1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.28「Why?が人生を変える」
2016-10-06 47:19

Vol.28「Why?が人生を変える」

国際ラブコーチのアイリーンさんのインタビュー(第1回)。プランクトンのように、フラフラと人に言われるがままにキャリアを歩んでいたアイリーンさんが、どうやって国際恋愛コーチになっていったか、そのキャリアと結婚への歩みについてお話を聞いています。


00:15
こんにちは、あきです。
今日も、パリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
さゆみさん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さゆみさんは、目が悪い方ですか?
悪いですよ。金眼です。
コンタクトしてますか?
はい。ずっと学生の頃から。
金眼だけなの?
金眼だけですね。卵子とかは入ってはいないんですけど、
だんだんちょっと最近、それに老眼みたいな。
近いところがね。
本当に、あれ?こんなに読みづらかったっけ?ってくらいちょっと小さい字とかが。
読みづらくなってくる。
今日この頃みたいな感じですよね。
金眼なんだけど、ちょっと。
遠くも。
遠くもつらいみたいです。
私、昨日ね、テレビを見ながら、ドキュメンタリーやってて。老魔法のドキュメンタリーをやってて。
その同時に、ちょっとiPhoneでメモしながら別のことをやってて。
テレビから携帯に目を映した瞬間に、ブブって目の焦点を合わせる時間がかかる。
すぐ切り替えができないの。小さい文字と遠くのものから。
この時に、目が簡単に調節できなくなってるってことにかなりショックを受けましたね。
たぶん、私たちの年代はみなさん、そろそろっていう感じですね。
でね、そのメガネなんだけれども、たまたまうちの下の子7歳なんですが、
夏の終わりぐらいから、前々から、例えば、どんどんテレビとか何かをするときに目が近づいてるなと思ってたんだけども、
9月に入った途端に学校で、全く見えないと。
黒板に映したのがボロボロに間違ってるんですよ。そんなに見えなくなってたの。
で、これひどくない?って言うぐらい。
なんで黒板を映すのに、なんでこんな間違えるの?みたいな感じになったら、見えないんだもんって言い出して、
で、急遽先生に言って、先をとりあえずメガネ作るまでは前にしてほしいって言って、
メガネを作ることにしましたと。
で、結局フランスって、近視でも数字の使い方が、例えば日本の0.1とか0.2と違う数字じゃないですかね。
マイナスいくつとかじゃないですか。見方がわかんなくて。
で、こないだ名写さんに行って、で、名写さんで見たら、私の近眼よりも全然度は少なかった、軽いから、
近視でもじゃあ弱いんだなと思って、今まだ大丈夫と思って、名写さんの後、メガネ屋さんに行って、
03:00
そのメガネ屋さんが日本のメガネ屋さんなので、もう一回検査をしてくれて、やったら0.2なんですよ。
え、それってかなり、だって私が0.1あるかないかぐらいと考えると、
かなり、そう。だから私も0.1見えるか見えないかって、私は乱視がきつい人なんだけども、
でも私の数字よりは軽かったよね。
でも近いですよね。
近いのよ。だから日本の数字の差とフランスの数字の差はちょっと違うのかなと思って、
いや0.2じゃここは見えないよねっていうのが私も、
そうですよね。
分かったんだけれども、そこでメガネを選んでる時に、日本のメガネ屋さんなので、
そのチェックの仕方が面白くて、
鼻はやっぱり私たちってペタンコなので、メガネが落ちないような滑り止めがあるじゃないですか。
鼻の脇にね。
あれがフランスではないんですよ。存在しない。
で、私がフランスで初めてメガネを買った時に、どうしても落ちるなと思ってたのは、
その滑り止めがなかったからだってことに気づいた。
鼻が高いからちゃんとそこでとどまるんですね。
とどまるんですよ。
で、日本のメガネ屋さんはフランスにいても、それをちゃんと滑り止めをつけますよっていうサービスがもちろんあって、
で、うちの子にやってみたら、やっぱりいらないんですよね。
うちの子はアジアだと思ってるけど、
でも少なくとも私よりはこの目と目の間のところが、
この鼻じゃん。
始まりというか眉と眉の間のところですよね。
ここが高いっていうことですね。
高いってことなんですね。
ここが滑り止めもいらないし、
あと日本の人って、私たちもそうだけど、その滑り止めがないとメガネが奥に入っちゃうためにほっぺたにくっついちゃうんですよね。
そうそう。
で、このほっぺたにくっつくところがやっぱりよくないので、そのために滑り止めをつけてるんだけど、
フランスはそのメガネをなしでもほっぺたにくっつかないかどうかが大事なポイントになる。
だから彼はやっぱりつけなくても、つかない状態でメガネをつけてもほっぺたにはくっつかない。
だから顔はやっぱり私たちよりは日本人じゃないんだなっていうのが、
だからメガネをつける構造って多分やっぱ違うんだなって顔の骨格によってね。
やっぱりアジア人向けのメガネと欧米人向けのメガネってやっぱり分けて売ってるお店とかあるじゃないですか。
ここはやっぱりきちっと選ばないと、どうしてもずるずる下がるっていうのはやっぱりね、
ありましたもん私も。サングラスとかでも。
サングラス。
06:00
だからやっぱりサングラス日本で買おうかなっていうので、それ以降日本で買ってますけどね。
確かに言ってました。
同じブランドなんだけど、日本で買うとやっぱりそこはついてるのに、
こっちのたとえば免税で買えるからと思ってこっちで買ってつけてみたらその場はいいと思ったけど、
落ちる落ちるみたいな。
私も確かに免税店とかでやってみるとあれれみたいなのがありますもん。
おばあちゃんみたいなメガネになっちゃうんですよね。
だからもうやめたみたいなね。結局日本で買ってますね。
だから日本人の骨格に合わせたものを買わないと、やっぱり最終的にはメガネなんてとっても大事なものだから、
そういう意味で改めて自分は全く当たり前のようにメガネをしてたけれども、
フランスで作るのとでは全然骨格が違うからっていうところを改めて知った出来事でしたね。
それでは本編スタートです。
今回はインタビューのコーナーなんですけども、
今回は国際恋愛コーチのアイリーンさんという方にインタビューさせていただきました。
アイリーンさんはお名前が外国名なので、どこの何者だろうかって。
彼女も後で出てきますけども、芸名家って言われるっていうそうなんですけど、
彼女はお父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人。
いわゆるミックスのダブルの人なんですけれども、
彼女は今ロンドンに住んでいて、私が知り合ったのが実は3年くらい前にメッセージをいただいて、
実は彼女のポッドキャストのインタビューに出てくれないかだったんですよ。
それでスカイプで初めてお会いしたというか喋ったっていうのが、
彼女との最初の会話だったんだけれども、
実はそのインタビューは遅れ入りなんですよね。
その理由がまたそのインタビューの中でわかってくるんですけども、
彼女の中で人生の中でちょっと大きな転機があって、
それどころじゃなくなってしまったということで、
インタビューはしたけど、まだたぶんどっかには残ってると思うんだけども、
それはそのままだったんですよね。
それで、いつだったかな、今年かな、去年かな、
でも再会をして、パリに来てくれて再会して、
今回またインタビューという形で、
ぜひ彼女の人生というか生き方っていうのを、
ぜひ皆さんにも参考にしていただきたいなと思ってさせていただきました。
ダブルカルチャーを持った人なので、すごく面白い方だし、
英語もじゃんじゃん出てくるので、面白いと思うので、ぜひ聞いてみてください。
09:04
こんにちは、アキです。
今日は素敵なゲストをお迎えしています。
国際ラブコーチのアイリンさんです。
アイリンさん、こんにちは。
こんにちは、アキさん。
今日はありがとうございます。
今、パリで、パリの某ホテルでお話をさせていただいてるんですけど、
今回のパリ、どうですか?楽しんでますか?
パリって本当に素敵ですよね。
私も来るたびに、パリジェンヌって。
本当にパリの街を歩いてる人たちもそうですけれども、
食事もおいしいし、来るだけでエネルギーいっぱい。
またロンドンとは違う。
ロンドンとは違うんですよね。
ロンドンも大好きで、テムズ川なんて歩いてると最高になる。
ただ、やっぱり観光客もすごく今多くて、
いいんですけれども、
パリもいつでも来れるんでしょうけど、
でもね、滅多にすぐそこに行くって感じじゃないじゃないですか。
やっぱりパリって憧れのところでもあるし、
だからアキさんかっこいいなと思うの。
フランス語なんか話すとなんかかっこいいなと思って。
英語話せる方が十分いいと思うんだけれども。
本当に素敵で、パリでいろいろいろんな騒ぎが最近ありましたけれども、
やっぱりどこか愛に満ち溢れた、
ファッションにこだわる、
食事にもこだわり、プライドもあるし、
イギリスはあんまり変わらないんですけどね。
だけど、パリですよ、パリ。
発音が違うね。
かっこいいなと思って、
だから今回来てよかったです。
ちょっとテンション上がってますね。
めちゃくちゃ上がってます。
アイリーンさんのことを知らない人も多分いらっしゃると思うので、
まずアイリーンさんのオリジンというか、
ついてちょっとお話を伺いたいんだけど、
アイリーンっていう名前からして、
ほら外国の名前じゃない?
芸名ではありません。
芸名ではないと思うんだけど、
アイリーンさんは何者なの?っていうところをちょっと、
はい、宇宙人です。
世界人。
私は生まれたのが東京で、
育ったのが沖縄なんです。
母が日本人で父がアメリカ人。
2人は戦後結婚して、
いろんな当時国際結婚があまりない時だったんですけれども、
それでなぜ沖縄なのかっていうのは、
母が医者で父が教育学博士だったんですが、
当時まだ沖縄が戦後、
アメリカに取られてしまった時に、
それを返還をするっていうことで、
父が教育局長として、
12:01
沖縄の教育を日本の教育に戻すようなことということで、
アメリカと日本の、
昔ユースカーっていう昔の古い話なんですが、
そういうことがあって、
沖縄に移住すると。
そこで母が開業し始めて、
もうずっとそこで人生全うしてしまったんですけど、
その2人、本当に国際結婚、
本当に愛し合っている、
国際恋愛、結婚している2人の中で生まれて、
私は父と兄が、2つ上の兄がいるんですが、
2人で沖縄で育ち、
でも沖縄に育ってもアメリカンスクールに行ってたんです。
私の父がすごく日本美育で、
私の日本の名前がトモエなんですね。
トモエっていうのはトモエ御前から来ていて、
兄は武蔵なんですよ。
宮本武蔵で、父は武道が大好きで、
ちっちゃい時から2人で剣道とか言い合いさせられたんですけど、
なのでアメリカンスクールは父の関係でアメリカンスクールに行って、
英語の教育を受けると、
日本の教育は母が日本語だけを話してくれたんですね。
あとは、塾じゃなくて、
家庭教師がいて、
火曜日と木曜日は日本語と数学の家庭教師が、
小学校から高校までいたんです。
高校まで、じゃ漢字も総工でやったんだ。
そうなんですよ。だから漢字は弱いです。
あまり真面目に勉強してこなかった。
ほら、やっぱり漢字難しいじゃない。
難しいですね。
話すだけのと書き言葉では全然違う。
違います。違います。
パソコンのおかげでね、いろいろ変換するときも、
今ブログ書いてますけど、
間違った変換しちゃったりして。
でも自分で書くよりは選ぶからまだ。
でもそうだ。ずいぶんありがたいんですが、
そこで育って、17歳の時に卒業してアメリカの大学に行って、
そこから、本当は私小さい時から医者になると思っていて、
お母様の。
だけど、私はなんで医者になりたいのかなって、
そこで。
本当に初めて思ったんですよ。
今までじゃあ疑問もなく自分は一緒になるのかなみたいな。
だけどやっぱり医学部に、
アメリカの場合は義務教育が4年間で、
後で医学部に行くんですね。
その医学部に行く、大学卒業前に、
いろんな項目を取っていて、
血も嫌いだし、失神するぐらいだし、
なんで私医者になりたいのかって、
なぜって初めて私自分に問いかけたんですよ。
4年間の間まではあんまり疑問には最初は思ってなかった。
大変だ大変だでもならないとって思ってたんです。
でもそこで初めて、
なぜ私はこれをしたいのかって思ったら、
理由が母のためとかなんだろうって、
押されたわけではないんですよ。
そこから私はもう、
じゃあ何を人生したいんだろうっていうことを逃亡に暮れちゃって、
15:02
父がまず卒業だけはしなさいと。
卒業して沖縄に帰ってきなさいと。
沖縄に帰ってって、
じゃあ何をしようかと思ったら、
父が、じゃあ英語の教師したらって言って、
カレッジで英語の先生をしたら、
1年間で飽きてきたなと。
それは沖縄での話?
沖縄で、沖縄に戻ってね。
じゃあ何か仕事しなきゃっていうことで、
父が、じゃあこの学校の先生をしたらっていうことで、
1年間その学校の先生をして、
そうすると、たぶん校長先生っていうか、
カレッジの先生が、
君、今度琉球銀行っていう沖縄の銀行が、
中途採用を初めて採用するみたいだから、
やってみたらっていうことで、
じゃあ面白いなと思ってそれもやってみた。
銀行に2年間国際部でいたんですよ。
信じられない。
それが私の本当の仕事だったんですけどね。
そこで初めて日本の企業に入って、
なんか同僚っていう言葉を知って、
同僚って言葉を知ったんだ。
でもそれが1990年で、
今でもその方たちと私は友達なんですよ。
2年しかいなかったのに。
この間同窓会があってね、長老会って言ってたの。
長老会。
え、アイリーン2年しかいなかったの?とかって、
みんななんか強烈なインパクト。
初めてのアメリカ人だったんですよ。
外国人。
それをやってて、結局私はプランクトンみたいに、
人がこれしたらっていうことをやっていって、
この話の理由はあるんですけどね、
本当にプランクトンみたいにあっち行ったりこっち行ったり、
人がこれしろって言ったら興味あってそれをやって、
最終的にはその時軍があったので、
軍の中の広報障害部の部長としても入って、
そっちにも行ったんだ。
そこで大学院に通いながら、
そこでカウンセリングとか心理学の勉強をしてきた。
そこで自分のアイデンティティのこと、
私の日本人である母のこととか父のこととか、
私の半分、ハーフっていうことでいろいろいじめられた時もあったんですよ。
アメリカ人からはジャップと言われて、
沖縄の人からはアメリカって言われて石投げられたり、
石も投げられた?
石も投げられた。もうね、あなたと遊ばないからっていう。
ちっちゃい時ながら結構大変な時もあったんです。
自分のこと大嫌いで自信もなくて、
両親とかも嫌いだったんです。
母と父はね、ずっと昔から君はね、
日本とアメリカのいいところを取ったんだよって、
一生懸命モチベーションするんですよ。
聞いてはいるんだけど心に入ってこない。
どっちかっていうと、
ママとパパはね、100%アメリカ人か日本人でしょ?
私の気持ちなんか分かんないと。
そういうふうな気持ちを。
分かる分かる。
ねえ、秋さんもお子様がいるからね。
18:01
そうなんですよね。分かんないでしょと。
特に沖縄の場合はやっぱり、
アメリカ人に対してすごく偏見を持っていて、
だからとっても腹が立ってたんです。
でもある日、私が変わり始めた時は、
父に一度、反抗期の時、
父に、なんでね、日本人と結婚したの?
パパの足を取ったでしょ?
父は第二次世界大戦の時に、
日本兵と戦っている時に、
左足を全部なくしたんですよ。
すごくスポーツマンで、
剣道もやっていたのに、人生変わっちゃったと。
なのに、なんでね、日本人を許してね、
結婚なんかしたの?って私、すごく失礼なんだよね。
パパの足を奪ったでしょ?っていう話をしてて、
父が一度、私にね、話した時は、
この勲章って分かる?って。
勲章を見せてくれたんですよ。
父は結構、勲章をいろいろもらっていて、
この勲章はね、多くの敵を倒してきたから、
僕はもらったんだよ。
僕は命があるでしょ?
戦争って本当に大変なもので、
お互いね、お互い敵をやっつけてきたと。
だから、僕が足をなくしたくらいでね、
日本の人を憎めるか?っていうことを話して、
その時、すごくズドンと心を刺して、
私ってなんてちっちゃい人間なんだろう?って。
それはいくつくらいの時期?
16歳ですね。
高校くらいの時期か。
そこで、考えを改めなきゃなって、
父と母のどれくらいの気持ちを、
カルチャーのこともそうだし、
どのくらいの精神的なものを乗り越えて、
二人は一緒になって、すごくいい結婚生活をしてたんですよ。
それを考えて、私、人間として、
自分のルーツとかをもう少し考えなきゃなと思っていたんです。
いろいろ前後しちゃうんですが、
そういうことを考えながら、自信がない。
自信がないから、それが仕事にも反映されるわけですよ。
そこで、自分というものが軸がなくて、
いろいろやってきて、人から言われたことをずっとやってきて、
最初は医者にならない。
じゃあ、人がこれをしろって言ったら、これもする。
そこから私が、
本当に人生どうしようかっていう時に、
兄のベストフレンドが、
アメリカの大手企業の当時副社長をしてて、
東京でオフィスを設けるから、来てみたらっていうことで、
バイリンガルの人を探してる。
これも人からまたこれしたがっていうことで行ったんですが、
21:00
そこで初めて、
なんか面白い仕事だなっていうことで、
10年間その仕事をして、
東京だったのね。
東京で。
そこからキャリアに目覚めて、
自分はこういう仕事面白いなってことで。
その中で人からっていうところの中から、
だんだん自分でやりたいっていうことも、
だんだん出てきたんです。
それはやっぱり自分を見つめ直したり、
私ってどういうことをしたいんだろう、
どういう人間なんだろうっていうことをやっていて、
一番大きなきっかけが、
私の友人、ジェームズ・スキナーっていう人が、
Q-Stepっていう7つの習慣を日本に持ってきた人なんですが、
彼がトニー・ロビンズ、アンソニー・ロビンズのセミナーに行ったってことで、
なんだろうっていうことで、
私は当時、2000年ですね、
フィージーに彼に会いに行って、
フィージーまで行ったんですよ。高かったんですよ。
100万もかけてね。
飛行機代も出してね。
当時、彼今8000人くらいのセミナーなんですが、
当時40人くらい。
当時はね。
1週間みっちり彼のコーチング受けてて、
なぜやったかっていうと、
キャリアに目覚めて、
私はビジネスウーマンだと思って、
副社長まで行きたいと思って、
彼のコーチング受けて、
1年後に副社長までなれたんですよ。
そのおかげで自分の自信もついてきたと。
でもその時に、
彼と話を、
コーチングを受けている時に、
彼、奥さん、離婚した後に、
新しい奥さん連れてきてて、
ラブラブなんですよ。
ラブラブで2人で、
3人で話している時に、
キャリアのことで話してたのが、
ビジネスのことで話してたんだけど、
この2人を見て、
こんなラブラブ、そういえば私は、
両親を見て、
あのラブラブ感、
自分も欲しかったなっていうのを思い出して、
目覚めたんだ、そこで。
私はキャリアだけじゃないわよ。
私、恋愛も欲しいわと思って。
それいくつぐらいの時?
それはね、36?
それまではあんまり考えてなかった?
あ、嘘だ。
あ、そうだよ。
35、36の時。
あ、そうなんだ。
それまでは恋愛をしたかったんですよ。
だけど失敗ばかりして、
仕事ばっかりやってたし、
世界中回ってたんで、
なんかうまくいかないんですよ。
多分デスプレッドだったと思うんですよ。
なんで彼氏ができないんだろう?
こんなに仕事ができる女なのに、
こんな給料もいいのに、
いろいろ分かります?
こんなキャリア云々なのに。
変な思考を持ってたんですけどね。
でもそういうことを考えて、
なんでこんなにできるのにと、
なんか変な考えなんですけど、
それも失敗してきた。
じゃあ私はビジネスでいいやと思っていて。
ちょっと割り切ってたところがあったんですね。
でもその時に、
一時期ね、結婚したい、
子供が欲しいという時あったんですが、
うまくいかなくて、
そこでトニーの幸せな姿を見てて、
24:01
私これ欲しいわと思って、
その時にトニーが言ったのは、
そういうような恋愛を引き寄せる女性になりなさいと。
それってどういう意味なんだろう?
ってまたここから考えて。
そのコーチングが終わって、
私がどうやって考えればいいのかって、
当時恋愛コーチなんているわけじゃないので、
そういうのもコーチングっていうのも、
トニーのビジネスっていうのは分かってたんですよね。
だからそれはどうすればいいんだろう。
ビジネスの今まで学んだコンセプトを、
哲学とか使って何かできないかって考えていて、
心理学もありますよね。
自分を磨くとか。
そこで自分がどういう女性になればいいのかとか、
自分を見つめ直して、
そして2年後、
その間に日本から今度はヨーロッパを、
ヨーロッパとか、EMEAって言うんだけどね、
ヨーロッパ、ミドルイースト、アフリカを全部統括してくださいってことで、
昇格して、ヴァイスプレズデントになって、
ヨーロッパに転勤になったんです。
3年間ここで訓練して、
またアジア地域をやりなさいっていう話だったんだけど、
当時もう2年ぐらい自分で自分を磨きをして、
キャリアでもある程度行って、
ヨーロッパに着きました。
その時に私はどういう男性を魅了したいか、
どういう女性になりたいかってリスト書いてたんです。
それを書いて、
あ、終わったなっていうのが5月のちょうどね、
2001年に、2002年かって終わった時に、
終わったっていうのはちなみにリストが、
リストね、これだと思ったの。
見えたんだ。
そう、2年間書いてたんですよ。
難しかったんですよ、結構自分で書いてて。
じゃあいっぱいリスト上げてたね。
いっぱい、どういう人で、どういう感じで、
一番自分に合う人かってやってて、
あ、なんかわかんないけど、
ですぜと思った時に、
もうリストは終わったと思った2ヶ月後に主人に。
出会ったんだ。
会った時点で、リストのこと忘れちゃってるから、
主人かってわからなかったんですが、
でも本当に主人とデートして、
本当に最高の結婚を。
結構早かったんですか、その出会ってから結婚。
出会ってから付き合ったのが、
出会って付き合ったのが2週、
2ヶ月後で、
1年ぐらいデートして、
1年、あ、プロポーズされて、
1年後に結婚しました。
私の誕生日にプロポーズされて、
誕生日に結婚したんです。
次の年の?
そうだったんだ。
その時、リストのことはもう忘れてた。
そうそう、いい質問。
ごめんね、たくさん話してるんだけどね。
いいよ。
リストの話ね。
彼と真剣になって、
彼とお付き合いするようになってて、
27:00
そういえばリストがあったなと思って。
それってどれくらいだった?
真剣になって、彼と本当に結婚するんだなっていう話をし始めた時に、
そういえば本当に彼がベストマッチかなと思って、
リスト見てみないとダメだと思って、
それまで全然見てなかった?
見てなかった。完全に忘れてたんですよ。
彼のことを書いてるかのような、
4ページ、4、5ページあるんですよ。
本当に彼のことを書いたようなもので、
当てはまっちゃったね。
彼にちょっと見せてみようと思って、
知ってる?これ、ほら、読んでごらんって言ったら、
これ僕のことって、そうでしょって、面白いよねって話をした。
その前にもすでに書いてたってことだったね。
そうなんです。これあなたに会う前に書いてたの。
えー、僕のことみたいだねって2人で思ってたの。
面白い。
そのバリバリキャリアの時の、フィジ行ってた頃のアイリーンさんと、
ロンドンに移ってからはどう変わったの?
あのね、振り子みたいに逆に、180度逆に行っちゃって、
アイに走っちゃったの。
あ、そうなんだ。
だから、彼と結婚するって言ったら、
私、ことぶき退職したいと思ってて、
20代の頃の夢なんです。
なぜかって分かんないけど、
母がキャリアウーマンだったから、別のことしたかったと思う。
あー、そうなんだね。
だから、分かんないけど夢みたいな夢子ちゃんで、
大好きな仕事だったのに、ことぶき退職するっていうのが夢だったから、
一気に振り子触れたね。
辞めちゃったの、仕事。
バカじゃないって今思うんですけどね。
でも、大好きな仕事。
なんかもう、頑固に、私これ、ことぶき退職。
恋愛に走って、それで辞めちゃった。
そうすると、私は花嫁修行なんかやってないから、
料理できない。結婚する前に、私料理できないから、
僕シェフだから大丈夫。
それはちゃんとお住みつきで、何もしなくていいから。
仕事もね、両方やりたいなと思った。
両方って、チョイスが欲しかったの。
仕事しないっていうのも、キャリアもしたいって。
私は私っていうことを思ってたんで、
主人はどっちでもいいよって言ってたんで、
じゃあ辞めてやろうと思って辞めたんだけど、
半年して、めちゃくちゃ、
私どうすりゃいいんだ。掃除、洗濯もしないし、と思って。
ことぶき退職はしたけど。
したけど、お料理もしないし、つまんないって思って、
初めてまた、本当に初めて自分で仕事を探したんです。
それまでは紹介とか。
紹介でみんなやったら、
トントンってきちゃったんだもんね。
その時に初めて、じゃあ私何をしたいんだろう。
私は、まず今までの経験を生かしたいなと思って、
最初に運命なんですね。
インターネットで仕事を調べていたら、
ポンって本当に初めて見た仕事が、
国際恋愛結婚相談室が、
30:02
日本の企業がロンドンに進出、
欧米人男性と日本人女性をマッチメイティングする会社ってことで、
あら、何これ面白そうと思って、
こういう仕事があるのと思って、
その日にアプライして、
その日に返事が来て、
明日来てください。
面接しに昨日行ったら、
その日に来てくださいって言われて、
トントンで決まっちゃったんだ。
トントンで決まっちゃったんだ。
マネージャーとして来てくださいって。
で、マネージャー兼マッチメイキング。
2005年。
それで、こういう仕事があるんだと思って、
とっても感動して、
そこでマッチメイキングの仕事を始めて、
そこが、本当に自分で探した仕事がそこだったんですよね。
こういう仕事があるのか、
愛のことかと思って。
そう、今までは愛か仕事かだったんだけど、
愛と仕事をくっつけちゃったと思ってるよね。
そうなんです。そうなんです。
考えてみたら私は、
恋愛も仕事も、
そこで初めて思ったのは、
愛だけじゃない、仕事だけじゃない、
両方必要なんだなって、
自分の本当に体験して思いました。
で、そこでマッチメイキングをしている中で、
結構、私としては、
自分の使命感、
これ、私は生まれてくるために、
私はこれをするために生まれてきたのかなと思った。
結構、そのぐらいビシッと来たんだ。
本当にストンって入りましたね。
なぜかというと、両親から来るんですよね、それって。
自分のオリジンがそこにあるから。
オリジンがそこから来て、
文化を超える、言葉を超える、
やっぱり賭け星となりたいなって思っていて。
身をもって体験している人だもんね。
そうなんですよ。
いい結婚生活をしている両親を目の前にして、
いろんな学んできたんですが、
自分はこれ、目の前にあるのにも関わらず、
自分の好き放題やってきて、
仕事で失敗しながら、そこでまた成功して、
また恋愛で失敗しながら、
それからまた愛を自分で掴んで、
あ、一つじゃやっぱりダメなんだ、
両方必要なんだと思って、
そこに目覚めて、
結婚相談所が私の使命感だと思っていたんだけれども、
潰れてしまいました。
そこで潰れてしまって、
クライアントも急に会社がなくなってしまったんですよ。
私たちどうすればいいんだ、
クライアントをどうすればいいんだということで、
クライアントも慕ってくれているので、
今でもクライアントの人たちと交流があるんですよね。
でもそういう中で、
私、自分の使命感だと思っていたのがあるのに、
自分の使命感だと思ったのに、
今更違う仕事できないやと思って、
じゃあどうすればいいんだって思って、
でもまさか自分が起業家になると思っていないし、
私ビジネスなんかできませんよ、本当に。
起業に勤めてナンバー2になりたい人間。
私はナンバー2になりたかったの、サポートしたかったの。
33:03
サンボタイプだね、バイスプレゼントとかそういう系なんだね。
いいようになりたかったわけじゃないんですよ。
自分の会社作りたかったわけじゃない。
でもどうすればいいかわかんなくて、
しばらくビジネスコーチングしながら、
ビジネスが一番メインだったし、
恋愛コーチになると思ってなかったんです。
どっちかというと、自分の好きだったんですよね。
恋愛の話、結構上手にできたし、
いろんな人の結婚の話、恋愛の話とか相談載ってたし、
ビジネスの話もしてたし、
でもお金になるのはビジネスだったんです。
ビジネスコーチングをずっとやろうと思っていて、
そばでサイドで恋愛のことを一応やってた。
一応はお金、生活もあるので、
主人は主人で、自分のビジネスはあったの。
でも自分は自分でやりたいと思っていて、
だけど、私46くらいの時に、2012年に、
やっぱり私、恋愛コーチを恋愛結婚コーチにしたいって思ったんです。
なぜかというと、私の一番ハートに来るのは、
日本の方と、女性の人たちと一緒にいて、
やっぱり私と同じように苦しんでて、
仕事でもそうだけど、恋愛でも、仕事も恋愛についても、
両方、特に恋愛について悩んでた人が多くて、
一番ハート打たれたのは、やっぱり私これだよね。
愛よね、愛って思って。
仕事はたくさんビジネスコーチがいて、
私よりも優れてる人たちがいっぱいいると。
でも恋愛結婚コーチを、国際恋愛に特化した人って、
その当時、私わからなくて、
もう私がやるしかない、勝手に思って。
使命感が出てきたわけね。
私には役目があるんじゃないかなと思って、
それでできてるんだったら、これにやろうと。
でもどうしたらいいかわからなくて、
4月、2012年の4月から、
本当は2011年からスタートしようと思って、
でも3.11があたって、
もうそれどころじゃないわと、
そういう気持ちになれなくて、
再度、2012年の4月にブログを始めました。
もうその時に、自分はもうこの仕事、
訴えるしかないと。
教えたいっていう気持ちがあって、
1日中ブログ書いてました。
やることないから。
日本語勉強になりましたよ。
私のブログ結構当時長くてね。
でも訴えたい。
これを失敗しないでねっていうのをやってて、
そこから2ヶ月くらいして、
ブログの読者数がすごくいっぱいいる。
増えたんだ。
というか、いっぱいいる人が私のブログを見て、
当時2、300人、
なんかわかんないけど、
アメブロを読んでくださったんだけど、
2、3ヶ月して、
誰かがいいブログですねって紹介してくれたら、
36:01
あっという間に6,000人とか毎日、
すごく増えて、
本当に多くの人がブログ読んでくださって、
ありがたく。
そこから今度は、
Facebookの友達になっている人が
セミナーしたらどうですかってことで、
セミナーを7月から始めて、
そこからコーチングも始めて、
あっという間にビジネスが、
スタートしちゃったんだ。
スタートしちゃって。
その頃は、
ビジネスコーチングの方はやってなかったんだ。
ビジネスコーチングは、
企業の、
大企業でやってたんだ。
なぜかというと、
お金に入る。
あとはビジネス知ってたし、
呼ばれたり、
お願いされたりしたんで。
幹部の人たちを教えてあげたり。
それはロンドンでやってた?
それはね、日本にまだ、
ごめんなさい、日本に住んで、
話は、
ロンドンに住んでて結婚しました。
2010年に、
父が倒れて、
そうすると、
日本に行き来するのも、
大変だったので、
主人が、
大事なね、
君の両親のそばにいよう、
ということで、
東京に引っ越してきてくれたの。
5年間。
それはいつの時?
2010年から、
えっと、
2008年、ごめんなさい、失礼。
2008年に父が、
倒れて、
2008年から2013年まで、
5年間、主人が、
日本に住んでくれたの。
両親。
すごいね。
それは、東京に?
東京、
沖縄に住まなかった理由は、
やっぱり、
主人かわいそうだなと思ったの。
やっぱり、
イギリスから沖縄だったらね。
だから、東京に住んで、
私が毎月、
沖縄に帰ってったの。
国内だったら、まだ、
おきやすいからって。
そうそう。
そうだったんだ。
だから、
毎月沖縄に帰って、
2008年で、
2010年に父が亡くなり、
2012年に母が亡くなり、
立て続けになったんだ。
だから、その5年間は、
本当にありがたいです。
主人が、
君の両親大事だから、
そこに一緒にいようってことで、
日本に住んでくれて、
そっか。
それをしながら、
同時にブログを書いた。
そうそう。
そうなんですよ。
当時、日本に住んでたから。
じゃあ、
セミナーを始めた時も、
東京にいらっしゃって。
東京に住んでて、
毎月セミナーしてたんですよ。
そうなんだ。
そこからビジネスが発展した。
その後、
ロンドンにずっとまた戻った。
2012年の母が、
11月に亡くなり、
そしたら、
沖縄にいるよりも、
今度は、
主人と子供たちと一緒に、
主人の両親と近く行った方がいいと思って、
2013年にロンドンに戻ったんですよ。
なるほどね。
本当に東京にずっと住みたかったんだけど、
でも確かにね、
主人も5年間私のために、
両親のためにいてくれたから、
今度は彼の両親のところ、
子供たちのところに行きたいと思った。
そうか。
でもその時に、
私のビジネスどうするんだろうと思ったんです。
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でもありがたくスカイプとかあるので、
当時はね、
昔だったらきつかったけど。
スカイプを通してでもできるんだろうかって不安だったんです。
だけど、
ありがたいことに、
もうビジネス全然問題なくて、
今も3ヶ月に1回東京に戻って、
東京、大阪とか沖縄とか。
結構精力的にね、帰ってるよね。
帰ってますね。
でも帰ってるって、
飛行機なんて乗るだけですよ。
バスみたいなもんですよ、バス。
バスか。
だって私が操縦するわけじゃないし、
乗ってて食べて寝るだけでしょ。
その時間が長いだけよね。
そうそう。でもね、
飛行機大好きで、空港も大好きで、
あれって自分時間なんですよ。
私自分時間大好き。
もうめちゃくちゃ大好き。
一人でいるっていう時間。
そこでみんなにも言うんだけど、
自分時間って大事ですよ。
話が長くなりましたけど。
でも大事だよね。
大事大事。
その時間がエリスさんにとっては自分時間なの?
そうなの。
だから、いろんな自分のことを考えたり、
将来何をしたり、
自分にとってどういうことが大事か。
今、私がコーチングしてるときも言うんだけど、
自分時間って大事であると。
自分のことをリフレックスする。
自己啓発になるもの。
あとは、私がよく考えるのは、
自分の本当になりたいぞ、
B、どういう風な女性になりたいのかって、
とても明確にあるんですね。
私のモットーもあって、
クレドもあるんですが、
それに私は今やってることって近づいてる?
それとも遠ざかってる?とかって考えるの。
はい、アイリーさんの1回目のインタビュー。
前半になったんですけども、
さゆみさんどうでしたか?
彼女の反省。
いろいろなお話が、
すごく短い間にたくさん出てきて。
そうですよね。
かなり濃厚な感じでしたよね。
本当にぎっしり詰まった視差があったんですけども、
キャリアを求めていた。
けれどもある時をあるきっかけで、
恋愛に、ラブに目覚めたっていう。
そこの切り替えがすごいなと。
あっさりですよね。
そうなの。
だけど、その切り替え上手にされてたなと、
お話を聞いて思って、
自分がどんな女性になりたいか、
どんな女性でありたいか、
どんな男性を引き寄せたいかとかっていうのを、
リストにまとめてたっておっしゃってたじゃないですか。
そうですよね。
それを4、5ページ分くらい。
いっぱい書いたって言ってましたね。
そしたら出会ってしまったんですよね。
そうなんですよね。
でもそのリストのことは忘れていたとおっしゃってて、
後で見返したら、
これって彼だったみたいな。
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そのものだったっていう。
すごいなと思いました。
私そういうことはしなかったんです。
意識はしてたけれども、
すごいなと思って、
書いとけばよかったと思いました。
また違ってたかもしれないけどね。
そこはすごいなと思いましたね。
やっぱり彼女も、
なんていうのかな、
キャリアでこれやりたい、これやりたいっていうところに行くまでも、
どちらかというと、
ある意味素直なんだけど、
人からこれやってみるって言われたら、
はい、やってみますみたいな感じで、
どちらかというと、
人の勧めで、
はい、やりますみたいな感じで来ちゃってた人が、
やっぱり途中で、
彼女も言ってたけども、
なぜ私はこれをしたいのかっていうところを、
やっぱり真剣に考え始めたっていうのが、
そうですね。
医学部に行かれてたって言ってたじゃないですか。
でもそこがまず最初の段階で、
そこで卒業して、
血も大嫌いなのに、
医者になるのか、
お母様がお医者様だったから、
だけどこれ私が本当にやりたいことかって、
そこで多分初めて考えられたんですよね。
そこで考えたのもすごく良かったんじゃないかなと思いましたね。
だからやっぱりみんながやってるからとか、
やっぱりついつい私たちって考えがちだけど、
なぜ私はこれをしたいのかとか、
これをしているのかっていうことを常に考えることって、
実はすごく大事で、
案外なぜっていう質問をしてない人が多いんだなっていうところを感じましたね。
あと私がね、やっぱりすごい印象に残ったのは、
アンソニー・ロビンズのセミナーに、
100万かけてフィジーに行ったって話がありましたよね。
彼が新しい奥さんとラブラブだったところを、
ずっと1週間目の当たりにして、
こういうこといいなって彼女が思ったっていうところの下りで、
さすがやっぱりアンソニー・ロビンズだなって思ったのが、
彼の質問が、
そういう恋愛を引き寄せる女性になりなさいって言って、
どうやったら引き寄せるようになるんだろうっていうのを、
彼女がすごい考え出したっていうのをさらっとおっしゃってたんだけども、
やっぱりね、例えば恋愛で、
彼女も多分自分のセミナーとかでもおっしゃってるのかもしれないけど、
こういう人と出会いたい、こういう人と出会いたいって、
自分の希望ばっかりみんな書くんですよ。
例えばありたい姿っていうと、
こういうパートナーシップを組みたい、
じゃあこういう人と出会いたい、出会いたいっていうと、
相手に対する希望とか条件が出てくるんですよね。
で、私はクラウドさんにいつもよく言うのは、
じゃあその人と一緒にいるにふさわしい自分ってどんな自分なの?って必ず聞くんでしょう。
で、そこがすっぽり抜けちゃってる人が実は多い。
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相手のことばかりに、
期待っていうか希望を持っていて、
自分のことが抜けてるんです。
それと釣り合う自分ってどういう自分なの?っていう。
だからそういうのを希望を出す時っていうのは、
自分は今のままでいいんだけど、
そういう人が出会えるといいなみたいな。
だけど、その人と出会うためには、
それにふさわしい自分になってないといけないじゃない。
釣り合うべき人っていうこと。
だから、たぶん彼の言う、
そういう恋愛を引き寄せる女性になるっていうのは、
こういう人と出会いたいなと思えるような、
それにふさわしい自分になるためには、
自分はどうしたらいいんだろうかって考えることだと思うんですよね。
だから、そこで彼女は自分磨きに走ったとおっしゃってたから、
どんな女性になりたいか、何でいたいかっていうところですよね。
すごいですね、そこ。
深くきちんと面白い考えられて。
だから、今回は彼女の反省っていう話で、
次回はどちらかというと、
今の彼女の現状とこれからっていうところについて、
これも非常に、私はすごく感動しちゃったお話がいっぱいあるので、
ぜひ楽しみに聴いてください。
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パリから学んだブレない自分の作り方をどうぞお楽しみに。
さゆみさん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
あきでした。
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