2025-03-26 53:46

#2-1 運動器領域における理学療法の歴史や社会的現状

堀 寛史

https://x.com/hiromumi

田代雄斗

https://x.com/yuto_therapist

サマリー

本エピソードでは、運動器領域における理学療法士の歴史や現状が探られています。整形外科との違いや治療法の進化、具体的な技術や体系についての議論を通じて、理学療法士の役割や活動の重要性が理解されます。運動器領域におけるアプローチの変遷や地域ごとの影響、エビデンスベースの重要性、特定の主義についての価値観の変化も示されています。理学療法士の役割や診療報酬の変遷が詳しく語られ、回復期リハビリテーションの発展や理学療法の重要性が高まる中での課題や社会的影響についても触れられています。特に、腰痛や肩こりといった一般的な疾患に対する治療の変遷や医療コストに影響を与える要因が強調され、日本の高齢化や医療モデルの発展に触れた上で、今後の理学療法士の働き方に対する展望が示されています。

運動器の歴史と展開
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistのエピソード2回目ということで、今回は主に運動器とか整形とか、それに関する理学療法だったり、セラピストにまつわる話をいろいろしていけたらなと思います。よろしくお願いします。
私たち理学療法士がベースにあるんですけども、やっぱり運動器っていうのは、よく考えるところだと思いますし、もともとこういう整形領域とかを見据えて、理学療法士なろうとか、そういうことを考えている方もいるかなと思うので、今回は改めて結構歴史的な運動器のアプローチだったりとか、社会的な制度の演算とかも含めて、
運動器についていろいろ学んでいけたらなと思っています。よろしくお願いします。
お願いします。じゃあ簡単に運動器の歴史みたいなのを話したほうがよさそうですよね。
そうですね。
まず今、例えばこれを聞いてくださっている方が30前後ぐらいの方だとすると、運動器という言葉にはすごいなじみがある言葉だと思うんですよね。
だけど、僕ら20年、25年ぐらい理学療法士をしている人間からすると、運動器という言葉はある一つで生まれた言葉なんです。
それまでは、その理学療法というのは基本的に医師の診療科の開科目という形。
なので、医師の診療科が例えば整形外科、外科、内科、呼吸器科ってあった横にリハビリテーション診療科っていうのがあって、
そのリハビリテーション診療科の診療部門として理学療法士ってやってきたので、
理学療法の中に特別な言葉があるっていうのがない時代がすごい長かったんですね。
ある時にリハビリテーション部みたいな形になって、看護部みたいな形で少し独立し始めたことが始まって、
そこから理学療法っていうのは外科はやらないよねっていう話になってきたわけです。
だから、理学療法が整形外科っていうのはおかしいんじゃないかっていうようなところから、
じゃあ違う言葉が必要だよねっていうので、最初は整形内科とかそういう言葉が出てきてたんですよ。
だけれども、運動器っていうのが一番落ち着くんじゃないかっていうところで運動器という言葉になって、
それを厚生労働省も使ってるってことですね。
そういう流れがあったんですね。
整形外科と理学療法の関係
そうなんですよ。外科ではないっていう。
確かに。整形外科ではない。整形とかっていう言葉になる可能性もあったんですかね。
これもまた形は整えないので、理学療法は。
やっぱり整形外科っていう、英語で言うとオルソペティックスになりますけど、
日本で言うと、もともと柔道制服とか整形みたいな形で形を整えるっていう方に整形外科系は移行してたんですけど、
理学療法はそこではなかったっていうのはあると思うんですよね。
なるほどですね。
なんでその内科的な見方だったり運動だったり、そういう方が理学療法的だよねっていう流れになってきたんですかね。
なので医師は整形外科療法、つまり抗療法って呼んでたわけです。
理学療法はリハビリテーションではなくて整形外科分野では、いわゆる治療主義としては抗療法だよっていうことで、
前もちらっと話したかもしれませんけど、どちらかというと、これはちょっとネガティブな意味で使われてたんですよ。
お前たちはリハビリテーション、リハビリテーションって言うけれども、結局オペをやった後に、俺たちの仕事の後の補助じゃないかっていうような整形外科ドクターが結構多かったんですよ。
だからお前らは抗療法だってリハビリテーションって言うなっていうことを僕らは若い頃言われたんですね。
抗療法っていうのが少しネガティブに使われてたけど、結果としては手術の後の抗療法っていうのは間違いなかったんですよ。
なので整形内科みたいな形で保存療法で、例えば変形性膝関節症の人はオペを回避するとか、
肩だとか腰とかっていうような人たちで非オペレーっていうのを理学療法が任せてもらえば、これは抗療法ではなくてリハビリテーションですね。
って言ってちょっと頑張った時代があるんですね。
なるほどですね。
なので、今実際に理学療法における運動機関はどういうふうに動いているかって言ったら、やっぱり抗療法が主体なんですよ。
手術を通してその後の回復期での理学療法っていうのが基本中心なので。
理学療法士の教育と技術
逆に田代さんの運動機のイメージ、要は運動機といういわゆるロコモーターシステムと言われるところから教育されてきたと思うんですけど、
整形外科との違いって何か考えたことがございます?
そうですね。やっぱり何か部位ごとによって抗療法っていうやり方が強いのか、自分たちが中心的に考えるところが強いのかっていうのは違うような気がするんですけど、
自分自身は結構腰痛に関わることが多かったんですが、最近追患版ヘルニアとかになってもオペすることは結構減ってきてるかなと思いますし、
また非得意的腰痛と言われるような手術とかの対象ではないけど腰痛があるというパターンは結構理学療法士として評価してアプローチするみたいなことが結構強かったのがあるので、そこは結構自分たちの主導性が高いなと思ったりしましたけど、
例えば肩とかだとやっぱりオペ後のリハビリとして行うようなことも多かったかなと思いますし、膝とかも前受神体断裂とかになると、その後の抗療法っていう位置づけが強いかなと思いますし、運動が元気っていったときに、そうですね、その部位ごとの違いは結構あるなっていうのを感じてましたかね。
おだしょー 確かに、それはおそらく正しい理解で、ロコモーターってなってくるとやっぱり部位なんですよね。整形ってなると手術なんですよね。だからそこの多分概念の違いを作って、運動器ってなった場合は部位を通して基本動作の動きに回復を与えたりするっていう考え方になってて、
整形外科ってなった場合は、例えば変形とか骨折とかという部位の変形を手術を通して直して、それをより変化させるために装具だとか釣りだとか、そのうちの一つのリハビリテーションっていうリハビリテーションの役割が小さくなるんですよね。
運動器はどちらかというと、その部位を変形とかっていうふうに捉えられずに、配用なんかも多分入ってくると思いますけども、大きな変形ではなく弱化をどうにかしましょうっていう考え方になるので、なので今の我々理学療法士の考え方としてはこういった運動器っていう考え方は適切ではあると思うんですよね。
なるほどですね。ちょっと話ずれるかもしれないですけど、理学療法士の例えば学会とかで文化会的にいろいろ課があると思うんですけど、そういうのとさっきの整形外科から運動器とか言葉が分かれていくか変わっていくみたいなタイミングっていうのは結構かぶったりしてるんですか?
そうですね。厚生労働省が2006年に疾患別リハ、いわゆるDCPを導入したときに運動器という言葉を使ったので、そこからやっぱり運動器っていうのに統一しましょうという形になってるはずです。
それまでは整形外科領域っていう形で学会は動いてたはずなんですよ。
あるいは広くリハビリテーションとかっていう言葉を使ってたと思うんですけど、今は運動器学会になってますので、それまでは運動器っていう形ではなかったはずです。
なるほどですね。広い言葉からだんだん細分化されていって、さっきのようにまた運動器の中でも部位ごとでも違うかなと思うんで、やっぱり結構科学的に考えていくとどんどん細分化が進んでいく流れになっているんですかね?
あえて批判的に言うと、運動器の学会を円台数とか円台の中を見ると、かなりの範囲で高療法、つまり整形外科をやってます。だから運動器の主たる整形内科の部分よりも、オペ後の痛みであるとか、オペ後の回復っていう高療法が今の医学療法の中心になってるのは事実です。
なるほどですね。その辺、前回の話とかでも、やっぱり医学療法士は医師の指示の下でやるとか、そういう考え方の流れもあって、おそらくそういう発表も多いのかなっていう気がするんですけど、
とはいえ、こうやっぱり医学療法士が自主的にというか主体的に評価してアプローチをしていくっていうのは、今後より考えていく意義はあるのかなと思うんですけど、そういう高療法だけじゃない運動器の関わり方っていうので、より考えていくためにはどうしたらいいのかっていうのも考えてきたんですけど、
これまでもそういう取り組みももちろんされてきたと思うんですけど、ちょっとまた過去こういう取り組みもあったとか、そういうのも聞いてみたいなと思いました。
わかりました。前回の話の中、もうちょっと簡単に復習になってくると、日本に医学療法士という言葉が最初に出てきたのは1945年に、巨大の整形外科の人たちが作ったので、やっぱり整形外科が強いっていうのが一つあるわけですね。
その時に安倍氏、旧氏っていう人たちがやってたので、特に先生者あるいは老妻という整形外科領域で発達してきたというのが一つあると。
実際にその医学療法士というのが資格化された後も、転院したのはやはり整形外科領域、特に西日本を中心とした整形外科領域の人たちがやっていったので、どうしてもやっぱり整形外科領域、そしてその中でセットで都市療法というのが一緒に動いたということですね。
日本の都市療法というと代表的なのは、オリジナルはやっぱりAKAになります。海外の都市療法になってくると、これちょっといろいろ複雑ではあるんですけども、北欧系とオーストリア系、オーストラリア系に大きくすると分かれるんですよ。
北欧系が日本の中に入ってきました。今の日本の都市療法の基本的考えは、おそらく大学校で必ず習うのは凹凸の法則なんですよね。あるいは間接牽引という話は、これは北欧のカルテンボーンエビエントコンセプトの中心概念なので、今はどうか知りません。
今の中心概念かどうか知りませんけども、それによって一斉を不備したので。そのあと例えば、腰痛おもし田代さんがやられたらマッケンジーとか、そのあたりはもしかしたらやられたかもしれない。あれは全然考え方が違う。
あるいはマリガンとかパリスとかメイトランドとか、いろいろなものが出てきているんですけど、日本の中でいうとAKAっていうのは、博多先生っていうドクターと宇都宮先生っていう理学療法士が当時大阪で一緒にお仕事をされてきたときに、宇都宮先生がアメリカに研修に行ったときに、メイトランドの研修を受けたんですよね。
そのメイトランドでこんなことやってるっていうのを日本に帰ってきた博多先生に話したら、日本でもやろうといってAKAができたんですよ。
なので、メイトランドはなんでそういう、メイトランドってオーストラリアの海外ですけど、図書療法をやろうかといったら、日本のアンマーの影響を受けてるんですよね。
だからこの辺り結構ぐるぐる回っていると言えるんですが、単にマッサージをするっていうだけではなく、治療という形で動き始めたっていうのが60年代から80年代くらいの流れです。
だからどうしても整形外科から脱却したい。つまり我々は保存もやれるんだ。特に高齢者もそうですし、スポーツなんかで手術をしない例にどうにかしたいといって、図書療法が世界的に日本的に発展してきたという流れがあります。
運動器領域のアプローチの変遷
なるほどですね。いろんな主義、図書療法とか、さっきのマッケンジーとかだともうちょっと運動療法みたいなところも入るかもしれないんですけど、図書とか主義でいくと、やっぱり関節の動きとかっていうのが主な考え方の違いになってくるんですかね、動かし方。
それはやはり整形外科と組んで、伝統研を通して関節の動きを見るようになってきたんですね。それまでは体の外から、バッキラから外傷だとか、硬さとかっていうのを見てたんですけど、そうではなくて、関節内の運動というのをちゃんと見なきゃいけないっていうムーブメントが来たんですよね。
それでさっきの凹凸の法則もそうですし、AKAの場合は先兆関節っていうところに着目したわけですよね。現在は関節内よりも筋そのものだとか神経だとかっていうところに視点が映っているので、これはもう単に歴史的な偏見でどれが正しいどれが間違ってるっていうことではないです。
なるほどですね。運動両方で言うと、またそういう筋神経のアプローチとか、自分の関わる腰痛とかだとインナーマッスル的な神分なのか表層なのかとか、あと最近だとアナトミートレインとか連鎖系もあるような気がするんですけど、運動も含めるとどういうカテゴリーというか分け方があったりするんですか?
このあたり都市両方も単に都市だけで済ますのではなくて、特にヨーロッパのほうは運動両方を一緒にやりましょうという形で進んでたので、日本の整形外科系の運動両方はヨーロッパの流れが非常に強いと思うんですね。
筋力増強とか、あるいはアライメントを意識しながら動かしたりだとか、あるいは筋の弾圧を、関節の弾圧を上げているというのは、ヨーロッパ系の流れから来てるっていうのはあると思います。
どうしても関節を硬いものを動かそう、つまり硬縮に対する治療。そして硬縮が治ったら基本動作っていうのが変化しますよね。運動しましょうというのは古くからはそういうふうにやってきたと思います。
なるほど。今、どちらかというと西洋よりヨーロッパとかオーストアリアとかアメリカとかから、主義だったり運動だったりの話があったんですけど、例えば東洋的な、東洋学的な思想が入った運動両方とか都市両方みたいのもあるんでしたっけ?
逆に今、最近になってそういう動きはあると思います。ヨガとかピラティスですよね。ヨガは東洋よりですけど、ピラティスってヨガ系の話がヨーロッパとかアメリカに渡って日本にまた来てるので、そういう関節を自分で動かしたり、ピラティスをオーバーストレッチと言ったら怒られるかもしれませんけど、ストレッチ系の流れで動いてるっていうのはあるのは事実です。
で、先ほどヨーロッパって言ったのは、これアメリカとオーストラリアじゃないって意味なんですよ。アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパ、そして日本っていう大体4地域で分けれるんですけども、日本の主両方っていうのはヨーロッパ系、特にノルディック系と、あとは日本の特殊系で動いてて、
その後にオーストラリア系がちょっと入ってきたっていう感じなんです。で、その運動両方という形になってくると、どちらかというと日本独自が強いんだけれども、その海外輸入型の知識として、当時ちょっと運動両方という広い意味で言うと、ボバースとかブルーストロムダとか、そしてPNFが入ってきてるわけです。
で、PNFはアメリカ型ですけど、ボバースとかブルーストロームっていうのは、ボバースはイギリスですし、ブルーストロームはどこだったっけな、ドイツだったかな、ポーランドだったかな。で、ボイビタがチェコとかその辺りから入ってきてるわけですよね。
で、一気にその時に入ってきてて、もともと日本でカルテンボイビエントがなぜ流行ったかというと、もともと都市両方がすごく流行る前に、ファシリテーションテクニックっていうのが日本にもバッと入ってきたわけですね。だから、整形外科と脳卒中と小児という三大流れがあったと。
で、小児と脳卒中のところをどうにかしなきゃいけないよねって言って、みんな学べ学べっていう時代に、ボイタ法を日本に入れようとしたグループがあるんですね。
で、そのボイタ法を入れてたグループがドクターを呼んで、ドクターに講習してもらってたんですよ。で、その人がトミマサオっていうドクターで、ボイタの直弟なんですよ。で、そのボイタの直弟にいろいろ講習会してもらってたら、なんか最近狩猟法、凹凸の法則とかっていうやつが出てきたらしいぞっていうのをその講習会で理学療法士が喋ってたんですよ。
そしたらトミ先生が、え、これカルテンボーン俺の友達やって言って、紹介しようかって言ってカルテンボーンが来たんですよ。それでカルテンボーンの本をトミ先生が翻訳して、関節モビライゼーションっていうのが日本に一気に入ってきたんですね。
なるほどですね。
なのでこれたまたまなんですよ。カルテンボーンになったのは。
なるほど。ただそれが結構今でも、自分も凹凸の法則とか大学で学びましたし、まだ今でも学び続けてると思うんで。
カルテンボーンエビエントコンセプトっていうのが、昔OMPTって言って、今OMPT、オルソティックマニュアルセラピー、オルソティックフィジオセラピーというこれはWPTのスペシャリティグループの中にもあるんですけども、その中でやっぱりカルテンボーンエビエントが強かった時代があるんですよ。
で、今はどちらかというとちょっと特殊コンセプトとして外されていて、EBMベースになってきてはいるんですけども、やはりその強かった時代に世界でワッと、そして特に日本のワッと勢いを増したということになります。
なるほどですね。そのEBMの流れの中でまたこの都市療法とか主義っていうのがどう扱われるようになったのかも気になるんですけど、ちょっとなんか前回とかでもやっぱり西日本と東日本というか東京あたりとかで理学療法士の流れのルーツがまた違うとかもあったんですけど、
西日本だとそういうAKAとかも生まれていたという感じですが、海外から輸入されるようなものっていうのはどっちかというと関東から動き出すみたいなことが多かったりするんですか?地域差とかもあるんですか?
これはやっぱり西日本が強かったんですよね。特に九州理派と近畿中央病院、あとはその後には名古屋派。この3つが強かった。あとは高知派。この4つが日本の理学療法の主流だったんですよ。
あと清瀬っていうのももちろん強かったんですけど、清瀬自体でグイグイムーブメントを起こしたっていうのは、初期はあったんですけども、やっぱり西日本に特例の人が集まってたっていう現状があるんですよ。
だからいわゆるRPTと言われる、教育を受けた理学療法士の数よりも特例の人が多くて、特例の人たちっていうのが西日本に固まっていって、それからグーッとその人たちが牽引していったっていうのがあるんですよ。
なるほど。今でも何かのコンセプトを中心にしたアプローチを行う病院とかもあると思うんですけど、そういうのもそういうルーツの中で何か輸入したコンセプトをもとにここでやっていこうっていうのが定着して、今でも続いているものもあるっていう感じですかね。
エビデンスベースと特定の主義
そうですね。ただ本当にその当時から継続しているっていうのはなかなか難しくて、運動機の話で言うと、今度はAKAっていうのは大阪の南の方で、いまだに博多先生という方が90から超えられるぐらいの年齢でやられてますし、そこに理学療法士もいく人が集まってるけど、あそこ一施送電なので報酬会とかを外に開かないっていうのがあると。
博多先生と一緒にやられた宇都宮発音先生がそこを抜けて、今度はSJFっていうのをやられて、ジョイントファシリテーションってやつですね。それはAKAとかなり似てるって言ったら怒られるかもしれませんけど、外から一歩離れてみるとかなり似てるんですよ。
それはこれも大阪を中心でやってると。今度はボバースっていうのも、ボバース記念病院っていうのがあって、大阪を中心にやって、今ちょっと山梨温泉とかに行ったりとか色々動いてますけど、もともと大阪でやったと。
今度はちょっと別動きとして、名古屋大学経営とか、名古屋近辺のところでマニュアルセラピーとか、マニュアルセラピーじゃない、マイオセラピーとか、あとはIDストレッチとか、マイオチューンとかっていう関節ではなく筋肉の方に注目した人たちの流派が出てきたんですよ。
で、ここらへんが色々喧嘩しながら発展してきたっていう。だから大阪と名古屋が結構都市両方とか技術に関しては切磋琢磨した流れはあります。
なるほどですね。なんかちょっとちらほら聞いてた話もあったんで、なんかその辺がちょっと繋がりそうだなって聞いてきたんですけど、あとはやっぱ近年だとエビデンスみたいな結構言われることがあって、特定の主義とかっていうのはちょっと注目されづらくなってきてるのかなという印象はあるんですけど、その辺はどういう価値観の変化とかあったとかありますか?
特定の主義、僕らはやっぱり特定の主義というものをじっと見てきた人間からすると、特定の主義を極めるまでにめちゃくちゃ時間がかかるわけですね。
例えば、OMPTっていうのを日本で、もう今は取れないんですけど、取ろうとしたときは6年か8年からかかるんですよね。1週間の缶詰講習を年に2回とかをやって、それからで8年とかかかる。これは海外でいうと大学入りプロジェクト、プログラムなので簡単には取れない。
オバースなんかも初期からインストラクターになるまでに、本当に僕も忘れもしない、美理学療法人になった頃にオバース講習会、大阪のオバース記念病院でやります。1週間かな5日間かなの講習で21万円って書いてたんです。
これ1ヶ月の給与飛ぶじゃん。宿泊費と色々な食費もかかるし、大阪にいないと取れない資格だねとかっていうのを見てたんですね。そういうすごく時間とお金がかかるから、みんな敬遠し始めたわけですよ。
病院が出してくれるとかってなると言ってたけれども、そうじゃないと敬遠する。すごく悪い言い方をすると宗教だみたいな流れができたわけですね。そういうと取った人たちって固まっていくので、差別化するわけですね。プレミアム化するから取ってない人と取った人でやっぱり違うと。
病院の中とかでもインストラクターに受けないとかって言って、ある種のやっかみだとか妬みが生まれる人たちのきっかけになってたんですね。僕はそういった主義は取らずに、当時FTEXっていう今もあるのかな。
ところで今度はいろいろな資格とかを取っていってたんですね。若かりし頃は。それでスポーツのファンクショナルテクニックかな。ファンクショナルテラピーとかっていうFTEXで。そこも結局病院内でそれを取ってる人と取ってない人で差別化されるんですよ。
だけど医療コスト変わらないじゃないですか。例えば10人いて資格を持ってる人が2人いると。8人持ってないとすると、これで表数は8人の方が強いんですよ。だからだんだんだんだんテクニックを持ってる人たちっていうのが宗教家みたいな扱いを受けていった時代がやっぱり2000年前後からわーっと始まったんですね。
なるほどですね。
だからそれが主義というのを伸ばさなくなったことになりますし、今度エビデンスベースになってくるとデータを疫学的に取ってくると、さっき言ったように2対8で言うと8の情報の方が主流になってくるわけです。
理学療法の歴史と医師の関心
だからエビデンスベースで集めると、結局都市療法だとかボバースとかやれる人たちの効果が出ないんですよ。これから例えばボバースがやれる人、都市療法がやれる人だけでデータを取れば違うんだと思いますけども。
そうしたらそれはパイロットデータが間違ってるとかいろいろなことが言われるわけですよ。結局主義は効果がないみたいな方向に動き始めて、結局その主義の人たちというのが少しずつ沈静化していった。だから20万払ったってペイできないじゃんみたいな時代になってきたってことです。
なるほどですね。あとは理学療法士とかセラピストの中だとこの主義を言うのいいよねとかこういうのもあるよねっていうのは多分いろんな流派とかがあると思うんですけど、それも結構内輪で言ってるのもあるのかなっていうイメージもあって、ドクターとか側から見たらどう映ってたのかなみたいなのちょっと気になるんですけど。
ドクターは僕らが若い頃は理学療法に基本的に興味がないんですよ。お手をしてすごく僕らが若い頃に言われてたのは人工関節をするのになんでリハビリテーションがいるんだってドクターみんな言ってましたよね。
よくしたんだから勝手に治るやろうと。だからリハビリテーションなんかいらないからせんでえって言う。特に大学病院とか僕がいた地域特定のちょっと大学病院の批判になるとは言いませんけども、理学療法は出さないって言ってましたもんね。
運動機の整形器家系の人たちはだって手術したら治るんだからリハビリテーションなんていらないから処方は出さないっていう大学病院でやってたんですね。なのでそこの大学病院でリハやってるのは基本的に積層の人ばっかりだったんですよ。積層の切断だったんですよね。
要はこの人たちはリハビリテーションがいる。手術をした人たちはいらないっていう事態があって、ドクターがリハビリテーションの方に動き始めたのは、やっぱり回復期なんかが始まったということが一つあると思うんですよね。
もともとそのドクターがなんでリハビリテーションに興味がないかというと、結構な医学部でリハビリテーション教室はあってもそこに医局がないんですよ。
なので一人親方なんですね。リハビリテーション教室で教授がいるけれどもその下に医局がないから誰もそこに入ってこないわけですよね。
例えば下科の教授だったらその下に準教授、助教いっぱいいて、教室持ってるわけですよね。自分のところから配置ができるわけです。
だけどほとんどのところのリハビリテーション教室は一人親方だから、部下がいないので配置できないんですね。それでやっぱり広げ切らなかったっていうのがあります。
そのあたりとかとまた診療報酬とかも繋がってきそうな気はするんですけど、運動機に対する、運動機っていう言葉ができ始めたりとか、そこで理学療法士が関わる領域も増えてきたりすると思うんですけど、診療報酬とかの変遷っていうのもそこからいろいろあるんですかね。
そうですね。もともと理学療法士ができた時代っていうのは1単位っていうものはあったんですけど、何人見てもよかったんですよ。なので例えば1単位2000円だとしたときに、50人見ても60人見てもよかったわけですよ。
今これを聞いてる人たちってそんな残業じゃんと思うかもしれませんけど、1単位20分を守れって言われたのは2000年以降の話なんですね。それまでは1単位20分っていうふうには規定するけど別に20分見なくていいっていうルールだったんです。
なのでコストが少し安かったんですね。1単位2000円。今納訴中だったら2450円ですよね。だけども、僕が理学療法士になった時は36人見てよかったんです。2000円とか、あとその総合承認施設とかっていう大きな施設基準が取れたら2500円になったりするんですね。
それの36人を見れるので、理学療法士一人頭がだいたい2000万ぐらいの売り上げを上げてた。今理学療法士一人頭運動着だったら多分800万ぐらいの売り上げなんですね。これは2006年の疾患別リハの時に変わったんですけども、それ以前というのはやはり理学療法士っていうのが結構対数っていうのはたくさん見れましたよと。
ただ、理学療法士の数がものすごく少なかったので、日本の総医療費に占める割合は1%未満だったんですよ。ここがとても重要なところで、リハビリテーション診療っていうのは1%未満に抑えたいっていうのが厚労省の重要な考え方だったんですね。
だけども、今度は回復期リハができて、回復期リハで非常に理学療法とかリハビリテーションっていうのがバンバン広がっていったわけです。
そうすると、現状をリハビリテーション診療で6%占めてるんですよ。
これを厚生労働省はずっと抑えつけたいんですよ。3%ぐらいまで抑えつけたいんですよね。
だけど、もうそれができないっていうことで単位を削っていくんです。
だけども、今度リハビリテーション、PT一人頭のコストが安いんだとすると、いっぱい雇えってなったわけです。
患者一人頭に9単位なりすれば儲かるからといって、回復期リハ病棟っていうのがどんどんどんどん増えたわけですね。
もともと回復期リハ病棟っていうのは最初に1995年に脳卒中を集中的にやりましょうと言ってできたんですね。
で、2008年に運動期もOKにしたんですね。
そしてそこのいろいろな基準、例えば昔はリハビリテーション、美学療法診療さんだったら100平米以上のリハ室、
総合承認施設だったら300平米以上のリハ室というのがいたんです。
だけど回復期リハはもうそれいらないって施設基準を撤廃したんですよね。
回復期リハビリテーションの進展
で、そしたらまあまあ儲かるわけです。
それでどんどんどんどん増やしていったらいつの間にか6%まで増えていったという現状なんですよね。
なので診療報酬というところで言うと、何て言うのかな、不妊の見誤りはあったと思います。
すみません、このあたり喋るとまだ長くなりそうなので、何か質問等があれば。
そうですね、さっきのこの例えば回復期とかだとどちらかというと、主義っていうよりはやっぱり運動だとかその愛用を防ぐとか
活動量を上げていくっていうようなことが多くなるかなと思うんで、そういう意味でも理学療法士として前半部分にできた
いろんな主義とかを学ぶ意義っていうのはちょっと減ってしまってるっていうのもあるんですか。
結局これがもうちょっとします。制度上のところで言うと、その回復期っていうのが1915年で始まったけど全然進まなかったんですね。
2001年にだいたいカフキ病棟って300床ぐらいしかなかったが、2023年で6万床まで増えてるんですよ。
これはなぜかと言ったら、その6万床に向けて売り上げが上がったからですよね。
売り上げを上げようと思うと、これは標準化が必要なんですよ。
さっきの都市療法系の人ができる人がいたら、患者さんはみんなできる人に見てほしい。
私治りたいから。
だけどそれをやっちゃうと、この6万床を増やすためのことができないんですよ。
だから要は前回ポンテベッキオとサイゼリアという話をしたと思いますけど、できるだけサイゼリア化をしないとその病床数が増やせないわけです。
なるほどですね。
それが本当にここで完全に起きてるということなんですよね。
なるほどですね、確かに。
何かそういうライトな、もうちょっと熟達しなくてもある程度統一したアプローチができるような流派というか、
関わり方みたいのは何か体系化されていったり、それがEBMの流れという感じですかね。
実際にじゃあめちゃくちゃEBMで動いてるかっていう層ではなくて、特に脳卒中なんかにおいては、2010年だったかな、2012年だったかな、
三学会で脳卒中ガイドラインというのが発表されたんですよね。
それはすごく衝撃的で、これは理学療法士ではなくて医者の学会から出たんですね。
その中の後半でリハビリテンション診療に対するガイドラインっていうのがあって、
その時にA、B、Cというエビデンスレベルをつけて、当時まだ特殊主義が強かったモバースとかPNFがCになったんですね。
何がAになったら勝つと立ち上がりがAになったんですよ。
これは前言ったハッシュバグの話と一緒なんですけども、それによって立ち上がらせばいいじゃんっていうのが結束したんです。
なるほどですね。
その後にまたガイドラインが出たり、今度は理学療法の方で理学療法士協会がガイドラインとかを出した時に、やっぱり運動、つまり活動運動が効果的だっていう。
これは言ったら当たり前なんですよ。
なぜかと言ったら特殊主義をやれる人が少ないからエビデンスデータが取れないわけですよね。
で、みんな歩いてたら、打つの方が運動したらいいというのと基本的に一緒で、運動は絶対それはいいわけですよ。
運動はいいのはわかっているけど、運動が100点というわけではないというところに気づかずに、じゃあ病棟内でたくさん立ち上がらせなさい、たくさん動きなさいっていう形になったんです。
なるほどですね。
あとブルーンストロームとかも評価の方法だけ残ってるというか、それのも以前話したような気がするんですけど。
評価法っていうのは各疾患とかに合わせてある程度固まったものがあるかもしれないですけど、
その関わり方、運動だったり主義とかが本当に誰でも行いやすいようなものっていうのが一般化されて、
そういう意味でも熟達した方っていうのが減ってる構造っていうのはこういう社会的な環境もあるっていう感じですね。
特に運動機は標準化された評価っていうのが実はないんですよ。
脳卒中とかはどちらかというと、なんとなくサイヤスだとかヒューゲルメイヤーだとか、NIHSSか、違う、なんだっけ。
NIHSS、すみません、それはドクターの最初の評価ですけど、ある程度点数化する評価っていうのがちょっと一般化されてきたんですけど、
脳卒中は例えば、整形結果学会が出している変形成形化関節症だとか、変形成形化関節症の日生界基準とかっていうのはあんまり使ってないんですよね。
あれはよくできているんですけど、運動機の方は使わない傾向にある。それの一番ポイントは、日生界基準ってあれ、オペ前の基準なんですよ。
オペ後は使わないんですよ。ということは、やっぱり運動機のリハって考慮法で、クリニックとかではそれが使えるんだけども、回復機では使えないから使ってないんですよね。
なるほど。ただ現場で例えば運動機のリハビリテーションに関わるというと、可動域とか活動量とか運動に関するところとか、筋力とかいくつかはあると思うんですけど、
そこがさっきみたいな最安とかパッケージ的なっていうものがないって感じなんですかね。
各病院でこのデータを取りなさいっていうのはあると思うんですけども、業界的にパッケージ化されたものがないですよね。
それがまたあるほうがいいのか、なくてもいいのかっていうのも考えどころかなと思うんですけど。
理学療法の歴史と治療の変遷
あることによって、いわゆるこの疾患にはこの評価をとって、この変化が入院前後でって比較ができるはずなんですよ。
だからそこら辺の考え方っていうのがヒューゲルミエにしろサイアスにしろそのためのものなので、パッケージ化するのは単に便利にするということとデータを蓄積するための目的があるんですけど、やっぱり運動機はそれがちょっと弱い気がします。
なるほど。難しいとこですね。
それはね、結局間にお手が入るからお手によって違うじゃんっていう意見が出てくるわけですよ。それはその通りなんですよね。だからやっぱり考慮法でそういうデータの蓄積が難しいというのはあると思います。
確かにそうですね。
だから要はドクターの成果だから。
この辺また後半部分でも2本目で話してもいいかなと思うんですけど、その中でまた自分の関わっている腰痛とかだと結構考慮法じゃないような関わり方を強くやりやすいところもあるかなと思うんですけど、その上で理学療法士化とどのあたりに関わっていくといいかとかはまた話していきたいですかね。
とてもいい質問なんですけど、僕が理学療法士になったときは腰痛は理学療法の診療コストが取れてたんですよ。今取れないんですよね。
もう完全にそこです。理学療法士が腰痛肩こりから撤退したのは診療コストが取れなくなったからなんですよ。だから都市療法が停滞していったのもそこがポイントです。
結局腰痛肩こりってすごいニールが高いんですよね。入院はしなくて外来できたときに、外来の大きな病院の中でも腰痛と肩こりの人を僕ら治療してたんですよ。
だから結構都市療法がすごく有効だったんですよね。関節を動かしたり、あるいは筋を動かしたり。
だけどもあるときから、まず大きな病院で外来を見ないっていう方向を国が打ち出したんです。
大きな病院で外来を見なくなるから、大きな病院はそれをやらなくなりますよね。
理学療法士の就職の初期モデルって大体みんな大きな病院に入ってくるわけじゃないですか。
そうしたらそういう都市療法系だとか外来系を見ない。そういう治療形態を学ばない。
今度クリニックになると、ネガティブなお話になりますけども、みんなに追患バイヘルニアの診断をつけて、それでどうにかコストを取ってた時代があるんですけど、
そのあたりもやっぱりだんだん厳しくなってきて、それで肺腰だとか、運動器不安定症とかっていう診断に変わっていって、
それで見ていくっていう形になって、要は腰痛という言葉がそこに入ってないんですよ。
腰痛性疾患は基本的に省エンジン数で見なさいっていう風になって、僕が見てた時は40点、今35点までどんどん下げられていってるので、
クリニックも理学療法士をおかぐに、電気だけで対応します。
自分の場合、スポーツ領域とか、独立して働くっていうのもあるので、まだ腰痛っていう訴えの方に関わる機会はあるんですけど、
理学療法士として診療法士の中で働く中では、なかなか腰痛に関わる機会は作るの難しいかなと思いますし、
そういう意味で、今後また理学療法士の働き方も対応になってくると思うんで、
疾患とか症状に合わせて、これは病院で見るし、こういうものはまた別の形で関わるしっていうのが、今後また多様性が出てくるかなと思います。
このあたりすみません、もう1個ちょっと例として出すと、
腰痛を病気として扱いすぎると、結局、禁止を病気として扱う会に近くなってくるんですね。
つまり、禁止を病気で扱うと、メガネに保険診療をしなきゃいけないっていうことで、
それはやってないんですよ。
それが見たとこであるとすれば、変形性膝関節症の手術って、僕らが理学療法士になったかと聞いて、一時400万だったんですよ。
今だいたい150万から200万ぐらいまで落ちてるんですね。
これはインプラントの値段が落ちたっていうことと、
あとはリハビリテーション診療の期間が短くなったとか、
オペ費用が安くなったとかっていうこともあるんですけども、
昔400万だった時代、患者さんが例えば70歳でTKを受けます。
そうすると、TKを受けるということで、厚生医療申請というのをさせるんですね。
これはどういうかというと、障がい記者の4級を取らせるんですよ。
そうすると、オペ費用が0円になるんです。
なので昔は基本的に人工関節は費用負担0だったんですよ。
それが2012年ぐらいに14年間に規制があって、
医療コストと社会の変化
人工関節の人は障がい者じゃないっていう規定になって、
それでやっぱり医療コストとかっていうのを変えさせてるんですよね。
病院がもうめちゃくちゃTKやっちゃうから。
なるほど。
そしてそのまま回復機にも移動させれるから、
要は、そして命のリスクも少ないし、基本的に人工関節で良くなるから。
だからリスクが低くてお金が儲かるっていうことになってきたんですよね。
だからこれはあくまでもネガティブな側面の運動機自体に、厚生労働省に目をつけられたものの一つです。
なるほどですね。
興味深いですね。
運動機一つとっても、そのドクターが手術としてどう関わるかとか、それに関わるコストとか、
また社会全体で見たときの国の医療費みたいな観点とか、その回復機が出てきたかどうかとか、
そういう流れの中でいろいろ関わり方も変わっていったりして、今現在に至るっていう感じなんですけど。
現状の運動機と昔の運動機ってのはどう違うかというと、今は運動機と言うけれども、平凡疾患、複合疾患なんですよ。
なので単純な運動機疾患という見方がすごく難しくなってるんですね。
だから理学療法士に求められる知識だとか技術っていうのが、例えば糖尿病基盤とした変形性膝関節症だとか、
心不全と脳卒中を持っている軽部骨折とか、結構難しいんですよ。
しかも90歳の軽部骨折、心不全、在宅復帰目指すとか言われたって、そもそも無理じゃんみたいな世界なんですよね。
だから求められているものっていうのが運動機というところというよりも、完全に人間の包括的ケアなんですよ。
だから発症年齢というか年齢層が上がりすぎちゃってるっていうのが、今の理学療法における難しさになります。
実際に理学療法士のうちの40%が運動機に関与してるらしいんですね。
だからやっぱり主流、理学療法でやっぱりメイン主流なんですよ。
リハビリテーション、さっき言った全6%の中の40%を運動機が使っているから、運動機のコストを下げていってバランスを取ろうとしてるわけですよ。
他の人ごろから文句が出るから。
なので運動機のコストを下げて運動機の数を減らしていくって言っているけども、どうしても配慮症候群が運動機の中に入ってくるんですね。
だから配慮症候群でチェックを入れるというのはドクターはとても楽なので、しばらくは運動機という部分がコストが安くてもずっと使われていくだろうということになるんですが、
単に膝関節とか肩関節とかっていう運動機ではなくなってきているというのが現状です。
なるほどですね。
なのでまた今後の未来のことも考えていけたらと思うんですけど、
今までがっつり運動機っていうふうにやってきた人は、社会的な環境の中ではちょっと縮小していく傾向にはあるかもしれないですけど、
他の疾患から併発したりとか、そこから二次的に起こるっていうこともあると思うんで、
改めて別の疾患のことも学びつつ、そちらの方から今まで学んできたことを活かせるっていうこともあるでしょうし、
何か別の疾患をこれまで主流にやってきたけど、そこから高齢化するなり別のものと複合する中で運動機に関する知見も必要になるタイミングがいつか来ると思うんで、
もちろん重要なのは変わらないんですけど、関わり方とか窓口というか、場が変わってくるかもしれないというふうにありそうですね。
未来の理学療法の展望
なのでどうしてもやっぱり日本って高齢化先進国で、
日本人の特徴というのは外から学ぶことが得意だけど、オリジナルにいろいろ発展させていくっていうのはとても苦手な文化圏なんですよね。
日本が高齢者先進国で、みんな日本の状況を見てるわけですね。
だから日本って結構プレッシャーなんですね。
だから何も知らないから誰か教えてよ、誰も教えてくれないのっていうので、手探りでいろいろやっているので、
運動機がどういうふうに未来になっていくかっていうところは、もうこれ当たるか外れるかはわかりませんけど、可能性はしさはできると思います。
確かに。
僕が例えば中国人で、今後運動機がどうなりますかって言ったら、
日本を見るとこうなってるからこうやったらいいんじゃないかっていうことが言えるんですけど、
正直今からの日本の医療っていうのは、医療経済学的な部分も含めてどうなるかっていうのは相当不明瞭です。
なるほどですね。
そこに不安を感じる人もいると思いますけど、個人的にはそれだったら日本でいいものを生み出して、
海外から求められる先進的なものを作ったらいいんじゃないって逆にワクワクしちゃうタイプですけど。
本来はそれなんですよ。日本に注目している日本が、例えば今で言うとチャットGPTをアメリカが作ってるっていうのと同じで、
日本がやっぱり医療モデルを作って成功させるっていうトライアル、そこに本当は厚生労働省とか文科省もお金を出さなきゃいけないんですけど、
そう動かないっていうのがやっぱりもどかしいなと思います。
なるほど。そうですね。ありがとうございます。
一旦前半このぐらいにするといいかなと思うので、運動機にまつわる結構あれこれ喋れたかなと思いますので、
次第2弾続編という形で、もうちょっと未来あるといいんじゃないかっていうような話をしていこうかなと思いますので、
一旦ここで区切りたいと思います。
どうもありがとうございました。
53:46

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