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はい、こんにちは、あきです。今日も、パリから学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日から新しいパートナーと一緒に番組を進めていきたいと思います。さゆみさんです。どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
さゆみさん、簡単に自己紹介をお願いします。
はい、さゆみと申します。パリに住んでほぼ丸8年、もうちょっとで9年になるかなという感じです。
はい。パリに9年弱住んでいらして、今はどんなことをされていらっしゃるんですか?
今はイメージコンサルタントというお仕事をしております。
スタイムではないんですが、時間のある時に、例えばパーソナルカラー診断、どういったお色があなたにぴったりなのかというのを診断して差し上げたり、骨格診断とか、あなたの骨格をチェックして、それをもとにお洋服のアドバイスをして差し上げたりというお仕事をしております。
あとはショッピングを同行したり、ダウンシャリのお手伝い、クローゼット診断という、そういったこともしております。
はい、私も実はお世話になっています。
これからまた徐々にさゆみさんのこともお話しいただくことになるとは思うんですけれども、この2人で番組を進めていきたいと思います。
それでは本編スタートです。
はい、それでは本編です。
私は今コーチングという仕事をしているんですけれども、何かを犠牲にしたりすることなく、一般常識にまみれた古い体質とか考え方とか、自分の価値観を解き放って、心からやりたいことを体現する女性を応援していて、それをコスモポリタンスタイルというふうに呼んでいるんですけれども、
これからちょっとずつこのポッドキャストの中でも、それをまさに体現している人たち、女性たちにインタビューしながら、どんなふうに生き生き生活しているのか、その秘訣もお伝えしていきたいと思っているんですけれども、それが今回第1弾でまずお届けしたいなと思います。
実は先月、東京に1週間弱、本当に強行で帰ったんですけれども、その時にとても素敵な女性に会ってきました。ウーマン魅力学というものを主催しているひろこさんを今回のゲストとしてお呼びしています。
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そのひろこさんという方は元々あきさんの知り合いですか?
実はひろこさんは数年前にブログで知り合ったんだと思うんですよね。
本当に最初に会ったのは多分3年ぐらい前なんですけど、もともとブログで知ったのは本当に4年とか5年とか、ブログで読者としてメッセージのやり取りをしていたという関係なんですよね。
何度かお会いした時に、以前から考え方とか発想とかがすごく似てるなと思っていて、彼女も海外生活が非常に長かったということもあって、ここちょっと1,2年お会いしてなかったんですけども、久しぶりに会って、彼女の考え方とか経歴とかその辺もぜひ皆さんにシェアしたいなと思って聞いてきました。
彼女はアメリカに15年ぐらい住んでいた人で、もともとニューヨークから入ったんですけど、その後ロスにも住んで、その後日本に戻ってきたと。
9.1日の頃まではニューヨークにいて、その後ロスにもいて、戻ってきたという非常に面白い経歴の方なので、ぜひどうぞお聞きください。
こんにちは、ゆきです。
今日は素敵なゲストをお迎えしています。
ウーマン魅力学主催のひろこさんに来ていただいています。
ひろこさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
簡単にまずひろこさんの自己紹介というか、どういうことをなさっているのか教えていただけますか。
今はですね、紹介していただいたように、ウーマン魅力学という独自のメソッドを自分で開発してプログラム化したものなんですけど、
女性を対象に愛を育むパートナーシップを築いていける人たちを増やしていくという活動をしています。
どういう女性たちが多いんですか。
お仕事を頑張っている方たち、それから自分の可能性を信じて、これから生き方を見つけていきたいという人たちが多いかな。
結局、パートナーシップを軸にしているところ。
軸にして、そうですね。
それはパートナーを見つけたい人、それともパートナーがいる人?
両方かな。今まだいないという人もいるし、常にお付き合いしている人もいるし、結婚している人もいます。
どういう割合ですか。
割合でいくと一番大きい割合のところは、今お付き合いをしている人がいて、その人といい恋愛をして、いい結婚ができたらいいなという感じかな。
なぜパートナーシップにフォーカスしているというか、ひろこさんがやっているきっかけはありますか。
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私自身は、もともとニューヨークで20年前に、1996年に起業しているんですけど、その時に始めたビジネスがパートナーシップに関するものだったんですよね。
なるほど。
そこにフォーカスしたのはなぜかというと、別にそこがプロであったわけでもないし、得意な分野でもなかったんだけれども、
たまたまその時代背景からと自分自身ができるんじゃないかというアイディアとが合体してできたのが、自分が始めたパートナーシップというところでフォーカスしてやり始めたものなんだけど。
なるほど。ニューヨークで起業するってすごくないですか?
でもね、私から見ると逆に言うと、例えば小学校の時に、私は女社長になりたいんだという夢を小学校5年生の勉強の時に書いたんだけれども。
ひろこさん、書いてたんですか。
そうなんです。人とは違う生き方をしたいなというのがすごく小さい頃からあって、人と違うのが好きだったんだと思うね。
そこで考えたのが、みんな結婚したいって言ってるから、じゃあ私は起業家になりたいみたいな感じで。
小学校5年生?
そうそう。そこからずっとその思いはあったんだけれども、やっぱり女性で起業をやってる人っていうのはその時代すごく少なかったので、70年代とか80年代。
女社長をね。
そうすると、日本で女性が起業をやるっていうのはすごく難しいもの。
それこそ才能とお金と経験と全てが揃わないとできないものみたいなところがあったので、日本ではもう無理だなって思っていた。
それはいつ頃思ってた?
10代の頃も思ってたし、20代前も日本に行った時も思っていた。
アメリカで起業される時に、なぜニューヨークだ?
初めはトロントに…
カナダの?
そう、カナダのトロントにワーキングホリデーっていうのがあって、当時はトロントとオーストラリアかな?2箇所しかなくて、カナダの方でトロントに行ったんですよね。半年間くらい行ったのかな?
ちょうどなんか真冬の寒い時に行って。
寒そうですね、トロント。
クリスマスシーズンに行って、マイナス18度とかそんな世界のところに行って、英語の勉強だけしてたんだけれども、このまま勉強だけしてても面白くないなっていうのを思って、
当時ニューヨークにいたお友達のお友達がいて、ニューヨークどう?っていう話聞いたら、なんでトロントにいるの?っていう話になって。
意味がわからないみたいな感じのことを言われて、あ、そうなんだみたいな。
ニューヨークは気になってはいたんだけれども、なんとなくなんだろうな、当時テレビとか見てると、芸能人の人たちがニューヨークから帰ってくると、みんな黒ずく目になってたから、なんかそういうの嫌だなと思ってて、ちょっと抵抗感があったんだけど、
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でも、そんなにいいって言うんだったら行ってみようと思って、行ってはまっちゃったの。
ニューヨークの魅力ってどんなところですか?
ニューヨークの魅力っていっぱいあるんだけれども、私が魅力に感じているのは、どんな人にでも可能性があるっていうところかな。
やっぱり、パリもいろんな国だと思うんだけど、いろんな人種の人たちがミックスして住んでいるから、世間とか常識に縛られないことがあるっていうところかな。
逆に言うと、自分のそういう縛られない反面、自分を強く持っていないと生きていけないところもありませんか?
それはすごくあると思う。やっぱり自分の主張というか、自分がどうしたいかというか、主体性に生きるというところがすごくポイントになってくると思う。
最初はそれがわからなかったから、日本のまんまで行くじゃん。
そうすると、存在を消されるというか、いるのに誰も気づいてくれないみたいな。
悲しいんですよね。
存在感がないみたいな。
何回も会ってるんですけど、初めましてみたいな。
ちなみにニューヨークで起業して行った時って何歳の時だった?
23?
それまでのひろこさんとその後のひろこさんって何か違いあります?
ひろこさんのニューヨークとの経験で。
行ってすぐ変わったわけではなくて、いろいろなものを見て経験して、徐々に自分自身ができてきて、強くなっていった。
心の筋の力を鍛えてっていうような感情なんだけども、まず23歳で向こうに行って、その時ってすごくサリフイメージが低かった。
ひろこさん自身が。
もう何も可能性がないし、何もできない私で行った。
行く前からそういう状態で行ったって感じ?
そうそう。だけど本当に自分の可能性ってないのかなって。
もしこれでニューヨークとか行って、ないっていうことがわかったんだったら、ないんだからしょうがないんだぐらいに思えるかなっていう気持ちで海外に行った。
その時に自分の中で時期って決めてた?どれぐらい頑張ってみようとか、それともニューヨークで骨を埋めるつもりで行くっていう感じ?
最初はよくわからないので、とりあえず数年でも行けたらいいなっていう感じで。
徐々に住んでいく中で大好きになって、骨を埋めるんだぐらいに思ってたけど。
結局何年いらっしゃった?
ニューヨークは10年で、その後ロスに来ないんだって。
15年間アメリカに住んでた?
16年弱かな。
そこでご家族も結婚されたのもニューヨークですよね。
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帰るきっかけになった、帰国しよう、骨を埋めるつもりだったニューヨークで帰国しようと思ったきっかけはどういうこと?
帰国しようと思ったきっかけはいくつかポイントがあるんだけど、
一つはビジネスを、会社を経営していて、その会社を大きくすることに注力して頑張っていたので、
一時期はIPを目指したりしていたので。
やり手の女社長ですよね、まさに。
でも当時は会社をやるってそういうものなのかなっていう。
一人様企業とかっていうのがなかったので、会社ってそういうものだよねって従業員を雇って大きくしていく。
何人くらいいたの?
150人かな。
すごい。
会社をさらに大きくしていかなきゃいけないってなると、燃焼が上がっていったりすると、自分自身も成長していかなきゃいけないし、
いくつかのいろんな段階を経て成長していかなきゃいけないんだけど、
そういう中で子育て、子供が小さかったので、子育ての部分と会社の成長のところが結構重なっちゃって、
どちらかを犠牲にしないとやっていけない状況になっちゃったときに、
時間的にまず無理ですもんね。
難しかったよね。
結構飛び回ってたので、例えば月に2週間くらいは子供から離れてた生活をしてたの。
ニューヨークからコロスに行ったりとか、サンフランシスコに行ったりとか、いろいろしてたの。
月に2週間いないときにはベビーシャさんに来てもらって、たまにコンビニ見てもらってはいたんだけれども、
子供が成長していくと同時に、本当に子供がこれでいいのかなって、
性格がベビーシャさんになってくるんだけれども、誰の子供かわからなくなってくるみたいな。
その成長ってちなみに何歳くらいと何歳くらいの?
もうそれこそ、子供が生まれる前からやってたから、
でも一番それを考えるポイントになったのが、息子が3歳とか4歳になって、下が2個違うんだけど、
1歳、2歳になったときに、幼稚園とか小学校とかになったときに、
もっと自分がお家から離れることが多くなったときに、まず子育てできないなと思った。
子育てしないという選択も多分あるんだと思うけれども、私はそれを望んでないなと思うので、
夫との時間もそうだし、子供との時間、ファミリーと人との時間というのは、
一番大事にしていきたいなと思って結婚したので、大事にしたいものがやっぱりできてなかった。
会社というのは従業員の人たちの生活もかかっているから、そこは責任あるし守っていかなきゃいけない。
一番何に注力がいかなくなるかというと、家庭に甘えが出てしまう。
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それがやっぱり、このままだと、私が思っていた大事にしたいものがまず大事にできない。
なおかつ会社はどんどん走っているから大きくしていかなきゃいけない。
どうしようと思ったタイミングがあって、同時に主人がそのときに、
主人の転機にもなって、弁護士を目指したということになって、
キャリアの転機が来たのね。
その相談があって、相談があったときに、もうこれはタイミングかな、
このまま会社を大きくしていくという選択もあるけど、もうできないなと思った。
たぶん自分自身の成長もついていかなかったと思うし。
このまま中途半端のまま走り続けるわけにも。
もう行かないので。
だから一旦ここで問題をして、会社を閉めてというか売却して、
主人が日本のロースクールに通いたいと言ったので、
じゃあ日本に戻ろうかなというふうに思った。
日本に帰ってきて、行ったり来たりはしたと思うけど、
15年間アメリカに住んで、日本に戻ってきたときのカルチャーショックとかありました?
逆カルチャーショックみたいな。
ある程度は想像はできていた。
しょっちゅう日本にも帰ってきていたし、日本はどういう状況かというのは分かっていたけれども、
ただやっぱり旅行者みたいな気分で帰ってきていたから。
そうよね、もちろん。もう家はニューヨークっていう感じ。
だからいざ住むとなると、子どもの幼稚園だとか住む場所だとか、
いろいろと環境を整えていく中では、やっぱりね、
海外に出たときに、なぜ海外に出たいと思ったかというと、
やっぱり日本がすごく窮屈だった。
その窮屈感、同じものを感じちゃったみたいな。
戻ってきたときに変わってなかったんだ、その感覚が。
変わってない。
どういうところにそういう窮屈さを感じたりしていましたか?
もうね、くだらないところなんだけれども、
例えば、主人とお買い物に行きます。
例えば、店員の方が名刺をくださったりするじゃなくて、
アメリカだとレディーファーストだしっていうのもあって、
必ず奥さんの方に名刺くれて、夫の方だけど、
日本ってくれないのよね、女性に。
女性、旦那さんだけ?
むしろ。
またそこでも存在感が消されてしまう。
存在感消されたみたいな。
子どもの例えば、学校に行ったりするじゃないって、
いわゆるママ友達がいたりするじゃん、クラスのママたちがいて、
そのときに会話が、例えば海外だと、
あなたは何してるの?
ありますね、そういうこと言うの。
でも日本の場合だと、旦那さん何してるの?
えっ、私?
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聞いてくれないの?みたいな。
そういうときに自分から言っちゃったりする?
言わないんだけど、
これは合わせなきゃいけないと思って合わせていくんだけど、
そういう一つ一つ存在感消されるところが窮屈な感じだかもしれない。
自分の中でアメリカで学んだりとか、
アメリカで培った、セルフイメージもだいぶ上がってきたわけじゃない?
その15年で会社もとして。
それと日本の中でどうやってうまく適応してたとか、
バランスをうまく作った?
時間がかかりました。
どれくらい?どれくらいって聞いていいのかわからない。
どうだろう。
海外にいるときの自分と、日本にいるときの自分が
同一してきたのが、やっぱり3年も4年もかかった。
最初はやっぱり日本にいるときの自分を作ってた感じ。
前にいたときの自分ってこと?
前のときの自分とは結婚もしてるし、子供いるしっていうところで、
全然違うんだけど、会社もやってたしっていうのがあったから。
だけど、合わせていかなきゃっていうか、
あまり自分を出しちゃいけないなっていうのはあったから。
じゃあアメリカでの部分をちょっと抑え目にする?
かなり抑え目。自分の意見を言わないとか。
それで苦しさを感じたりとか。
そこもやっぱり窮屈感の一つだったね。
自分は出せない。
で、その3,4年かかって自分の中ではどういう結論になった?
自分次第だなって思って。
自分次第で別にどこにいても変えられるというか、
自分がどう感じてるかによってのところが大事だなっていうことが
環境じゃないってところですよね?
そうそう。
仕事はもう…
はい。どうでしたか?このひろこさんのここまでのお話。
ひろこさんってとても穏やかで優しそうな
喋り方からだけするとそういうふうに聞こえるんですけども
とても心が強くて決断力のある方だなという感じがしました。
そうですよね。
例えばどういうところの決断力?
そうですね。置かれた状況と自分自身がどうしたいのかっていうことを見極める。
自分にとっての優先順位、何が最も大切なことなのかっていうのを見極める決断力というか
そこはすごいなと思いました。
やっぱり会社で社員も50人いるような会社の社長さんをやっていて
同時に子育ても母親があるっていう
妻でもあって
どっちを選ぶかって究極の選択っていうか
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どんな女性でも迷うところだよね。
だけど彼女がインタビューの中でおっしゃってたみたいに
自分は子育てをしないっていう選択もあったと思うんだけど
そうではなくてやっぱり結婚したのもパートナーといい関係を築いて
家族を作っていきたいっていうことが自分にとって大事だったっていうことをおっしゃってたので
そこで大きな会社を持っていようが
自分にとっての大事なことっていうのをちゃんと見極められたところがすごいなと。
会社の方を優先させちゃう人もきっといる中で
家族にしわ寄せが来たりっていうこともあり得たわけですよね。
確かに2歳と4歳って
すごい手がかかりますよね。
確かに2週間離れてたら忘れられそうですよね。顔とかね。
本当にそうです。
だから彼女のやっぱり
サラッと言ってるけどやっぱり大事なことっていうのに常にフォーカスしているところっていうのは非常に大事なマインドですよね。
すごくよく自分に向き合ってるというか
そうですよね。わかってらっしゃるね。
ちゃんと自分の軸を持っているというかね。そこは素晴らしいなという感じがしましたね。
またちょっと次回は彼女が日本に帰ってきてからの話を伺うと思ってますのでぜひ楽しみにしていてください。
はいエンディングの時間が来ました。
さゆむさん初めてのポッドキャスト出演いかがでしたでしょうか。
最初ちょっと緊張しましたがとてもいいインタビューのひろこさんのお話が聞けてすごく楽しかったです。
この番組では皆さんの感想や質問をお受けしています。
パリプロジェクトと検索していただくと私のオフィシャルサイトに行きますのでそちらのお問い合わせからポッドキャストを選んでいただき質問や感想を送ってください。
どしどし応募をお待ちしています。
それでは次回のパリから学んだぶれない自分の作り方をどうぞお楽しみに。
さゆむさん今日はありがとうございました。
秋さんこちらこそありがとうございました。
それではまた来週。秋でした。