1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.33「パリには魔物がいる」
2016-11-10 52:53

Vol.33「パリには魔物がいる」

「パリで大きな仕事をしたい」という当初の思いから、日本での活動を増やしながら仕事のスタイルを変えていったフラワーデザイナー、ライターの金本久美さんのインタビュー(第2回)。「自分の居心地の良さ」を求め、自分を俯瞰的にみて本当に自分がありたいと感じる場所へ活動を移したその思いについてお話をうかがっています。パリと日本の女性を両方見ている久美さんの視点にも同感です。

オープニングでは、秋休みのヴァカンスから、年齢とともにでてくる(義)両親の老後についてお話しています。


00:17
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
バカンスが終わって、また学校が始まったわけなんですけれども、
これからクリスマスのバカンスまで一気に行くって言っても、もう1ヶ月。
そうですね。またすぐ、すぐに。
バカンスはどんな風に過ごされましたか?
前半の娘2人の場場は予定通り、夫が連れて行ってくれたんですけれども、
後半のバーデンバーデン、私の楽しみにしていたお店、キャンセルでした。
いつのタイミングでキャンセルになったんですか?
バカンスに入る1、2週間前ですかね、私の義理の母、夫の実の母なんですけれども、
もうがんを患ってまして、それが本当に全身に転移してまして、かなり危ない状態だと。
その時点で入院はしてたんですけれども、その病院でももう大変だということで、
専門の介護付きの病院に転院したっていうことで、
病院の方からも先生からも何があってもおかしくないとか、そこまでも言われたんですよ。
でも夫は、場場は何があろうが、娘たちのために絶対行かなきゃいけないというので、
その時はさゆみよろしくと言われ、バーデンバーデンは別に今じゃなくてもいいだろうということでキャンセル。
場場はキャンセルできないけど、バーデンバーデンはキャンセルしてくれって言われて、結局キャンセルになったんです。
仕方ないですよね。
主人も2週間もパリを開けるわけにはいかない、彼のお母さんに何かあった場合にすぐに行けた方がいいということで、
場場は何があっても行くと言ってるので、そこまで私も何も言いませんでしたが、
バーデンバーデンはいつでも行けるからということで、キャンセル。
楽観ですよ。
残念ですけど。
私には残念ですね。温泉楽しみにしてました。温泉県出身なので。
そうですよね。
03:00
でもまあ確かにお母様立難のどういう状態になるかわからないという状況でパリを離れるっていうのも確かにちょっと心配は心配ですよね。
ちなみにお母さんはいくつなんですか?
もうね、86歳なんです。
そうなんですね。
ずっとすぐ歩いて5分のところですけど、一人で暮らしてまして。
本人の意識は?
もうしっかりしてます。すっごいしっかりしてます。一切のボケもないので、逆にそれも大変。
そうですよね。体が重いように動かないという。
痛いんです。全身痛いらしいです。
意識はしっかりしていらっしゃるから、病院ではずっと過ごされているとはいえ、痛みと戦っているっていう。
そうですね。モルヒネみたいなものも打っているみたいですけど。
やっぱりこれからの時期って親の問題とか絶対出てくるじゃないですか、年齢とか。
そうですね。
いろいろ考えません?
考えますよ。
日本にいる両親とか。
いつも考えます。日本の両親ともし何かあった時どうするっていう話をいつもしてますよ。
本当?
してます。
どういう風な方針とかってあるんですか?
両親は多分今の家には住まず、弟の住んでる東京・埼玉エリアなんですけど、
日本に引っ越す予定です。
じゃあ今の実家を引き払っちゃって。
そこは多分持ってはいるんですけど、基本的な住まいは東京の方に。
じゃあもう移住しちゃうんですね。
そうなんです。もう3、4年後のことで話を進めていますね。
やっぱりいろいろと考えることがあるみたいで。
一緒に住むってこと?近くに住むって意味?
近くに住む。一緒には住まない。
難しいとこですよね。
そこはやっぱりちょっと難しいと思うので、別々に住んで、でもすぐ近くで助け合えるところっていうのが彼らには理想らしくて。
東京に住んだことはないですか?
ないですよね。何度も来たことはありますけれども、住んだことはないので。
結構今の年になって、自分のもう何十年も住んでた町を離れて移るって結構チャレンジングじゃないですか?
そうですね。でもね、楽しみにしてるみたいですよ。
まあ、だったらいいですよね。息子さんもいらっしゃるっていう前提だったら。
そうですね。メインは孫の面倒を見れるみたいです。
それが楽しみみたいなところがあるみたいですね。
06:02
その辺のね、家族との問題とかっていうのもまたちょっと近いうちにお話しできたらなと思います。
はい、それでは本編スタートです。
はい、今回は久美さんの2回目のインタビューです。
今回は彼女が独立を実際にして、パリでの起業をスタートさせた後、どんなふうに活動されてきたかっていう流れと、
パリと日本を両方往復している人間として、両方を見れる立場としての女性っていうところもお話を伺っています。
それでは聞いてみてください。
もう11ヶ月間はひたすら目の前で形になっていくものをとにかくどんどん取り組みました。
例えば名刺作りとかパンフレット作りとか、それから手が鈍ってはいけないので、
当時の友達と週に一回ちょっと休めの花屋さんに行って、みんなでそれぞれ花を買って分けてお花を作る練習をしたりとかやってました。
すごい、確かにきついですよね。
きついですよね。でも当時は楽しくて、とにかく可能性がフランスの場合って他の国と違って、
モテた国というか、例えばイギリスだと絶対に労働許可取れない、結婚しなきゃダメぐらいの厳しさがあるって聞いていた中で、
フランスは非常にアーティストに対しても優遇してくれることがいっぱいあって、
抜け道がすごく多いような気がした国だったので、それが一つの光を照らしているという感じです。
でもそれはきっと今も変わらないと思います。
やっぱりアートっていう分野っていうのは大きいっていう。
大きいです。ここの国は例えば他に写真とかバレエとか、やっぱり美しいものとか芸術とかに対して国民の意識がすごく向いている気がするので、
例えば今もそうなんですけど、街中で会った人とかカフェで喋っている人とかに職業を聞かれて、
花の世界で生きているのって言うと、本当にみんなに羨ましがられる。
あとは自分もなりたかった。
それこそ、入国の審査の時にもいい仕事をしているねって言われたこともありましたし、
花の仕事をしているんだったら大丈夫?って感じで通してもらえることも実際にイギリスの入国の時にありましたし、
09:01
花っていう職業っていうのは本当にすごくそういう意味ではいい職業だなって。
リスペクトされている職業ってことですか?
特にヨーロッパの場合は花好きな人が多い気がするので、
例えば引っ越しで新しい建物に入る時にも花の仕事をしているというだけで信頼がいただけたり。
いい仕事をしている場合は私にも花ちょうだいじゃないけれども、買ってほしいなみたいな。
それは大きいと思います。
すごいな。そういう分野によってってあるんですかね。
多分あると思います。
11ヶ月後に無事に取れました。
どういう形でフリーというか、一位、独立した形でスタートしたんですか?キャリアを。
当時はまずフェイスブックとかない時代だったので、どんだけ昔かっていう感じなんですけど、
そんなに大した昔じゃないんですけど。
2004年ぐらい?
2004年なので12年前ですね。
そうですね。
で、フェイスブックもなかったし、ブログもなかった時代で唯一あったのが掲示板とか、それから後はホームページビルダー。
昔の懐かしい響きが。
あれをインストールしてホームページを自分で作るっていう。
なるほど。
それを使ってちまちま文章を書いて発信して、レイアウトも機種によってはずれちゃったりとか、それでも出すみたいな。
難しいんですよね。
難しいんですよ、すごくあれ。
それで発信して、レッスンの宣伝したりとか。
やっぱり宣伝にお金もかけられなかったので、無料のものを。
それをレッスンベースでやっていた?
はい。
それが日本に住んでいる方が多かったの?それとも他に住んでいる人たちが多かったの?
どうしても当時は自分で自信がなかったので、少しずつフランス人のモービストさんがお花屋さんでお花のレッスンをし始めてた時期だったんですけど、やっぱりみんなフランス人のレッスンに行くんですよね。
そうか。
一昔前は駐在員関係の奥様方が稽古でお花を習っていた時期もあったんですけど、ちょうど私がスタートした時はその方々が人数がガクッと減った時期だったので、それもあてにできなくて、
もうもっぱら日本からいらっしゃる旅行での観光客の方でお花のことを学びたいという方。
どうしてもやっぱりフランス人のフローリストさんのところに行くので、フランスのフローリストさんとのコラボレーションも含めて、
プラスで自分たちで何ができるかって考えた時に、市場見学だったりお花屋さん巡りだったりとか、そういう要素を含めて一括りにして自分のレッスンをやっていた。
12:01
自分のレッスンはだから一番プライオリティは下ですよね。
ある意味、お花にまつわることだったら何でもやるというような感じですか。
はい、そうです。
じゃあそこから文章を書き始めたのは、いつぐらいですか。
文章はですね、たまたま偶然なんですけど、私がお世話になっていたお花屋さんの上の方が、
私の知らないところで雑誌の編集長に私のことを紹介してくださっていたみたいで、
それと同時に私のパコパコ作っていたホームページをご覧になって、文章を書けるんじゃないかということで、
独立してスタートしてすぐですね、本当についていたんですけど、
同時にお仕事をいただくようになって、それからずっと今も続けています。
だからお花に携わることだったら本当に何でもっていうところが、
作る方もやり、お花で作って表現する方もやりということですよね。
常にテーマの軸は花で、それは普遍なんですけれども、
その中でライターの仕事だったり、作り手だったり、
それからフランスのフローリストさんとのイベントだったりっていう要素がいくつも入っているという感じです。
ずっとフランスだけで生活していたじゃないですか。
それを日本にも映し始めたのっていつぐらいからですか?
それはきっかけは2011年の震災の時がきっかけですよね。
何を感じたんですか?
あの時は、私は震災の時はフランスのちょうど市場にいたんですけれども、
かなり驚く出来事だったので、
本当に友人のフランス人の人たちがいっぱいメッセージもくれましたし、
道歩いていてもカフェのおじさんが向こう側からすごく頑張ってって言ってくださったり、
とても嬉しい励ましの言葉をいっぱいいただいたんですけど、
一番ホッとしたのが、このパリの土地に住んでいる日本人の友達との日本語での会話っていうのがすごく安心感があって、
ちょうどその3ヶ月後に日本の大きいお花屋さんのディスプレイをするという仕事があったので、
日本に行った時に、その時の3ヶ月後の日本の様子を見て、
ふと自分の習ったお花で何か癒しっていうのが出来るのであれば、
そういう風に自分の習ってきたことを使っていきたいなっていう風に思ったのと、
あとはちょうどそれがサイクル的に2001年からフランスに来て、2011年なので10年過ぎて、
他の方で日本でお花のレッスンをしに行っている方もいらっしゃってたんですけど、
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どうしても自分の中でパリの花をする意義っていうのと、
あとはそのパリの花をお見せするっていう、
自分の中で本当にこれが自分の作るのがパリの花なんだっていうレベルの確証がなかったので、
あえて待ったっていうのはあります。
時期を?
はい。10年待って自分の中でパリの花っていうのが色合いですとか、
花の組み合わせとか定義とか全部揃って、
これは日本のお客様に自信を持って言えるっていう、
自信がないうちは言っても失礼だなと思ったので、
例えばなんですけど、某有名な日本人のパティシエの方も、
3年近く日本食を口にしなかったっていうお話を聞いたことがあって、
フランスの味を舌になじませたの。
私それすごくわかるんですけれども、
自分一時こちらのエスプリにどっぷり使わなきゃいけない時期ってあると思うので、
それの確信が持てたのがちょうど10年経ったくらい。
その時と震災が重なった?
ちょうど重なりました。
じゃあ日本に、これから何かを日本でもやっていこうと思った時に起こしたアクションっていうか、どういう感じだったんですか?
一番最初はお客様との出会いの場ってレッスンが一番身近なので、レッスンをスタートしました。
日本の東京の市場で仕入れたお花を使って、
それでも普段日頃パリでやっているようなお花のスタイルを提案してしました。
レッスンで、その時はまだ年に何回ぐらい?1回か2回とか?
その時は年に2回は日本に戻っていたのはたまたまなんですけれども、
もともとうちの母が、最初のイギリス留学の時に私が1年半近く戻らなかったので、
寂しがってたりなので、お正月とか夏休みとかは戻ってきなさいということで、
それが条件に出てもいいという方に応援するからと言われたのもあったので、
それはもう家族に顔を見せるために戻るようにはしていたんですね。
そこに合わせてレッスンを入れました。
今はだんだんその比重が?
回数が増えて、変わってきたと。
それはなぜクミさんの中で変わっていったんですか?
最初は何か伝えたいという思いからパリから発信できることという形で、
日本で推し始めたり、お花を伝えるようになっていったのが、
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その比重を変えていったところってどういう意味があったんですか?
お花の世界に限らず、他の世界もそうだと思うんですけれども、
パリっていう街って、本当に魔物が住んでる街って私はいつも言ってるんですけれども、
パリで男性とかもよく一綿あげたいとか、
パリまで行ったんだったら、例えば豪華なお花の仕事をしなきゃ嘘だよとか、
やっぱり皆さんすごくおっしゃってくださるわけですね。
経験を重ねていくと、例えば自分の力量とか自分の資質、
そういったものを考えたときに、
一番最初に持っていた、こうしたい、ああしたいという目から、
やっぱり自分ができることっていうのが、
いや、それできないだろうとか、
いや、そこまでしなくてもいいんじゃないかって考え方って変わってくるんです。
それは人それぞれだと思うんですけれども、
私の場合は最初すごく大きいデコレーションとか、
やっぱりパリなーではの場所でのウェディングとか、
パーティーとかの装飾とか手掛けたらいいなと思ってたんですけれども、
大好きなんですけれども、その仕事は。
じゃあ自分が一人で独立をして立っていくときに、
そこまでの力量あるかなと思ったときに、
自分の性格がどうしてもそれに120%気持ちが入るかなと思ったら、
入らないだろうと思ったんです。
それをするにはまずここにずっといなければいけないし、
長く進めば進むほど、自分が日本が大好きっていうことに気がつきまして、
やはり年齢が上がってくると今度いろんなものの見方が変わってきて、
例えば20代ぐらいだと老後とかも考えないわけですよ。
だけど、アラフィフどころじゃない、
フィフに大手かかってくるぐらいの年齢だとそういうことも考える。
じゃあどこの国にいたいのかと思ったときに、
日本という国も住みやすいかな、いいなって思って、
あともう一つ、20年近くイギリス時代も含めてヨーロッパで
花だけを見て生きてきたので、
すごくやりきった感っていうのが自分の中で、
何を基準にしてやりきった感って持つかっていうのは人それぞれだと思うんですけども、
自分の中での十分見たなと。
勉強する期間とそれを活かす期間って別物だと思ってるので、
私は勉強する期間はやりきったかなっていう気がして、
じゃあ今度はそれをどうやって活かしていくかっていうステップに移ったときに、
ここもいいんだけれども、でももっと身近な自分の人たちに
21:01
還元できたらいいんじゃないかっていうふうにすごく強く思いました。
もちろんフランスの人たちにもお世話になっている人たちに対しても含めて、
フランスのここの人たちに自分の習った花を還元していくっていうのも
とっても素敵なことなんですけれども、
それ以上にもっともっと身近な日本の友人だったりお客様だったり、
身内だったりも含めて、自分の得た花の魅力っていうものの良さっていうのを見せたいとすごく感じました。
さっきの話で目標を高く持って、さっきのパリの守る話も含めてなんだけど、
そういうゴールを持ってた自分が、自分が本当に何を求めているかって客観的に、
俯瞰で見て。
俯瞰で見てそっちに移したっていうのがすごいですよね。
パリじゃなきゃできないっていうことももちろんいっぱいありますし、
でもパリじゃなくてもできることもいっぱいあって、
あともう一つは自分が日頃のお花の仕事以外の日常生活の中で
心地よく生きることができる場所に身を置きたいっていうのがすごくあって、
私にとってパリはもう完全に仕事を通して戦う場所なので、
どっかしら安らぎがないっていうのがあって、
仲の良い友達とお茶しに行ってもご飯を食べに行ってもやっぱりすごく落ち着かない自分がいるので、
そのストレスがもう尋常じゃなかったので、
とにかくこれを回収しないといつか仕事にも影響が来るんじゃないかっていうのはずっと悩みでもありましたし、
でも今こうして行ったり来たりの生活することによって、
本当に両方の良いところを両方取りみたいな生活になったことによって、
すごく自分の気持ちは余裕が持てましたし、
あとは可能性も広がって仕事に対しても日本の市場を見るとフランスではないお花もいっぱいあるので、
今度クリエーションの方でも刺激もたくさん受けますし、
それが今度はフランスに戻った時にフランスやっぱりいいなっていう、
総合的な刺激がグルグル回るので、
循環してるんですよね。
循環するのがすごく自分にとっては心地が良いので、
視点を広げるっていうのはとっても大事なことだと思います。
ある意味もそこにこだわろうとしなくても別の可能性で開けてくるということですよね。
その例えばパリは戦う場所だったとおっしゃったじゃないですか。
今ちょっとそういうバランスが取り始めて、
24:00
今のクミさんにとってはパリはどういう場所になっています?
アウトプットとかよく言葉ってあるじゃないですか。
インプットとか。
インプットの場所です。
パリがインプットの場所か。
で、アウトプットの場所は今日本になりつつあるというか。
ただ雑誌の仕事に関しては完全にこちらのベースが多いので、
それはまたちょっと違う領域になってくるんですけど、
花の仕事に関しては今日本で触れ合っている
いろんなご参加者の方々とかゲストの方々とかに
どうやってパリの雰囲気感を
例えば物だったり話だったりで伝えていけるかっていう
自分にしかできないことっていうのが絶対あるはずなので、
それで楽しんでいただけるっていうことを見つける場所がパリです。
位置づけがちょっと変わってきたってことね。
ちょっと変わりました。
でも心地いいです。
仕事も楽しくなりましたし、
とてもアイディアが再現なく出てきて、
離れることによって見えるものってあるってことか。
ありますよね。
そういう意味ではやっぱりそこの場所に居続けないで
一回離れてみるっていうのはいいことかもしれないですよね。
とてもいいことだと思います。
それで、例えば私の前は花人生なんですけど、
寿命が長くなればそれが一番理想的なことですし、
せっかく出会った仕事になったので、やめたくないじゃないですか。
もうそれこそ50代、60代、70代できるものならやってみたいなと思うので、
自分とどうやって向き合って、
自分の本当の望んでいることを聞いて、
その答えがもしかしたら世間の人と考えていることと違うかもしれないけど、
それがもしかしたら自分の人生に必要なことであれば、
勇気を持って方向転換するっていうのは、
せっかく人生、長い人生、普通は長い人生って考えたときに、
例えば今私がもうすぐ40代の終わりで、
でも一応病気とかもしなければ、
あと10年、20年生きられると思っても長いじゃないですか。
やっぱり大事に生きていきたいし、それをすごく考えます。
そうやってパリと東京をより客観的に見るようになって、
一人でパリで戦ってきた女性として、
今の日本に住んでいる女性、女性に限らなくてもいいんだけども、
パリとフランスに住んでいるところのいいところを利用するとしたら、
27:04
どんな用途が大事なのかね。
まずフランスの女性って、ちょっと小悪魔的で、
ちょっと冷たくてみたいなイメージが結構あったりとかして、
イメージはあるかもね。
メディアなんかで出るときにも、
一筋縄では行かないくらいの勢いなんですけど、
日常生活の中で出会うフランスの女性って、
もっと庶民的だったりとか、もっと親しかったりとか、
雰囲気すごくイメージが違うというか、
例えば電車一つに通っても乗っていても、
気軽に隣の人と話すことにも抵抗がない感じだし、
なおかつ優しい雰囲気だったりとか、
そういうものがすごく長年フランスに住んでいて、
自分の中にもちょっとめまえてるような気がするので、
日本に行って、もちろん場所とかを選ばないと、
変な人になっちゃうんですけど、
例えばバス停で急に話しかけたりとか、
かなりまずい人間になっちゃうと思うんですけど、
その時その時雰囲気を変で話したりとか、
例えば電車の中で席譲ったりとかしたときに、
柔らかい言葉で話したりとかっていうのを取り入れていきたいなと思います。
日本にいるとそういうのがまだまだ後継的に見られないので、
もったいないなと思います。
どういうところがもったいない?
なんか女性って本来は男性と決定的に違う部分で、
柔らかかったりとか、たおやかなイメージとか優しかったりとか、
女性ならではの気の使い方とかいっぱいあると思うんですけれども、
せっかくそういう良い要素を持っているのであれば、
例えばそれが会社の中で出てきても、
普通に道を歩いている時に出てきても、
人がすごく人とのコミュニケーションをする時の
潤滑油になると思うんですよね。
男性って意外とそういうのって苦手な人も多いと思うんで、
それだったら女性がそういうのを提供しても、
決してそれはこびていることではないし、
こびるってまた違うじゃないですか。
そういう要素っていうのが世の中に男性と女性しかいないのであれば、
もっとそれが日本の社会の中でも見れたらいいなと思います。
それに必要なことってどんなこと?装備にできるようになるっていうのは。
意識改革。
意識をどう改革したらいいんですか?
すごく大げさに捉えると私できないわとか、
それは例えば一部の専念された、
ちょっとマダムがやってらっしゃることでしょう、
なんて思う方もいらっしゃると思うんですけど、
30:01
例えば本当にご家族がいらっしゃってお家の中で、
例えば旦那様とのカップルだったらパートナーの方でもいいし、
例えば息子さんだったりお嬢さんとか、
あとは身内の方でもいいんですけど、
例えば本当に言葉から、
じゃあ優しく何かしてもらったらありがとうとか、
それからあとはおはようとか、
そういう挨拶から始まって、
とにかく言葉を使っていく。
日本語もすごくきれいな言葉いっぱいあると思うし、
フランス語もとてもきれいな話がいっぱいある国なので、
日本にはすごく共通していると思うんです。
でも日本の方がそのきれいな言葉を使ってない気がするので、
じゃあ例えば移動が多いので飛行機に乗ったりとかしたときも、
海外船に乗ると、
英語では皆さん何とか頑張ってありがとうって言うんだけど、
日本語で言う方とかいらっしゃらないと思うんですね。
サービスをしてもらうのが当たり前みたいな感じだからかな。
なんか別に相手の方が海外のキャビンアテンダントの方でも、
日本語でもいいからありがとうって言えば伝わるし、
本当に日常の些細なところからそれをしていくと、
最初はやっぱりちょっと恥ずかしいかもしれないけど、
気がついたらそれが違和感なくできるようになってくるので、
それをやるかやらないか、取り入れるか取り入れないかっていうのは、
自分の意識次第だと思うので。
女性らしさっていうのが多分そういうところに出るっていう感じですね。
どうしても今すごく日本も女性が仕事をする機会が本当に多くなって、
男性と肩を並べて毎日頑張ってらっしゃる方がいっぱいらっしゃると思うんですけども、
それは本当に職場職場も下手したらセクションごとで、
運んでくる人で本当に変わると思うので一概には言えないけれども、
でもやっぱり頑張って仕事しなきゃっていうのが強い方に出てしまうので、
責任感が強いしね。
すごく責任感が強くて真面目でとってもいいことなんだけど、
でももっと肩力の応用というか、
私も自分が30代になるまではOLをしてたので、
外資系の保険会社だとすごくバリバリな人がいるわけですよ。
そうすると自分もピシッとしなきゃいけないというと、
それがちょっと当時は私は勘違いしていて、
例えば口調がきつかったりとか、言い方が切り捨てる感じだったりとか、
でも当時はそれが仕事ができる女というイメージだったから、
でも今自分は下の年代の方を見ていて、
33:02
たまに仕事でやりとりしている時にそういうリアクションが来ると、
ああ懐かしいなあ、自分もかしこうだったなあ、
もっと肩突かなんなければいいのにって思うことがただただあります。
頑張りすぎちゃってるのが出ちゃってる。
なんか頑張る方向ってあると思うので、
もっと女性ならではの良い部分を打ち出して仕事をしていけば、
周りの空気が柔らけば、やがてそれが最後は自分に返ってくるので、
自分の環境がすごく過ごしやすくなるし、
できないって思ってしまうと本当にできないし、
周りの人の協力を得ながら少しずつ変えていくと思うんですね。
やっぱり本人の意識が大事っていうのは。
意識大事だと思います。
あと願わけば、それは男性に問わず、
同性の方で、例えば価値観が違う方とか、
同じ職場とかにいたりとか、同じコミュニティにいたりとかしても、
他者を否定することなく、
受け入れるっていうキャパシティが心の中に皆さん持っていると、
なかなか難しいことだと思うんですけど、
多様性を認めるっていうこと?
そうです。
それって何も、例えば今いろんな国の人たちがいろんな国に移動して、
例えば他の国の人を移民を入れるとか、
そういう問題、大きい問題じゃなくて、壮大な問題ではなくて、
もっと身近なところで同じ人間同士だけれども、
100人いたら100と1がある人たちがいるわけだから、
他者を認めない動作ってすごい簡単だと思うんですよ。
切り捨てればいいだけだからね。
切り捨てればいいだけだから。
でもそうじゃなくて、この人をどうやって一緒に生きていく、
共存していくにはどうしたらいいのかなっていうふうに意識を向けていくと、
多分すごく生活しやすくなるような気がします。
そうですよね。
切り捨てるほうが簡単だけど、生活はしにくいんですよね。
しにくいですよ。
ランスの文化の中ですごく思うのは、
心地が悪いと徹底的にこっちの人って言うじゃないですか。
改善しようとして、たまに列とか並んでて、
後ろに20人並んでようが自分の問題が解消できるまでは
動かないみたいな。
でもあれってすごく、すべてを真似しろとは言わないけど、
その一つのアクションとしては結構大事なことかもしれないです。
心地よさをこだわり持ってやるっていうことか。
上目だけの理解ってやがて崩れるから、
今その努力をするか、先延ばしにするかで、
36:01
すごく人の関係って変わってくると思うんですよ。
もう10年後に15年に変わってくるっていう。
難しいですよね。他者を否定することなくっていうのは。
やっぱり私とは違うし、あの人は正しい、間違ってるっていうのを
判断しちゃった方が楽は楽。
なんか大本って、フランスって喫水のお父さんお母さんが
フランス人の人でいないじゃないですか。
フランス人って何みたいな感じですよね。
イタリア系もいればドイツ系もいてみたいな。
混ざってないほうがおかしいみたいな感じですよね。
多分どんどんそれが加速されていって。
そういう文化の国なので、フランス社会の人同士の付き合い方も
リスペクトがすごく感じられますから、
それを転換させてちょっと取り入れると
直接的には感じないかもしれないけど
間接的にはうまく使えるんじゃないかなって思います。
将来的にはそれが一番、結局それが同じ国だろうがそうだろうが
結局自分の住みやすいとか居心地のいい生き方になってくるっていう。
そのためのコミュニケーションっていうことですかね。
とにかくやっぱり日本でたまに帰ると
いっぱいいろんな女性とかと触れ合う機会が
公の場所でも多いですよね。
例えば電車の中とか、それこそバスの中とか道歩いているとか。
本当にいつも思うのは、全ての女性とは言わないけれども
たまに出会う女性で、すごく余裕のなくさから
例えばホームで急いで人を突き飛ばしても
振り返ってごめんなさいの頭下げることもできない人もいっぱいいるし
それはなんかこう、そうだこういう人もいたんだってちょっと思うときとか
でも結構欧州とか欧米とかって
それやっちゃった日には大変じゃないですか。
必ず自分が何か人に見つかったら一言声かけるし
相手も一言かけてくるし
そういう部分がすごく日本はちょっと余裕のなくさから殺伐としているかなと思います。
余裕ですね。
だって初めて会う人同士が絶対的じゃないですか。
電車の中で、マーイン電車の中とか。
ちょっと肩が触れただけで聞いて睨まれたりとかすると
朝から切なくなっちゃうみたいな
私も経験あります。
かの言って睨め返すっていうのも変だし
その時にクミさんが気をつけてることって?
素直にごめんなさいって言っちゃいます。
39:00
言ったもんが違うと思って
なんか勝ち負けではないんだけれども
それこそお互いにきつい光線出したら
周りだってきっと空気に包まれちゃうと嫌な気持ちするし
必ずごめんなさいとか笑って言うと
大丈夫ですって返してくださる方たくさんいらっしゃるので
そういういいウイルスを流したいというか
それが多分海外で長年生きていらっしゃる男性も女性もできる技だと思うんですよね。
私いつも思うのは
たまに一時帰国した時に
日本ってこうだったって話したりとか
なんか日本ってぶつかっても何も言わないんだよとか
席も譲ってくれないって言うのもいいけれども
それを海外の人たちが
逆にこういうやり方もあるんだよって言って
体で表現して
それを送り込むぐらいの方が
多分草の根運動ではないけれども
心地が良いんじゃないかと思ったりしますね。
最後にクミさんは
仕事としてでもいいんだけど
自分なりの生きていく上で何か決めるポイントでもいいんだけど
こだわりってどうですか?
まずなるべく正直でありたいですね。
人に対して正直であって
私の場合は選んだ仕事が花なので
ずっとそれに取り組んでいきたい
必死になってたり
それがやっぱりすごく人生にとって
きっと豊かなものをもたらしてくれると思うので
必死ってどういう意味?必死は
常に興味と関心を持つこと
それに対して自分が動ける
アンテナを尖らすというか
エネルギーを向けたくわけですよね
例えばこの年齢だから
それはできないとかということではなくて
物事を斜めに見ないで
常にそうだやってみようとか
そうだ取り入れてみようとか
その後に種々選択をするというか
常に物事に関心を持っているというのは
とても大事なことなので
それはしていきたいです
ずっとじゃあお花にこれからも
全力投球みたいな感じですね
花大好き
それすごい大事ですよね
大事だと思います
本当に花は自分の人生の中で
巡り合った宝物だと思っているので
自分がやっぱり見つけたものだし
自分が選んだものだから
やっぱり一生懸命取り組みたいなって
思う気持ちで
42:00
とっても自然なことだと思うので
すごく大事にしたいです
これからの活動も応援してますので
今日は長時間ありがとうございました
クミさんのインタビュー2回目でしたけれども
盛りだくさんの話がいろいろ出てきましたけども
さゆみさんなんか印象に残ったところとかありますか
そうですね
いろいろと共感するポイントがあったんですね
例えばパリでは
戦っている日々戦っている自分っていうのが
あるというふうにおっしゃってましたけど
私も多少その気持ちは分かります
自分のホームではない
アウェイ感がやっぱり
今でもありますアウェイ感
今はのほほんと暮らしているので
そんなにこう
切発またアウェイ感はないですけども
やっぱり滞在許可証の件とかね
住所変更しに行くとか
市役所に行かなきゃとか
そういう親子的なところに行くと
アウェイ感
戦闘体制で入らないとダメ
入るんですよ
やっぱりそのスイッチが入っちゃう感じがありますね
それがとても分かります
あと芸術家の見やすい街
それがパリ
パリってやっぱり
アートをお仕事とされている方に対する
リスペクトがやっぱりすごいある街かな
というのはね
やはりいろんな国を見た後だからこそ
すごくそれは感じます
例えばどういうところで感じます
例えば本当に電車の中でも
メトロの中とか
メトロの校内
特に校内はとっても上手な人が
演奏したりとかね
してるんですけど
メトロの電車の車両の中でも
半分ちゃんとやってるのか
分からない人にでも
皆さん意外にちゃんとお金を
あげたりしてるんですよね
意外にね
街で絵を売ってる
道端で絵を売ってる人たちにも
お金をあげたりとか
アートに対しての尊敬の念というのは
多分自分たちができないからだとは思うんですよ
美術の美術とか音楽の授業ないじゃないですか
基本的に学校で
やった人しかできないので
そういったところへのリスペクトっていうのは
すごく感じます
確かにレベルはいろいろあると思うんですけど
いろんなレベルがありますね
でもそれを生業にしてる人たちへの
45:02
たぶんそんなね
ものすごくお金が稼げるっていう
エリアの仕事ではないと思うんです
だけどあえてそれをね
やってる人っていう人へ
そういう方々への尊敬の念っていうのは
すごく感じますね
確かにそういう意味では
気軽に触れられるっていう感じはありますよね
どこでもメトロでも道でも
本当にいろんなアーティストに合いますよね
本当にちょっとのお金でもいいから
皆さん結構ちゃんと
お渡ししてるのはすごいなと
秋になるとアコーディオンが増えるんですよね
この物悲しいあの音楽が
哀愁的な音楽が出てくると
秋だなと思うんですけど
モンマルトとか思い出しちゃうんですよね
イメージでアコーディオンがね
増えてく気がするんですよね
秋冬は
そういう意味では確かに
アートに対するリスペクトっていうのは
大きいかなと
ありますね
あとやっぱり
両方の国を見てる立場として
フランスってこう
近寄りがたいイメージがあるかもしれないけど
結構みんな庶民的で
女性としての余裕があるみたいなところを
日本に帰ってくると
やっぱちょっとその余裕が
もうちょっとあればいいのにな
っていうところを
彼女も話してたと思うんですが
私も同感なんですよね
私も同感です
全くおっしゃる通りだと思いました
特に東京だからっていうのも
もしかしたらあるかもしれないけれども
余裕がないし
周りの人とコミュニケーションする気も
もうさらさらないみたいな感じは
あとちょっと私恥ずかしいのかなっていうのも
ちょっと感じます
恥ずかしさ
誰かと話す恥ずかしさ
普通話さないからね
話しかけてくると
変な人に思われるみたいなところ
だけど私最近も
変な人に思われてもいいやっていう
ところを超えちゃった感じがあって
誰でも話すようにしてますけど
意外に話すと全然話してくれるんですよね
だからそのきっかけとして
ちょっと挨拶とか
本当にありがとうとかごめんなさい
ぐらいでもいいんだけれども
そこをきっかけにすると
ちょっと話が弾んだりとか
あるんだろうなと思うんですけど
私東京に行った時にすごく
ちょっと感動したことがあって
あれは半蔵門線だったのかな
スカイツリー?
スカイツリー線に繋がる
線だったんですけども
そこでスカイツリーに登ろうと思って
子供3人連れて
48:00
方向もさっぱりわからず
車掌さんが降りてきたんですよ
車掌さんにスカイツリーの
どう行くのが一番近いか
いろいろ聞いてたら
息子がね
運転手さんだと思ったらしく
かっこいいとか
ベタ褒めだったんですよ
そしたら車掌さん
気を良くして
半蔵門線の消しゴムを
くださったんですよ
それも半蔵門線だけじゃなくて
銀座線とかいろいろ
いっぱい子供たちにくれて
詳しく教えてくださって
いろんなお話をしてくださって
すごい感動したんです
聞いたらいろいろ教えてくれるんだ
すごいと思って
後で自動販売機見たら
その半蔵門線の消しゴム
1000円もするんですよ
売ってたんだみたいな
くれたんだと思って
すごく嬉しくなってしまって
感動しました
そういう風に
逆に
変な人って思われるかもしれないけど
本当に久美さんもおっしゃってるように
草の根的に
そういう風に
いろいろと
ちょっと話したら
きっといろいろ話してくれたりとか
心のちょっと固まってる部分を
溶かすみたいな感じで
いける人が増えてくると
もっと
いい部分が
確かに
出てくるんじゃないかなという気はしました
あれって確かに
私が時々
息が詰まる時って
エレベーターの中とかなんですけど
日本って絶対無言じゃないですか
友達同士喋るのも
分かれるくらいみんながシートしてる感じだけど
こっちって知らない者同士で
エレベーター乗っても
普通に喋ってたりするから
緊張感がちょっと
違うんですよね
一言冗談言って笑わせて
和ませたり
最低限
ボンシュー
こんにちはというかご挨拶をしますよね
日本だと
私エレベーターに乗った時
こんにちはとご挨拶した
記憶が確かにないので
必要ないっていうか
ちょっとえしゃくぐらいで終わってる
ぐらいですよねきっとね
そうだから
こっちのノリだとつい
日本でも私は言っちゃうけれども
でも多分
言うのがはばかれるぐらいに
こうピーンと
こうなんか
静まった空気感みたいなのは
確かにいつも感じるので
でも多分もしかして
都会だからかも
東京っていうのもあるかもしれない
私の実家の
九州の大分のあたりとか
結構
ご挨拶しますよ知らない人でも
エレベーターに乗った時
51:01
こんにちはとか
知らない人でも
ご挨拶しますよ
そうですよねだから場所は
たまたま見てるのが東京だから
っていうのもあるかもしれないですよね
他のね
地域がどうなのか私も
わからないんですけれども
だからそういう意味では
そういう余裕をみんながちょっと
ちょっとでも持つだけでね
他者をこう
多様性の話もちょっとしてたけれども
別にこう意味云々とか
大きな話じゃなくて
ちょっと違う人がいても
それを受け入れてあげるような
みんな違う考えを
持ってて当たり前っていう
そういうのを見ると
もうちょっとみんなが進みやすくなるかな
っていうのは感じましたね
また次回のゲストを
楽しみにしててください
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52:53

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