1. 愛はフラクタル
  2. #370 「共に哀しむ」こと..
愛
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・「苦」を見ながら、それを空じていく。 ・わたしと、わたしとひとつながりの彼らの命を信じ抜くこと。 ・わたしをみくびってる場合じゃない


あの美しい街が、そこにくらす人々が、1日でも早く癒されていきますように。

祈りと、その祈りを体に通して行動として、わたしもできることをしていきたいと思います。



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親の愛なる皆様、アラハです。愛です。今日は8月13日日曜日ですね。
7時半ぐらいかな、PM、夕方ですね。夕方の日曜日にね、Pちゃんを日向ぼっこさせているなうでございます。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。日本はね、お盆タイムだし、里帰りしている方なんかも多いのかなと思いますけど、私は通常通りの日曜日でしてね。
今日は朝から、ゆーたろと公園に行って、1日中遊ばせて、そんな平和な1日だったんですけど、
まあとにかくバンクーバンのいいとこってね、公園がたくさんあって、それも結構ね、緑も多くて、木も大きくて、
なんだろう、で、ちっちゃいウォーターパークみたいなのがね、あって、夏なんかはね、ただただそこにね、子供を放っておくということで1日を過ごしておりました。
なんですけど、ちょうどね、それで遊ばせてる間にちょっとね、本読んだりとか、
ニュースチェックしたりとかするんですけど、ハワイのですね、マウイ島のね、ラハイナという町が山火事で消失されたという、消失されてしまったというニュースを、
私今日初めて聞きましてですね、テレビもないし、普段ニュースとかもね、あんまり毎日ね、チェックしているわけじゃないので、
初めて知って、いやーなんか、めちゃめちゃショックというか、まあ私もね、マウイ島行ったことあるし、ラハイナもね、訪れたと思うんですよね。
数年前ですけど、本当なんだろう、そこにね、家族がいらっしゃる方もいるし、親戚が住んでるという方もいるし、
そうじゃなかったとしてもね、本当に大好きな町なので、それが本当に一瞬、一瞬にしてそうやってね、みんなに愛されて培われてきた町っていうのがね、火に飲まれて灰になってしまうっていうことが本当にね、
しかもそれがね、アマカジーマー、カナダでもね、いろんな各地でも起こってますけど、
なんかとってもショックでしたね。
本当にね、胸を痛めていらっしゃる方たくさんいらっしゃると思うし、何よりもね、その憎しんとかね、お知り合い亡くされた方もいらっしゃると思うし、
そこに住んでる方ね、避難された方のことを思うという感じなんですけど、
まぁ何だろうなぁ、今回特にね、ハワイっていうね、たくさんの人にとってとってもスペシャルな土地だったっていうことで、ニュースのショッキング度もあると思うんですけど、
でもまぁカナダでもね、アメリカでもヤマカジーって本当に毎年どんどん広がっているし、
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そうじゃなくても、ヤマカジーじゃなくてもね、地球上ではいろんな天災とか起こっているわけで、
天災じゃなかったとしても、やっぱ人為的なね、いろんな悲しい出来事とか戦争ももちろんだけど、本当にいろんなことが地球で起こっているわけで、
私たちの知ってるところのみならず知らないところでもいろんなことが起こっているわけで、
なんか本当になんかね、胸が痛いなぁと思うんですよね、そこを想像するとというか、そういうニュース聞くたびに胸が痛いし、
で、そういう胸が痛い、なんだろ、胸が痛むと同時にニュースにさえならない悲しいこと、ニュースにさえならないっていうかなんか本当にいろんなこと起きてますよね。
が、いっぱい起きてるんだなぁっていうことにも同時になんかね、胸を痛める。
で、胸を痛めるしかない、祈るしかないっていう、自分のなんていうのかなぁ、小ささというかに、なんてね、あのさらに胸が痛まるっていうね、そんな連鎖に陥っています。
まあでも祈りはね、無力じゃないと思うし、ここで何というか、共に悲しむ、共にあるっていうことは決して無駄じゃないとは思うんですよね。
でもって、私は私の日常の中で何ができるかっていう話だと思うんですけどね。
でも本当カナダのね、火災も毎年、10年、13年前来た時、もう多分怒ってたんだろうけど、こんなに何だろうなぁ、ひどくはなかったっていうか、
まあ山火事ってね、その自然発生するもので、やっぱり古い木は燃えていかないと新しい木がね、植物が生えてこないということで、まあ自然にとっては必要なことだと思うんですけど、
やっぱりあの年々ね、気候というか気候変動もあって、雨も少なくなって温度が高くなって、なんか体感的にね、ちょっとどんどん暑くなっているぞ、なんだか夏がこんなじゃなかったよなぁみたいなものって体感的にあると思うんですよね。
で、火災もそれと同時にすごくひどくなってきて、だからなんか本当に明日は我が身というか、いつ自分がそうなってもおかしくないんだろうなぁっていうこともね、すごく思いますよね。
で、その時にどういうふうに立ち振る舞えるのかっていうのを、やっぱり今からね、なんか心配して恐れる恐怖からっていうよりは、もう本当にその時に、それがあった時にどういうふうに立ち振る舞えるかっていうことを、
今から作っておくしかないし、もちろんそのコミュニティっていうかね、助け合える絆とかコミュニティっていうものを作っておくっていうことだし、準備しておくっていうことだし、
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なんですよね、本当に何ができるんでしょうかという話なんですよね。
でもだからこそなんかね、そういう意味でもなんか自分の幸せのことだけね、もちろん自分の幸せのことだけ考えてる場合じゃもちろんないし、
で、自分をね、私はちっぽけな存在だとかね、私なんてみたいなね、どうせみたいな、自分を見くびってるね、場合じゃないよっていう、そういう話なんですよね。
だからこそ本当に自分を全部発揮するしかないっていう、何が起こっても大丈夫って言えるように自分を全部発揮するしかない、今日、今、この瞬間からっていうことなんですよね。
で、それってなんかあのよく言われる、なんだろう、んーと、まあスピキュエでよくあると思うんですけど、ありがちだと思うんですけど、なんか愛だけにフォーカスするんだみたいな、
良いことだけにフォーカスするみたいな、で、悪いことは見ない、ニュースもつけない、まあニュースもつけない、テレビを見ないっていうのはね、まあ自分で情報収集、
言えない、取捨選択するっていうのはいいと思うんですけど、なんかこう、何が起きているかっていうことをシャットアウトしてそれを見ないようにして、で、良いこと、
愛だけにフォーカスするっていうふうに良いことしか考えない、そうすれば悪いこと、自分の周りには悪いことは起きない、みたいな、なんかそういうちょっと偏ったスピリチュアルみたいなのってちょっとね、結構ありがちだと思うんですけど、
で、私もそこに陥りがちだった時期もあったんですけど、それってやっぱりなんかちょっとね、本当にそれでいいのかなっていう、まあそれでいい人はいいと思うんですけど、
私自身はやっぱりちょっと、うーん、そうはいられないなって思うんですよね。やっぱり周りで本当にそういう最前線でね、活動していらっしゃる方もいるし、いろんなね、さかやかくじでいらっしゃるし、で、そういう人たちの話とか、そこで起きていることっていうことに耳を傾ける、知っておくっていうことも非常に大事で、
それに対して私が直接ね、そこの現場に行って助けるとか、戦争を止めるとかね、暴動を止めるとか、井戸を作るっていうことができなかったとしても、それを知っておくって、それを誰かに伝える、で、それを見ておくっていうこともすごい大事だなっていうふうに思うんですよね。
で、それ何かっていうと、やっぱり、何だろう、共に悲しむっていうことなのかなーって思っていて、だから今日みたいにね、その火災のニュースを聞いて、町を失った人、大事な人を失った人のニュースを聞いて、本当にもう胸が痛むし、できれば聞きたくないわけですよ、そういう悲しいことっていうのは。
普通にね、子供が遠い平和に公園で遊んでよかったなぁ、ちょっと最近暑いけど、みたいな、それで一日済ませられたとしたらそれでいいわけで、なんだけど、でもそれを知って、そこのその真ん中にいる人とともに少しでも共に悲しむっていう、そして祈るっていうその人たちが、その町がもう一回命をね、
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吹き返せるように祈る、でできることをするっていう、それだけしかできないし、でもそのそれだけっていうことにどれだけの力があるかっていうことをちゃんと信じておくっていうのは大事なんじゃないかなっていうふうに思った次第でございます。
はい、そうなんですよね、まあこの間のホロス宇宙塾のね、8月?7月のホロス宇宙塾か、で大蔵マンダラのお話で観音院のお話、前のエピソードでもしたと思うんですけど、で観音様っていうのは、慈悲中の慈悲のエリアっていうか、まあそういう力があって、で何かっていうと、本当に世界の音を聞く、で世界を見る、観音だから、音を見るっていうふうに書くんですけど、
だから本当にそのこの世界で起きていることをすべて悲しい苦しいこと、怒りに狂っている人、誰かを殺したいって思っちゃってる人、でも本当に殺してしまったっていう人もいるかもしれないし、その逆もいるかもしれない、傷つけられた人、傷つける人、傷つけられた人、
大中小いろいろあるけれども、すべてがね、すべてのことに、すべての世界で起きていることに耳を傾ける、で共に悲しむ、それがその観音様の役割だっていうようなお話を聞いていて、
だから悲しむ、共に悲しむことしかできないって思っていたんですけど、その共に悲しむっていうことの意味とか、そこから何が立ち上っていくのか、何が何を立ち上らせていけるのかっていうのは本当に、
なんていうのかな、私たちが思っているよりも、実は深くて大きい、何かそれこそ慈悲のようなもの、愛と呼ばれるものっていうものがそこに隠されているのかなっていうふうに思うわけです。
いろんなことありますけど、頑張っていきましょう。頑張って生きるしかないですよね、本当に。
ファクトフルネスっていう本の話もしましたけど、やっぱり昔からいろんなことがあるわけですよね、1000年、2000年、2000年、3000年、数億年と人類ね、いろんな時期を経てきて、いろんなことが起きてきたと。
今ってネットでこうやって海の向こうの話とかも見れるわけで、そうじゃなかった時代っていうのは、ただただ自分の耳、それこそ自分の耳に入ってくるエリアの情報しかなかったわけで、
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だから、この星の上で何が起きているかっていうことをキャッチできるようになったからこそ、余計にね、多くの悲しいこととか、息取りを感じるようなことっていうのもキャッチできるようになった。
もちろんその逆もそうですけどね、でもまあ往々にしてハッピーな情報とかね、平和だよっていうニュースって別ニュースにならないわけで、ニューじゃないからね。
だから、なんだろう、何が言いたかったんだっけ、そうそう、だからね、だからそうそう世界で起きていること、でもこの世界はもう終わりなんじゃないかとか、
もうカナダもね、明日は我が身なんじゃないか、この山火事がね、遠くで起きていると思ってるけど、本当に近くに迫ってね、自分も同じようにね、なんだろう、そういうふうになことが起きるんじゃないかっていうふうな、
なんかそういう恐怖に巻き込まれずに、巻き込まれる恐怖に巻き込まれずに、でももしそうなったとしても悔いがないように生きられるように、命をつなげられるように、今日何ができるかっていうことにフォーカスしていく。
それはやっぱり、起きていることっていう、起きていることとか、起きえることっていうことに耳を傾けてないと、心向けていないと、やっぱりできないわけなんですよね、多分、だからもう愛の波動なんだとか、良いことだけにフォーカスするんだって言ってるのは、やっぱり陰陽のね、陽の部分だけ見てるみたいな、
なんだろう、昼間の部分だけ見てるみたいな、やっぱり陰陽もね、陰と陽があるわけで、昼も夜もあるわけで、春夏秋冬あるわけで、その半分しか見てないっていうのはやっぱり成立しないわけですよね、だからなんだろうな、どっちも含んで、光も闇もどっちも含んで、
それでもってその中道、中道というかね、中の道を行く、そのバランスを取りながら、恐怖に引き込まれることなく、絶望に倒れそうすることなく、自分の命とかね、人のそのね、あの悲しみ、今悲しみの最中にいる人たちの命を、全部の命を信じるっていうことをバランスを取りながら、
それが道を行くということなのかなというふうにおしゃべりしていて、思いました。はい、だんだん西日も暮れてきてですね、ピーちゃんもちょっと日陰になってきたので、そろそろピーちゃんをね、おねんねさせたいと思います。今日はなんかバンクーバーで流星が見えるらしいんだけど、どうなんだろう、ちょっと暗くなったら外に出てみようかなと思います。
はい、というわけで皆さんね、暑いと思いますけど、引き続き良い一日をお過ごしください。じゃあね、バイバイ。
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