00:03
親の愛なる皆様、アロハです、愛です。
いやー、カナダめっちゃ寒くて、今多分マイナス13度とかあるのかしらっていう感じなんですけど、息子のデイケアのお迎えに行っております。
もう辺りは真っ白でですね、車が雪に埋もれ、
お家もね、木々も全部ね、白い帽子をかぶっております。
綺麗なんやけどさ、めっちゃ寒い。
まあでもね、寒いとか言って、バンクバーで寒いとか言ってたら、サスカチュアンとかね、東の方に住んでるお友達とか、ややマイナス30度とかやし、みたいな感じで、
まあね、どんな寒さもね、どんな暑さも、それにね、合わすものがね、必ずあって、だからといってね、この寒さが消えるわけではないっていうね、話なんですよね。
寒いもんは寒いっていうね。
まあそうそう、その話がさ、ちょっと今日お話ししようとしたことにつながるのかなというふうに思うんですけど、
私ちょっとね、この数日でですね、まあ昨日なんですけど、すっごいなんかしょんぼりしちゃうようなことがあって、
まあまあまあ、それはね、誰かに何かされたとかではなくて、まああの、自然によるものというかね、まあ仕方のない、どう考えても仕方のないことだったんですけど、
でもそれにつけてもやっぱりもうめちゃめちゃ、久しぶりにめちゃめちゃがっかりしちゃってですね、
まあなんか、なんかうわーって叫んだりとか、しくしく泣いたりとか、もうなんかおやつ食べて、漫画読んだりね、しながらちょっと自分をヒーリングをしてたわけなんですよね。
それで、えっと、そうそうそう、そういうことってやっぱりね、あるじゃないですか、何か起きた時にね、すっごい腹が立つとか言って、
なんでとか怒りになったりとか、どうして私が、みたいななんか被害者のドラマになったりとか、まあいろんな感情が湧き上がるわけですよね。
で、それをひとしきり感じてですね、そこに何かこうね、意味付けしちゃうよなっていう、その意味付けこそが何かその苦しみの原因っていうか、なんだなというふうに、私の寒い考えなんですけど、
まあ起きたことは、まあただの起きたことであって、そこにどういう物語を付加するかっていうのは、まあその人のね、物語力次第なんですよね。
でもね、そこで何か落とし穴が一つあるなと思ってて、でも私自身もそうなんですけど、コーチングとかね、いろいろね、心のお勉強とか、あとまあスピリチュアルな学びなどをしているとですね、
03:04
まあ何か起きたことは全てね、自分の心が踏み出したものなんだよとか、あと何かカルマがね、前世のカルマがあってね、それがね、この世に現れているんだみたいなこととか、あとまあね、うーん、まあ何かこういうふうにね、メタ認知すれば、そのね、今の苦しみもね、こういうふうに見えるよねとかね、まあいろいろね、知ってるわけなんですよ、その理屈はね。
理屈は知っていて、でもそれを全部わかっちゃいるけども、腹が立つものは腹が立つとかね、何か悲しいものは悲しいとか、寂しいものはもう寂しいみたいな、そうそう、うーん、そう思うんですよね。
そう、だからまあさっき言ったのとちょっと違うのかな、まあ寒いものは寒いみたいだね。
それで自分の悲しみっていうものが常に、世界にはもっとね、誰か悲しい、もっとすごい悲しみとかもっとすごい苦しみを持つ人がね、必ずいて、その人たちとその人と比べたらなんて幸せなんだろうというふうに、まあね、あの心を落ち着かせるために、そういうふうにね、比較して、そのあるものに感謝するっていうかね。
っていうのはもちろん大事なんですけども、やっぱりね、その湧いてきた怒りとか、そのなんだろうな寂しさみたいなものとかその感情をね、急に蓋してしまうといかんなって思うんですよね。
なのでまあ思う存分ね、メタ認知がどうとかね、あのカルマ的にどうとかね、それは自分の心が生み出しているとかね、そんなことはもう置いといて、もうとりあえずちゃうだいひっくり返すみたいなことってすごい、私にとっては大事なのかなって思うんですよね。
で、ひとしきりですね、まあちゃうだいひっくり返すとですね、まあちょっとね、気が済むっていうか、冷静になるっていうかね、思うんですよね。
そこでまあ自分が、どういう物語を作り出していったのかなっていうことに気づくわけなんですよね。
だからさっき言ってたその起きたことはただ起きたことであって、それにどういうふうにね、物語をつけるかは自分次第で、例えばまあ何かね、そういうね、思いも寄らないこととか、自分の思っていたことと期待外れになっちゃったりするようなことがあったときに、
なんで私だけ?とか、あの人はうまくいってるのに?とか、これは神様の意地悪なの?とか、なんかこれは誰かの呪いなの?とかね、おてんと様が見てたからなの?みたいな、なんかいろいろね、そういう物語で味付けして、でそれによってね、自分が苦しむっていうね、
そういうパターンって結構な、私の中ではあるなーって思っちゃうんですよね。
06:01
それはそのように考えて自分を納得させるっていうことでもあるけど、でもそれがおてんと様のね、神様のね、意地悪なのか誰かからの呪いなのかっていうのは、全然それは真実わからないわけで、
そうっていうか、それのどれでも多分ないわけで、そう、起こってることはただ起こっているだけで、っていうのはなんか私結構、なんだろう、その逆もね、皆さんもそうだと思いますけど、その逆もすごい得意っていうかね、例えばなんかシンクロが起きたときにね、
あ、これはもう池っていうサインだなーとか、なんかこういろんなね、なんだろう、そういうサインを見たときに、こういうメッセージかなーみたいな、そうやってこう物語、日々のね、起きた出来事とか、何か見たものに対して、それをつなぎ合わせて、なんか星と星をつないでですね、星座にしてそれをね、物語にね、として読み取るようにですね。
まあ、良きサインみたいな良き出来事みたいなものも、物語性をね、見出していくのってすごい、結構得意なんですよね。
そう、だからまあそれがコピーライティングに生きていたりとか、コーチングとか、あとリーディングにもね、生きていたりとかする、まあ私のあの得意分野なんですよね。
それがなんかこう、災いと、災いが何かね、起こったときに、逆に転じるっていうかね、普段そのね、素敵なストーリーをね、紡いでいるのに、何かね、良からぬ、自分とってあんまハッピーじゃないようなことが起きたときに、逆のね、呪いの地獄のね、物語をね、紡ぎまくってしまうっていう、
なんか、インテグラル理論でいうところの、パープルのね、世界に落ちてしまうみたいなね、そういう癖があるなあっていうふうに、ちょっとね、今回、はい、思いました。
っていうか、めっちゃ寒いんですけど、手袋してないから、手袋するの忘れた。
なんですよね。あとは言ってもね、起きたことはね、ただ起きたこととか、そういうね、人が鏡とかね、自分、全部自分が生み出してるとか、もう全部知ってるし、ひっくるめて、それに比べて悲しい時は悲しいし、寂しい時は寂しいので、それをね、蓋せずに、ギャーって泣きたかったら、泣いてですね。
そういった時にね、なんか、それを素直に表現することで、なんか誰かがね、優しくしてくれたりとか、なんだろうな、そう、私もそう、そのことをね、今日ね、息づけのね、ちょっと気分を変えようと思って、息づけのカフェに行ったんですよね。
カフェの女がね、まあすごいおとなしい、無口なね、オーナーなんですけど、ああ、そうか、そういうことあったんでねーって言って、うん、そっかそっかーって言ってて、で、なんか、あの、コーヒーできてね、あの、オーダーが来た時に、あの、ジンジャー、ちっちゃいジンジャーブレッドのね、クッキーがね、そっと付け加えられていて、えーとか言って、そう、まあ元気出してねーみたいな感じで、おまけしてくれたんですよね、クッキーを。
09:09
そういうのがすごい嬉しくてね、ああ、なんかあんなに一瞬、昨日は世界を呪っていたけど、やっぱり世界は優しいなーって思うわけなんですよね。だからまあ、どんなことが起こっても、そのね、世界をね、どういうふうにね、どういうふうな物語を紡ぐのは、はい、私たち次第。
次第だけど、このように寒い時は寒いので、はい、手袋履いて、はい、皆様温かくして、はい、お過ごしくださいということで、はーい、今日もね、引き続き良い一日を、お過ごしくださーい、めっちゃ凍えるー、はーい、ばいばーい、あれー、凍えすぎて、ああ、やっと忘れた、凍えすぎて指紋認証が、はい、反応しませんでしたー。
では良い一日を、ばいばーい。