こんばんは、Meta Energy Labのあきらです。
はい、今日はですね、前回の収録で、スピリチュアルの覚醒についてお話ししますって言ってたんで、今日はそのことについてシェアしていこうかなと思います。
話すきっかけは、実はね、少し前にYouTubeの動画でおすすめに出てきたんですよ。
で、私はこの見えない世界、エネルギーの世界を知ったのがスピリチュアルで、そこからスピリチュアルの世界に沼ったんですけども、
沼った私でも、この覚醒っていうものを知らなかったんですね。知らなかったというよりも、言葉は知ってましたけど、
実際に目指してもいないし、興味もなかったんで、情報っていうものを入れてなかったんですよ。
だから、あえてね、その覚醒をしたい人の気持ちを知りたいなと思ったんで、その動画をポチッと押してね、見たんですよ。
全部は見てないんですけども、長かったんで、見てなくて、ただコメント、たくさんの人がコメント書いてあったんで、それもね、かなり読みました。
そこから、気づいたことをね、今日はフリートーク形式でお話ししていこうかなと思います。
スピリチュアルの覚醒、めっちゃね、この世界にいる方はね、目指している人がほとんどらしいですね。
やっぱりその動画も、1週間くらい前にアップされたもので、
5万回とかすごい回数が回ってたんですよ。
だから、多くの人がこれを求めている動画なのねと思って、要は覚醒に興味があるってことですよね。
で、そもそも覚醒している状態って何なのかって言ったら、
覚醒の定義ですね。定義っていうのは、本当の自分を思い出すプロセスや、宇宙とか、神とか、魂とか、
あと一体感。一体感っていうのはワンネスっていう風に言うんですけども、それを実感する経験なんですよ。
覚醒の定義はね。
日常的な認識や価値観の枠を超えて、全ては繋がっている、自分はより大きな存在の一部であるという深い気づきがもたらされるらしいんですよ。
へーと思って、そんな感じかと思って聞いてて、
なので、宇宙との一体感、宇宙意識で生きられるとか、動画の中では魂で生きるみたいなことも言ってましたね。
あとは、本当の自分を思い出すとか、自我を超えた新たな自己認識っていう風にも言われるらしいんですよ。覚醒ってね。
なかなかね、壮大だと思うんですね。これは。
で、そうですね。私は、この覚醒がね、もともと興味がなかったからそんなに知らなかったんですけども、
悟りの一種というか同じなんじゃないのかなって思ってたんですけども、今回の動画を見たら違うんだっていうことに気づきましたね。
えーとね、その覚醒っていうのは、自分は体とか心とかではなく、魂そのものだっていうふうに実感した時なんですよね。
その方が話されてたんですけども、なんか長年ね、
自己内省とか、自己内観っていうものをしていましたと言ってました。
んーって、んーって、えーみたいな、そこをみたいなっていうふうに私はちょっとびっくりしたんですけども、
私もあの自己探求をね、していた時期って、結構長い期間あって、
でもね、結論を言ってしまうとあまりね、
あまり成果がないものだったなぁと私は思ってます。
これ何なのかって言ったら、なぜそうなってしまうのかって言ったら、
自分自身でできる手軽さっていうものはあるんですけども、自分の視点でしか内観とか内省しか、内省をするので、
あのね、こう内省をする時って何か目的があって、何かが欲しくて内省するじゃないですか。
その欲しいものに到達するのがね、難しいんですよ。自分の視点から見るから。
自分の視点で見てるっていうのは、どういうことなのかって言ったら、もうその、要は客観的に自分自身を見ていない状態です。
人間って、物事もそうだと思うんですけども、人もそうですけども、
客観的に見れれば見れるほど、問題になっているものって解決策が見えやすいっていうのはわかりますか?
客観的に人を見るってどういうことなのかって言ったら、友達いるじゃないですか。友達のことって当たり前なんですけども、客観的に見れますよね。
だって第三者なんで。その人自身じゃないんで。
それを日常の中で、自分自身の中でそういうふうに自分を見ることが全然得意ですっていう人であれば、
内観とか内省とかってすごく効率的だな、すごくいいよねっていうふうに思うんですけども、私もそうなんですけども、人間って
大体の人が客観的に自分自身を捉えることってできないんですよ。ほとんど。
だから、時間かかるよねって言ってるんですよ。
私も本当にめっちゃ時間かけたなっていうふうに思うんですけども、だからね、なんだろうこう、その人がやったことは別にその良いも悪いもちろんないけども、ただ長い時間かかるんじゃないのかなっていうふうに動画を見ててね、思いました。
実際そこで悩む人もめちゃくちゃ多いと思います。
なんでかって言ったら自分視点だからなんですよ。客観的に見れないってことは迷うんですよ。
そうなんでね、私はなんかこうそれを聞いてた時に、本当にスピリチャルの覚醒をしたいのであれば、
内省とかじゃなくて、まずはね、現代気功の理論ですね。知識ですね。
知識を入れて、そして実践して体感が、えっと、覚醒するのにはめちゃくちゃ早いと思っています。
どうしても内省とか内観って体感もないし、最悪本当自分視点だからね、絶対ゴール到達するのは難しいんですよね。
巨大迷路って知ってますか?巨大迷路の中に自分がいるのと一緒です。
自分視点じゃなくて客観的に自分を見るっていうのは、巨大迷路を上空から見てゴールあそこだよっていうふうに見えるのと一緒なんですよ。
だから客観的に見るのってめちゃくちゃ大事なんですけども、自分自身になった時になかなかできないですね。
自分だから。だからね、現代気功とかだってあんま興味ないって言うんだったら、第三者入れた方がいいですね。
第三者に客観的にいろんなものを見てもらって、そこで、本当にコーチングみたいなもんですよね。
そこでやってもらった方のが、覚醒するのが早いのかなと思いますね。
あとは、うーん、さあね、大終点、私の代名詞である大終点なんですけども、これもある意味で覚醒の近い状態に持っていけるんですよ。
これって、情報身体、情報、自分のね、オーラっていうものを大きくして、客観的に見るっていうことをしていくんですよ。
なので、そう、だってこれは、この覚醒したいのってさ、極論さ、自分のこの体っていうのが、自分自身じゃないってことに気づくためのものですよね。
みんなこの肉体とか、何だろう、いらない思考とか、いらないこの辛い記憶、体験というものが、自分のものだと思ってるんですよね。
自分のものだからこそ苦しいんですよね。
自分のものじゃないって気づきたいがために覚醒したいんですよね。
極論、私そこだと思ってるんですよね。
極論、人間って、それがあるからこそ苦しむし、自我があるからこそ、人生って楽しいんだと思うんですよ。
だからね、この自分じゃねえんだってところに気づくっていうのは、その苦しみを結構そぎ落とせるようになるから、すごく楽になるんですよね。実際。
実際この覚醒の体験って、えっとね、大きなものがバーンって来るのではなく、実は日々ね、生きている中でちょいちょいね、あるんですよ。
脳科学者のモギーさんでしたっけ?
その人が言った言葉で、アハ体験ってあると思うんですけども、それですよね。アハ体験って常に、常日頃から起きることなんですよ。
私自身もね、結構ありますよ。過去。
だから、なんかね、一生懸命その覚醒、覚醒って多分こう目指している方って、なんかこうバーンといきなり来て、
なんかすごくこう、意識改革じゃないですけども、なんかこう、自分が宇宙そのものだったみたいなことを体験して、ものすごい変わるのかって言ったら、私はそうだと思ってないんですよ。この覚醒に関しては。
悟りについては、ちょっと私は本当に体験もあんまりしたくないし、知りたくもないんで、まあわかんないんですけども、
いやだって空気になりたくないですもんね。
そう、なのでね、全然あの、うん、知識入れて体験してやれば全然誰でも覚醒ってできるんじゃないのかなって思いますね。
全然ね、なんか遠いものでもないなっていうふうに思ってて、もしかしたらこれは私の感覚で言っているのかもしれないですね。
他の人ともね、ちょっとなんかこう、今度は練習会が来月にあるんですよ。気功の。
その時に、気功仲間の人とね、ちょっと話してもいいかなっていうふうに思いますね。
そう、この自分自身の体とか、思考とか記憶とかそういったものっていうのが、
単なるその前回の収録ではトラウマとかね、昔の辛い体験っていうものがあると、
その断片の記憶をちょっと思い出すだけで、本当にしんどくなったりするっていうじゃないですか。
やっぱあれはあくまでも記憶なんですよね。
記憶だし、目の前で起きている物事ではないんですよ。
まあ、なんだろうこう、ざっくり言ってしまうと漫画の世界のようなものでもあるんですよ。
だって今体験しているものじゃないのにね、体ってただただ反応するんですよ。
そう、だからある意味でね、本当になんかこう、
この自分自身が思っている自分っていうものは、私はもうなんだろう、ないと思ってるんですよね。
本来の、本当の自分を思い出すっていうふうに、スピリチュアルとかでは言われていると思うんですけども、
それもないと思ってるんですよ。
本当の自分っていうことは、私は今偽物?みたいな。
っていう風になるかと思うんですけども、
ないって思いますね。
ないからこそ何でもなれると思ってるんですよ。
それこそ女優さんのように、いろんな場面でいろんなシチュエーションで自分自身を変えることっていうのは実はできる。
だって自分というものがもともとないから。
っていう風に私は今現在はそう捉えてるんですよ。
本当の自分も別にこう、思い出すとかもよくわかんないし、
なぜそうなっているのかなっていうふうに思うし、
魂で生きるっていうのはね、魂自体もなんだろうこう、
あるのかないのかわかんないし、
過去ね、もちろんその輪廻転生とかと理解していたから、
魂はその時はね、あるっていうふうに思ってたけど、別に目で見えるものでもなんでもないので、
どっちでもいいかなと思うんですよ。
あってもなくてもいいよって。
自分があると思った時にそれで幸せになるんだったらそれでいいし、
あると思ってなんかしんどい思いをするんだったら別に、そこは興味持たなくていいんじゃないのかなと思うんですよ。
だからスピリチュアルの覚醒ね、かなり興味深い話でしたね。
でもまあ悟りとね、この覚醒の状態が本当に違うんだっていうのも気づけたのもね、ちょっと面白かったし、