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親愛なる皆様、アロハです。幸せって何だっけ?研究所、愛です。
今日はですね、カナダでの子育てについてお話ししたいと思います。
カナダね、特にバンクーバーはいろんな民族の人たちが集まるモザイクな街なので、
本当に子育てしやすいよなっていうようなお話は以前もしたんですけれども、
あと一つね、自分が子育てし始めてから気づいたことがあります。
それがですね、ガミガミかーちゃんを見ない。ガミガミ。
ヒステリーにね、ヒステリックにね、
こらー!とか、そっち行かない!とか、なんでそんなことするの!とか。
なんかね、公共の場でお母さんがね、子供になんかこう叱りつけてる。
そして子供はね、地面に転がってうわーって暴れてるみたいな。
そういうシーンを日本では割と見たような気がするんですけど、
こっちではほとんどないなーって思ってて。
まあね、かーちゃんってそれはもうね、大変なお仕事なので、
お家ではね、いろいろバタバタしたりガミガミしたりもしてると思うんですけど、
なんかお外でね、公園とかスーパーマーケットとか、
なんかね、公共の場でそういうガミガミかーちゃんとね、
自弾打踏む暴れ回る子供をあまり見ないなーっていう風に最近感じております。
なんでだろうなーっていう風にちょっと考察をしてみました。
私の考察なんで正しいかどうかはちょっとお任せしますけれども、
バンクーバーはね、多国籍の民族が集まる街なんですけれども、
そういうカナダのね、バンクーバーのお母ちゃんたちの特徴として、
子供に対してすごく対等に話している。
一人の大人と話すように、もうそれが1歳、1歳だったらどうかな、
1歳児であっても2歳児であっても3歳児であっても、
もうコントロールではなくて対話している。
もう落ち帰るよ、あと5分で落ち帰るよ、それ以上はもうないよ、
これは私たちのルールだからねっていう風な感じで、
感情をそこに乗せずに大人、一人の人間として扱っている。
そういう風に扱われる子供は、やっぱりその一人の人間としてそれに受け答えしている。
ギャーって暴れたり、そんなことしないよとか反抗したりせずに、
OKみたいな感じで、5分たったらね、ルールだから一緒に帰りましょうみたいなね。
ちゃんとね、言うこと聞いてるっていうよりも、
その対話の末につつがなくことが進んでいるっていうような印象があります。
対等に話している一人の人間としてね、人間同士として。
あとは人の目をそんなに気にしないっていう印象はあります。
だからといってね、暴虐婦人に振る舞うとかね、好き勝手なことするとかそういうことではなくて、
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そもそも人種も文化も違うので、肌の色もね、衣装も違うし、民族衣装を着てる人もいれば、
ターバン巻いてる人もいれば、肌の色も違うし、そもそも違うから、
他と同じじゃなきゃいけないっていう、そういう意識がないんじゃないかなっていう風に感じます。
その2つですね。
それに加えて、そもそもカナダの人たちは基本的に本当に子供とかね、ママにとっても優しいんですよね。
以前のエピソードでもお話ししたと思うんですけど、
例えばバスとか電車の中でね、赤ちゃんって泣くじゃないですか、おっぱいしたりとか、
濡れて気持ち悪いとか。
お母さんたちはね、もう心も凍るような思いでもう泣き止んでくれって思うわけなんですけど、
そういう時にね、子供がバスの中でね、ベビーカーで泣いたりしてたら、
向こうの寝席からね、知らないおっちゃんがね、こうやってベロベロバーみたいな感じで、
ビカブーとか言ってこうあやしてくれたりとか、
なんか、オッケーなんだよって泣いてて当たり前だよねっていう風に声かけてくれたりとか、
あとベビーカーとかでね、こうちょっと段差があったり、エスカレーターでね、ちょっと引っかかってたりしてると、
助けてくれる。すぐ助けてくれるんですよね。
なんかそう、子供やママだけじゃなくて、本当に車もね、車道であっても、
ベビーカーだけじゃなくて、人を優先してね、ちゃんとどうぞっていう感じで止まってくれるような、
そういう優しさとか大らかさみたいなものがあるなっていう風に感じます。
でその、なんでそんなに人に優しいのかなっていう理由もそこで考えてみたんですけど、
やっぱりなんかこうね、英国式と言いますか、レディーファーストの文化とか、
あとスーパーヒーローね、北米の人風スーパーヒーロー大好きですよね。
弱いものは守るとか、困っている人は助けるって、
そういうね、文化が優しさにとか大らかさにね、つながってるんじゃないかなっていう風に思ったりします。
で、じゃあ日本は人に優しくないのかって言ったら全然そんなことはないんですけども、
じゃあなんで日本では結構ね、ヒステリックに叫ぶお母さんとか、大暴れするキッズたちとか、
あとそれをなんだよって顔をしかめるおじさんとかね、そういう構造をよく見るのかなっていう風なこともちょっと考えてみたんですけど、
でもそのね、その考察としてね、実はイライラガミガミしちゃうっていうね、
そのお母さんたちのイライラガミガミの根本に、なんか日本人ならではの優しさっていうのもあるんじゃないかなっていう風に私は思ってます。
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人に迷惑かけちゃいけないとか、時間に遅れちゃいけないとか、なんかそれって自分よりも相手を尊重する優しい心から来てると思うんですよね。
それゆえに、なんか早くしてとか、もうくださいで、もういいから、それ触らないでとか、
なんかそういうね、人を尊重する、相手を尊重するがゆえに、なんかね、イライラガミガミモードにスイッチが入ってしまうんじゃないかなっていう風に思ったりします。
あとはまあ人の目を気にしますよね。日本に帰ると私もちょっとモードが変わって、なんか恥ずかしいことは、
こんな服はカナダでは着れるけど、日本ではちょっとどうかなとかね、いろいろ恥の文化とかね、人の目とか、みんなと同じでいようっていう、なんかちょっとね、そういうモードになっちゃったりするんですけど、
特に子供を育てたりしててもですね、やっぱり危ないことをしたりとか、なんか公共でね、ちょっと変なことをしようとすると、もうやめなさい、やめて、みたいな恥ずかしい。
まあそういうスイッチがね、またオンになっちゃうわけなんですよね。
なんだけど、これってまあ子育てだけじゃなくて、やっぱり相手を思うがゆえにこうあるべきとか、こうする、こうしなきゃいけないとか、べきなら、べきべき、べきべきのね、
鎖たちが、なんか今感じていることとか、本当に本当に大事なことっていうものをねじ伏せて、ただただイライラとガミガミに繋がっちゃってるんじゃないかなーなんて思います。
で、やっぱりね、カナダに住んでて思うのは、日本の人は本当に真面目なんですよね。そして本当に優しいんですよね。
なんですけど、人に優しくて自分に厳しすぎる。自分に厳しすぎるんですよね。自分へのツッコミがどれだけ鋭いかっていう。
こっちなんか本当にフワフワですよ。なんかフワフワですよ。自分へのツッコミ多分ね。
ちょっとギター弾けたらね、俺はギタリストだってね、胸張ってね言っちゃうし。
それはいいんですけど。自分に厳しすぎる。そうすると、自分が厳しいがゆえにやっぱり人にも厳しくなっちゃうんですよね。
それは、私だってこうやってちゃんとしてるんだから、我慢してるんだから、あんたもちゃんとしなさいよっていうふうに、なんか負の連鎖というか、べきべきの連鎖がそこに生まれてくるようなって思うんですよね。
なので、もうちょっと心を緩めてですね、もっともっとまずは自分に優しく、そして誰かに優しく、そういう世界を作っていけたらいいなっていうふうに私は感じております。
育てってね、私もやってみて初めてわかったけど、マジで大変なんですよね。1人でもこんな大変だったらどうなんだ、3人とか5人とか10人とか育ててる母ちゃん達いますけど、マジで大変なんですよね。
だから本当に1人で、1つの家族だけで育てるっていうのは本当に本当に大変なんですよね。
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なので、なんかね、ソーバスの中で泣いてる赤ちゃんがいたら、なんかね、一番泣きたいのは本当にお母さんなんですよね。
だからもう大丈夫だよって声かけてもらったりとか、そうやっていないのにバーって怪してもらったら、もう一生忘れないぐらい涙出るぐらい感謝なんですよね。
だから、自分もね、かつて子供だったんだなーって、誰かにね、おむつ変えてもらってたんだなーって思ったら、ちょっとはね優しくなれると思うし、
まずね、あのー、まずはね、自分への優しさ。自分がね、こうすべきとか、こうしなきゃいけない。
自分のね、べきべきの鎖をね、解き放つことで、イライラとかね、ガミガミモードのスイッチをね、ちょっとずつね、こう溶かしていけるんじゃないかなーっていう風に感じます。
本当にね、そういう小さな優しさをね、まず自分から、まず私からね、広げていきたいなという風に感じた、そんな発見でございました。