社交辞令の理解
こんにちは。お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、2人の小学生の子を持ついちお母さんの私が、ASDの息子を通して出会った行動分析学について語るチャンネルです。
実は私、社会人になってからもしばらくの間、建前がよく分からなかったのですが、当然、社交辞令も分かりませんでした。
幸い、これまで社交辞令が理解できなかったり、うまく使えなかったりしても、きつく非難されたりした経験はないのですが、
例えば、ママとモカンの暗黙のルールといえば、一言目には共感を表す言葉を言う。おそらくこれが鉄則なわけです。
でも、この辺の理解が薄かった私は、ママさんAがちょっとした愚痴だったり、悩みをトロした時、「うんうん、そっかー。」の一言をすっ飛ばして、「それじゃあ、こうしてみるのは?」みたいな思いつきを最初に発言したりしていました。
別にそれによって嫌悪になるわけではありませんが、お互いになんとなくのズレは感じていたと思います。
そんな私も今では、スタエフではともかくオフラインではだいぶ暗黙のルールをわかって行動するようになったと思うんですが、
それでもそもそもの思考回路があるので、例えば、家のチャイムが鳴って、「お忙しい時間にすみません。」なんて言われると、
うん、今何時だっけ?一般的にはお忙しい時間なのかな?とか、私は忙しくなかったから大丈夫って言うべきかな?といった思考に瞬時に飛んでしまうことはまだまだあります。
正直、社交辞令っているの?なくてもいいんじゃないの?という考えはずっと思っていたので、
今日は社交辞令や暗黙のルールについて真面目に分析してみたいと思います。
まず社交辞令を辞書で調べると、人付き合いを円滑に進めるための褒め言葉や挨拶と出てきます。
辞書によっては褒め言葉や挨拶の前に上辺だけのとはっきり書いてあるものさえあります。
人付き合いを円滑に進めるための上辺だけの褒め言葉や挨拶。
社交辞令を言うことの目的、機能は何でしょうか?
人付き合いを円滑に進めるの具体的な中身は何かということですね。
まず初めに、得るもの、教科書は何かと考えると、
毎日暑いですね、や、寒くなりましたね、みたいな挨拶の場合、
相手との共通の話題になりやすく、親近感を持ってもらえる可能性があります。
行動分析学の視点
また、お忙しいところすみませんの言葉だったら、
あなたの事情にも配慮してますよ、と表明することで、
相手から好意的な反応がもらえる可能性が上がりそうです。
次に、何か嫌なもの、不快な刺激、嫌子を回避しているとも考えられます。
お天気などの共通の話題は、沈黙や気まずさといった不快な状況から救ってくれるし、
また今度お茶しましょう、のような言葉は、
たとえ実行されなかったとしても、その場の友好的な関係を維持して、
気まずくなることを避ける効果があると思います。
ただ、社交事例を交わしてさよならした後には、
しらーっとしたような物寂しさを感じることもありますが、
今お話ししてきたような行動の直後の結果を見ると、
人付き合いを円滑にという目的には有効そうなため、
行動として維持されているのではないでしょうか。
私自身が社交事例や暗黙のルールを面倒だなぁと感じながら、
それでも自分の行動レパートリーに加えている理由を考えてみると、
それはやはり敵じゃないよということの表明になるからだと思います。
最後に、社交事例としての自分を下げる発言や我が子を下げる発言について、
最近では相手も返答に困るし、誰も得しないよねという考えが広まって、
私の周囲でもだいぶ少なくなっている気がします。
いいことだと思います。
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今日も大事なものを大事にできる一日を。
あきねでした。