会議への出席と気づき
こんにちは、50代の最初の一歩を応援します。安葉ようこ🌺です。
今日は久しぶりに出社をしまして、そこで会議に参加して、
その時に、自分のことだけ考えて仕事をしていいなと思ったことがあったので、
その話をしようかなと思います。
会議に参加して、結構人数的にも15人ぐらい参加するような、
Zoom会議なんですけれども、リアルでも8名ぐらい参加していて、
トータルで15名なんですけれども、
その中で、ある問題についての処理の仕方というところが、
私には、それをどう処理しようが、はっきり言って、
私には損も得もないみたいな感じの事例があって、
だけど、それを処理を進めていく中で、
でも、こうやった方が正しいやり方なんじゃないかとか、
私にはどっちでも構わないんだけれども、
別の部署の方には、こうやった方が多分いいんだろうなって思いながら
処理をしていることがあったんですよね。
そんな風に、別に誰からも頼まれていないし、
ただ自分の中で、そうやった方が親切なんじゃないかとか、
相手のためになるんじゃないか、みたいな感覚でやっていた処理だったんですけれども、
今日、久しぶりにたくさんの人が参加して、たくさん発言をしていく中で、
私が気を使っていたような内容が、
別に誰にも刺さっていないというか、
あんまり重きを置かれていないというか、
別にどっちでも良かったんだなって思えるような発言とかがあって、
それを聞いた時に、やっぱりやってあげた方がいいかなとか、
もちろんそういう親切とか、気の回すことっていうのも重要なのは分かるんだけれども、
相手に別に頼まれてもいないし、
自分の中で思ったような処理の仕方って、
別に私にとってプラスにもなければマイナスにもならないし、
相手にはプラスになるんじゃないかって思っていたけれども、
そうでもないらしいっていうことを知ったら、やっぱりやる意味がないなって思って、
じゃあ、そんな風に気を回してやることがないので、
これって私の思い込みだったんだなっていうのをすごく感じたので、
今後はそういうことをやらないでおこうというふうに、
改めて思うことができたんですよね。
他者の反応と自己評価
それをやることに対しても、そんなに手間がかかっているわけではなくて、
ただちょっとした気遣いみたいなレベルの範囲ではあったんだけれども、
それがね、私がやっていて、
相手がさ、私はここまで気を使ってやっているのに、
相手が毎月毎月処理をするたんびに、
別にそれに感謝されるわけでもなく、
そういう私がこんな風に考えているなんてことも知らないから、
私が勝手にやっているだけだから、
相手にもそういう風にやってくれているみたいな感覚がないからさ、
もちろん感謝されるわけでもなくて、
ただ淡々と相手はそういう風になっているねみたいな感じで受け止められている。
だけど私的には、ちょっと私ここまで考えているのに、
そっちもちょっと考えろよなみたいな感じのことを、
本当に勝手に思ってしまうんですよね。
それでちょっと自分で勝手にやったくせに自分でムッとするっていうような、
悪循環みたいなのも時々あったので、
それをやらなくていいんだっていう風に思えたら、
もっと私どうでもいいことでイライラすることもなくなるんだなっていう風に思えたんですよね。
でもこれってすごい大事なことだと思ってて、
私も気づくの遅かったなって思ったんだけれども、
別に相手から求められてもいないし、
私がそれをそんなにやる手間はないとはいえ、
気持ちの面でちょっと負担を感じているんですよ。
そこまでやってあげた方がいいかなみたいな気遣いの面で。
それを慣れてしまっていて、
私にはそんなにこれが大変なことだとかっていう認識も全くないんだけれども、
やっぱり相手が私がやった労力に対して感謝を示してくれなかったりとか、
雑にそれを扱われると、
やっぱりこっちは勝手にやってるくせにイラッとするから、
それを今回気づかされたなっていう感じなんですよね。
そういうことって結構あると思うんですよね。
こうやってあげた方が親切じゃないかなとか、
こうやってあげた方が分かりやすいよね。
もちろん自分で分かりやすいためにっていうのが一番大前提だとしても、
ちょっとひと手間かけてこうやった方が親切だよねって思うことは、
やった方がいいと思うんだけれども、
それで自分がイライラしたりとか、
感謝しない、こっち気使ってるのにみたいな感じで、
余計イラッとするようなことがあるのであれば、
一切それをやらない方がどんだけ楽かっていうのが今回身に染みましたね。
相手がそれに対して文句を言ったわけでもないし、
やらなくていいって言われたわけでもないんだけれども、
彼らの発言を聞いていて、
これって別にやる必要がなかったなって、
私が気を揉んでただけなんだなっていうのを、
すごく本当に実感したんですよね、体感したっていうか。
だったら本当にやる必要ないし、やるだけ無駄だったなって。
今まで私がこうやって気を使ってやってた、
あなたたちのためにやってたことも、
そんな風にしか受け止められてないんだったら、
優しさの罠
マジでやる意味ないって思ったんですよね。
だからね、やっぱりそんな風に、
たぶんね、これって優しい人が、
私が優しいって言ってるわけじゃないけど、
優しい人とかがそういう罠に陥りがちなんじゃないかなって思ってて、
相手のためにとか、
そんなに自分は手間じゃないからとか、
そんな風に考えることってよくあるじゃないですか、
いろんなことでね。
それはね、自分がやりたくてやってるのは別にいいんだけども、
それに対してさ、
例えば仕事じゃなくてもそうかもしれないけど、
相手にちょっとしたそれに対する、
私も気遣ってんだからそっちも気遣いなさいよみたいな、
感覚が生まれてきたら、
決してそれは自分には負担ではないことだと思うんですよ。
それはもう絶対負担になっている。
だからね、もし好きでやってて、
そんな風にも全く思わなくて、
ただ本当にやってるだけなんですっていう方は、
全然いいかと思うんだけども、
やっぱり誰かに対しての気遣いの中で、
自分で勝手に判断して勝手にやってるようなことで、
ちょっとでも相手が反応を示してくれないとイラっとしたりとか、
ちょっと残念に思ったりとか、
がっかりしたりとかっていうのであれば、
そういうことは一切やる必要がないと思います。
本当にそれは優しい人がやりがちなんだろうなって本当に思っているので、
優しい人ほど相手に気を使いすぎて、
いろいろやってしまうっていうのが本当に分かりましたね。
私も多分優しい方なのかもしれないんですよねって、
自分で言うのもあれですけど、
なんかそんな風に感じました。
誰にも求められてないこととか、
別に自分で勝手にやってるからっていうことで、
ちょっとでも相手がそれに反応してくれないとイラっとするようなことに関しては、
本当にやる必要が一個もないです。
理由もないし、
やることは今後はないです。
はい、ということで、
自爆するような親切はやめましょうという話をさせていただきました。
途中でですね、ちょっと一旦停止ボタンを押してしまったので、
ちょっと空白ができてしまいました。ごめんなさい。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
以上になります。アンバイオコでした。