間か。
アメリカ時間で朝9時、夕方5時みたいな感じでの授業っていうのが、日本時間だと午前1時からみたいな感じになるんで。
そうですね。超注意が来て。
もちろん先生たちも色々なオプションを用意してくれてて、録画でいいとかね。
やってましたけど、録画したビデオを見ててなんだろう?みたいな。これなんだろう?って気持ちもなるし。
やっぱ同級生とも仲良くなれないし、なんか留学とは?っていう感じになって。
確かにな。国内でオンライン講座受けてるのと一緒ですもんね。
しかも同期ですらなくて、非同期となるともはや何なんだっていう感じなんで。
まあ頑張っていこうと思って。ほんとその時なんか日本よりカリフォルニアの方が感染者数多いみたいな感じだったんですけど、これちょっと行かなきゃまずいというところで頑張って出しまして。
バークレーのキャンパス、今の時期行くとめっちゃ人いますけど、当時2021年1月は誰もいなかったです。
やっぱそうなんですか。
誰もいなかったです。
着いた着いた!って言ってキャンパス見ようとか思って行ったんですけど、学生外的なところだけど人全然いない。
そんな感じだったんですね。
だからいまだに、今でも時々学生の案内とかでバークレーのキャンパス、学期中に行ったりするんですけど、あふれんばかりの人を見ると嬉しい気もします。
これが本来の姿だって。
そうか、僕はその本来の姿しか知らないんで。
そうですね、その壮絶な機構を目の当たりにされたんですね。
そうなんですね。
そういう意味では、教育館の変貌があった時期で、それを見た上で今を見ると感動があるわけですね。
そうですね、そうですね。
あと自分もコロナ政策というか、コロナの時の社会の状況っていうのを、日本の状況とアメリカの状況を両方見れたのが良かったかなという気がします。
確かに、それこそちょっと話は脱線しますけど、僕はじめ2022年の8月、古川さんがもうこっち働き始めてるぐらいですかね、に来たんですけど、
初心生の衛生関連の違いにびっくりしました。日本だったらスーパー入ったら、あの時期必ずジェルがあって、ジェルで手を拭いてから必ず入ってくださいみたいな状況だったんですけど、サンフランシスコ全然ない。
今でもちょっとあるとこありますけどね。
残ってるとこあります。
ディスペンサーというか消毒液入れだけあって、こっからになってるんですよね。
そうそうそう。
こっからになってて入ってないっていう。
やっぱり今思うと、ホールフーズとかみたいなスーパーはまだある。
カラカラになってるときもありますけど、もうちょっとローカルな、雑多なとこだと全然なくて。
で、僕その後3日、来て3日か4日後にコロナになるんですけど。
ああまあなるかと思って、ちょっと泣こくしました。
でもこれぐらい国ごとの衛生感で違うんだなっていうのをすごい学びました。
確かにね。しかも今思い出したら全然ワクチンって全然2020年じゃできてないな。
できてないっすね。
今思ったら。だって受けたの2021年ですもん。
まああとそのやっぱりリスクの高い人しか受けて、その後若者にまで回ってきたのが。
そっか。
自分だってアメリカでワクチン受けましたもん。
そっかなるほど。当時はだから渡航するときにそれはいらなかったんですね。
なかったから。そういうのはなかったですね。
まあそれ無理ですもんね。
発熱してないこととかそんなレベルで。
でアメリカに来て、毎日あれだ。毎日スクリーニングみたいなのをしなきゃいけなくて。
へえ。
今日のなんか咳してませんか熱ありませんかみたいな。はいいいえはいいいえってやって。
あった。
でなんかOKクリアってなると、食堂に行くときにそのクリアを見せなきゃいけないとか、
体育館に入るときにクリアを見せなきゃいけないみたいなのがあったなあ。
懐かしいですね。確かにそこのシステム、スクリーニングのシステムって日本だったら紙ベースでやってるところもありましたけど、
こっちアメリカ来てからなんかデジタルベースでそこデジタルトランスフォーメーション進んでんのかなってちょっと思ったところもありました。
日本に帰国したときに空港に人居すぎ。分かります?空港の感染対策用スタッフというのがいるんですよ。
こちらですみたいな。この紙記入してください。レモンの絵見ながら唾液出して。
検査して。
こちらでお待ちください。はいどうぞみたいなのが手発次みたいな。
なるほど。
もうなんか一人に一人ついてんじゃないかって。
そんなになんですね。
人がいたなっていう気がしましたね。
そういう意味でもやっぱり衛生感というか、敏感さっていうんですかね。分かんないですけど。国民的にはそっちの方がボーダーセキュリティとして安心ですけど。アメリカは緩いのかなってちょっと思いましたね。
アメリカは緩そうではありましたね。ただデジタル技術の活用みたいなところは真似できるところがありそうだなっていう気がしますね。
なんかそういう意味でもそういう情報データサイエンスを実際学びに行った時の、なんか社会実装されているものの差っていうものを感じれる事例なのかなって思ったりもするんですけど。
確かにそうですね。アメリカで行政手続きって基本全部オンラインなので、自分そのサンフランシスコの市役所とか行ったことないですもん。
ああ確かに。ないですないです。
日本で市役所に一回も行かないのは無理じゃないですか。
一番初めに行きますもんねまず。
そうそうそう。
転出?転入届きを?
よく見るとあれ?みたいな。
確かに。
アメリカで区役所とか市役所行ったことないなって。
うんうんうん。確かにそこは差があって、実際実社会レベルで、どこまで運用が進んでる進んでないを現地で学べるっていう学びはあるかもしれないですよね。
自動車の運転免許の筆記試験。自分が来た頃はDMVっていう自動車局に行かないと受けられなかったんですけど、この数年で変わって今オンラインでも受けられるようになって。そこも気づいたらあっという間に変わってた。
DMVいっぱい行かれましたもんね。
筆記試験は普通に取ってるんで。
2回受けて、2回届きますもんね。
でも1回、メガネの度が弱くて危なかった。
そういうことはあるんですか。
アメリカでの学びと経験
あれ一応視力検査もあるんですよ。
なるほど。
更新か何かの時に。更新だからテストとかあるって思わなくて行って、そしたら視力検査するからって言われて。弱い方のメガネで行ってた。
やべえ。
一生懸命こう。
薄めしてね。
何度もパスするっていう。
それが一番危なかった。
確かに危ない、それ。
そうやって実際2021年に来て、日本とアメリカのシステムの差だったりとかを見ながら学び始めていくわけですよね。
21年の1月から、家庭が終了したら22年の5月になる。
そうです。
その間ってMBAとかインターンとか必須であると思うんですけど、やっぱりずっと座学になるんですか?
うちのプログラムは夏休み、普通に他のプログラムと一緒で3ヶ月くらい夏休みあるんですけど、インターンは必須ではなかったです。
なるほど。
自分はインターン、動き出しが遅かったんですよね。これもちょうどみんながインターンに申し込んでいるタイミングが引っ越ししてたっていうのもあるのと、
あとそれこそ本気で最初からアメリカに就職する気だったら、そこでめっちゃインターン探してます。
確かに。
でも、自分は別に就職するとかって思ってなかったから、いろいろな経験しようみたいなふうに思ってて、
ただ、ためになりそうなボランティアみたいなのをやってましたね。コロナ関係のプロジェクトというか、各国のコロナ対応を比較するために資料を作る。
具体的にどういうことかっていうと、日本語で出ている資料を翻訳する、英語に翻訳するっていう、日本のコロナ対策指針みたいなのあるじゃないですか。
日本語で書かれてるから、当時チャットGBTとか前からパッとわかんないじゃないですか。
だからそれを英語にして、なんかおかしな英語になってないかとかを見るみたいな。
へー、なるほど。
そういうのをやったりしてましたね。
そういうボランティアというか研究会、何なんですかね。
それも無給インターンみたいな感じでしたね。
その中、どっかの大学がやってるプロジェクトの一環のやつでした。
そういうのってどう見つけてくるんですか。
大学の求人サイトみたいなので検索する。
へー、で出てくるんですね。
そうそうそう。
面白い。
普通はインターンは1、2月ぐらいから動き出すんでしたっけ?
いや、前ですね。
もっと前か。
そうかそうか、秋口ぐらいから動かすのか。
アメリカの大学院というか、うちのプログラムは8月末から始まりますけど、
もうプログラムが始まったら、インターンの就活も用意したみたいな。
そうだそうだ、MBAの人も同じこと言った。
そうです。
もう何も学んでないうちから、もうインターン探さなきゃいけない。
まだ2本いますもんね、その時は。
そっか、じゃあ1月に来た時点では、もうインターン間に合わないから、そういう。
そういう感じですね。
夏を有意義に過ごそうと思って。
あと授業をちょっと取ろうとしたりとか。
でも高いんですよ。
追加料金かかるんですか。
そうなんです。サマーは普通は中休みだから、
サマーに授業を取りたかったら、普通に自費で取らなきゃいけなくて。
へえ、1コマ100ドルとかそういう感じで。
1コマ100ドルくらいですね。
だからその、一学期というか、単位取ろうと思ったら、普通に何か1000ドル。
まあそうなりますよね。
授業かかるんで、えーっていう。
その時厚労省からの給料でやってるんで、普通に赤字みたいな生活なんで。
そっか。
いや嘘です、赤字は嘘です。
家賃が安いアパートに住んでたので、全然赤字じゃなかったと思うんですけど。
またあと1ドル110円とかの時代ですよね、当時。
そうですそうです。
自分がラッキーだったのは、留学してる時円の価値がまだまだ高くてというか。
なんなら1ドル103円の時やりましたよ。
あ、本当ですか。
はい。
すごー。
あ、この時に留学しておけばよかったーって。
110円くらいの時にあーとか思ってましたけど、今思えば。
そうですね。今150円とかですからね。
そうそうそう。あるよあるよという間に。
ボランティアからの気づき
変わっちゃいましたね。
えー。
で、そうやってボランティア活動というか、そういうのに参画したり授業、プログラムをこなしてるうちに、
なんかだんだん考えは変わっていって、アメリカにいようという風になってくるんですか?
そうですね、そうですね。
まあなんかいろんな要因があるんですけど、
うんうん。
まあ1年過ごした時点で、このままもう1年ここで、
まあなんかのんびりというか過ごして、日本に帰っても、
なんかあんま持ち帰れるものないんじゃないかなっていう。
ああ。
ご自身のスキルは上がってるけど、なんかそれを組織レベルで何か還元できる感じ、実感はなかったって感じですか?
そうですね、そうですね。
なんか自分はその時あんまり、プログラミングを勉強するみたいなことと、
なんかアプリを作るみたいなこととの関係性っていうか、があんま分かってなくて最初の頃は。
その授業を受ければ、なんかアプリが作れるようになるみたいな風に思ってたんですけど、
必ずしもそうではない。別に嘘でもないんだけど、授業でアプリ作ってるしなくはないんだけど、
あとその座学でやることと、実際の企業でやることってちょっと違うよねっていうのがあって、
だから他の人たちは民間企業でインターンしてるんだなーみたいなっていう学びもあったし、
そう思った時に自分公務員、なんかその全部、でも自分公務員だからできないわみたいな。
なんか周りからインターンしないなとか言われても、いや自分公務員だからみたいな感じで、
その兼業というか副業みたいにできないから。
っていうので、なんかそれでめっちゃ可能性狭められちゃってるなっていう。
そっか、なるほど。
僕たちは1年目で学んだことを夏に民間企業持ってって、実際会社で揉まれることによって、
アメリカでお金をもらってやる仕事と、お金もらわないでやる仕事だって、
お金もらってやる仕事の方が面白いって言ってるんですよね。
まあそうですよね。
大抵の場合においては。
だから、そこを経験してないと何も経験してないなぁみたいな気持ちになってしまって。
ずっとお客様って感じですよね。
そうそうそうそう。
で授業は授業だけど、自分が公務員時代を振り返ってみても、
法学部の授業で学んだことと厚労省で働いて学ぶことって全然違うから、
その日本の大学に入学して法学部の授業を取ったんで、
自分は日本の法律が分かりますは嘘じゃないけど、
それと厚労省で1年働きました、じゃあ全然違うよねって思ってて。
アメリカのアプリを作るみたいなものへの解像度にしても、
実際の企業で働いてみないとわからないことが多いんじゃないかなというか、
自分がそのIT的なものに憧れた背景の一つには、
手元で作って試せるみたいなものもすごく良くいいと思ったし、
それってカルチャーも含めてなんですよね。
なるほど。
技術的にちゃちゃっと作ることができるっていうことと、
ちゃちゃっと作ろうという気概みたいなのがあると思うんですけど、
それってやっぱ中に入ってみないとわかんないし、
基礎が固まらないなみたいな気がしていて、
授業で学んだだけの状態で、
日本に戻ってプログラミングをする機会のない厚労省に行ってしまうと、
学びかけてたものも消えちゃうなというか。
なるほど。生かすタイミングがないですよね。
もっと自分が確立した状態。
応用の仕方とかが分かっている状態で戻った場合は、
厚労省がこういう問題に対して、
私の技術でこういうことが実際に実現、
経験からも実現できますよっていう提案ができるけど、
今は座学の知識とかしかないから、
なんとなくこういうのできそうだなわかるけど、
じゃあいざ実行しようと思うと、
どのくらいの時間がかかるかも想像つかないしみたいな。
そうですね。
当たりだすかね。
もともとが学部で、情報系の学部とかにいて、
学生時代から企業でインターンとかしてて、
アプリとか作ってましたみたいな人が、
けど新卒で厚労省入りますだったら、
全然やれることはあるような気がするんですけど、
自分の場合はこの大学院の、
しかもコロナ中の中途半端な経験の2年間で戻っても、
むしろこの2年間で学びかけてたものが消えちゃって
もったいないのくらいの感じで。
キャリアの方向性の変化
確かに。
この状態で戻るより、
残った方がこの2年間の学びを最大化するというか、
それも足掛かりにして、
もっと多くのことを学べるチャンスなんじゃないかというか、
そんな風なことを思ったんですよね。
そうですよね。
2年間で作った基礎の上に、
だからそうほど基盤をもとにして、
次の建物を建てることができるみたいな。
厚労省と言っちゃうと、
そこの基盤をちょこっと生かせるかもしれないけど、
また別の基盤の上に新しい仕事を見出していくような感じは、
感覚あるかもしれないですね。
そうなんですよね。
そう思うと、だんだんそうやって2年の経験が、
これの生かし方について、
すごい迷われていくわけじゃないですか。
じゃあどの時点で、
これを実際にアメリカの企業でエンジニアとして、
生かしていこうという風になっていくんですか。
そういうイメージだったり覚悟が、
どこでついてくるんですか。
1年間授業、
大体その1年目が終わって、
夏ぐらいにアメリカで残るのもありかもな、
ってことを考え始めたんですけど、
周りの同級者たちに影響された部分も、
なくはないなって思って。
でもそれもなんか留学の環境を変えて、
環境に流されるっていうのも一つの大事な体験ですよね。
だから周りの人たちはみんな、
アメリカで働きに来てるというか、
仕事探すため、就職するために、
このプログラムに入っている。
あとテック企業の可能性、
コロナ中すごい成長してた企業も多かったから、
いけいけどんどんな感じがあって、
やっぱり手元で物を作れることの、
かっこよさみたいなものを、
やっぱり間近で感じたんですよね。
なるほど。
具体の授業があるわけじゃないんですけど、
別に授業の終わりの最後の発表みたいなのが、
別にただのプレゼンでもいいわけですけど、
そこで動くものを発表する人もいるわけですよ。
そうするとこっちの方が、
建設的な話ができるなみたいな。
なるほど。
思って。
でも自分はまだそれを作れるに至らないな、
っていうフェーズだったんで、
こっち側に行きたいなって思ったっていうのはありますね。
そいつなんか方向性がだんだん変わっていく段階で、
じゃあ実際に動こうと思うと、
日本の帰る場所を捨てないといけないっていうステップも
入ってくると思うんですけど。
そうなんですよ。
アメリカ就職への道
厚労省辞めたかったわけではない。
結果としてアメリカで就職したかったから、
そのためには厚労省辞めるしかないから辞めたっていう感じで、
でもなんか今でも冗長的には繋がってるというか、
気持ちはありますけどね。
今の古川さんを通してみると、
そこのキャリアがちゃんと結びついてるのがすごいなって思うんですけど、
当時のアメリカで、
じゃあもうちょっと作れる側になろうと思った時に、
これまでの厚労省のキャリアって、
もう完全に捨てるような感覚になるんですか?
それとも、またいつか人生のどこかで回収できるだろうっていう風な
見込みというか称賛を一応持ってはいたんですか?
称賛っていうとあれですけど、
回収しようとは思ってましたね。
自分が出願した時は、まだデジ情もなくて、
でも自分が出願してからデジ情みたいなものができて、
追いついた時代が思いましたけど、
またそういう、やっぱり行政においてデジタル的なもの大事だよねっていう動きが来るだろうなと思っていたので、
そういう部分で活かせるだろうなと思ったし、
やっぱり後から行政の方に来る人っていうのはいるけど、
分店する人はいても利店する人ってなかなかいない。
全然合わないですね。
この珍しい経歴、特に国家公務員やって法令書いてからエンジニアになる人って多分いないと思って、
聞いたことない。
そういう珍しい経歴っていうのは生きるかなと。
あとやっぱりそのやっていく中で、
法律書いたりすることとプログラムを書くことはかなり似ていると思ったので、
本当にそのエンジニアリングの知見をもっともっと行政で活かせればいいのにっていう。
本当その根性論でミスをなくそうとするのは嫌いで、
人間そんな賢くないからみたいな。
無理無理っていう風に思ってて、
そうじゃなくて、ミスれないようにすればいいじゃんっていう。
そういうシステムを作る。
電話番号のところに数字以外のものを入力できないようにするとかって、
本だったらそういうの当たり前にあるけど、
ありますね。
でも世の中そうなってない物事も多いというか、
それこそ紙ベースで動いている申請書とかって何だって書かれちゃうわけだからね。
確かに。
そういうところを気をつけてくださいって言ったってしょうがないじゃんみたいな。
ってずっと思ってて。
それをこうやって具体的に見せられることってすごいいいなと思うんですよね。
そう思うとエンジニアに進むっていうのが分かるし、
そこから将来的につなげていこうというイメージが、
その時点でちゃんと確立したっていうのがよく分かるような気がします。
アメリカの就職事情
実際に行動に移していくわけですよね。
そこの決断ができたところで、
ある程度将来設計だったり、こういうことを今後やっていきたいっていうイメージがついたところで、
じゃあ実際に退職して、
かつアメリカで就活を始めるのが2021年の後半ぐらいの話になるんですか?
そうですね。就活は秋冬からぼちぼち始めていて、
ただアメリカでの就活っていうのも全然、
どんなことから始めていいか分からなかったので、
確かに。
日本の就活はかなり違う。
日本だったら陸ナビ、マイナビみたいな就職サイトみたいなところに
エントリーシートを応募して感じだと思いますけど、
アメリカにもそういう就職サイトみたいなのもあるけど、
結局は各企業のサイトにガンガン応募していくっていうスタイル。
かつ新卒採用、一括採用みたいなのがあるわけじゃないから、
ジュニアレベルみたいなやつとかを自分で見つけて応募していくっていうスタイル。
ジョブ型だから、ジュニアエンジニア募集みたいなところに応募していくような感じ。
そうです。でもどんなところでも大体経験1年以上とか。
やっぱあるんですね。
そうそうそうそう。
なんか初心者歓迎って書いてある給仕なんかないですよ。
まあまあ即戦力はやっぱ。
そう。ってなってるんで、
そういうアメリカ就活の難しさ厳しさみたいなものもやってみて、
なるほどなーみたいなやってきながら学んでいくっていう感じ。
結果として得られた触手が、
ハーストリーバブリックバンクっていう今はなき銀行のデータエンジニアのポジションだったんですけど、
これは一応ニューグラッドのロール。だからその新卒。
一応あったんですね、そういうのが。
そうですそうです。なくはない。
ニューグラッドとしての新卒としての採用でしたね。
なるほど。結構倍率的に周りは理系出身でデータサイエンスの研究家を出てるような人が多分相手になってくると思うんですけど、
勝てるものだったんですか?
ね。でも数ですよ数。
なるほど。
数応募するしかないのと、今自分アパートの入居証募集してるわけですけど、
結局やっぱ最初に応募すること。
なるほど。
やっぱその後から来た人はもう普通にそれだけでチャンスないですね。
そっか。先行者有利の法則がそこまで立つんですね。
そうだし、アメリカはある意味ですごく学歴社会なので、
私はUCバークレーで情報学の修士を持っていますって言うと、それはやっぱ非常にプラス。
なるほど。追ってなるわけですね。
そう。だから実務経験はないけれども、その修士号2年間、2年間のマスターの経験がありますっていうのはプラスに働いたかなと。
あとたまたま、たまたまではないな、面接担当した上司にあたる人が、もともとコロラドの州政府で働いていた人で、州政府のエンジニアだったんですけど、
そういう結構ガバメント系の仕事に対して好意的な目線があった。
市政府で働いてたってことはなんかしっかりした人間だろうみたいな。
あと自分が受けてたのが銀行だったから、なんかちょっと相性良さそうみたいな感じかな。
それは銀行とかのある程度会社の方向性も、勤めたい会社の方向性も見定めながら就活していくものですか?
いやいや、もう数打ちや。
とりあえずデータサイエンティストとして働けるところ。
あと自分でも正直、自分がどんな形で会社の役に立つのかわからなかったというか、自分はどの路線で行くのが良いのか。
例えば厚労省だからヘルスケア系で行った方がいいのかとか、日経のところを目指した方がいいのかとか、いろんな観点があって、
どれもあり得るなと思ってたんで、相手に決めてもらおうと思って。
いっぱい応募して。
そんな通ったところが適正があるところなんだってことで。
なるほど。
その考え方はちょっと納得できます。
わかんないですもんね。いろいろそうやってフックがある古川さんだから。
通ってみたらなるほどね、今話したような。
お固めの職種だったとか、上司がそういう人だったみたいなのがプラスだったんだろうなと。
そこで相性があったんですね。
でも、ファーストリパブリックマンクってどのくらいスパンで潰れちゃったんですか?
1年後くらい。
1年後ですか?
1年後潰れるとなると、いわゆるレイオフになるんですか?
ファーストリパブリックマンクは2023年にまず潰れるわけですが、厳密に言うとまず潰れる、倒産して、
FDICっていうアメリカの、でも独立した銀行じゃなくなって、連邦政府管理下みたいなのに入るわけですよね。
なるほど。
なるほど、破産後の管理みたいな。
その後、このファーストリパブリックマンクの亡骸みたいなの誰か引き取ってくれませんか?っていうのが行われて、
結局、J.P.モルガン・チェイスっていう大きな銀行が買い取って、
ファーストリパブリックマンクは今チェイスの一部になりました。
なるほど。
チェイスの一部になるにあたって、人こんなにいらないよねっていうことで、バサッと人が減らされて、
自分もそこでレイオフされると。
レイオフと新たな挑戦
やっぱりその時は、よく言うやつですけど、朝メールが来てアクセスがなくなるみたいな感じになったんですか?
そうですね。自分はそもそも前日に、明日はこのミーティングに出てねっていうオンラインのリンクが送られてきた時点で、
来た来たみたいな。
なるほど、なるほど。
明日は誰も出室しないでくださいっていうメールが来てましたね。
そっか、もうそこで。
言われた時間にミーティングのリンク開くと、
普通のZoomミーティングじゃなくて、ウェビナー形式のやつ。参加者見れないやつ。
なるほど。
場合に誰が来てるか見れないやつになってて、HR人事の人が神妙な顔で、
ここにいる皆さんはレイオフの対象ですみたいな。
事務的な手続きを言って、そのZoomミーティングが終わった後、パソコンがシュッとシャットダウンされるんですよ。
業務用のパソコンが遠隔で。
何もやってないのにシャットダウンされて、
かつ、スマホに入れてた仕事で使うログイン用のアプリみたいなやつもシュッと消えていく。
職場の同僚に職場のチャットとかで、レイオフされちゃったよとか言ってたら、
消えていきました。
消えてなかったんだ。
そっか、そんな感じなんですね、やっぱり。
箱が送られてきて、入管証とパソコンと繰り返してねみたいな。
やっぱりそういうドライな感じで。
やっぱりそうやっていざレイオフされて、肩書き無職になるわけじゃないですか。
そこで日本に帰ろうと思うんですか?
それとももうちょっとアメリカ生活継続したいってなるわけですか?
仕事たかさなきゃなーって感じですね。
じゃあもうアメリカの方に前向きに。
アメリカで考えてて、
ただそのビザステータス的に、
無職の期間が長すぎるとお前仕事ないなら国に帰れっていう話になるので、
すぐに仕事見つけなきゃいけないんですよね。
それがすごい大変でしたね。
その時はFビザの、何て言うんですか?
OPT。
OPTの期間内で、だから一応ビザはFのままで仕事さらされる。
ビザはFで仕事してもよくてっていう状況で、
ただ無職期間が長すぎると帰れって言われるっていう状況なので、
無職期間をなるべく減らして、
すぐに仕事見つけなきゃいけないっていう状況でした。
でもその時は実務経験1年あるしで、
割と始めるから見つけやすいもん。
いやいやいや、
2022年と2023年だと、
2023年の景気が悪いのでおしまいです。
そうなんだ。
結局は全部景気次第です。
そっか。
バイオテックとかその時期ってレイオフがすごい発生した時期だと思うんですよ。
でも他の業界も結構じゃあ。
Googleとかメタとかもレイオフしてた時期な気がします。
まあその時期じゃないかもしれないけど、
その後とかかもしれないけど。
なんかその時期確かにニュースありましたよね。
2023年は結構ビッグテックレイオフみたいな。
そっかそっか、
Amazonとかもあったような気がする。
ナガファで。
そんな時期に、
このサンフランシスコ近辺で。
そうそう。
あれはどういう会社になるんですか?
今の会社ですか?
今ってか、
この間まで働いてた会社?
就職活動の経験
パラワルトにあるスタートアップっていうのかな。
テック系の会社。
テック系。
データ分析ツールとかを作ってる会社みたいな。
そういう会社なんですね。
新しい仕事探す時も、
最初の仕事探す時もですけど、
別にベイリアンじゃないところ、
アメリカ全土で探すっていう考え方もあったんですけど、
逆に範囲が広すぎて、
別にニューヨークとかボストン行ってもいいかなって思ったけど、
広すぎる。
選択肢が無限に広がっちゃうんですよね。
そうか、絞り切れないですね。
そう。
だからまあチャンス一番あるでしょって思って、
この辺に絞って探しましたね。
確かになんか、
昔アメコンに出てくれた人もおっしゃってたんですけど、
一旦ここで就職さえしちゃえば、
令和婦されたといっても、
次は結構見つけやすいよって。
やっぱり企業がいっぱいあるから。
ただ、23年は微妙だったんですね。
そうそうそうそう。
確かに他の、
もっと田舎の州とかに比べると、
さすがにこの辺は仕事はある方だとは思います。
そっか、でも結局どのくらいで見つかったんですか?
令和婦されて。
その後の会社に正式に採用されたのは、
10月ですね。
令和婦がいつですか?
6月でした。
あ、じゃあ4ヶ月くらいは。
でもその間に別の会社で働いたり、
短い期間別の会社で働いたりしたから、
無職期間が4ヶ月あったわけではなくて、
なるほど。
ただその正規の、
フルタイムの雇用にたどり着くまでには4ヶ月かかりましたね。
その途中のところはフルタイムにたどり着くの?
そこは夏のインターンみたいな感じで。
あーなるほど。
なんでちょっと食いつなぐって言い方あれですけど。
そこも夏働いてみて、
ビザの課題とエンジニアとしての成長
お互いに良かったら、
秋も是非みたいな感じではあったんですけどね。
なるほど。
けどその間に別のところが決まったんで、
そっちに行ったっていう感じです。
なるほどなるほど。
そっか、それが2022年の10月。
2023ですね。
あ、23か。
2023、10月。
そっか、そこから働き始めて、パラワルドに通う生活が。
そうですそうです。
その時はもうこの家住んでたんでした?
いや、その時はまだデイリーシティに住んでました。
デイリーシティですね。
サンフランシスコのちょっと南のところで、
ルームシェア的な感じで。
あ、でそこがなんかむちゃくちゃ安くて、
なんか快適じゃないとこでしたっけ?
ちょっと言い方があれですね。
まあ安いは安い。
安いは安い。1000ドルぐらいで。
ベイエリア的にはめっちゃ安いです。
めっちゃ安いですね。
ベッドルーム、自分の寝室はあって、
バスとキッチン共有みたいな感じですけど、
ルームメイトはいない時もあったんで、
一人で使ってる時もありました。
いいですね。
でもその中で、
だんだんもうちょっと別の部屋に行ってみようっていう風になって。
そうですね。
やっぱちょっとそのOPTの終わりが見えてきたみたいなのがあって、
OPTで3年間アメリカで働けるんですけど、
2年目とかになってきたっていうのもあって、
このままずっとアメリカに残るのか、残れるのか、
残りたいのかもちょっとわかんないなってなった時に、
1回ぐらい贅沢な暮らしをしてみようかなと思って、
綺麗なアパート探そうと思って引っ越してきました。
なるほど。それが今のこの綺麗なアパート。
そうですね。
すごいですもんね、ここ。
家賃高いけど、コスパはいいっていうか、
1ベッドルームにしては高くないし、
このリッチとこの綺麗さといいジムとかあって、
ついてますもんね。
全然活用できてないけど。
そういう季節があってここにたどり着くわけですね。
そうなんです。
もともと近くに友達が住んでたっていうのがあって、
このエリアいいなと思ってて。
で、職も安定してるんですかね。
それもありますね。だから10月に新しい仕事始めて、
でもさすがに一番レイフでビビってるから、
一応アメリカも使用期間みたいなのが3ヶ月とか
あるんですね。
あったりするので、
なんかクビになったらどうしようと思いながら過ごしてて、
でも3ヶ月経ってクビにならなかったんで、
じゃあ今の仕事前提に部屋探すかなと思って。
それが24年の始めぐらいになるわけですね。
そうですね。
で、そこから僕と出会ったりとか、
この僕らの界隈に。
この辺に来たことによってUCSFの人たちと仲良くなった。
そうですね。一緒に鍋したりとかするようになって。
ご近所なんでね。
UCSFの寮というかが徒歩1分くらいのところなんで。
めちゃくちゃ近いですもんね。
そういうふうに仲良くしていただけるようになって、
そうやって順調に働きながら。
で、よく僕らと飲んでるときに、
その時にその時代話題になったのが、
じゃあOPTがもうすぐ切れるぞ。さあどうしようみたいなとこでしたよね。
そうなんです。そうなんです。
普通は労働ルートとしてはH-1Bっていう労働ビザに応募すると。
で、切り替えていくっていうのが普通なんですけど、
このH-1Bが抽選なんですよね。
会社がお前採用働いてくれって言われて、
会社がH-1Bの応募って会社からしかできないんですけど、
会社が応募してくれても、結局国全体で上限が決まってて、
それを超えちゃうと、
まってか、絶対超えるんですよ、金は。
抽選になるので、要はアメリカで労働できるかどうかは運次第。
しかも10%?20%くらいでしたっけ?確率って。
そんなに高くないですよね。
今年とかはそのくらい。15%、20%くらいでした。
だから昔はもうちょっと高かった。
30%とかあったかもしれないけど、今はそのくらいなんで。
だから3回連続、OPT3年あるので3回応募できたんですけど、
3回応募してもまあまあ外れる。
っていう中で、ビザの問題とかを考えながら、
選択肢として帰国っていうのも当時からあったと思うんですけど、
例えばアメリカいたいけどどうしようみたいな。
そうですね、仕事というか、
エンジニアとして働くことはかなり楽しいなと思ってて、
で、せっかくだったら、
まあやっぱりいろいろ最先端のものに振られる、
米エリアでエンジニアやるっていうのはいいよなとは思ってましたね。
当時、仕事はもう全然利点から始まった古川さんが、
バークレーでスキルをいろいろ身に付けていくわけじゃないですか。
で、実地で修行を重ねていって、
多分2年3年とか重ねていったと思うんですけど、
その段階ではもうエンジニアとして、
それにできるぐらいのスキルはもうあったんですか?
普通に。
結局、仕事で使うスキルは仕事で学ぶスキルという感じがしていて、
その会社でやる作業というか、仕事になれたっていう感じですかね。
で、バークレー時代に作れる側がかっこいいっていう風に見えてたっていう話でしたけど、
実際にそっち側に行けた実感もあるんですか?
でも正直、会社の中でも最初から最後まで一人でやることってないから、
そのアプリ的なものを作るっていう大きな工程の中の一部分をやってるだけなので、
なんかもっともっと他の部分も分かるようになりたいなって気持ちは出てきましたね。
そうか、あくまでチームの中でこの部分を担当して、
そこをコンプリートしたっていう実感になるんですね。
ちょっとそこの物足りなさはあるんですね。
物足りなさっていうか、まあまあそうですね。
だからそれもあってというか、
チャットGPTが出てきた後に、
自分でiPhone用のアプリを作ったりとかして、
それを結構最初から最後までっていうか、
実際にApple Storeで出してみたいなところまでやったのは結構面白かった。
そっか、コーディングから始めて最後にリリースまでを、
個人単位とはいえちゃんと経験できたってことですもんね。
そうそう、だからアプリそのものもそうだけど、
じゃあデータベースはどうしようとか、
サーバーどうしようみたいなのとかを考えて、
全部最初から最後までやる。
一人とチャットGPTとで、2人3客とでやるっていうのはかなり楽しかった。
今ヘラリのViveコーディングみたいなことですよね。
まあまあそうですね。
走りというか。
実験的に自分が全く使ったことないプログラミング言語で作ってみようと思って、
スイフトでやりました。
スイフトとか触ったことなかったけど、
てかそもそも自分Webアプリしか作ったことないから、
モバイルアプリって作ったことないけど、
いけるのか果たしてって思いながらやって、
できはするけど、真面目に勉強した方が早いなみたいな。
まあでもそういう違いとかを見出しつつ、
作れる側にステップアップをしていった。
まあでもぶっちゃけ今AIエージェントがすごいから、
やる気があれば誰でもできる気もするけど。
まあでも、気はするだけですもんね。
実際手を動かしてみると、
分かってないまま作るのは、
迷路をランダムに解いてる感じ。
なんかランダムに壁にぶつかりながら迷路を解いてる感じしますね。
僕も仕事でプログラミングよくするんですけど、
そんなに僕も分かってないので、
ChatGPT使いながらだいたいコーディングするんですけど、
まあChatGPTで書いた時に、
ChatGPTを利用したプログラミング
エラーが起こった時に、
どこが詰まってるのかが分かんないし、
じゃあこのエラーを解消するために、
どんなプロンプトを打てばいいのかが分かんない。
そうそうそうそう。
だからダメだったコードをもう1回コピーして、
ペーストしてってやっていくと、
どんどんChatGPTが頭悪くなっていって、
その文脈が長くなりすぎちゃうから。
本当は全部じゃない、間違ってるところって、
少なくともなんかこの辺ぐらいまで特定できるはずなのに、
勘所分かんないと絞ることもできないみたいなね。
結局ある程度元の知識っていうのは必要だよなって思いますね。
だからそこの考え方がちゃんと2年の大学院と実際働く中で
インストールされたわけで古川さんの中に。
なんで細かいその辞書的なところをChatGPT頼りながら
作っていく感じになるんですかね。
自分としては自分成長できてるのかなみたいな感じですけど、
ちょうど自分が仕事辞めるちょっと前ぐらいに
新しい人が会社に入ってきて、
その人と一緒に、
でもその人すごい吸収の早い人で、
すごいなって思いながら一緒に働いてたんですけど、
一緒に働いてる時に、
なんでそんなに一緒に作業してて、
古川あおいのアメリカキャリア
エラー起きたねってなった時に、
自分がここじゃないって返って、
そこなんですけど、
なんでそんなにエラー見つけるの早いんですかって言われて、
なんでだろうねみたいな。
前に似たようなのがあったから、
全部前に似たような問題にぶち当たったからみたいな。
経験値があるわけですね。
それはだから実際にこれまで学んできたものを賜物だし、
そっち側になったってことじゃないですか。
そうですね。
というわけでここまで古川葵さんがアメリカ留学を始めて、
アメリカでキャリアを形成するお話を伺ってきました。
番組のお知らせ
さてアメリカーナイトGOLDは、
毎週日本時間の金曜日の0時に配信しています。
番組のご意見ご感想は、
ハッシュタグアメゴをつけてSNSでつぶやくか、
メールフォームにお寄せください。
皆さんからのコメントをお待ちしています。
3回に分けてお届けする古川葵さんのお話は、
10月31日金曜日0時に最終回を配信しようと思っていますので、
こちらもぜひチェックいただけると嬉しいです。
それではまた。
56:39

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