集団行動の重要性
こんにちは。お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、ASDの息子を持ち、発達おとずのある子どもたちの支援の仕事をしている私が、息子を通して出会った行動分析学を広めたいチャンネルです。
すっかり秋になりました。
私が主に支援をしている子どもたちは小学生なので、
イベントの多い秋は、ザ・集団行動とか、集団行動の練習の機会が多くなる時期です。
私は、子どもたちの自立をサポートするのが仕事です。
時には、苦手な集団に入って一緒に動けることが、その子本人の自信につながったり、将来を見据えた時には役に立つだろうとされているので、
できるだけ集団の活動にも参加できるよう、子どもたちに促したり、手伝ったりしています。
ただ、内心では、大人になってそれやっちゃったら捕まるよっていうようなこと以外は、
そんなに目くじら立てる必要はないんじゃないかなと、心の奥では思っているので、
綺麗に揃って行動できない子たちが責められているのを見ると、もやりとします。
私自身は子どもの頃から、集団行動にはさほど苦もなく参加できる方でした。
でも、いろんな学校行事などに、いつもワクワクして好きで参加していたわけではないです。
どちらかというと、だいたい嫌でした。
じゃあ、なんで私は無難に参加できていたかといえば、怒られるのが嫌だったからですね。
つまり、私は先生や大人から怒られるという結果を回避するために、
集団行動への参加という行動を維持させていたわけです。
だから、主な行動の理由は、嫌な結果、私にとっての犬死の回避ですね。
そして、集団から逸脱してしまう子たちは、
そんな子どもの頃の私よりも、集団での行動が苦手な特性を持っているのだと思います。
ある子は、やることがないのにその場で成立するという動きが難しいのかもしれないし、
またある子は、みんなと一緒に動くより自分の興味の向くもの、
例えば飛んでいるチョウチュウやバッタに向かってどうしても駆け出したくなるのかもしれません。
子どもの頃の私は、犬死の回避のために集団に参加する。
かたやしょっちゅう怒られているあの子たちは、感覚刺激を得るために集団から逸脱する。
どちらも行動随反性に従って動いているだけと言えないでしょうか。
だったら、悪い子なんていないと思うんですよね。
まあそうは言っても、子どもたちの自立を目指したサポートをするのが私の仕事であって、
そのためには、負荷をかけすぎない程度に集団行動に促すことも大きな意味があるとは感じています。
本人なりに参加できたときには、その子の自信につながったり、
なるべく多くの人に褒めてもらったら全体的な信頼関係も良くなったり、といいことはたくさんあります。
なので、別に悪いことをしているわけじゃないのになーっていうような、
個人的な私のモヤモヤは横に置いて、
見てバッタさんも応援してるよーとか、
これ見たらお家の人も喜ぶねーとか、
そんな声かけで乗り切る、今日この頃です。
ABAで広がれ、シンプルで楽しい生き方。
今日も大事なものを大事にできる一日を。
あきねでした。