なるほどですね。
自分だとセラピスト的に、普段からちょっと体ケアさせてもらってる人とかでも、最初は体の症状的な具体で四つ肩こりとかもありますけど、やっぱり眠れないんですとか、そういう仕事に対するストレスが強くて休みがちになっちゃいますみたいな人も中にはいて、
そこから診療なんか行くまでのハードルっていうのは確かに人によって結構時間に差はあるなと思いますし、ここはどうなんですかね、もうちょっと早く行ったほうがいい感じですかね。
精神科においてはやっぱりその薬の強さっていうのが、これはどの薬もそうだと思いますがやっぱり強さがあるわけですよね。
いきなり強い薬っていうのは使わないことを考えると、DUPがすごい長くなった人にまずこの薬から行きましょうかって言っても聞かなかったらまた行かなかったりするんですよね。
だから初期の段階だったらやっぱり直後を示すわけですよ。
私ちょっと心に何かあったんかなとか。
例えば眠れない、これ睡眠障害の話ですけど、睡眠に問題がある人たちっていうのはいきなり睡眠薬って飲まないんですよ。
要はハルシオンみたいなやつで。だいたい睡眠導入剤から入ったりとか、あるいは抗不安薬とかを飲むんですよね。
それでなんか寝る時にどうしてもいわゆる不安なことを考えたりとかすることによって眠れなくなる人たちっていうのは、それを不安を飛ばす方の薬とかで寝れたりするんですよね。
睡眠薬を飲むと、本当に睡眠に対する中枢とかに訴えかけるから、今度は起きづらかったりする。めちゃくちゃしんどいんですね。
なのでパターンによって飲む薬度が変わってきますから、症状が少なければ少ないほど直後を示すわけですよ。
ということは早い方がいいです。
そうですよね。やっぱり病院行く前に家族に相談するとか、知り合いに相談するとか、自分で薬局で試してみるとか、人によっては占いとかもあるかもしれないですけど、
いろんな病院以外の方向性を試してるって感じなんでしょうね。
世界中に言えることなんですけど、精神科・診療内科に対する恥というか、自分自身が弱い人間であるとか、精神科になったら治らないから自分は精神病を抱えた人間だっていう
ある種の楽園を押されてしまうんですよね。それがあっていかないっていうようなのが世界的な問題になっています。
なるほど。
あと、病院で処方してもらうって言っても、日本とか海外とかだと、やっぱり薬の強さ、最初に処方される薬の強さみたいなのが結構違ってきたりはしてるんですかね。
どうでしょうね。具体的に薬がどういう風な処方されるかっていうのは調べたことはないんですが、日本の場合はそんなに強い薬をたくさんは出さないですし、
逆に言うと海外の場合ってクリニック間隔が広いので、1ヶ月分とか長く出したりとかいうことがあるので、そうなってくるとオーバードーズが起きますよね。
効かないと思ってたくさん飲んじゃう。日本でまず3日分出しますってオーバードーズしてると、3日分しか飲めないので、
次必ず診察に来てくださいっていうアプローチが日本の場合できるので、その意味では薬に対する問題が起きづらいと思います。
なるほどですね。あと日本だと診療内科とか精神系の病院を受診するのは結構長くなることが多いですけど、身体症状が出てれば他の科に受診するとか、
理学療法士としてもまだ程度な状況で関わることもあるかもしれないので、こういう時だったらもう診療内科受診とか促したほうがいいかなみたいな、そういう基準とかって何か考えたりするんですか?
要は腰痛とかも慢性痛基準があると思いますけれども、何かやってるのにやっぱり3ヶ月変わらないとかっていう場合は、違う科を促すとかっていうのが基本的なある種のガイドラインだと思うんですよね。
だから腰痛とかかかたこりとかっていうのがどうしてもやっぱり変わらないっていうのは、やったら変化するんだろうけども、また何かそれで戻ってくるっていうことは違う原因が考えられるとかっていうので扱ったりしますね。
ただもちろん、機質的に明らかにすごい力仕事をしてるとか、ものすごく筋肉量が少ないのに、もうかかわらずハードワークされてるとかだったら、たぶん進めなくてもいいと思いますけど、
自分の用語予測から外れたときに、何でだろうというのをまさに推論した結果、これはちょっと自分の手に負えないぞっていうところで紹介するっていうことは、僕はよくやるって言ったらあれですけど、促すことはあります。
なるほどですね。あとその身体症状で出てくるところだと、今睡眠の話とか、痛みの慢性化とかもありましたけど、他なんかどういう症状というか。
一応障害が有名ですね。要は下痢、便秘、いけ、あとは目の症状じゃないですけど、泣くとかですね。
なるほど。表情とかそういうところにも出てきますし、あとビーバットでしたっけ。身体の動きとかも見ていきながら、精神状態との関連も見ていくみたいな感じでしたっけ。
そうですね。ビーバットの説明をもうちょっとしっかりとせっかくなのでさせていただこうと思いますけど、ビーバットというのはベーシックボディアウェイネスセラピーと言われる理学療法の主義のうちの一つで、もともとダンスをやる人から始まって、1980年から90年にかけて理学療法の中に入ってきた段階で、
イメージとしてはヨガとか座禅とか、あとは太極拳ですね。こういうような動きというものを通して身体に気づく。なのでベーシックボディアウェイネスなので、基礎的な動きによって気づきを得るということなので、寝るとか座るとかっていう基礎的な動きを通して自分はどんな動きをしている。
あるいはその絶対的な基準としてグラウンド、地面というのを使うんですね。地面というのは動きませんと。もちろん地震があれば別ですけど、通常地面というのは動きません。自分の体がもし震えてるんだとしたときに自分は動いてません。だとするとその地面と自分の体の関係をしっかり見ましょう。最初にライングセッションと言って寝た状態で地面というのを感じていきましょう。
そして座った状態で地面を感じましょう。今度は立った状態で地面を感じましょうというようなこと。あとは軸というのとセンターというのがすごく重要視するんですね。特にセンターというのはちょうど日本の場合センターってタンデンのあたりを。海外の場合はへそよりも上なんですね。そのへそよりも上のちょうど呼吸をするときに動くような部分というのに身体のセンターがあって。
すべての動きをそのセンターからやりなさいっていうようなガイドをやっていくんですね。軸をずらさないとか。そうなってくると地面との関係もそうだし自分の動きっていうのを気づきやすくなるんですね。で、そのときにめちゃくちゃ自分固くなってるわとか全然動けてないわとかっていうのを気づく。これを医学療法書が動けてませんよとか硬いですよとか一切言わないんですね。
その人が気づくっていうのがすごく重要になってくるので、その気づかせていくと自分の体が硬いよねとかっていうのが分かってきて自分から変化を促せれる。だから自分自身が状況が悪いとか自分自身の状況が良くなったとかっていうのがその身体を通してモニタリングできるようになってくるっていうのがピーバットの特徴になります。
なるほどですね。スポーツやってる人とかだと結構腑に落ちやすいというか、こういうアプローチではあるんですかね。
そうだと思います。ただスポーツよりは動きがものすごく少ない動きをやるんですよね。だから本当に対極拳、対極拳実際やるんですよ。対極拳のような動きの中でその動きからの評価基準の中ではリズムだとかあるいは動きの中の連続性だとか硬さだとかそういうのをいろいろ見るわけですけど。
それが何かこう固くって何かこの動きできにくいとか何かうまくいかないみたいなっていうところを見ていくのでスポーツの中でも舞踊とか能とかそんなに違いかもしれません。
なるほどですね。基本的にはご本人が体を動かしてもらう中で気づいていくみたいな形かなと思うんですけど、その時にセラピストは周りで客観的に見る中だとどういう視点で見るといいかなとかってあるんですか。
セラピストは基本的にガイドをやって目の前でその人に動きを与えるんですけど、このガイドの人がわざと動きをちょっと変えていくんですね。
この人の真似したりするんです。そうするとあれなんかガイドが変わったな、自分が変わってるかもしれないって言ってガイドが変えていったりだとか、速い動きの時はやっぱり速い方が動きやすいんですね。
だからすごいゆっくりしたりだとか、例えば腕を90度上げましょうっていうそういうのはないんですけど90度上げましょうっていうのを20度にしたりだとか
動きをすごく小さくしてその人自体が動けてないとかそういうのをガイドの中で変化させていくんですね。
評価基準はバースMQEっていう評価基準があって、その中でこんだけ動けてるこんだけ動けてないとかっていうのを0から7点満点で採点します。
そういう意味だと、日本だと前回も端の話とかありましたけど、結構外からの目線とか気にしちゃうよねみたいな人多いかなと思うんで、こういうプログラムとして自分の中に目を向けるっていうか、そういうことによる効果もあったりはしそうな気がしましたね。
まさにその自分の動き自分の感覚っていうところに目を向けること自体がやっぱりこうメンタルヘルスの不調がある人たちっていうのはすごくなくなってくるんですね。
なのでメンタルヘルス自分の方に、なんか日本語で言うと内観とかって言ったりするかもしれませんけど、自分の方に目が向くっていうこと自体はちょっと余裕ができてるんですよね。
そういうのをしっかりと作っていきつつ、何よりも体自体の動きっていうものにどんな影響が出ているのかっていうのをしっかりと気づかせるっていうのがこのビーバットの特徴になります。
やってみるとですね、これ何回かやらなきゃダメです。もう1回だけじゃわかんない感じがあって。
だからなんかやってる最中に自分の体が楽になってくる感覚はやっぱりあるんですよね。
エビデンスも凛称エビデンスしかないですけれども、エビデンスもだいぶ取れてきているのできっと効果があるんだろうという状態。
フランス、フランスじゃない、ノルウェーの場合はそれで開業したりしてますね。
ヨガとかピラティスみたいな感じのビーバットのアプローチが。
理学療法ビーバットです。
なるほど。
ビーバットセラピストっていうふうな称号になるので、そのビーバットセラピストでそれだけを専門に開業している人たちがいます。
なるほどですね。
でも例えばなんか睡眠とかでも禁歯管法とかっていうようなルート力入れてパッと抜きましょうみたいなのもあると思うんで、
そういうビーバットとかを取り組む中で寝る前に体を緩めやすくなって睡眠も改善するとかもありそうな気がしますよね。
そうですね。睡眠障害に対しては非常に有効だと言われてますし、
さっきの歯管法、いわゆるヤコブソンの歯管法とかってあると思いますけど、それの上位互換みたいな感じです。
力を入れさせるっていうことはやらないのはやらないんですけど、力が入ってるっていうことを気づかせるって感じですね。
なるほどですね。
一旦ちょっと結構ビーバットの話はいろいろ聞いていけたんですけど、
他、例えばメンタルヘルスが絡むような症状に対して理学療法士が関わっていくとなると、どういう関わり方が考えられるんですか?
メンタルヘルスそのものの基本的に最も高いエビデンスがある治療法ってやっぱり歩行なんですよね。
だから理学療法士が患者さんをどうにか安全に歩かせる。これが実はものすごく効果的だっていう。
歩行を司る職業というとおそらく理学療法なんですよね。
だからその理学療法っていうのがしっかりと安全に歩かせるっていうこと自体はメンタルヘルスに対する影響が非常に良いってことですね。
なるほど。それは何かしらメンタル不調があるとふらつきが起こりやすかったりとか、何か歩行に対する障害というかうまくいかないことが出てくるから
それをうまくできるようなサポートをしていくって感じなんですか?
いろいろななんかあるはあるみたいなんですけど、基本的にやっぱり体力がつくっていうのが。
呼吸器系の問題もそうですし、あとは歩きながら周りのものを見て変化を得たりだとか、歩いたんだっていう達成感だとか、複合的な要素で歩くっていうものが選択されるみたいですね。
どんな病気、うつだとかっていうのみならず、心疾患だとか脳卒中だとか、高血圧とかも歩くのが一番エビデンスが高いって言われるぐらい、めちゃくちゃ万能なものとして扱われているっていう。
それは一つ一つに理由も臨床的な理由からやってると思いますけれども、歩くのが一番いいですよって言われてます。
なるほど。前のなんかハーシュバーグ的な話にも聞こえた。
そうですね。ただ、それって歩くまでの準備を理学療法士ができるかどうかが結構重要です。
結構、ビバットっていうのは歩くまでの準備をしっかりとやってるんですよね。これがいきなりそうじゃない人に歩きましょうっていうのは結構きついんですよね。
なるほど。丁寧に歩くためにはこういう機能が必要でとか、体を自由に動かせるところも整えた上で歩きましょうみたいなことは専門家ならではのできることっていう感じですかね。
そうだと思います。メンタル不調というのは割と身体症状と絡んできていることが多いので、単純に物理療法だとかでメンタルの治療というよりも症状として気持ちを楽にさせるとかということも有効なので、
理学療法の、都市療法もそうですし、物理療法だとかっていうのは結構全般的に有効なことが多いんですよね。ただ、はっきりとうつに対してアプローチしてるとか、はっきりと統合主張症に対してアプローチしてるっていうところが言いづらいので、
だから、副次的な効果としてなのかもしれませんけど、個人的にはすごく有効な治療っていうのがやっぱり運動、理学療法における運動なんだと思います。
なるほど。あと、慢性痛とかに対してっていうと、今まで言ったこと以外で気をつけることとかって何かあったりするんですかね。
慢性痛ってね、なかなか難しい。いろいろな定義があると思いますけど、最近、ほら、感染の問題とかがいろいろあって、僕もあのあたり実は苦手。
痛みを専門としてきた割には、中央観察とかあんまり勉強してないので、いまいち、つまり神経系の話ですよね。っていうのはちょっとわからないのはあるんですけども、
何をもって慢性痛とするかって言ったときに、理学療法はやっぱり筋とか関節における慢性痛とかっていうのは比較的得意としてると思うんですね。
だけど腹痛とか頭痛とか、まあ頭痛は一部禁制のものとかはいけるかもしれませんけど、いけるところといけないところがあるよなと思ってます。
腰痛も、結局その本人が非常に運動をちゃんとして協力的にやると、かなりの可能性で解決していくことが多いんですけども、
運動ができないとか、あるいは言うことを聞かないとか、言うこと聞かないとちょっとあれかもしれませんけど、自習練習してくれないとか、そういった人たちは一旦ビーバットまで戻るとかっていうことになると思うんですよね。
なんか運動できない理由があるはずなので、だからその薬と同時にやっぱりこう運動っていうものを併用していくっていうのはすごく価値があることかなと思いますよね。
そうですね。なんでも身体的な要因があるところは関わるし、メンタルが関わるところは、もしかしたら理学療法士的なアプローチできるところもあるかもしれないですけど、またこう神経が絡むところとかは、また精神面だけでも足りないところもあるかもしれないので、結構やっぱり痛みは複雑ですね。
僕自身は痛みそのものは単純で、痛みの周りに巻きついてるものが複雑だと思ってるんですよね。だから痛いっていうので困ってるんじゃなくて、動けないことで困ったりとかするわけですね。僕今実はすごい腰が痛くて座ってる段階で痛いわけじゃないんですよ。動いたら痛くなる。だから動きたくないになると。
そうしたらそれは痛みで困ってるんかと言ったら、正確には動けなくて困ってるわけですよね。だから痛みっていうものがすごく複雑ですねってなってくると、痛みの治療をすればいい。もちろん痛みがなくなれば動けるんでしょうけれども、ニワトリが先なのか卵が先かじゃないですけど、痛み自体をあまりレトリックで扱わないというか、大きく扱わないようには僕はしてるんです。
基本的な僕の痛みの考え方としては。だけどどうしても痛みにいろいろな種類を分けてしまう人たちが多いんで、結局痛みがどれか分からなくなってるっていうことかな。つまり痛みの定義って一体どんなものなのかっていうものに変えられない人が多いかなと思います。
そうですね。痛みを深掘りすぎるとなかなかどれでもハマることもあるでしょうし、なのでICFの参加とか活動とかベースで考えていくと、痛みがあってもこれができさえすれば満足とかやりたいことができるみたいな方向性もあるかなと思うんで、ちょっと視点の切り替えが途中で必要なこともあるかもしれないですね。
個人的には本当にそこが結構重要かなと思ってます。
前回の前半部分でメンタルヘルスの定義とかって言っても、精神面とかもあれば他社とのコミュニケーションとか、社会の中で貢献ができるかどうかみたいなところもメンタルヘルス絡むところっていうところだったんで、最終的な目標がその人にとってどこにあるのかみたいなことは常に見せないといけない感じですかね。
確かに、本当にパーティシペーション、社会における役割、参加というものをどこまで捉えるのかっていうのを割と日本の理学療法士って扱わないことがあるみたいで、この前台湾に行った時には台湾の理学療法士は目標として扱いたいっていうことをすごく考えてるらしいんですね。
社会において自分が何ができるかっていうところに目線を向けていく教育とかいうようにしないと、理学療法自体が単に一緒に歩く人だけになるよとかっていうふうには思いますね。
そうですね。また部分と全体をどのぐらい考えていくか、全体を見ていくとまた理学療法だけじゃできないことってのも見えてくるでしょうし、うまくバランス取ってやっていかないといけないだろうなと思います。
理学療法が万能だとは思いませんけれども、できることっていうのを自分たちがしっかりと認識していくっていうのはすごく重要かなと思います。
今回の前半だと結構もうちょっと身近な症状として、睡眠とかそういう痛みとかも出たんですけど、前回も結構もうちょっと統合失調症とか他の精神疾患の話もしてたんですけど、そのあたりに特有の症状だったりとかそういうところにも関わっていける余地はあったりするんですかね。
そうですね。いろいろなうつだとか統合失調症って2回打った症状と2回打ってない症状、いわゆる陰性症状と陽性症状とかっていうのがあると思いますけど、例えば統合失調症における陽性症状としての厳格とか厳重とかっていうのはやはり薬が必要だと思います。
ただうつ系の症状が出てきて気分が落ち込むとかっていうところ自体には比較的ビバットとかは実はそこに対応していくんですよね。すっげー元気な人たちっていうのはなかなか抑えづらいんですけど、ただそのビバットのやり方も元気があるというよりイライラしてすごい注意が散漫な人だとかですね。
そういった人たちに注意を向けるためにまずスマホはどっかに置かせてとか、もう完全に個室で刺激が入らないようなところで自分に向き合わせたりだとか、逆に元気がない人とかって注意が向かない人は少し賑やかなところでやったりとかそういうふうに変えていくんですよね。
だからうつ的な落ちている症状の人たちとか慢性疲労的な人だとかそういったのは結構対応していくことが多いです。ただ統合視聴者のめちゃくちゃ幻覚が見えてる人たちっていうのはすごい表現が良くないですけど言うことが聞かないので、ビバットはガイドなのでガイドが聞かないですよね。
そうですよね。なので直接体を見るだけじゃなくてさっきの環境調整とかっていうのも大事っていうところでしょうし、あとは今後もしかしたら入院の日数はどんどん減らしていって地域に出ていく方も増えるってなると、地域の中でどういう関わりをしていくといいかとか何か環境調整できることっていうのもあったりするんですかね。
地域の役割ってそれこそ今年から本来は地域包括ケアシステムが始まるって言ってたけどあんまりうまくいってないんですよね。国のプランとして。地域で次助、後助、強助が動いてないですよね。
というところで、どちらかというと次助の方ばっかりに国は自分でどうにかせーって言ってるような気がするんですよね。だから後助は減らしますと。次助がんばれと。そういうふうに動いてるような気があるので、そこでコミュニティがあってなってきたときにコミュニティを動かすために市町村とかが何かやってるかというと、やっててもそれにキャッチできてないとか、
特に働いてる人たちはキャッチできてないですよね。高齢者のコミュニティの中でそういうのはキャッチできてる人たちとかっているかもしれませんけど、田次郎さんは比較的在宅でお仕事することがあると思いますけど、今住まれてる地域でそういうようなメンタルケアとかっていうのを市町村がやってるとかっていうのは見たことありますか。
メンタルケアとして今の地域ではそんなに聞かないかなと思いますけど、自分の地元のあたりで理学保護士の方は結構その精神障害のある方の就労支援とかの活動をしていて。
これだと予科活動の支援という形で週末に集まって何かできるような活動をしている人とかはいますし、あとは最近ソーシャルフットボールっていうような教会に関わり始めてるんですけど、精神障害の方がフットサル的な規模でやるサッカーなんですけど、結構全国でチーム作っていったりとかっていうのを活動しているのはあるんで、そのあたりは思い浮かぶところかなって感じですかね。
今の部分でどちらかというと明らかに症状があったり、比較的社会生活がちょっと営めなくなったりとかの部分で、社会問題としておそらくあるのは症状が少ない人に対する対応で、それを薬飲まなくてもどうにかなるとか仕事しやすくなるとかっていうところがおそらく本当はニーズが高い。そこはあんまり動けてないよなというふうに僕は思ってて。
そういう感じで、さっき言ったようにDUPが長いので元々来ないんですけど。
そうですね。大きい会社だとストレスチェックの制度でとか、結構会社としてカウンセリングのサービス契約して、希望者があれば相談するとか、自分も2、30人規模の福祉施設なんですけど、月1回訪問させてもらって、ちょっとスタッフの健康管理サポートするみたいなことも出てきたりはしてるんで。
最近、健康経営とかいう言葉で働く人のメンタルだけじゃなくて、体の不調も含めて、福利厚生的にサポートしていこうという動きは増えてきてるかなと思いますけどね。
確かに、今ちょうどメンタルヘルスに対するチェックっていうのをするんですね、その企業で。これチェックして、自分でモニタリングをさせて、多分何かがあったら専門家に行ってくださいっていうだけで、これ健康診断もそうなんですけど受診してくださいって言って、言われても受診しない人が多いんですよね。
僕は受診するかもしれませんけど、僕なんかカウンセラーの言うこととかあんまり聞きそうにないタイプですよね。自分がなった時にどうするかな、チャッピーに相談しますかね。
結構増えてますよね、最近。やっぱり寄り添ってくれるのもありますし、人には言いづらいことも気軽に言いやすいっていうので、結構AIで相談するのは増えてるなと思いますね。
論理的に説明してくれるのはすごく僕も好きなので、こういう症状がこうなんだ、これだったらこうしたほうがいいなとかっていうのは安心はしますよね。
人文系をやってきた人間からすると、そうあってほしいとは思いますけども、ちょっとその接続が遠いよなっていう。
それこそエビデンスはって言われる世界に、例えば小説読んだらいいよって言ったらじゃあみんなぼっちゃん読んだら大丈夫なんかここでぼっちゃん読んだらルーツにならんのかみたいな話になっちゃうので、
個人でストレスの対処法のうちの一つとして読書というのがあるとか、やっぱりこう自分の認知機能を上げるということに対して、
その人文知っていうのがすごく効果的であるっていう人がやっぱりいるのはいると思うんですよ。
だからかなり個人的な資質みたいなのをちゃんと見ていって、自分がどのパターンが一番うまく、だから人と喋った方がうまくいくという人もいれば、
本を読んだ方がうまくいくという人もいれば、旅をした方がうまくいくという人もいるでしょうから、まずはやっぱりそれこそクリフトンストレングスとかの方がもしかしたら有効かもしれないですね。
なるほど。そうですよね。なので強みを見ていくパターンと、ネガティブな苦手なものを話していくっていう両方あるかなと思いますし、
どうなんでしょう。日本で言うと最近だと特別支援の学級とか不登校の子も増えてて、そのサポートもあるかなとは思うんですけど、
この辺もやっぱり、登校とかも結構メンタルが絡む部分というか見せつつですよね。
これはなかなか今もう一個不登校のところ、支援学校系のところにいくつかの実はですね、今世界的な圧力が来てて、支援学校そのものっていうものは差別の対象だというような扱いをWHOがしてるんですよ。
だから全員同じ学校で見なさいと。だから支援が必要な子はいるけども支援学校は必要ないみたいな動きになってきてるんですよね。
これ日本は2022年かなんかにWHO勧告を受けてるんで、だから支援は必要だが支援の施設はいらないとなってくると日本はすごく大変になってくると思います。
精神科病床もそうですけれども、どちらかというともう分けてしまうっていうのは日本の考え方になってしている。
それをちょっと一旦横に置いておいて支援学校っていった時に支援学校の先生の資格とかっていうものをいろいろ医療系の人を増やさん限りはいかんだろうなと思いますね。
なるほど。そうですよね。なんで精神疾患の病院とかでも分断してたものを地域に戻すとか、学校とかでもいろんな方が同じように学ぶとかっていうと、
結局そこを全体に関わる学校の先生とか地域の方とかにまた負担が偏ってきて、そういう人のメンタルヘルスの課題が結構大きくなりそうみたいな予想はされますかね。
なのでよく学校の先生とかが、理学療法もそうですけども、6年生にしなきゃいけないとかっていうのはこういう問題含んでるんですよね。
対応しなきゃいけない問題が多すぎるから、その専門職の人が全部できるようになるっていうのが望ましいと。
外から専門職をもう一人連れてきたらお金がかかるからやらない。
一人の人間の能力が上がれば、より多くの問題に対処できるから、6年生にしなさいとかっていうけど、それはなかなか難しいんじゃないっていう、
そういったジレンマが起きてるっていうのが今の専門職教育なのかなと、今ちょっと改めて思いました。
なるほどですね。そうですね。あともう一つ、セラピスト自身のメンタルヘルスみたいなことも考える意義はあるのかなと思うんですけど、
どうなんですかね。医学療法士とかその他医療職種の中での働き方とかメンタルヘルスみたいなところも議題には上がってきてるんですか。
例えば精神心理医学療法研究学会の中とかではあんまりないんですけど、予防医学療法学会の中に僕そういうの入ってるんですけどすごく問題になってます。
やっぱり離職が多いと。もちろん離職にもいろいろな原因がありますけど、そのうちの中にやっぱり3分の1とか4分の1ぐらいにメンタル系で辞める人たちっていうのがいると。
だけど昔ってあんまり聞いたことなかったんですよね。だから今はやっぱり自由度が減ってしまったとか、あるいは自信をなくしてる子が多いとか、何かしらの問題がやっぱりあるんだと思うんです。
だからそこに関してはどうにかしなきゃいかんよねという。
なるほど。なかなかこれがいいんじゃないかみたいなパッと答えは出づらいような話ですよね。
これはもうほんと先ほどの人文地位とかともそうですけど、個人でレベルアップをしていくっていう、僕最近よくマクロ、メゾ、ミクロっていう考え方をするんですけど。
ミクロの部分では個人が強くなるんだけど、メゾの部分っていうのはその施設病院がどうにか対処しなきゃいけない。
そしてマクロの部分では言うと教育を変えたりだとか、いろいろな制度を変えなきゃいけないというとか、総合アプローチじゃないとダメですよね。
ここが結局、例えばミクロの部分で個人が弱くなってるとか、メゾの部分で病院が悪いとかって言うと、これ実はしょうがないんですよね。
やっぱりちゃんと全部にアプローチをかけていかないといけないので、マクロの部分で国が動いて、もう例えばメンタルヘルスケア、メンタルチェックをやったからってどれぐらい変わったかっていうのはよく分からないんですよね。
僕は個人的にやっぱりミクロの個人っていうのがすごく興味があるので、ミクロの部分に対するアプローチ、いわゆる一対一での理学療法対応とかっていう風になってくるので、
マクロはちょっと僕はあんまり目を向けてませんけども、ミクロの部分での対応っていうのが僕自身が専門性として持っているところですね。
なるほどですね。ミクロな部分でいくと、堀先生の大学院とかで学ばれたテーマとかは、結構やっぱりパサなる部分が大きいんですかね。
心理系の哲学を学んできたことっていうのは、自分自身のことだけじゃなくて臨床として一対一でクライアントに関わる時とかでも結構生きている実感はありますか。
難しい質問だな。基本的に専門にしてきたのはターゲットは痛みだったから、痛みを持つ人間というふうに言えればそうでしょうし、僕自身の色々なあり方として役に立っている部分は多くあるでしょうけれども、
他者にそれを共有したりだとか、自分が何かメソッドを持っているかというわけでもなく、哲学がよく役に立たないと言われるものの一つかもしれませんけど、
個人で全部納得してしまって、うまく共有できていないのだっていう。もちろんその哲学を共有している人たちも中にはいると思いますけど、
僕自身がやってきた何かというのは、誰かと多くを共有し、特にメゾとかマクロの部分に最終的に変化を与えることはないので、
もしかしたら僕の本を読んで、マクロの変化を考えてくれた人がいるかもしれませんけど、それをあなたマクロの変化を推すためにこうやりなさいというアプローチもしたことがないので。
なかなか難しい質問ですね。
そこってよりは、例えば今進めた理学療法推論のところとかで、個人の中での考えの整理がしやすくなるとか、その管理するときのバラツキが減るようなアプローチみたいなところは、
めぐりめぐって対立が減るとか、質が高まるみたいなことはイメージされるんですか。
そうあって欲しいとは思いますけども、そこまで見てあんまりやってないかもしれませんね。
そういった願いはありますか。そのためにやってますか。そうじゃないですかね。
一旦またセラピストみたいなところから離れて、精神疾患とかメンタルヘルスでいくと、本当に働く人のメンタルヘルスとか話題が増えてきてるかなと思いますし、
そこでいうと、何だろう、企業とかで例えば理学療法士が中に入り込んでみたいなことっていうのは、今後も意義がありそうなんですかね。
メンタルヘルスの初期症状ってやっぱり身体症状が出てることが多いので、このメンタルヘルスの症状が出てるっていうのを聞くよりも、身体症状を先に聞いて腰痛が治らないとか、
腹痛があるとか頭痛があるとかっていう人から弁別していくっていうことは多分可能だと思うんですよね。
ということは、理学療法士が入って、最近腰痛がとかっていうような話を聞けるっていうのはすごくいいと思うんですよ。
だから、産業保険のレベルで理学療法士が企業に入っていって、それは鍛えられた理学療法士っていう前提だと思いますけれども、産業にはすごく役に立つと思ってます。
今、そういう産業で関わる理学療法士を育成していこうとかっていう動きは増えてきてるんですかね。
産業理学療法研究会というのはありますけれども、学会理学研究会というのは人材育成の場ではないので、それをPT協会がやろうとしてるかと言われると、やりたいけどもやれてないのかもしれないですね。
国からの要請とかはあるみたいですけど、産業経営を直接ってやった場合に、結局それを職業にして、その人たちがそれでそれだけの仕事で食えるようにまで持っていかないと人は動かないので、
ちょっとハードルの高さっていうのはそこで起きてるみたいですね。
教会とかではなくても自分の身の回りだと民間の事業として、企業にセラピスト派遣してっていうこととか、体の不調があるところにPTが相談に乗ってみたいなことはやってるところはあるので、おそらく増えていくかなとは思いますし、
この辺のメンタルヘルスの理解を深めていけば多分活動の幅は広がると思うんで、ぜひ興味持ってもらう人が増えたらいいなと思いましたね。
そこの部分が協業している職業というのが、例えば親族だとか、無資格の人たちとかっていうのが、実はそこには勝てないというか、根強く動いているので、
理学療法士がっていう主語はなかなか難しい気がするんです。日本国民に対してそういうのをいち早くってなったら、自費でやったり保険でやったりとかっていうことになってくると思いますけど、
理学療法士特有のっていうところに作るのはなかなか難しそうですね。