1. Meta Energy Lab VocLog
  2. 山﨑家の呪いを突破した私
2025-03-24 48:44

山﨑家の呪いを突破した私

最後まで聴いてくださり、ありがとうございます!
元霊能者ヒーラー。 約1年の活動でヒーリング提供1,000人。現在はエネルギーのプロとして
慶気流気功師として活動をしてます。


✂︎---------------------------------------------✂︎
気功・遠隔ヒーリングで、望む世界に
ブースト(加速装置)つけます🚀
https://southern-cross44.com/kiko-healing/

✂︎----------自己紹介------------------------✂︎

■経歴•実績
霊能者ヒーラー:約1年活動
ヒーリング提供:無償提供合わせ1,000人
スキル:遠隔ヒーリング•遠隔浄化•浄霊
アチューメント•ヒーリング創始

2018年:認定レイキヒーラー
2020年:認定アチューメント クンダリーニレイキミレニアム

■ビジネス
個人事業主として4年半海外輸出業をしていた
過去もあり、プラットフォームビジネスが得意です😄
当時は外注さん2名とお仕事の日々で、楽しかった!

カンボジア🇰🇭シェムリアップにも
仕事で3ヶ月滞在していたけど、これは大失敗w

✂︎----------ハッシュタグ---------------------✂︎
#気功師
#AI
#慶氣流
#ラジオ
#ビジネス
#音声
#集客
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6081829feeca46c0ab482dc1

サマリー

今回のエピソードでは、山﨑家の特異な育ち方と家庭環境がどのように私の人生に影響を与えていったのか、またその結果としての私自身の感じ方や人間関係についてお伝えしてます。 特に無人島のような感覚で育った私が周囲との距離感や視点の変化を実感し、成長する様子を描いています。特に山崎家の一員として感じる責任感や独りよがりな思考が、仕事や人間関係にどのような影響を与えるのかに焦点を当てています。また、山崎家の呪いに関連する家庭環境が、彼女の仕事や人間関係に与える影響について語られています。主人公は、柔軟な仕事へのアプローチを実践し、人との関わりの重要性を再認識しながら自らの成長を描いていきます。彼女は自分の意識を広げることができ、多くの気づきや変化を経験したことを語り、それを他の人々と共有したいと考えています。

山﨑家の独自性
こんにちは、Meta Energy Labのあきらです。 今日はね、タイトル結構あの、山﨑家の呪いっていうふうに多分入れると思うんですけども、まあ何のこっちゃってね。
山﨑家っていうのは、まあ私がもともとの姓ですね。山﨑という名前だったんで、 まあその、そこからの山﨑の呪いっていうふうに入れたんですけども、
今回のお話は、私自身のお話になります。 最近すごい大きなことを、実感というか、すごいなっていうことを体感、体験したんですよね。
それは何なのかって言ったら、やはりね、人間って、その育ってきた環境ってすごく強い影響を、人生の中で占めているわけですよ。
その中で、私その山﨑家っていうのはすごくね、一般の家庭から見たらすごく異端だったんですよ。
私はそこで育ったから、それが普通だと思って生きていたわけじゃないですか。
でも、今の彼、夫は本当に、ごくごく一般家庭の、私の家庭と比べたら普通の会社員のお父さんとお母さんがいて、
そこで育った環境だったから、本当に私のこの家庭環境とはもう全然違う家庭環境だったんですよ。
それを出会って、結婚して、本当に周りから、こんな旦那さんいないよって、この人逃したらあんたの人生終わるよぐらい、常々言われてたんですよ、周りから。
すごい年上の友達とかからも言われてて、彼と一緒に生活していく中で、世間というものを私は知って、いわゆる自分の育ってきた環境っていうのが、
要はすごく珍しい環境なんだよっていうのを若干蓄積していったわけですよ、データとともに、体験とともに。
で、ずっと腑に落ちなかったというか、納得ができなかった部分っていうのが、それが実は最近ね、すごい腑に落ちたんですよ、実は。
育成環境の影響
それをちょっと頑張ってね、話していきたいと思います。
いやね、まず私の家族なんですけども、5人家族で、父、母、そして兄と妹、私真ん中なんですけど長女として山崎県に誕生したわけですね。
で、埼玉の方なんですけども、埼玉の片田舎で、3歳から中学2年生ぐらいまで一番そこが家族で過ごしてたのが長い時期だったんですけども、
そこで形成されたものが、かなりね、その後の人生、私の人生にかなりね、悪影響じゃないけど、いい影響もあったんだけども、結構悪影響が大きかったなと。
それが、最近気づいた点なんですよね。
で、すごく裕福な家庭で私は育ったんですよ。
だからもう本当になんだろう、それこそ世間知らずだったし、今もね、ずれてるところもありますけども、
あのそうですね、結構あの本当に与えられてきた人生でしたね。子供の時って大体欲しいものが本当に手に入るっていうような状態でしたね。
そう、だから17歳のね、秋頃から20歳まで留学をさせてもらえたりとか、そういったものも本当にその家族というかね、父のおかげでそういうこともさせてもらったわけですよ。
まあ当時はね、そんなんわかんないし、子供なんでね、本当にわがままちゃんですよね、だったわけですよ。
で、あの呪いって何なのかって言ったら、もう全然私は本当にあの、そこで育ってるから、それが通常だと思ってたんですよ。
んーとね、山崎家ってこれが面白いんですけども、家族なんですけども、家族じゃないんですよ。
何なのかって言ったら、えーとね、今だったら客観的に見えてるから言えるんですけども、この家族っていう中で私がいるじゃないですか。
で、私がいるんだけども、その周りって普通、まあ親、母親がいて、父親がいて、で兄がいて、妹がいてっていうのは存在をしているわけじゃないですか、当たり前のように。
ただし、これ面白いんですけども、この山崎家の中に、えーと、無人島、一人一人の無人島を持ってるって感じなんですよ。
だから、んーとね、家族なんだけども、こう、何だろうこう、いつも自分は無人島にいるから、目の前に親がいるんだけども、いない状態?って言ったらいいのかな?
すごい変な感覚ですよね。だから何だろうこう、んー、いい部分は、えーと、例えば学校へ行った時に、んーとね、お金持ちの家だったんで、やっぱりある程度、その何だろう、まあ、なんか陰口言われたりとかってあるんですよ。
山崎さんはー、みたいな。でも、私って、いつもその人がいる中に、まあ、いれば人の陰口とかそういうのって、こう、気にしたりとかするはするじゃないですか、なんか言われたとか。でも私って全然わかんないタイプだったんですよ、それが。
なんでかというと、常に私の人生って、無人島にいる感じです。無人島に自分が自身がただポツンっているっていう状態なんですよ。
これすごいですよね。人っていうのが存在していないみたいな状態ですよ。もちろん、あれですよ、あの人と喋っている時にこの人はいないとか、そういうなんか、なんだこう、ふわっとした、その、なんていうの、宇宙と交信しているような感じじゃないですよ。ただ、感覚としてはその感覚が一番近いです。
そう、だから、いい意味では、私以外の自分自身の、その、なんだ、周りの目っていうのが、全然こう、普段入ってこないんですよ。
今もね、その、癖って、あの、外に歩いている時にすごくわかりやすく出やすいんですけども、私、あの、彼とね、買い物に行くじゃないですか。普通にね、スーパーとか行くじゃないですか。まあ、どこでもいいですよ。その時に、なんかあの人、私の顔見て笑ってたねとかさ、なんか見てたよとかって、こう、たまに言われる時あるんですよ。
どういった目的で見てるのか知らないですけども。
とか、あとあの犬なんかすごい、お前のことよく見てたねとか、なんか動物とかにもすごい凝視される時があるんで、まあね、ネタとして、なんですか、わかんないけど言われるんですよ。でも、私からしたら、ほんとね、他の、その、なんだろう、目の前に、ちょっと、ちょっと離れたとこに犬がいたとしても、
えーと、視界が、自分自身の視界しかないから、あ、そうなの?みたいな。
全然気づかないですよ。
だから、もうなんか、あれですよね、狙撃されたらすぐ殺されるみたいな。
母の変化
っていう感じですかね。そう、だから、若干、だから、その、彼と一緒にいる時は、彼が、まあ、私の世界、無人島の中に、こう、いるみたいな状態で、なんですよね。
そう。だから、
よくそうやって言われてて、だから、
あ、そんなになんか、なんだろう、視界に入る、入るっていうか、なんか不思議な感覚だったんですよ。
うーん、なんか言葉で言ったら、人を気にしてないっていうよりも、私の世界では人が存在していないっていう感じですかね。
そう、これが、もう山崎家の呪いなんですよ。
で、あの、へーって思うじゃないですか。
なんかずいぶん面白い世界だね、みたいな。
で、うちの、あの、お母さんも、あの、もうだいぶ前にね、亡くなったんですけども、
あの、うちのお母さんは、その、その、なんだろう、父とは恋愛結婚だったらしいんですよ。
亡くなった後にそれも知ったんですけど、マジか、みたいな。お見合いじゃなかったの?みたいな。
はい、で、まあ、恋愛結婚で結婚して、まあ、お父さんがすごいこう、なんか、
もともとお母さん、銀行系、まあ、信用金庫で働いてて、そこで、まあ、お父さんが見て、すごくこう、綺麗な人だなと思って、まあ、っていう流れだ、っていうのは聞きましたけど、
あ、そうなんだ、って。
うん、なんか、まあ、ああ、そう、みたいな。
それで、そう、まあ、結婚したらしいんですけども、
お母さんは、ごくごく一般的な、要は、えー、家庭環境で育ったわけですね。
おそらく、その、うーん、
あのね、ちょっと、ちょっと待ってください。これね、たぶん話長くなると思う。すごい。
でもね、これはね、ちょっとね、音声でとっておきたいんだよね。
うん、すごく大きな出来事だったんで、私にとって。
で、お母さん、一般的な家庭に来て、で、お母さんも、あのね、私、小さい頃、えーとね、小学校の3、4年ぐらいで、お母さんがらっと変わった時期が、
ターニングポイントって言ったらいいんですかね、あって、
あのね、それまでは、もう、本当に、もう、昔ながらの、あの、家庭だったんですよ、ルールというか。
もう、あの、食卓でみんなでご飯を囲って食べるとか、
あと、まあ、小学校だったら、6時までには、家に帰ってきなさい。
帰ってこないけれど、帰ってこないんだったら、もう、鍵閉めますよ、みたいな。
で、閉め出されたことも若干あるし、
まあ、そういった厳しいご家庭だったわけですよ、普通の。
あの、商売をやっている家庭でありながらもね。
で、好き嫌いしたら、もう、それ、なんか、食べないんだったら、他の食べじゃダメ、とか。
まあまあ、よくある、昔ながらの、本当に家庭だったんですけども、
そう、小学校3年生から4年生の時に、お母さんの中で何かが変わったんですね。
というのも、えーとね、インドの神秘家とか、まあ、宗教家って言われている、まあ、オショっていう方がいらっしゃったんですよ。
もう、亡くなってるんですけども。
まあ、その人に興味を持ち、今でいう、まあ、スピリチャルみたいな、
スピリチャルも、まあ、ガチですけども。
まあ、それに、まあ、興味を持ち、ちょっとそっちの世界に、
世界というか、はい、まあ、入っていったわけですよ。
その時に、まあ、あの、何だろうな、ちょっと自由っていうものを、何だろう、極端に捉えてしまって、
そっから、教育方針というものが、まあ、ガラッと変わったんですよ。
全くだから、そういった、6時に帰ってきなさいとか、その一般的な常識っていうのが全部なくなったんですね。
だから、口うるさく言わなくなったというか。
まあ、あの、何でそうなったのかっていう経緯も、正直、週末にね、彼とは色々話してて思ったんですけども、
うちのお母さん、多分、相当ね、子育てに悩んでた。まあ、皆さんそうだと思うんですよ。
3兄弟って、まず、普通にね、生まれてきたら全員、まあ、ひどいアトピーだったと。
特に長男は、本当に重度のアトピーだったし、で、私もアトピーだし、
で、妹は、まあ、ちょっと軽いけども、あったしみたいな。
で、そこで結構、母親っていうのは、今でも悩みますよね。どうやったら良くなるんだろうって。
いろんなものを、その、何だろう、こう、食べ物を良くしたりとか、
その当時からあった、まあ、生協とかに、じゃあ、食べ物を変えてみようかとか、
じゃあ、着てるものが、えーと、化学繊維とかじゃなく、まあ、綿、コットンの方が良いのかとか、
あと、布団が良くないのかとか、ダニとかがね、そういったアレルギーの元になるから良くないのかっていう感じで、
まあ、すごく一生懸命やってたわけですよ。それは子供心で覚えてます。
で、さらに、私が全然記憶にないんですけども、私、小学校1年生のおそらく2学期あたりから、
なんか、学校に行か、行ってないんですよ。まあ、登校拒否ってやつですね。
2年に上がるまで行ってなくて、で、それは私は記憶がないんですよ。
記憶がなくて、なんで休んでた、行かなかったのかっていう、その当時の気持ちすら覚えてないんですね。
そういうこともあったりとかで、多分、何だろう、当時って、もう何だろう、こう、そういう、なんか、登校拒否って、
なんか、もう珍しいですね、みたいな目線で見られるし、その、何だろう、世間からは、まあ、そういったあなたの、
その教育方針が間違ってるんだよ、みたいな目線で、ガンガン見られる世の中なんですよ。
まあ、今ももちろん、ないとは言えないんですよ。で、昔のが、何だろう、その枠っていうのが、すごいガチガチだったから、
何だろうな、全部その責任が親に回ってくる。あなたの、あなたの育て方が悪い、みたいな。
だからすごく大変だったんだろうなぁと思って、多分、大変というか、すごい苦しい状態だったんだと思うんですよ。
だから、そういった時って、何か正解が欲しいじゃないですか、やっぱり。自分が苦しいから。
自分は一生懸命やってるのに、思ったように子供が、その、何だろう、普通、一般的な普通のことをしてくれない、みたいな。
山崎家の影響
申し訳ないなぁと思いますけども。だから、その時に、そういうインド神秘家、OSHOっていうのは今でも有名なんですけども、
言ってることは本質的なんで別に私も一時期、その母親の影響で本とか持ってたりとかしたりとか、いろいろ見たりとかしたりしてますけども、
今でもね、絶版になった絵本みたいなやつは持ってます。
そういったものにちょっと精神的な支えとして欲しくなるわけですよ、やっぱり。
すごく心が疲れてる時って。だから、ガラッと変わったんだろうなっていうふうに思ったんですね。
で、山崎家の呪い、お父さん自体が異端というか、異質という部分がやっぱあって、その影響がお母さん自体がすごい、こう、何だろう、
かかあ天下じゃないですけども、お父さん何も別に基本的には言わない人、だけどもお母さんは、お父さんのことを立てながら生きてきた部分もあるんで、
そういった意味で合わせようっていう気持ち。恐らくえ?って思うことすごくいっぱいあったと思うんですよ。何この人みたいなね。若干。
でもそれでも、ああ、そういう考えもあるのかな、みたいな。っていうので、まあ受け入れてったりとかしながらやってったら、山崎家の呪いにかかっちゃったみたいな感じですね。
まぁね、みんなの共通点はさっき言った一人一人が無人島で人がいない状態。
で、プラス基本的に頑固です。もうね、これは大変よほんと。まじで大変。
私だって20代の前半の時にバイト、なんかカラオケ屋さんで働いてて、その、何だろう、同僚?バイト仲間と、まあその時すげえみんな仲良くて、一人の男のやつとめっちゃ仲良かったし、よく遊んでたし。
その時に、なんかね、そいつと駅で口論になって、一目もはばからずね。私そういう時って周りが基本的に入ってないから、
別にその、何だろうこう、どう思われようとかっていうすらもうないんですよ、頭の中に。
そう、まあ、まあまあまあまあすごいですよね。その時に私は本気で、人って別に一人で生きていけるから、みたいな口論なんですよ。くだらないですよね、もう。
ほんとくだらないことで何を言ってんだろうみたいな。今思えばね。
若いんですよ。まああの、結論私はどっちでもいいっていうふうに、その人なんでね、人それぞれ考えが違うからいいんですけども、ただ現実的に考えた時に、
自分以外の人がいろんなものを作ってくれたりとか、何かサービスを提供したりとか、そういったものでこの世界って成り立ってるわけじゃないですか。
だからまあ私の中で今は、別に一人、自分が一人で生きていくっていうのは、本当にお前無人島で一人で生きていけんのかよ、みたいな。
それはちょっと厳しいんじゃないのかなっていうふうに今思いますね。
まあそんなことで口論になったりとかしてたんで、まあ本当に私は司会の中っていうのは、常にこのたくさんの人の中にいるんだけども、自分以外の人っていうのがない状態だったんですよね。
だから人のなんかこう噂とかっていうのも正直鈍感なんですよ。鈍感とかしょうがないですよね。入ってないから。
そう多分ね言われてたと思う。いっぱい。やっぱりね子供の頃って、ちょっとお金持ちの家とかってすげー歪まれるんですよ。普通なことをしてても。
今でも覚えてるのが、給食の時になんかこう、全然普通のあの
小学校だったんですよ。行ってて、給食の配膳で自分たちもらいに行くじゃない。その時に
山崎さんはこんなご飯食べないよねっていうのを若干言われたことあるんですよ。あの配ってる子に。
何言ってんだろうと思って、いや食べるよって言って。普通に、あの食べてるもんって変わんないんですよ。別に。
カップラーメンも食うしみたいな。 だからすげーなんつったら、そういうのって多分全部、
いい意味で、その当時ねそういうのいっぱいあるすぎたら、心が病んじゃうとかね敏感すぎるとかで、今ってあるじゃないですか。
あるいい意味で、そういうのが入ってこなかったんですよね。 なんつったらいいんですか、なんかチャンネルが違うのかなんなのか、あれなんですけども、そう。
そんなこんなで生きてきて
そう、それが故に後の人生がやっぱちょっと苦しいかったんだろうなっていうのに気づいたんですよ。
なんでかっていうと、特に仕事で顕著にそれが現れてて。 えっとねー
私仕事って自分でガンガンやるんですよ。自分自身でやるっていうスタンスがめちゃくちゃ好きなんですね。
これも山崎家の呪いの一つなんですよ。なんでかって言ったら、自分で与えられた仕事っていうのは、最大限に責任を持って自分でやるのが当たり前なんですよ。
失敗をするっていうことは、本当に起きちゃいけないと思うっていうのが根底の中にあるんですよ。
結構ガチなストイックな世界なんですね。仕事関係にしては。 山崎家って。
そう、だからなんか間違えちゃったーってへーってないんですよ。世界観が。 だからなんだろう、当時カラオケ屋さんのバイトでやってる時にすごいこう
いるじゃないですか。なんかガンガン遅刻してくるやつとか。 それでもなんか
社員の人からは別にそのなんだろう、あいつ遅刻しやがってみたいな、マイナスな印象を受けてないやつ。
そう、ちょっとおちゃらけてるんだけども、すごく印象がいいというか、受け入れられてるみたいな。
なんか免罪符持ってますみたいな。 それが自分の中でなんかなんだろう
なんか不公平だなっていうのを感じてた。 感じてたっていうか、ありましたね。
こっちはいつも全力でやってるんですよ。 私は基本的に仕事って遅刻もしないし、休むっていうこともないんですよ。
社会人としてはそれが当たり前 だと思うんですけども、でもなんか許される人っていません?そういう人って。
もうしょうがないなぁとか言って。 何しょうがないなぁみたいな。
いやいや、あいつ削るの遅刻してんじゃんって。 ダメじゃんって。
なんでそこで許すのみたいな。 っていうガチガチの世界観なんですよ。山崎家が、あのその
山崎家の特徴を持って仕事をすると。 そう、それが
めっちゃ強固だったっていうのに、最近本当に気づいて、まぁボロっとね、 あのまぁ
スピリチュア的に言ったら、なんかブロック外れましたとかっていうのかな。 それも外れたも何もないんですよ。ただ気づいたんで客観的に見たから。
すごく面白かったんですよ、それが。 ものすごい、だからなんだろうこう
いつも一人でやって、なんか人からの、なんだろう、この 困った時って人に頼ったりするじゃないですか。
山崎家はね、それができないのよ。 もうそれイコールお前が無能っていうふうに思っちゃうから
自分で最大限にやるっていうことが大前提。 鑑鉄、鑑鉄っていうか、えっと、要は
自分が受け負った仕事に関しては自分自身で最後まで責任持って、 えっと、遂行する。
そう、そんななんか、なんつったらいいんだろうな。 聞いてるだけでちょっとあれじゃないですか、もうガチガチすぎて。
なんでそんな頑張るん?みたいな。 なんでそんな肩に力を入れながら頑張るんですか?みたいな。
っていう風に多分ね、受け取る人多分ほぼほぼ ほとんどの人はそう受け取ると思うんですよ。
そう。 それが私は極端に仕事をする時のそのスタンスに入ってたんですよ。
そう。 それも他のなんつったらいいんだろう。
自己発見の旅
得た知識とか経験してきた中で、さらにその山崎家の呪いを強行にするような体験っていうのが積み重なっちゃったんですよね。
そう。 20代後半の時に、
ビジネス、自分自身でビジネスをするので、いろんなそのセミナーとかに行ってて、 なんかバリキャリーとかかっこいいなみたいな。
バリキャリーなんて当時言ったら男みたいなもんですからね。 本当に女だけど男みたいな。
そんなようなイメージを持っちゃったから、余計になんか自分自身でガンガンやっていくスタイルにハマっていくわけですよ。
いやね、あのね、なんだろう、天才じゃないですから、別に。
なんだろうって、うまくいかないことの方が多いんですよ、やっぱり。
で、
そう、そんな部分を持ち合わせながら、プライベートの時って、私実はその山崎系の中ではかなり珍しい、
どっかの収録で言ったんですけど、最近のね、ゼロベースアキラっていうモードを持ってたわけですよ。
自分の中で作ったんだけどね、これ。それ何なのかって言ったら、ゼロベースアキラっていうモードに入ると、
周りのみんながね、大体優しくしてくれるっていうモードなんですよ。
イメージで言うと、3歳の男の子、可愛らしい男の子ですね。無邪気な。そんな感じです。
それをじゃあ、モードって今言ってるから、それを使い分けてたのかって言ったら、そうじゃなくて、たまたまなんかそういう、
なんだろう、この心が穏やかな時に出てくるものであって、常にそれがあるのかって言ったら、別にそんななんかね、やってるわけじゃなくてね。
その時っていうのは、本当に全く力が入っていない状態で、外に行って、買い物したりとかしている状態です。だから本当になんて言ったらいいんだろう。
子供の時、子供心の時って言ったらいいんですかね。わからない。うまく言えないけど。
そう、それが実は山崎家の中では、かなり珍しいモードで、他の兄弟、もちろんお父さんには全く備わってない機能だったんですよ。
だから私、父親から最近もね、会ったりとかするんですけども、よく言われたのは、お前は3兄弟の中で、要は弱たりが上手いなって言われたんですよ。
よく言われてたんですよ。最近はあんまり言わなくなりましたけども、前とかね、すげー言われてて、何言ってんだろうこのおっさんと思いながら、全然あの不器用なんですけどみたいな。
何を、どこを見てそういうふうに思っているのかっていうのもわかったんですね。そこの部分で、私ってなんか言葉を選ばなければ、人の金で生きてきた人なんですよ。
すごいよねこれ。でもね、言葉悪いけども、ある意味すごい能力だと思う。昔の私だったら、山崎家の呪いがあったら、それって人間としてどうなのって。
ありえないよね。自分で稼いで生きていくことがなんぼだよねっていうふうに自分を、おそらく100パー、おそらく100パーってすごいよね。
規定してたと思う。でも今は、それも能力なのかな?それはそれで人生楽しんだったらいいんじゃないの?っていうぐらいの感覚になれるようになったんですけども。
本当に、彼からもよく言われる。お前は本当に人の金で生きてるよな?みたいな。ザースみたいな。
そういう部分があって。だから父からしたら、そういった意味で、夜あたりうまいよねっていうふうに言ってたんでしょう。
ただ、彼からしてみれば、夜あたりうまいの部類にも別に入らんけどね。普通じゃね?みたいな。とも言われてます。
だから私って、本当に山崎家全員に通ずるものはあるんですけども、人に何かを頼むっていうことがまずほぼほぼできない人種です。
だって、もともと人が存在していない世界観にいるのに、いきなりそこに人がいるみたいな感じで気づいて、そこに自分がやってもらいたい、お願いしてもらいたいものを言うっていうのは、すごくハードルが高いわけですよ。
私自身も本当にそこは昔から苦手で、苦手ですね。今でも苦手だけども、ちょっと山崎家の呪いが若干解けつつというか、客観的に見たんでね。もうちょっと違う感じで言ってもいいのかなっていうふうに、今まで思ってます。
あと、この山崎家の呪いがかかったモードで、推進力、仕事を進める推進力ってめちゃくちゃあるんですよ。何でかっていうと、仕事に注ぐエネルギー量って言ったらいいんですかね。情熱っていうのがめちゃくちゃ高いんですよ。
家庭環境と仕事
これは父もそうだし、私もそうなんですよ。後の二人は、よくわかりません。自分自身で仕事をしたことがない二人なんで。ただ私は、本当に没頭するタイプ。面白くて。
推進力があって、上手くいってる時はものすごくいいんだけども。じゃあ、つまずいた時、上手くいかなくなった時が、これがもう地獄。本当に地獄。
自分自身の世界観の中だけでぐるぐるぐるぐるぐる回答を見つけようとして、さらにエネルギーを使って上手くやろうとか、上手く活かそうとするから、ぐっちゃぐちゃになります。
だから要は上手くいかないんですけど。そういう時こそ、人に出会って聞いたりとか、人を介して何か手伝ってもらったりとか、っていうところが柔軟にしていくことっていうのが大事だと思うんですよ。仕事って。
そう、だからね、めっちゃなんかこう、修行僧のような感じで仕事をしちゃう状態になるから、エネルギー的に見てても、いや、絶対上手くいかんよ、それって。
周り見なさいってちゃんと。周り見て、人を見て、あなたが、あなたのことを大事に思ってくれてる人とかにも、そういうのを相談してみなさいみたいな。
今思えばね。でも固くない?山崎県の人は自分のビジネス、自分のものなんだから、自分でやんなきゃいけないみたいな。すごいプレッシャーだし、なんだろう、自分で自分の足に足枷つけてるみたいな感じです。
父親とか見ててもね、本当私と父親ってそっくりなんですよ、その部分って。恐ろしいぐらい似てるんですよ。私はとりあえず1抜けたって感じで抜けたんですけども、父親まだいるんで、その世界観に。
どうしようかなみたいな。追い先、別にね、長くはないけども、でもなんかなって。だからこそっていう部分ありますよね。でもこれって、気づくのって、言葉で説得しても気づくものではないんですよ。
私がだってこんなに40何年間、彼からずっと言われ続けたんですよ。いろんな違う言葉で。それでも、今ようやっとわかってるんですよ、これ。すごくないですか、もう。自分自身が無駄にしたな、時間みたいな。
いや本当に呪いすごいと思った。家族間の育ってきた環境って本当に、その人のなんだろうな。人間がこうさ、私がだって3歳からさ、14ぐらいまででしょ?一緒にその中で育ってきたわけじゃん。
いやー、そこに刻まれるものデカいよね。その中でもいろいろ親がね、別境とか、お父さんがなんか浮気してとか、お母さん悲しんでとか、そういうときも結構多感なときにあったから、そういう意味ではぐちゃぐちゃなんですけども。
結論はさ、そういうのを客観的に見れたから全然いいんだけど、これからだってね、もうちょっと足枷とりあえず取れたから、もうちょっと気楽に行こうみたいな。
そのなんだろう、そういった幼少期の頃の家庭環境の影響ってもちろん大きいんですけども、さあなんかさ、こういうエネルギーの世界ってさ、いろんなことをさ、知ったりさ、やったりさ、なんかいろいろしてるけどさ、思うよね。
さっき言ったオショとかいるじゃん。あれも結構好きな人、コアな人気な人なんで、世界的に影響を与えた人なんでね。
有名なんですけども、あの人の書いてる本ってものすごく高い資座で書かれてるんですよ、言葉が。
だから、そこにいる人は理解できるけども、全然まだわかんない人からしたら何のことを言ってんだろうっていう状態なんですよ。
だからすごく小難しく感じるんですよね。
そう、なんでもっと簡単に言ってあげないのっていうのは今思いますけど、言ってることはわかるよって、すげえ本質なこと言ってるんだけど、わかんねえんだってそれだと思う。
宇宙語に聞こえんだって言って、翻訳、婚約必要やねんとか思いながら今思うんですけど。
そう、言いたいのはわかるんですよね。
自分自身も最近いろいろ経験してね、例えば、ギリシシが危ない状況になってさ、息子であるね、長男である息子がさ、本当に動揺するぐらい深刻な事態になったわけですよ。
で、自分の人生の中で、自分と関わりが深い問題になればなるほど、人ってそこをすごくピンポイントで見ると思うんですよ。
例えば今だったら、ギリシシが本当に危ないと、医者からも連絡があって、今から緊急手術をしないと30分後どうなってるのかわからないっていう電話があったとなると、息子からしたら心臓バクバクですよね。
え?みたいな。何言ってんのこの人みたいな。
それって自分の人生にとって大きな出来事ですよね。
で、まあまあまあ、今ね、別に回復で来月の中旬あたりに、元々いた市の病院に転院っていう予定ぐらいになってるわけですよ。
ただ、人って重量性が高い問題が起きた時って、客観的に見ることってまず難しいんですよ。
だって自分自身と関わりが深ければ深いほど深刻じゃないですか。
でも、その和尚とかの言ってる本っていうのは、常に自分自身は盲観者、観察者でありなさいっていう風に言うんですよ。
人との関わり
でも、それさーって、もうちょっとわかりやすく言ってくんない?みたいな、結構難しいこと言っとるよ、君。
で、何千人ものね、サニヤ神っていう弟子がいるわけですよ。
みんなわかってねえと思うよって。
あとなんか瞑想とかも、ダイナミック瞑想とか、人って悲しみとか、あと怒りっていうエネルギーって結構溜めがちなんですよ。
それをまず発散させることが大事っていうのを言ってるんですけども、ちょっと止まりがないやり方みたいに私は今若干思うんですよ。
まあ昔のやり方なのかなって。
まあそれもありだけどね、みたいな。
ただ、怒りが溜まっている、悲しみが溜まっているって思えば、そう思う世界観になるんですよ。
そういう風なのを、だって自分自身で思っちゃってるんですもん。
この辺はね、話したら超長くなんですけども。
だから本当に、物事をすべて客観的に捉えることができたら、実は問題じゃなくなってくるんですよ。
だからなんだろう、よく友達に相談された時に、え、なんでそんなことで悩んでるんだろうって思う時ってありません?
それって自分事ではなく、客観的に物事を捉えてるからですよね。
でももちろん人によっては、そうだよねって、絶対ね、それって相手が悪いと思うとか、
まあそれはもうその世界にのめり込んじゃってるからそうなっちゃうんですけども。
ただ本当に、その物事を客観的に捉えた時って、その世界観に入ってない時と答え出してる答えって違うと思うんですよね。
それはね、すごく私最近ものすごく感じます。
だから自分自身に起きる、自分にとって嫌な問題っていうのも、一旦距離を置いて、客観的に捉える。
そして深刻にならないゲームに入った方がいいです。
深刻になればなるほど、その出来事ってより深刻になっていくんですよ。
だって自分が深刻だから。
どうしようどうしよう、生きていけないかもしれない、どうしようどうしようってなるんですよ。
これは、まあ賛否両論あると思うんですよ。
でも私は自分に起きる大変なことであっても、そういうスタンスで生きて捉えたいなと思ってます。
だって全然違うんで、捉えた時に。
客観的に物事を本当に捉えると、見えてくるものが全然違うんですよ。
びっくりしますよそれは。
なんで私あんなのに悩んでたんだろうって。
全然、しかもこうしたらいいんじゃんっていう解決策までポロンと出てくるんですよ。
これがまた面白いんですけど。
そう、だからなんて言ったらいいんですかね、話がね結構広がっちゃったんですけども相変わらずね。
そう。
まあ、なんだろうな。
これは多分ずっと私は言い続けると思う。
自分自身にも言い続けるし、ラジオでもずっと言い続けると思う。
だってそこが本質だから。
なんでね客観的に物事を捉えることができないんだろうっていう風に考えた時に、
それって自我があるからなんですよ。
そう、だから難しいなっていう風にも私も自分自身で生きてて思うんですよ、何かあった時に。
自分の自我があったりとかエゴがあったりすると、
それが邪魔して客観的に捉えることを難しくさせてるんだろうなっていうのを、
最近バーッとしてる時に思ったんですよね。
そう。
なんで、まあね本当になんだろう、人ってなんだろう、
自分が今形成されているものって、実は過去からの家族の影響だったりとかっていうのが、
深く深くいろんなものがベースとしてできてるんですよ。
実は自分自身って言われてるものは、そういったものがほとんどなんですね。
私がそうだったように。
だから気づけば、それを、
あ、そうだったんだって思って、
あ、じゃあ別にそれはいいやと思って、選ばないこともありなんですよ。できるんですよ。
私はその山崎家の呪いが、
まあそういうことかと思って、
今はね、なんだろう、
相変わらずたぶん歩いてると、
視界はたぶんおそらく狭いんですけど、
おそらくね、おそらくまだ、そういう癖なんで、
狭いけども、ただ、
無人島ではないことは確かです。私が今いる世界観っていうのは。
そういった、なんだろう、だから人にある意味で興味がなかったというか、
興味という言葉すらもない世界観に私はいたんですよ。
だけども、なんでか面白くて、これが人間のわからないことで、
結婚したりとかしてるわけですね。
人に興味がないのに結婚してるってどういうことなの?って思うし、
なんだろう、カンボジアに昔ね、だいぶ前か、もう10年近く前かな、
行ったんですよね。3ヶ月間という短い期間の中で。
その中で、あそこって本当に当時は、なんだろう、昔の、
昔ながらの日本、横のつながりとか、昭和とか、
そういった感じの場所だったんですよ。
なので人とのつながりっていうのがすごく濃かったんですね。
その中で私はいろんなものを体験して、
カンボジアから帰ってきた時に、
人に対するものっていうのがすごく価値観として変わったんですね。
今までは目の前に人が現れたら、なんだこいつみたいな、
グッと構えてる自分がいたけど、そうじゃなくて、
なんだろうみたいな、気楽なスタンスに変わったっていうのも、
結構どっかのブログの記事とか書いてたかな。
それぐらい、人に対してっていうポイントポイントで、
人生の中でいろいろあった中で、
今は集大成ですよね、今回の事件っていうのは。
マジほんと呪いすぎるだろ、山崎県みたいな。
マジやめてみたいな。
兄弟は、ほんとそうだね。
3兄弟に似てるとこあるなと思うけども、
私は本当に人に頼るとか、そういったものにヘドが出るぐらいなんですよ。
人に頼るって自分自身が弱いことを認めてんじゃんって、できないことを認めてんじゃんって。
自分でできるでしょって、やれるでしょって。
なんで人に頼まなきゃいけないのっていうスタンスであったんですけども、
自分そんなに万能じゃないし、苦手なことにめっちゃ時間かけるよりも、
得意なところをもっと時間かけて、人に提供できたらもっと面白いじゃんっていうふうに思ってるんですね。
人っていうのをすごく今、
この40何年間引いてきてやっと、
面白みをさらに感じてるっていうのがあるかな。
何歳になってもさ、
スタートできるっていうふうに思って、
私はね、
楽しい人生、楽しいっていうか、
人を介しての喜びがね、ずっと私は仕事を通して好きだって言ってたのに、
そこに到達できない自分っていうのも、
そういう自分自身が根底にあったからだなっていうのも、
客観的に知れたんで、
ちょっと楽しくやっていけたらいいかなと思います。
いろんなアイディアがすごく降ってくるなと思って、
そういう見方が変わるとね。
これも私、毎日毎日、
気功の大終点という大技を繰り広げてるわけですよ。
意識の拡大と変化
繰り広げてるというか、毎朝常に意識をしてるんですよ。
それが結構大きいなと思います。
大終点って意識の拡大化っていうふうに言われてるんですよ。
だから私、無人島でポツンとね、
すごい狭い視野、視座も低いの中で生きてたんで、
今ってすごく高い視点、
そして広いスポット的なものじゃなくて、
広い目線って言ったらいいんですかね。
横と縦が広くなったみたいな。
そうしてくると本当に、
いろんなものがやっぱり気づいたり、自分自身もそうなんですけども、
そういうのがあるんだなと思って、
大終点は本当に先月ぐらいからかな。
セッションに行ったときに、
じゃあやりましょうかといろいろやった後の変化っていうのが、
なんだろうね、びっくりするわ、いろんなことがありすぎて。
あれ、私の人生ってこんなに忙しかったっけみたいな。
おかしいなみたいな。
20代かよこれ。みたいな。
なんかあれじゃないですか、
若い時のがいろいろせわしなかったけども、
結構年取っていくとなだらかになっていくというか、
人間やってるとパターン化するじゃないですけども、
そういうのがありますよね。
そういうのもなくなってきて、
いろんなものがボロンボロンボロンボロン出てきたりとかするから、
いやこれ面白すぎだろうと思って。
だからそういった経験も踏まえて、
そういった同じ思いをしてる人に何かきっかけとか、
それによって何か良くなるものが提供できるのであれば、
そういうのはいろんな活動の一つとしてやっていきたいなというふうに思いますね。
人間界の世界も本当にタフじゃないから生きていけねえとか思うけども、
そうじゃないと思うんですよね。
自分の考え方、脳みその使い方一つで変わると思うので、
ご縁があった人には私自身も楽しみながらやっていけたらなと思います。
50分くらいですね。もう時間長え。
でもこれだけは言いたかったんだよ本当に。
これをまとめてブログにも書く予定なんで、
今後も私はこんな感じで発信をしていこうかなと思います。
今日は聞いてくださりありがとうございました。
ということで今回は以上となります。またです。
48:44

コメント

スクロール