1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.231「大企業で花形職にい..

子どもが教える学校校長の鈴木深雪さんのインタビュー第1回目です。 
「子どもが教える学校」というプロジェクトを立ち上げた背景や、会社員時代に仕事人間だった深雪さんが人生を変える出会いや息子さんから言われた一言を通してどのようにライフシフトしていったのか?をお聞きしています。 

オープニングでは、猛暑だったフランスより最近のパリの様子と、アキの新企画「ライブ配信スタート」のお知らせをお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、ご無沙汰しています。
ご無沙汰です。
お元気ですか?
今日もよろしくお願いします。
元気にしてますが、
盲書の8月中は結構死んでましたね。
やっぱりエアコンのない生活と原始生活って辛いですね。
38℃を超えてましたもんね。
何年かね、やっぱり続くと。
続いて、エアコンのない生活を、
特にね、フランスはエアコンがないところが多いし、
家の中でもね、締め切っててももう暑いですからね、はっきり言ってね。
扇風機を回すと、今度吹く風が熱風なんですよね。
そうなんですよね。
風が生温くて、もうそれもまたちょっと耐えられなかったりする。
どうしてたの?じゃあその時、どうやって乗り切ってたんですか?
えっとね、氷枕あるじゃないですか。
アイス飲むみたいなね、ああいうのを首に当てて、
夜とかはそれで寝てました。
多少こうひんやり感があって。
扇風機をつけっぱなしで寝たら、
翌日なんかすごい体中、口の中とかすごい乾燥したので、
それもつらいので、やっぱそれもダメだなと思って。
もがいてましたね。
もがくよね、外もきついし、中もきついしって感じですもんね。
エアコンはそろそろもうフランス人にも必要になってくるかもしれない。
もうちょっと建築物の構造の基準とかを緩くして、
ちゃんと壁に穴を開けるのをね、各家庭、
世帯主の意思に応じてできるとかしないと、
全てのアパートのアパートマンとかの場合、
全部ね、オーナーさんの意見をとって、
オッケーだったら初めて外壁とか開けられるわけじゃないですか、穴を。
管理組合のね、ああいうのがありますよね。
それが大変でしょ。
そういうことをやってると、永遠に多分ね、
エアコンとかつけられないんだと思う。
だからこんなに普及しないんじゃないかな。
そうですね。
多分もうみんないなくなっちゃうから、基本。
ザカンしてね、行って。
そう、だからそういう意味では、もうその2週間ぐらいなんとか、
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なんとかしのごうみたいな感じなのかなっていう感じはするんですけどね。
特に今年は国をまたぐザカンとかがちょっと大変だったりとかもね、
南部に残ってる人ってすごい多かったと思うんですよ。
なちこち。
大変だったと思う。
本当に観光だらけ。
外国人の観光客は少ないけど、結局フランスの人たちがあんま外出なかったので、
結果的にはパリ以外はそれなりにね、観光業的にもうるおってたみたいな感じは聞くんですよね。
パリは海外の人たちが来ないから大変だったみたいな感じでは聞いたんですけどね。
ノルマンディとかね、すごい人でしたよ。
3密。本当にいわゆる3密。すごいね。
みんな行くとこないから、同じとこに結局。
集まってきちゃうからね。
確かに私ね、いろいろちょっと考えてスペインの山のほうに行ったんだけど、
山ってビーチみたいにずっとその場所にいないじゃないですか。
だけど、私のお友達とかもビアリッツとか行ってて、そのビーチの写真とか送ってきたんですけど、
もう完全な3密なわけでしょ、ビーチ系は。
で、やっぱビーチって動かないじゃない、あんまり。
せいぜいちょっと海に入ってくるぐらいのレベルなので、
山って結構みんな移動するんですよ、当たり前だけど。
その場所でボケっとしてる人あんまりいないんで。
だからね、山側は3密ってほぼないんだけど、
海側は多分すごかったんじゃないかなっていうのが、
写真を見た感想だった、今年の友達の写真は。
ビーチは多分すごいと思う。
もうどうすることもできなかったんでしょうね、今年は。
もうできないし、そういう意味ではもう、
集まってきちゃうのはしょうがないっていう感じはしたんですけど、
まあどっちにしろ、しばらく日本だけじゃなくて、
しばらくどこの国もこういう状態が続くのかなと思うし、
9月に入って、マスクは相変わらずフランスは義務付けられていて、
そうだそうだ、8月の末からマスクがパリと近辺の郊外ですね、
マスク外出の際は必ず付けなきゃいけないっていうのが義務になっていました。
本当に子どもたちもそういう感じで学校に行かなきゃいけないから、
他でさえ、歩行者も自転車の人もみんなやらなきゃいけないっていう、
車に乗ってる人だけオッケーみたいな感じでしたもんね。
これから子どもたちも大変かなっていう感じですかね。
06:01
ちょっと私の方で簡単に、9月の頭なのでお知らせがあって、
7月にちょうどメールレターではちょっとお話ししたんですけど、
ちょっと私も新しいことをやろうと思っていて、
それが別にYouTubeとかそういうのではないんだけど、
ライブ配信をちょっと始めようと思っているんですよ。
だからちょっと今までは書いたりとか、
しゃべるのはこのポッドキャストさんとやってたんですけど、
ライブをね、もうちょっと自分のメンタルをどうやって整えるかとかっていう、
ちょっと仕事に直結した内容でライブ配信をやろうと思っていて、
まだこの時点で、この放送の時点で、
出来上がってないんだけど、全然。
だけど配信される頃には整っていると思うので、
もしよかったらホームページを見ていただきたいなと思います。
9月のね、この配信の同じぐらいにちょっと1回目のライブをやって、
ちょっと定期的にやっていこうかなと思いますので。
Facebookとかのライブですか?
そうそう、Facebookの、いろいろあるんですよ。
私もちょっとまだ分かっていなくて。
いっぱいありますもんね。
あるんです。
だけど私もいっぺんにできないんで、分かんないから。
今日もね、実はね、朝から格闘してたんですよ、これ。
だけど難しい。やっぱり慣れないことをするのは時間かかってしまって。
なので、ちょっとまずFacebookのグループを作ってやって、
慣れたらちょっとインスタでもやろうかなみたいな感じなので、
ちょっと1個ずつやっていこうと思うんですけど、
もう本当に10分、15分ぐらいのライブなんですが、
やっていこうと思うので、興味のある方はホームページの方にグループの方を貼っておくので、
よかったらパリプロジェクトで検索してみていただきたいなと思います。
多分週2回ぐらいはやろうかなと思ってます。
結構頻度でやるんですね。週2回。
週2だとはね。
だけどね、テーマググッと絞って、
もう短く15分とか20分とかのライブなので、
気軽に見れる程度に、集中力が続く程度にやろうかなと思ってますので、
せっかくなのでちょっとお試しっていう感じで9月やってみようかなと思うので、
よかったら見ていただきたいなと思います。
はい、それでは本編スタートです。
本編です。
今回は久しぶりのインタビューです。
今回のお話を伺った方は、子どもが教える学校の校長でいらっしゃる鈴木美由紀さんです。
美由紀さんはですね、もともとずっと会社員をされていて、
その後独立をし、最近子どもが教える学校っていうものを立ち上げました。
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今回のコロナのことがきっかけになったことではあるんですが、
彼女のヒストリーの中に、その原点となるものがいろいろ散りばめられています。
今回はね、子どもが教える学校って何とか、その辺の中身であるとか、
彼女の会社員時代と実際に体験したこと、
全部これつながってくるんですけども、
その辺の独立までの戦を聞いてますので、ぜひ楽しみに聞いていただけたらと思います。
今回も素敵なゲストにお越しいただいています。
子どもが教える学校校長の鈴木美由紀さんです。
美由紀さんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
子どもが教える学校の校長先生ということなんですが、
子どもが教える学校って何ですか?
まずそこからちょっと聞きたいなと思います。
普段子どもたちは学校で、教室で席について授業を受ける側ですけども、
その子どもたちに先生になってもらって、大人に授業をしてもらうという学校なんですね。
普段の立場が逆な学校なんです。
そこの授業で語ってもらうテーマっていうのは、
子どもたちが好きなこととか夢中なこととか伝えたいこととか、
人によっては大人へとか世の中への不平不満だったりとか、
そういうものが授業になっている、そんな学校なんです。
なるほどね。
その子どもってちなみに何歳ぐらいの子たちが参加してるんですか?
小学校4年生以上で、小学校中学校が中心ですけれども、
実際高校生まで、大学生も参加したことありますね。
そうなんですね。
じゃあテーマは自分で決める感じですか?
はい、何でもいいです。自由です。
ちなみに、いわゆる子どもっていう、大人がイメージする子どもの興味の対象以外で、
そんなこと話すんだっていう面白いテーマとかありました?
大人はなぜ好きでもない仕事を辞めないのか。
いいですね。面白い。
その授業をやった子は、ちなみにいくつぐらいの子?
この子は4年生の男の子でした。
4年生となると10歳ぐらいってことでしょ?
10歳ぐらいですね。
面白い。
お母さんを見てて、なんで辞めないのかなって思ったことを授業にしてくれてます。
ちなみにその授業っていうのは何分ぐらいの授業なんですか?
小学生は5分で、中学生以上が7分です。
なるほどね。
で、何人ぐらいの前で話す?
大体100組。
ズームでやるんですけども、
100個画面が並んでいるので100組ですね。
めちゃめちゃ喋るんだ。
12:01
最大300組参加したこともありました。
小学生の子が300人の前で話すっていうことをやったりもします。
学校でもなかなかないですもんね。
ないですね。
だってクラスの中だって結構緊張するのに、
3、40人ですよね。
1学年あったって100何十人ですもんね。
ですよね。
かつ、それが知らない人たちもいっぱい含まれてるってことじゃないですか。
自分のお父さんお母さんよりも下手したら年上の人もたくさんいらっしゃる。
みんな聞いている中で話す。
話すんですよ。
なるほどね。
そのね、細かい話はまたちょっと後で聞きたいんですけど、
それをやろうっていうか、やる醍醐味っていうのはどこにあるんですか?
子どもたちのですか?
子どもたちにとっては、
普段は多分学校の勉強が一番だったりとか、大事だったりとか、
やっても図工とか美術とか、
そういう学校の教科の中のものってすごく評価されるじゃないですか。
でも例えばそれがゲームとか、
さっきのような親への申し立てみたいなことって、
普段だったら言ってはいけないようなものだったりすると思うんですよね。
タブーというか。
子どもたちはタブーって言葉知ってないかもしれないですけど、
多分そういう感じのものが、
ひとたびそこに外に出してみたら、
いいよって言われるどころか、
大人たちが手叩いて大喜びしたり、
人によっては涙を流したり、
人生が変わったとかっていう、
その自分の中の本当に小さなテーマが、
これだけ人に影響を受けることが、
与えることができるんだって気づくのが、
すごく興奮するみたいですね。
なるほどね。
それがわずか5分とか7分の中に含まれていくという感じなんですね。
終わった瞬間にこう言うんですね、みんな。
次いつですかって。
またやりたいってすぐ言うんですよ。
違うテーマでまたやるってことが、
彼らにとってはすごく大きな経験になったってことですね。
本当にドキドキしながら画面に出て、
100組どうしようとドキドキするけど、
出してみたら思った以上の反応が返ってくるっていうのが、
多分自己肯定にもつながるでしょうし、
自信にもつながったりするんじゃないかなと。
なるほどね。
大人側はどうですか?
この聞いてる側にとっての醍醐味っていうか。
大人側は思っても見ない変化球のメッセージが来るわけですよ。
さっきのお母さんの仕事の話もそうですし、
例えばゲーム一つにとってもすごく深い考察とか、
人生の学びを得てるんだっていうことを、
子どもたちが一生懸命語るわけですね。
そうすると子どもってなんか幼いものだとか、
自分たちが何かを与える存在だって思ってた大人たちが、
こんなことを教えてくれるのっていう、
今までの価値観とか思い込みとか枠だとかっていうのを、
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変化球で取っ払ってくれるので、
大人は大人でやっぱり枠が外れたっていう人がすごく多いですね。
なるほどね。
多分大人目線で見てた子どもとはまたちょっと違う視点っていうのが。
そうなんです。
参加される前は皆さん、
たぶん子どもたちのお勇気会を見たら、
感動するのと一緒だよねって思うみたいなんですけど。
そういうイメージね。
頑張った子どもたちが自分よりも何歳も年下の子どもたちが頑張ってたら、
勇気もらうじゃないですか。
確かにそれはあるんですけども、
そうですね。こんなに世の中をフラットに見てるんだとか、
例えばこのコロナの時期の3ヶ月間、
私はこんな風に工夫をして生き延びたとかって話すわけですよ、中学生が。
子どもたちが。
子どもたちが。
自分たちできちんと何か答えを求めて格闘している、
そういうメッセージとかに大人は気づくんですよね。
私たちももっと真剣に生きなきゃいけないとかって、
ボロボロボロボロ泣くっていう。
自分のことを振り返るきっかけになるって感じなんですかね。
そうですね。
何かこう抑えてたものとか、
自分が大好きだったことを思い出したりとか、
枠が外されたりだったりとか、
人によってちょっとそれぞれなんですけども、
とにかく揺さぶられるみたいですね。
今まで持ってたものを。
なるほど。
その中身についてはね、また後でじっくりお聞きしたいんですが、
ちょっとその前に、
このプロジェクト自体はいつからスタートしてるんですか。
これが3月末ですね。
2020年の3月末にかなり思いつきで立ち上がりました。
思いつきだったんですか。
思いつきでした。
本当に時代の流れとしてはコロナで急行になって、
さあどうするんだと。
子供はいつも家にいる。
家にいるとこれがいつまで続くのかもわからないし、
だからといって仕事は普通にあるし、
どういうふうに過ごそうって言ってた時に、
実は友人のお子さんのある少年との出会いがきっかけなんです。
その子が中学受験が終わった後だったんですけども、
その中学受験で得た時間管理のコツっていうのを
Zoomで小学校6年生、まもなく中学校になる男の子が
Zoomでプレゼンテーションをするっていう話を聞いたんですよ。
私もこれは応援しなきゃいけないと思って応援に駆けつけて、
すごくその子の勇気に感化されて、
こういう子どもたちにプレゼンテーションを教えてみようかなって思ったんですよ。
休校中にみんな時間があるから、
プレゼンって学校で学ばないので、
プレゼンを私が教えてあげようって思ったのが3月末で、
小学生、中学生、大人の方も結構いらっしゃったんですけど、
30人とか40人私も集めてプレゼンテーションの講座をやったんですね。
そこが始まりで、
Zoomで休校中時間あるし、
ボランティアやろうかなと思って始めたんですけど、
18:02
その時にせっかくプレゼンを学んだんであれば、
発表の場所がいるなって子どもたちに発表させてあげたいなって思ったんですよ。
それと同時にちょっと世間を見てみると、
子どもたちは学校に行けなくて元気がめちゃくちゃ余っていて、
大人は家にずっと子どもがいてどうしようって頭抱えてたりとか、
スーパーに行ったらマスクがないだ何にもないだっていうようなそういう時期で、
大人はもう落ち込んでて子どもはめちゃくちゃ元気で、
これ元気のない大人と元気の余ってる子どもを繋ぎ直して綺麗な輪にしたら、
この世の中、このコロナでいろんなもののご縁が切れちゃっている、
つながりが切れちゃっている世の中で、もしかしたら役に立つかもしれないなって思って、
そのプレゼンテーションの話と今のコロナの話が2つバンと私の中でくっついて、
だったら子どもと大人をつなげて子どもたちに先生になって、
元気のない大人を勇気づける会をやったらいいんじゃないかなっていうのを始めたのが、
3月末4月なんです。
そこからガーッと企画作って、子どもは子ども向けのプレゼンテーションの講座をやって、
発表する場を作りっていう感じですね。
100人集客して、どうせ集客するなら多い方が楽しいし、子どもたちもびっくりするよと思って、
大人に大人をけしかけながら遊びにおいでって言って、
子どもたちには君たちが持っているのは素晴らしいから、
5分の授業にしようよ、授業にしようよって言って、
大人と子ども両方に葉っぱをかけていって、始めたプロジェクトなんですね。
1回目はいつ頃スタートしたんですか?
本当に始めたの4月の頭でしたね。
本当に3月の終わりに企画立ててすぐやったんだ。
すぐやった。
みゆきさんも力有り余ってたんですね。
そうなんですよ。
外に出れなくて力が余ってたので。
なるほどね。
今何組ぐらいがプレゼンしてるんですか?
今は5期が進行中。
同じようなサイクルで5期まで来てまして、
子どもたちが今60人で、大人の参加がちょうど今1000組超えたとこですね。
なるほどね。半年弱でもうそんなに。
そうですね。半年弱で。
月1回やってる感じですか?
そうです。月1回やってます。
休校が終わってから一瞬どうしようかな、やめようかなと思ったんですけど、
これは続けていくべきだろうと思って、
毎月第一土日は子どもが教える学校の日って決めて、
ずっと今コンスタントに回してます。
なるほどね。
企画を立てる前っていう感じなんですけど、
みゆきさんはどんなお仕事をされてたんですか?
私はひも解くっていうのが野望なんですけれども、
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ビジネスをやられている方の頭の中のアイデアを整理するための
壁打ちあえて、頭の中を整理していくのをお仕事とした
ひも解きっていうのをずっと仕事に。
今独立してちょうど4年目なんですけども、
4年間そんな形で仕事をしてました。
その前は会社員で商品の企画をずっとやってたんですけども。
商品の企画をやってたんだ。
それは新卒からずっと同じ仕事だったんですか?
はい。16年間印刷会社で。
商品というよりは企業向けのビジネス企画みたいなのを
ずっとやってましたね。
もともとそういう企画とか、そういう方に行きたかったというか、
やりたかった人なんですか?
華やかだなと思って、当時。
小学生の頃に企画って華やかだなって当時みんな言ってたんですよ。
だから、営業よりは企画だろうって言うので、
企画がいいって言ってましたね。
よく分からずに。
でも、最初とか、企画に行ってもなかなか企画に行けないじゃないですか、みんな。
みゆきさんはどうだったんですか?
そうですね。最初は少し技術系の、ITのスキルがいるような部署。
理系なんですけど。
理系なんですか?
理系なんですよ。システム構築するような部署に最初入って、
嫌だって言って。
嫌だって言ったんだ。
お客さんと交渉しながら新しいものをクリエイトすることがいいって言って、
徐々に徐々にそっちに向かってきましたね。
なるほどね。
具体的に企画の中で自分がやりがいというか、
すごい自分の得意分野だったな、好きだったなって思うところはどういうところだったんですか?
私はやっぱりヒアリングするのがすごく好きで、
印刷会社だったので、
お客様ごとに一点一様でオリジナルなものを作っていくっていう感じなんですよね。
なので、各会社に行って今何に困ってるのか、
それを解決するためにはどうしたらいいのかっていうのを聞いていくと。
ただお客さんってやっぱり自分の課題をきちんと認識してなかったりもするので、
聞いていくと、問題は実は違うところにあるんじゃないですかって言いながら、
そこにマッチした提案を持っていって、
それが最後形になっていくこのプロセスがすごい楽しくて。
だから提案するためにもヒアリング必要ですもんね。
そのヒアリングするのも好きだし、
そのヒアリングに合わせてこちらから企画書を持っていって、
全くゼロの状態からこのA4の紙にポンチ絵を描いていくと。
それが何回かの打ち合わせを経て、
だんだん形に3Dになって最後現物になっていくっていう、
この何か頭の中のイマジネーションが出来上がっていくっていう、
ヒアリングからずっとこのプロセスが本当に大好きでしたね。
24:03
なるほど。そのプロセスっていうのは、
例えば一つのものが出来上がるまで、
どれくらいの期間がかかるようなプロジェクト?
システムだったので本当に。
3ヶ月とか半年とか、長いのはもっとかかったりっていうのもありましたけど。
同時並行でいろいろやってたりもしてたわけですね。
そうですね。はい。
じゃあ仕事は結構充実してたというか、好きでした?
多分ワーカーホリックだったと思います。
結構仕事、仕事、仕事みたいな感じだった?
仕事と飲み屋と家みたいな感じで、
ずっとぐるぐるしてたなと思うんですけども、
旗と30手前になった時に、
確かに楽しいんだけども、
これがずっと続くのかなって思いましたし、
30歳以上の先輩がいなかったんですよね、29の時に。
パッと気づいたら。ほとんどいなくて、
若い人でみんな構成されてていなくなっちゃうんですかね。
そうですね。結婚したり出産で少しずつ離職率がっていうのが、
20代の若い時は気づかなかったんですけど、
自分がいよいよってなった時に、あれってなって、
これどうした方がいいのかなっていうので、
初めてちょっと立ち止まったのが29から30歳の時でしたね。
なるほどね。でもその時はもう仕事には夢中になってやってる時期じゃないですか、
その時三浮さんは何を考えたんですか。
会社以外に場所を作らないといけないなってすごく思って、
確かに飲み屋と家と会社ですもんね。
そうなんですよ。これじゃいけないなと思って、
なぜか茶道を始めたんですよね。お茶、お茶。
そのお茶はやったことあったの?それまでに。
一度だけちょっとだけかじったことあったんですけど、
ちょっと未経験者から始めたんですけど、
え、なぜお茶?
それがワーカホリック時代に京都に出張に行った時に、
金曜日に行ったんですけど、日帰りのつもりだったのが、
なんか今日は泊まりたいなと思って、
初めて女一人旅旅館アット京都みたいな感じで泊まったんですよ。
それで泊まって、その旅館の横にお香の店があって、新店の。
そこの店主の方と翌朝、おはようございますって顔を見合わせたら、
あなたお香のね、お香の香堂っていう茶道じゃなくて香堂っていう、
香堂のワークショップに出てきなさいっておじいちゃんが言うわけですよ。
そこでちょっと参加をしたら、そのお香の世界がすごくみやみな世界が、
なんか自分の忘れてた感性、仕事しかなかったところに、
そのお香の香りとかにすごくバーッと癒されていて、
そこでもう一人80歳のおばあさんが出てきたんですね。
そのおばあさんが、今日から私お香を学びますって言ったんですよ。
27:00
80歳です。
お、同じタイミングでちょうど。
同じタイミングで。
私がちょうどその出張の一月前に、
そのおばあさんとほぼ同い年の祖母を亡くしてたんですね。
同い年で人生が終わる人もいれば、
新しいことをやろうっていう人もいるんだっていうのに、
パンツスーツでガシッと行った私は和室で、
なんかすごい天変地異というか、
今までの価値観がガラガラって変わって、
人生ってもっと自由にできるんだなとか、
思い込んでるだけなんだなとか、
もしかするとこれは祖母のメッセージで、
もっと自由にいろんなこともやってごらんっていうことなのかなと思って、
ちょっとお子はなかなか通う場所がなかったので、
お子にも馴染みの深いお茶からやってみようっていう。
そのおじいさんの出会いと、
おばあさんの出会いが、
70歳と80歳のすっごい生き生き生きてるお二人に出会ったことがきっかけなんですよね。
なるほどね。
その時の行動の、
ワーカホリックの自分とは別世界のっていうのを、
もうちょっと何を感じたのかなっていうのが、
すごく興味があるんですけど、
何が衝撃だったのかっていう。
まずその70歳のおじいさんがサムエを着てるわけですよ。
あとは50歳の、
私は365日着物を着てますっていうおばさまがいらっしゃったりとか、
そういう人が7,8人バーっていて、
みんなサムエ着物、着物、サムエ着物、
みたいな中で、
私だけパンツスーツで、
仕事で一応着てたからね。
パンツスーツで、
パンツもパツンパツンみたいな感じで、
なんかあれってまず思ったのと、
みんなが本当ににこやかに、
私は絵を習っていて、
作業もやってて、
着物もやってて、なんとかもやってて、
人生って楽しいよね。
70過ぎても80過ぎても楽しいよねっていう中で、
私たぶんその時27,8だったんですけど、
明らかに私が一番老けてるなって思ったんですよ。
気持ち上。
年齢じゃないなって、
こんなに若々しく生きてる人がいる中で、
20代の体力もあり余ってる私が、
何してるんだろう。
仕事は仕事でもいいんだけども、
もっと何かすべきことがあるんじゃないかなっていうので、
考えるきっかけになったんですね。
すごい考える。
あとはその祖母が亡くなったのと、
同い年の人が、
今まさに何か新しいことを始めようとしてて、
正座はできないけど始めるって言って、
言い訳じゃないし、
条件でもなくて、
気持ちなんだなっていうのに、
すごく刺激を受けたんですよね。
なるほど。
で、東京に戻られて、
そこから茶道をスタートされたんだ。
始めてみたら?
始めてみたら、
茶道っていうのはお花がイケてあったりとか、
お菓子が季節に応じて違ったりとか、
今までサラリーマンだけをやってると、
30:00
春、夏、秋、冬。
朝日は見るけど、
夕日は見ませんみたいな、
そういう生活だったのが、
きちんと夕日って沈んでいくんだなとか、
こんな都会の中にも
紫陽花があるんだなとか、
紫陽花ってこういうふうに
しおれていくとき、
こういうふうになっていくんだなっていうのが、
今までそこにあったんですけど、
ただ私が見えてなかったものが、
バーッと見え始めたときに、
本当に私、ピザの一角のワンピースを
自分の世界だと思ってただけで、
本当に広い広い世界があって、
それは自分の感性次第なんだな
っていうことに気づいて、
世の中が色とりどりに見え始めた。
そうすると、お客さんが言ってることも
もっとよく分かるようになったし、
今までの見方と変わってきたんですか?
変わってきたんですよ。
仕事の中でも、もっと自由にやっていいのかな
っていうので、
そこでやってたプロジェクトが
新聞の一面に載ったりとかも
たまたまそのタイミングでしたりして、
こういうことなのかもしれないと、
もっと自分の感性に従って
生きてもいいのかもしれないな
っていうふうに思ったんですよね。
なるほどね。
20代後半から今30代にかけて
だと思うんですけども、
その中で会社員を続けていくことは
できたわけじゃないですか。
そのポイントは子供が生まれたことで、
育休で外に出て、
会社以外の場所に出てみたら、
365日24時間、日常ってあるんだな
っていうことにまた気づいて、
言われてみればそうなんですけどね。
当たり前なんですけど、
サラリーマンの時は土日にしか
外に出たことがなかったので、
土日にしか日常はないんだと
どっかで思ってたら、
きちんと月曜日から金曜日まで
人の営みっていうのがあるんだな
っていう当たり前のことに気づいて、
またその自分のピザのピースが
ブワーって広くなって、
そうすると会社員以外の
働き方の人とかたくさん出会うことが
育休中にできて、
で、ワーッと世界が広がって、
で、会社にまた
育休が終わって戻りましたと。
育休はどれくらい取ってたんですか?
1年半取りました。
1年半取って、1年半後に戻りました。
もう大満喫して、
育休大満喫して戻ったら、
今度は子どもを
保育園に迎えに行く時間だとか
っていう、今までの
働き方よりももっとタイトな働き方を
条件上せざるを得なくて、
頭の中の感性は
めちゃくちゃ広がってるのに、
労働時間とか
制約だけがもうすごく
きつくなってきて、
頭では
分かってるのに、やっぱ効率を
求めなきゃいけなかったりとか、
今度はそれこそ時間がないので、
上司とかお客さんの
言うままにやった方が
33:00
早い。
お客さんの口を見ながら
ですよね。
私もそう思いました。
みたいな感じの、だんだん
仕事のスタイルになってきて、
これはちょっと
いけないなと、せっかくいろいろ
見えてきた感性がまた
閉じちゃうかもしれないなって、
当時はここまで言語化できなかったですけど、
当時はもう満員電車はやだ、
往復時間がやだ、
時短だし、なんだっていう
いろいろ言い訳をつけて飛び出したのが
4年前でした。
なるほどね。
育休戻られてから、
辞めるっていう
ところまで
期間的にはどれくらいあったんですか?
期間的には3、4年、
3年くらいですかね。
その間はこうなのかな
とか思いながらも
続けてきた。
ただ、人生って本当に
全部意味があるものだな
と思うんですけど、この3年間の
ラストの1年だけ、
私、会社で教育事業に携わっているんです。
それは
自ら死亡された?
育休復帰した
本当に最後の最後の人事異動で
たまたま、1年かな
2年やったかもしれないですね。
教育事業っていうのは
それはどういう
社員に対しての教育?
公教育ですね。
小学校とか日本の小学校とかに
ソフトウェアとかシステムを
提案するような仕事に
実はついてたんです。
そうなんですね。
そっかそっか。
だから、その経験が
たぶんあったから、今
子どもが教える学校をやろうと
思えたでしょうし、
全く未経験で
やったら、たぶん飛び込めなかったかな
と思うので、本当に
その育休後の数年っていうのも
改めて感謝なんです。
そこで何?
小学校のイメージとか
自分も子どもを持ったしね
そのへんのイメージが
つき始めてた最後の1,2年
学校の先生がどれだけ忙しかったり
とか、あとはその先生たちが
感じているいろんな
ビジョンだとか
だけどそれが時間的な制約の中で
できないっていうような
ジレンマだとかっていうのも
結構現場で聞かせてもらっていて
そうだよねっていうのだけを
感じてたんですよね、すごく。
なるほどね。
みゆきさん自体もそうやって感じてたわけじゃない
ジレンマを。
でもその最終的に
4年前ぐらいに
思い切った
きっかけはあったんですか?やっぱやめよう
っていう。
なんか特別何かが
あったわけではないですね。
グラスが満たされていって
最後の一滴が
ほとんど落ちた瞬間にやめる
っていう感じで
何があったわけではなくて
でも
うちの息子がきっかけかもしれないですね
こう言ったんですよね
お母さん
36:00
仕事場と保育園と
家を同じ場所にしたらいいんじゃないの?
って
通勤が大変で
保育園に早く迎えに来てほしいと
そのためには電車に乗らないほうがいいはずだから
保育園預ける先と
働き場所と家が
同じ駅だったらいいんじゃないの?
って言ってくれたことがあって
それ何歳の時ですか?
3、4歳
3歳ぐらいかな
素朴な疑問だけど本当本質ついてますよね
本質ですよ
そう言われて
そうだよね、もっと住まいと働く場所が
一緒のほうがいいなっていうのは
ずっと分かってはいたんですけど
自分で決めたっていうのはありますね
その時に
次のことっていうのはどんな風に考えていたんですか?
会社生活
長かったじゃないですか
はい
とりあえず
できることっていうので
一応始めたのは
夫婦関係の相談業
話しながら笑っちゃうんですけど
夫婦関係を
相談するのだったらできるなと思って
なぜか
今まで過去にお友達の話を聞いたとか
そういうことなんですか?
そういうことだったりとか
うちの夫が
友働き時代に結構協力してくれていたので
そういう同じような悩みのお母さんには
そうだ、乗れるなと思って
始めたんですけど
なるほど
うまくいかなかったですね
多分本質に全然合ってないことをやってたんだと思います
それは
辞める前にこれをやっていこうっていうのは
一応考えて辞めたんですか?
発信だけはしてました
SNSで
書いてはいたけど
その時に
夫婦関係の相談業も
そこでスタートしたみたいな感じだったんだ
辞めるための
大義名分が欲しくてやってたって感じかな
今思うと
どれくらいやってたの?
でももう本当に数ヶ月
半年もやってないです
あそこで結構見切りをつけたんですか?
見切りをつけて
その時に結構いろんなお友達が
私に対する
印象をフィードバックしてくれたりとか
その中に会社員時代の
同僚が言ってくれた言葉があって
辞める時に言われた言葉なんですけど
会社を
鈴木さんと話してると
頭の中が整理できるんですよ
辞められると困りますって
その時に言われて
それであれだと
自分に対することもしかしたら仕事になるのかな
って思って
今の紐解きっていうのを
始めたのが
3年半前ですね
じゃあその同僚の言葉とか
あと周りの方の
自分に対するフィードバックから
これだったらできるかも
とかそういう感覚だったんですか?
感覚で
それを思ったその日に
昨日までずっとパートナーシップについて
書いてたブログが
あなたの頭を紐解く人間です
39:00
っていう風に
ある日一夜にしてバンとキャラ変をして
それから一回も
パートナーシップの記事
書いてないです私
なるほどね
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次回もパリで学んだ
自分の作り方をお楽しみに
秋でした
39:42

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