2025-10-10 37:38

#70 寿司を名刺にアメリカへ【Hult YaSushiさん 前編】🍣

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2025年10月のアメゴーのテーマは「クレイジーキャリアジャーニー」。あまり聴いたことないキャリアの変遷を生き抜いてアメリカを経験されているゲストをお迎えし、貴重なその旅路を一緒に辿っていきます。

今回は、ハルト・インターナショナル・ビジネススクールで学ぶYaSushiさんを迎え、スーパーコンピューターのシステムエンジニアとしての長年のキャリアから、50歳目前でのアメリカ留学、そして寿司職人資格、MBAの取得の軌跡を追っていきます🍣



🗽トピック🗽 

PIマップ/スパコンエンジニア/50歳目前でのアメリカ留学/寿司作りの技術取得/留学中における寿司の活用/アフタートーク


ベイエリアPIマップ 

https://www.sf.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/principalinvestigator.html


Hult International Business School 

https://www.hult.edu/


Tokyo Sushi School

https://sushi-school.tokyo/en/


YaSushiさんのnote

https://note.com/zaza0/


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

サマリー

NAKMURAさんがアメリカでの留学経験や、日本人研究者の情報を整理したPIマッププロジェクトについて話しています。また、ゲストのヤスシさんがハルトインターナショナルビジネススクールでの学びやキャリアについて紹介しています。このエピソードでは、アメリカに挑戦する決意を持った日本のエンジニアが寿司を通じて自己アピールする方法を探索する様子が描かれています。ハルトでの留学前に受講した寿司スクールでの経験や、留学のきっかけについても語られています。ヤスシさんはアメリカでの寿司職人としての経験を活かし、日本文化を伝える活動について話しています。また、寿司学校での学びや、現地の食材の違いについての試行錯誤にも触れています。

PIマッププロジェクト
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。この番組では、アメリカ研究留学4年目を迎えた私、NAKAMURAが、ゲストとお話ししながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、お聞きのあなたにお紹介することを目指しています。
最近、サンフランシスコ研究留学センターというところから発信されたんですけど、PIマップというのができたらしくて、PIマップというのは、僕たちがいるサンフランシスコの米エリア、とりあえず米エリアというところに、どんな日本人の研究者、特に自分で研究室を持っているような優秀な研究者がどこにいるのかというのをマップ化したというプロジェクトがあって、
それが最近、PIマップとして完成したというのが、いつだろうな、今年の9月、1ヶ月前ぐらいですね、9月18日に公表されて、それは目的としては海外で、特にアメリカで活躍している優秀な人たちをハイライトして共同研究したい人だったり、
特に若い人たちが海外に挑戦するために、そういう人たちにコンタクトしやすいような情報を提供するという目的で作られています。これ、僕も少しだけ手伝わせていただいたんですけども、これ比較的結構有用で、今のところPIマップといっても、まだマップにはなっていなくて、今のところリストなんですけども、こんな日本人のPIいるんだっていうぐらいいて、
その中にも僕たちが普段お世話になっているような人もいたり、世界は狭いなと思いつつも、このベイエリアっていうサンフランシスコのたった一部だけで、こんな2,30人いますね。2,30人も海外で活躍できる人がいるんだっていうのを知って、ちょっと僕的にも励みもありますし、
こうやってサンフランシスコとかベイエリアにちょっと来たいなっていうような学生さんがいたら、このPIマップを活用して、一旦ちょっと連絡取ってみて、例えば発表させてもらうとか、そういう方法もできるのかなと思うので、ぜひちょっと活用してみてください。
活用した際には、ぜひ僕にでもいいんですけど、この領事館の方だったりに報告していただけると、どんどんこのPIマップっていうのが、今ベイエリアだけですけど、まずは多分西海岸、シアトルだったり、その後テキサス行ったりニューヨーク行ったりボストン行ったり、全米でどこに日本人のPIがいるのかとか、
その後、多分ヨーロッパとかアジアとかオーストラリアとか、いろんなところに展開して、日本人の強いコミュニティを作っていけたらいいのかなっていうふうに思うので、ぜひこういうのに協力してもいいよっていう人もいたら、ぜひまた連絡ください。
今月10月のアメ号のテーマは、クレイジーキャリアジャーニング。あまり聞いたことがないキャリアの変遷を生き抜いて、アメリカを経験されているゲストを迎えし、貴重なその旅路を一緒に辿っていきます。
今週は、ハルトインターナショナルビジネススクールのヤスシさんをお迎えします。この後ゲストさんの登場です。よろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD。
改めましてNAKAMURAです。それでは今回のゲスト、ヤスシさんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず簡単にヤスシさんの自己紹介をお願いします。
初めまして、ヤスシと申します。アメリカに留学して現在で2年目になります。
昨年はハルトのサンフランシスコキャンパスでMBAを専攻していました。今月からポストに移りましてビジネスアナリティクスを専攻しています。
生まれは北海道の函館近郊にある乙部町という小さい漁師町でして、社会人になるまでは北海道で育った喫水の純ジャパド産後です。
卒業は東京近郊で20年以上日系及び会社系のスーパーコンピューター企業でシステムエンジニアとして働いていました。よろしくお願いします。
大学では何をやってたんですか?何を勉強してたんですか?
学部と大学院は共に物理工学系の漁師エネルギー工学というものを専攻していました。
簡単に言うと、いわゆる原子力発電所を開発したり運用管理するために必要な学問を全般的に勉強していたという感じになります。
例えば原子力というのは中性子を制御する学問が中心なんですけれども、当然発電するので電気とか電子工学、あとはエネルギー変換するための熱力学とか流体力学とか、
あとは放射線を扱うので、そういった計測技術とか、広く浅くいろんな分野の学問を勉強するといったことをやってました。
そこで北海道って原子力あるんですか?
北海道はありますね。一応今は停止してるんですけど、原子力発電所は、止まり原子力発電所というところがあります。
その後はシステムエンジニアだから原子力とは関係なかったんですか?
そうですね。研究自体は主に電磁流体力学という、電磁気と流体を混ぜたような勉強をしてまして、
主に核融合発電を実現するための、そういった物質の挙動解析というのをやってたんですね。
コンピューターに移ったきっかけというのが、研究で計算機シミュレーションとかやってたわけなんですけど、
結果が出るまでにスーパーコンピューターを動かして、1ヶ月とか2ヶ月しないと結果が出てこないという、
そういう世界でして、核融合関係でそのままアカデミアで研究するということも考えてたんですけど、
それ以前にスーパーコンピューターの性能を上げないと、全然研究が先に進まないなというような思いがあって、
それでコンピューターの世界に飛び込んで、飛び込んだという感じですね。
大学院を修士まで出て、その後って感じですか?
そうですね、はい。
結構大変ですよね。だってコンピューターある程度使ってるから何とでもなるんですかね。
そうですね、もともと大学入る時はコンピューターとかエンジニアリングとか全然あんま興味がなくて、
研究の段階で必要に迫られて、研究室にお金がなかったもんで、
そこら辺に転がってるしょぼい計算機寄せ集めて、大きな並列計算機システムを作って、
それをプログラム書き換えてシミュレーションしてたという。
すげーな、そういうのってどうやって学ぶんですか?自分で学んでいくんですか?
もう独学ですね。
まじか、すごい。
必要に迫られて独学です。
それはもうググってとにかく調べるみたいな?
そうですね、はい。
へー、そうなんだ。それはけどやっぱ才能があるんですね、コンピューター系の。
もう全然できないですね。
コンピュータエンジニアとしての経歴
もう力技みたいな感じです。
気合と根性の世界ですね。
ヤスシさんが就職された頃、大学院で研究された当時のコンピューターの世界ってどのぐらいのレベルの世界だったんですか?
どのぐらいの世界?
今だったらAIだとかスパーコンモ不学とかあって、みたいな状況だと思うんですけど、
当時だとそういうスパーコンとかの走りぐらいの時代ですか?
いや、一応スーパーコンピューターののは存在はしてて、ある特定の人しか使えないっていう極めてクローズな環境で使ってたという感じですね。
当時のコンピューターのスペックで言うと、普通のインテルのCPUが動作クロック子が100MHz。
今3ギガとかですよね。
今でギガとかいう感じですよね。だから十分一桁小さい性能のものを寄せ集めてやってたという。
メモリーがだいたい1ギガとか。
1ギガもあったかな。
そうですね。そういう世界です。
その後、企業ってコンピューターエンジニアリングって言うんですか?それは何をやるんですか?
いろいろやってたんですけど、これまで転職とか買収含めてだいたい3つの企業を経験してきたんですけれども、
一応フルスタックエンジニアと言ってソフトウェアからハードウェアまで何でもいろんなことをやってきてまして、
ただ一貫しているのはスーパーコンピューター一筋で、お客様が主に大学とか研究機関の研究者の方が主にお客さんで、
その人たちのコンピューターシミュレーションのプログラム、研究者とか持ってるんですけれども、
それを自社のそういうコンピューター向けに高速化したり、
あとはより大きな問題を解けるように改造したりとかですね、そういったことを通じて、
科学技術のブレイクスルーを促進するようなことに貢献してきたということですね。
それは実際何年ぐらいやってきたんですか?
20年以上ですね。
結構ですね、結構長いですね。
いろんなことをやってきて、代表的なところで言うと、
皆さんご存じの理科学研究所の今動いている副学であるとか、
その一つ前世代の軽コンピューターにじゃダメなんですかって一時期言われた、
事業仕分けで非難を受けたこの軽コンピューターですとか、
あとは何でしょうね、身近なところで言うと気象庁のスーパーコンピューターで、
日常的に天気予報の予報っていうのは計算機シミュレーションでやってるんですけれども、
そういったものを高速化したりとか。
すごいな。
あとは大学時代やってた核融合の研究の延長で、
原子力の研究所の方と一緒になって、
そういったアプリケーションを高速化することをやったりとかですね。
結構国関連にかかってるんですね。
そうですね。主に国とか、国立研究所のお客様がほとんどでしたからね。
民間は割と少なかったかな。
それは企業から助っ人みたいな感じで助けに行くのかも、
その企業にそういう案件が降ってくるんですか。
民間企業であれば、お客様からこういうプログラムを
もっと短い時間で実行できるようにしたいという要望があって、
いくらでできますかと言われて、
それに応じて、金額に応じて、
受託してプログラムをいじって早くするっていうような、そんな仕事ですかね。
国系だとそういうプロジェクトに参画するって感じなんですか。
そうですね。あとは国系だと、
例えば大きなスーパーコンピューターをどこか国の機関に導入する場合っていうのは、
ただ単にこのコンピューターがいくらですよっていう感じで、
物を売るだけじゃなくて、
お客様からこのプログラムを、プログラム何本か渡されて、
このプログラムをお宅の提供するシステムでどのくらい早くできますかっていう、
そういう技術試験みたいなのがあるんですよね。
そうなんだ。
どんだけ早くできるかに応じて、
入札の時の特典とかそういったものが総合的に評価されて、
そのシステムの金額だけじゃなくて、
そういう技術的なものの点数を総合的に評価されて、
受注できるかできないかっていうのが判断される。
コンペ的なやつなんかあるんですね。
そうですね。コンペですね。
よくドラマで見るやつですね。
それはハードウェアのメーカー間でのハードウェアというか、
そういうサーバーを売る側のスパコンを売る側のメーカー間のコンペみたいなイメージですか。
そうですね。
だからメーカーじゃないところもありますし、
商社みたいなところであればどこかからシステムを調達して、
それを売るっていうところもありますし、
自社で作ってるものを売るっていう会社もありますし。
代表的なところで言うと不実とかヒタチとかNECとかそういったレンダーがメインかな。
もちろん外資系の企業もありますけど、
IBMとかヒューレットパッカーとか。
この原稿のところにGPUハッカソンのメンターって書いてあるんですけど、
これそういう学生たちの教えてたりもしてたんですか。
そうですね。これも一応メンターの資格みたいなのがありまして、
一応そのメンター持ってたんで、
一つはローレンスバークレーラボ。
バークレーにある研究所ですね。
研究所とかあとフロリダ大学とか、
あと東高大とか。
そういったイベントでいろんなメンバー、学生とか研究者が参加するんですけれども、
そういった人たちを支援して、
例えばAIのプログラムですとか、
そういったものを高速化したりするための技術的な支援をするっていうようなことをやってたりしました。
すごいですね。
じゃあアカデミアにも?
そうですね。はい。
そっから20年、こういうコンピューター系をやりて、
ハルトっていうところに行ったんですか。
そうですね。はい。
ハルトは、ハルトインターナショナルビジネススクールっていうところって何をやるところなんですか。
ハルトはビジネススクールなんですね。小さなビジネススクールで、
キャンパスがサンフランシスコとボストンと、あとロンドンとドバイ。
ドバイ。
の4カ所あります。ドバイはあるんですよ。
いいな。
それで、自分は将来的にアメリカで就職したいと思ってたので、
それでビザを獲得するために選んだっていう経緯があります。
そのハルト自体は、日本で入学して海外に来るって感じなんですか。
いや、入学はもうアメリカにですね。
アメリカの学校なので。
アメリカへの挑戦
すごいですね。なんか急に20年働いて、そっからアメリカに行こうっていう、
なんていうの、モチベーションは何だったんですか。
モチベーションはそうですね、もともと何でしょう、ずっと今まで核融合を実現するための支援をしたいという思いがあって、
ずっとスーパーコンピューター業界にいたんですけれども、
スーパーコンピューターの性能も徐々に性能の向上が鈍化していって、
その一方でAIとか量子コンピューターとかなんか新たな技術がどんどん生まれてきてるっていう状況で、
このまま日本にいても何かできたのかもしれないんですけれども、
今まで20年働いてきて、やっぱり日本っていうのは常にアメリカに対して3年から5年ぐらい遅れているっていう状況があって、
なおかつ定年もあるじゃないですか、定年制もあるので、
そんなこんなでちょっともう日本にいてもできることがなくなりつつあるなという思いがあって、
じゃあ思い切ってアメリカに出て挑戦しようということでアメリカを選んだという形ですね。
結構思い切ってますよね。だってもう40歳とかそんぐらいの時に、よしアメリカに行こうってなったんですもんね。
そうですね、もっと後ですけど。もう50、50歳くらいかもしれないですけど。
すげえな、バイタリティがすごいな。
しかもやっぱりこんだけ長い期間一つの業界で働いてきたってなると、周りの人からもかなり異流されたりするもんなんじゃないでしょうかね。
そうですね、本音でどう思ってるのかわからないですけども。
まあまあもったいないとか、何考えてんのみたいな、そんなことは言われる一方で、
やっぱり応援してくれる方も結構いて、他の人にはできないからこそ自分に頑張ってほしいというような思いがあったのかなと。
だからエンジニアの中でもやっぱり海外に出たいと思いつつも、なかなか周りの状況とかご家族の状況とかいろいろ踏まえて、
なかなか世界に出るきっかけがないで悶々としてる方っていうのは結構いらっしゃると思うんで、
まあまあその人たちのためにもなんかちょっとできたらいいなと思いつつ。
そういう意味ではロールモデルを作り出してる、さなかっていう感じなんでしょうかね。
そうですね、なのでちょうど自分のようなロールモデルがいなかったっていうのがあったんで、もう自分がやるしかないっていう感じで。
寿司スクールでの学び
まあ留学はもうほんと何歳になってもできるってことなんですね。
そうですね、はい。
すげえな。
アメリカンナイトGOLD!
なんか面白いのがこのハルトっていうところに行く前に、寿司スクールに通われてたんですよね。
でなんか実際に浦和さんも去年かな、去年のサンクスギビングに振る舞ってもらったんですよね。
僕その写真見せてもらいましたけど、がっつりこっちで見ることがない寿司だったんで。
そうですね、何作りましたっけ、いなり寿司とか太巻とか。
漬けマグロとか。
あとサーモン買ったつもりだったんですけど、間違ってスモークサーモン買ってしまって、スモークサーモンのにぎりを作りました。
それもそれでおいしそうだけどな。
どれもおいしかったです。
この寿司をやろうって思うのは、それはなんでだったんですか?
これ、ハルトに留学する前にですね、実は2ヶ月間サンフランシスコに前倒しで語学学校に行ってたんですよね。
で、その時にテック系のネットワーキングイベントとかにいろいろ参加したわけなんですけれども、
その時に自分がやってる仕事のこととか、要は自分をアピールするのにすごく苦労してたのが一つのきっかけですね。
このままだとちょっとまずいっていうことで、語学留学の後に2ヶ月くらい一旦日本に戻ったんですけど、
その時にもう一回戦略を考え直してですね。
で、今までの自分の、あれですよね、老いたちとか、いわゆる漁師町で死ぬほど毎日寿司とか食ってきたりした経験とか、
あとはそのスーパーコンピューターでプログラムの並列化とか高速化とかやってたっていうところは、
寿司を作る手順とかそういうのに例えて何か説明できるかなとか、
あとは名前、自分の名前に寿司っていう文字が入っているから、それもきっかけで覚えてもらいやすいかなとかですね。
あと単に寿司好きっていうよりもやっぱりちゃんとした寿司職人としてのサーティフィケートを持っていると、
やっぱり全然説得力が違うんじゃないかなっていう感じで、
サンフランシスコは特に寿司に対する評価がやっぱり日本に比べて高いですよね、メジャーですし、
そういう意味で寿司をキーワードとして自分をセルフプロデュースすることを考えた場合に、
寿司っていうのがやっぱり一番ベストなんじゃないかなというふうに考えて、
帰国している2ヶ月の間に、とにかく1ヶ月ぐらいでそういうサーティフィケートを取れる寿司学校がないかなって探して、
そこで東京寿司スクールっていうところに行き着いたという感じです。
そうですね、今だとたくさん書き出寿司とか、書き出寿司だったら2日で取れるんですよね。
そうそう、いろいろありますよね。
なんかあるんですけど、それは東京寿司スクールっていうのはどんぐらいかかるんですか?
そもそもサーティフィケートってあるんですか?
一応あります。
そうなんだ。
一応寿司スクール自体は池袋にあって、講師自体は元、銀座で寿司職人やってた人とか、
あと寿司チェーン店で働いてた人とかが講師なんかやったりしてて、
で、カリキュラム自体は約1ヶ月間ですね。
1ヶ月間で寿司職人としては大体3年修養したぐらいの技術を身につけるっていうのを目的にしています。
約1ヶ月で寿司職人3年分のスキルを身につけられる。
それいけるものなんですね、そんな。
実際寿司職人といえども最初は掃除から始まり、なかなかこのものを教えてもらえない時期とかがあると思うんで、
そういうのも踏まえて3年ぐらいっていう感じですかね。
同期みたいなやつはいるんですか?
そうですね、私の時は生徒で言ったら大体5、6人ぐらいの小人数制でやってまして、
少ないですね。
メンバーは大体みんなこれから海外に特行予定の方っていうのが大半でしたね。
私がアメリカのサンフランシスコで、もう1人がロサンゼルス。
あとは他はカナダのバンクーバー、オランダ、スペインのバルセロナ、あとUAEのドバイ。
そういう人たちは何を目的に寿司を学んでるんですか?
いろんな職種の方もいて、本当に寿司職人として働きたい、ビジネスをやりたいって思ってる人もいれば、
寿司のスキルとコミュニケーション
あとは何でしょう、営業として、海外の営業として働いて、
接待のネタとしてお客さんにお寿司を振る舞ったりとか、
そういったいろんな方がいます。
へー、面白い。
私みたいに就活目的でそういう寿司を学ぶ人もいれば、さまざまですね。
すごいですね、就活目的の人はなかなかいなそうだな。
あとは最悪、エンジニアとかとして就職できなかった場合のバックアッププランとして、
寿司職人で働けたらいいかな、みたいな。
この3年程度の技術ってどこくらいまでを指すんですか?
よくわかんないですけど、基本はでも魚を普通にさばいて、
1人前一通り作れるっていう感じですかね。
特に江戸前寿司にここは特化しているので、
他の寿司学校だと寿司だけじゃなくて、
いわゆる和食とか刺身とか天ぷらとか茶碗蒸しとか、
そういったものを意識やる学校もあるんですけれども、
そこはもう江戸前寿司に特化しているということで、
もう余計なところはやらずに範囲を絞って、
短期間で一通り寿司、江戸前寿司だけを作れる。
技術を身につける。
魚とかって、サマイオオロシは普通に僕もできるんですけど、
ヒラメとかああいうのってゴマイオオロシとかじゃないですか。
そうですね。
そういうちょっとサマイオオロシの上を行ったやつも
やっぱりできるようにならないといけないんですか。
そうですね。
それ大変だな。
アジは毎回やってましたね、必ず毎日アジはやってて、
日替わりでそれこそヒラメですとかタイとかマグロ、
カンパチーとかいろんな魚を扱ったりしてましたね、アナゴとか。
アナゴ難しいな。
あとは貝類。
貝も難しいですね。
赤貝とか、あとは何だろう、イカタコとか、
あとは卵焼きもそうですね、卵焼きもやりますし。
どの素材が一番難しいですか、捌くのって。
捌くのは、やっぱヒラメとか結構難しいですかね。
塩皮とかもちゃんと綺麗に残すっていうのが結構難しいし、
アナゴとかはやっぱり難しいですね。
アナゴとか焼くんですよね、白焼き。
焼き、そうですね。
難しそうですね。
アナゴは一回しか、だから実技はやらせてもらえませんでした。
そんな。
食材も結構高価だったりするんで、
安いアジとかカンバチとかそういうので、
練習をたくさんしてっていう感じですかね。
実際に授業としてはどういう感じなんですか、1日のスケジュールというか。
えっとですね、授業は朝本当に朝9時から夕方5時ぐらいまで、
月から金曜日のフルタイムでやってましたね。
初日は包丁の研ぎ方から始まり、
米の研ぎ方、あとは砂利の炊き方をやって、
徐々に魚を捌いたり、あとは巻物とか握りとか、
いろんな食材使いながら、
その日その日でいろいろ種類を対応できるレパートリーを増やしていくっていう感じですかね。
作った寿司はランチとして自分で食べてました。
それいいですね。
いやでも初めのうちは良かったんですけど、
毎回なんかカッパ巻きとかしょっちゅう作らされるんで、
もうなんか食い飽きたなっていう。
カッパ巻きは確かに一番安いですもんね、たぶん。
そうですね。あと一応実技試験っていうのがあって、
一応規定時間内に巻物5本とか握り20貫以上とか、
あとは寿司おけ3人前作ったりとか、
そういったのを制限時間を設けてやる試験っていうのがありましたね。
一応それをクリアしないと、ちゃんと症状がもらえないというか。
そうなんだ。
握り20貫とかってどんぐらいで握れるものなんですか?
どんぐらい握れないと思うんですか?
5分、5分だったかな。5分で20貫とかだったかな。
5分で20貫。結構大変だな。
まあまあ1分間で、そうですね。
4。
4貫ぐらいですか。
一応なんか見た目とか形も結構厳しくチェックされてて、
形が悪いと原点になったりとか。
なるほど。
あとは魚を実際に卸して切り付けて握り作るんですけど、
食材のロスとかがあったりするとそれはまたダメだ。
あと板の周りが汚いとか。
いろいろ処算も含めて、
実際だからお寿司屋さんの板場に立つことを想定した審査基準になってるので、
結構あれなんですよ。
いろいろ細かいところで厳しいんですよね。
そうなんだ。じゃあ結構大変ですね。
そうです。
しかもLinkedInで確か点数書かれてましたよね、この実技試験の。
一応ほぼ満点に近い点数ですよっていうのを。
どのくらい意味があるのかよくわからないですけど。
LinkedInでそうやって資格とかのこういう点数取りましたよっていう欄があるんですよね。
そこに書いてあって90だって。
絶対聞こうと思って。
一応自分が作った作品もポートフォリオとして載っけておいて、
一応このくらい作れるんだぞっていうのをアピールするために一応載っけてます。
この1ヶ月で一番得意だったネタは何ですか?
得意、そうですね。
一番作ったのはかんぱちとかかな。
結構でかくて切りやすいんでいいんですよね。
逆にマグロとかだと脂身が多すぎて、脂身が多いと綺麗に包丁が入らなくなるんですね、切れなくなって。
確かにかんぱちとかパチパチしてますもんね。
確かにかんぱちいいな。
実際それ役に立ちましたか?1ヶ月学んでアメリカに来て。
そうですね。やっぱりコミュニケーションの手段としてはやっぱりすごく引きが強いかなと思ってます。
やっぱりなんだかんだ食っていうのは全世界共通な話題になり得るので、
なんですごく役に立ったと思います。
それは実際に日本人に、外国人に受けるんですか?
アメリカでの寿司体験
外国人にも受けますね。結構外国人もみんな寿司知ってますし、
本当に握り寿司とかだと値段が高いっていうのも知ってるんで、
俺寿司握れるよって言ったら、めっちゃ食いつきがいいです。
食わせろ食わせろって毎日とか学校ではよく言われてましたね、先生とかにも。
しかもハルトでパーティーみたいなのやられたんでしたっけ?
やってますね。ハルトは一応課外活動で、学校内で寿司クラブっていうのを立ち上げて、
学生向けにいわゆる日本の伝統的な寿司の文化とか、
そういう寿司の握りの技術とか、そういうのを教える活動をしてました。
めちゃめちゃ役に立ってますね。
実際だから僕もそうやって安さんとお話しさせていただいたときに、
やっぱり僕ら食べさせていただいた中では闇の寿司職人として、すごいインパクトが残って。
なんか本当にだからそういう名刺代わりになる特技というか、
引きになる技術ですよね、これ。
そうなんですよね。
だから実は寿司以外にも日本文化を伝えるネタとして、
都兵前に空手道場とかにも行ったんですよ。
極真空手の道場とか行って一応通って。
道着もサンフランシスコに持ってきたんですけど、なかなかそれは披露する場所はなかったですね。
やっぱり人殴ったり蹴り加えるわけにはいかないんで。
その点寿司はやっぱり平和的に。
寿司の方も衣装持ってこられてますよね、衣装というか和服っていうんですか、あれは。
やっぱ見た目は重要なんで。
じゃあ実際この寿司の経験がどうですか、ボストンの方でも活かされてますか。
そうですね、早速昨日おととい寿司を作って広めてます。名刺代わり。
確かに結構相関が強い名刺ですね。
そうですね。
僕なんか今ちょっと調べてみたんですけど、僕が知ってる寿司のやつ、15万円ぐらいするんですよね、3日で。
そうですね。
これっていくらぐらいするんですか。
自分が行ったところはいくらだったっけな、3、40万ぐらいかな、2ヶ月40万ぐらいしましたね。
まあでも十分なんかペイしてると思いますね。
それなんか聞けてよかったです。
あとはなんか紹介するとその紹介料とかも入ってくるんで、もし今後自分も東京寿司学校行きたいと考えてる方はぜひお知らせいただければ紹介して、
入会する方も若干多分ディスカウントになると思いますし、私にもちょっとキャッシュバックがあるんで、ぜひお知らせいただければと思います。
というわけでここまでヤスシさんがアメリカ留学を始める前までのお話を伺ってきました。
なんかすごいコンピューターの人、コンピューター関係とか物理学とか、そういう全く寿司とは関係ないことを何十年もやられてきた人が急に寿司職人になって、その後アメリカに行こうっていう話を聞けたので。
寿司職人に転職したわけじゃないからね。
今はもうほぼ寿司職人プラスアメリカで就職しようとしてる人みたいな感じになってるので、そういう点では異色の経歴を聞けて、後半その異色の経歴をさらに掘り下げていくのがすごい楽しみだなっていう風に思ってるので、また後半もよろしくお願いします。
寿司学校の学びと試行錯誤
さて、アメリカンナイトGOLDは毎週日本時間の金曜0時に配信をしています。
番組でご意見ご感想は、ハッシュタグアメ号をつけてSNSでつぶやいていただくか、メールフォームにお寄せください。皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手はNAKAMURAと
やすしでした。
また来週。
寿司職人いいなぁ。やってみたやろ。
作ってよ。
作って。多分これ難しいんですよね。すごい簡単そうに見えますけど、多分絶対難しいんですよね。シャリとか。
いやーでもそんなことないよ。
でもやっぱりシャリ絶妙でしたよ。いただいた時。
なんか握りとか、たぶん力のやつか。
確かに寿司学校でやると、もういつも使ってる材料っていうのはもう決まってて、酢の配合とかもいろいろ学校側で試して、もうベストな配合って決まってるんで、毎回同じ量でやってるんですけど、
実際自分でこっちにアメリカに来てやろうとするとやっぱり米とか違ったり水とか違ったりするんで、そこはなんか最初の試行錯誤は必要な部分はありますね。
米とか特に大変ですよね。お酢も手に合いんだろうし、思ったようなやつが。
昨日はカリフォルニア米で作りました。
カリフォルニア米おいしいですよね普通に。
おいしい。おいしいですよ。
おいしいけど握った時にほどけやすさがまた変わったりしませんか?水分量違って。
あります。
そこは試行錯誤して水の量を調整するとか?
うん、それはありますね。
やべえな寿司職人と話してるな今。試行錯誤し始めたらもう完全に寿司職人ですからね。
現地で再現できるようにね。
最初米炊く時は電子レンジのライスクッカーとか使ってたんですよ。
でもそれだとなんか吹きこぼれてグルテンみたいなのが流れ落ちちゃって、そうすると粘りがなくなっちゃうんですよね。
だからそれはもう諦めて結局日本の炊飯器を買いました。こっち来て。
寿司のあそこって炊飯器炊いてるんですか?
寿司学校はガスの釜があって、それで炊いてますね。
でも普通に炊飯器でも作れます。
いいな。もうちょっと安かったら行くんだけどな。結構高いんだよな。
自動車学校の2倍くらい。
アメリカにもなんかあるらしいですよ、日本の寿司学校で。東京寿司アカデミーっていうか確かインターナショナルクラスみたいなのがあって。
それなんか1回ウェイモのエンジニアの日本人の人がいて、その人がやっぱり寿司学校行ってて、東京寿司アカデミーのインターナショナルクラスで。
1回あれですよ、寿司パーティーやりましたよ。
それ握り合うんですか?
握り合う。握り合いパーティー。
何そのパーティー。すごい。シャフの対決みたいな。
それぞれ流儀を確認して。君の学校でこういうやり方してた?みたいな。
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