不快な感情の意義
こんにちは。お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、ASDの息子を持ち、発達凹凸のある子どもたちの支援のお仕事をしている私が、息子を通して出会った行動分析学を広めたいチャンネルです。
最近知って感銘を受けた言葉があります。
不快な感情は価値に向かう羅針盤である。です。
尊敬する今井翔治先生が、Vのつく音声配信プラットフォームでおっしゃっていたのですが、
心理療法のACTのアクセプタンス&コミットメントセラピーの創始者であるスティーブン・ヘイズさんの考え方だそうです。
ACTは行動分析学と関係がとても深いので、興味があって少しずつ勉強しています。
不快な感情、例えば怒りや悲しみ、不安といった不快な感情は、
自分が大切にしている何か、価値が脅かされている時に生じるもので、
つまり大切にしている価値とは反対の方向に進んでいるよと教えてくれる羅針盤だということなんですね。
不快な感情は価値に向かう羅針盤である。
不快な感情を悪いものとして排除しようとせずに、
むしろ手がかりとして自分が何を大切にしているのか、何を価値としているのかに気づくこと、
そして価値に向かう行動、コミットされた行動を取ることを重視するのが悪党です。
先日、須田友のエリムスさんが放送で触れてらしたNPO 縁の木のイベント
哲学心理学史から学ぶ悪党に私も参加しておりまして、
ちょうど悪党の話なので触れてみたいと思います。
全3回で、18日に第2回目があったんですけれども、
講義では心理学がその時代の社会に求められる形で使われてきたという側面についてのお話があって、
それってつまり純粋培養で心理学が発展してきたわけではないんだよということだったんですね。
私のように別に心理学を専門に学んできたわけでもなく、
ただ行動分析学大好き、なぜなら役に立つからの一心で前に進もうとしているものからすると、
なんか悲しいというか、闇を垣間見るような気持ちになりますが、
でも私が行動分析学を軸に人と主に子どもたちと関わる時には、
言ってしまえば私の価値観を通して接することになるので、
だとしたら自分が信じているもの、軸にしているものの、
歴史を知っておくことって大事なのかもなと初めて思わされました。
冒頭の言葉、「不快な感情は価値へ向かうらしんばん」を思い出すと、
私は心理学が社会に使われてきたとして、ちょっと悲しかったわけです。
不快な感情ですよね。
で、この不快な感情は何でなのかなと考えると、
私は正しさが欲しかったんだなと気づきました。
軸にして進みたいから、正しくないと困るんですね。
でも正しさなんて、その時点で、
自分が正しくないと困るんですね。
勉強が必要だなと思いました。
でもやっぱりとても面白いです。
NPOえんのきさんのこのイベント、
最後の第3回目は11月22日ですので、
よろしかったらご覧になってくださいね。
それではまた。
またご検討ください。
私はえんのきさんのポリシーが好きで応援しています。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
ABAで広がれ、シンプルで楽しい生き方。
今日も大事なものを大事にできる一日を。
あきねでした。