1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.32「フランスで起業する」
2016-11-03 46:23

Vol.32「フランスで起業する」

フラワーデザイナー、ライターの金本久美さんのインタビュー(第1回)。イギリスで学び、そこからパリに移り住んで起業するまでのヒストリーを伺っています。「起業する」と決めた後、どのような気持ちで乗り切ったのか、マインドの大切さについてもお話してくださっています。
オープニングでは、フランスでのハロウィーン事情をお話しています。


00:15
こんにちは、あきです。
今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、今日もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
11月に入りましたけど、10月31日はハロウィンですよね。
そうですね。
実は、うちの夫の誕生日なんですけどね。
そうだったんだ。
そう、ハロウィンなんですけど。
申し上げませんでした。
全くお祝いモードは、ハロウィンとは関係なくっていう感じで。
ハロウィンっぽく、仮装してお祝いするとかっていうこともないですか?
ないですね。
フランスでのこのハロウィン、日本ですごく盛り上がってるじゃないですか。
今、本当にバレンタインもそうだけど、ハロウィンもすごいなと思って見てるんですけど、
このフランスでのハロウィンってどう見てらっしゃいます?
全く日常生活に入ってきてないかなっていう感じはしますね。
パン屋さんとか、お菓子屋さんとかでも、ハロウィン仕様のお菓子とか一切見ませんし。
そうですよね。
街を見てても、そういった…
ディスプレイもないですよね。
全くないですね。
なんか本当、かろうじてかぼちゃがちょっと置いてあるみたいな。
あったらすごいって逆に思いますね。
この盛り上がりのなさって、逆にフランスならではというか、
もしかしたらやっぱりカトリックの国ならではなのかちょっとわかんないですけど、
うちの母がやっぱりハロウィン、ちょっと子供に教えてる関係で、
ハロウィンパーティーをすると。
で、せっかくフランス遊びに来るから、ハロウィングッズを買って帰りたいと。
どこを探してもないみたいな。
だってハロウィン、大いに盛り下がってるんですもの。
全然ないですよね。
本当に何もイベントないですよね。
ないですよね。
一時期私が来た頃、ハロウィンが入ってきて、ちょっと盛り上げた感があったんだけど、
もう次の年には完全にしたり、盛り上がることなく終わってしまった。
基本的にやっぱりハロウィンって、カトリックの国ではないというかね、
トゥーサンっていう、全ての聖人を称えるみたいな時期ではあるけれども、
ちょっと日本でいうお盆みたいな時期ではあるけれども、
アングロサクソン系の国とちょっと違うのがやっぱり。
違いますよね。
03:02
それがやっぱりフランスでは、ハロウィンっていうのは受け入れられない理由なのかな。
宗教上のちょっと違いがありますけどね。
それにあとやっぱりイベント、例えばアメリカとかで盛り上がってるイベントを輸入してくるっていう感じって、
日本だと取り入れちゃったりするじゃないですか、どんどん。
フランスって案外そういうのって、周りのフランス人もけっていう感じで。
ちょっと抵抗感を示しますよね、特にアメリカからっていうのとか。
あとは商業ベースに乗りにくいような気がします。
そういう意味では全くコマーシャリズムがないというか、
日本みたいな感じでイベント化しちゃおうっていうのが全く当てはまらないところですよね。
おまけに11月31日ってフランスでは学校がちょうどお休みの時期ですから、
思いっきりみんなバカンスとかでどっかに行ってしまって、盛り上がりに大いにかけますよね。
どちらかというと次の日が11月1日で祝日じゃないですか、その年産の。
だからみんな31日よりも1日のお休みっていう方がメインで、
万聖節のお休みなんですよね。
本当にお盆みたいな感じで、私の義理の母なんでお墓参りとかに行きますよ。
そういう感じですよ。
うちも夫の誕生日っていうぐらいで、全然ハロウィンとは関係ないみたいな感じですよね。
だからそういう意味ではこの日本で盛り上がってるものっていうのは、
どっから来てるかにもよるんだけども、どこでも盛り上がってるわけじゃないっていうところを。
そうですね、世界中そうではないと。
特にフランスはハロウィンは全く関係ない場所であるっていうところは。
逆にマルディグラとか、そういったタイミングのお祭りというか、
その方がみんな仮装したり盛り上がると思います。
2月ですよね。
2月から3月の頭。
そこでみんな変装したりとかするっていう感じで。
そこにも変装OKっていう感じですかね。
だからハロウィンでやらなくていいみたいな感じなのかもしれないですね。
マルディグラがあるからみたいな。
それでは本編スタートです。
今回はフラワーデザイナーで、フラワーライターのパリ在住というか、
パリと日本在住の金本久美さんにお話を伺いました。
06:01
久美さんはですね、ある方を通じて知り合ったんですけれども、
フランスで起業された方なんですよね。
お花という芸術の世界で起業されたっていう方なので、
海外で起業したいっていう方とか、興味を持ってる方っていうのは多いんじゃないかなと思うので、
その辺の彼女がどういうふうにしてフランスに移り住んで、
お花屋さんで仕事をしながら独立するに至ったかっていうヒストリーを今回はお聞きください。
こんにちは、秋です。
今日も素敵なゲストをお迎えしています。
フラワーデザイナーでフラワーライターの金本久美さんです。
久美さんよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。こんにちは。
こちらがパリの某場所なんですけど、
そうですね。
久美さんが教えてくださった隠れ家なんですが、
はい。
すごい素敵な場所ですよね。
ありがとうございます。
ここは?
ここはですね、もうずいぶん前なんですけれども、
雑誌の取材でご縁を持ちましたとある企業さんがやってらっしゃるカフェなんですけれども、
この夏ぐらいに引っ越しをされて、また出来立てホヤホヤの隠れ家的まさに存在の場所ですね。
というか道から入ると看板がないんですよね。
看板ないですね。
これは入るときに一瞬躊躇するような感じですよね。
かなりドアの前で3分くらい考え込むかもしれないですけど、
一歩入ると別世界。
不思議な世界が。
パリらしい。
パリらしい空間ですよね。
久美さんはパリに住んでるって申し上げていいんですか?
どういうふうに申し上げたらいいんですかね。
今ですね、パリと東京と半々以上かもしれないんですけど、
行ったり来たりの生活をしているので、
パリ&東京在住みたいな感じです。
なるほどね。
今年の比重としては半々じゃなくてどっちが多いってことですか。
今年はたまたま東京で仕事の拡大をする予定で動いてますので、
若干東京の方が多いんですけれども、
これが定着して落ち着いてきたらまた少しペースを、
配分を考えてパリでの日数も
バランスよくとっていきたいなと思ってます。
じゃあ基本は半々で行きたい?
基本は半々ですね、理想は。
どっちも欲しい。
09:00
どっちも欲しい?
どっちも行きたい。
ちなみに今回は何回、今年は何回移動してるって感じですか。
今年は多くて、5回往復をこの年末も含めてする予定ですので、
今ちょうど4回。
4回目?
4回目行ったところぐらいでしょうか。
自分でパリと日本を行ったり来たりする生活っていうのは、
久美さんにとってどういう意味を持ってるっていうか。
スイッチの切り替えを空の上でやってるという感じで、
花の世界ってずっと長年フランスもパリを見てきていて、
自分の中で一つ軸ができたので、
日本でも同じような軸をこれから作っていきたいなっていう、
もともとそういう考えもあったんですけど、
それと同時にやはり自分も日本人なので、
日本の持ってる良さとかそういったのをようやく思って、
もう一度見てみたいなっていう気持ちになったのが大きいきっかけ。
だったと思います。
ちなみにパリはどれくらい住んでらっしゃる?
パリは2001年の1月に本格的に長期で住もうと思って、
引っ越しをしてきたので、それからですと、
秋さんと同じくらい?
そうですね。2001年だから全く私と一緒ですね。
一緒ですよね。で、その前がお互いイギリス?
イギリスにいましたね。
なんか共同みたい?
同じタイミングにいたんですよね。
そうですね。偶然ですけどね。
ということはパリはお花のことでいらっしゃった?
完全にそうです。私はもう最初にパリに長く住もうと思って
引っ越ししてきたときに、
花の仕事のためっていう大きなスローガンを掲げてきたので、
それ以外のことは全く考えずに来ました。
イギリスにいらっしゃったのも、それはお花の勉強だったわけですよね。
それも花の勉強だったわけですね。
なぜイギリスにイギリスを勉強されてパリだったんですか?
もともと花の勉強をし始めた頃ですね、日本の話なんですけど、
イギリスのデザイナーさんが日本で有名になられてたぐらいの時期だったので、
まだそんなにフランスっていうのが話題に出てくるような時代ではなかった。
あ、そうだった。
おのずと頭の中ではイギリス、英語圏っていうのもありましたし、
あとヨーロッパでのお花の文化っていうのが非常に盛んだっていうのは聞いてましたので、
イギリスが?
イギリスですね。厳密に言うとヨーロッパの中でお花の盛んな国っていうのは5カ国あるんですけれども、
12:07
そのうちの一つがイギリスで、
当時ですね、それこそダイアナヒとか、それからバレエでとても有名な熊川哲也さんとかが、
まだイギリスの土地でいらっしゃってた時期だったので、
ただ笑い話なんですけど、実際にイギリスに到着した時には、
残念ながらダイアナさんは亡くなりになってましたし、
熊川哲也さんは退難された後だったので、がっかりしたんですけれども、
そういう文化的なことの要素も含めてとても魅力を感じたのがイギリスの土地だった気がします。
イギリスはどれくらい勉強されたんですか?
イギリスは学校のカリキュラムが、国で経営している職業訓練校だったので、
1年間のカリキュラムを習得しまして、
その後3ヶ月だけ実はパリに短期留学で移りました。
イギリスの後。
それが人生をちょっと変えてしまうような大きなタイミングポイントですね。
研修はイギリスで受けてもよかった?
研修はですね、なんと職業訓練校のカリキュラムの中に自動的に含まれていまして、
フルタイムスチューデントという扱いだったので、
週に1回、学校側が場所を当てがってくれまして、
まだお花の勉強をスタートしたとき、何にもわからないときからいきなり研修先に送り込められるという。
そうなんだ。じゃあ後半で最後に教えられるわけではない。
週明けではなかったですね。最初からもう同時にスタートしていたので。
じゃあ、お勉強もされながら同時にイギリスのお花屋さんというのも自分で見る機会があったということですよね。
その通りです。
で、なぜその後パリに短期留学しようと思ったのですか?
パリの街に遊びに行ったときにたまたまお花屋さんを見まして、
イギリスのお花屋さんと全くディスプレイが違ったのに驚きまして、
一体ここは何なんだと。
それから、あと街の雰囲気ですね。街の雰囲気にも非常に違いを感じましたし、
それから、あと、なんせこの土地っていうのはお花だけではなくて、
例えば美術館だったり、お菓子の世界とか、お料理の世界とか、モードの世界とか、
本当にたくさんの文化が詰まっている。
それをいっぺんに見ることができる。
とても世界の中でも稀な、特にパリが稀な街だとすごく感じれたので、
一気に魅力に引き込まれました。
お花は素人に分かるレベルなんですけど、全く違うっていうのは、例えばどういうところが違うんですか?
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お花はですね、まず色使い、それから家財ですね。
お店の中に飾ってある家財。
それからお店の中に飾るお花の器。
あとは接客の雰囲気とか、ディスプレイとか、
もうトータル的な雰囲気っていうのは全く違いました。
一言で言うとイギリスはこんな感じ、フランスはこんな感じって言えます?
当時のイギリスのデザインと今のこの21世紀の現代のイギリスのデザインっていうのは
だいぶ変わってきてると思うんですけれども、
90年代後半に私が見たイギリスのお花屋さんは、一言で言うと分かりやすいと可愛い。
そういう感じなんだ。
ポップな感じで可愛い。
あとは少しだけちょっとトラディショナルな雰囲気も合わせていて、
パリに関しては妖艶。
妖艶っていう。
妖艶な感じがしました。
その妖艶っていう意味はもうちょっと。
お花の一つ一つが色っぽいというかみずみずしさが多分すごく感じられて、
あとはお花が普通にお花屋さんでこの花は置いてあるだろうっていう、
自分たちが考える先入観のあるものが全くないお花屋さんとかあったり、
この花は置いてないんだっていうお花屋さんとか。
全然違うんですね、そういう意味ではね。
分かりやすいところでいくと、
イギリス時代はガーベラって絶対お花屋さんに必需品みたいな感じだったんですけど、
パリのお花屋さんに行ったらガーベラを見ることがすごく少なくて、
それがまずなんで置かないのかなとか、
そういうところからその花の選び方って何かこだわりがあるのかなとか、
いっぱいありました、発見が。
じゃあイギリスから来た国さんでも全く違った目線でパリの3ヶ月間のお花の勉強をしたっていう。
見えましたね、やはりね。
すごくそういう意味ではラッキーだったんですけれども、
例えばそれがイギリスから1回日本に帰って、また戻ってパリに行くっていうのと、
イギリスから直接そのままユーロスターで移動してパリの中に入り、
すぐものの2,3時間後に自分が元気であればパリの街中歩いて花屋を見て、
その違いを見れるっていうのと大きい違いがあると思うんですけれども、
それができたので明らかに絶対文化違うだろうなっていうのが体感できた気がします。
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じゃあパリで3ヶ月間また勉強をした後はどうされたんですか。
その後はですね、もう心の中で2ヶ月目ぐらいに、
もう1回パリゆっくり見たいなっていう気持ちと、
実は当時ニューヨークにもちょっと興味があって、
ニューヨークのお花屋さんも綺麗なところが多いって聞いていたので、
3つの選択を自分の心の中で持っていって、
1つがもう1回イギリスに戻るということ、
もう1つは見たことがないニューヨークと、
そして最後がパリという選択だったんですけれども、
一番最後に見たものが一番印象に残るというか、
あとはパリの人たちの、月並みなんですけど、
すごくオシャレな人たちに見えちゃったんですよね。
この人たちの中に生活を実際にして、
あとフランス語っていう第三外国語になるんですけれども、
私にとっては当時その魅力もすごくあったので、
フランス語の勉強もしてみたいなっていうのもあって、
じゃあもうパリに戻ろうかなっていうのは、
2ヶ月目くらいから意識していたような気がします。
一回戻られたんですか?
戻りました。
もう全くお金も使い果たしません。
そうですよね。
ずっとイギリスに1年以上住めないですね。
あともう一つその時に住んでいたアパルトマンが、
とても素敵なところだったんですけど、
中国のコンパンションっていうところだったんですけど、
長期で住むのにはレイアウト的にはというところがあったので、
これは一回仕切り直したと思って、
実家の両親たちもなかなか帰ってこないので心配していましたし、
一回日本に帰って元気な姿と、
それなりに勉強の成果も伝えたかったので、
一回戻りました。
どれくらい経ってまたフランスに?
1年くらいです。
1年くらいまた東京に行って、
すぐ戻ってきちゃいました。
その間もずっとパリの計画を練ってたんですか?
もうそのことしか頭になかったので、
極端な話に戻ってすぐにどうやったら戻れるかっていうところから
スタートしたっていう感じです。
どうやったら戻れるかっていうことを、
どうやって小久美さんなりに計画してたんですか?
まず資金ですよね。
もう先立つものがなければ何も動けないので、
とにかくお金をもう一回作らなければいけないと思ったので、
比較的仕事を何かしなければいけないっていうのを、
飛行機の帰りの中で結構意識してたような気がするんですけど、
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その時にもう一つだけ自分で決めていたのが、
全く違う業界に行くと、
本当に留学1年とか1年半近くとか海外にいると、
すごく刺激がたくさん自分の中に蓄積されていたので、
それが焦るのが怖かったですね。
なるべくなるべく花そのものの業界でなくてもいいので、
芸術的な業界に携われるようにして、
そのセンスが少しでもあせないようにしなければいけないかなっていうのは、
ずっと考えてました。
実際にそういう系のお仕事を携わってたんですか?
実際はお花屋さんでちょっと勤務してたこともありましたし、
その後に本格的に本当に腰を下ろしたのがガローです。
ガローで10ヶ月間仕事をしまして、
本当は3年くらい日本でお金を貯めるはずだったんですけど、
たまたまチャンスが目の前に出てきてしまったので、
チャンスをつかまないと、その時の年齢が30が入っていたので、
これは出れないなと思いまして、
それで意味を消しても思いっきり出たという感じです。
チャンスっていうのは狩りに行くチャンス?
そうです。
どういう意味ですか、そのチャンス。
それは目の前にある具体的な、物質的なことではなくて、
気持ちですね。
自分が今絶対動かなければいけないっていう気持ちって
原動力になると思うので、モチベーションといったりもするんですけれども、
その気持ちのチャンスをつかむのが早く来たという感じです。
それが日本に戻られてどれくらいのタイミングだったんですか?
11ヶ月目ぐらい。
11ヶ月目。
自分の中では最初どこかで3年かなと思っていたんだけど、
11ヶ月ぐらいにもう行かなくちゃみたいな。
もう行かなければいけないぐらいの勢い。
そしたらもうダメですよね。
頭の中から離れなくて、毎日毎日行くこと、
というか心はもう引っ越ししていたみたい。
ぐらいでいたので早かったですね。
その後1ヶ月間で私はソルボンのパリ大学部族の文明講座というところに登録しまして、
ビザの登録もして、年末年始にもかかわらず、
まず語学学校の申し込みは自分が郵便を出して帰ってくるまでに1週間だったんですね。
仮登録のプレアンスクリプションというのをして、
ちょうどクリスマスの時期もかかりつつあったので、
慰霊中の慰霊の早さで返事が来たのと、
ビザに関しても本当に大使館とかの手続きが今ほど複雑じゃなかったので、
24:03
それも約1週間ぐらいで終わってしまって、
なんか働いてますね、フランス人。年末年始なのに。
すごかったんですよ、それは。
波に乗っちゃいましたね。
波に乗ってしまったというか、1ヶ月後にはパリの都市にいました。
1月とか年をあげたら行っちゃってたって感じだね。
最初はまず学生として語学学校に通い、
日本にいる間はフランス語はちょっとやってたりはしてたんですか?
一応フランス語の教室には通っていたんですけど、
ちょっと変わった教室で文法よりも発音ばっかりをやる教室だったので、
でもそのおかげで他の日本人の方が話すフランス語の発音の違いを
何気なく違う発音してらっしゃるなっていうふうに分かるというか、
でもそれはそのメソッドは本当に感謝してます。
それは日本での話ですかね?
日本の小さい教室なんですけども、
フランス人の先生が直接色を使いまして、色のパレットを使って指してきて、
アーとかウーとかするわけです。
それを頭の中とそれから実際に体で覚えていくという。
でもフランス語って私もやってみて分かったけれども、
文法も英語から入っていくと全然複雑だったりするけど、
一番難しいのは発音だと思うんですよね。
本当に発音は日本人にとって特にアルファベットって、
カタカナに全くできないような言葉がいっぱいありますよね。
本当にそれは分かりますね。苦労するんですよね。
苦労するんですよ。日本人はね。
ついて川学校にも通い、お花に関しても何か活動を始めたんですか?
お花に関しては、まず言葉が非常にできなかったので、
たかだか日本で1年勉強しても何も身にならないことが多いと思うので、
当時の私も全くしゃべれず、
言い訳して花を封印しまして、
最初5ヶ月間は語学学校でひたすら勉強してました。
すごい勉強した気がしますね。
期間限定でそこまでは一気にやるっていう感じですか?
たぶん人生の中であれだけ勉強したのは、
後にも先にもないと思うくらい、すごい勉強したと思います。
やっぱりその5ヶ月間の成果って自分の中では実感する?
それがですね、行ってた学校が有償あるソルボンの系の学校だったので、
要はクラスとかで使う単語とか言い回しって、
今の現代の世の中の巷では使わないこともいっぱいあるわけですよね。
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アカデミックな要はフランス語ってことですよね。
文学的なことの道に行くにはいいんですけども、
それでもうちょっと庶民的な語学学校に夏の講習で行ったときに全くわからなくて、
これはまずいぞと。
続世間の言葉を覚えなければと。
今度そっちを勉強して、
ソルボンの文法の教え方っていうのは本当にとてもエキスパートだったので、
その基礎が頭の中に入ってた上での次のステップだったので、
周りの方がおっしゃってくださるには話すのがすごく早かったという気持ちを込めて。
その時にベースをちゃんと作ってから、
続世間の言葉を覚えていたということですね。
世の中に出たという感じですね。
お花はいつからタッチしたんですか?
お花は夏休みが終わった9月からその前に3ヶ月だけお世話になった花屋さんのところに戻りまして、
それから初めてようやく2回目の突出でお花を触り出して形を取りました。
最初は研修みたいな感じ?どんな位置づけで?
これはもう完全に研修の実地ですね。
お花屋さんの中でルーティンで朝から晩まで働くんですけれども、
特にそこのお花屋さんの場合は最初の研修でお世話になった1ヶ月間で、
私がヨーロッパの学校の資格を持っているのを知っていらっしゃっていたので、
彼らとしても受け入れるのが受け入れやすい。
同じヨーロッパの資格を持っているので、
ヨーロッパの概念が君だったら学校の授業を通して分かると思ったから、
僕たちは言葉がまだそんなに、昔よりかは上達しているけど、
でもまだまだだと思う。でも採用したのはそこなんだよという風に、
何日か経ってから説明していただいた記憶があります。
そこはどれくらいいらっしゃったんですか?
そこは半年くらいお世話になっていたのかな。
実はその前に、夏休みに入る前にちょっと休みがあったので、
1ヶ月間だけ違うお店に行って研修しているんですけれども、
その時本当にダメだったんですよ、言葉が。
これはダメだなと思いまして、上のパトロンの人に相談して、
夏やっぱりもう一回学校に戻ると言って辞めていたので、
厳密に言うと、そこの古巣のお花屋さんに戻ったのが2店舗目になるんですけれども、
2回目の時で。でもそこから半年間お世話になっていたと思います。
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その後はどんな風にキャリアを積んでいたんですか?
その後はですね、とにかく同じランクのお花屋さんに
どんどんどんどん回って修行するというのが、
こっちの花業界のスタイルでもあったので、
右に習いまして、次のお店を探して移っていくというスタイルをとって、
ただ間髪入れずに次のお店に行けるようにという風にしないと、
間でやっぱり1ヶ月開くだけでも精神的にすごく不安になってしまうので、
それこそここに何しに来ているのかなと思っちゃう時間が流れるのがすごく怖かったので、
とにかく次々という感じで。
見つけてから移るという感じ。
もちろん、例えば研修生という家でも、急に亡くなられたらお店も困るので、
1ヶ月くらい前に行ってやめますという感じで。
結局いろんな、どのくらいのお花屋さんを回ったんですか?
合計、短いの回せたら7店舗くらいは見た記憶がありますし、
その後にパリスホテルと呼ばれている、当時のクリオンホテルのお花の学校があったんですけれども、
そこでもお花の学校の仕組みをヨーロッパの見たかったので、そこに行っても学びましたし、
独立してからもいろんなフローリストさんとコラボしていたので、
そう数えるとどのくらいなのですかね、結構たくさん見たような気がします。
フローリストとして独立するきっかけというか、どのタイミングでそこから独立していったんですか?
それは本当に不思議なんですけれども、あるお花屋さんで研修をしていて、仕事をしていた時に、
水割りが終わったとか何か、そこのアトリエを見渡していて、
いろんな周りのスタッフが仕事をしている様子を見ていたら、
ふっと自分で一人で仕事をやっていけるかもって思ったんです。
本当に偶然、ふっと湧いたアイデアで、それでできると思っちゃったんです。
それってちなみに、独立してどれくらいのタイミングですか?
それは2004年になる前なので、3年目くらいの時です。
なるほどね。
で、じゃあ独立しようと思った時に、独立の第一歩目ってどんな感じでした?
独立の第一歩目が、実は私は20代の時に、ずっと8年間OLを外資系の保険会社でしていたんですけれども、
一番最後に勤務した保険会社で、ブランチの立ち上げで最初仕事をしていた時期があって、
その時の経験が非常に役立ったので、とても恐怖心がなかったんです。
立ち上げるっていうことに対して?
はい。一つの仕事を立ち上げるのはどうしたらいいのか。
なぜかというと、企業での立ち上げの時には、本当に電話と机しかないところから全部自分たちでブランチを立ち上げていくっていう業務で、
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その時に責任者をやっていたので、事務の方なの。
だから、とにかく自分で考えて動かなければ、何も形になっていかないっていう経験をしていると怖いものがない。
なるほどね。
それはもともと、久美さんが経験は積んだっていうことはあるけど、そういうのに対してあまり抵抗がないタイプ?
それともやっぱり経験がそこで活かされたっていう感じ?
経験ですね。やっぱりあの経験があったから、
誰も知らない海外でビジネスやってみようっていう気になれたと思います。
なるほどね。
下準備ってすごく大事だと思うんですけれども、その中の経験が入っていたので、
全く恐怖心がなくて、それよりも早く、何とか自分で形を作っていかないということだけに気持ちを集中しています。
なるほどね。もしそういう恐怖心、やっぱり何か新しいことをしたいとか、何か立ち上げたい、
ましてや久美さんのように海外でやっている方って、本当にわけでわからないことがいっぱいあると思うんだけれども、
そういう中で一歩前に進めるために、何を意識したらいい?あるいはどう考えたらいい?とか、何かそういう大切なことってありますかね?
多分、いろんな人が自分の夢があって、それに向かって実現したいと思うときに、
まずその最終の大きい夢のところにフォーカスを当てがちだと思うんですけれども、
私の場合、強いてしたといえば、その最終の大きい目標の夢があったとしたら、
そこから一つ一つ遡って、それこそハードルが一つ一つ遡って手前に近づいてくる感覚なんですけど、
一番最後に目の前に来たそのハードルのものが何かを見て、
じゃあそこからやっていこうという形で、それを一つ一つ辿っていくとその次につながるという、
そういうロジックで行っていたので、大きい目標で持つのはとても大事なんですけど、
そこに行くまでってもう本当に数え切れないほどの工程があって、
その工程を実現するのにちょっとチャンスも巡ってきたりとかっていうのがあるので、
最初から遠いところにフォーカスを送って、多分非常に苦しくなっちゃうと思うんですね。
だから具体的にじゃあできることは何かと考えたときに、
まずじゃあ自分の花の仕事をどこでするのか、じゃあこの家少し改造してみるか、
じゃあレイアウト変えなきゃ、レイアウト変えるのには家具塗ってみようかとか、
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そういう細かいところからやっていくと、今度はできたことがどんどん色がカラーになってくる。
見えないことがモノクロで、ちょっとずつ色が変わってくる。
増えてくって感じ。
そうです、その感覚です。
なるほどね。
じゃあ自分の立ち上げで目の前のことを独立に向けて動いたときに、
自分の中で一個一個クリアにしてて、その中で久美さんが少し景色が見えてきたというか、
最初は無我夢中でたくさんやったと思うんですけど、見えてきたタイミングってどれくらい経ってたんですか?
労働許可を取れた11ヶ月後です。
同時で準備していたので、今から考えるとすごいなと思うんですけども、
労働許可を取る期間というのがあるので、その期間って学生でもないし社会人でもないので、
何もできない状態が続くので、それがもうお役所次第で3ヶ月で終わりの場合もあれば半年かかる人もいるし、
もったいしたら1年かかる場合もある。そこの間でデクハージモンってよく言うんですけど、
気持ちが本当に泣いちゃうんですね。
ダメかなっていう気持ちに何度もなって、不安なんですよね。
対策許可書の更新した人だったら誰でも通るうちだと思うんですけど、
押しつぶされそうになるというか、その気を間に合わせるのに花屋さんで研修できるかっていうとできないわけですよ。
なぜなら学生ではないので、フランスの場合はよくお花屋さんだとコンバンソンドスタージュといってスタージュの協定書の紙が必要になるので、
もうそれがないとやっぱりお花屋さんの方も怖いから雇ってくれない。
で、できない。
ってなると、じゃあやれることは何かっていうと、今のうちに準備の方も同時進行で、取れるかどうかわからないけどやっとこう。
取れる前提でやっとこうということですね。
頭の中は取れる取れる取れるで用意するしかない。
取れるっていう前提の中で準備をしつつも、同時にちょっと不安もよぎったりするじゃないですか。
その11ヶ月間どうやって過ごしてたんですか?
もう11ヶ月間はひたすら目の前で形になっていくものをとにかくどんどんどんどん取り組みました。
例えば名刺作りとかパンフレット作りとか、それから手が鈍ってはいけないので、
当時の友達と週に一回ちょっと休めの花屋さん行って、みんなでそれぞれ花を買って分けてお花の作る練習をしたりとかやってました。
はい、久美さんのインタビュー1回目だったんですけども、
私とすごく状況が似てるっていうか、イギリスに留学してフランスに行くと決めて、
一旦日本に戻ってフランスにやってきたっていう意味では共通してるんですよね。
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なんか多いですよね、そういう方って今までのインタビューもそうですけども。
たまたまですけどね。
なんか皆さんこうイギリス行って、その後フランスで一旦日本に戻り、またフランスに行くっていう。
そのパターン。
なぜなんでしょうね。
なんでしょうね、すごく。
英語圏だからイギリスに留学するっていうのは入りやすいのかなっていうところもあるし、
多分久美さんも私も今までのインタビューの方もフランス語を別にやってたわけではないので、
そうですよね。だから一度日本に戻ってちゃんと勉強し直してみたいな。
準備してから来るっていう。
そういう感じですね。
でね、やっぱり私は久美さんと違って家族の都合で来たわけじゃないから、
この滞在許可書の大変さとか、家族いても多分大変だったと思うんだけども。
大変でしたよ。
フランスのこの2000年、私が来た頃の時期の滞在許可書ってほんとぐちゃぐちゃだったんですよ。
予約がまず取れない。予約させてもらえない。
でも私もそうでしたよ。
取れなかった?
予約というかとにかく並ばなきゃいけない。
寒空の下。
私ね、期間がまさにこの時期、その冬時間に入るタイミングで、
この朝がすごく寒くて暗い時期。
暗い時期から、時間から並ぶんですよね。
あの時間から私は始発から並んでましたからね、結局。
始発じゃないと。
わかります。
でもあれをね、何度もやってる人はこう、
あ、滞在許可書ねっていう話だけで目と目で通じ合う大変さのあれがあるかなっていう感じがしたんですけどね。
ちゃやみさんは何か印象に残ったところとかありますか?
私はね、クミさんがやっぱりいろいろと語学をね、一生懸命勉強されてたのがすごく印象に残りますね。
やはり、こちらに住んでなくてこちらで起業しようと思った方が求められるフランス語ってやっぱり大変だと思うんですよね。
今の若い人とお年を取ってる方のフランス語もちょっと違うと思いますし、
実際、文学的なフランス語と日常会話で使われるフランス語って全然違うと思いますし、私も全然わからなかったりしますもん、子供たちの言ってる言葉。
だから、彼女のね、苦労ご苦労というのはとてもよく理解できます。
42:01
結局、語学がないとやってけないというか、語学があって、
そこがスタートラインなんですよね。
やっぱりそこって日本語でやるのと全然違うじゃないですか。
そういう意味では、語学ができて、まず同じスタートラインに立てるっていう、それプラスアルファでこのお花の技術もっていうところなので、
外国に住むってそういう意味では大変だなぁと。
そうですね。他の国でもきっとそうだと思うんですけども、
特にフランス語っていうのはまた習得しづらいというか、英語に比べて私はとても習得に時間がかかる語学かなという印象があるので、
英語をまずやってフランス語をやってる方はすごく難しく感じたんじゃないかなという気がします。
英語の感覚でフランス語を学ぶと、もう限界きますよね。
だってあまりにも表現の仕方が多様すぎて、文法も大変じゃないですか。
活用形が全部にあるし、女性形と男性形もあるし。
英語がなんて簡単な言葉なんだって思いましたよ、私。
だからそういう意味では、そこにわざわざ英語喋れてたはずなのに、フランスでチャレンジするっていうその精神は本当にすごいなぁと思ったんですよね。
あとカミジョの話でマインド的にすごく参考になったところが、
最初にみんなって大きな夢を描いて、大きな夢を描いてしまうと、
大きすぎて動けなくなっちゃう。
だからそれを自分が今できるところまで細分化して逆算して小さなステップに置き換えるっていうところは、
彼女がおっしゃってたんですけど、これは多分ね、全てにおいて私も本当だなと思うんですよね。
あまりにも遠い大きい夢だと、漠然としすぎてるし、ちょっとベーグな感じ、遠い感じがしてどうスタートしたらいいんだろう。
じゃあ逆にこうなるにはどうしたらいいのか、ブレイクダウンしていって細かくステップに、行動ステップに置き換える。
そうするとちょっと行動しやすくなるんですよね。
だからどうしてもほらみんな海外で起業するとか、そういうところで行っちゃうと、じゃあどうしようって止まっちゃうんだけど、
じゃあ起業する前に何をしたらいいのかみたいなところで行くと、今やるべきことが見えてくるという意味では。
逆算みたいなね。
それをしないで一気にやろうとするから、多分気持ちもこう泣いちゃうというか、辛いとも嫌になっちゃうみたいなところになるので、
45:08
この部分は多分いろんなことに置き換えるんじゃないかなと思いました。
次回はパリで独立してからの話と、
パリと日本に両方住んでいらっしゃる方なので、
パリと日本の女性の違いというところもお話し伺っています。
お楽しみください。
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また来週のパリから学んだぶれない自分の作り方をどうぞお楽しみに。
さゆみさんありがとうございました。
ありがとうございました。
秋でした。
46:23

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