京都での生活と事業
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
東京都北区飛鳥山。暖炉のある小篠光洋さんの部屋には、未来を思う様々な人たちが遊びに来ます。情熱とアイデアが交錯した素敵なおしゃべり。さあ、今夜はどんな話が飛び出すのでしょうか。
飛鳥山の窓から、TOKYO NORTH MOVEMENT
パーソナリティを務めます、小篠光洋です。
今、私がいる場所は、王子飛鳥山にある邸宅の談話室。
こちらに、北区内外の多彩な企業家、経営者をお招きして、グラスを傾けながら、じっくり楽しくお話しする。そんな雰囲気でお送りしたいと思います。
今月お迎えしておりますのは、株式会社オンドン、代表取締役社長、近藤淳也さんです。ようこそいらっしゃいました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
さて、今日はこのお仕事もありますので、東京へお出かけいただきたいと思います。
普段は京都にお住まいということですか。
はい、そうです。
いいですね、京都に何かに住まえて、かっこいいですね。
いやいや、たまたまです。
もう何年くらいになるんですか。
行ったり来たりはありましたけど、大学で18歳の時に京都に住み始めてからですね。
そうですか。
はい、だからどうかな。25年以上。
そうですか、じゃあもう本当に京都住み住みまでご存知。
いや、それは分からないですけど。
それでは早速ですけれども、近藤さんのお仕事の現在の事業内容について、簡単にご説明いただけますでしょうか。
はい、株式会社オンドという会社をやっていまして、いくつか事業があるんですけれども、物件ファンという物件のメディアから始まりまして。
物件ってどういう。
不動産物件です。
なるほど。
割とリノベーションとか、ちょっとそういう変わったというか、物件を個性的なものを紹介するメディアをやっていたり。
あとは京都で、宿とコワーキングとレストランが一緒になった複合施設ですね。
安能京都という施設の運営をしてまして、100年以上前の有格建築をリノベーションして、泊まって仕事もできてご飯が食べれるみたいな感じで滞在しながら仕事したり観光したりできるそういう施設を運営していて、オフィスもそこに置いています。
トレイルランニングの体験
京都というと今の100年以上の有格とか、東京ですとやっぱり戦争の空襲とかで焼けてしまってという、本来残して活用すべきものの数というのが絶対量が東京少ないのに比べて、京都は豊富にあるじゃないですか。
今のお話でいつ頃から目をつけられてというか、お仕事を始められたんですか。
そうですね。物件ファンでいろんな不動産会社さんと付き合いが始まって、その付き合いしていく中で京都で町屋とかをリノベーションたくさん手掛けられている八瀬さんという会社さんと、
あと鎌倉で不動産のクラウドファンディングとかもされているエンジョイワークスさんという会社と仲良くなってというか、一緒に何か面白いことをやろうということになって、
京都も町屋の宿っていうのはたくさんあるんですけど、いわゆる京町屋を。
片泊まりとか。
そうですね。
朝ごはんしかないみたいな。僕も大好きで何回か問われます。
いいですよね。あれもすごくいいんですけど、あれはもう本当にたくさんあるんですけど、やっぱりその誘惑ってなると、まず新規ではなかなか出てこない物件ですし、非常にまた純和風って感じでもないですね。
カフェ建築って言われたりする。
面白いタイルの使い方をしていたりとかね。
よくご存知です。そういう建築がちょうど出ていたので、これは面白いということになって、そこを回収して宿にしようという。
3社で盛り上がって始まって、今で7年ぐらい運営している感じです。
いいな。僕も建築不動産の関わりを持っているものですから、すごい羨ましい仕事だなという。
いろいろね、もちろん大変さはあると思うんだけど。
結構今ヨーロッパの方とかにすごい人気で、半分以上外国の方が泊まっている時期とかも多いんですけど、フランスの方とかかなりお好きですね。
好きだよね。フランス人とかっていうのは本当に日本人がそれまで歴史的に使ってきた使い方じゃない。
全くこうやって使うの?みたいな。例えば火鉢なんかの使い方にしてもそうだし。
そういう少しカルチャーは違うんだけど、すごくいろんな興味を持ってもらえるというかね。
そんな感じはありますよね。
あとヨーロッパの方は結構長期滞在が多くて、やっぱりバカンスが長いんですよね。
結構2週間から1ヶ月とか日本に来られて滞在される方も多いんですけど、
そうするとちょっと仕事できる場所があるっていうのがやっぱりすごくいいみたいで。
割と半分ぐらい観光行くけど、半分ぐらいコワーキングでずっと仕事してるみたいな方も結構いらっしゃって、
そういうちょっと長期滞在の方に喜ばれてます。
いいな。僕もそういう仕事の仕方したいですね。
なかなかね、ちょっと半分住んでるみたいな感じもね、いろんな街を体験できるので、確かにいいなって僕も見てて思います。
どこかの会社のキャッチフレーズだったと思うんですけれども、
要するに住まうように旅するっていうキャッチがあって、
そこから引っ張ってきて、今実は北区では旅するように住まうっていうのを、
最終的には観光をやるにしても何にしても、別に京都みたいに神社、仏閣があって何してっていうんじゃないんで、
やっぱりこの地域の良さを分かってもらって、
最初は滞在、もしくはちょっと長めにとか、ビジットですよね。
ビジットからステイになり、それからこのリーブになっていくっていうのを目指す、
旅するように住まうっていうのを言ってるんですけど、
今の話になったらもうまさに最初のキャッチフレーズ通りでね、
住まうように旅するって憧れますね。
ぜひよかったら来てください。
ということでございまして、
ちなみに授業他にあと2個くらいあるので見ていいですか。
どうぞぜひ。
最近やってるのがイブキというGPSのトラッキングサービスを展開してまして、
これはトレイルランニングってお分かりですかね。
山を走るスポーツの競技人口がすごい増えてるんですけど、
競技っていうのと普通に楽しんでるだけの方もいらっしゃいますが、
山を走る大会がいっぱい増えてるんですけど、
どこ行ったか分からなくなっちゃうと困るので、
GPS端末を皆さんに持っていただくと、
1画面で全員の場所が地図上に一気に分かるっていう仕組みを今作りまして、
提供していて、それが今全国で100大会近くに採用いただいて、
どんどん増えてるっていうところで。
要するにシステムも作られて。
もともと自分は趣味でトレイルランしてただけだったんですけど、
そういうのがないんで不便で作ったら、
いろんな大会に使っていただくようになってということで、
今GPSのシステムを提供していたり、
学生時代のアクティブな活動
あとはリッスンというポッドキャストのサービスですね。
今ちょうどここに来てるのもその縁で。
そうですね。そのお話はぜひ後半、また膨らましてお伺いしたいと思いますが、
今トレイルがご趣味というお話もありましたけれども、
大生まれは三重県ということで、
学生時代にはサイクリングに夢中になっておられたというお話も伺いましたが、
三重県から東京まで往復していたって、
別に通ってたわけじゃないんでしょうけども、
夏休みの時にはそんなこともやりになられた。
そうですね。高校の2年生の時にちょっと遠くに行きたくなって、
夏休みの宿題が結構あったんですけど、
それをもって三重県から東京まで行って戻ってくるという、
20日ぐらいかけてやって、
宿題が結構多い学校だったので、昼間は図書館に入って。
そうすると東海道上がっていく時の、そういう図書館のとこに寄って。
はい。私立図書館とか県立図書館とかで勉強して、
朝夕に自転車で走って、その辺の公園で野宿して、
また次の町に向かうみたいな。
すごいね。
3週間ぐらいかけて。
なんかきちっと宿題やるとこなんかは優等生なんだけど、
極めてアクティブというか、素晴らしいですね。
そういう意味では、生徒会長も親人になられてたんですけども。
よくご存知です。
いやいや、そういう取材のメモが来てるんですけども。
それは、これが元だったのかどうか知りませんが、
爪切りの制服が嫌で、高速から変えてやるというのが一つ、
公約の一つだったって聞いてますけど。
制服の強制と反抗
よく調べられましたねって感じなんですけど、
中学生の時に、小学校の時は自由な服で、
すごい自由な学校だったんですけど、
いきなり制服着ろ、爪の制服毎日着なくちゃいけなくて、
頭も坊主にしろって。
髪の毛丸めなきゃいけなくて。
全然意味が分からなかったんで、
先生になんでですかって中学校入って聞いたんですけど、
どんな大人に聞いても納得のいく答えが。
もう決まってんだぞ、昔からなんだって。
全く納得できる答えが得られなかったんで、
じゃあ意味ないんですねっていうことで、
じゃあ変えようっていうことで、
生徒会長を立候補して、高速帰れるのかなと思って、
中学校2年の時ですかね。
2期、1年間頑張ったんですけど、
全然ちょっとだけ帰れたんですけど、
すごい頑張って活動して、朝のクラブの朝練に行くときに、
爪切りじゃなくて学校指定のジャージでもOKになったっていう変化だけできました。
でもそれは中学生が勝ち取った成果としては、
なかなか大したものだなっていう感じがしますけどね。
いや、もう僕はこの世界はくだらない意味のないルールで動いてて、
変えようとしても無駄な時間を使うだけだっていう風になってしまってる気がします。
そうですか。
なんかそれが多分ある意味長いものに巻かれないように生きて、
こうなってるような気がします。
逆に巻かれるようなシチュエーションから外れて、
逃げて、はい。
むしろ新しいものを作っちゃうみたいな。
そうですね。ずっと逃げて生きてるかもしれないですね。
なるほどね。
でもそれはすごいある種、
今の中学生、高校生、もしかしたらこの番組聞いてる人いたら、
サイクリング部の挑戦
そういう思いを受け止めてほしいなって気がしますよね。
どうですか。
その後、大学は京都、京都大学に進まれてということなんですが、
大学中のサイクリング部で、これもまたちょっと資料知りました。
ツールド新州っていう結構有名だったイベントを始められたということになりました。
有名だったかどうか、あれですけど、
中学校ぐらいの時からツールドフランスが大好きで、
テレビでもよくやってましたし、
アルプスをサーッとね。
そうですね。
それにすごい憧れていて、
大学でサイクリング部で日本のきれいな景色の峠道、
特に新州とかで高い峠道があるんですけど、
もうあちこち走り回っていて、
こんな素晴らしい峠道が日本にもあるのに、
なんでこの峠道を使ったレースがないんだって。
ないのはおかしいみたいなことで気持ちが盛り上がってしまい、
でも誰にも作ってくれないのなら自分たちで作ろうということで、
仲間たちと一緒にツールド新州っていうステージレースですね。
山岳コースだけの、
ツールドフランスで言ったらアルプスとかピレネのステージだけが詰まったような
ステージレースを始めて、
最初は身内とちょっと知り合いぐらいで、
20人弱ぐらいの大会でやったんですけど、
それが年々人気になってしまって、
最後は選手が80人近く希望になって、
ちょっと許可をちゃんと取ってなかったので、
さすがにこれはやばいなっていうふうになってきて、
10年間やったところで一旦区切りをつけてやめて、
今はペンディング中というか休止中。
でも時代も変わってきてるし、
そういう公のなかなか僕たちの若い頃もそうですけど、
元命と生まれた組織も結構観光とかね、
そういう地域を盛り上げるために
緩くなってきてるところもあるので、
またどっかでチャレンジしていただけると楽しいかなと思いますね。
さて、近藤さんといえばウェブやITの分野で
ご活躍をされているわけですけども、
大学では情報系のご専攻でいました?
いや、理学部です。理科の理学です。
でもどっちかといえば理科系というか。
そうですね。一応理系ではありますけど。
そこは結びついているっていうことはあります?
そうですね。
特に将来の明確な夢とか、
こういうことになりたいと思ったわけじゃなく、
高校の時に結構物理とか数学が好きだったので、
だったら理学部かなみたいな理由で選んだんですけど、
結果的にはプログラムを使ったり、
あといろんな装置を自分で作ったりするような研究室だったので、
結果はそうですね。サーバーを今組み立てていたりとか、
プログラムを書いたりとかっていうのは
つながっているかなという気がします。
そうですか。プログラミングはものの3ヶ月ぐらいで
習得されたっていう。
いや、そこまで言うとちょっと語弊がありますけど、
いろんなプログラムの演習とか作ったりは、
大学でちょこちょこやってたんですけど、
ウェブのサービスを作るっていうノウハウは経験がなかったんですけど、
ハテナの企業の前に3ヶ月ぐらいかけてやったというか、
自分で作ったという感じです。
なるほど。それでは次週はハテナのご創業、
そしてハテナがネット文化に与えたインパクト等について
お伺いしていきたいと思います。
また来週もよろしくお願いいたします。