そうですね。なので一番確実なのはそのメンタルヘルスをやることでコストを取るということをイメージしないでほしいということになります。精神科疾患を理学療法することで取るということは今国によって認められてはいるんですけども、そうではなくて脳卒中だとか腰痛だとか普通に生活している予防の分野とかというのに多種多様のメンタルの不調があるわけですよね。
例えば今僕もチリから帰ってきて非常に疲れていると。非常に疲れていると例えば今ここで誰かに何か言われたらもしかしたらすぐ怒るかもしれないし、やる気がなくなったりするかもしれない。これもある種のメンタルの問題なわけですよ。
これがバイオジェネティックというか脳のもので取ると例えばドーパミンの代謝だとかあるいはドーパミンセロトニーの問題とかでそれが足りないんだったら薬を飲みましょうというふうになるんですけど、そうではないのを扱いたいということです。
なるほど。そういう意味では学んでみるともちろん患者さんの対応にも使えるかもしれないですけど、まず自分自身の健全性を保つために使えそうという感じではありますか。
そうですね。もともと僕は哲学とかをずっとやっているというのは何のためかと言っても完全に自分のためなので、自分自身の考え方、そして自分自身と世界との在り方というものをより言語化しようということでやってますので、
世の中を良くしようとか、それで研究費をもらおうとかっていう話ではちょっとないという感じですね。
そういう意味でいろいろ探求されている先生から見ると世の中の理学療法士含めて一般の人かもしれないですけど、自分と向き合うとか自分のメンタルをより良くするためにこういうのをもうちょっと学んでおくといいのになとかこの辺足りないなみたいな気がつくことはあるんですか。
そこがねすごく僕の中で、僕自身に問い立てはしているんだけども、僕は普通多くの人はみんなそういうふうな問いを持っていると思ってたら、持ってないことが結構多いということを聞かされて、逆になんでって思っちゃうんですよね。
だって自分のことじゃんっていう。自分のことを考えないでどういうことなんだろうと思ってしまうんですけども、田代さんの周りとかってどうですか。自分のことを考えていない人とかって結構ありますか。
うーん、まあでもそうですね。やっぱり自分のこと深く考えてる人って、対話しても何時間でも一緒に話すタイプな感じはするんですけど、やっぱり一部なような気はしますし、結局なんか自分は何がしたいのみたいなところの問いかけに答えきれないような人多いかなと思いますね。
それがなんというか言語的な理解というとか言語化の力とかっていうものを一貫横に置いてたとしても、あまり問い立てをしていないということはあると思うんですよね。だからそのネットの話題とかにすごく振り回されやすかったりするし、MBTIとか血液型とかでカテゴライズしてしまうという判断が楽っちゃ楽なんですよね。
B型だからとかっていう。そういうふうに判断をしてしまう。つまりそこには問いがないということですよね。なんでこの人はこんな行動してしまうんだろうということに対して、問いと答えがものすごく早くくっつきすぎちゃうわけですよ。それは問いではなくて、例えばB型って時間にルーズなんでしたっけ。時間にルーズな人が仮にいたときに、あの人B型だもんねっていうわけですよ。
僕らからすると何か遅れてるっていうことに理由があるんではないかっていうふうに問うわけですよね。でも遅れているイコールB型だっていうふうな判断ができるってことは超楽は楽なんですよね。だからそういうふうにある種の、もちろんその人が全てそのB型で済ませてるというのはあくまでも悪い一例としての極端な例だと思いますけど、そういう判断をしている人は必ずしも少なくはないということです。
そうですね。結構やっぱり単純化して考えたいという人は多いかなと思いますし、その中でもそもそもみたいなことを考えるようになるのが、メンタルヘルスとかを学んでいくとそういう理解もしやすくなったりもするんですか。
メンタルヘルスの理解というより、自己理解というところからもう少し広げていくと、自分自身のことについてのことと他者の差というものをちゃんとどこに見ていくかということと、物事の単純化をしないということだと思うんですね。物事の単純化をしないというのはどういうことかというと、理学療法的に言うとガイドラインに従いすぎるということです。
ガイドラインに従うというのは、それが正しいからその通りにしなさい。それがエビデンス史上主義の間違った方向ですよね。それはエビデンスが高いから正しいというのは、その人がどこかで仕入れた知識というものを無のみにして、そして全てに適応しているということですよね。
批判的吟味がなく、この人に本当にそのデータが適応されるかどうかという批判的吟味がないんですよ。そうではなくて、変形性膝関節症だったらこうだよね、脳卒中だったらこうだよね、という一対一対応をすぐさせながるということだと思います。そこがやっぱりすごく難しい。
だから人と自分というのも一対一対応で見てて、私が悲しいときはこの人も悲しいはずだって思っちゃうわけですよね。それはメンタルヘルス云々というよりも問い立て、つまり哲学的な理解というところになり得るのかなと思います。
そうですね。先ほどのD型の話とかも似たような感じですけど、やっぱり一対一ですぐ対応させてしまうっていうのが良くないのかなとか思いますし、なんか以前も成立みたいなときって、それは極的至高だみたいなところもあるというところでしたけど、なんかメンタルヘルスっていうと、なんだろうな、考えてくるとそうやってまた単純化できるものでもないと思うので、
もうちょっと複雑なものをしっかり理解していくのがメンタルヘルスについて学んでいくとしやすくなるのかなという気がしますね。
そうですね。そこが本当に今度もう一個危険なところがあるとすると、メンタルヘルスとかあるいはいろいろなものが複雑であるっていうことの捉え方をしてしまうと複雑だから今度はわからないになってくるわけですね。
わからないから、わからないものをどうやって共有していくかっていったら対話だとかってなるんですけど、それはそれであまりにもコスパが悪いわけですよね。なので僕は今フレームワークっていうのをしっかりやろうとしているわけですよね。
これがあまりにも乱雑なまま整理がされていないとなると、これはこれでなかなか厄介なんですよね。
そうですね。複雑な中でも定式化しやすそうなところがメンタルヘルスの課題だと欲打つみたいなところなんですかね。
僕はね、やっぱり自分の中では欲打つをやりたいなというところはあります。それは単に数が多いからなんですけども。欲打つ、例えば幻覚が見える人よりも欲打つを経験した人が多いと思うんですよね。
例えば腰痛を経験している人と測定顕膜炎を経験している人がいるとすれば、腰痛の人の方が症例数が多いと思うんですよ。だから症例数が多いやつをやりたいということですね。
そうですね。欲打つとかであれば、患者さんの対応だけじゃなくて自分自身も欲打つ状態みたいなところもなくはないですし。
あとそれは働く中だと燃え尽きのバーアウトとかともまたちょっと違う感じですかね。
必ずしも一緒ではないんだけれども、つながってくると思います。
要はバーアウトするまでの解釈とかですね。そこまでやりきらなきゃいけないというのは何なのかというですね。
チャンネルが違うかとは思いますけども、バーアウトしたままうつになる人たちももちろんいると思いますし。
このバーアウトというのは個人の問題だけではなくて、社会的な問題が絶対あるわけですよね。
社会的な問題に対する問い立てというものをいかに見ていくかというのはものすごく必要な理解で。
最近その通りだなと思ったのが、神戸市もそうだと思いますけど、どっかの市が学校の部活を全面的にやめるんですよね。
そうしたらものすごく親から苦情が来るらしいんですよ。
友達の夢を奪うとか、子供のためになんで働かないんだとか。
それが結局学校教育を壊してきたわけですね。
子供のために全部やってきて、1日の残業がそれこそ3時間も4時間も。
朝7時ぐらいに出勤して夜7時に帰ると。
学校の先生って大学は別ですけど、学校の先生っていうのは基本的に裁量労働的なところがあるから、残業がつかないんですよね。
働かせ放題でやってきたと。
確かに給与は高いのかもしれませんけど、子供のためにって言って、休日も祭日も全部部活に出てくると。
これで結局バーアウトしていく人たちが異常に多いんですね。
そのバーアウトの原因は子供のためにっていうキラーワードなんですよ。
これ自体が社会が作ってきたある種の悪なんですよね。
だったら親も子供のためにもう少しやるべきことはあるんじゃないかっていうところが本当は鏡としてミラーとして跳ね返ってくるんだけども、
それを教師に投げすぎるんですよね。
そういうようにある種の社会的にある問題に対する問い立てっていうのをどんだけ見れるかっていう。
その後は僕最近よく言って、怒られてないからまだあれかもしれませんけど、
すごい給与が安い病院とか、これは病院じゃなくていいと思います。
最低賃金は最低の仕事でいいんですよっていうことを主張してるんですよね。
だからそれと同じでなんで最低賃金なのに最高の仕事を求めるのかってこれはお客様のためにとか、
お金いただいてるんだから当たり前だろうみたいなよくわからない考えがあるんですよ。
お金をいただいてる仕事はちゃんとやりなさい。
いやだったらちゃんとよこせよっていうのが本当は消費者なんですけど、
それはそれを言うと意地汚いとかってなるんですよね。
こういうことにやっぱり問い立てをしていかなきゃいけないってことです。
そうですね、その辺は先ほどの学校の先生にもありますし、
病院で働く理学療法士とかでも患者さんのためにみたいな感じとか、
一般的なビジネスパーソン的にもお客さんのためにとかあると思いますし、
そこが日本人の中でのメンタル基調を変える結構共通の部分かなとは思うんで、
この辺のメンタル基調をやってるIKとかもあるけどね。
なのでメンタル変数をやるっていうのは、
社会的なものだとか周辺の理解っていうのもどうしても必要になってくるっていうことだと思うんですね。
ただ理学療法士はその周辺のものを変えられないからあくまでも運動というところにコミットしていくんだけども、
運動ができないっていう状態になった時に、
なんでできないのかっていうのをもう少し社会的なものも見ていかなきゃいけないですよね、
っていうところになってくるんだと思います。
なるほど。
例えば、誰かのためにっていう圧力が強すぎて過剰に労働しないといけないとか、
それで心も疲れて切ったくなくなってるみたいな人に対して、
何か運動を通したアプローチをしていくっていうのを、
どう説明として提案していくといいのかな。
これもうガイドライン的には歩こうってなるんですよ。
だけど、元気がない人は歩けないんですよね。
歩きたくないっていう。
だとすると、歩けない動くきっかけを作るものの一つがやっぱりビーバットになるんですね。
寝た状態からやりましょうという。
あなたが動く最小限のところからやりますっていうところがビーバットの可能性なんですよね。
メンタルが悪いんだったら歩けっていうのはこれはすごい乱暴で、
例えば痩せたいんだったらダッシュしろみたいな感じなんですよ。
太ってる人はダッシュしたくないんですよ。
それがメンタルがやられて落ち込んでいるときに歩けばいいよ散歩行こうって、
誰かが一緒に行ってくれてそれで解決することあるかもしれないけども、
基本的に孤立してたり孤独の人たちっていうのが結構メンタルやられるわけじゃないですか。
その時に歩いたらいいよっていうのはこれめちゃくちゃ乱暴なんですよ。
例えばこのアドバンスセラピスト聞いてくれてる人の中にいるかわからないですけど、
セラピストとして働きながら、
日中は患者さんのためなのか自分の生活のためなのかっていうのもあって仕事はするけども、
平日家に帰ったらもう動く気力もなくて倒れ込んで寝ちゃうとか、
週末ももう起きたくなくてみたいな人もいたとしたら、
そういう時にはBバッド的には一旦寝た状態でも自分の体を感じて、
少しずつ体の格好を取り戻していくみたいなのが流れになります。
あくまでもBバッド的にはですね、
ただ僕はその前にさっきの社会背景で言った時に、
仕事手抜けよって言いますね。
仕事に対してそんなに頑張って何になるんだっていうことの話をよくすると思います。
ある時に僕が最初に臨床哲学に行った時にゼミで、
患者さんに殴られたらどうしますかっていう問いがあって、
殴り返していいだろっていう答えも出てくるの。
なんで患者さんにそんなことをするんだっていうこと自体は、
これは医療者のある種の欺瞞なんですね。
殴られたら殴り返すっていうのは人と人の付き合いとして別にいいし、
生物本性として当たり前だろうと。
だけど患者様に手を挙げたら何事かっていうこと自体の問題は、
なぜ問わないんだっていう。
そういったところも我々やってきたところもあるので、
もちろん殴り返すことはしませんよ。
殴り返すことはしないっていう前提には、
なぜ殴り返さないかっていう理由も知ってるってことです。
だけど場合によっては殴り返すこともあり得るっていうこと自体を
問い立てとしてやっとくかやっとかないかっていうのがすごく重要なんですよね。
だから仕事っていうのに情熱を捧げるとかっていうこと自体は否定はしませんけども、
それで燃え尽きていくっていうこと自体は、
それは何かしら自分自身にそこまで仕事に命をかけなきゃいけない理由があるんだったらいいけど、
ないんだとすると手を抜けってことです。
日本人は誰に言われたっていうわけでもなくても、
頑張りすぎちゃうみたいなところはあるかもしれない。
そういうもうちょっと手を抜けよみたいな言葉だけでもちょっと救いになる人もいるかもしれないですね。
いやだってそんな頑張ったって究極給与変わらないわけじゃないですか。
一生懸命やったら何かが変わるんですかっていうのは変わらないって
もう今の理学療法の業界で証明されちゃってるわけですよ。
だとするとまずいい職場をある程度少なくてやれる給与がもらえるところで、
そこで決められた数を頑張ればいいと思いますし、
それを例えば1日24単位とか見せられて給与がもらえないんだったら、
これは24単位に全部ベストなパフォーマンスなんか出せないですよ。
大谷だって全て100球投げるのに全部165球投げないんですから。
ですね。理学療法師もそうですし、学校の先生とかでももうちょっと肌から見たら手抜いたら
みたいなことも思うかもしれないですけど、現場ではなかなか言えないこともあるかもしれない。
手を抜くっていうネガティブな表現を使ってるからだと思う。
ある種自然体で力を抜きなさいという。
力を入れて全部が全部精一杯フルマックスでやるということ自体は
あなたの間違いですよという形になるということですよね。
例えば全て濃度を取るときにめちゃくちゃ質圧高く書く必要ないわけですから、
そこに無駄なエネルギーを使うっていうのはよろしくないですよということだと思いますし、
例えば別に引っ越すこと自体が問題にないんだとすると、片道2時間かけて通勤する意味ないですよねとか、
いろいろ自分自身が気づいてない、ハッとさせられることを見つけていくっていうのはすごく重要なことかなと思います。
なるほど。そういう意味だと背景には何か絶対に従わないといけないわけじゃないけど、
従わないといけないと思い込んじゃってるとか、さっきの選択肢が絞られてて、
っていうのが今目の前のことに集中しすぎちゃうというか疲労を感じちゃう理由になったりするんですか?
いわゆるそれがドグマですよね。
ドグマと言われるものに問い立てができないっていうこと自体がいけないってことなんですよ。
自分自身がとらわれている何かしらの問題にある種のメタ認知ができるっていうこと自体がすごく重要なわけですよね。
そのメタ認知トレーニングっていうのが本来はすごく重要で、
自分がドグマに完全に絡み取られてるっていうこと自体に気付けないっていうこと自体はある種の不幸の始まりだと。
例えば他の人がそういうことになったらおそらく助けたりすると思うんですよね。
そんな職場辞めたらいいじゃん。
だけど自分は辞めてないってのは何なのかっていうのを十分に自分に問い立てをするっていうトレーニングはしていかなきゃいけないんですよね。
パッとさせられるってことです。
僕も臨床哲学のゼミでなんで殴り返してダメなんだっていうことに対して答えれないんですよ。
人と人だったら殴り返すこともあり得るし、相手が殴ってるんだと。
例えばこれがルールで後から殴り返した人の方が罪が重たくなるとかってなったら法律的なルールとしてはダメなわけですよね。
でもこれが誰も見てないところでお前は一方的に殴られ続けるのか防御してそいつを止めるために暴力で返さないのかとかいろんなことがあり得るわけですね。
そういうのを議論して自分の中のスティグマ、いわゆるドグマっていうのを変化させることができたわけですよ。
だから大胆にそういった対話も本来は必要になってくるけど、これが例えば僕が今の話を大学の授業で理学療法の運動療法の中でそれはやれないんですよね。
患者さんが痛いと言ったと。痛いの我慢しろとかって強く言うとかっていう指導はなかなかできないわけですよ。
だけども痛いのを我慢した時にうまくいく例とかっていうのもないことはないわけですよね。
それってこんな臨床的に経験によって得られていくわけですけども、それを教育していくってのは難しいわけですよね。
問い立てとしてそうなったらどうするって言った時に痛いっていうのだったら止めますと。
だけど痛いのをずっと止めた結果その人の膝が動かなくなったらどうするとかっていうような考えさせなきゃいけないわけですよね。
その考えさせるということ自体が教育者がしっかりやらなきゃいけないことで、部活で生徒たちが楽しくスポーツをやらせるということが学校の先生の仕事ではないということです。
確かに。そこで例えばメンタルヘルスの理学療法について学んでいこうと思った時に、もちろんビーバットみたいなことを学ぶっていうのも一つあるかもしれないですけど、
そういう自分自身とか患者さんであっても何かしらのドグマ的なものに絡めておられたりとか、自分のことを俯瞰的に見れてない時であれば何か一つそういう問いかけをするみたいなことも一つのノウハウとかスキルみたいな感じになるんですかね。
それどうしたらいいかって実はほとんどそういうところやってるところがないんですね。
だからアドバンスドセラピスのコミュニティで僕に投げてもらえば一番いいね。
私こういう感じなんですけどどうしたらいいですかねって。
これがないんですよ。
例えば日本精神心理領域理学療法研究会は8割型精神医学によってますので、ほぼメンタルヘルスのことやってないんですね。
僕が入ってそれを今訴えかけていってるところですけど、どうしても理学療法って保健診療臨床なんですよ。
例えば運動機の理学療法だとか脳卒中の理学療法のところに自費診療の人はいないわけですよ。
だからその保健診療のところからしか動けないっていうそれこそこれがドグマなんですよ。
だからメンタルヘルスを学びたいって言った時にどちらかというと心理学とかを学んでる人たちが多いと思います。
なのでコミュニティに入ってもらえば一旦では触れられるかもしれないっていうのと、
あと最近だとコーチングみたいなのもすごい流行ってるような気がするんですけど、
コーチングともメンタルヘルスみたいなのを学んでいく過程はちょっと違ったりはするんですか。
僕もコーチングっていうところをすごくちゃんと学んでるわけではなくて、
僕はここは偏っててクリフトンストレングスのコーチングしか学んでいないので、
一般論のコーチングとはだいぶ概念は違うと思いますけれども、
あくまでも個人で問いを持ってそれをやりたいっていう人しかやってないですよね。
コーチを受けなくてもいい人にコーチを提供するっていうようなことにはなかなか慣れてないと思いますので、
理学療法士としてどうにかなりたいとかっていうところでコーチを受ける人たちっていうのはそれは非常にいいことだと思うんですけども、
あんたコーチを受けた方がいいよとかってなかなかならないですよね。
なるほど、そうなるとまたどっちかというとポジティブな方がコーチングっていう気がしますけど、
ネガティブなところから戻すのは現状で言うとカウンセリングみたいなのをやってるところもあるかもしれないですね。
そうですね、カウンセリングというふうに言われると思います。
あるいは病気ではなかったら今度はいわゆる教育ティーチングですよね。
確かに、またメンタルヘルスの理学療法とかで何か定式化して例えば薬物みたいなところに扱うというと、
コーチングともカウンセリングとも違う何かみたいな領域に分けられるかというと。
それはもう完全にそうで、理学療法なので基本は運動療法です。
いかに運動するか、例えば運動するって言ったときに脳卒中だったら神経系の勉強をする、運動期だったら関節の勉強をする、
メンタルヘルスというのは基本的には脳の話と、あとはその人の反応というものをやっていきますので。
例えば慢性糖通をやっていくときに糖通メカニズムだけではダメですよね。
それと同じようにいくつかの領域をまたいでやっていくというのがメンタルヘルスの学びになっていきますので。
でもあくまでもアプローチは理学療法なんですよ。
そうですね、例えばメンタルヘルスの理学療法という形である程度体系化した講座みたいな感じにしようと思ったら、どういう学問を学んでいくといいんだろうなという。
これはだから完全に僕がやったのはビーバッドなので、ビーバッドが一番いいと思ってます。
それがビーバッド以外の流派で、いろいろな方法を持っている方、ヨーロッパではいくつかはあるんですけども、日本にはほとんど入っていないんですよ。
日本で唯一いくつか学ぶことが本当に断片的であれできるのがビーバッドなんですね。
だからどうしても運動療法ってなってきた時に、その限界が今のところテクニックとしてあるというのがメンタルヘルスの理学療法なのかなと思います。
これが今度日本理学療法協会でビーバッドやりますって言ったら特殊主義やるなって怒られるんですよ。
ビーバッドは特殊主義じゃないですと。
そう言っても名前がついてたらダメなんですよね。それはすごく一回問題になったというか転化したことがあります。
ビーバッドと呼ばれているものをもうちょっと分解してそれぞれの学問にして学んでいけば、ビーバッドのようなものが身につくみたいな感じにすれば学べてはいける。
メンタルヘルスの理学療法の実技講座だったら通るんだけども、ビーバッドをやりますとダメなんですよ。
実技講座をやるとしたら心理学みたいなものとかも学ぶし、運動としての内省するというか、体の築きとか実際の運動とかで分けられていく感じなんですね。
そうなんでしょうね。ただ僕個人としてもしやるとしたら、そういった広いところまでやるっていうのはもう無理だと思ってるので、
ビーバッドをやってビーバッドでの自己変化というものを経験してもらうということをよくやってます。
体系化させていくには、あまりにも体系化させるための準備と人数が足りませんね。
やろうと思ったらどんどんどんどんまた広がっていきそうな感じがします。
あとはどうしても精神科領域の人たちが反発を受けます。
保健診療が日本は強すぎるんですよ。
実際に保健診療の中で精神科領域で働いている方もいると思うんですけど、今堀先生が見せているところは保健診療界みたいなところなんで、
民間の事業としてそういうプログラムが有するならしてもそれはありかなというところですか。
いわゆる企業産業系、予防系のほうが受けがいいのかなとは思いますけどね。
先ほどの例えば学校でとかセラピストの受けとか産業系で企業でみたいなのもあるかもしれないですけど、
例えば学校の先生とかセラピストみたいな人もビーバット的なものを受けれるとしたら行政主導でやるみたいな感じなんですか。
一番強いのは行政主導だと思いますけれども、行政に訴えかけるほど僕は活動していないので、
行政からそういう依頼があったら喜んでという感じですけど、今自分のいろいろな時間、タイムスケジュールをしたときに、
そこが優先順位に上がってこないですよね。いわゆる一平率として僕が動くのではなくて、
あくまでも僕がプログラマーとかあくまでも広報的な役割だと思っていますので、
そういうのを作ってやれる人を増やしていくしかないと思うんですよね。
僕個人がそれをやることっていうのは、僕は今自分の中では選択肢の中にないんですよ。
例えば産業理学療法みたいな形で、企業とかに対して要するに肩こりのケアなのか、
何かいろいろ提供している人もいるかもしれない。
そういう人がビーバットみたいなものを学んでもらって提供していくみたいなのはないですか。
そうですね。そういうのであれば、だから本来それを協会が先導してやってほしいんだけども、
それがうまくいかないというところですね。
それは僕らの訴えかけが下手くそなのもあると思いますけれども、
だからなかなか広がりきれないところにはいくつもの理由があるという感じです。
なのでもう手っ取り早く僕は海外から学会持ってきて、海外の人たちと一緒にやってたら、
海外ではこんなものなんだっていうのを見せつけるのが早いと思って学会誘致しようとしているんですよ。
そうですね。そういう意味では今のうちにビーバットみたいなことを学んでおけば、
そうやって海外から輸入されるような形で入っていくときに、
もう私できますよという形で活動できる可能性もあるので、今のうちに学ぶというのかなと思いました。
確かにですね。なのでインドでやるのもそうですし、
おそらくですけどこの次のメキシコもちょっと確定ではないけれども、
メキシコのWPTもシンポジストで呼ばれそうなので、
そういうとにかく僕は海外輸入型のアプローチをやって、
日本でコツコツやるのも諦めました。あまりにも無駄が多すぎます。
日本でよくわからない人たちと戦うことを考えると、
海外から輸入して大きな力で叩いたほうが早いと思っています。
そうですね。じゃあそしたらこのアドバンスのセラピスのコミュニティの中でもし
学びたいという人がいれば、ちょっと学べるようなものとかを作っていけると。
はい。ただ学べるものを作りますけど、僕あんまり時間がないので、
一対一でちょっとやってくださいは、無料でやってくださいはちょっと無理がありますので、
相談は乗ります。だけどちょっと系統的にBMATを教えてくださいってなると、
これはもうアルメニア大学に行ってくださいという感じになってきますし、
今それを日本にいかに持ち込めるかということはちょっと相談をしましょう
という話はしているんですけども、アルメニア大学の学びを日本語で学べるようなコースを
どうにか動かせないかというような流れは今ちょっと考えているというところです。
なるほど。そういうコースを日本に入れるところにまた関わるのに
興味があるみたいな人がいれば。
これは無理だと思います。アルメニア大学のところは関係性がないと
全くそれは無理だと思いますので、アルメニア大学のものが日本に導入されて
そこに入学して海外での修士を取るというコースが動いたときに
アルメニア大学に入ってくださいということになります。
海外の修士を取るような…
アルメニア大学に海外修士コースがあって、それを日本でも受け入れると
日本語で受け入れるというようなコースを今山本先生と一緒に
動かしたいという話をちょっとしていて、それができれば
日本語でビーバットを学ぶことができるという。
そうですね。もしそういう形で学ぶことができれば、
逆に今だと日本だとビーバットって何?みたいな感じかもしれないですけど
海外では知れたものとしたら、前半でもあったような海外で活動をしたい人は
何かそれが武器になってくる可能性もあるんですね。
そうなんですよ。だから本当にいろいろなステップと
あまりにも僕の時間が足りなさすぎるということが今一番の問題点で
だからどうしても優先順位を重ねていこうとしたときに
下がっていくことがどうしても出てくるので
思っちゃいるけど動いてないというところが結構ありますね。
言うんだったらやれよって思われるかもしれませんけど
すみません無理ですっていう。
忙しいので。でも広がっていくことによって解決される課題も
増えそうな感じはしますし、個人的にも興味あるので
何かサポートしていけたらいいなと思いますね。
本当に。なので一番大きく多分動き始めるのは
日本にIOPTMHが誘致されるとそこから急激に動くと思いますので
なのでそこからでいいと思います。
そのときにぜひ日本に来てそのいろいろな
もちろんビーバットの紹介とかもあると思いますし
日本のZENとの関係とかもそうですし
インドに来て僕の話を聞いてくださいよりは
日本でやってできるだけ日本語である程度参加できるように
ちょっとやっていきますので
それに来てもらうっていうのが一番いいだろうと。
これが精神心理の理学療法学会に来てもそれはやらないので
IOPTMHの方が早いです。
そうですね。今回行きととおり話す中で
メンタルヘルスの理学療法って何とは違って
何がメンタルヘルスの理学療法なのかっていう部分が
おぼろげにも見えてきたような気がするので
そのところ興味ある方はまたこの配信でも
ちょこちょこ取り上げようかなと思いますし
今後いろいろ情報出てくると思うので
ぜひ知ってもらいたいかなと思います。
もうちょっと時間がかかりますが
動いていくと思われますのでよろしくお願いいたします。