そうなんです。ゲストの方、今とある政治政党の方でご活躍されている方をお迎えしています。
今回そういう慎重な配信を起きすために、周りのポッドキャストの仲間の方だったりとか、サンフランシスコのお友達からいろいろご意見をいただきました。
特にこの配信は事前に、論文じゃないですけど、ピアレビューという形で、ポッドキャスト番組35歳右に行くか左に行くかさんとバイオステーションさんに確認していただいて、まあ大丈夫でしょうって言っていただいたという、安心して今配信しているという状態になっています。
今これ喋っている時点で、アメリカ西海岸時間10月23日深夜0時半。あと7時間半で配信というところですね。さっき後半ができたばっかで、後で送ろうかなという、そんな状況でございます。自転車創業でアメリカナイトGOLDは作られています。
ぜひあなたの正のフィードバック、今日のタイトルになってますが、スポティファイの画面やアップルポッドキャストの画面で星を押すとこがあるということで、ぜひぜひあんまり普段は気にしていないんですけど、星5とかついていると、嬉しいなあと思うんで、よろしくお願いします。
はい、そういうわけで、今日はそのゲストとしてお迎えしている政治性党員でいいのかな、古川青井さんの留学に至るまでのキャリアについて伺っていこうと思います。それでは今週もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD
というわけで、今回のゲストは古川青井さんにお越しいただきました。本日はよろしくお願いします。
お願いします。こんにちは。
こんにちは。僕と古川さんはサンフランシスコで飲み友達ってカテゴリーですか?
そうですね。
1年くらい前にあったサンフランシスコのバーベキュー大会の後に、2次会でうちに来ていただいたのが最初で、
ちょうど1年くらいですね。
そう、去年の8月末で、そこからお食事とか、今まさに古川さんの家で撮ってるんですけど、
ご近所なんですよね。
ご近所でサンクスギビングのパーティーに呼んでもらったりとか、あとラーメン一緒に行ったりとか、2人バークレーに行くのに1時間かかった渋滞の中で。
バークレーのバーベキュー行こうとしたら、ちょっとベイブリッジで事故とかがあって、めちゃくちゃ渋滞してる日で、その日が。
普段たら15分とか20分くらいで行けますからね、うちから。
最速15分20分の距離が渋滞あると1時間とかになるっていうのが、この辺の恐ろしいところで。
そう、ずっと2人でタイプロとかの話をしてた気が。
そうでしたっけ?
そう、ネットフリックス何見ようみたいな話を。
あれがだから去年の…
11月くらいですかね。
なるほどなるほど。
そうそうそうそう。
懐かしい。
その時はね、わすかこういう形、古川さんがなってるとはね。
確かにね。1年あるとね。
ね。この間飲み会とかでもみんなに言われてましたけど、次はあなたが出馬してるかもしれませんっていう。
そうそうそうそう。
それではそんな古川さんの自己紹介をお願いします。
古川葵です。
今っていうか、最近までサンフランシスコに、サンフランシスコ付近に4,5年くらい住んでました。
もともとは日本の大学を卒業して、日本の会社というか厚生労働省という役所で。
会社ではないです。
大概的にね、分かりにくいから会社って言ってるんですよ。
日本で働いていました。厚生労働省で働いていて、その後留学でUCバークレーの大学院に留学して、この辺に引っ越してきまして。
そのままこっちで就職をして、エンジニアとして3年くらいアメリカで働いておりました。
3年も働いたんですね。
そうなんですよ。なんだかんだ言って3年くらいになって、実は今年の7月の参議院議員選挙に出馬をしておりました。
面白すぎる、もうこの時点で。
皆さんの周りにもね、気づいたら友達が参議院議員選挙に出馬してたってことがあるかもしれないんですけど。
ないよ。
この米イリアの日本人界隈ではちょっと風波を起こして。
大波でしたよ。本当に6月に記者会見したというニュースを即日でLINEでみんなに流れてきましたからね。
さすがね。噂早いですね。
なんか見たことある人が立候補してるんだけど。
あれこないだまでビザがどうとか言ってたのに。
そうなんですよね。出馬のための記者会見っていうのを6月の17日にやったんですけれども、実は私はその直前の13日、金曜日までアメリカで働いてました。
金曜日の夕方まで普通に働いて、その日の夜の24時の飛行機で日本に飛んで、日曜日に日本に着いて、火曜日に記者会見する。
そういう怒涛のスケジュールでやってました。
出馬を発表するのが記者会見で情報解禁みたいな形にしようと思ってたんで、だから皆さんにも全然ご挨拶もできないまま逃げるように、夜逃げのように。
いやー悲しかったです。
ちょっと申し訳なかったですね。
僕らが安心したっていう言い方はあれですけど、タルカワさんの家がどうなったのかとか、車どうしようって話ずっと聞いてたから、
その部屋どうだったんだろうって心配してたんで、あれ、解消したのかな?とか思いながら。
でもこうやって今8月の初めぐらいにこっちに戻って来られたんでしたっけ?
7月末ぐらいですね。
僕らとも何回か遊んでいただいて、そういう中で今サンフランシスコの家をまさにこの部屋をきれいにしている最中。
そうなんです。アメリカに選挙終わってすぐにアメリカに戻ってきた理由って2つぐらいあって、
1つが去年から手伝っている高校生のシリコンバレー訪問プロジェクトみたいな、そういうことをやっている団体とかイベントがあって、
そこのお手伝いをするっていうのをもともとお約束していて、選挙ちょっとどうなるか分からないですけど、
もしその選挙の後お時間があったらって言われてたんで、まあお時間はあったんで、
挑戦したらもちろんいけないけど、お時間がある状態になってしまったんで、じゃあお手伝いしますということで、それをやっていた。
高校生のお手伝いをしていたっていうのが1つと、もう1つがアメリカを離れるときに、さっき申し上げたようなバタバタのスケジュールでアメリカを離れたので、
家とか車とかその片付けみたいな荷造りみたいなのが全然できてない。もう本当木の幹のままみたいな感じで日本に帰ってきたので、
それらをまあ何とかしなきゃいけないねということがあって、このサンフランシスコの高い高い家賃をちょっと払い続けるのも辛いので、
それを引き継いでくれる人を探そうということで、今またサンフランシスコに戻ってきておりまして、
結局いろんなことをやっていたら、なかなかその家のこととか車のことが後手後手になってしまったんですけれども、ようやくちょっと見つかりそうという感じで、
8月末には何とか日本に帰れると思います。
ね、その超忙しい中でこうやって出演のお時間を作っていただきまして、本当にありがとうございます。
だから僕も今日が古川さんとサンフランシスコの最後かもしれないですよね。
そうだと思いますね。
そうじゃないと。
来週とかにまだいたら、あれどうしたんだお前って言ってください。
まあその中で、今日はキャリアについて、古川さんのさっきの自己紹介になった通り、フックが多すぎるんですよ古川さん。
そうですね、どこから突っ込んでいいのやらっていう感じだと思いますけど。
でもちょっとまず大学ぐらいのところから始めていこうかなと思うんですけど、大学はもともとどういう学問というか何学部みたいなところにいたんですか?
はい、自分は法学部。
あ、法学部なんですか。
はい、だから文系で法律とか政治とかそういうのを勉強する学部にいました。
それはもともと放送になりたいとか、政治について詳しく学びたいみたいなモチベーションがあったんですか?
そうですね、もともと公務員というか国のためというか日本のためみたいなのに働きたいっていう気持ちがあって、
そうなった時に国家公務員なんとか省で働くのいいなという気持ちがあって、
まあそういう志を持つ人が集まるところは法学部だろうという感じで、
まあ自分がいた高校が結構医学部に行く人が多い学校だったんで、まあクラス4クラス中3クラス立系クラスみたいな。
3クラスっていうか2.5クラスぐらいなんですけど、まあでもちょっと理系が職が強い。
半分以上理系なの?
そうですね、学校だったんで、まあその社会についてとか、
そういうなんか世の中、人の生活みたいなのについて考えることをもっと自分やっていきたいなと思って、
まあでその職業としても考えた時も公務員とかそういうのいいなと思ってたので法学部っていうのを選びましたね。
なるほど、そういう人が法学部に行くケースっていうか、僕はちょっと想像力が足りないんですけど、
法学部ってやっぱりそういう人が多いんですか?それともやっぱり侍職になりたい人が多いものなんですか?
もちろん弁護士になりたい人っていうのも多いと思います。
だから例えば生物とか物理とかだったら、生物が好き、物理が好き、数学が好きっていうので、
そういう学部を選ぶ人いるかもしれないけど、法学部の場合はむしろ社会でやりたいことをベース、
だから弁護士になりたいみたいなのもそうだし、公務員になりたいみたいなのもそうだけど、
そっちベースで進学する人が多いんじゃないかなっていう気がしますね。
なるほど、それで実際進学してみて、そこから4年間になるんですか?
始めなんかありますよね?
そうそう、自分は東京大学だったんで、1、2年生の時は教養学部、3年生から本格的に法学部っていうのに進学するっていう形でしたね。
ただ1、2年生の時から教養科目の中の法律みたいなのとかはやらなきゃいけなかったんで、
4年間一応法律は勉強してこなかった。自分の場合は留年してるんで5年間ですけど。
でもその中で国家公務員を目指すっていうふうに進路をある程度具体的にイメージしてるなら、
国家公務員試験の勉強とかも少しずつやっていくものなんですか?
まあ人によりますね。公務員試験の勉強と法学部の場合だと大学の定期試験の勉強と重なるので、
なるほど。
だから全然違う学部から公務員を法律職で受ける、その法律の試験を受けて通ってくる人もいますけど、
そういう人の場合は確かに普段の授業と違うことをやらなきゃいけないから、
予備校みたいなの通ったりとかしなきゃいけないかもしれないです。予備校あるんですよ。
資格の学校みたいなのがあって、そういうところに行く人もいますけど、
法学部の人の場合は自習でも何分かなる。
へー、そうなんですね。
じゃあそうやって選択強化じゃないですけど、法律とかを選んでその試験を受ければ国家公務員になれるみたいな。
そうですね。国家公務員としての資格を得るみたいな感じですね。
そこから大学5年間いた中で、あんまり想像つかないんですけど、どの段階でそういう資格試験で受けるものなんですか?
3年生とか就活したら3年終わりとかじゃないですか?
基本は4年生です。その4年生の春頃、4年生になったばっかりぐらいの時に公務員試験っていうのを受けて、
試験に受かると公務員として就職する権利みたいなものが得られると。
ただそれはあくまでも面接に行く権利を得るだけで、そこから面接の始まりなので。
そこで就活が始められるってことなんですね。
センター試験の足切りみたいな感じかもしれないです。
なんでここから二次試験がやっと受けられるみたいな。
そういうことです。
なるほど。で実際国家公務員試験受けて、あれって一種二種あれじゃないですか。
まあまあまあ今は総合職一般職みたいな名前が変わって。
そうやってもう受ける段階で自分がどこのクラス受けるかっていうのを決めた段階で決めて受けて、
で古川さん一種受かったんでしたっけ。
そうです。総合職っていう試験で受かって。
じゃあそこから何とか賞の面接を受けるって風になるんですけど、
その何とか賞の中で総合職何人採用、一般職何人採用とかっていうのがだいたい枠が決まってるので、
その中で戦うみたいな感じですね。
なるほど。受かった人の中で。
そうですそうです。
その時は希望とかもあったんですか。
そうですね。受けるときに、受けるっていうか、面接行くときに全賞状で、せーので面接やるんですよ。
へー。
だから1日に1賞状しか基本的に回れない。
そうなんですね。じゃあもう午前9時農林水産賞?
うん。農林水産賞。はいはい。
行って午後文部科学賞みたいなことはできないんですね。
基本的にはできないですが、一部の省庁ではそれもできる。
どういうことかっていうと、官庁訪問って言うんですけど、役所での採用大会みたいなことを官庁訪問って言って、
そこが第1クール、第2クール、第3クールとかってなっていて、第1クール3日間、第2クール3日間となっていて、
要は1日目A賞、2日目B賞、3日目C賞に行ける。
はいはいはい。
でもその4日目っていうのはもう第2クールの1日目だから、そしたらまたA賞に行かなきゃいけない。
はぁー。
以後はステージ1、ステージ2なんですよ。
なるほど。1次試験、2次試験みたいな感じでどんどん進んでいくと、第2クール、第3クールでまた同じとこ行って、
そうそうそうそう。
より…。
で、どんどん数は絞られていってっていう風になるんですけど、逆にその初日の午前中、
ここ行きたいんですって面接行って、
いや、ごめんなさい、さよならって言われると、朝10時くらいの段階でやることなくなるんですよ。
そうなった時に、まだ他の賞状が受付していれば、別に10時からそこの賞状行って、
受けたっていいんです。
なるほど。
ただ、午前中とかで締め切りとか、何時締め切りかもうちょっと覚えてないんですけど、
とかってなってると、もう他の賞状受けられないみたいな感じになるので。
そしたら2日目、3日目に回って、
そうそうそう。
とか、じゃあその第一クールの第一ステージで、夜、面接がある限り残るんですよ。
要は返されたら、さよならってことで。
なるほど。
戻っていいよって言われたら、合意がなかったっていうことで。
そういう感じなんですね。
その、基本震えにかけていくっていう感じなので、最初こう朝の段階でバーっと訪問者がいると。
で、大部屋に集められて、そこから一人ずつ面接に呼ばれていって、
で、こう帰ってきたと思ったらその後呼ばれて消えていくみたいな。
え、こーわ。
だからその残った人だけが、2回面接、3回面接受けられるみたいな。
実際、その3回、4回ぐらい面接受けて、全パスしたら晴れて入賞みたいになるんですか?
ま、というか1日に4回ぐらい面接します。
あ、1日に?
え、それは相手って誰になるんですか?
なんかその辺の人たち、役所の中の職員。だから大体は総合職受けてる人だったらその総合職の先輩ってことです。
で、例えば1日目に総合職の人の4組ぐらい受けて、で、第2クールの時にちょっと上の人が出てきて、みたいな印象ですか?
基本的にそうですね。大体若手の人から始めて、だんだん会える人のランクが上がっていくみたいな感じで。
最後どこまで行くものなんですか?
局長とか、局長って民間企業の部長クラスとかなのかな。
事務次官とかが出てくることはない。その役所、役人サイド、公務員サイドの中で一番偉い人って事務次官とかって言うんですけど、事務次官と面接で会うことは多分ない。
そこまではさすがに行かないですね。
そうなんですけど、なんかでも人によっては受験生の中にも詳しい人とかがいて、あの人企画館まで会ったらしいよみたいな。企画館ってのもまあまあ偉い人。課長ぐらいのレベルなんですけど、
なんか第1クールなのに企画館に会ってるとか言って、そういう間違いで待ってると噂をいろいろ流してくる人がいるんですよ。
へー面白い。
詳しい人が、あの人はもうギャッタイなもんだとかいろいろ言ってきて。
確かになんか就活とか、僕企業の就活とかしてましたけど、思い返すとそういうやついました。
詳しい人ね。
そうそうそうそう。
待合室でいろんな情報をくれる人。
そう。いやそうなんですよね。で、なんか今回の面接はあの人が来てるらしいぞみたいな。どっから仕入れたの?そういう情報みたいな人とかいますよね。
結局本当かどうかもよくわかんないですけど。
そう。確かにそういう情報ってどこの世界にもいるんですね。
そうなんですそうなんです。なんかオーディションっぽいなって思いましたよ。
まあまあそうなりますよね。古川さんはそういう情報なんですか?踊らされるタイプなんですか?
どうかなあんま気にしてなかった。し、逆に情報を提供するタイプでもなかった。
なるほど。
なんか東大だとやっぱり公務員になる人って割といる。最近あんまいないんですけど。
そんな時はまだ割といたので。
法学部の中だと結構公務員受験組っていうのが一大勢力として存在しているので。
だいたいそのロースクール行く組、公務員目指す組、民間就活組みたいな感じで。
まあそれぞれ3分の1ずつくらいいたんですよ。あの頃は。
で結構母数がいるのでその中で勉強会とか面接対策会とか。
ああなるほど。
こうやってたりするんですけど、なんかそういうグループがあって。
でも自分はそのグループには属してなかったから。
属してないんだ。
そういうなんか東大の内輪の情報みたいなのには触れては特にはなかった。
だからそういう意味ではちょっと一匹狼的な感じで?
まあそうかもしれないですね。
で公務員試験の勉強もその予備校みたいなのに通ってる人はそこで仲良くなったりもするし対策講座とかもあったりするからあれですけど。
まあ自分は独学系だったんで。
おおかっこいい。
参考書いっぱい出てるしセンター試験と一緒で過去問って世の中に公開されてるんで。
なるほど。確かに本屋さんとかではありますもんね。過去問集とか対策問題集みたいな。
なるほど。それでじゃあそのフクスクールの面接を勝ち抜いていってで厚生労働省に入っていくわけなんですよね。
当時はもう厚労省に行きたいって感じだったんですか?それとも他もいろいろ考えてたんですか?
他もいろいろ考えてましたね。厚労省以外にも財務省も見たし。
外務省とかも行ったし。総務省とかも行った。
だんだん記憶が忘れてきた。
当時のね。
あんまり想像つかないのが、企業でも例えば僕だったら薬学系だったんで製薬企業見たりとか化粧品会社見たりとか食品見たりみたいなことがあって。
それぞれカラー違うじゃないですか。ミッションも違うし。
割と今の省庁の名前を聞いてるとやることそれぞれかなり違うなって印象があるんですけど。
どういう軸で最終的に厚労省に行こうって感じになったんですか?
面接みたいな質問。面接でもこんなに聞かれるんですけど。
そうですよね。あなたの軸はみたいなのあるじゃないですか。
なんか広く国民生活に関わることに興味があって。
厚生労働省って本当に暮らしに密着。揺り籠から墓場までっていう年齢的にも社会階層的にもいろんな人に直接アプローチする分野だなと思っててそこに興味があったっていうのもあるし。
なんかあと日本の問題を考えた時に少子高齢化ってやっぱり重要な問題だなと思ってて。
少子高齢化によって何が困るのってなった時に結局経済とか財政のところだよねって思ってたのでその意味でも財務省。
財務省もある意味国民の暮らしに全部関わる。結局国の予算がっていう形でいろんな国民広くアプローチしてるのでその意味でもそういうとこにも興味があったっていう感じ。
で総務省は自分地方出身なのでその地方自治っていう面もあるけど総務省もある意味その地方自治という形で国民の暮らしにかなりこう全般的に。
まって言ったら別に何々省も他の省も全部文科省だったら教育を通じて農水省だったら職とかを通じて国民の暮らしに密着してるんで別にどれでもある意味どれでも同じなのかもしれないですけどね。
その中で総務省財務省っていうのは国民全体のかなりハードウェア的な戸籍の話だったりとか自治サービスの話だったりその予算の話だったりかなりハードウェア的な側面だなっていうふうに思って。
で厚労省とか他の省庁だともう少しそこの上に乗っかったソフトウェアでかつ国民にわかりやすい見えやすい政策施策をしていくようなイメージがあります。
うんうんうんそれは良い観点ですね。そのハードウェアソフトウェアっていうのは良い例えだなと今聞いていて思いました。確かにその総務省とか財務省とかっていうのはより中小的な制度で厚労省とかになってくるとその年金とか医療保険みたいな感じで
子育ては今子ども庁に行っちゃいましたけど、障害福祉とか介護とか具体的な人とかがあってイメージできるような施策が多いですね。そこは魅力的に感じました。
事業会社っていう感じですよね。
そうですね。だから国民に見えやすいし賛否もいろいろ多分受けることあると思うんですけどもやりがいもそういう面で国民に周知できるような自分はこういうことをやってますっていうことをわかりやすく伝えられるって意味でなんか誇りが持てるような象徴の仕事なのかなってイメージします。
確かに事業具体的な制度であるとかを持ってるっていうのは国民の暮らしへのインパクトを想像しやすいっていう意味ではいいですね。
でもやっぱ厚労省だと2020年のコロナのイメージがかなり強いんですけど、古川さん何年に入省されてるんですか?
古川 2016?違う違う、7?え、666です。役所では平成何年入省、自分平成28年入省なんで、いつも平成28って言ってるんで、でもよく考えたら2016です。
役所はそうですよね。僕もだって例は何年かとかわかんないですもん。書類出すときに聞かれますけど。そっかそっかなるほど。そっから何年くらい働くことになるんですか?日本の厚労省で。
古川 留学する前までは2020年の8月まで、いわゆる現場っていうかその霞がつきで働いてたので、コロナも結構やってました。
そっかじゃあもう本当にコロナの始まりの始まり、緊急事態宣言とかを出してるぐらいの時期はもう厚労省にいらっしゃったんですか?
古川 昔、緊急事態宣言の前、ダイヤモンドプリンセスとか、まだなんか謎の武漢肺炎みたいなところから見てましたね。未だに覚えてますよ。なんか1月くらいに班の中にテレビがあるんですけど、そこでなんかどっか海外からの帰国者が謎の肺炎でみたいなのを見ながら、いやこれ来月くらいまでには片付くといいねみたいなことをみんなで雑談してたのを覚えてます。
ところがその後ダイヤモンドプリンセス号で、あれ横浜でしたっけ?どっかでなんかそうやって集団感染が船内で起こってみたいなことがありましたよね。
古川 そこから次第に2月、3月と国民に広がっていって、4月の段階で緊急事態宣言を出すみたいな流れだったと思うんですけど、しかもマスクを、アベノマスクとかもあったし。
実はマスクの担当部署だったんですよ。
古川 そうなんですか。
自分がいた部署が医薬品医療機器衛生用品等を担当する部署だったんですけど、普通日本の厚生労働行政の中でお金とかの面でインパクトが大きいのは医薬品なんですよね。
だから医薬品医療機器衛生用品の部署だけど、実際は医薬品医療機器衛生用品って感じで、衛生用品のことなんか普段誰も気にしない仕事で関わることってほぼなかったんですけど、コロナが流行り始めてマスクがしなおすなどうしてくれるってなった時に、お前の部署、衛生用品の担当だろってなって、え?みたいな。
あったっけって。 あやばいやばいやばいっていう感じになって、いろいろと対応をしていく中で、国民にマスクを配るという政策を実施することになったと。皆さんのお手元にまだ届いたマスクを持ってる奇特な方がいらっしゃったら、そのマスクをひっくり返していただくと連絡先、問い合わせ先みたいなのがある。
なんかカード書いてありますよね。 そうなんですよ。あの問い合わせ先が厚生労働省移籍局経済課って書いてあって、その部署で働いてました。
そうだったんですね。で、ちょっと話は前後したんですけど、入省しましたってなって、2016年に。そっからもう何か課に直接配属になっていくんですか?それとも何か…
国家研修みたいな。研修には2種類あって、1つが公務員全体の研修。国家公務員全体の研修っていうのがあって、だから別に厚生労働省とかだけじゃなくて文部科学省の人も財務省の人もみんな国家公務員だよねっていうことで、国家公務員全体全員が集まる研修があって、また人数が相当いる。自分の時は700人くらい。
そんなにいるんですか? 総合職だけでそれくらいいたので、場所がオリンピックセンター、代々木オリンピックセンター、脱縮所みたいな感じですよ。で、3日くらい座学で、公務員の心が無いみたいなのを。
そんな感じなんですね。 そうですね。まだみんな学生の延長というか、学生気分抜け切らないような感じで騒いだりしてましたけど、一応そこで横の繋がりを作っておくっていうのが、
実際霞ヶ関で働いていると俗人的な繋がりっていうのが役に立つ場面が多々あって。
そうなんですね。やっぱりだからその時に同期の繋がりっていうのが役に立つんですね。 そうなんですよ。研修何組みたいな。
そこまで。だから一緒の班だったらより深く仲良くなれるみたいな。 そうなんです。
そうですね。800人いたら全員とは無理ですもんね。覚えれないしそんなに。
全体の研修、本当に800人で集まる3日間の研修と、その後5つぐらいのチームに分かれて、だから1学年ぐらいのイメージですね、人数の規模感としては。
5班ぐらいに分かれて、その5班ぐらいで5週間研修っていうのがあって、5週間またイランのいろんなことをやる。
1週間は地方自治体に行くとか、1週間は介護施設に行くとかみたいな。1週間座学とかそういう感じの5週間いろんなことを経験するっていう研修があったり。
100人単位で。 そうです。100数十人の単位でやる。
例えば自治体に行く時とかは別に150人で1つの自治体行くわけじゃなくて、これまた3人とか5人とかのグループになって1つの自治体派遣されるんで、そこで結構仲良くなる。
そうですよね。 っていうのが国家公務員全体の研修、総合職場全体の研修があって、もう一個が厚労省の中の研修。
厚労省の中の研修は2、3週間、3、4週間ぐらいですけど、座学が中心で、それぞれのいろんな部署、厚労省の中のいろんな部署が年金局っていうところが年金っていうのね、みたいな話とかをする。
実際、黒川さんが入省した時の厚労省の同期は何人ぐらいいるもんなんですか?
一番狭い考え方で言うと35人くらい。 狭い考え方?
狭い考え方っていうのが、厚労省の国家公務員の総合職の事務系っていうやつで、事務系と技官っていうのがいて、厚労省だと異形技官っていうのが一番想像しやすいかなと思うんですけど、お医者さんとか。
なるほど。 いわゆる利系っぽい感じの。 技術職的な。
そうですね。お医者さんとか看護技官とか、医薬品の薬系技官とか、そういうふうにある分野に特化したみたいな形で、それに対して事務系っていうのは総合職of総合職みたいな、ジェネラリストofジェネラリストみたいな。
で、こっち側が法律の人とか経済の人とか、いわゆる文系の人たちっていうのが、この事務系総合職と呼ばれてる。
なるほど。で、そこの中に古川さんもいらっしゃった。 そうですそうです。だからその狭い考え方でいくと35人だし、もうちょっと広げて。
技官とかを含めていくと。 技官を含めると70人くらい。この人は結構多いんですよ。技官の人たちが。
多いほうなんですね。 多いです。色々な分野を持ってるし、やっぱりその色んな人の知見。やっぱり獣医の人の知見とか。
そうか。 栄養士の人の知見とか。あと労働の分野もあるので、そういう色んな年金で数学の話を使うとかで色々あったりするので、結構多い。
で、もう一個さらに考え方を広げると、総合職だけじゃなくて一般職を入れると、またさらに100は超えるな。
一般職と総合職何が違うんですか?
総合職はジェネラリスト。一般職は日本語の翻訳本当によくないですよね。一般も総合もジェネラリストなんですけど、一般職の方がむしろ分野エキスパート的な感じですね。
例えば総合職は厚労省の場合だと厚生労働省ってもともと厚生省と労働省が合体して厚生労働省になりましたけど、いわゆる厚生系医療とかの分野をやるし、その後にその直後とかにじゃあ労働基準局って言って労働をやったりするんですよ。
だけど一般職の人っていうのはその中でやることっていうのはなんとなく分かれてて、その労働系をやりますとか医療系をずっとやりますとか福祉系をずっとやりますみたいな。
議官さんに近いようなイメージなんですね。そういうスペシャリスト的な。
そうですね。でも議官の人は議官の人で逆にそのお医者さんの人が、いけいけ議官の人が介護の部署にいたりとか、医療の部署にいたりとか、またその労働の安全衛生基準みたいな。工事現場でアスペスとかみたいな。他にもいたりするっていう感じです。
確かになって、労働のところで必要になるケースもありますもんね。
そうかそうか。じゃあもうちょっと一般職はそういうその分野の仕事に対する、高齢者の中の特定の分野に対してエキスパートであって、議官とかは特定のバックグラウンドのエキスパートであって、その時に最適化された仕事、最適な場所に置かれるみたいな感じなんですね。
そうですね。だからその配置される部署が一つ、一つというか同じような感じになるのか、やる仕事が何て言ったらいいのか、求められる知見が似たようなものになるのかっていうところ。
なるほど。そういう違いがあるんですね。でも総合職は…
何でもありのままになる感じで、ただそれも昔と比べるとやっぱり今って働いている人の側も、自分はこういう知見を積んできたんだみたいなことを、やっぱりこの分野エキスパート的なものになりたい意識って強いかなと思ってて、そうなった時に何でもあり型総合職って結構こうフワフワしちゃって、若い時とかなかなかある意味やりがいを感じにくい部分もあるかなっていう気がしますね。
なるほど。実際入って5年間、一つのところだけをやってきたんですか?それともいろいろローテーションみたいに回っていったりしたんですか?
基本的に2、3年で一部署を変わっていくのが普通なんですよ。自分の場合は最初の2年間は介護保険の部署にいまして、次の2年が医薬品、医療機器、衛生用品の部署だったんで、厚労省の中だったらやや近い方ではありますね。
そういう意味で言うと、コロナにあたった時は介護保険とかの知識を活かせたかわかんないですけど、似たようなバックグラウンドだったんで、専門分野をある程度磨きつつも新しいことに挑戦した段階だったんですね。
まあそうですね。全くゼロから今までの知識が全く役に立たないよっていう感じではなかった。
ちょっと蓄積がある状態で、そこに別の分野の話も上乗せしていったっていう。
そうですね。ただ介護保険と医薬品、医療機器の話っていうのは、介護保険と医療保険とか、介護福祉制度と障害福祉制度ってほど似てはいないので、物の考え方みたいなのはちょっと違う気がしましたけど、
あとお付き合いするのが、介護保険の部署だと社会福祉法人とか、非営利的な感じの人たちが多かったけど、医薬品の部署だとお付き合いするのは製薬企業が多かったりとかで、
っていう雰囲気の違いとかはあったりしましたけど。 確かに確かに。あとなんか予算の考え方とかも違いそうですね。
確かにそうですね。介護保険の場合は必要経費みたいなのがかなり決まっている。
医療というか、自分がいたのは医薬品医療機器等の産業振興っていうので、例えば規制、医薬品医療機器かける厚労省っていったら、一番パッと浮かぶのは新しい医薬品の認可であったりとか、そういうところだと思うんですけど、そういうことは実は医薬局という別の部署
PMDA的なとこ? そうですそうです。審査とかを担当する規制のルールを作るとかっていうのは別の部署がやっていて、自分たちがやっていたのはその規制の反対側、いけいけどんどんの部署で。
だから振興なんですね。 そうですそうです。っていうのが仕事だったんで、なのでこう日本の製薬会社がこれからも新しい薬品をきちんと作っていける。
モチベーションしていけるようにちゃんと研究に予算つけないといけないよねとか、企業のモチベーション下げないような税制とかじゃないといけないよねみたいなところをプロモーションしていくっていう部署でした。
いやいや全然全然。そういう動きから始まっていったと思うんですけど、コロナのパニックって。実際働いてる感じどうだったんですか、あの時期って。
いやー、中もパニックでしたけどね。
ですよね。ニュースの報道だとやっぱり厚労省が電話対応がもうパンクしてるみたいな話だとか、国民がなんか怒ってみたいな話ばっかりしたけど、対応ゴテゴテみたいな話ばっかりしたけど、中ってやっぱりそういうパニック状態で結構フラストレーションが溜まってるような状態なんですか。
そうですね。映画シンゴジラででっかい会議室みたいなところにガラガラガラってコピー機が運ばれてくるみたいなのとか、椅子、机に突っ込んで寝てる人がいるみたいな景色とかあったと思うんですけど、あれでしたね。
実際に厚労省の中の高校道っていう小学校の体育館みたいな広めのホールみたいなのがあるんですけど、そこにもう机、椅子、コピー機なども運び込んで、そこで20時間働くみたいな感じでしたね。
家ってちゃんと帰れてました?当時。 自分はもともとマイネージャーが嫌いで、職場からギリと保健内みたいなところに家借りてたんで、チャリ通してました。だから別に3時間でも1時間でも帰って寝ようと思えば寝られるっていう。
そのぐらいのやっぱり緊迫感だったんですね。3時間1時間みたいな。 1時間って日はあんまなかったと思いますけど、3時間みたいな日は割とあったような気がする。
普通に気づいたら3時とか4時になってるんですよ、朝。 それって具体的にどういうことを当時はやるんですか?デスクの上で。
何してたのかな。メールが死ぬほどくるんですよね。1日200件くらいメールくるんで、それを読んで捌いてると結構時間がかかるのと、電話がかかってこようもんならもうって感じですね。
そっか。それだけやってると、しかも止まることないじゃないですか。だから気がつくと3、4時に。
夜になると電話が止まるから、だんだんかかってこなくなるし、メールもだんだんこなくなるから、そうするとようやく落ち着いて作業ができるみたいな。
なるほど。そういうのが3月ぐらいから始まってくるんですか?
そうですね。3月はもう忙しかった気がします。3、4、5、6、7、8は自分はもう働いてないですけど、それはもう忙しかったと思いますね。
だって仕事内容もかなりクレイジーになってて。
でも、災害対応とかしてて思うのは、公務員になる人とか霞ヶ谷さんに働きたい人っていうのは、そういうことをやるために公務員になってるから。
そっか。
そういう災害みたいな非常事態の時に、頑張るのはいいんだよというか、しょうがないというかね。頑張る時だって思ってる気はしますね。
それって国の国難に対する使命を持たれた方がなられてる?
まあそんな気はします。みんながブチギレてるのは平時に忙しいとブチギレますね。
やっぱあるんですか、そういう業務の波みたいな。
ありますね。あとなんかくだらないっていうか、別に災害が起こりました非常事態です。そのために残業しますわ。理屈としてわかるじゃないですか。
そうですね。
だけど、そういう非常事態じゃないのに、ちょっと何か依頼があるかもしれないから残ってください。待機して、3時間後、ありませんでしたーとか言われて、このために何かキャンセルしたんだぞ、予定をみたいな。
確かに。でもそういう無茶ぶりじゃないですけど、突発的な予定とかも、仕事が来たりもすることもあったんですね、平時は。
そうですね。よく国家公務員というか霞ヶ関で働いてると予定が立てづらいみたいな。だから霞ヶ関界隈同士で家族だったりとか付き合ってるとかだったら別にいいんですけど、違う界隈の人だとなんであいつドタキャンめっちゃすんのみたいな。なっちゃうっていう。
なんかイメージ、失礼なイメージくじごじだと思ってました。やっぱ違うんですね。
まあ全部仕事とか部署とかにいるかもしれないですけど、結構霞ヶ関界隈は酷い働き方が多かった。
そっかー
その時、自分よく霞ヶ関っていうかその高生ロードショーの建物から帰るときに、よく喋ってましたもん。こんなに明かりがついてるこんなに明かりがついてるって。
冬屋城だって。
そうそうそう。忙しい部署のある界とかだけ結構明かりがいっぱいついてたりとかして。
へーやっぱそうなんだ。
今話をしてて思い出したのが、結構だから心理的にきつい。
体力的にきついし、国民からしてやっぱこの人何してるんだ、政府何してるんだっていう批判があったと思うので。
そんな中で、インターネットとかにもいろんな声があって、95%、99%くらい批判の声ですけど。
時々、まあでも頑張ってるじゃんみたいな声もあったりとかして、それが印刷されて体育館みたいなところに貼られてました。
あ、そうなんですか!
へー、だから特に体育館のことはコロナ時?
いや平常時。
違う違う、コロナの時です。
コロナの時ですよね。
そのコピー機とか椅子が置いてある空間に、壁に印刷されて。
そう、Twitterの投稿がA3の紙に印刷されたのが貼ってありました。
そうなんだ。
まあでもやっぱりそういう声って、あるだけでも力になったりするもんなんですね。
ちゃんと国民で見てる人がいるみたいな。
そうですね。普段怒られることしかないから、たまにそういう頑張ってみたいな声があると沁みますね。
うわー、ちゃんとそういう声投稿したかな、当時。
これは別に役所とかに限らないですけど、
常のフィードバックというか、不のフィードバックはみんなするじゃないですか。
オタクのシステム使いづらいですみたいなのは、やっぱりするモチベというか、怒り回りするけど、
良いものに対して良いっていうことってあんまりなかなかないなと思って。
だけど本当はそれももっとした方がいいんだろうなって。
確かに。
美味しいお店にはやっぱりウチゴつけてレビュー書いた方がいいだろうし、
間違いない。
多分お客様センターみたいなところも大半クレームが来るから、褒められるとすごいね。
これも時々ネットとかでバズったりしますね。
そうですね、確かに。
なるほどね。そういう感じだったんですか。
はい。
でもそんな中で、コロナ始まって4ヶ月ぐらいで留学を始めるんですか?
そうですそうです。
もともと決まってた、この留学のタイミングってのはもともと決まってたやつで、
そうなんですね。
そうなんですね。留学って結構2年、1年半ぐらい前からだいたい決まってて、
その次の移動とかも調整だったりとかね、明日から留学来ますって困るから、
そうですね。
この人は次の2年ごととかのサイクル、次の人事移動でこの人は留学っていう移動ですみたいな。
なるほど。
だいたい役所の移動、かつめや関の移動は夏が多くて、
この夏のタイミング、2020年夏のタイミングで古川は留学ですというのは決まってて。
イメージしづらいのが、そうやって省庁から留学という事例があるんだっていうのは初め僕びっくりしました。
よくあるのは社会人でお金行って貯めて退職してこっち来るはよく聞きますけど、
会社でもあるか普通に出張で行ってこいはあるけど、なんか省庁でそれあるっていうのがあんまりイメージつかなくて。
意外とこっち来たらそれあるなと思いますけど。
そうなんですよね。省庁の留学はもしかしたら民間企業の留学に近いのかもしれない。
こっち来ると民間企業からNBAとかできてたりとかそういう人もいるじゃないですか。
それに近いのかなと思っていて、だから仕事の一環として業務に役に立つ知識を持って帰ってこいと。
なるほど。
ネットワークとかも作ってこいみたいな。
一応そういうミッションが与えられるわけなんですね。
そうですね。ただそれも結構自分でしっかり考えていかなきゃいけないっていうか、
大向かな方針みたいなのは目的としてはちゃんと国のためになることを勉強するんだよ、国のためになるような振る舞いをするんだよみたいなことは言われてますけど、
それを具体的にじゃあ何を勉強するのか、どこの国に行くのが良いのかとかっていうのはもう完全に自分で考えて、
そういう志望書みたいなのを出して役所でオッケーって言われたら留学できるみたいな感じ。
そういう感じなんですね。なんかふるかさんの場合UCバークレーの情報科学研究科。
そうですね。
それって何て言ってそこに生かしてくれってなったんですか?
もう時代はデータサイエンスでしょって書いてきましたよ。
2019年ぐらいでいいんですか?
そうそうそう。2019年に書いたんですよ。その志望理由書みたいなのを書いて。
時代はデータサイエンスでしょって。
そう。でその役所の中にもデータサイエンスみたいなこと分かってる人がいないとまずいっすよみたいなことを書いて、まあそうだねみたいな感じで。
2019ぐらいだと当時AIっていう言葉が一般になってきたぐらいで
全然AIなんか第何時か分かんないですけど
第3次ブームかな?
AIも流行りかけてはいましたよ。
ですよね。まだ今みたいにChatGPTとかはないですけど、ただ言葉としてAIという言葉が民間に言葉だけ知れてきたなっていう
AIを使えばなんとかなるんでしょみたいな。今も同じですけどそこの意味に関しては。
今ChatGPT使えばなんとかなるようになってますけど、そういうAIを使えば何もかもがバラ色になるみたいな空気がちょっとあった。
そう僕も日本の大学でその2019ぐらいに母校で情報科学研究科みたいなやつが、研究学部かみたいなやつができて
これからデータサイエンスの人材を大学でも育っていくんだろうなって。なんかそういうちょっとブームが始まったぐらいの雰囲気がありましたね。
そのデータサイエンス科みたいなのがね、データサイエンス学部みたいなのが出来かけてきたような話ですよね。
でそこで実際にやっぱデータサイエンス大事だから厚労省の中でもそういうエクスパートになって帰ってきますみたいな感じで出してくるんですか?
そうですそうです。で他の人たちはMBAに行く人は少ないというか、かつてまあまあいたんですけど
MBA取った人がその後辞めがちっていう名前があって
ネットワーク作ってこっちでインターンして
アメリカで就職というよりかは日本の外資系
そっち行っちゃうんですね
日本の外資系の人たちからすると、自社の社員とかを留学させようと思うとお金めっちゃかかるけど
役所の人がもう自分でね、留学終わった状態で帰ってきたら、あとその人材をハントするだけみたいな
確かに。なんかカモがネギ背負ってきたみたいな状態ですよね
カモしれない。色々な個人の考え方もあると思うんですけど
ある程度エスタベーションされた段階で、うち来ませんかって誘いやすいですよね
まあそうですね
育てなくても即戦力として取れるから、企業側からしたら利益メリット大きいかもしれないですね
そういうことをやる人がいっぱい出たんで、MBAは消しからん
じゃあ逆にMBAは出せなかった状態なんですか
だから最近はルールが色んな公務員としてのルールと各役所でのルールみたいなのがあるんですけど
その各役所のローカルルールでMBAはダメっていうところもちょこちょこ出てきました
そうなんですか
なんか本末転倒っていうか何なんだろうなみたいな
やめちゃうからダメっておかしいよねっていう気はしていて
自己検査として
だから全省庁ルールの方でもMBAの人だけちょっと面接の質問が違う
なんかそのあなたは留学何を学びたいんですかみたいな質問あるんですけど
そういう面接みたいなのもあるんですけど
MBAだけなんかエクストラでちょっとステップが多かった気がします
じゃあちょっとそこはふるいを細かくして
そうそうそう本当に辞めないよねみたいな
でも逆にやっぱ2年間とかで色んな経験したら考え方変わることもあるでしょうっていう気はしていて
それはしょうがないよねっていう
そうですね
ちょっと自己弁護になっちゃった
自分は別に辞めたれと思って留学したわけじゃなくて
全然本当に帰ってくるつもりで留学して
留学した結果として考え方が変わって
アメリカに残った人間なんですいませんみたいな
じゃあそこの部分を今から話し聞いていきましょう